水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《師の影》第一回

2009年04月20日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《師の影》第一回

 左馬介には、気に掛かることが一つあった。恐らく、他の門弟達はその訳を知っているのだろう。しかし、そのことについては周知の事実なのか、誰一人として語ろうとはしない。或いは、禁句になっているのであろうか? その辺りのところが左馬介には分からない。一馬に訊けば、すぐにでも得心がいくに違いないが、新参者の左馬介としては、そうした場内の事情について、どうも切り出し辛かった。
 この日の昼も師範代の蟹江は何食わぬ顔で、幻妙斎がおらず、しかも樋口が勝手に帰ったにもかかわらず、至極当然の成り行きのように他の門弟達の先頭に立って指導、監督をしている。道場の片隅に一人、座したまま稽古を見つめる左馬介である。蟹谷からは、未だ声は掛からない。
「おいっ! 秋月。前へ出て、竹刀を構えてみろ!」
 遠くから蟹谷の声が掛かったのは、この日の稽古も終りに近づいた夕暮れの七ツ時であった。
 遂に、道場主の堀川幻妙斎と、一風変わった樋口静山を除く中での左馬介の初稽古が始まろうとしていた。樋口は既に帰り、道場内にはいないが、幻妙斎に関しては、いるのか、いないのか、さえも分からない。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十八回

2009年04月19日 00時00分00秒 | #小説

       残月剣 -秘抄-   水本爽涼

         《入門》第二十八回

 左馬介も敢えてそれ以上は訊こうとはせず、食べ急いだ。ここでのことは、疑問と捉えれば、全てが疑問となってしまう危険性を孕(はら)むから、ここは軽く受け流すのが得策だろう・・・と、左馬介は早くも要領を掴み始めていた。
 一馬が、洗い物は私がしておきますから…と云ってくれたので、左馬介は樋口の様子を観てみることにした。道場へと回り、戸口から樋口の様子を窺うと、樋口は誰もいない道場で、しかも相手がいないにもかかわらず、堤刀(さげとう)の姿勢で木刀を左手に持って立礼し、五行の構えを一行ずつ構え、終わればまた立礼して次の一行を構えている。左馬介からすれば、眼に見えぬ亡霊を相手に稽古をしているとしか観て取れない。人と人との打ち込み稽古、掛り稽古はしないようだ。
 樋口は、五行の全て、即ち、中段、下段、上段、脇、八相の構えを一通り終えると、また静かに立礼し、板間の上へゆったりと座った。先程、一馬が云っていた、『あのお方は、少々、風変わりな振る舞いをされる方でしてね…』という言葉が左馬介の耳奥に甦った。自分などは全く足元にも及ばぬ木刀の捌(さば)きである。左馬介は、これから始まる堀川道場での修業の日々に想いを馳せ、心を新たにした。

                                   (入門) 完


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十七回

2009年04月18日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十七回

 少し薄めの味噌汁と塩昆布、それに沢庵を添えたもの、その膳が、朝餉の日常であった。時には、地の百姓達の中の奇特な者が差し入れてくれた生卵などが付くこともあったが、それは大層な馳走であり、滅多やたらと付くことは無かった。
 暫くは門弟九名が食べていたが、そこへ地の葛西者である樋口静山が現れた。入門は、間垣一馬、長谷川修理、山上与右衛門に次いで新しかったが、剣の腕は道場でも一、二の凄腕だと一馬から聞かされていた左馬介である。
「皆様方、お早う御座居まする…」
 と、立ったまま樋口は軽く頭を下げ、皆に向かって一礼した。
「お早う御座る…」
 誰彼となく、そう声が飛んだ。樋口は、その声を聞くと、道場の方へと歩き去った。門弟中、唯一の通い者である。
「あの方は少々、風変わりなところのある方でしてね。いえ、風変わりというより、偏屈と云ったほうがいいでしょうか…」
 と云って小笑いし、一馬は切り出した話を途中で暈した。
「と、云われますと?」
「はは…。まあ…後から道場の方へ行ってみれば分かると思いますよ…」
 茶碗に入った僅かな飯を一気に口中へ頬張り、乱雑に汁椀を口へと運ぶ一馬が左馬介に云う。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十六回

2009年04月17日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十六回

 蟹谷を筆頭に、樋口を除く門弟七名が堂所へとドカドカ入ってきたのは、それから四半時ほどしてからである。門弟達は、軽い雑談を笑顔で交わしている。先程迄の凄まじい稽古を物語るかのように、水で洗い拭われた身体から、湯気が立ち昇っている。それが、戸口より射し込む陽の光彩に浮き上がって鮮明である。門弟達が席に着く迄の動態ではそうではなかったものが、座って静態となると、恰(あたか)も仏達の光背の如く背後から昇っているのである。一馬に肩を叩かれる迄、左馬介は暫し、その初めて眼にする異様な光景を茫然と眺めていた。
「さあ、私達も食べましょう。昼は握り飯と沢庵の準備だけですから簡単に済みますし、夕餉は昨日、観て戴いた通りですから、焼き魚が出ない限り、そう大変でもないのです…」
 と云いながら、一馬は左馬介の肩を軽く押し、堂所の方へと導いた。夕餉と違い各自で飯は装うから、装う気遣いはいらない。
 門弟達の食いっぷりは凄い。一馬と左馬介が下座へ着き、食べ始めた頃には、既に半ば程は、やっつけていた。よく考えれば、それもその筈で、半時ほどは猛稽古をした後なのだ。腹が空いていない訳がない。この場にも、稽古の掛け声のような熱気が溢れていた。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十五回

2009年04月16日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十五回

 そして、
「少しずつ入れないと、味が濃くなり過ぎて台無しになります。首尾よくいけば儲けものですが、危うい綱渡りです。入れ過ぎは、
即、雷ですね」
 と、笑いながら、
「私も入門した頃は、駄目にして叱られたことがありましたから、それ以降は肝に銘じております。貴方は、そのようなことの無きように…」
 と続け、一馬は後を濁した。加えて、
「今日は、皆が朝稽古を終えて戻る迄に準備をやり終えるという、ただそれだけのことです。調理方を今日からというのは無理ですから、それは私がやります。貴方は配膳方を御願いします」
 と云う。
「はいっ!」
 そう云う以外にはない、停止した体勢の左馬介である。
「ならば、そこの膳を堂所の方へ運んで下さい。茶碗等は既に膳の上へ備えてあります」
「はいっ!」
 左馬介は、ふたたびそれ以外にはない短調な返事を吐いて、勢いよく動き始めた。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十四回

2009年04月15日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十四回

 
煎餅のように綿が伸びきった薄布団を素早く畳み、洗い場へ駆けつけると、既に門弟達の大半は洗顔を終え、戻ろうとしていた。
「おっ! 新入り、起きてきたな」
 師範代の蟹谷が、手拭を袴の腰紐へと通しながら、笑って声を掛けた。
「一馬は、半時も前から飯番にかかっておるぞ。お前も顔を洗って早く行け!」
 次に笑顔で声を飛ばしたのは、昨日、道場内の案内をしてくれた大男の神代であった。左馬介は二人への挨拶も程々にして、手早く顔を洗うと、歯も磨かず腕で顔を拭いながら厨房へと向かった。
 朝餉の準備は、一馬ともう一人、一馬の次に新入りであった長谷川修理がやっていたが、この日の朝からは、左馬介が入門したことで抜けていた。と、なると、今朝は一馬が一人で孤軍奮闘していることになる。左馬介は厨房へと急いだ。
 大鍋に出汁湯が滾(たぎ)り、その中には削った鰹節が恰(あたか)も鉋(かんな)屑のように浮いては沈み、その動きを繰り返していた。一馬は慣れた手つきで小鉢の味噌を箸で木杓に分け入れ、それを大鍋の出汁湯の中へ沈めて溶かし始めた。その所作を味見しながら幾度となく繰り返した。
 


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十三回

2009年04月14日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十三回

 誰の部屋かは分からないが、門弟の誰かの部屋であることは相違がない。その灯りが廊下を進むごとに、一つ…そしてまた一つ…と、続いた。そしてそれが五(いつ)、六(むう)、七(なな)ときて、先に反対側へ折れて別れた一馬と、妙なことにまたバッタリ鉢合わせした。一馬が自分の部屋へ入ろうとする矢先である。そのことが不可解極まりない左馬介であった。
 早朝、やけに大きく響く魚板を叩く木音がした。昨夜は気の昂(たかぶ)りで寝つけず、意識が遠退いたのは子の刻を回っていたことを左馬介は、ふと思い出した。だから、熟睡できたのは僅かな時の中だけだったようである。今、魚板を叩く音で目覚めたのだが、辺りは漸く白み始めた早暁である。それに、誰が叩いているのか、すらも分からない。昨日、一馬が云っていたのは、魚板が鳴れば起きること、確か…ただそのひと言で、詳しいことは訊いていない左馬介であった。だから、起きねばならない! と、身体は反応したが、それからどうすればいいかは、その場に己
が身を委ねるしかない。万が一を考え、袴も脱がず、そのままの身なりで床についたのが効を奏したか…と、左馬介は内心、ほっと胸を撫で下ろした。


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十二回

2009年04月13日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十二回

 考えながら箸を止めつつ食べている左馬介に、一馬の鋭い矢が飛んだ。慌てて掻き込む左馬介の茶碗から飯粒の幾粒かが零れ落ちた。
「はは…、そんなに急がずともよいのです。貴方もその内、お慣れになるでしょう」
 と、笑いながら、飯粒を手で拾うと、己が口へと一馬は含んだ。
 皆(みな)が食べ終えたのは、一馬の云ったとおり、その後、もう暫くしてからであった。動く要領と道場の全てを知り尽くして覚えること、この二つは、新入りにとって必要不可欠なようだ…と、左馬介は膳へ箸を置きながら思っていた。
 門弟達が各自の部屋へと戻り、後に残った一馬が食後の片付けをする。当然、見ている訳にもいかないから、左馬介もそれを手伝う。四半時を費やし、漸く片付けを終えた。
 その間、二人は無言に終始した。話す暇(いとま)が無かったのである。
 片付けを終え、左馬介は一馬と別れた。自分に割り当てられた小部屋へ戻る途中、行灯の灯りが障子越しに廊下を歩く左馬介の眼に入った。


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シナリオ 「ターゲット」より <推敲版>

2009年04月12日 00時00分01秒 | #小説

≪創作シナリオ≫

     ターゲットより <推敲版>


○  車の中(真夜中)
  高速道路を走る一台の車。運転する女。車線の左右に流れる銀光の照明灯。照明灯に照らされ銀光に浮かぶアスファルトの道。固定
  して流れ続ける道。カーラジオから流れる音楽。車窓から入る照明灯に照らされ浮かぶ女の顔。助手席をチラッと見る女。
 女「もう少し待っててね。そしたら、あなたの出番よ…(カメラに言い聞かせるように)」
  助手席に置かれたデジタルカメラが銀光に浮かぶ。黙
って運転する女。前方にインターチェンジの案内板。ウィンカーを出し、左へ車線
  変更をする女。

○  車の外(真夜中)・外景
  車線変更する車。
  *       *       *       *       *       *       *       *       *       *      
  減速し、走行する車。
  O.L

○  車の外(真夜中)・外景
  O.L
  減速し、走行する車。
  *       *       *       *       *       *       *       *       *       *     
  一般道を走る車。

○  車の中(真夜中)
  山並みを走る車。木々がヘッドライトの光でアンバーイエローに浮かび、流れていく。自動ウインドウを開ける女。微かな風に目を細め
  る女。窓から入る穏やかな潮騒の音。さらに、車を走らせる女。

○  車の外(早暁)・外景
  山並みを抜け、海岸沿いの小道に出て走る車。

○  車の中(夜明け前)
 女「着いたわよ…(カメラに言い聞かせるように)」
  車を停める女。サイドブレーキを引き、エンジンを切る女。助手席のデジタルカメラを手にする女。

○  車の外(夜明け前)・外景
  車を降り、小道から一歩一歩とゆったり歩を進める女。海が一望できるところを目指す女。その場所に至り、佇む女。
  薄暗い水平線を、ただじっと眺める女。
  O.L

○  車の外(夜明け)・外景
  O.L
  日の出前の水平線を、ただじっと眺める女。
  カメラを構える女。静かにオレンジ色の円を描いて姿を見せる太陽。陽光を浴びながらシャッターを切り続ける女。

○  エンド・ロール
  次第に昇り往くオレンジ色の太陽。その真ん中に黒影に映える女の姿。シャッターを切り続ける女。
  テーマ音楽
  キャスト、スタッフなど

         ※ 坂本博氏 「徒然雑記」内記事より脚色


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残月剣 -秘抄- 《入門》第二十一回

2009年04月12日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《入門》第二十一回

 この疑念は、かつて以前、左馬介が不審を抱いた道場に必要な諸経費の出所と相俟って、左馬介が問題視するところであったが、納得できる、事の真実を知るのは数ヶ月ばかり先である。
 夕餉を全員で食する堂所(どうしょ)と呼ばれる大広間は厨房続きになっていて、屋根まで吹き抜けの構造だった。日々の煤煙(すすけむり)によって、梁(はり)や棟木(むなぎ)、それに柄柱(つかばしら)などは黒々と不気味である。所々に立てられた蝋燭の燭台に照らされ、門弟達の顔が怪しく揺れた。夕飯は朝に炊かれた残飯だから、当然、冷や飯である。ほとんどの者は湯漬けにして掻き込むようにそれを食らった。惣菜に焼き魚が出るなどは良い方で、大よそは香の物だけが多いと一馬は云った。
「それは無論です。飯は毎日ですからねぇ。…かといって、一汁一菜が日々ですと、身体が持ちませんし…」
 と云いながら、一馬は既に食べ終えていた。左馬介は、まだ半分方は残している。闊達(かったつ)な一馬の食べ様に、左馬介は驚かされるのみである。恰(あたか)もそれは、食べるというよりは、胃の腑へ早々に納めると云った方がよい食べ様であった。
「何を考えておられるのですか? 早く食べて仕舞わないと、後の片付けもありますから、就寝までの貴方の時が無くなってしまいますよ」
 


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