岳山は、よく食べる男・・として社内で名を馳(は)せていた。自分でもそれは分かっていて、取り分けて腹が立つこともなく、今日に至っていた。そんな岳山だったが、彼には一つの生れ持っての体質があった。ふと、無性に食べたくなるのである。その発作(ほっさ)のような食欲は、食物を目の前で見たときであろうと、脳裏(のうり)に浮かべたときであろうと、関係なく起きた。そうなると、もう駄目(ダメ)で、岳山は歯止めが利(き)かなかった。それが仕事中であろうと、のんびり風呂に浸(つ)かっているときであろうと、駄目だった。
ある日、岳山は社内の後輩社員の結婚式に招かれ、出席していた。披露宴には多くの招待客がテープルを囲んで座っていた。岳山もその中の一人だった。
「新郎、新婦によります、入刀でございます。ご列席の皆さま、盛大なる拍手をお願いいたします…」
進行を任(まか)された司会者のマイク音が響き、紅白のリボンで飾られたナイフを持つ新婚カップルが、特大ケーキの前へ立ったそのときである。岳山は二人ではなく特大ケーキに目が釘づけになり、突然、無性に食べたい…と思った。もう、こうなるといけない。岳山は別人と化した。フラフラっとテープル椅子から立ち上がると、スポットライトを浴びた二人をめがけ、近づいていった。そして、頭からケーキにかぶりついたのである。こうなればもう、式は滅茶苦茶(めちゃくちゃ)になる…と思われた瞬間、場馴れした司会者は機転を利(き)かせた。
「ははは…皆様、これは事前に当方からお願いをいたしておりました岳山様によりますサプライズの余興でございます。盛大なる拍手をお願いいたします!」
そう言いながら司会者はスタンド・マイクの前で自らも拍手をした。岳山の行動に呆気(あっけ)に取られ、静まり返っていた招待客だったが、司会者に釣られ疎(まば)らに拍手を始め、やがて拍手の音は大きくなっていった。司会者のマイク音で我に返った岳山は、顔をケーキに埋めている自分に気づいた。ムシャムシャ食べた直後だったから、これはもうどうしようもない。岳山は慌(あわ)ててケーキから顔を引き抜くと、その顔のまま招待客が座るテープルを向き、深々と一礼した。その瞬間、大爆笑と割れんばかりの拍手が、ふたたび起きた。その中を罰(ばつ)悪く、ペコペコと頭を下げながら岳山は早足で退場し、洗面所へと走った。
まあ、岳山のようなことはないとしても、時折り、無性に食べたい…と思うことは誰にも、よくある。
完