水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-41- やってしまっていた

2016年11月02日 00時00分00秒 | #小説

 人の行動とは妙なもので、自分では意識していなくても、知らず知らず、やってしまっていた・・ということがよくある。
 今年で白寿を迎えた棚上(たなかみ)は、アングリした顔で何をするでもなく居間で茶を啜(すす)っていた。
『ああ、また春か…』
 寒い冬が過ぎ、暖かい春がもうすぐそこまで・・と考えれば、普通の場合、心がウキウキと高揚(こうよう)するものだが、棚上の場合は真逆で心が萎(な)えるのだった。というのも、炬燵(こたつ)布団とか冬用品といった冬の片づけがあるからだ。秋も深まって冬用に準備していたものが、そう使われることなくまた仕舞わねばならない…と考えれば、年老いたこともあり、心も自然と萎えてくる。まあ、今日はいいか…と引き、棚上は炬燵布団の温(あたた)かさの押しの中で、いつのまにか猫のようにウトウト・・と心地よく土俵を割っていた。決まり技(わざ)は[寄り切り]というよりは[押し出し]である。
 どれほどの時間が経過したのだろう。棚上は身体の冷えで目覚めた。そしてそのとき、おやっ? と異変に気づいた。炬燵布団もなく、掛布やコンセントに繋(つな)がれたはずの電気コードも消えていたのだ。道理で寒いはずだ…と得心はできたが、消えた炬燵布団やコードの謎(なぞ)が理解できない。SFじゃないんだから…と理詰めで考えれば、思えることはただ一つ、夢遊病のように無意識のうちでやってしまっていた・・としか考えられなかった。棚上は寝転んでいた畳(たたみ)から立ち上がると、いつも収納する炬燵布団があるクローゼットへと近づき、開閉チャックを開けた。中には先ほどまで被っていたはずの炬燵布団や掛布が、きちんと畳まれて収納されていた。棚上は、またアングリした顔で、やってしまったのか…と思った。やってしまうこと自体は、もうしなくていいのだからそれはそれで助かるのだ。だが、意識がないうちに・・というのが妙に引っかかった。棚上の場合は老人性のものだろうが、人には、やろうとして、やってしまっていた・・ということがよくある。

                    完


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