遅い朝食を食べ始めた蕪家(かぶらや)は、塩が余り効(き)いていない味のない漬物(つけもの)を齧(かじ)りながら、妻の干江(ほしえ)をチラ見した。
「おいっ! こいつは、いくらなんでも薄過ぎるんじゃないかっ!?」
そうは言いながらも、蕪家は早くも二膳目の茶碗を手にしていた。干江は朝がいつも遅い蕪家を、見て見ぬ振りのお構いなしで洗濯機を回していた。むろん、新婚当初からそんな無愛想だった訳ではない。あれから40年、つきっきりの笑顔で、ニコッとおかわりを差し出してくれた可愛い娘(こ)はどこへ行ったんだ…と思う蕪家だった。その蕪家も、子供たちが自立し、すでに老人会役員に声をかけられる年齢になっていた。
「だって、お医者さまに減塩しろっ! って言われたんでしょ?」
「そんなことを言う医者はいないさ。塩分の取り過ぎですから注意なさってください・・って、やんわり言われたんだよ」
「それで、また検査?」
「ははは…それは、前の前の病院の医者だよ」
「ややこしいのね」
「俺は気に入った医者しか診てもらわん主義だからな! 今は5つ目だ」
「回った病院の数を自慢してどうするのよ。まあ、思いこみの激しいあなただから分からなくはないけど…」
干江は止まった洗濯機を脱水し始めた。
「仕方ないだろ。そう思える医者なら…」
「それはそうだけど、先生に悪気がある訳じゃないんだから…」
「当たり前だ。悪気がありゃ、医者じゃねえよっ? 俺が言いたいのは人当たりのことだよっ!」
「ああ、接遇ね。それはそうかも…。人当たりで人は、いろいろと思いこむから」
「そうそう。いつやらも反省しろって言われたな。お前が反省しろって思ったよ。そこは、もう行ってないがな。医者に心・技・体は大事だな」
「それは、お相撲でしょ」
「ああ、そうか…」
食べ終えた蕪家は新聞の相撲欄を偶然、見て言ったのだった。
「あの子の給料、余り上がらないわね…」
何を思ったのか、急に干江は息子のサラリーを口にし始めた。
「それは、お前の思いこみだろ。今の時代、どこともそうさ。おっ! 株価が暴落したな…」
干江はそれには返さず、洗濯物を干し始めた。蕪家は新聞を置き、食べ終えた食器を炊事場で洗い始めた。
思いこみで、世の中が動くことは、確かによくある。
完