1月6日(火曜日)
いつも泳いでいるプールは、年末、年始併せて10日も休みだった。正月は体を動かさないで飲んでばかりだったので、きっと3キロ位は増量しているに違いない。今日は11日ぶりにプールへ初泳ぎに行ってきた。体重計には恐ろしくて乗る気は起こらないのでパスした。
プールで8人ほど泳いでいたが、泳いでいる人は全て女性だった。男性は私一人でトドの世界で言う、まさにハーレムだ。折り返しターンで立ち止まり新年の挨拶をする。コースの離れている親しい方は水面に三つ指を立て無言の挨拶をしてくれる。返礼も同じく三つ指を立ててやった。
帰りに受付に置いてあった「マスターズNews」を持ち帰り読むと、元メルボルンオリンピック(1956年)水泳200メートルバタフライで銀メダルを獲得した「石本 隆」さん73歳が昨年町田市で行われた「日本マスターズ水泳長距離大会」1500メートル自由形70~74歳区分に出場し、24分08秒22で優勝し、プールから上がった優勝インタビューでこう答えた。
水泳から遠ざかって40年、63歳のとき生活習慣病、糖尿、膝関節痛など重度障害の身となった。膝に水が溜まり激痛が走って、階段の昇り降りも手摺に掴まりながらの毎日でした。そんなとき、ふと思い出したのが同じメルボルン200メートル平泳ぎで金メダルを獲得、日大でも同期だった古川 勝君の言葉だった。古川君は若くして肺がんになり57歳の若さでこの世を去った。彼が死ぬ前に言った言葉は「石本よ、この世は”金”でもない、”栄光”でもない、”健康”が一番の金メダルだよ」。その言葉は僕への「遺言」と思えた。「そうだ!俺は元スイマーだ、健康を取り戻すには”泳ぐ”ことだ」。
1999年、近くのスイミングクラブ「セサミ・大船」に入会した。泳ぐ距離を徐々に延ばし一日2,500~3,000メートルを泳ぐようになった。1年半くらい経ったある日、階段をトントンと上がれるようになった。人間の加齢は避けて通れないが、肉体年齢は自分の努力しだいで若さを保つことが出来る。この大会でも中 俊一さんは81歳で、滝沢千代子さんは86歳で1500メートル自由形を泳いだではないか。
今、親友古川君に報告したい。君の一言が僕を死の淵から抜け出させてくえた、君の分まで泳ぐぞ!
73歳の石本さんを見習い、半分の1500メートルを毎日泳げばメタボなんてなるはずはないのだが、そこまで頑張る気力がないので困ったものだ。明日から少しは距離を延ばすかどうか一晩寝て考えることにしよう。