ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

新春初泳ぎに行ってきた~

2009-01-06 17:18:32 | スポーツ

1月6日(火曜日)
2009_01060003 いつも泳いでいるプールは、年末、年始併せて10日も休みだった。正月は体を動かさないで飲んでばかりだったので、きっと3キロ位は増量しているに違いない。今日は11日ぶりにプールへ初泳ぎに行ってきた。体重計には恐ろしくて乗る気は起こらないのでパスした。
プールで8人ほど泳いでいたが、泳いでいる人は全て女性だった。男性は私一人でトドの世界で言う、まさにハーレムだ。折り返しターンで立ち止まり新年の挨拶をする。コースの離れている親しい方は水面に三つ指を立て無言の挨拶をしてくれる。返礼も同じく三つ指を立ててやった。
2009_01060004 2009_01060005 帰りに受付に置いてあった「マスターズNews」を持ち帰り読むと、元メルボルンオリンピック(1956年)水泳200メートルバタフライで銀メダルを獲得した「石本 隆」さん73歳が昨年町田市で行われた「日本マスターズ水泳長距離大会」1500メートル自由形70~74歳区分に出場し、24分08秒22で優勝し、プールから上がった優勝インタビューでこう答えた。

水泳から遠ざかって40年、63歳のとき生活習慣病、糖尿、膝関節痛など重度障害の身となった。膝に水が溜まり激痛が走って、階段の昇り降りも手摺に掴まりながらの毎日でした。そんなとき、ふと思い出したのが同じメルボルン200メートル平泳ぎで金メダルを獲得、日大でも同期だった古川 勝君の言葉だった。古川君は若くして肺がんになり57歳の若さでこの世を去った。彼が死ぬ前に言った言葉は「石本よ、この世は”金”でもない、”栄光”でもない、”健康”が一番の金メダルだよ」。その言葉は僕への「遺言」と思えた。「そうだ!俺は元スイマーだ、健康を取り戻すには”泳ぐ”ことだ」。
1999年、近くのスイミングクラブ「セサミ・大船」に入会した。泳ぐ距離を徐々に延ばし一日2,500~3,000メートルを泳ぐようになった。1年半くらい経ったある日、階段をトントンと上がれるようになった。人間の加齢は避けて通れないが、肉体年齢は自分の努力しだいで若さを保つことが出来る。この大会でも中 俊一さんは81歳で、滝沢千代子さんは86歳で1500メートル自由形を泳いだではないか。
今、親友古川君に報告したい。君の一言が僕を死の淵から抜け出させてくえた、君の分まで泳ぐぞ!

73歳の石本さんを見習い、半分の1500メートルを毎日泳げばメタボなんてなるはずはないのだが、そこまで頑張る気力がないので困ったものだ。明日から少しは距離を延ばすかどうか一晩寝て考えることにしよう。

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振込みで往生しました

2009-01-06 01:18:00 | 日記・エッセイ・コラム

1月5日(月曜日)

銀行振り込みなんて55歳を過ぎるまで縁がなかった。一人で沖縄旅行をするようになって初めて経験をした。商売人であれば毎日のように振込みをしているので、戸惑うことは無いだろうが、何ヶ月に一度しか用が無い私は毎度のことながらオタオタしてしまう。今日は現金だけ持って○井住友銀行のATMに行って○井住友銀行の大阪支店に振り込もうと数度試みたが入金出来ない。イライラが募り銀行の女性にどうすればいいのか尋ねた。「CDカードが無ければ振込みできません」と言う。今まで他の○都銀行で何度も振込みしたことがあるが、いつも現金だけで振込みは出来たのに何でや。
はたと困ったが「隣の○菱UFJ銀行であれば入金できますよ」のアドバイスで無事振込みが出来た。
他で出来て何故出来ない。○井住友銀行は他の銀行に比べ遅れているとしか言いようがない。もうまったくだ。銀行に100万円を1年預けても利子はスズメの涙で、たった4万円弱を振込むのに手数料は630円もむしりとられた。「早急に改善してくれなければ、お客さんは逃げるぞ」と声を大にして言いたい。

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初夢は競馬で100万円儲かったのに・・・

2009-01-05 00:17:42 | ギャンブル

1月4日(日曜日)
2009_01040001_2 今日から2009年の競馬が始まった。2日前に競馬友達のM.M君から「京都競馬場へ行こう」とお誘いがあり、心待ちにしていた。前夜からコンビニで競馬予想紙を買い、当ててやると入れ込む。朝8時に家までお迎えに来てくれるのが何より嬉しい。自分で運転すれば酒が飲めないので助かる。
競馬場に行く途中、もう一人の競馬友達のK.Aさんからすでに競馬場の入り口で待っているよと電話がかかってきた。8時半に競馬場入り口で無事合流できた。入り口には指定席券を求める人で長蛇の列が出来ていた。指定席券を手に入れるには、まず整理券をもらえるかどうかにかかっている。警備員からもらうことが出来、ひとまず安心である。ものの5分もしないうちに整理券はおしまいになりラッキー! 昨年は8時半に行ってアウトだったが、今年は不況の影響で出足が悪いのかも知れない。
指定席券は見る場所により値段は異なる。一番良い席であれば3、500円もするが、我々2009_01040001 は安い席で1,000円だった。入場すると少し離れたところで「JRAお年賀ミニタオル」をもらえた。「ただより高いものはない」。この小さいタオルがひょっとして5万円になってしまうのではと不吉な予感がする。
9時50分発走の中山競馬場の1レースを購入し、今年の運勢を占う。当たるには当たったが配当が安い。京都の1レースは当たらずだ。当たり馬券はその都度換金しないで、ポケットに溜め込むことにした。サイフが空になり、ようやく換金したのは残り2レースになってからだった。300万円の大穴が出たがモチロン取れるはずは無い。万馬券は残念ながらとれなかったが、6倍、20倍、50倍・・・つもり積もって両手近くあった。最終12レースまでやって収支決算は指2本の負け。一緒に遊んだお二人さんも、大負けすることなく楽しんでいた。誰かが大勝ちすれば乾杯するのだがヨシとしよう。明日(月曜日)も競馬は開催されるが、競馬専用の通帳残高がゼロなのでネット投票ができない。遊べないと言うことは儲かったとイコールかも・・・。

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正月二日は小豆雑煮だ

2009-01-03 18:16:02 | 食・レシピ

昼を過ぎても元日深夜に食べたラーメンが、まだ腹の中にたまっている。結局朝食の小豆を赤に、もちを白に見立て、紅白でめでたいという意味を込めた、小豆雑煮(ぜんざい)を食べたのは3時を回っていた。世間を知らないときは「小豆雑煮」は全国どこでも正月に食べるものと思っていたが、山陰以外ではそんなにない。他には長崎県、石川県能登地方に見られるだけとのこと。
2009_01020001 2009_01020002 故郷の鳥取で食べた雑煮は、あずき以外にしょうゆ仕立ての「澄まし雑煮」がある。しかし幼少の頃は甘いものに飢えていたので、砂糖の入った「小豆雑煮」の方が好きだった。
男は普段めったに「ぜんざい」なんて食べないので、正月の小豆雑煮は故郷鳥取が懐かしく思い出される。女房も気を利かせてモチを2個も入れてくれていた。ああ馬勝った。牛負けた。

[参考]
小豆雑煮考
鳥取県歴史民俗資料館等連絡協議会発行「歴民協会報」(平成5年6月)の「鳥取県の雑煮調査中間報告」を要約すると・・・・・・県内24市町村の約400戸のアンケート調査では、正月に小豆雑煮を食す家が約48%、以下味噌19%、醤油27%、専ら福部村、気高町などの海岸地域に多くみられる。文化庁発行の「日本民俗地図Ⅱ」(昭和46年刊)では小豆雑煮を食す習慣がある地域は新潟県、石川、京都、兵庫、島根、佐賀、大分の各県の海岸部に点々と分布し総じて日本海側に小豆雑煮の風習がある。しかし鳥取県ほど小豆雑煮が広範囲に見られる地域は少なく小豆雑煮は鳥取県独自の文化ではないか・・・とにかく小豆雑煮が日本海側に多く点在するのは注目すべき所。古代大陸から渡来した何らかの風習が日本の風土の中で小豆雑煮へと発展したのか?小豆雑煮そのものが日本に伝来したのか?小豆文化への興味は尽きません。 

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2009年のラーメンの幕開けだ!

2009-01-02 14:20:15 | 食事処

元日の深夜2時に長男が2階からバタバタと降りてきた。何事が起きたのかと思えば、これからラーメンを食べに行くという。ラーメンと聞けばほっとけない。二人仲良く京都方面に向かってレッゴ~!だ。昔は元日の夜ならば、車はほとんど走っていなかった。元日の夜に家から出るのは、20数年ぶりになるだろうか。しかし世の中は寝て酒を飲んでいる間に随分と変わっていて、深夜2時を過ぎても結構な車が走っている。ラーメン店で、普段深夜3時ころまで営業している店は限られている。いつもは開いている城陽市内のラーメン店はすでに閉店だ。宇治市内も同様で、心細くなってきた。国道1号線を走れば、どこか開いているだろうと期待して走るも、どこも開いていない。開いている店は、ファミレスか牛丼の店しかない。
京都南インターあたりまで行って、開いていなければあきらめようと話をしていた矢先に「ラーメン」の明かりが目に入った。思わず二人ともニヤリと微笑んだ。余り大きくない駐車場に入ると、駐車スペースのないくらい混雑していた。店内も満席状態だったが、運良くカウンター席に座れてやれやれだ。お客さんも我々と同じく、どこか開いていないかとあちこち探し、たどりついたに違いない。
2009_01020025 2009_01020026 注文したラーメンは二人とも「肉なし」だった。チャーシュー入りに比べ150円も安い450円也。大晦日の年越しソバは沖縄そばセット(名護そば12人前、三枚肉、ソーキ肉をタッパーに牛ぎゅう詰め、八重山かまぼこ、千切り紅しょうが、ペットボトル入り出し汁)をいただき、たらふく肉は食べた。そして元日の夕食はタラバガニ鍋で、最後に沖縄ソバとソーキ肉を食べたので肉は食傷気味である。見るのもいやなくらいとは贅沢以外何ものでもない。
運ばれてきた肉無しラーメンは何と寂しいこと。まるで私の頭だ。ラーメン、ネギ、モヤシ、シナチクでは絵にならない。
ラーメン大好きな長男は3日の夜に帰るので、帰省してラーメンを食べるのは今夜しかなかった。これで心置きなく帰省できるだろう。2009年のラーメン家族は無事スタートした。
お昼を過ぎても腹は一向に減らない。二日の小豆雑煮は3時のおやつになるかも。

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