ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

幼な馴染みが亡くなった

2007-03-08 21:20:50 | 友達

今週妹から幼な馴染みのT君が亡くなったと電話があった。彼とは小学校の時、一番よく遊んだ仲である。彼は私のことをいつも「伍長さん」と呼んでいた。母はこれを聞くと「Tさんなんでそがんこと言うだいや」と怒っていた。父が戦争のとき陸軍の伍長だったのでそれからきている。小学校の高学年のとき父親の仕事の関係で大阪の阪急沿線の神崎川へ引っ越してしまった。引っ越しても夏になれば必ず親類の家に海水浴にきていたので交際は続いていた。私が就職して大阪に行ったのであるが神崎川の彼の家には休みの時、よく宿泊させてもらった。家には姉がいたが大阪府警が初めて女性警官を募集して採用された第一号が彼の姉であったと記憶している。姉さんと結婚したのは曽根崎署の刑事であったということも記憶にある。2年前に若嫁が十三の病院で出産したとき懐かしくなりどのあたりであったか神崎川を歩いてみた。途中までは昔のままだったので分かったがそれから先は開発されてさっぱりわからなくなっていた。住んでいたのは平屋の長屋だったので今時は高層のマンションに変わってしまっていることであろう。秋の村民運動会の時は見に行かないで二人でおいこをしょってシバ栗を山盛り一杯持ち帰ったことが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。低学年の時はよその鶏小屋で二人でえさをやったのであるが餌がふぐのキモだったので鶏が全部死んでしまった。漁村であったので軒先に干してあるふぐのキモを与えたのである。後始末は親が謝りに行き弁償したことを少し大きくなってから聞いた。私が結婚した後、一度か二度会ったがそれ以降ご無沙汰していた。風の便りでは晩年は色々と不遇が重なっていたようだ。どうして彼が亡くなったことを知ったかは49日が済んだので娘さんが彼の故郷の鳥取へ納骨に来たそうである。狭い田舎なのでそういうことは直ぐに知れ渡る。
墓からは彼の大好きであった泊港が見える。安らかに眠っておくれ。いずれ私も行くからまた遊ぼうな。思い出すと涙が出て止まらない。それにしても、も一度会いたかった。合掌

コメント (3)
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