夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

今宵は『中秋の名月』、改めて高齢者の私は学び、やがて過ぎし日々に思い馳せて・・。

2020-10-01 13:05:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京都の調布市に住む年金生活の76歳になる身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた築後42年の一軒屋に住み、
お互いの感謝をしながら、日常をささやかに過ごしている。

こうした中、今朝、ぼんやりとカレンダーを眺めると、
確か本日は『中秋の名月』だったよなぁ・・、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。



しかしながら、ここ数年は勘違いもあり、やがてネットで、
こっそりと調べたりした・・。

https://lovegreen.net/botanicallife/p51524/
☆【 LOVE GREEN 】==>『2020年10月1日は中秋の名月!
十五夜に秋の七草を飾ろう!』

このような初めて見る公式サイトの【 LOVE GREEN 】で、
本日の10月1日は、『中秋の名月』であった、と確認しながら微笑んだりした・・。




そして掲載されていた小野寺葉月さんの寄稿文を読んだりした

《・・暑い夏が終わり秋が来ると、
どんどん空が高くなり雲が綺麗に見えたり空気が澄んでいきます。

そう、そろそろ中秋の名月(お月見)ですよね。
お月見団子を作ったりススキを飾ったり、お月見ならではの楽しみがあります。

日本でのお月見や海外のお月見、またお供えするものについてや秋の七草までご紹介します。



☆中秋の名月とは

中秋(ちゅうしゅう)の名月とは、旧暦8月15日の十五夜にお月見をするならわしです。

昔の日本では、月の満ち欠けと太陽の動きを基に作られた太陰太陽暦という暦を作り、
農業や暮らしに役立てていました。
いわゆる旧暦です。

旧暦では7,8,9月を秋としており、その真ん中の日の8月15日を「中秋」と呼び、
またその晩に上がる月のことを「中秋の月」と言っていました。

中秋の名月の別称である十五夜(のお月さま)も、この旧暦の頃の名残です。

旧暦は、毎月1日は新月でなければなりませんでした。
そのため毎月15日には満月か、ほぼ満月に近い月が見られ、
1ヵ月が29日ないし30日あったのです。
(月の満ち欠けの周期は29.5日)



さらに、初秋は台風や雨も多いですが、
そのあとは徐々に空気も冷たくなってきて、秋晴れが続きます。

空も高くなり、月もきれいに見えるので、
中秋の名月と呼ばれるようになったそうです。(略)

平安時代、中国から遣唐使によってもたらされた「望月」という月を見る催しが
平安貴族に浸透し、観月の宴が催されるようになりました。

それが農村を中心に庶民の間で行われていた作物の収穫祭と結びついていきます。
豊かな実りの象徴として十五夜を鑑賞し、
お供えものをして感謝や祈りを捧げるようになりました。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



このように改めて私は学び微笑んだりした・・。

私は70歳の頃までは、夜のひとときに、私たち夫婦はささやかな酒宴の真似事をしたりした。

ある年の夕食の少し前、お互いに雨戸を閉めようとした時、
『お月さま・・綺麗だわ・・』
と家内は私に話しかけた。

私は我が家の主庭に隣接した隣家の屋根とマンションの大きな建物の間に、
満月のように輝いている月を眺め、
『確かに・・『中秋の名月』の『十五夜』は綺麗だよねぇ・・』
と私は誉(ほ)めながら応(おう)じた。

やがて10時過ぎに、私は独りで玄関の軒下に下り立ち、
澄み切った夜空にぽっかりと月が煌々と光をおびているのを眺めながら、
お月さま・・私に向って微笑んでいるみたい、と私は感じ深めたりした・・。

こうした単細胞のような思いの心の奥底には、
私は定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった・・。


やがて定年後に年金生活を始めたが、予期した以上に安楽に過ごせて、
このような深情を察した天上の神々から、人生の後半の贈り物のひとつ、と私は解釈しているからである。
          


この後、ぼんやりと私の幼年期の頃、生家でささやかな月見の祝いをしていたことが、
思いだされた・・。

私が地元の小学校に入学したのは、1951年(昭和26年)の春であった。

この当時の生家は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった方のお力を借りながらも田畑を耕していた。

私は長兄、次兄に続いて生を受けた三男坊であるが、
祖父、父は2人男の子が続いたので、跡継ぎの男子は万全と思ったので、

今度は女の子を期待していたらしく、
やがて妹が誕生して、祖父、父は何かと溺愛していた。

そして三男坊の私は期待されない児と思い、

幼児心に何となくいじけた可愛らしくない児であった。

この当時、この時節の満月を迎える中秋の名月の時は、
母屋の主庭に面した縁側で、月が観える位置に飾りを供(そな)えていた。

三方(さんぽう)と称された檜(ヒノキ)の白木で作った方形の折敷(おしき)に三方に穴が開いた台に、
半紙を敷いて、お米の粉で作った団子を15個ばかり供えられていた。

薄(すすき)が活(い)けられ、その脇には収穫された農作物の里芋(さといも)、
サツマイモ、蓮(の根)などが置かれていた。

私は祖父から不憫に感じられたせいか、ときには可愛いがわられて、
祖父の冷酒を呑む横に座って、満月を眺めたりしていた。

今、こうして想いだすのは、農家であったので、
春から育てられた農作物が何とか夏の日照り、台風などの被害を受けることなく、
無事に秋の収穫を迎えることができ、感謝をささげる意味から、
このように形式がとられたと解釈している。

こうしたささやかな『月見』も数年後、父が死去し、祖父にも死別され、
大黒柱を失った生家は衰退の一途となり、このような儀式には余裕がなく、消滅した。



                    
定年後の年金生活をし、齢を重ねるたびに圧倒的に深く魅了されるのは、
なぜかしら『十六夜(いざよい)』である。

もとより『いざよい』は、「いざよう」の語源からであり、
ためらい、ためらう、ことなど意味しているが、
『十五夜』よりしばらく遅れて昇ることから『 いざよい』と称されてきた。

私は月を眺め、自分のその時の思いを託〈たく〉したりしているが、
この時節になると、『十三夜(じゅうさんや)』を誉めたり、
その後の中秋の名月と称されている満月の『十五夜(じゅうごや)』を見惚〈みと〉れたり、
やがて、 待ちわびた『十六夜(いざよい)』に圧倒的に魅了されたりしている。

古人の時代から、満月よりやや遅れてためらうように昇って来る、と伝承されてきているが、
つたない私の人生の歩みは、読書に目覚めた時、社会人になった時、結婚した時など、
何事も遅く微苦笑を重ねて、何かしら共感を深めている。




そして何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
50代の頃から、『十六夜(いざよい)』を愛(め)でれば、
ためらうように月が昇り、ほのかに少し欠けた形に、
少しいびつな形をした壺(つぼ)と同様に、確かに美を感じ深めたりしている。
コメント
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