夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高齢者だって年上の言葉を聞きたい!、定年後12年半を過ごしてきた私でも、深く同意を重ねて・・。

2017-02-11 15:14:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
午前中のひととき、家内から依頼された平素の買物を終えた後、
やはり独り散策をし、本日は近くに流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いた・・。

澄み切った冬晴れとなり、陽射しを受けると暖かく感じられ、
ご家族で散策されたり、私と同様に散策される方も数多くいて、或いはウォーキングをされる若き男性や女性が見られ、
おだやかな祭日のひとときであった。

そして私は橋を渡る途中、いつもように前方の景観を眺めたりした・・。
             

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
この景観に魅せられて、春夏秋冬はもとより、月に三度ぐらい見守り隊のように見たりしてきた。

そしてボンヤリと眺めていると、不意に『 高齢者だって年上の言葉を聞きたい! 』、
名言のひとつをが脳裏から舞い降り、そうですよねぇ・・、と深く同意を深めたりした。

私が偶然に、この名言を知ったのは、過ぎし一週間前の頃、
文藝春秋のネットひとつの【文春オンライン 】を見たりした中で、
【 高齢者だって年上の言葉を聞きたい! 】と見出し記事があり、
精読してしまった。

何かしら『週刊文春』2017年2月9日号の中で、ベストセラー解剖と連載記事があるらしく、
今回は髙橋幸枝さん著作『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』
(飛鳥新社、2016年9月8日 発売)を採り上げて、
この本の担当編集者された江川隆裕さんが、解説された文である。

この記事は【文春オンライン 】に2月5日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。
             

《・・『100歳の精神科医が見つけた こころの匙(さじ)加減』(髙橋幸枝)――ベストセラー解剖

「今のシニア層には肉体的に元気な方が多いですよね。
子育てが終わり、孫の顔を見ても、まだ先がある。

そうなったとき、『残りの人生で何をしたらいいのかわからない』
といった漠然とした不安に悩まれる方が多いようなんです」(担当編集者の江川隆裕さん)

そんな状況がありながらも、高齢者の心の問題に、寄り添おうとする著作は少ない。

大正5年生まれ、満100歳の著者による大ヒット中の本書は、貴重な1冊だ。
精神科医として患者と半世紀にわたり向き合い続けた中で、
見つけ出した40個の「生きるヒント」を、語りかけるような穏やかな文章でまとめている。

「自分より若い人の言葉よりも、年上の方の言葉のほうが素直に受け入れられるところがありますよね。
70代、80代になっても、やはり同じなんです。
年長者の言葉を求めている。

とはいえ、その条件に応えられる著者はなかなかいません。
髙橋先生はちょうど、今のシニア層にとって親の世代にあたり、
実際に『亡くなった母から励まされているような気持ちになった』という反響も届きました。

内容もさることながら、高齢者に人生の先達として言葉をかけられる著者である点も、
ヒットの要因として大きく感じています」(江川さん)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は小学2年に父に病死され、母と兄ふたり妹ふたりの間で育った身である。
やがて私は1970年〈昭和45年〉の春、民間会社に中途入社し、
最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったりした。

そして2004年(平成16年)の秋に定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

こうした中で、私はもとより上司、先輩などから多々教示されたりし、
或いは書物から多く学んだりしてきた。

そして少年期から父親が不在であったので、何かしら慈父のような御方を探し求めたりしてきた。
或いは年長の御方たちから、人生のものさし、を学びたく過ごしてきた。

こうした中で書物からは、庄野潤三、城山三郎、山口 瞳、宮脇俊三、倉本 聡、各氏の
随筆から学んだりしてきた。

やがて2004年(平成16年)秋に35年近く勤務し定年退職した後、
阿川弘之、曽野綾子、三浦朱門、 高峰秀子、松山善三、徳岡孝夫、各氏の随筆から、
殆ど読み、人生の指針を学んだりしている。
             

或いは私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるが、
いつの日にか、家内が私を残して、あの世に旅立ち、
まさかの遭遇で、私が『おひとりさま』になること考えられる。

こうした思いもあり、愛妻を亡くされた倉嶋 厚・著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫・著作の『妻の肖像』、 垣添忠生・著作の『妻を看取る日』、 川本三郎・著作の『いまも、君を想う』、
新藤兼人・著作の『愛妻記』、それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、
その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。

そして私は、川本三郎さんは恥ずかしながら同年であるが、これ以外はすベて年長の御方たちである。

私は年長の御方たちから、少なくとも人生の機敏を深く学び、今日に至っている。

こうした状況もあり、高齢者だって年上の言葉を聞きたい!、瞬時に確かな名言と思い、
そうですよねぇ・・、と定年後12年半を過ごしてきた私でも、深く同意を重ねている・・。

余談ながら、今回の髙橋幸枝さんのこ著書は未読である。

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