夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界でも、出逢いと別れを幾たびか体験して、歓びと愛惜を重ねて・・。

2017-02-15 15:16:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
過ぎし2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった二人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、古惚けた一軒家に住んでいる。

私は初めて『ブログ』の世界を知ったのは、年金生活を始めて、まもなく偶然に本屋で、
ひとつの本で知り、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)1月19日に加入した。

しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり【gooブログ】を中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
       
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸12年半が過ぎて、早や13年生に進級した。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                      
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

私は自身の投稿文も大切であるが、ここ12年半数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたりした。

そして日記として綴られている場合は、
その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、淡々と綴られているのに、
圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしてきた。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られた人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深めたりしている。

こうして読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりして、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら、年金生活を過ごしたりしている。

或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、絵葉書のような観光地の解説でなく、
その御方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。
                                                                  

こうして過ごしてきた間、私の投稿文にコメントを頂いたり、
或いはある御方の投稿文を読ませて頂き、瞬時に圧倒的に魅せられて、そのお方にコメントをしたりしている。

或いはそれぞれの御方よりコメントを頂き、
私は思いかけずに喜んだり、ときには私の投稿文をこのように解釈されたのかしら微苦笑したりし、
返信を認(したた)めたりしている。

こうした中で望外の喜びとして、ブログサイトを開設していない数名の方より、
幾たびかコメントを頂き、もとより私は本心を発露して、返信を認(したた)めてきたりした。


或いはコメント上で、心の交流を盛んに重ねても、ふとしたことで疎遠になり、別れとなる場合もある。
          

私がブログを初めてまもない2004年〈平成16年〉の12月の時、
ブログ形式に準じた【簡単gooホームページ】に加入していていた・・。

確か一カ月後に、九州の北部にお住まいの60歳前後と思われる奥方と投稿文に於いてコメントをお互いにし、
その後、2年ぐらい高校生の交換日記のように、この当時も私は日々投稿文を綴っていたせいもあり、
殆ど毎日コメント欄で心の交流を重ねた。

こうした中で、この奥方のご主人様は、大手の運輸関係の会社を定年退職されて、
年金生活を過ごされ、ご子息のおふたりが、いずれも大卒後に東京にある民間会社に勤められている、
と私は知ったりした。

やがて、この奥方が一枚の写真を添付し、散策する時に何かと魅せられている小花のひとつです、
と投稿文に掲載されていた。

私は恥ずかしながら、こ当時は無知であったので、ネットで検索したら、
『オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)』と明記されていたので、植物学者は文学性の感性が余りにも欠落している、
と思い苦笑した。

そして『瑠璃唐草』、『天人唐草』、『星の瞳』とも名づけられていたので、
この奥方に、『星の瞳』に瞬時魅せられました、と私はコメントしたりした。
           
           ☆2008年3月、私が近くに流れている野川の川べりで、偶然に『星の瞳』にめぐり逢い撮った一葉☆
   

こうした淡き心の交流を2年半していたが、ご主人様がご病気となり、入退院をされる中、
奥方の投稿文も途絶え、やがて私たちの交流も途絶えがちとなり、
まもなく加入している小さなある簡易なブログサイト自体が閉鎖となり、そして交流も終えてしまった。

このような私にとっては、貴重な思いを秘めているので、
『星の瞳』を通して、この奥方は、私の年金生活を始めて不安な心情の中、心おだやかに過ごせたので、
女神のような人と私は思っている・・。

そして、その後に私は春先に散策したりする時、『星の瞳』を見かけたりすると、
あの奥方は、どのように過ごされているのかしら、と思ったりし早や8年が過ぎている。
          

或いは確かブログを始めて半年が過ぎた頃、
あるブログに準じた簡易ブログサイトに私が加入していた時、
札幌市にお住まい小学5年生の女の子から、コメントを頂き、私は驚いた・・。

小学5年生には優れた文章を綴られて、私は驚いたりしたが、何かしら東京に行きたい、と主旨であり、
私は旅先の札幌の市内、郊外には、幾たびか訪れていたので、
東京より素敵な処が数多くあります、と具体的に名所、景観を記載して返信したりした。

そしてお互いに3通ばかり交流した最後に、
お父様によくお話しをして下さいね、と私は記載して、終結とした。
                       
                     
やがて海外に住む御方からでも、コメントを頂き、ネットは世界をめぐることを実感させられたりした。

過ぎし9年前の頃、アメリカのミシガン湖畔の住宅街にお住まい日系3世、高校女子生徒と、
日本とアメリカの風習、季節感の差異をお互いに確か6通ぐらい交流した。

やがて広島の原爆投下の理由に関して、
多くのアメリカ軍の青年を犠牲するを避けるために原爆投下した、と学校で教えられた、
と断片するように記載され、私に同意を求めたので、私は異論を唱えて、はかなくも交流は途絶えた・・。
          

これまで私の人生のリアルの世界でも、たとえば現役サラリーマン時代に於いても、
盛んに交流していた友に於いて、人事異動で地方に転勤となったりして、やがて疎遠となったりしてきた。

年金生活をしている中でも、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味であるので、
ときには観光ホテルなどに滞在プランで共にしたメンバーの人たち、或いは団体周遊観光で旅路を共にした人たち、
こうした旅先で知り得た人たちと、宿泊している館内の食事処、大浴場、ロビー、
或いは私たち夫婦が街中を散策している時に、お逢いしたりし、お互いに談笑したりした。
          
もとより旅先で知り得た人たちは、それぞれ生を受けた環境も違い、
その後に育った状況、学歴、その後の社会人として職業、結婚生活・・、
やがてシニア世代となり、それぞれの生活をしていて、誰ひとり同じ人生航路を歩んできた人はいない・・。

その上、人それぞれ思考、信条、性格、趣味なども違うし、この広い世界で同じ人はいないが、
私たち夫婦は旅路で交流して、人生のひとときを共にし、
旅の終わりに近づくと、私たち夫婦は『また、いつ日にか旅先で、お逢いしたいですねぇ・・』
とそれぞれのご夫妻に愛惜の挨拶をしたりすることもある。

しかしながら、その後にお逢いしたことは、殆どないのが実情であった。
                                                  

過ぎゆく人生は、出逢いと別れを幾たびか体験すると古来から伝えられているが、
ネットのブログで、私が投稿文、コメント上で交流してきた方たちも、
歓び悲しみを共にしてきたので、同じかしら、と思い深めたりしている。
  
齢を重ねるたびに私は、感じ深めていることは、この広い空の下で、未知のそれぞれのお方に投稿文、
或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、私にとっては心の宝物、と感謝したりしている。

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花に嵐 (荒 野人)
2017-02-15 17:03:50
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

とか・・・。
ブログで出逢う人々は、類い稀なる達人である。
文章であったり、写真であったり或いはまた哲学者でもある。

夢逢人さんは、事象を見事に捉えるカメラアイの秀逸さであったり、文章の個性溢れる御人でもあります。旅先で出逢ったり、たまさか同じグループにあったとしても再会の機会は殆どありませんね。それはぼくも一緒です。
それで良いのかもしれません。
少し、哀しかったりしますけれどね。

でも個人のキャパは、そんなに大きくもなく鮮明でもありません。
刹那的と云う意味合いでなく、その時の感性の中で生きている記憶で良いと思っております。
さて、これから歩きに出かけます。
運動不足の自己責任は、自己責任で解消しなければなりません。
返信する
この人生は・・。 (夢逢人)
2017-02-15 19:14:46
荒 野人さま。

>花に嵐のたとえもあるさ
>さよならだけが人生だ

唐の時代に生きた詩人のひとり于武陵(う・ぶりょう)が、『勧酒』と題した創られた一節、
私は作家・山口瞳(やまぐち・ひとみ)さんの随筆を読み、恥ずかしながら学んだ次第です。

そして作家・井伏鱒二(いぶせ・ますじ)さんが、和訳されて多くの方たちに、
広めたと後日知った次第です。

>ブログで出逢う人々は、類い稀なる達人である。
>文章であったり、写真であったり或いはまた哲学者でもある。

それぞれの御方は、その御方なり特有の人生を過ごしてきましたので、
それなりの人生哲学を秘めている、と思い深めてきた次第です。

>夢逢人さんは、事象を見事に捉えるカメラアイの秀逸さであったり、文章の個性溢れる御人でもあります。

私は文章修業についても、自己格闘が甘く、お恥ずかしい次第です。

>旅先で出逢ったり、たまさか同じグループにあったとしても再会の機会は殆どありませんね。
>それはぼくも一緒です。
>それで良いのかもしれません。
>少し、哀しかったりしますけれどね。

私は特に旅先では一期一会と思いながら、粗雑な言動を避けて、明るく談笑するようにふるまって、
後日に、のちの思い・・思い馳せたりして、微苦笑したりしてきました。

>でも個人のキャパは、そんなに大きくもなく鮮明でもありません。
>刹那的と云う意味合いでなく、その時の感性の中で生きている記憶で良いと思っております。

私は身過ぎ世過ぎの年金生活の中、自身が興味を持ったことは、少しだけ掘り下げる・・
こうしたことを目標に過ごしている次第です。

三寒四温の時節、貴兄、奥様共々お身体を程ほどにご自愛して下さい。

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