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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「モラトリアムおじさん」って何なのょ、と何かと好奇心が旺盛な老ボーイの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2017-02-17 13:36:45 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、ときおり愛読しているネットの【NIKKEI STYLE 】を見ていたら、
【 シニア消費の鍵を握る「モラトリアムおじさん」とは? 】と見出しを見た・・。

そして昨今の社会状況に、ともすれば判らないことが多いが、
「モラトリアムおじさん」って何なのょ、と思いながら、
好奇心に私は負けて、こっそりと読んでしまった・・。

何かしらシニアマーケットコンサルタントの堀内裕子(ほりうち・ゆうこ)さんに、
公認会計士・心理カウンセラー 藤田耕司(ふじた・こうじ)さんが、インタビューされた記事と判り、
【NIKKEI STYLE 】に2月16日に配信された記事であり、無断ながら殆ど転載させて頂く。

《・・東京五輪・パラリンピック後の「post2020」に、日本は少子高齢化と人口減少が続き、
消費市場の縮小が避けられないが、市場の中でシニアの存在感は、着実に大きくなる。

シニアマーケットコンサルタントの堀内裕子さんは、生活に変化や刺激を求めているものの、
具体的な行動に踏み出せない「セカンドライフモラトリアム」と呼ぶシニア層の存在に着目。

この層の消費意欲を呼び覚ませば、日本は経済活性化の糸口が見えてくるという。
             

藤田耕司さん
    ビデオリサーチの「ひと研究所」と共同で、シニア市場について調査研究した成果を
    「新シニア市場攻略のカギはモラトリアムおじさんだ!」(ダイヤモンド社)としてまとめていますね。
    企業がシニア市場でビジネスを展開するうえで、何が鍵になるのですか。


堀内裕子さん
    シニアについて深く研究した結果、やはりシニアは、多様性に富んでいると実感しました。
    長年の経験で培ったものも多く、複雑な属性を持っています。

    その複雑なシニアを理解するために、人が行動を選択する背景には、その人の価値観が大きく影響していると考えました。
    各種の定量調査や定性調査を実施し、この価値観を踏まえてシニアを分析した結果、
    シニア市場を考えるうえで重要な「新型シニア」の存在が明らかになりました。

藤田耕司さん
    具体的には、どのような分析によって、どんな高齢者たちの姿が見えてきたのでしょうか。
             

堀内裕子さん
    縦横2軸の図を使い、シニアを分類しました。
    縦軸の「行動軸」は行動が「積極的」か、「慎重・控えめ」か。
    横軸の「志向軸」では「変化・刺激」を求めるのか、「伝統・保守」を重視するのかといった価値観によって違いを見ます。

    その結果、6つのグループをプロットすることができました。

    (1)の「社会派インディペンデント」は、人とのつながりを大事にして、新しい人脈を築くことや世代を超えた交流にも意欲的です。
    (2)の「ラブ・マイライフ」は、若さ・美への追求心やアンチエイジング(抗加齢)意識が強く、新しい物好きで情報通。流行にも敏感です。
    (3)の「セカンドライフモラトリアム」は多数派を形成している印象です。

    セカンドライフモラトリアムは、現役時代には「企業人」「会社人間」ともいわれた人たちで、
    組織人として働いてきた人が多い層になります。

    社会に取り残される不安が強く、これからの人生をどう過ごしたらよいのかを模索しています。
    変化・刺激を求めるものの、何をやってよいかが分からず、
    仮に興味や関心があることを見つけても誰かが背中を押してくれないと、一歩が踏み出せません。

    あるいは、その一歩を踏み出すためには「大義名分」が必要になります。
    お金も体力も時間もあるのに、やることが見つからない今の状況に不満を覚え、
    「会社にいた方が楽だった」と悶々(もんもん)としています。

藤田耕司さん
    これが「新シニア市場攻略のカギはモラトリアムおじさんだ!」という本の題名に出てくるシニア男性のイメージですね。
             

堀内裕子さん
    (4)の「身の丈リアリスト」は、何かと「お金がない」「お金がかかるからできない」という諦め感を
    口にすることが多くみられるタイプです。

    特に資産が少ないわけではありませんが、使う意欲が低いのが特徴です。

    (5)の「アクティブトラッド」は、リタイアして悠々自適に暮らしている人が多く、
    お金も時間もあり、消費も行動も積極的ですが、保守的な考え方が強い傾向にあります。
    変化や刺激を望まず、伝統的、保守的な価値観の持ち主です。

    (6)の「淡々コンサバ」は、現在の生活に不満はなく、これ以上に多くを望まない人たちです。
    強い主張も持たず、淡々と平穏な暮らしを送っています。
    孫の話題にとても敏感なグループです。
             

藤田耕司さん
    こうした分類を踏まえて、シニア市場を活性化させるポイントは何でしょうか。

堀内裕子さん    
    注目すべきは、26.8%と最大の比率を占めるセカンドライフモラトリアムです。

    お金も体力も時間もあり、「何かをしたい」と思ってはいるものの、
    現役時代に仕事を優先してきたために、仕事以外は何をやってよいのか分からない。
    これは潜在的な消費のポテンシャルが非常に高いグループだといえます。

藤田耕司さん
    6グループを見ると、「積極的」な活動状況のグループよりも、
    「慎重・控えめ」の方が圧倒的に多いのが気になります。

    消費にも「慎重・控えめ」のシニアが多い状況が続けば、今後の日本経済の大きな課題になりますね。

堀内裕子さん
    特に、意欲はあるのに、やることがないセカンドライフモラトリアムのシニア層が、
    「積極的」に動き出す第一歩を後押しする社会的な仕組みづくりが、喫緊の課題でしょう。
             

藤田耕司さん
    「モラトリアムおじさん」の第一歩。
    これを後押しするには、どうすればよいのですか。

堀内裕子さん
    セカンドライフモラトリアムの男性は、終身雇用制度のもとで会社に勤務することを通じて、
    適度に束縛されることが、当たり前になっています。

    退職して誰からも指揮命令を受けなくなると、自由すぎて居心地が悪くなる傾向にあります。
    彼らが居心地よく過ごすには、規則正しい生活リズムを守り、
    適度な束縛を得るために何らかのコミュニティーに属することが効果的です。

    このタイプの男性は、コミュニティーに属するために、自ら積極的に動こうとはしませんが、
    他者からのきっかけがあって、動かざるを得ない「大義名分」があれば動きます。
    自分のプライドを満たし、妻や友人に顔が立つ理由があれば、「仕方ないなあ」と言いながら動いてくれますよ。

藤田耕司さん
    前回、2020年東京五輪・パラリンピックは、シニアがボランティア活動に参加し、
    社会と接点を持つ大きなきっかけになり得るという話を聞きました。
    3年後、東京大会のボランティアに参加して活躍するのは、このセカンドライフモラトリアムのシニア層かもしれませんね。

堀内裕子さん
    東京五輪・パラリンピックのボランティア参加で形成されるコミュニティーは大切な財産になるでしょう。
    これを2020年だけで終わりにさせるのではなく、その後もシニアが何らかの形で社会と接点を持ち、
    社会に貢献するための「器」として機能させ続けることができればよいですね。

    シニアの活動を増やすとともに消費を促していくことが、超高齢化社会を迎える日本の経済を活性化する上でも、
    非常に重要な取り組みになると考えています。・・(略)》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

何かしら「モラトリアムおじさん」は、セカンドライフモラトリアムと区分された男性は、
《・・現役時代には「企業人」「会社人間」ともいわれた人たちで、
    組織人として働いてきた人が多い層になります。

    社会に取り残される不安が強く、これからの人生をどう過ごしたらよいのかを模索しています。
    変化・刺激を求めるものの、何をやってよいかが分からず、
    仮に興味や関心があることを見つけても誰かが背中を押してくれないと、一歩が踏み出せません。

    あるいは、その一歩を踏み出すためには「大義名分」が必要になります。
    お金も体力も時間もあるのに、やることが見つからない今の状況に不満を覚え、
    「会社にいた方が楽だった」と悶々(もんもん)としています。・・》

私は、男の癖にどうして・・と思いながら、笑ってしまった・・。
そして男性タイプを6大区分にされているが、私は富も名声も無縁であるが、
どこにも属さないタイプだよなぁ・・と微苦笑させられたりした。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭となっている。
そして雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んでいる。

年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底には、定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

こうした家内のささやかな時間を壊すのは、天敵と私は確信して、
定年後の年金生活を始めた時から、私はこのような午前中の生活を過ごしている。
                                        

午後の大半は、私は随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
何かと愚図な私でも、素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして人だれしも長所、短所はあるが、私は短所の方が多いので、
家内の短所には目をつぶり、長所を伸ばそうと心がけてきた・・。
             

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                           

家内は料理、洗濯、掃除などを積極果敢にする専業主婦の優等生であるが、
血液型A型となっている。

そして我が家では一年に数回、私はB型、家内はA型の為か、ボタンの掛け違いのように差異が発生し、
険悪になることもある。

やがて私は、映画、文學、音楽に関しての粗雑なコメント以外は、私たちの人生に大勢に影響がないと判断して、
いつまでも心のわだかまりを残すことは、夫婦としてよくないと思い、15分以内に妥協して、
『ボクが悪かった・・XXちゃんのおしゃる通りです!!』
と家内の前で、私は床に伏して詫びたりしている。

このように我が家は家内安全となり、離婚などは無縁である、と私は微苦笑したりしている。
                                                 
         
こうした中、私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら日常生活の実情は、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。

しかしながら2004年(平成16年)の秋、年金生活を始めてまもない頃、
私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。

この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
                           

このように私は定年退職するまでは、何かと悪戦苦闘の半生であったが、
定年後の年金生活は、予測した以上に心身に於いて、安楽な生活を過ごしている。

そして我が家は裕福層には無縁であるが、何とか生活できて有りがたいわ、
と家内がときおり呟(つぶや)くように言ったりする時、私は微苦笑したりしている。

こうした中、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

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