沖縄で辺野古基地建設に対する住民投票が行われて7割が辺野古建設に反対と出た。このブログで私は何度か書いたが、「日本はもっと住民投票をするべきだ」と考えていたのだが、この経緯と報道ぶりを見て私はまだ日本で住民投票を行なえる状況にない、やはり日本の民主主義はまだまだ未熟である、と感じている。
本来、住民投票は自分たちが決めることに対して行うべきものである。しかし、今回の住民投票は自分たちで決められないことを投票している。極端な例だが「米軍のシリア撤退に賛成か?」という住民投票と本質的には変わらない。もちろん、住民に関係のない話では投票には行かないので、自分たちに関係の大きな内容に関しては多くの人が投票所に足を運ぶ、という違いはある。その意味では沖縄に人達に大きな影響があるテーマであるが、今回の住民投票は本質的には「公的アンケート」である。
もう一つの問題は質問の作り方が恣意的である、という点である。辺野古の基地を使うのは米軍であるので、住民に「辺野古の基地を欲しいか?」と聞けば「欲しくない」と答えるに決まっている。今回の投票は問い方が反対派が有利なように作成されたと感じている。本来、辺野古の基地を作ることは目的ではなく手段である。それでは目的は何かというと「普天間基地の除去」である。問い方としては「普天間基地を除去する方法として辺野古基地の新設及びそこへの移転は正しいか?」という聞き方をするべきである。私が質問を作成するとすれば以下のようにするだろう。
普天間基地は危険な基地であることは共通認識である。その危険除去の方法として
・辺野古に新しい基地を作りそこに移転する。この方法ならば辺野古に基地ができた時には普天間を返却することで米国と合意している
・辺野古には基地を作らず、別の方法を米国と交渉して普天間基地返却の方法を交渉して実現する。この場合いつ普天間返却が実現するかは現時点では見通せない
・そもそも普天間基地返却の必要は無い
上記のよう3択の質問ならば、質問としてはかなり中立だと思う。本来ならば辺野古推進派が、投票前にこのような意見を述べて、上記のような質問に合意して、その代わりこれで圧倒的に「辺野古不要」という答えが出た場合にはそれを尊重する、というのが本来あるべき姿だと思う。しかし、質問を作る側は自分に有利になるように質問を作り、辺野古推進派である政府は、コメントせずに、結果は強制力がないとして無視する方向である。
住民投票を行うのは、それぞれにメリット・デメリットがあり民意が分かれている場合である。このような場合、どのように投票の質問を作るかは結果に大きな影響を与えるので、そこで揉めることは容易に想像される。今回の沖縄での住民投票ではこの問題を解決する仕組みができていないことが明らかになっている。このような状態で住民投票を行ってもまともな判断はできないだろう。これを私は「日本ではまだ住民投票を行なえるほど民主主義が定着していないのが本質だ」と捉えている。残念ながら、私の「日本でもっと住民投票を行うべき」という意見は取り下げたいと思う。
2019年沖縄県民投票の内容は以下の通りです。
「普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立てについて」
・『賛成』
・『反対』
・『どちらでもない』
現知事をはじめとする反対側の人はよく「新基地」と表現されていますが、これはプロパガンダ(印象操作)であり、質問にもある通り「代替施設」です。
沖縄の米軍基地の状況については以前から注目していましたので様々な反対意見があることは大方承知していますが、沖縄自体がきわめて特殊な言論空間となっていることが根本原因だと考えています。例えば、基地容認の立場をとる人には圧力や嫌がらせがあると聞きます。今回の県民投票に不参加を表明していた市町村も渋々3択とすることで受け入れましたが、相当な嫌がらせがあったとのことです。これには沖縄メディア、県外の左派活動家、海外勢力(チャイナ、韓国、北朝鮮)も入り乱れて収集のつかない状況です。また、そもそも普天間基地ができた当時は周りになにも無く、基地の周りに人が集まったので現在の状況になっています。つまり普天間から基地が無くなったら困る人も多いということです。
県民投票は政治的拘束力も持たないため、アンケートの域を出ていないのはその通りかと思います(ついでに言うと前知事時代に裁判でも判決が出ている事案でもあります)。メディアのアンケート調査ですら、ある意図を持って影響力を与えることを目的としていることを考えると、自治体がこれに税金を投入して実施することは悪辣な感さえあります。事前アンケートを行っていたメディアに対し「アンケートの前にアンケートをとる意味が分からない」と発言されていた方もおられましたが、言い得て妙だと思っていました。
軍事施設、娯楽施設、斎場、ごみ処分施設等がこれにあたります。(最近では原子力発電所や細菌研究施設)。予定地周辺の現在の住民に訊けば殆どが反対でしょう。
それでも必要となった場合に、辺鄙な場所とか人口密度の極端に低い場所に作ることになります。
私はそれはそれなりの国家行政や選挙によって選ばれた上位の地方行政首長が決断すればいいことと思います。
受け入れる住民には、その迷惑を補填するような何らかの助成措置が取られることであり、その多寡を論ずるのであればともかく、自分の周辺以外にせよというのは他の賛意は得られないと思います。
中国を意識した防衛基地は沖縄が最適であり、そのために現在の米軍関連施設が集中しているのは、至極まっとうな話です。指揮本部ならともかく、通常の運用部隊は沖縄がベストです。
今回の住民投票も国家行政の責任者は等しく「結果は重く受け止める」としているのは、その意味で当然であり、だからと言って、今までの路線を変えるものではないのも納得ができます。
どんな投票結果でも、現在進行している路線を変える権限もなく、また、変えられないのであれば、それはアンケートです。A新聞やT放送局の様に、政府がこれによって政策変更をすべしとの論調は、賛成できません。それは国家レベルで最善と判断し、それに沿って積上げてきた路線だからです。国全体として、然るべき選挙とそれによって選ばれた議員、内閣が判断して進めているのを、国民の多数が支持しています。局部的な範囲で行われるアンケートの結果が、それと異なったとしても、議員、内閣が既定路線を進めるのはもっともと思います。
同様に、個々の施策をその都度アンケートを取ったり、政策決定に有権者に都度「訊く」のもおかしいです。選挙民は(憲法改正などを除き)、任期の期間を任せられる議員や行政首長を選ぶことはできても、その当選者が採用する個々の施策にまで「選挙権を行使」できるわけではないからです。だからこの場合も「結果を重く受け止める」との心構えだけだと思います。
多くのマスコミは、どちらでも民心を煽って、「ざわついた方が存在価値をアピールできる」だけのことです。だから、A新聞、M新聞、T放送局の様に、何が何でも自民党反対を社是としているかのようなマスコミを私はお金を払って報道番組から情報を入手しようとは思いません。
韓国の文政権、沖縄の玉城知事の言動と、それに沿って国民、住民がざわついて行動することを喜んでいる外国があります。そこに気づくべきでしょう。
つまり、住民の意思で何かを決めるにはそのテーマに対して議論を深める必要があるのだが、そのようなアクションを起こそうという人がいないということです。