少し前であるが福井地裁で大飯原発の再稼働差し止め判決が降りた。私はこのブログでも何度か書いたように原発容認論者であるが、この福井地裁の判決はまともに受け取らないといけないと感じた。それは福井地裁の判決が「人命は地球よりも重い」といった感情論ではなく技術論にきちんと踏み込んでいるからである。
判断のポイントは基準値振動と地震の規模である。
・基準値振動は700ガルでこれを超えるとシステムが不具合を起こす可能性がある
この点は関電も認めている。判決は700ガルを超える地震はこの10年間に5回起きているとしている
・関電は1260ガルを超えない限りメルトダウンには至らないとしている
1260ガルを超えるとメルトダウンが起こるかもしれないことは関電も認めている。判決は記録に残る最大の地震は4022ガルであるので1260ガルを超える地震は来ないという根拠はないとしている。
更に、判決は1260ガル以下ならメルトダウンに至らないというのは正常な対策を打てた場合であるが、混乱の中で正常な対策を打てるとは限らず、この手順の信頼性も十分ではないとしている。
ということで、かなり論理的な判決だと思う。大飯原発は昨年定期検査を受けるために稼働を停止し、現在は再稼働のために原子力規制委員会の審査待ちである。マスコミは関電が控訴したとかいろいろと関電の動きを報じているが原子力規制委員会の委員長のコメントを求めるべきだと思う。判決直後の委員長のコメントは「我々は我々のやり方で基準を決めていく」といった感じのコメントだが、これは許されない態度だろう。判決に対してきちんとコメントすべきだと思う。
ただ、規制委員会も大飯原発の対応は不十分ということで審査の優先順位を下げる、という判断を判決前にしている。規制委員会の判断と判決は今のところ矛盾はしていないと思う。
このような判断は情緒的な判断ではないのできちんとした議論ができるはずである。報道番組などで議論の場を設けてきちんと議論していくべきだと思う。
その一方で判決文には疑問に思う点もある。それは原子炉の事故は人格権にかかわる問題なので、法的規制はクリアしたとしても、経済性の判断を超えた生活にかかわる司法の判断が関係すべきであるとしている点である。これを言われると、規制委員会の価値が激減してしまう。争うなら、規制委員会の基準が妥当であるかどうかを司法で争い、基準が不十分なら基準を変えるべきであって、基準をクリアしてもさらに上位で司法の判断をするという考え方を取るべきではないと思う。
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