ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

大阪時代 太子橋小学校

2008-05-19 10:04:56 | 昔話

小学校6年生の秋に大阪市旭区に引っ越しをし、私は太子橋小学校に通うことになった。私にとって4つ目の小学校である。北海道と大阪はかなり文化が異なり、引っ越しに慣れていた私にもカルチャーショックはかなりあった

 私は、今でもそうだが、話すこと自体は苦手ではないのだが、いわゆる「雑談」というのは苦手である。何か話題が決まるとそのことについて意見を言ったり話したりすることはできるのだが、場の空気を読んで話題を皆が興味を持っていそうな方向へ持っていくというのはどうも苦手である。従って話しかけられると応ずるのはできるのだがこちらから話しかけるのはどうも苦手であった

大阪には大阪弁という独特の言い回しがあり、これに慣れるのにも時間がかかった。向こうから話しかけられることもあまりなく、軽いいじめにもあった。しかし、徐々に言葉のも慣れ、テストの成績もよかったので、いじめられるというところまでは至らなかった

大阪の学校に通い初めてカルチャーショックを感じたことがいくつかあったので紹介しておこう。一つは「生活」の時間か何かに先生がこんな話をしたことについてである。
「アメリカ人の人が来たら仲良くしてあげられますか?」「でけるー」。
「韓国人の人が来たら仲良くしてあげられますか?」「でけへーん」
先生も驚いていたが、私も驚いた。北海道にいたころは外国人の話をすることもなかったが、人種によって対応が変わることなど考えたこともなかったのである。どうして生徒たちが違う返事をしたのか、不思議でならなかった

もう一つは全く別の体験である。隣に座っていた女の子が消しゴムか鉛筆かを落としたので拾ってあげた。そうしたら「ありがとう」と言われたのである。それまで北海道では拾ってあげても「ありがとう」などと言われたことはなく、自分も言ったことはなかった。当然のような顔をして黙って受け取っていた。予想していなかったことを言われて少しどぎまぎしたのと同時にやはり嬉しかったことを覚えている。これは北海道と大阪の文化の違いを端的に表しているように思う

このクラスでは卒業前に2000年の1月に東京タワーで会おう、という誓いを立てた。このこと自体は覚えていて、実際に声もかかったのだが私は行かなかった。その後また引っ越して皆とは会うこともなく、想い起しても顔が浮かぶ人が一人もいなかったのである。行っても話題に困るだけのような気がした


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