2000年の後半に入り、Release4も大分進んできたあたりから、私は3GPPの議長を続けるかどうかを考え始めた。議長の任期は2年間であるので2001年3月が次の選挙のタイミングとなる。自分が続けたいという意思を示せば再任されそうだとは思っていた。
3GPP議長の仕事は面白く、私に新しい世界を開いてくれたし、世界の色々な人と一緒に仕事を続けていることに興味もあり、自分としてはこの仕事は自分のためになると感じでいた。一方で、副議長に頼り過ぎているのではないかという意識もあり、もっと会社の仕事を減らしてでも議長に仕事に深く取り組まないといけないのではないか、とも感じていた。当時はネットワークのIP化とか高速パケット伝送とかが大きな話題になってきており、無線分野の議長としてももっとネットワークの勉強もしないといけないのではないかとも思っていた。その一方で議長職に更にエネルギーを注ぎ込めば、会社はいずれ辞めてよその会社に移ることになるだろうな、という予感がしていた。議長の仕事が会社の事業にうまくつながっていない感じがしていた。
会社の業務のほうでは、当時私は開発研究所の所長代理という立場だったが携帯端末の事業部門に来ないか、という話が来ていた。それはそれで魅力的なものだった。標準化の活動をしながらも色々な会社の戦略を目の当たりにして、より事業に踏む込みたいという気持ちもあった。事業部に行けば議長の仕事は増やすどころか議長は辞めないといけないだろうと思っていた。
迷った末、私は議長職は2001年3月で降り、事業部でWCDMAの実用化を目指す道を選んだ。あのとき議長を継続する道を選んでいればその後全く違った人生が待っていただろうと思う。しかし、議長を降りて事業部で仕事をすることにした自分の決断に対しては全く後悔していない。入社して20年以上も研究畑に居てから事業部に行くと、それなりの地位で行くことになるのだが、現場をうまく動かせずうまく行かないと言われていた。確かにそういった側面はあったが、業務はある程度現場から距離のある仕事を任せられたし、なによりも事業部にいる間に生産工場に通ったり、デバッグに入ったりしたことが自分にとって事業というものの理解を深めさせ、自分の物の見方に幅が出ていたと思う。
事業部での仕事は成功したとは言い難かったが、自分にとっては大きなプラスになったと思っている。
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