日本経済が勢いを失った大きな要因に日本の大手の会社のトップは欧米のトップと比べて力量が低いという点があるだろう。日本は優秀な中間管理層が非力なトップの分をカバーしていたのだが、長引く不況で中間管理職をいじめた結果、中間管理職の力が落ちて全体の力量が落ちたということがいえると思う。優秀な中間管理職を抱えていても業績が伸びなかったのはトップの判断の差が大きく業績に影響するようになったからだと思う。それは情報通信のような技術イノベーションの激しい分野で特に顕著である。
業績が悪化した企業が再浮上するには不採算部門を整理して、有望な部門に思い切り投資することが必要である。しかし、日本人は相手に対して良くないことを言ったり行ったりすることを嫌う風土が強く、全社一律2割削減、というような手法に走りやすい。これが元気が出ない大きな理由だと思う。
私が知っている何人かの優秀な海外のトップは自分が重要だと思う分野に関してはどんどん下のほうまで踏み込んでくる。そこには「自分がこの事業をさせるんだ」という強い意志を感じる。これに対して日本では下から上がってきた投資計画に「よかろう」といってゴーサインを出すくらいで留まるケースが多いように思う。細かいところに口を出すのは自分が若い時に経験した詳しい分野のことが多い。もちろんたまにはそうではないタイプの人もいてそういう人がトップを務めている会社は伸びている。
経営者の育成プログラムを見直すというかベストプラクティスを広げることが必要だと思う。
その後は楽でい良い。
だけど、我々(あまり定義しないけど)は
そのトップを選ぶ立場になければ、単なる
愚痴になって、自分達は免責だ、被害者だと
云う事になってしまう。
少し視点を変えて、誰が、どの様な理由でそのトップを
選んだのか? その任命責任は? と考えると
おいそれとトップの責任とだけ責めてもいられない。
もう一つ、誠治の場合は、指導者を選ぶのは
国民の権利とそれに従う義務だけども
通常の組織の場合、上司は誰かが選ぶものと
決まっている。それを自覚した上で、その組織に
属しているのだから、リーダの技量の低さを
責めるだけでは、ちっとも進歩がない。
今までに属した組織で、本当にリーダーシップを
うまく発揮して、その組織をリードしてきた例が
いくつありますか?
じゃぁ、自分が小なりといえども組織のトップに立って
自分が思い描いていたような組織の活性化、戦略化が
どこまで実現しましたか? これっていつも難しい課題です。
批判する一方で、自分でできる事、どの様に
自分の周囲を改善するかを着手しなければ
組織の中でそれこそ「やってられない」と云う事に
なってしまう。
どうも、このブログも、つぶやきの域を出ていないので
もう一皮むけるようになると、古谷さんの持ち味が
出てくるんだけど。
コメント、ありがとうございます。
しかし、視点が私の書いているのとは違う感じがします。具体的にはある特定の組織(会社)がどうやったらうまくいくか、という話と、日本全体がどうなっていくかという話は違うということです。
自分がある会社の一員でどうすれば会社が良くなるか、という話は個別の事情を考えないと意味がなくこういう場ではなく会社内の場で議論すべきでしょう。
日本全体を見た場合になぜ韓国に負けてきているか、などはトップの力量が大きく影響していることは間違いないと思います。
私は50人くらいの小さい組織では日本でもうまくいっている例はたくさんあると思っています。ところが1万人の組織でうまくいっている例は少ない。小さい組織よりもかなり低い率だと思います。おそらく日本のうまくいっている比率は他の国よりも低い。
その理由は大きな組織でのトップの育成や選抜の仕組みがうまくできていないからだと思っています。
① 国のリーダであれば、誰がそのトップを選ぶかです。それはその国民の責任です。バルブ崩壊以来20年間で日本の首相は何人かが交替しましたが、何れも、国民が選んだ衆議院議員が選んだ人達です。換言すれば、すべて国民が選んだのですから、リーダシップが足りない云々も、全て、国民の意向です。
日本では個性が強いと、一般に嫌がられます(それはマスコミの受けなのか、国民の受けなのかは別として)。これは或る意味で経済成長が順調で右上がりの時代に適した人材でした。
但し、この20年は、そうも言っていられない状況です。そこでもう少しリーダシップが明確に出るような人が望まれているわけです。例外が小泉さんでした。私は小泉さんの目指した方向は良かったと思っています。はっきりとしているからです。それがダメなら変えればいいのです。何れにせよ、国民の問題です。
② 民間の組織でもリーダを選ぶのは夫々ルールができています。最終的には、その組織が提供する商品、サービスが市場で受け入れられれば成長するし、受け入れられなければ市場から撤退して貰う事になります。業績が上がれば、経営者の評価になり、業績が下がれば経営者の責任です。それ以外の評価基準は二次的でしょう。
③ マスコミのトップ(方向づけ)は微妙です。批判が起きにくいからです。マスコミは権力の牽制役と云いますが、言いたい放題、世間受けすることだけを狙う傾向をどの様に、受け手である国民が選択するかです。
先ず国に関して言えば、国民はトップの選択に関して責任があるとは思っていません。国民が選ぶのは国会議員であり総理大臣は国会議員が選ぶ。その総理選出のプロセスがまずいというのが私が議会制民主主義が危ういと言っている理由です。総理大臣を国民が選んでいるという実感があるでしょうか?
前回の選挙で国民は民主党を選んだ。しかし始まって半年くらいで民主党の公約は出来ない事がたくさんある事が明らかになってきた。だから民主党は修正を始めた。しかし、国民は修正がどちらの方向に行くのか分かっていない。それは党首の首のすげ替えが国民とは離れた所で行われているから。小泉さんを評価するのは合意です。
経済に関して言えば、まず世田谷の一隅さんの意見が良く分からなくなってきました。
①日本のトップのレベルは低くない。むしろ問題は従業員にある
②トップのレベルが低いことは認めるが、それは別として、従業員もがんがるべきだ。
①ならば私とは真っ向から対立する意見です。どうしてそう考えるかを説明していただきたい
②ならば認識はあっている。ただし、トップがだめでも従業員が支えれば良いというのは80年代までは通用したモデルだが、今は通用しなくなってきている、というのが私の意見です。「アメリカの戦略」に書きました。
その先の論理展開が少し違うのは
(a) トップがダメで (b) 従業員が自分なりに努力しても自分で納得できないのなら、
⇒組織を離れて、別の組織を選択するべきです。そこに残るという選択をするのであれば、少なくとも改善、改革の努力をするべきです。
残ると言うのは、その人の選択肢です。もちろん、日本の企業では、「組織を去る」というのは大きな決断であり、往々にして負け組に見られかねません。それでも、残って、愚痴を言い、いや、ひょっとするとトップのせいにして、自分の選択肢の結果を免責にしていませんか? 私が言いたかったのはこの点です。
その不満がたまって、閾値を超えたから、自民党から民主党に「やらせてみよう」と云う事になったのです。
こんな調子では、「自民党時代の方が良かった」となるか、「もう少しやらせてみよう、自民党に戻るよりはましだ」と考えるかは、国民の判断です。民主党政権の体たらくは、これに始まった事ではなく、十分に見通せたはずです。マスコミにも、国民にも、民主党を後押しした責任があります。それが、このブログでは棚上げされて市井の多くのブログ並の単なるはけ口になっている。あれが欲しい、こっちが欲しいだけでは単なる「きかん坊」です。
ずれている点が分かりました。私は個人がどうするべきか、という話はしていません。会社が良くないから会社を辞めるか、組織に残るか、それはブログで議論するような性格のものではないでしょう。
会社に不満を持っている人が会社に残ろうが残るまいが、トップがだめならその会社は良くならない。従業員はトップを選ぶことができないのだからトップがどういう人になるかには口を出さない、という考え方ではなく、
・トップが良くならないと会社が良くならない
・トップが良くなるような仕組みはどういうものか
というように議論を進めて行こう、という立場です。
選挙にしても同様で、「選挙でだれに投票するか」と言う個人行動の話に落としてしまうと、何も言えなくなります。ろくな情報がないし、選択肢もないのですから。
完全に評論家の立場でものを言っていますが、それは、マスコミなどが私のような視点でものを言ってくれないと感じているからです。
内部と云っても、株主もあれば、従業員、取引先まで沢山のステークホルダー群がいます。トップがダメだと、誰が、どの様にして判断するのでしょうか? 何でもかんでも社会が、安全弁の様にがんじがらめのチェック機構を作ったところで、安全地帯に身を置いている官僚が喜ぶだけです。
私は、もっと市場からの圧力をかけることで、より優れた経営者が出てくる環境を作った方が望ましいと感じています。だから、優秀な従業員が逃げ出して、従業員からもそっぽを向かれる事が企業として一番困る事態を知るでべきなのです。
ウィトラさんは、最近調子の良い韓国の例を引き合いに出していますが、それは李明博大統領になってからの話で、その前の大統領のリーダシップは散々でした。
韓国の経済も一部のSamsungやLG等の財閥系企業が伸びている事が主因です。この種の財閥系のトップはいずれも世襲制に因っています。日本で、今日、世襲制の企業が産業の中心になりえない事は明らかです。それに似た動きを取ろうとするのも無理と思います。韓国が調子のいいのは(私の目から見ると)、政策的にWONを安くして輸出を奨励してきたからだと思います。90年代の後半に経済危機に陥り、IMFの支援を受ける条件として膿を出し切ったのが、早い立ち直りの主因だと私は思っています。
翻って日本は89年のバルブの崩壊以来、一気に膿を出すような仕掛けを悉く回避してきました。例外なのは小泉さんの時代です。つまり、この数十年国民自身が危機管理を出来る限り避けて、なぁなぁ、まぁまぁを選択してきたせいだと思います。
これはまだまだ続くでしょう。口では、リーダシップとか、抜本的と云いながら、我が身に降りかかりそうな変化に対しては、どうしても保守的になるのは致し方ないとして、国全体がそんな風潮になっているのは「国民の選択」だと思います。私は、そんな国民の事を云々しません。そのつけは国民が何らかの形で払っている筈です。自分でどう振る舞うべきかが結局一番分かりやすい判断に結びつきます。でないと、単なる「あったらいいなぁ」の夢想論になってしまいます。