昨日、任天堂が家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売してから、30年を
迎えました。「スーパーマリオブラザーズ」「ドラゴンクエスト」等の人気ソフトに恵ま
れて全世界で6191万台を販売し、テレビゲームを世界中に普及させました。
開発責任者だった上村雅之さん(70)=同社アドバイザー=に開発当時の様子など
について聞いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130716-00000081-mai-bus_all
「カセット式の家庭用テレビゲームを開発してくれ。3年間は競争相手が出ない様な
機械を頼む」1981年11月、開発第二部部長だった上村さんの自宅にかかった
電話の相手は山内溥社長(当時、現相談役)。突然のファミコンの開発指令でした。
当時は、同社の携帯ゲーム「ゲーム&ウォッチ」が大ヒット。担当する開発第一部に
社員が集まる一方、二部は「社内で暇だったのは自分たちのチームだけという状態」
で余力があり、さっそく開発が始まりました。
すでにアメリカでは家庭用テレビゲームがブームでした。まずは取り寄せて遊んだり、
分解してみたが、「これではコピーしてもあかん」。面白くなく、設計も古く感じた。
しかし、どんな家庭用ゲーム機を作るかの妙案は浮かばない。そこでひねり出したのは、
業務用ゲーム機で人気だった「ドンキーコング」を家庭で遊べるようにすることでした。
「業務用の経験を家庭用に全部盛り込んでやろうとした。この判断が良かった。技術的
ハードルも高く設定できた」
実績あるソフトを家庭用に移植すると決めたことで、開発目標は明瞭に。すでに知名度
があり、宣伝費もかけなくてすんだ。最新の半導体工場を持っていたリコーと共同で開
発を進め、ファミコンは完成。83年7月15日に販売開始されました。
発売後はクレーム対応の日々が待っていた。バグも数多く出た。「産業用機械だったら、
すぐに駄目になっていたはず。でもファミコンはバグ探しが遊びになった。本当に運の
良い機械だった」と上村さんは苦笑いする。トラブル対応の経験は今の同社製品の設計
にも生きている。
ブロガーや読者の中にも、ファミコンに凝っていた方、けっこういると思います。
懐かしいですね。今やゲームは、パソコンからスマホ全盛で、「バズドラ」のヒット等
時代は大きく動きましたね。
任天堂は、旧き良きDNAを今流に咀嚼し、巻き返すことができるか注目しています。
さて、日経平均は、続伸の92円高14599円の大引きとなりました。
(出来高 概算26.5億株の商いでした。)
連休中のNY市場、高値更新の流れを受け、買いが先行した形です。ただ、為替が
円高是正一服で、上値追いは限定的でした。ただ、先高感継続です。
注目のNY市場、先程 発表になったNAHB住宅市場指数が予想を上回ったことで、
ドル買いの反応も、株式市場はもみ合いで、18日のバーナンキ発言前で様子見と
言った商状です。
明日の日経平均、もみ合いの展開を想定してますが、先物の動きに注目です。