今年も 綺麗に咲きました~
花菜ガーデンのオータムチューリップ
(撮影:12月5日)
18品種 約13,000球ですって
今日は晴れて 展望台から富士山がバッチリ!
気持ちよくて 帰る時間も忘れそう・・
13,675歩
「伝通院」山門前の道を そのまま左に進んで行くと、
道路の中央に ムクノキの老木が1本。
区指定天然記念物
樹高 13m 主幹周 約5m 推定樹齢 100年余
大正時代には 樹高が23mあったそうですが、第二次大戦の
ときの空襲で上部が焼けてしまい 現在のような姿に・・
この場所は 江戸時代は伝通院の境内で、この木には これから向かう
「澤蔵司稲荷」の霊が宿っているといわれ、ご神木となっています。
道路拡幅の際も 道を二叉にし、よけて通るようにしたそうです。
幸田露伴や島木赤彦など文人が、この辺りに住んでいたとか。
左側に、玉垣と石段。
「澤蔵司稲荷」
無量山伝通院 鎮守
『江戸名所図会』『江戸史』の記述によれば;
伝通院の学寮に 澤蔵司(たくそうず)という優秀な修行僧がいて、
僅か3年で浄土宗の奥義を極めたといいます。ある夜 澤蔵司が
学寮長の夢枕に立ち、自分は千代田城内の稲荷大明神であると
名乗り、「かねて念願の浄土宗の勉学を達成したので 元の神に
戻るが、自今 当山を長く守護し恩に報いよう」と告げたそうな。
そこで 伝通院の住職は、1620(元和6)年 境内に
「澤蔵司稲荷」を建立し「慈眼院」を別当寺としました。
澤蔵司は 伝通院門前の蕎麦屋によく蕎麦を食べに行ったそうで、
その日の売り上げの中には 必ず木の葉が入っていたとか。
店主は 稲荷大明神であったかと驚いて、それから毎朝
お初の蕎麦を此処に供えるようになったということです。
こちらのお稲荷さんは、蕎麦が好物なのね。
いいね~ こういう話
境内に、芭蕉の句碑があります。
「 一(ひと)しぐれ 礫(つぶて)や降りて 小石川 」はせを
坂を下って行くと、朱塗りの山門。
「善光寺」
伝通院殿(於大の方)の守り本尊であった阿弥陀如来を祀るため、
1602(慶長7)年 伝通院の塔頭「縁受院」として創建されました。
1884(明治17)年に長野・善光寺分院となり「善光寺」と改称。
「澤蔵司稲荷」「善光寺」前のこの坂は「善光寺坂」といいます。
(ふり返って )
何処となく江戸の面影が偲ばれる いい道です☆
善光寺坂を下り 信号を右折して、アーケードの
商店街を進んで行くと、右側に
「 常光山 源覚寺 」
浄土宗
創建:1624(寛永元)年
伝通院三世 定誉随波上人により現在地に開創。
眼病平癒の「こんにゃく閻魔」として知られています。
閻魔堂には、供えられたこんにゃくの山!
鎌倉期の作とされる閻魔さまは、右目部分が割れ濁っています。
拝借画像
それにはこんな言い伝えがあります;
宝暦(1751~64)の頃、眼病を患った老婆が閻魔さまに治癒祈願したところ
夢に閻魔大王が現われ「満願成就の暁には、私の目の一つをあげよう」と。
結願の日に老婆の目は治り、以来 閻魔さまの右目は盲目となりました。
老婆は 感謝のしるしに好物のこんにゃくを断ち、供え続けたといいます。
夏目漱石の『こころ』や樋口一葉の『にごりえ』にも、
こちらの「こんにゃく閻魔」の名が出てきますよね。
寺を出ると、地下鉄南北線「後楽園」駅、三田・大江戸線「春日」駅はすぐです。
長々とおつき合い下さって、ありがとうございました
20,118歩
「小石川植物園」を出て R436(千川通り)を渡り
住宅地の中の緩坂を15分ほど歩いて行くと、立派な山門。
「 無量山 伝通(でんづう)院 寿経寺 」
(別称 「伝通院」)
浄土宗
本尊:阿弥陀如来
(平安期・恵信僧都の作)
創建:1415(応永22)年
開山:了誉聖冏上人
もとは「寿経寺」という小さな草庵でしたが、1602(慶長7)年に
徳川家康の生母 於大の方の逝去後、家康がこの地に堂宇を建立。
爾後 徳川家の菩提寺となり、於大の方の法名から「伝通院」と
称されるように。 山門は、2012(平成24)年に再建されたもの。
本堂
本堂は、1988(昭和63)年に再建されました。
1863(文久3)年 清川八郎・山岡鉄舟らの呼びかけで、
新選組の前身 「浪士隊」がこの境内で結成されました。
本堂横の墓地には、
多くの徳川家ゆかりの人々が眠っています。
於大の方
(1528-1602)
徳川家康生母 三河・刈屋城主 水野忠政息女
京都・伏見城にて 75歳で死去
法名「伝通院殿 蓉誉光岳智香 大禅定尼」
千姫
(1597-1666)
徳川秀忠息女
1603(慶長8)年 幼くして豊臣秀頼に嫁し、大阪城へ入る。
1615(元弘元)年 城を出て、翌年 桑名城主 本田忠刻(ただ
とき)と再婚。死別後「天樹院」と号し江戸・竹橋に居住。
法名「天寿院 受栄誉源法松山 大禅定尼」
孝子
(1602-1674)
徳川家光正室 前関白 鷹司信房息女
京都から江戸へ下り 1625(寛永2)年 家光に嫁すも、公家出身で
武家の生活になじめないまま、73歳で逝去。
法名「本理院殿 昭誉圓光徹心 大禅定尼」
明治に入って墓地が一般にも開放され、佐藤春夫(詩人)・
柴田錬三郎(作家)・浪越徳次郎(指圧療法)などのお墓も。
気がつけば 午後1時過ぎ・・お腹空いたな~
近くにある有名な蕎麦屋さんで、遅い昼食を☆
「萬盛」
店構えは新しいけど、江戸初期創業の老舗。
名物の「稲荷箱そば」
甘辛の油揚げの細切りが添えられた 喉ごしの良い細麺。
¥750
創業の頃から、毎日近くの「澤蔵司稲荷」に
この箱そばを奉納し続けているのだそう。
時分どきを過ぎて お客さんも多くなかったので、
お店の人と話したりしなんかしながら・・
前日にTVでココが紹介されたとかで、今日のお昼どきはお客さんが
大勢来て蕎麦が足りなくなり、待って貰って急いで追加で打ったのだと。
「お客さん、この時間で良かったですよ~」と言われました。
それとも知らず たまたま遅くに来て、ほんとにラッキーでした。
お腹いっぱいになったので、あともう少し歩きましょう。
その「澤蔵司稲荷」をめざして☆
(続)
なかなか行く機会がないけど、とても好きな場所☆
ホントに久しぶりの「小石川植物園」です。
さぁ、ご一緒に 初冬の園内を歩きましょう!
入口近くで、早速おもしろい拾い物☆
近くにいた方に教えてもらいました。
モクゲンジ
(ムクロジ科)
スゴク高い木の枝に 5cm前後の三角形の莢がたくさんぶら下がっています。
(拝借画像)
地面に落ち 莢が割れると、黒い小粒の実が何個か入っています。
7~8月頃 黄色い花が咲き、黒くて硬い実は数珠の材料になるそうです。
英名:Golden rain tree
ギンナンが、霰のように次々と 音を立てて降ってきます。
あー、ビニール袋持ってない・・・(笑)
メタセコイアの赤い絨毯
「柴田記念館」で
ヒマラヤ杉の 松(?)ぼっくり
ルナリアのドライフラワー
(アブラナ科)
和名:合田草 別名:オオバンソウ・ギンセンソウ
合田 清氏が1901(明治34)年に、パリから種子を持ち帰りました。
春に、白~薄紫色のダイコンの花に似た芳香のある花が咲き
花後に 扁平な果実が肥大して小判型になります。
カエデの並木は そろそろ終盤。
日本庭園
(続)
強い北風が 木の葉を容赦なく吹き散らかすなか、
落葉を踏みながら 小石川辺りをぶら~り☆
地下鉄丸ノ内線「茗荷谷」駅を出てすぐ、細い急坂を下ります。
坂の途中左手の「青龍山 林泉寺」は 「縛られ地蔵」で有名ですが、
改修工事中なので 今回はパスして、その先のお寺を訪ねます。
「 清水山 松林院 深光寺 」
浄土宗
本尊:阿弥陀如来
創建:1639(寛永16)年
開山:顕蓮社善誉上人
開基:森 源七郎(徳川3代御用掛)
本堂横の墓地に、江戸後期の戯作者 滝沢馬琴(1767-1848)の墓。
法名「著作堂隠誉蓑笠居士」
並ぶ法名は、馬琴の妻 お百のものだそう。
台座部に、馬琴の蔵書印の模様。
左奥に、晩年失明した馬琴を助け 口述筆記を手伝った嫁女 お路の墓。
本堂横に、小石川七福神の恵比寿天像。
恵比寿さまの隣に、ひっそりと切支丹灯籠が。
嘗て 近辺にはキリシタン屋敷(キリシタンを取り締まる奉行所)が
あったそうで、そうしたことを思うと 想像がふくらみますね☆
坂を下りきって 丸ノ内線のガードをくぐり、更に行くと
「藤坂」
左手の坂が「藤坂」。昔は此処から富士山が見えたので「富士坂」、また
一帯は湿地で 河童(禿)がいたので「禿(かむろ)坂」と呼ばれたとのこと。
右手にあるお寺は
「鏡翁山 伝明(でんみょう)寺」
曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
創建:1649(慶安2)年
開山:仁山嶺恕和尚
開基:鏡翁傳明
寺伝によると、1650(慶安3)年 徳川家光が鷹狩の帰途に
当寺に立ち寄り、庭の藤を見て「これこそ藤寺なり」と賞賛
したことから、「藤寺」とも呼ばれるようになったそうです。
現在の藤は 後に植えられたものですが、立派な藤棚です。
藤坂を上り R254(春日通り)を渡ると、広い下り坂。
「播磨坂」
嘗てこの地にあった松平播磨守上屋敷に因む名が付けられたこの坂は、
1960(昭和35)年 舗装工事が行われた際に 150本の桜が植えられました。
両側の車道に挟まれた中央の約460mが、桜並木の遊歩道になっています。
お花見のころは すばらしい眺めでしょうね。
坂の途中で 左に1本入った道路際に、
「石川啄木終焉の地」歌碑
啄木がこの辺りに住んでいたそうで、彼の最後の2首の草稿が。
「 呼吸すれば 胸の中にて鳴る音あり。 凩よりもさびしきその音!」
「 眼閉づれど 心にうかぶ何もなし。 さびしくもまた眼をあけるかな 」
播磨坂を下りきれば、「小石川植物園」はもうすぐです。
(続)
歩いていると、薄着でも 汗ばむような暖かさです。
学校の傍の公孫樹が、漸く綺麗に色づきました。
暖かいのは有難いけど、このあとの寒さがコワい・・
12,994歩
「京急富岡」駅の西側出口から 道を隔てて
小さな流れに沿って 遊歩道が続いています。
(市HPより拝借)
「富岡川せせらぎ緑道」
もともとあった「富岡川」を暗渠化し、その上を遊歩道に。
緑道約1kmのうち、400mほどがせせらぎになっています。
上流の公園付近の湧水が、1日当たり数千㎥注ぎ込み
小さな水路ですが、水の流れは結構豊か☆
メダカや金魚、鯉も泳いでいたり・・
遊歩道沿いに草木が植えられていたり、花鉢が置かれてあったり
近隣にお住まいの方たちに 親しまれているのが感じられます。
小さな滝?もあったりして
せせらぎが途切れて 車道に出てきました。
左手に暫く行くと、「富岡西公園」があります。
長い階段を上って
高台からの眺め
9,953歩
紅葉が見頃と聞いて、何年かぶりに 富岡にある
故川合玉堂画伯の別邸「二松庵」を訪ねました。
「京急富岡」駅からものの数分、坂を上って
紅葉がちょうど見頃です
茅葺の表門をくぐって 傾斜の小道を上っていくと・・
ガ、ガ~~ン!!
無いんです、茅葺のあの建物が・・・
3年前に 原因不明の火災で焼失してしまったんだそうです。
全然知らなかった・・・楽しみにして来たのに
ウェ~~~ン
が、
庭園は 綺麗に整備されてありました。
紅葉を眺めながら、ぐるりとひと回りしてみましょう☆
画伯の指導の下、地元の庭師 植周2代目・大胡隆治氏が、斜面を活かし
作庭した野趣あふれる庭園は、この秋 横浜市の名勝に指定されました。
此処にあったあずまやから、 当時は海がよく見えたといいます。
沖行く船や房総の山々を眺めながら、画想を練られたのでしょうか。
でも、嗚呼・・
粋を凝らしたあの庵の建物が 無くなってしまったなんて
何て 勿体ないこと・・・ショックです
(公開日をご確認のうえ お出かけください)
頂きました~
噂の 吉祥寺「小ざさ」のモナカ
「食べログ」などにも、たくさん書き込みがあって 大人気みたいですね。
聞いたところでは、製造・販売しているのは羊羹と最中のみで
小さなお店らしいけど、40年間 行列の途絶えたことがないんだとか。
羊羹は 朝早くから並んで整理券を貰わないと買えないらしいです。
最中も 毎日1万個、多い時では1日で4万個も売れてしまうんだとか。
えぇーっ
餡は、粒あんと白あんの2種類。
皮はパリッと 餡は程よい甘さ☆
美味しく頂きました~ ごちそうさま!
それにしても、この形 気になるナ・・