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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

日本橋界隈

2010-09-21 | 東京・川崎


お彼岸の墓参のあと、ショッピングがてら
日本橋辺りを少し散歩しました。




高速道路の下を流れる日本橋川


橋のすぐ傍の老舗デパート



橋の袂に
「日本橋魚市場発祥の地」碑


江戸時代はここ日本橋川沿いに、幕府や江戸市中で消費
される鮮魚や塩干物を荷揚げする魚河岸がありました。

此処で開かれた魚市は、江戸初期に佃島の漁師達が将軍や
諸大名に調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まり、
川沿いを中心に、1日に千両の取引があったともいわれる
ほどの賑わいで江戸で一番活気に溢れた場所の1つでした。

魚河岸は、関東大震災後に現在の築地に移されました。


日本橋交差点から、日本橋川に沿って東の方へ歩いてみましょう。


「江戸橋」にやって来ました。

江戸橋交差点角のビルは「日本橋郵便局」
「郵便発祥の地」
     
1871(明治4)年 新式郵便制度が発足したとき、郵便役所が置かれました。
日本郵便の父 前島密氏の胸像がありました。



「日本橋」→「江戸橋」の次にあるのが
「鎧(よろい)橋」


言い伝えによると;
嘗てこの付近に大河があって、平安時代 源義家が奥州平定の旅途
此処で暴風・逆波に遭い船が沈みそうになったため、鎧1領を投じて
竜神に祈ったところ無事に渡ることができたので、「鎧が淵」と呼ばれる
ようになったとか。また、平将門が兜鎧を納めた所とも伝わっています。

「鎧の渡し」


1872(明治5)
年に橋が架けられるまで、渡し舟が交通手段だったようです。
「縁日に 買うてぞ帰る おもだかも 逆さに映る 鎧の渡し」  和朝寺国盛



平成通りから中央通りに戻る途中、大きな石柱が2基少し離れてあります。
「海運橋親柱」
     

説明板によると;
この橋は、楓(もみじ)川が日本橋川に合流する入口に架けられて
いました。江戸初期には「高橋」と呼ばれ、橋詰に御船手頭 向井
将監忠勝の屋敷があったので「将監橋」、また御船手衆は幕府の
海軍で海賊衆ともいわれたため「海賊橋」とも呼ばれていました。

明治になり「海運橋」と改称。アーチ型の石橋に架け替えられました。

文明開化の頃 橋周辺は東京の金融の中心として繁栄し、橋詰に
あった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりましたが
関東大震災で破損。1927(昭和2)年鉄橋になり親柱が保存されました。
その後 川の埋め立てにより、1962年に鉄橋も撤去されたそうです。


そういえば先程 銀行前を通ったとき、壁面に嵌め込まれていたレリーフ
「銀行発祥の地」

1873(明治6)年 我が国最初の第一国立銀行が創立された場所だそうです。




この辺りは現在も、金融・証券関係のビルがたくさんありますね。
右側は、東京証券取引所のビルのようです。



いろいろな「発祥の地」を廻って、再び日本橋に戻ってきました。

少し歩いただけでも、江戸以来 この辺りが経済社会発展の
原点として重要な場所であったことがよくわかります。

そうそう、「日本橋」も旧東海道の出発点でしたね。
今度は街道筋をもう少し歩いてみましょうか☆




2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
○○発祥の地など (kikyo)
2010-09-23 08:23:42
テレビで紹介されることも多い日本橋界隈、といっても知らないことばかりのわたしなので、「○○発祥の地」や「海運橋親柱」など盛りだくさんの内容におどろきました。

いよいよ秋到来? 旧東海道街道の旅へのファイトも盛り上がっているようですね。
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近くて遠い・・ (夜猫子)
2010-09-24 10:11:56
日本橋から銀座方面へ向かう中央通りは何十遍となく歩いていますけど、
そこから東側には、私も行ったことがありませんでした。
(お金にはご縁がなくて・・・笑)

ちょっと足を伸ばせば・・まだまだ興味は尽きません~♪
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