1
号線「権太坂上」交差点から、再び旧東海道の道へ向かいます。
「権太坂」
お正月恒例「箱根駅伝」でお馴染みの坂ですが、
旧東海道の権太坂は、1号線の西側を通っていました。
江戸から保土ヶ谷宿までは、ほぼ江戸湾沿いの平坦地でしたが
元町橋を渡ったあたりから長く険しい坂道となる東海道中最初の
難所とされ、ここで命を落とした旅人も少なくなかったそうです。
坂の名の由来は、坂の改修工事を指揮した藤田権左衛門の
名が訛ったものとも、また旅人に坂の名を尋ねられた耳の遠い
老人が、聞き間違えて自分の名を答えたからともいわれています。
「境木(さかいぎ)立場跡」
「立場(たてば)」は旅の途中の休憩所のこと。
「境木立場」は、保土ヶ谷宿と戸塚宿の中間地点にありました。
この境木立場では、権太坂・焼餅坂・品濃(しなの)坂と
難所が続くなか、見晴らしの良い高台で西に富士山、
東に江戸湾を望む素晴らしい景観を眺めながら、
名物の牡丹餅を食べてひと息ついたのでしょうか。
境木立場を代々営んでいた若林家(立場屋)
相模・武蔵両国の境の杭が立てられていたことが「境木」と
いう地名の由来。 交差点横にそのレプリカがありました。
「境木」交差点横にあるのは、
「良翁院地蔵堂」
創建: 1659(万治2)年
地蔵像がいつ頃のものかは不明だそうですが、昔 鎌倉腰越の
浜にあがった地蔵像が複数の漁師の夢枕に立ち、そのお告げに
従って江戸へ運ぶ途中、この地で牛車が動かなくなったそうです。
地元の人々がお堂を建てて祀ったところ、この地が栄えたとか。
以来、金運のご利益を求め参拝する人で大いに賑わったそうです。
ご本堂は改修工事中でした。
境木交差点から、左手の坂を戸塚方面へと下ります。
「焼餅坂」
坂の傍らの茶店で、旅人を目当てに焼餅を売っていたのが名の由来とか。
比較的最近まで、木々が鬱蒼と繁り旧街道の面影が残って
いたそうですが、住宅やマンションが建てられ・・・
それでもまだ、どことなく昔が偲ばれる道を歩いて行きます。
江戸幕府は五街道を整備し宿場を設けると同時に、それまで
曖昧だった駄賃銭を決めるのに必要な里程標を設置して
1里毎に5間(約9m)四方の塚を築き、榎や松を植えました。
「品濃一里塚跡」
「品濃一里塚」は江戸から9里(約36km)、つまり9番目の一里塚です。
道を挟んで両側に2つの塚があり、県内で唯一ほぼ完全な形で残る
一里塚として、1996(昭和41)年に県の史跡として指定されました。
公園になっている右の塚の上に上ってみました。
ガイドブックの写真を見て、いつか行ってみたいと思っていたので
想像とは少し違っていたもののそれはそれ、歩けたことに大満足です
ガイドのYさん、多謝了!
昔の旅人の難儀には程遠いですが(笑)
今日もよく歩きました。
24,442歩
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます