鶴岡八幡宮に向かって真直ぐ伸びる「若宮大路」に
ほぼ並行する「小町大路」を歩いています。
車の往来の激しい道の右側に、
「日蓮上人辻説法跡」
往時 この辺りは武士の屋敷と商家が混在し、人の往来が
盛んでした。鎌倉に入り松葉ヶ谷に庵を結んだ日蓮上人が
日毎 路傍に立って説法を行った場所といわれています。
ほどなく、今度は左手奥にお寺の山門
「叡昌山 妙隆寺」
日蓮宗のお寺
創建:1385(至徳2)年
開山: 日英上人
開基: 千葉胤貞
この辺りには、鎌倉幕府御家人 千葉氏の屋敷があったようです。
当寺第2代 日親上人は、宗祖日蓮に倣い『立正治国論』を献じて
室町幕府第6代将軍 足利義教の政道を諌めたことで弾圧され、
灼熱の焼け鍋を被せられましたが自説を曲げなかったとか。
「鍋かむり日親」と呼ばれる上人が、寒中 百日水行を
行ったとされる「血の池」が、本堂前にあります。
境内のお堂には、「鎌倉江ノ島七福神」の
寿老人像(欅一木造り)が祀られています。
道々 民家の美しい竹垣が散歩の目を楽しませてくれます
路地を入った所にも
「祇園山ハイキングコース」への上り口に、 1924(大正13)年
建造の鉄筋コンクリート製のアーチ橋が架かっています。
「かまくら景観100選」に選定されています。
「東勝寺橋」
小町大路に戻って、左手の碑は
「青砥藤綱邸跡」
東勝寺橋の下を流れる「滑(なめり)川」に落とした十文銭を
探すための松明を五十文払って買い集めたという、歌舞伎で
お馴染みのエピソードが残る青砥藤綱は、北条時頼の家臣。
さらにその先、左側の碑は
「土佐坊昌俊邸跡」
昌俊はもと奈良・興福寺金剛堂の堂衆で、のちに源頼朝に臣従。
頼朝が京の義経を誅殺せんと御家人から人を募り、名乗り出る
者がなかったとき、進んでその任を引き受けて京・堀河館の
義経に夜襲をかけましたが、逆に捕らえられて殺されたとか。
やがて、右側に
「北条執権邸跡」
嘗て この辺りに北条氏の屋敷があったとされます。
新田義貞の鎌倉攻めにより滅亡した北条高時をはじめと
する北条一族の霊を弔うため、後醍醐天皇の命によって
足利尊氏が建立したお寺があります。
「金龍山 円頓 宝戒寺」
天台宗のお寺
創建: 1335(建武2)年
開山:五代国師(円観慧鎮)
開基: 後醍醐天皇
本尊: 木造地蔵菩薩像
(国指定重要文化財)
「鎌倉江ノ島七福神」の毘沙門天が祀られています。
秋の白萩が美しく、「萩の寺」としても有名ですね。
境内には、聖徳太子を祀る「太子堂」や「得宗権現社」など
今日の小町大路歩きは、このお寺をゴールとしましょう~
17,487歩
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