傘を片手に、ひと足早いお花見を楽しんでいます
高田馬場~江戸橋の約2kmは両岸の桜が川面に枝を伸ばし
満開になると人であふれかえる遊歩道も、今日はまだ静かです。
かぐや姫の「神田川」を口ずさんだりしながら・・
窓の下に神田川が見える三畳の下宿って、この辺りのことかなぁ
神田川は、江戸時代の六上水(神田・玉川・本所・青山・三田・千川)の1つ。
神田上水は、1590(天正18)年 家康公の命で大久保藤五郎により
開設された小石川上水が原型だということです。1629(寛永6)年に
設備が拡張され、大滝橋辺りに堰を築き水位を上げて上水を
水戸屋敷に入れ、樋で地下を通して神田・日本橋方面に流したとか。
その改修工事に、あの松尾芭蕉も関わっていたそうです。
左側に長い塀が現れました。 塀に沿って左へ歩いて行くと、
「新江戸川公園」
旧熊本藩下屋敷の庭園を利用した公園です。
入口左手の建物は、旧藩主細川家の学問所(大正時代築)でした。
公園は、池を中心とした回遊式泉水庭園になっています。
「永青文庫」
左手高台の木立の中に、細川家家政所(事務所)だった建物。
1950(昭和25)年に第16代細川護立氏が設立した美術館で、
主に東洋古美術を中心に保存・展示しています。「永青」は、
細川家菩提寺正伝永源院と居城の青葉城から1字ずつとか。
公園を出ると、長~い石段が続いています。
下の神田川に架かる駒塚橋から目白台へ上がる階段で、その名も
「胸突坂」
たしかに「胸突」! 上がるときはかもしれません。
坂を下ったすぐ右側に、2本の大銀杏と小さな祠。
「水(すい)神社」
夢枕に立った水神を、お告げに従い祀ったという神田上水の守護神です。
それにしても、スゴい巨木☆ 倒れないでがんばってね~!
昔この辺りは関口村と呼ばれていました。奥州街道の
関所があったからとも、上水に堰が設けられていたから
ともいわれ、昭和の頃まで「関口」の地名が残っていたとか。
坂下左側にある引き戸の中は、
「関口芭蕉庵」
上水改修工事に加わった松尾芭蕉が、1677(延宝5)年~
1679年の3年間住まいにしていたという「龍穏庵」跡です。
細長い池を中心とした庭の其処此処に、翁を偲ぶ歌碑があります。
伊藤松宇の句碑 松尾芭蕉の句碑
「真中に 富士聳えたり 国の春」 「古池や 蛙跳びこむ 水の音」
「さみだれ塚」
1750(寛延3)年に宗瑞・馬光ら俳人が、
芭蕉真筆の短冊を埋めて墓としたもの。
「五月雨に かくれぬものや 瀬田の橋」
「芭蕉堂」
1726(享保11)年 33回忌に翁の木像が造られ
堂内に安置されたということです。(非公開)
川沿いには立派な門
と、こんな具合に
あちらこちら寄り道をしながら歩くうちに、いつの間にか
夕方に近くなってきました。音羽通り「群林堂」の大きな
豆大福も、多分もう売り切れてしまったのでは・・
またのお楽しみといたしまセウ・・
未練たらたら・・・(笑)
17,473歩
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