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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・戸塚宿①

2010-10-21 | 旧東海道


R1「不動坂」の信号から、旧街道に入って行きます。





時々車が通るくらいの静かな通りを歩いていると、道の左側に
まだ新しい碑。 裏面の「護良親王」の文字に惹かれて行って
みることにしました。  「二丁」ってどのくらいなんだろ・・?
     

小径を入って行くと、マンションや一戸建ての住宅街。こんな場所に?


史蹟だからきっと木の多い所でしょう・・と当て推量で左の方へ。
でも途中で心配になり、折り良く立ち話中のヤン・ママさんに
確認してみると、やはりこの方向で間違いなかったみたい。
カンピューター、今日は冴えてますね~

10分ほども歩くと、Y字路になっている所に
護良親王首洗井戸跡


碑文によると;
中納言藤原藤房卿が囚われた親王奪還を目論み、同族の者と
鎌倉道に通じるこの柏尾に潜入して機を窺っていたところ
親王の首が届けられたので、井戸の清水で洗い清めたあと
4本の杭を打って祭壇を拵え、供養をしたと言い伝えられます。

その伝説から、この辺りは四つ杭谷戸と呼ばれていたそうです。
     




旧街道に戻って歩いて行くと、右手に煉瓦造りの頑丈そうな建物。





さらに隣には、土蔵のある立派な門構えの旧家。


さらにさらに、左奥に入った高所には立派な墓所。
「斎藤家」とあります。


何の説明もされてないけれど、さだめし由緒ありそう・・と
思って写真を撮りました。 帰宅後webで調べたら、やはり!

横浜開港に伴い、イギリス人のウィリアム・カーティス氏が
外国人専用旅館を営む傍らハム製造を始めました。
村に産業をと考えた庄屋の斎藤氏が、カーティス氏の
夫人(日本人)の協力でハムの製法を学び、明治10年代に
日本人として初めてハム製造を始めたそうです。

煉瓦の建物は、「鎌倉ハム」の工場として明治20年代頃に
建造されたもので、壁厚が1mもあり関東大震災にも耐えたとか。
現在は、隣にある斎藤家の自家用倉庫になっているそうです。

土蔵のある豪邸も立派な墓所も、斎藤家のもののようです。



やがて道はT字路になり、舞岡川に沿って右へ行くと
「五太夫橋」で、またR1に合流しました。

いかにも東海道らしい橋の名は、後北条氏の重臣 石巻五太夫が
北条氏滅亡後、国替えで江戸に向かう徳川家康をこの辺りで
出迎え会見したという言い伝えに由来するそうです。


右手にあるレストラン「フォルクス」の前に
江戸方見附跡」碑


漸く「戸塚宿」の江戸側入口まで来ました☆
ここから約3.5kmの町並みが、宿場町として整備されていました。

戸塚宿は日本橋から10里半(42km)、5番目の宿場です。
日本橋を早朝出立し、最初に宿をとるのがここ戸塚宿だったそうです。
え、1日に40km余? スゴ~~イ


東海道だけでなく大山道や鎌倉道へも通じていて、旅人や参詣客で
賑わい、本陣2 脇本陣3 旅籠が75軒もある大きな宿場町だったとか。




(続)


2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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おみごと (kikyo)
2010-10-22 08:52:37
煉瓦の建物-斉藤家墓所-鎌倉ハムと、夜猫子さんの好奇心が謎解きのようにつながりましたね。
ウォーキングと好奇心&探究心のなせる業?でしょうね。
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謎解き (夜猫子)
2010-10-24 16:21:31
ほんと、謎が解けて嬉しかったです。
最初からきちんと調べておけば効率よく歩けますけど、
こういう楽しみ方も、いいものですよね☆
返信する

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