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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

横浜・富岡辺り①

2012-04-13 | 横浜


久しぶりに、富岡の辺りを歩いてみようと思います。
数年前に歩いたことがあるので、地図がなくても大丈夫!・・・かな?


京急線「京急富岡」駅からR16を左に暫く歩き、右側に
「富岡八幡宮→」の看板がある道へと入って行きます。
住宅街の中を歩いて行くと、やがて右手奥に・・




赤い鳥居脇の狛犬さんには「天保六年」の刻銘。
      

緩やかな長い石段を上って行くと・・

富岡八幡宮

建久年間(1190-99)に、源頼朝が摂津国の蛭子(恵比寿)神を勧請して創建。
安貞年間(1227-29)に、八幡神が合祀されたといわれます。
主祭神:八幡大神 蛭子神 天照大神

1311(応長元)年に一帯を襲った「応長の大津波」の際、八幡宮の山に守られ
富岡は被害を免れたことから、「波除け八幡」と呼ばれ篤く崇敬されてきました。


徳川家光が江戸・深川の埋め立てをおこなった際 、高波で工事が難航したので
波除け八幡に祈願し、分霊を祀って工事を無事完成させることができたといいます。
深川の「富岡八幡宮(深川八幡)」は、此処の分社に当たるというわけですね。
嘗ては江戸からの参詣者も多く、奉納品が多数遺されているとのことです。


八幡宮の山の下に、緑豊かな公園があります。

富岡八幡公園
      

山を取り巻くように木立の多い緑地が広がり、散策する人やゲートボールを
楽しむグループなど、近隣の人々の憩いの場となっているようです。





公園を出て、真直ぐ北の方へ歩いていくと左手に


前回ご紹介した「孫文先生上陸之碑」とお寺の山門。


花翁山 慶珊寺

真言宗のお寺です。

    創建:1624(寛永元)年
 開山: 伝栄上人
      開基: 豊島信満・明重
 本尊: 大日如来
伝栄上人が開いた不動院宝龍寺という古寺を受け継ぐ形で
豊島明重が、両親の菩提を弔うために建立しました。
山号は父の、寺号は母の法名から付けられたといいます。

よく手入れされた植栽が美しい境内
      

本堂の右手から、裏の墓地に行ってみると・・

「豊島明重父子供養塔」

豊島(としま)一族は、武蔵国に一大勢力を誇った豪族でした。
室町時代に菅原道真に敗れ所領を失い没落しましたが、のちに
関東入り間もない徳川家康に召し出され、旗本に列せられました。

ところが、まとめた縁談を一方的に破棄され面目を失った明重が

1628(寛永5)年 江戸城内で老中 井上主計頭を殺害。 明重は
その場で自害、子の吉継も連座して切腹しました。 この、江戸城
三大刃傷といわれる最初の事件により、豊島家は断絶しました。
供養塔は、のちに明重の姉が建立したものだそうです。



慶珊寺の横の坂道を上って行くと、



直木三十五文学碑

「 芸術は短く 貧乏は長し 」


前回のときは、碑の隣にあった旧直木邸が・・・更地になっていました
跡地にあった説明板から
「旧直木邸書斎」

書斎からは、海が大変よく見えたそうです。

今は・・





坂を下り、慶珊寺前の道の先にある広い車道を渡って
そのまま真直ぐ進んで行くと、左手に

富岡山 長昌寺


臨済宗のお寺。

     創建:天正年間(1578-92)
開山: 仙渓和尚
 開基: 柳下豊後守
本尊: 釈迦如来
小田原北条氏の家臣といわれる柳下豊後守が、亡妻の供養のために
建立した「長昌庵」に始まり、その子息が寺としたと伝わっています。
寺号は亡妻の法名に因むとか。

本堂前に、すばらしい柏槇の古木☆ 推定樹齢800年とか。
すばらし過ぎて、画像1枚に収まりませんでした~

      


本堂の裏手にまわると・・

「瑚林慶珊大姉墓所」

豊島明重の御母堂のお墓だそうです。
手前の像は、「金沢七福神」の布袋像。


「芋観音堂」

疱瘡に霊験あらたかという楊柳観音(芋観音)が祀られています。
もとは鳥見塚という別の場所にありましたが、1936(昭和11)年
横浜海軍航空隊の開設により、当寺に移されたものだそうです。

其処には、冬でも枯れることのない霊芋の生えた池があり
その池の中から観音様が現われたと言い伝えられています。

(これは
10倍の模刻像だそうです)

江戸時代の『耳袋』という書物にも書かれているように、当時大変流行した
疱瘡に池の水がよく効くというので、江戸からも多くの人が訪れたといいます。
以前 旧東海道保土ヶ谷宿を歩いたとき、金沢横町の道標にも
「富岡山芋大明神之道」と刻まれてありました。 有名な観音さまなんですね。

お堂前の立派な狛犬さんにも「願主 日本橋 三舛屋」の刻銘が・・
      




お堂の横手に 直木三十五氏(右)と、
氏に心酔していたという
直木賞作家 胡桃沢耕史氏のお墓(左)が仲良く並んでいます。




(続)



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