スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

紅葉坂~掃部山公園

2014-05-11 | 横浜


「伊勢山皇大神宮」の北側にある坂が、その名も美しい「紅葉(もみじ)
往時はきっと、美しく紅葉する木がたくさんあったのでしょう。

現在は・・
坂を上りながらふり返ると、、ランドマークタワーが間近に☆
          


「紅葉坂」を上りきった所に、「県立図書館」「県立音楽堂」「県立青少年センター」など。
そうか、さっき歩いてきた「音楽通り」の名は、此処の「県立音楽堂」に関係するのかも・・? 
などと、考えたりしながら・・・



坂の途中の右側、植え込みに埋もれるように
金星太陽面経過観測記念碑

1874(明治7)年12月9日 金星が太陽面を通過するのを、この辺りで観測した
ことを記念する石碑です。 この日、世界各国から天文学者達が来日したとか。
最近では2012年6月にも、日本で太陽面を通過する金星が見られましたね。


「青少年センター」前に、サクラの若木が1本。
宇宙桜


2000年2月 スペースシャトル「エンデバー」に搭乗した毛利 衛飛行士と共に
宇宙を旅してきたエゾヤマザクラの種子から育てられたものだそうです。
毛利氏の故郷 北海道から、2005年に寄贈されました。




史跡 神奈川奉行所跡」碑

神奈川奉行所は、横浜開港に伴い1859(安政6)年に設置されました。
外国奉行 酒井忠行・水野忠徳ら5名が神奈川奉行兼務を命じられて、
関税及び外務全般の事務を取り扱ったといいます。 明治政府に移管
ののち「横浜裁判所」と改められ、更に「神奈川県庁」と改称されました。

我が国の新旧の歴史の一端が此処に凝縮されているようで、
「紅葉坂」って、おもしろい所だナ☆


「青少年センター」前に、不思議な形の石像
          
「青少年諸君 しっかり頼む」だって


これらの建物の奥には、
横浜能楽堂

1996(平成8)年 竣工

今日は生憎公開されてなく 見学できませんが、能・狂言の上演が行われる本舞台は
1875(明治8)年 東京・根岸の旧加賀藩主 前田斉泰邸内に建立され、のちに染井の
松平頼寿邸に移された「染井能舞台」を移築・復元したという、歴史あるものです。


能楽堂を含む深い緑のエリアは
掃部山(かもんやま)公園

面積 24,727㎡
1909(明治42)年 旧彦根藩有志が、
大老 井伊掃部頭直弼の横浜開港の功績を
顕彰するため、この地に銅像を建立し 「掃部山」と名付けたのに始まるといいます。
のちに井伊家から横浜市に寄贈され、公園として整備・公開されました。


「井伊直弼像」
          
「正四位上左近衛権中将」の正装像です。 像高 約3.6m 台座高 約6.7m
初代像は1918年に金属回収で撤去され、2代目像が1954(昭和29)年に再建。


「旧井泉」
          
銅像建立時に、子爵 井伊直安氏より寄贈されたものだそうです。
創建当時のものとされる銅像の台座と共に、市歴史的建造物に認定。


園内にある日本庭園が、井伊家所有当時の様子を偲ばせます。




公園入口辺りからの眺望



もう少し足を伸ばして、「野毛山」の方へも行ってみましょう☆

(続)




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