戸塚宿の宿内をR1沿いに歩いていると、左側に
入る道の角に、半ば埋もれている小さな石柱。
「八幡神社参(道)」と読めますね。 ちょっと行ってみましょう☆
住宅や畑が並ぶ緩やかな坂道を上って行くと、左側に石の鳥居。
長い参道の先の石段を上ると、緑に包まれて朱塗りの社殿。
「八幡神社」
ご祭神は、応神天皇。
説明板によると;
1114(永久2)年 累代の名主渡邊氏の勧請に始まる神社で
1927(昭和2)年 現在地に遷座し、東ノ峯八幡と呼ばれました。
現在の社殿は、1962(昭和37)年に再建されたもの。
この一帯は、八幡山と呼ばれているようです。
圧巻は、社殿前にある椎の巨木。
境内を覆いつくすように、大きく枝を広げています。
嘗て源義家が東征の折、この木の下で休息したという伝承に因み
「白旗の椎」と呼ばれ、 市の名木に指定されているそうです。
樹齢どのくらいでしょうねぇ・・?
あまりに素晴らしくて・・・感動しました!
去り難い思いですが、そういうワケにもいきません。
神社を後に、R1に戻ってまた西へと歩きます。
街道沿いにお寺がありました。
「東峰山 光円寺 宝蔵院」
真言宗のお寺です。
説明板によると;
1547(大文16)年 朝興法印師が中興、その後現在地に移転しました。
本尊は不動明王像(1632年の作)で、「戸塚不動尊」と呼ばれています。
芸道精進の願いを込めた
「扇塚」
街道沿いの民家の塀に「妙秀寺→」という札を見つけ、
矢印に従って左の小径に入って行くと
「身立山 妙秀寺」
日蓮宗のお寺で、鎌倉 本覚寺の末寺。
創建: 1356(延文元)年
開基: 妙秀禅尼(豊島氏一門)
開山: 身立院日修上人
本尊: 日蓮大聖人折伏像
(室町後期の作)
境内に、何やら古めかしい石柱がありました。
折れた先端をつなげたらしい跡・・
熱心にカメラを向けておいでの男性にお尋ねすると、
鎌倉道への道標だと教えてくださいました。そう言われて
みれば、下の方の字は「・・くらみち」と読めなくもありません。
「この浮世絵に描かれていますよ。」
どれどれ?
あ、確かに! 橋の袂に、道標が描かれていますね。
「コレがソレですか~」
「そうらしいです。何か感動しますねぇ☆」
「ほんとに!」
1674(延宝2)年に建立されたものだそうです。
またR1に戻って歩いて行きます。
歩道に目立たない説明板。 危うく見過ごすところでした~
「吉田一里塚跡」
説明文によると;
江戸から10番目の一里塚で、旅人にとっては旅籠のある
町まであともうひと息といった場所だったようです。
塚は、明治初期に取り壊されてしまったそうです。
すぐ目の前に大きな橋があります。
「吉田大橋」
広重の絵に描かれている「吉田橋」のあった場所です。
あの道標は、この辺りに建てられてあったのですね。
照明のデザインは、大名行列のバレンをイメージした形。
この橋を渡ると、まもなくJR「戸塚」駅です。
ここまで、23,314歩
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