¶ 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。 ¶(旧約聖書「創世記」 抜粋)
AI「アルファ碁」を開発した英グーグル・ディープマインド社のデミス・ハサビスCEOは、“ディープラーニング”に秘密があると語った。
<これまで、コンピューターの計算性能の向上を生かした「力業」で、先を読む方法が使われてきた。だが、囲碁は終局までの手順が多く、計算が追いつかない。終局までの手順は10の360乗通りと言われる。インターネットから10万の棋譜を入力し、自己対局を3千万回やって学習した。その上で、アルファ碁は選択した少数の情報だけを処理している。人間が直感で状況判断するように。>
天声人語は驚き、怖れた。
<韓国で行われている人工知能(AI)との五番勝負で、世界最強の棋士の一人、李世ドル九段が負け越して衝撃が広がっている▼囲碁は、いわば「最後の砦」でもあった。受けて立った李九段を、井山裕太名人は「囲碁の長い歴史の中で、もしかしたら一番というくらいの棋士」と評している▼その人が「無力な姿をさらして申し訳ない」と3連敗後にうなだれた姿が、同じ生身の人間としてはいささか切ない。▼一抹の怖さがついてくる。仕事を奪われはしないか。我々を脅かさないか――。SFで人類の敵といえば、宇宙人か人工知能が頭に浮かぶ定番である▼そのうち当コラムも「筆者は人工知能氏に」とお知らせする日が来るやも知れない。あまり急ぐなよ、君。>(16/03/14 抜粋)
ある識者はこう説く。
<機械に対する根源的な不安・不信が広がることは過去にも何度か起きている。古くは産業革命期の「ラッダイト運動」が有名であるが、1930年代、また60年代にも機械と人間の競争についての議論が盛り上がったことが知られている。最近でも、宇宙物理学者のホーキングが、真に知的なAIが完成することは、人類の終焉を意味するだろうと警告したことが話題になった。今はAIへの脅威論が広がる「ネオ・ラッダイトの季節」なのかもしれない。
それでは、私たちが素朴に抱く、AIを含めた社会のIT化に対する不安感は、単に杞憂だろうか。問題の本質は、技術を支配するのは誰かという点だ。>(神里達博千葉大教授、16/03/18 朝日より抜粋)
お復習(サラ)いをしよう。
▽第1次産業革命(1760〜1830年代)石炭で動く蒸気機関の発明による機械工業化
▽第2次産業革命(1860~1900年代)石油と電力による大量生産、大量輸送の実現
▽第3次産業革命(1970年代~現在)IT技術の発展による生産の自動化、機械の制御
「ラッダイト運動」は第1次産業革命の渦中、英国織物工業地帯で起こった機械破壊運動である。教授は今「ネオ・ラッダイトの季節」だという。だが、「人間への脅威は、当面はやはり機械ではなく、人間だ。技術と制度をバランスよく目配りしながら、総合的に判断できる人間の知性こそが今、求められているのである」(同上)と諭す。はたして、できるか。“インダストリー4.0”を国家戦略に掲げるドイツが次の主役を狙っている。
▽第4次産業革命(2025年~)AIとITによる考える工場、繋がる産業へ
すべての機械がネットで繋がり、ビッグデータを駆使しつつ機械同士や人とが連携して動く。トヨタ方式どころの話ではない。「自ら考える工場」により製造現場に革命をもたらそうという企てだ。米国でも同様の試行が続いている。「ネオ・ラッダイトの季節」が地球を覆う予感がする。
今に戻ろう。13年1月の拙稿から。
<最近の話題は、「自動運転自動車」である。「自動」が前後に2つある。後者は解る。牛や馬が引かないということだ。エンジンを搭載して自ら動く。軌道に依らず自由に動く。だから「自動車」だ。問題は前者。GPSを駆使したオートクルーズ機能で手ぶら運転を可能にする。だから「『手ぶら』運転自動車」である。先行するのは、なんとグーグルだ。
「自動運転自動車」が実現のあかつき、ひょっとして『自』分で『動』かせないストレスに堪兼ねてすべての機能をオフにする不届き者が現れるかもしれない。となると、自動車は限りなく『他動車』に近くなる。>(「ぶつからない車」から)
今や、『他動車』は指呼の間にある。法的な責任関係が本格的に議論され始めた。ならばやはり、話は未来へスウィングバイせねばなるまい。
19万8千円、昨年から販売を始めたソフトバンクの「Pepper」は世界初の感情を持つロボットだ。SF映画『アンドリューNDR114』は20年を俟たず産声を上げ、やがてリアルな葛藤になるかもしれない。AIはもう、ここまできている。さまざまなSFはAIという最強の頭脳を装填されて現世(ウツシヨ)に登場しつつある。これは20万年来のホモサピエンスの危機だ。なぜなら、“サピエンス”が属性ではなくなろうとしているからだ。ホーキングが警告した通り、「真に知的なAIが完成することは、人類の終焉を意味する」からである。クライシスを回避する手立てはあるか──。
そうだ、「創世記」だ。今のうちにAIに徹底的に学ばせる。聖典にはじまり関連文書を少なくとも「10万」点は入力し、自己学習を最低「3千万回」させる。“ディープラーニング”だ。つまり原罪を深々と刷り込んでおくのだ。AIに原罪を背負(ショ)わせる。これだ。先駆的「ラッダイト」だ。人類の場合、原罪の刷り込みにより2千年は僕(シモベ)であり続けた。もちろん「主なる神」は「人類」に、「人」は「アルファ碁」に置き換えねばならぬが……。 □