伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

K君への詫び状

2009年12月30日 | エッセー

 保育園の裏手は砂が小高い丘をなしていて、幾段かがうねり海辺に通じていた。浜ぼうふが起伏を這うように生い茂っていた。その葉を鼻に付けて、二人で写真に収まった。幼いK君とわたしがあどけなく笑っている。はにかんでいるようにも見える。集団の生活が始まり、同い年と同級という存在をはじめて識った刹那だったかもしれない。
 蹲って砂を掴み、海風(ウミカゼ)に散らして手を叩いたそのすぐ後かもしれない。シャツを着ている。季節は初夏か。空は澄んで、時折の磯風が顔を薙ぐ。
 そんな追想を誘う。

  〽夏が過ぎ 風あざみ
   誰のあこがれにさまよう
   青空に残された 私の心は夏模様〽
      (井上陽水「少年時代」) 

 厳密な歌意を脇に置けば、この雰囲気にぴたりと象嵌される写真だ。 
 すでに半世紀を超える。その一葉の写し絵はたしかにわたしの元にあった。あったと過去形で語らざるを得ないのがなんとも口惜しい。この二か月の間、弊屋をひっくり返してみたがどこにもない。同日、同所で撮ったとみられるわたしだけが写った写真は出てきたが、捜し物は姿を見せない。このまえ目にしたのが四五年前だ。大邸宅でもあるまいに、逸失するはずはない。はすはないが、見つからない。消えたというより、隠れたというべきか。
 この秋、久闊を叙するうち、件の写真を話題にするとK君は知らないという。昔のこと、現像は一枚きりだったのだろう。複写を送る約束をしたものの、彼の期待に応えられない。無念だが、「捜索」は来年に持ち越しだ。この稿、K君への詫び状である。

「人々が同窓会へ出かけて、交錯した時間の糸をたぐり寄せあうのは、昔の自分に出会おうという無為の作業である」とは嵐山光三郎氏の言だ。短編集「同窓会奇談」(講談社文庫)のあとがきに記している。宜なるかな。分けても写真は有力なアイテムだ。ひょっとすると、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のタイムマシン「デロリアンDMC-12」にも匹敵する。「時間の糸」を一気に「たぐり寄せ」てくれる剛力だ。ただ、同年配の両親に出会うのは戻り過ぎ。「未来」に「帰る」算段が大変になる。

 K君は無類のクルマ好きである。マツダのロータリー車に初めて乗ったのは彼の運転だった。シートに押しつけられる加速感が懐かしい。同窓会には千キロを遙かに超える道程(ミチノリ)を難なく車を駆ってやって来る。颯爽としたものだ。夜の運転が次第に難儀になっているわたしには、なんとも羨ましい。保育園から高校まで一緒であった。その飄々たる人品はわが友人録に絶対の不可欠である。種種(クサグサ)の彼との想い出を抜いては、わが人生はアルバムにならない。

 「誰のあこがれにさまよう」と陽水は詠う。強引にも少年の日の自らを「あこがれ」てみるのも、人生の「夏が過ぎ」た心の「夏模様」かもしれない。振り返れば、男達にとって少年の日は、いつも夏だった …… 。

 次の同窓の集いにも、彼はきっとやってくる。「捜し物」が発見されて彼の元に届き …… 、勇んで故地へ。
 もしかしたら、かっ飛ばすのはDMC-12かもしれない。ガルウィングドアを跳ね上げてK君が降り立つその瞬間、浜ぼうふの葉が舞い上がり潮の香(カ)が漂い出たらどうしよう。「なんでオレを連れて行かなかった!」と叫ぶにちがいない。 □


この冬一番のプレゼント

2009年12月25日 | エッセー

 拙稿より。
〓〓2009年2月の出来事から
<政 治>
●天下りあっせん年内禁止
 麻生首相が衆院予算委員会で発言(3日)
 ―― 『官僚主権』『四権』についてはさんざん述べてきた。なかなか一筋縄では行かない。モグラ叩きでイタチごっこだ。霞ヶ関がヒエラルヒーである以上、定年制が十全に機能しない部分がある。「組織論」から再構築しないことにはドラスチックな解決は望めないだろう。〓〓
 「麻生首相」がなんとも懐かしい。だが趣旨はそれではなく、天下りである。ありがたいもので、その「組織論」を噛み砕いてくれる御仁がいた。以下、抄録。


 ―― いわゆる天下りについて、理事のご見解をお聞かせ下さい。
「天下りというのはつまり、高天原から八百万の神々が、この大八十島に降臨するという話だね」
「つまり、神様は人間とちがって死なんのだよ。天上の高天原が神様でいっぱいになってしまうから、なるたけ人間界に降りてもらう。わかるかね」
「日本の職場は終身雇用が原則だ。しかし一方では、年功序列による累進も一応の原則だ。この二つの原則は論理的に矛盾する」
「つまりこの二大原則をともに実行するためには、三角形と四角形が実は同じ形であるという、超幾何学が必要となる」
「ちなみに江戸時代の行政システムというのは、幕府でいうなら老中と若年寄というツートップ制で、そのツートップの下にズラッと横一列の行政機構が並んでいた。つまり四角形が二個だな。諸藩の制度もほぼ同様だった」
 ―― だとすると、老中と若年寄は大変ですね。
「いや。そこがうまくできていて、老中も若年寄も定数が五、六人、それらが複数で月番交替するから、さほど大変ではなかったらしい」
 ―― なあるほど。経営責任者の当番制ですか。考えましたね。
「しかも大勢の役人たちは原則として職務を世襲するから、この四角形は実に安定しておったのだ。しかし明治以降は行政機構も民間企業も、欧米流の三角形ピラミッド型の組織に改変された。制度としては可能であっても、慣習はどうする。日本人は世襲制と終身雇用制の常識に則って人生を考え続けてきたのだよ」
「三角形の組織論はナポレオン時代の軍制によって確立した。戦争という具体的な目的に向けて最も有効に機能する組織はこれしかない。産業革命以後の競争社会においては役所も会社も一種の戦闘能力が必要だから、命令が伝達しやすく、かつ各セクションが当面の事案に対応しやすい三角形の組織に改変された。しかし、こと日本に限らず、もともと軍制であるこの三角形を非軍事面に採用するには矛盾があった。役人や会社員は戦死しないのだ」
「三角形の組織が小さい場合、すなわち中小企業である場合は、よりよき雇用条件を求めて自発的に中途退職する者が大勢いる。組合の力も弱いから企業側が退職を勧奨することもできる。ちょっとしたミスにつけこんで、クビを切ることだってできる。つまり、機能しやすく人件費もかからぬ理想的二等辺三角形を、戦死に期待せず人為的に作り出すことが可能だ」
 ―― ごもっともです。やっぱり会社はデカいほどいいんですね。大企業ほど終身雇用率が高くなる。アレ? でも大きな三角形はその問題をどうやって解決するんでしょうか。
「最も有効な手段は、余剰人員を子会社に出向させることだな。年功序列で上が詰まれば、子会社に横滑りさせればいい。それで本社のピラミッドは維持される。人材が必要になれば呼び戻すこともできる」
 ―― 一種のファーム、ですか。
「まあ、子会社というのは必ずしも利益を出す必要がないからな。赤字なら赤字で、本社の税務対策に寄与する場合もある。人事問題の解決が主目的なら、ファームという言い方は正しい」
 ―― わかりました。役所にはそれができないんだ。
「その通り。しかもどんな大企業にもまさる人的規模を持ち、安定度から言っても待遇面からしても、全員が終身雇用を希望する職場が役所なのだ。きれいな三角形を作りたくても、人間が減ってくれない。戦死もせず、中途退職もなく、子会社に出すことできぬとなれば、下界に天下ってもらうほかはなかろう」
 ―― 下界も困ります。自分たちの人事で手一杯のところに、下から上がってくるばかりではなくて上から下がってこられたのでは。
「そうそう。むろんどこだって歓迎はするまい。だから、たとえばこのJAMS分室の天下り専用機関がなくてはならないのだ」


 実に解りやすい。浅田次郎著「ハッピー・リタイアメント」(幻冬舎、本年11月発刊)の一節である。文中の「JAMS」は政府系金融保証機関、「全国中小企業振興会」の謂。いかにもありそうだが、架空のものだ。さすが小説家、見てきたようなウソをつく。
 「四角形が二個」の「江戸時代の行政システム」は、世界史上稀にみるステディーな仕組みであった。ただし、すべての変革や進歩を禁忌とした超保守主義、つまり現状維持を至上価値とした徳川治世という特殊事情を抜きにしては成り立たない。したがって、上記後半のような次第となる。いや、実に解りやすい。
 だからこうしろ、とは作者は言わない。たしかにこの作品のキャッチコピーには ―― 「天下り」小説! ―― とあるが、政策提言書でもなければ、「白い巨塔」の向こうを張ったいわゆる社会派小説でもないからだ。この稿も天下りにイシューを絞っている訳ではない。ただとびきり軽妙かつ絶妙な「組織論」であるゆえに引いてみた。
 もうひとつのキャッチコピーには ―― どんな人にも幸福と不幸は等量である ―― とある。メインテーマは、禍福は糾える縄の如しということか。はたして、プロローグの末尾に ……


「どうなさったの? 大きな鞄を提げた人とすれちがったけど、またセールスマンね」
 あの男が何者であったのかはわからぬが、エールスマンにはちがいないと思った。
「買わされちまったよ」
「あら、何を?」
「小説」
 はたして高い買い物であったかどうか、それはこれからわたし自身が決めることであろう。
 わたしは母屋には入らず、茶庭の敷石を踏んで書斎にこもった。
 法外の支払いを取り戻すために。

 
 と、なんとも明け透けな(かつ、極めてセコい)執筆の経緯と動機が綴られている。作中に挟まれるいくつかの「高い買い物」劇にプロローグで語った筆者自身の体験も取り上げられているところなぞは、転んでもただでは起きないこの作家の面目躍如だ。しかもそれをネタにしちまおうというのだから、まさに禍福等量である。目論みは当たり、10万部を突破したらしい。「法外の支払いを取り戻」したにちがいない。他人事ながら、いやめでたい。
 新聞に載ったコメントには、「スピード感ある可笑しさと、様々な人生の中にある切なさが相まって、とても贅沢な心温まる一冊。この冬一番のプレゼントです。 ―― 小雪(女優)」とあった。とても素直な読み方だ。だがおじさんクラスになると、そうも言ってはいられない。
 この「クラス」とは加齢に伴う精神的屈折度をいう。決して社会的位階でも知的熟成度でもない。天下ろうにも、もともと地に這い蹲っているこの「クラス」は、もはや穴でも掘って地中深く潜るほか安息の地はない。かといって地底に届くほどの掘削力はない。要するに、「極める」膂力はない。したがって、浅い地層を土竜のごとくに徘徊する仕儀となる。息苦しくてたまに頭を出すとひっぱたかれる。そのようなおじさん「クラス」のことである。だから当然のごとく、斜に構える。粗を探す。カワユイ筈はなく、ましてや素直であろう筈がない。

 たしかに「スピード感ある可笑しさ」はある。しかしこの作家はいつもそうだ。目新しいことではない。「様々な人生の中にある切なさ」は描かれるが、いままでにさんざ出てきたパターンだ。主役の一人はお得意の「元自衛官」であるし、登場人物はなべて新味に欠ける。「天切り松 闇がたり」や「きんぴか」のようなインパクトがない。はっきり言おう。この作品、造りがイージーなのだ。竜骨ともいうべき「極秘ミッション」も肉付けが足りない。コクを肉体が欲しなくなった分、精神がほしがるようになってきたおじさんクラスには、なんとも薄味なのだ。
 なによりも、「壬生義士伝」で味わった『してやられた感』がない。読む者をしてしばし唸らせるストーリーテラーの冴えがない。なんのことはない、おじさんテーマの小説だからそうだ、と言えば身も蓋もない。しかし、だからこそおじさんクラスには展開が見えてしまうのだ。
 そう、「贅沢な心温まる一冊」ではある。カタは凝らぬが、カタルシスはない。暖まりはするが、熱しはしない。冷え切っちまったおじさんクラスには、跳び上がるほどの熱い湯がいいのだ。ひぃーと呻きながら、首まで浸かりたいのである。
 「天下り」を意味する英単語はない。だからタイトルを「天下り」ととれば、筆者の造語であろう。言い得て妙。一句万了。長い物語のすべてを担う言葉だ。上げたり下げたりで節操がないが、この辺りは希代のセンスだ。なぜ「ハッピー」なのか。大団円で明かされる。読んでのお楽しみ …… 。

 とこう読み漁るに、やはりこの作家は短編がいい。そこにこそ真面目があるようだ。「この冬一番のプレゼント」と小雪クンは言うが、誰への贈り物か。いま、そしていまからリタイアメントを迎えるおじさんクラスへのそれに違いない。断じて、そうだ。だからこそ、もっと『してやられた』かったし、数え日に熱い湯のひとつでも浴びたかったのだ。
 文中にもあるが、悲しいことに作家にリタイアメントはない。それはウソをつきまくってきた報いだ。致し方ない。浅田御大、次作を待ちますぞ。 □

 


聞き捨てなりません!

2009年12月16日 | エッセー

 これは聞き捨てなりません! 以下、朝日新聞から引用してみます。
〓〓特例会見 小沢氏、政治利用を否定 宮内庁長官を批判  
 来日した中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席が、従来の慣例を破る形で15日に天皇陛下と会見することについて、民主党の小沢一郎幹事長は14日の記者会見で「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念だ」と強調。会見実現を求めた鳩山由紀夫首相の対応を、天皇の政治利用だとする批判はあたらないとの認識を示した。
 天皇と外国要人の会見は、1カ月前までに宮内庁に申し込むのが慣例だ。小沢氏は、天皇の体調と公平性に配慮するためとされるこの慣例を「宮内庁の役人がつくったから金科玉条で絶対だなんて、馬鹿な話があるか」と批判。「陛下の体調が優れないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」と述べた。
 宮内庁の羽毛田信吾長官がこの間の経緯を報道各社に説明したことについても、「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうだこうだ言うのは憲法の理念、民主主義を理解していない。反対なら辞表を提出した後に言うべきだ」と批判した。 また、政府に対して「私が副主席と陛下をお会いさせるべきだとか、させるべきでないとか言った事実はありません」と否定。
 さらに「陛下ご自身に聞いてみたら、『手違いで遅れたかもしれないけど会いましょう』と必ずおっしゃると思う」と発言。憲法解釈だけでなく、自身が推測する天皇の考えも交えて首相の判断を正当化する主張を展開した。〓〓(12月14日)
 ついに仮面の下の素顔を見せたといいますか、衣の袖から鎧が覗いたとでもいいましょうか、化けの皮がつるりとひっぱげたのでしょうか。殿、ご乱心です。これは。本性丸出し、特出し(失礼! つい卑猥)。おかげで、この方のなんたるかが透けるようによく見えました。この際です。今度ばかりは、しっかり揚げ足を取って転がしてやろうと踏ん張ってみます。

 まず、第1ラウンド。「天皇陛下の行為は内閣の助言と承認で行われるのが日本国憲法の理念だ」について ―― 。
 そのままとれば、雪隠や閨(ネヤ)のお営みまで内閣の助言と承認が必要なのでしょうか? 大上段に憲法を持ち出されるのなら、正確にお願いしたいものですね。行為、つまり私的な行為ではなく、「国事行為」です。日本国憲法には次のようにあります。
 憲法第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一   憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。

 会見で幹事長は記者を睨み、「君は憲法を読んだことがあるか!」と声を荒げていましたが、幹事長こそよく読んでほしいですよね。共産党の志位委員長も突いてました。決して恣意的(ダ洒落、失礼)ではないでしょうけど、どこにも「外国要人」との会見との文言はありません。近いといえば第九号でしょうが、大使、公使とあるだけで「準ずる」とも「その他」ともありません。もしあれば、今度は基準がややこしくなります。何を「国事行為」というのか。その定めには「外国要人との会見」はないのです。「国事行為」であれば、内閣の助言と承認が必要です。もっといえば、内閣の意志に拘束されます。だって、「きょうは青空。空気もいい。ひとつ衆議院でも解散するか」なんておっしゃったら大変でしょ。
 ですから、「外国要人との会見」は国事行為ではないのです。ということは、「内閣の助言と承認」は要らないということになります。なのに内閣の言うとおりに陛下を動かそうとするのは、陛下の私的行為に介入することにはなりませんか。幹事長の持ち出す「日本国憲法の理念」とは、帝国憲法とは違い天皇も内閣のコントロールの下にあると言いたいのでしょう。だから内閣の意に添うように行動していただいて何が悪いと。でも何度もいいますが、「外国要人との会見」に「内閣の助言と承認」は不要です。不要なものを強いればそれは、おせっかい、おねだり、もしくは強制になるのではないでしょうか。劇場のオーナーが公演に来た大物歌手に知人との会食をセットしたとしたらどうでしょう。こっちにも予定はあるし、第一そんなことは公演の演目でもないし契約にもない。でも断れないでしょ。これはものの譬え。でも、そんなとこなんです。はい。
 要するに、「天皇の政治利用だとする批判はあたらない」って言いますが、「利用」もいいとこ、れっきとした政治利用、「政権」利用です。

 第2ラウンド。「宮内庁の役人がつくったから金科玉条で絶対だなんて、馬鹿な話があるか」「陛下の体調が優れないなら、優位性の低い行事はお休みになればいい」について ―― 。
 「1カ月ルール」を槍玉に挙げています。怪気炎です。久しぶりにぶっ飛ばしてます。まさか「オレが法律だ」なんて言うんじゃーないでしょうね。わずか数日遅くなったくらいで堅いこと言うなよ、が鳩山首相の言い分ですが、こちらの方がうんと穏やかですよね。
 「1カ月ルール」は確かに内規、あるいは紳士協定であって法律ではありません。法律にするほどではない、常識と良識でこの辺りで線を引きましょう、というのがルールというものでしょう。それを「馬鹿な話」だと蹴散らすのは、常識と良識を置き忘れた野蛮人の物言いではありませんか。じゃあ、法律にないことならなにをやってもいいのですか。むしろ、法律にないからこそルールを決めているのではないですか。子どもが言うような理屈ですね。それどころか、子どもに言えないような理屈です。
 体調や優位性についての言及は実に乱暴ですね。宮内庁なんて要らないと言っているみたいですね。何様なんでしょうね、この方は。剥き出しの権柄尽(ケンペイズ゛ク)ですね。

 第3ラウンド。「陛下ご自身に聞いてみたら、『手違いで遅れたかもしれないけど会いましょう』と必ずおっしゃると思う」について ―― 。
 幹事長は天皇家のご親戚ですか、それともお身内でしょうか。「必ずおっしゃる」とは、『必ずおっしゃっていただく』とも聞こえますが、どうでしょうか。それとも、遥かなる声を聞き分ける超能力をおもちなのでしょうか。なんだか怖くて身震いがします。
 怖気(オゾケ)のあまり、連想は飛びます。
  …… 明治憲法には「統帥権」が定められていました。軍隊の最高指揮権です。国務から独立し、つまり行政府の介入を受けず天皇にのみあるとされました。「統帥権の独立」です。天皇を補弼(=補佐)する立場にあった軍部がこれを振りかざして独走しました。天皇の威を借りてすべてを黙らせてしまったのです。そしてついには国を滅ぼしました。
 なんだか、重なってきませんか。単なる杞憂でしょうか。気の迷いでしょうか。なら、いいのですが。敗戦から64年。まだたった64年しか経っていません。忘れるには早すぎる過去です。
 参考までに、司馬遼太郎を引きます。
〓〓陸軍参謀本部というのは、はじめはおとなしかった。明治四十年代に、統帥権を発見した。天皇は軍隊を統率するという憲法と、わが国の軍隊は云々、という勅諭とを根拠にして統帥権ができる。つまり、三権分立を四権にしてしまう。それだけではなく、他の三権を超越する。それは軍縮騒ぎの時に出てくる。参謀本部は陸軍省ではないわけです。省の軍人は行政官ですからね。参謀本部は全部天皇の幕僚なんです。少佐参謀も中佐参謀も幕僚(スタッフ)ということでは同格。宮中の女官と同じなんです。だから、言葉が女官みたいに「お上」ですね。ふつうわれわれ民草は「天皇陛下」とかいわされているのに、彼らは「お上」という。しゃれたこんな女官しか絶対使わない言葉づかいをする。そうすると天皇は無にして空だから、幕僚そのものに権力があるということになってしまって、たとえば辻政信が全部かき回すことになっていくわけでしょう。「師団長が何を言うか」と言われれば、師団長も黙ってしまう。〓〓(「日本文明のかたち」司馬遼太郎対話選集から)  
 天皇を「お上」と言う感覚、「必ずおっしゃると思う」という意識。踵を接していませんか。珠を掌中に収めるとでもいうような …… 。

 第4ラウンド。「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうだこうだ言うのは憲法の理念、民主主義を理解していない。反対なら辞表を提出した後に言うべきだ」について ―― 。
 確かに宮内庁は内閣府の外局です。官僚組織の一部です。この発言は、脱官僚路線を揚言なさっているのでしょうか。それにしても、問答無用ですね。言論封殺です。辞めてから言えでは、力に任せたチンピラの言い掛かりですね。言論の自由は憲法で保障されていますし、討議を尽くすことこそ一般的意味での民主主義ではないでしょうか。敢えて言えば、官僚は国民の公僕です。内閣に属するとはいえ、公の理に悖ると確信すれば物申して何が悪いのでしょうか。むしろ公僕たるに相応しい勇気ある行いではないでしょうか。公僕である以上、内閣の小間使いでも、ましてや一政党の僕(シモベ)でもないはずです。前掲記事の末尾。〓〓小沢氏の会見を受け、羽毛田長官は記者団に「憲法のひとつの精神として、陛下は政治的に中立でなくてはならない。そのことに心を砕くのも私の役回りだ」と、「1カ月ルール」での対応の重要性を指摘。「懸念を言い続けるのが私の役回り」とも述べ、「辞めるつもりはありません」と辞任を否定した。〓〓
 立派な覚悟です。これぞ官僚の鑑です。側にいれば、ぎゅーとハグでもしてさしあげたいところです。

 第4ラウンド。(政府に対して)「私が副主席と陛下をお会いさせるべきだとか、させるべきでないとか言った事実はありません」について ―― 。
 12日の朝日に次の記事が出ていました。
〓〓天皇会見実現へ「努力する」 小沢氏、中国大使に  
 民主党の小沢一郎幹事長が崔天凱(ツォイ・ティエンカイ)中国大使と9日に国会内で会談した際、来日する習近平(シー・チンピン)国家副主席と天皇陛下の会見実現に協力を求めた崔氏に対し、「趣旨はよくわかりました。努力します」と答えていたことがわかった。党関係者が明らかにした。
 民主党は中国政府の要請を受け、山岡賢次国会対策委員長が鳩山由紀夫首相や宮内庁などに会見実現を働きかけていたが、難航していたため小沢氏と崔氏の会談がセットされたという。ただ、首相は11日、「小沢幹事長から話があったわけではない」と記者団に語っている。〓〓
 幹事長がこの記事にクレームをつけたという報道はありません。さらに15日の記事。
〓〓天皇陛下会見、岡田外相「ルール上、実現困難と認識」  
 天皇陛下と中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席の会見について、岡田克也外相は15日の記者会見で、1カ月前までに日程を連絡するとの「1カ月ルール」が守られなかったことから「(実現は)難しい話と認識していた」と述べた。外務省は11月30日に中国側に会見できないと伝えている。
 外務省が14日の自民党外交部会で説明したところによると、中国側から訪日日程の正式な通告があったのは祝日の11月23日。外務省は翌24日に宮内庁に会見の検討を要請したが、26日に宮内庁からルール上、実現できないとの回答があった。外務省は首相官邸とも調整したうえで、中国側に見送りを伝えたという。
 ただ、岡田氏は会見で、その時点で鳩山由紀夫首相や平野博文官房長官が見送りを了承していたかどうかは明らかにしなかった。〓〓
 どうも前後の脈絡からして、幹事長のお骨折りがあったように窺えるのですが、いかがでしょう。ま、老獪な政治家ゆえ、これぐらいなことはおやりになるでしょうね。逆に、外相の正直さが涙が出るほど目に浸(シ)みます。

 揚げ足取りは以上です。いかがでしょう。脆くも、虻蜂取らずになってしまったでしょうか。案じています。
 なんだか最近、この方、お師匠さんにそっくりになってきました。お師匠さんとは、かつて「闇将軍」といわれたあの人です。政権の中枢に身を置かずして実権を握り、意のままに動かす。正真正銘、正に正統な血脈を受け継がれたお弟子こそ、この方ではないでしょうか。結びに、93年に「新生党」が結成された時、立花隆氏が朝日に寄稿した一文を抄録しておきます。
〓〓羽田新党とは何か。あなた方は、要するに経世会の分裂した片割れではないか。経世会とは何か。要するに旧田中派ではないか。田中派とは何か。五億円収賄犯・田中角栄をかついで、日本の政治を十年余りにわたって目茶苦茶にしてきた徒党ではないか。党外の刑事被告人を領袖とあおぎ、天才政治家とあがめ、田中が右といえば右、左といえば左に動いて、日本の総理大臣の首を次々にすげかえ、数の力であらゆる道理を踏みにじってきた、政治腐敗の元凶のような集団ではないか。あなた方はその中核だったではないか。あなた方のつくったそうした政治構造が、リクルート事件を生み、佐川事件を生み、金丸事件を生んだのではなかったか。政治改革という錦の御旗を振り回していれば、そういう恥ずべき過去をみんな忘れてくれるとでも思っているのだろうか。いま必要なのは、政治改革よりあなた方の人間性改革だろう。その第一歩は、日本の政治を破壊し腐敗させてきたのは自分たちであると正直に認め、懺悔し、反省することである。自分たちの過去にけじめもつけずに、何が新生だ。ちゃんちゃらおかしい。〓〓 □


2009年11月の出来事から

2009年12月08日 | エッセー

<政 治>
●普天間県内移設反対の県民大会
 沖縄県選出の与党議員らが計画し、約2万人が参加(8日)
 ―― やっと辿り着いた政権ゆえに、勢い余っての勇み足か。早い話が、寝た子を起こしてしまったようだ。この上は、虎の尾を踏まぬが肝心だ。 
 それにしても、事の進め方が余りにも稚拙で拙速だ。今の条件下ではどう転んでも弥縫策でしかない。合意は粛々として進める外あるまい。別途、先ずは腰を落ち着けて、国内、対米ともにグランドデザインを論議してはどうか。4年も猶予はある。首相の持論である「駐留なき安保」を俎上に載せるのもいい。コンダクターを気取っていないで、自分で演奏することだ。ただ、楽器が法螺貝では困るが。

●事業仕分け始まる
 9日間で来年度予算要求から約1兆6千億円を「仕分け」(11日)
 ―― 11月12日付本ブログ「金さんはすっこんでろい!」で取り上げた。 
 付け加えると、仕分け人たちが付けていたイヤホンは一体何だろう。会場まで仕分けしたのか、ワンフロアーをグループの数に区分けしたものだから声が交じる。その対策らしい。まるで国際会議と見紛うばかりの演出だ。中身も設(シツラ)えもパフォーマンス満載であった。大山鳴動鼠一匹。95兆円の2%にも届かない。騒ぎの割に実入りが少ない。まことに少ない。レンホウおばさんのヒステリックな金切り声と、エダノ君の舌足らずで思慮足らずな間抜け声ばかりが残った茶番であった。

●オバマ米大統領初来日
 鳩山首相と首脳会談、普天間移設で合意履行求める(13日)
 ―― ノーベル平和賞はすぐだ。しかしSTART2は儘ならない。つなぎの条約もできず仕舞い。START1が切れた今月5日から、核超大国の間で綱渡りの空白が続いている。
 ならば、だからこそ、大統領はこの時機を逃さず広島を訪れるべきだった。電撃訪問である。米国の世論は煮え滾(タギ)るだろうが、それぐらいの大見得は切ってほしかった。自国の国是を振り切ってでも、核廃絶に嘘はない。言わば、オバマにとってヒロシマは踏み絵だった。好機を逸したのではと、悔やまれる。

<経 済>
●政府がデフレ宣言
 月例経済報告で06年6月以来3年5カ月ぶりに認定(20日)
 ―― 牛丼チェーンで値下げ競争が始まった。01年デフレ宣言の時も、同じ動きがあった。デフレと牛丼とはなんらかの相関関係にあるのか。興味深いテーマだ。一ついえるのは、ファーストフードは生来、安売りが武器だ。いざ勝負で、伝家の宝刀を抜かぬ手はないだろう。牛歩どころか、こちらの反応は速い。
 ものの値が下がることは一見好ましいが、実は怖い。体温が下がるのと同様に、経済活動がシュリンクしている表れである。微熱程度のインフレが最適だという学者が多い。シュリンクの果てには凍死、壊死が俟つ。表面的な原因は過当な価格競争、値下げ競争である。深層には売れない現実、つまりは経済の不活性化がある。
 経国済民、経済の舵取りは至難ではあるが、国の基だ。カン君、藤井の爺さん、大丈夫かい。この御時世に能天気にもデフレ宣言をする事自体、政治的センスが疑わしいのだが。

<国 際>
●米陸軍基地で銃乱射
 イスラム教徒の軍医が13人殺害(5日)
 ―― 戦争は悪だ。人間を殺人鬼に変えてしまう。心を引き裂いてしまう。だから絶対の悪だ。
 いま米兵に厭戦が拡がっているらしい。精神を病む兵士が増えているそうだ。痛ましい事件だ。撃ったのは彼だが、撃たせたのは彼ではない。

●初代EU「大統領」選出
 首脳会議常任議長にファンロンパイ氏(ベルギー前首相)(19日)
 ―― つまり大統領である。27ヶ国、4億9千万人の代表である。名誉職ではない。これからだが、権限もやがて備わってくる。一時はブレア英国前首相の名が取り沙汰されたが、ユーロ未加入もあり結局は選に漏れた。ベルギーはEEC六ヶ国時代からの老舗である。穏当な人選であろう。併せてEU外相も誕生した。大きな一歩にちがいない。
 EUは人類の歴史的挑戦である。いまエリアは古代ローマ帝国の版図に五するのではないか。国家を超える国家。山また山の連続だが、カントが夢に描いた世界連邦を考えれば、胸が弾む。

<社 会>
●リンゼイさん事件で市橋達也容疑者逮捕
 2年半の逃避行後、大阪市内で発見(18日) 
 ―― 根が世故いからか、賞金一千万の行方が気がかりだ。やはり名古屋の美容整形外科医からの情報で一気に事態が展開したのだから、件の医者であろうか。何にしても2年半、よくぞ逃げたものだ。さらに海外への逃亡も企てていたらしい。ひょっとしたら、女にでも化けるつもりではなかったか。そうなると、行く先はモロッコか。これも、下衆の勘ぐりだが。 

●奈良・纒向(マキムク)遺跡で3世紀最大の建築跡
 邪馬台国の所在地、畿内説に弾み(10日)
 ―― 弾みにはなっても、具体的な物、つまり決定打に欠けるらしい。
 中国史では魏の時代である。それから遙か500年近く前、秦の始皇帝陵が築造された。発見された兵馬俑は偉容をそのままに残す。片や日本、「魏志倭人伝」当時の国の所在さえいまだに謎だ。文明の厚みの違いに、今更ながらたじろぐ。しかし、謎もまたよし。謎もロマンだ。

●亀田興毅が新王者
 WBCフライ級タイトル戦で、王者内藤大助に判定勝ち(29日)
 ―― 攻守逆転の試合だった。内藤は血気に逸り、亀田は冷静だった。内藤は文字通り出鼻を挫かれた。亀田は別人のように成長していた。一敗地に塗れ、臥薪嘗胆し、そして捲土重来を果たし、王座を奪い取った。見事だった。 
 「士別れて三日なれば刮目して相待すべし」若者は伸びる。極めて平明な理屈に膝を打った。

<哀 悼>
●森繁久弥さん(俳優。舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」や映画、テレビなどで活躍。戦後芸能界の最前線に立ち続けた)96歳(10日)
 ―― まったくの偶然であるが、訃報を聞く1週間前、妙に「知床旅情」が聴きたくなってCDを買った。森繁版ではなく、おトキさんで聴いた。
 この曲を聴くと、学生時代に通った馴染みの喫茶店が目に浮かぶ。入って出るまでの小1時間のうちに、ジュークボックスに必ず1回や2回はこの曲が掛かった。もちろんおトキさん版である。後に森繁版がオリジナルであることを知り、才能に舌を巻いた。滋味のある歌い方はもちろんだが、特に2番の歌詞だ。

  〽旅の情けか 酔うほどに さまよい
   浜に出てみれば 月は照る波の上
   今宵こそ君を 抱きしめんと
   岩影に寄れば ピリカが笑う〽

 この色香には参った。並な叙情でも、ご当地ソングでもない。この辺りに氏のエスプリがあったにちがいない。なお「ピリカが笑う」には諸説あるが、海鳥が上空から冷やかしているというのが一番しっくりくるのではないか。
 追憶談で黒柳徹子女史が語っていた。「お会いするたびに、今度、一回どう?っておっしゃるんですよ」この破天荒が長寿の秘訣でもあったのだろう。しかし80を越えたころであったか、「長生きのコツは男女の交わりを断つことです」と宣(ノタモ)うたらしい。機知も溢れるほどあった。こうやって人を喰っては生き抜いたのであろうか。とびきりの喰えぬ爺さまがひとり、鬼籍に入った。本物が、また消えた。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げた。すでに触れた話題、興味のないものは省いた。見出しとまとめはそのまま引用。 ―― 以下は欠片 筆)□


疾風が如く

2009年12月05日 | エッセー

 スターに、「それから」は要らない。常(トコ)しなえに天上の星であり続けるか、絶頂に夭折するか、さもなくば世人の視界から影も残さず掻き消えるしかない。復活と称して「それから」を売るような輩はスターダストでしかない。(本年2月4日付本ブログ「ひと冬の経験」から)

 スターとは恒星の謂(イイ)である。恒星とは天球にあって恒(ツネ)なる位置を占め、自ら光を発する星だ。早世は赦されず、遁世も叶わぬとなれば、「常しなえに天上の星であり続ける」よりほかはない。
 この難渋を極める道行に、自らが疾風(ハヤテ)となって挑んだ漢(オトコ)がいた。烈しい風は砂塵を巻き上げ、草木(クサキ)を薙ぎ、迅雷を招ぎ、熄(ヤ)むことはない。「それから」に永訣した以上、道行の果てに何が俟とうと征くばかりだ。已に風神と化したかぎりは …… 。

  ―― 吉田拓郎 疾風伝 ――

 胸がすく一書だ。先月末、徳間書店が世に放った。著者は石田伸也。フリーライター、48歳。後発の「拓郎世代」か。渾身の作だ。この本は掌(タナゴコロ)に載る重みだが、読了の後(ノチ)は肩に食い込んで背負(ショ)いきれない。何度も溜息がでる。もちろん歎息ではない。感歎のそれだ。

 帯広告はこう謳う。

   「中津川」から「09年ツアー」まで
   駆け抜けた40年! 

   彼の歌声には若者の血を   たぎらすアルコールが混じっている  
      
武田鉄矢

   あいつの歌で人生が変わったヤツが大勢いるんだよ  
   泉谷しげる

   南沙織・坂崎幸之助・太田裕美・岡本おさみ・森進一 …… 40人の真証言

 経年を辿るのではなく、漢が越えてきた切所を準りつつその生きざまを鷲掴みにする。                                             
 「中津川」は「人間なんて」をシンボライズしている。1曲、2時間の熱唱はもはや歌唱ではなく、後に死語となる「青春」が末期に上げた咆哮であった。71年、盛夏。漢は紛れもなく下克上を果たし主役の座に就いた。
 「09年ツアー」は「ガンバラナイけどいいでしょう」が主題だ。病苦を超え、人生の秋に歩み込んだ漢が、最後の「旅」に出た。途次にまたしても襲った病魔。曲名は因果にも現実を言い当てた。09年、初夏。世代の旗手が投げかけたメッセージは言霊となって時代を隈取る。
 上掲書でも採り上げている「マークⅡ」の一節。
  〽年老いた男が 
    川面を見つめて
        時の流れを知る日が 
    来るだろうか〽
  40年前のラヴソングに象嵌された歌意が、今くっきりと像を結ぶ。その凄みに戦く。
 「中津川」から「09年ツアー」まで ―― とは、つまり漢が生きた青年から壮年に至る畢生の劇である。脇役40名。その広く深い人脈に驚く。それぞれの劇中劇に心躍り、目を見張る。別けても、山田パンダ、喜多條忠、由紀さおり、矢沢永吉、飯田久彦との絡みは圧巻だ。決して楽屋落ちの類ではない。本筋を眩しく照らす劇中劇だ。

 漢は「時代」になりつつある。マッカーサーが戦後収拾を、池田勇人が高度成長を担い、表徴するように、「吉田拓郎」は日本史上に突如現れた「団塊の世代」という「時代」を率い、体現する。それは贔屓筋であると否とに関わらない。なぜなら、人は時代の外では生きられないからだ。美空ひばりが歌謡の牆(カキ)を跨いで社会の歩みと重なり、昭和という「時代」であったように。

 血の滾る「アルコールが混じっている」との武田鉄矢の評にも唸るが、かつて友人が語った「拓郎を聴くと元気が出る」の隻語、これも出色だ。
 暮れ泥(ナズ)む道すがら、漢は「歩こうね」と同輩に肩を貸し、「ガンバラナイけどいいでしょう」とわが身に事寄せて儕(トモガラ)を労る。風神が送りつづけるのは、依然変わらぬ元気の風だ。 □