伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

クロちゃん騒動

2018年12月29日 | エッセー

 今年6月、小稿『刻下、究極のテレビ番組』で“水曜日のダウンタウン”を取り上げた以上、今月26日の「クロちゃん騒動」に触れないわけにはいくまい。
 拙稿ではこう記した。
 〈情報バラエティー番組とやらの「コンテンツの絶望的な劣化」は凄まじい。何度も引用してきたが、タモリの名言『お前ら、白面でテレビなんか見るな!!』そのもののありさま。病膏肓に入る、である。当番組は「劣化」の成れの果て、つまりはその究極形を先取りするものだ。もとより職業に貴賤はない。ただし、その立ち位置はある。生業(ナリワイ)に徹するなら外してはならぬポジショニングがあるはずだ。常識を持ち合わせない専門バカと半可通な知識を振り回す芸人風情、もしくは芸人崩れ。こんな連中にリードされる世論はどこへ向かうのか。〉
 結びに「因みに、稿者は当番組の結構なファンでありつづけている。」とも付け加えた。だからクロちゃんは一部始終を見ている。NHKはニュースで報じた。日刊スポーツは以下の通り。
 〈水ダウ「クロちゃん騒動」をTBS&としまえん謝罪
 TBSは27日、同局系バラエティー番組「水曜日のダウンタウン」の企画中止をめぐる騒動について、番組公式サイトで謝罪した。
「12月26日放送の『水曜日のダウンタウンSP』において、放送終了後に都内の遊園地でイベントを行いましたが、放送とツイッターで来場を呼びかけたため、予想を超える多くの方々が集まり混乱を招きました。そのため、イベントを急きょ中止致しました」と経緯を説明。「ご迷惑をおかけした近隣住民の皆様、関係者の皆様、イベントを楽しみにされていた皆様に深くおわび申し上げます」と謝罪した。同番組は、お笑いトリオ安田大サーカスのクロちゃん(42)を遊園地内に設置したおりに入れて一般公開するという罰企画を実施していた。〉(27日ネット版、抄録)
 二股どころか三股四股掛けた挙句フラれたクロちゃんの腹黒い素行に対して罰を加える。檻への収監時間は視聴者の投票により決めるというもので、24時間と決した。晒し者である。“面会者”は数百円でバナナなどの“餌”を買って差し入れができるというサービスまで用意された。その騒動である。
 収監に賛成票を投じたにちがいない“面会者”たちは、意外にも「頑張って!」と声をかけていた。企画のイベント性を見切っているようだ。SNSを使ったお遊び感覚の見世物、バカ騒ぎといったところか。いにしえの見世物小屋。仕掛けは分かっていても、ろくろっ首に大騒ぎ。現代版の珍獣・妖怪見物か。
 かつて芸人は文字通り芸を売った。やがて漫才ブームを経て性格・人格・持ち味のキャラで売るようになった。某興行元の大量生産・大量消費の戦略のもと、キャラでは飽き足らず本性を晒すことと引き換えにお笑いを受け取るタクティクスが横行し始めている。いわば芸人のモルモット化である。その典型がクロちゃんではないか。キャラではまだ作為性が残る。そこを突き抜けて丸裸にしようという算段だ。まさに当番組を「究極形」と呼んだ所以である。
 なんにせよ、如上の企画にクロちゃんは打って付けである。本人も心得たもので、悪気も悲壮感もない。あっけらかんとしている。それどころか、知名度が上がって喜んでいる。なんとも腹黒い。手玉に取られているのはどっちか。振った女の子か、騒いだギャラリーか、はたまたTBSか。
 クロちゃんや番組を攻撃するのは容易い。しかし情報番組で大手を振る「半可通な知識を振り回す芸人風情、もしくは芸人崩れ」よりはよっぽど真っ当だ。なんせ、てめーの本性を惜しげもなく供し、モルモットに甘んじ、顰蹙と共感をともに受けつつひたすら売れようとする。なんと健気な。むしろ、芸能ジャーナリストと呼ばれる芸能界のゴシップを飯の種にする高慢ちきなパラサイトたちこそ恥を知るべきだ。
 欲を言えば、檻の設置場所はTBSと同じ港区内の南青山が相応しかったのではないか。児相に反対する自称セレブたちは腰を抜かし、血相を変え、徒党を組んで檻を襲撃するにちがいない。きっと、「この一等地をダウンタウンにする気か!」と奇声を発しながら。
 ならば応えよう。「水曜日のダウンタウンだ」と。 □


四ばか大将

2018年12月22日 | エッセー

 本年3月の小稿を再掲したい。(『三ばか大将』から抄録)

 《 アメリカの大将は2月アタマに「核戦略の見直し」(NPR)をぶちかました。核抑止力を確保するため、局地攻撃を想定した小型核弾頭の開発を進め、核兵器の使用状況を広げるとする。つまり核抑止どころか、『使える核兵器』をめざすという。
    3月アタマ、今度はロシアの大将が対抗策をぶっ飛ばした。NPRは「現実に核兵器使用のハードルを低くしている」として、ロシアは探知困難なICBMや無制限の射程距離に核弾頭を運べる巡航ミサイルを開発したとぶち上げた。それは将来のあらゆる迎撃システムを搔い潜る能力を持つという。こちらは『無敵の核兵器』だと咆えた。
    『韓非子』に「矛盾」という話がある。昔々あるところで、武器商人が「あらゆる盾を貫く矛」と「あらゆる矛を跳ね返す盾」を並べて売っていた。 
   内田 樹氏は武器の進化は両者が「併存することではじめて可能になる」と語る(祥伝社『変調《日本の古典》講義』)。もしどちらかが単独で存在したら、それが「最終兵器」となり「それでもう終わり」だという。進歩はそこで止まってしまう。
〈だからこそ、「あらゆる盾を貫く矛」の横にはつねに「あらゆる矛を跳ね返す盾」が置かれていなければならない。矛盾があるから、イノベーションがあり、歴史があり、文明の進化がある。六〇年代米ソの核競争というのは、「完璧な先制核攻撃システム」という「矛」と「完璧な迎撃システム」という「盾」の間で展開したわけですよね。でも、その時に学んだこともある。それは、戦争テクノロジーはどれほど進化しても、「最終兵器」を作り出すことはできないということと、「最終兵器」は存在すべきではないということです。僕は韓非の教えもそういうことだと思うんです。〉
   早い話が、こちらのイノベーションは壮大な無駄に終わるということだ。しかし2人の大将は50年も矛盾を繰り返した挙句にも、まだ料簡ができない。作り出せない「最終兵器」という見果てぬ悪夢に未だ呪われている。そしてもう1人、NKの大将がいる。NKは「世界最強の核強国として飛躍する」と、昨年末雄叫びを上げた。3、4周遅れで“楯”突くつもりなのか。
 「矛盾」とは「最終兵器」の不可能を教示する中国古典の智慧である。夢寐にも忘れてはならぬ人類の叡智だ。 》

 先日、またしても次のような報道があった。
 〈プーチン氏、対抗措置表明 自国防衛と強調 米INF条約破棄
 ロシアのプーチン大統領は20日、年末恒例の大規模記者会見に臨んだ。米国のトランプ大統領が10月に表明した中距離核戦力(INF)全廃条約の破棄に対抗措置をとることを表明。「抑止と(米ロの戦力の)バランスをとるためだ」と話して軍拡競争も辞さない姿勢を示す一方で、目的はあくまでも自国防衛のためだと強調した。〉(12月21日付朝日から)
 あっちが約束を破って矛を作りはじめたとアメリカの大将は言う。だからこっちだって。でも、こちらのは「あくまでも自国防衛のため」の盾だと。で、今度は本邦の大将だ。
 〈防衛費最高、5年27兆円 「空母」導入明記 大綱・中期防決定
 安倍内閣は専守防衛を逸脱するとの批判がある事実上の「空母」の導入に踏み切った。中期防では2019~23年度にわたって調達する防衛装備品などの総額は27兆4700億円程度と明記。過去最高水準になった。トランプ政権の「バイ・アメリカン」の圧力も強く、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入。さらに米国製の戦闘機F35を現在取得中の42機からさらに105機を追加購入。追加の総額は少なくとも約1兆2千億円に上る見通しだ。〉(12月19付朝日から抄録)
 これで四ばかの揃い踏みだ。対米経済交渉でのお目こぼしを期待して、武器購入で辻褄を合わせようとの算段にちがいない。中国の大将も意気軒昂だから、「盾」の理屈と膏薬はどこへでもつく。(中国の大将も入れれば五ばか大将になるが、今回は三ばか+そのポチに絞る)
 如上のような言い分にはいつも「平和ボケ」なるストックフレーズが返ってくる。くだくだ言うのも面倒なので、「一言以て之を蔽う」箴言を提示したい。
 〈「戦う」ということが日常的にありうる段階だと、「戦う=勝つ」に対して冷静な目が向けられます。一方、「戦う」ということが日常から遠ざかってしまうと、人は「なにか」をへんな風に刺激されて、要もない戦いに「勝ってやる」などと考えてしまうのかもしれません。どこかの国の総理大臣が「積極的平和主義」なんていうことを言い出しましたが、これが現実認識を欠いた「蛮勇」でないことを祈りましょう。〉(『負けない力』から)
 橋本 治氏の肺腑を抉ることばである。氏はいつもことの本質を鷲掴みにする。命が懸かった戦さに直面していれば自他の現実を冷徹に見極めざるを得ない。この定理から逸脱すると帝国軍隊の二の舞を演じることになる。現実認識に緩みや甘さが入りこむのは「なにか」、例えば夜郎自大が鎌首をもたげることかもしれない。「冷静な目」は戦さを負う中にこそある。だから、「平和ボケ」とは好戦的構えのことだ。「蛮勇」こそ「平和ボケ」の帰結である。
 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』は昨年1月に紹介した。その続編『ホモ・ゼウス』が今秋また話題を呼んでいる。同書でハラリは、20世紀後半人類は戦争が当たり前の「ジャングルの法則」から抜け出たという。古代の農耕社会では死因の15パーセントが暴力だったのに対し20世紀には暴力は死因の5パーセント。21世紀初頭には1パーセント。しかも戦争はその2割だと記す。ハラリほどの深い学識に裏打ちされた巨視が歴史を鳥瞰すると、人類はついに戦争を克服したと見て取れるのだ。その理由をハラリは、
「核兵器のおかげで、超大国の間の戦争は集団自殺という狂気の行為になり、したがって、この地上で屈指の強国はみな、争いを解決するために、他の平和的な方法を見つけることを強いられた。」
 と述べる。「おかげで」とはハラリにして初めて為せる逆転の発想だ。ただ浅学非才を顧みず、盲蛇に怖じずに申し上げれば、「屈指の大国はみな」まともなトップリーダーに恵まれていたという歴史の僥倖をお忘れになっているのではないか。冷戦時代は「『戦う』ということが日常的にありうる段階」であった。本当にありえたのだ。例えばキューバ危機ではフルシチョフとケネディが「冷静な目」を失わなかった。ただし今はバ○ばかり。「平和ボケ」がついつい「蛮勇」を振るわないとも限らない。油断は禁物だ。 □


知ってはいけない!

2018年12月17日 | エッセー

 年末でもあるので、言い足りなかったところを補っておきたい。
 前々稿「外れてほしいシナリオ」で横田空域に言及する際、米軍の「べ」の字も出さなかったことで林修を扱き下ろした。チコちゃんなら「ボーっと答えてんじゃねえよ!」と叱り飛ばすところだ。
 横田空域は静岡県の伊豆半島から新潟県に至る1都(東京の西半分)8県をカバーし、最高高度約7千メートルの変形六角形の空域である。米軍が航空管制をし、米軍戦闘機の訓練飛行、輸送機の離発着、米軍・米政府関係者が乗った専用機の飛行が優先される。悪天候や故障などの緊急事態以外、民間機は米軍の許可がないと空域に入れない。許可は1便毎に飛行計画書を提出して取らねばならない。自分ちの前庭に他人が居座って、自分ちの人はぐるっと回ってお勝手から出入りする。そんなところだ。
 管制は米軍が行うとは、航空法にも航空特例法にもどこにも規定されていない。日米地位協定第6条によって事実上米軍に委任されているのだそうだ。
▼昭和27年6月の合意
 〈日本国は、日本領空において完全かつ排他的な主権をもちかつそれを行使する。但し、一次的な措置として、わが国の自主的な実施が可能となるまでの間、日米間の意見の一致をみた時に、日本側が航空交通管制に関する全責任を負うこととして、米軍が軍の施設で行う’管制業務を利用して民間航空の安全を確保することとし、また、日本側の管制要員の訓練を米軍に委託する。(航空局注、当時わが国が航空交通管制を実施するためには、施設、要員とも皆無にひとしい状況にあったので、前記のような一時的措置をとったものである)。〉
 「わが国の自主的な実施が」とっくに「可能」になった今でも「一次的な措置」はそのまま続き、
▼航空交通管制(改正) 昭和50年6月 外務省
 〈昭和五〇年五月の日米合同委員会において次のように合意された。
1.日本政府は、米国政府が地位協定に基づきその使用を認められている飛行場およびその周辺において引続き管制業務を行うことを認める。
2.(略)
3.米国政府は、右管制業務が必要でなくなった場合には、日本政府に対して事前通報を行った上で、これを廃止する。
4.日本政府は、米国政府の要請に応じ、防空任務に従事する航空機に対しては、航空交通管制上の便宜を図る。
5.米国政府は、軍用機の行動のため空域の一時的留保を必要とする時は、日本側が所要の〔=必要な〕調整をなしうるよう、十分な時間的余裕をもって、その要請を日本側当局に対して行う。〉
 と、四半世紀を経てよりタイトになっている。というか、一部の本邦官僚と在日米軍高官とが密室で協議する「日米合同委員会」での「合意事項」が国内法に優越して本邦をコントロールしているのが実態だ。国会議員でさえ関与し得ない「合意事項」が存在することに怖気立つ。果して日本は独立国か。
 なぜこんなことになるのか。その深層構造を抉ったのが政治学者・白井 聡氏の「永続敗戦論」であった。13年7月の小稿『永続敗戦』で紹介し、後、幾度も触れてきた。白井氏はこう述べている。
 〈(矢部宏治氏は)実は戦後の日本には法の体系が二つある。一つには日本国憲法を最高法規とするところの法体系がある。しかしそれだけではなくて、もう一つ、「アメリカと約束したこと」(それは条約のような形で公然たる形のものもあれば、密約のような形で非公然のものもある)もまた事実上の法になっていると論じています。国内法と「アメリカと約束したこと」がぶつかるとき、どちらが優越するのかというと、結局はアメリカとの約束の方が大事だということは、「永続敗戦レジーム」の支配層にとっては自明の理にすぎません。〉(16年5月「2つのムラ」から)
 〈憲法・条約・国内法の関係は、上位法から下位法へ
  【 憲法 ⇒ 条約 ⇒ 国内法 】
 と並ぶ。これは憲法98条「1.この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」に基づく。だが<条約 ⇒ 国内法>については意外ではあるが、同条「2.日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」に照らして法的に是とされる。ところが、アメリカとの関係になると、
  【 安保を中心とした米国との条約群(上位法) ⇒ 憲法を含む国内法(下位法) 】
 と逆転する。〉(16年5月「オバマ来日 2つのイシュー」から)
 文中の矢部宏治氏の主著については、如上の2つの拙稿で紹介した。だが、昨年と本年に発刊された「知ってはいけない」知ってはいけない2」は取り上げていない。両書は隠された日本の支配構造、つまりは【 安保を中心とした米国との条約群 ⇒ 憲法を含む国内法 】を法律、条約、各種文書を詳細かつ客観的に検証しつつ克明に解明する警世の一書である。もちろん、“いけない”はレトリックである。アントニムに真意がある。“知らねばならない”とのインスパイアだ。由らしむべし、知らしむべからずへのカウンターパンチだ。三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の呪縛を解き放つ快刀だ。『初耳学』というなら、これこそそれではないか。いつ読むかって? 「今でしょ!」(古いか) □


水商売

2018年12月11日 | エッセー

 「水商売」といっても“お水”ではない。水そのものを商うビジネスである。といっても、日本の水を海外へ売るのではない。かといって、水道インフラの輸出でもない。実は、水道インフラの輸入なのだ。
 入管法で灰神楽が立つ中、隙を突くように与党は水道法改正案を強行採決した。朝日の報道を引用する。
 〈「民営化」法、成立へ きょう午後、衆院本会議採決
 改正案は7月に衆院で可決後に継続審議になった。今国会では参院厚労委で審議が始まり、厚労省が検証した海外の民営化の失敗例が3件のみだったことや、内閣府の民営化の推進部署に「水メジャー」と呼ばれる海外企業の関係者が働いていることが露呈。野党は問題視して追及を強めていたが、5日の参院本会議で可決後、与党側は審議なしで同日の衆院厚労委で、採決を強行した。(後、衆院で再可決・引用者註)
 改正案は、経営悪化が懸念される水道事業の基盤強化が主な目的。水道を運営する自治体などに適切な資産管理を求め、事業の効率化のため広域連携を進める。さらにコンセッション方式と呼ばれる民営化の手法を自治体が導入しやすくする。コンセッション方式は、自治体が公共施設や設備の所有権を持ったまま運営権を長期間、民間に売却できる制度。自治体が給水の最終責任を負う事業認可を持ったまま導入できるようにし、促す狙いがある。〉(12月6日付から抄録)
 「7月に衆院で可決」は6日のことだ。この日、オウムの麻原彰晃をはじめ7人の死刑が執行された。マスコミはこれ一色だ。まさか目眩ましではあるまいなと疑いたくなる。
 自治体がコンセッションを採れば地方債の返済を優遇、企業との契約も大幅簡素化、おまけに水道料金は厚労省の許可を不要とし自治体への届け出制に変更。水道料は原価総括方式であるから、設備費、報酬、税金など一切合切込みで値段が決まる。ダムの建設費はいつまでも消費者に被さってくる。また水道は独占事業であるため、電気のように競争原理が働かない。ユーザーは乗り換えが利かない。料金は業者の言いなりになってしまう。さらに運営権の譲渡に地方議会の承認は不要という特例までついている。かてて加えて、「自治体が給水の最終責任を負う事業認可を持ったまま」が問題だ。これでは災害時の給水に企業側は責任を免れることになる。企業の参入に便宜を図るためであろうが、そんな手前勝手があっていいものか。災害復旧は公費からとなるから、それでは火事太りならぬ災害太りだ。
 そこで、民営化だ。これは禁じ手である。「社会的共通資本」を提唱した経済学者の故宇沢弘文先生は、それを「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する」と定義した(『社会的共通資本』から)。大別すると、「自然環境」「社会的インフラストラクチャー」「制度資本」の三つになる。森林・大気・水道・教育・報道・公園・病院などだ。これらは利潤追求の市場原理に委ねられてはならず、個人の思惑にも政治的信条にも関係なく保全されねばならないとした。要するに、商売にしてはいけないということだ。共同体の維持に死活的に重要だからである。
 宇沢先生は明確に「社会的インフラストラクチャー」の一つとして水道を明記している。民営化は禁じ手なのだ。偉大な碩学の高見をネグって陸なことはない。現に多額の賠償金を払ってでも再公営化したアルゼンチンを筆頭に、公営化は世界の趨勢である。本邦政権の要路に見識なきを嘆かざるを得ない。
 さらにこの「民営化」に潜む悍ましき野望を看過するわけにはいかない。民営化とは国内企業だけが相手ではない。対外開放でもあるのだ。報道文中の〈「水メジャー」と呼ばれる海外企業の関係者〉、これが曲者だ。フランスのヴェオリア社、スエズ社、イギリスのテムズ・ウォーター社が世界3大水企業と呼ばれる。その内、ヴェオリア社日本支社であるヴェオリア・ジャパン社の官民連携の担当者が当該人物である。水メジャーは早くから用意周到に尖兵を送り込んでいたわけだ。一部の自治体ではすでにヴェオリアが部分的に参入している。世界の水ビジネス市場は15年に84兆、20年には100兆を超えるそうだ。日本の市場規模は30兆円。水メジャーが放っておくはずがない。「悍ましき野望」とはこのことだ。民営化は「水道インフラの輸入」、すなわち外国化である。体重の男で60、女で70%が水分である。してみれば一国の水を外資に委ねるのは身売りに等しい。アンバイ君のシンパ・右派の諸君は真っ先に反対して然るべきだが、うんともすんとも反応がない。金のために身を落とし身を売る。恥ずかしくはないのだろうか。これは彼らにとっても禁じ手のはずだが。
 かつて空気と水はタダといわれた。元手が掛からず儲かるから水商売という。ただし、景気や人気、嗜好の変化にもろに影響される。好不調は流れる水のように不確かだ。だから水商売ともいう。国を挙げての水商売。やっぱり、“お水”といえなくもない。 □


外れてほしいシナリオ

2018年12月06日 | エッセー

 まず先月の小稿『大法院判決』に大掴みの捕捉をしておきたい。
 「解決済み」についてである。なんとかの一つ覚えのように、政府はこれを繰り返す。ずっと前からそうだったかというと、実はそうではない。2000年代に入ってからだ。それまでは国同士の請求権(外交的保護権)は放棄するが、個人の請求権はあるとの立場だった。サンフランシスコ講和条約はそうだった。戦勝国との個別交渉で外交的保護権を放棄し、戦争賠償金を免れた。
 原爆被害者を例にとると、日本がアメリカから賠償をもぎ取ることはできなくなった。「うちの子になんてことをしてくれたんだ! 賠償せい!」とは言えなくなったのである。「じゃあ、日本で賠償してくれよ」という話になってきた。すると、「それはお門違い。でも、あなた個人でなら賠償が請求できる」と矛先をアメリカにかわした。しかし、アメリカとこじれるわけにはいかない。しぶしぶ賠償の代わりに「原爆被爆者援護法」をつくって“援護”を始めた。というのがぶっちゃけた話だ。
 シベリア抑留被害者も同じだ。日ソ共同宣言で放棄したのは外交的保護権であり、個人請求権は失われていない。だから、日本に補償責任はない。どうぞあちらへ、というわけだ。
 さて、韓国とはどうか。1965年の日韓請求権協定を締結した時、外務省は放棄したのは外交的保護権であり個人請求権はなくなっていないとした。「放棄したのは外交保護権であるというのが日本政府の一貫した見解」と、外務省文書に明記された。そうしないと、韓国に残してきた邦人の資産を日本が補償することになる。韓国人被害者も同様、個人の請求権は消えていないと認めた。それはそうだろう。国の内外で辻褄が合わなくなる。ダブルスタンダードになってしまう。
 「解決済み」が始まったのは2000年代に入ってからだ。だからまだ20年に満たない。35年間は如上の通り、そんな啖呵は切っていない。なんのことはない。戦後補償裁判で日本政府に不利な判断がくだされるようになったからだ。平気でダブルスタンダードを使い始めた。御都合主義もいいところだ。爾来、この一つ覚えが繰り返されている。
 05年、韓国政府は日韓請求権協定が定めた経済協力に元徴用工への補償問題解決の資金も含まれるとの見解を出した。こちらも御都合主義といえなくもないが、加害者にそれを言えた義理はない。
 つまりは、「解決済み」の煙(ケム)に巻かれてはならないということ。裏には、蒸し返すのは卑怯だとの非難がある。しかしそれこそ筋違いである。と、これが捕捉である。
 先日のこと、林修の『初耳学』を瞥見した。羽田空港への着陸になぜ千葉側から東京湾を横切るのか(離陸はその逆)? との疑問であった。林修は「漢字四文字です!」と、すげぇードヤ顔で即答した。「“横田空域”があるからです。日本の飛行機は自由に入れないんです」と……それだけだった。雛壇の連中も博識に大いに驚く……それだけだった。どう見ても編集はされていない。耳を疑った。コイツ、まともか! なぜ入れないのか、肝心要の説明がなされていない。米軍が管轄しているからだ。自国の上空を自国の飛行機が自由に飛べない。岩国空域、沖縄空域をはじめ、日本の上空すべてを米軍が支配している現実をなぜ語らない。知識人を名乗るならせめてそこまでのことは言うべきではないか。かつて拙稿で林修を「知識をネタにした御座敷芸」、「TVという見世物小屋の記憶男」だと断じたが、間違ってはいなかった。「Googleで試したことがある。放送1回分すべての質問をググってみた。全部回答が異論、反論を含め出てきた。つまりは、Googleで十二分に代替可能なのだ。林先生! そんなレベルでどや顔はおよしになったほうが賢明では。」とも述べた。敗戦の体制がそのまま続いているなどと政治的主張をせよとは言わない。言わないが、アメリカの「あ」の字も出ない。それはないだろう。こういう輩が「知」を貶め、人々の目を塞ぐ。御座敷芸どころか、座敷の生ゴミ、粗大ゴミだ。
 で、何が言いたいか、ここからが「シナリオ」である。アンバイ君は2島返還ですらずっこけるだろう。首都圏の空域をはじめ日本を軍事的に支配しているのはアメリカである。だから本邦はアメリカの属国だともいえるのだが、プーチンが迫ったという歯舞・色丹に米軍基地を置かせない約束などアメリカの同意なくできるわけがない。宇宙人鳩山由紀夫が「普天間移設は最低でも県外に」と打上げ、アメリカの逆鱗に触れた経緯と同類のパターンだ。「米基地は最低でも2島以外に」は日米の本質的従属関係を露わにし頓挫する。政権中枢はそれを予感し始めたのではないか。振り上げた拳のもってく場がなくなって、頭でも掻くしかない。そんな失態を演ずれば来年の参院選が危ない。普天間を急ぐのも、外国人材法案で大票田である産業界の支持をつなぎ止めようとするのも、「頭を掻かない」ための布石だ。いや、「頭を掻いた」時の布石だ。どちらにしても、参院選はWで来る。でなければ、最終目的地の改憲が見えてこない。万博で維新も取り込み、五輪の浮かれモード゙の内に国民投票への道筋を開く。それが外れてほしいシナリオである。浅学寡聞ゆえまことに粗雑な推論ではあるが、御容赦願いたい。なにせ、この政権与党はダブルスタンダードがお好きである。ならば選挙もダブルで。……ブラフであってほしいシナリオである。 □


今日までそして明日からも、

2018年12月03日 | エッセー

 “From T”は自薦だが、1年前のこのアルバムは他薦である。先日からどっぷり浸かっている。
  「今日までそして明日からも、吉田拓郎」
 副題は“tribute to TAKURO YOSHIDA” 拓郎の古希に、企画された。プロデュースは武部聡志。全12曲、12名のアーティストがカバーしている。何人かの声を拾ってみると──。
▼一青窈「なにがなんでもこの曲を歌いたくて武部さんにアレンジをお願いしました」
▼奥田民生「高校の先輩のトリビュートアルバムに参加できる人間が、世の中に何人いるでしょう? ありがとうございました」
▼Mrs. GREENAPPLE 大森元貴「吉田拓郎さんの楽曲をカバーさせて頂けるというのはもう本当に信じられないくらいにとても嬉しく、光栄です。僕の父が吉田拓郎さんの大ファンで、本当に喜んでくれています」(拓郎とは年齢差50歳)
▼鬼束ちひろ「両親が吉田拓郎さんの歌をよく聴いてました。いい親孝行になりました」
▼織田哲郎「声の説得力。それがもっとも重要。日本のシンガーで声の説得力が最もあるのは拓郎さんである、というのが持論です。それをカバーだと? なんと大それたことを」
▼髙橋真梨子「昔から大ファンな拓郎さんは会うと頼れる兄貴のようで本当に優しく、愛情あふれる温かな方です。哀愁あふれるこの歌を女性の目線からみた情景として歌ってみたいと思いました」
▼THE ALFEE 高見沢俊彦「海のものとも山のものとも知れない3人を、拓郎さんは目をかけてくれた。あるとき拓郎さんが『いいか、絶対にお前らは売れる!だから今をガンバレ!』『本当ですか?』『あぁ本当だ!ただし、音楽以外でな!』瞬間、倒れそうになったが何とか3人でこらえた。僕らの前には常に、吉田拓郎さんがいる」
▼ポルノグラフィティ 岡野昭仁「広島の大先輩の作品をカヴァーさせてもらえるなんて、身に余る光栄であります。魂込めて歌わせて頂きました」
▼寺岡呼人「同じ広島の大先輩、吉田拓郎さんのトリビュートに参加させて頂き、ありがとうございます。永遠の名曲を目一杯リスペクトさせて頂きました!」
 武部聡志はこう語る。
 〈吉田拓郎。言わずもがな、日本のポップス史を語る上で欠かすことの出来ないパイオニアである 。彼が生み出してきた名曲の数々を、世代を越えたアーティスト達が新しい解釈でパフォーマンスする華やかなアルバムに仕上がったと思っています。あらゆる音楽に関わる人々に影響を与えた吉田拓郎。僕自身、彼と出会った事で、その後の音楽人生が大きく変わりました。そして、音楽に対する情熱を持ち続けることの大切さを教えられました。吉田拓郎と同じ時代を生きた世代から吉田拓郎を知らない世代まで、このアルバムに収められた曲達を「今」の作品として楽しんで頂けたら嬉しいです。〉
 武部は70年代以降の音楽シーンを主導したMVPである吉田拓郎と松任谷由実の双方に関わってきた。ユーミンのライヴ音楽監督を担当して30年以上、両者の音楽を知り尽くしているといえる。その彼が、
「今回、改めて思ったのは、ユーミンはシンガーソングライターとしての“ユーミンの色”みたいなものが際立っているんで、ユーミンのトリビュートアルバムは、その人の色にならない曲が多い。拓郎さんの曲は解釈でどうにでもなる曲が多い気がしたんです。“吉田拓郎の声”として届いている曲でも、もっと色んな魅力がある。今の音楽として、エンターテインメントとして楽しめる音楽だと思います」
 と述懐する。「今日までそして明日から」は定番曲のタイトルだが、末尾に『、』と読点がついている。「吉田拓郎と同じ時代を生きた世代から吉田拓郎を知らない世代まで」との彼の願いが込められているのかもしれない。過去の遺産で食いつなぐなつメロ歌手なぞでは毛頭ない。今も、そして「明日からも」クリエイティブな存在、それが吉田拓郎だ。
 加えて、武部が「拓郎さんの曲は解釈でどうにでもなる曲が多い」と指摘している点。これが重要だ。渋滞学で高名な数理物理学者西成活裕氏は、
 〈現象を扱うときは、はじめに「どんな切り口で見るか」を固めます。その切り口には正解はなく、それがその研究者の個性になる〉(「とんでもなく役に立つ数学」から)
 と教える。切り口は多様にある。選んだ切り口が研究者の個性となる。個性を緊縛するのではなく、個性に開かれてある。それこそが『、』の源泉ではないか。
 参加したミュージシャンはいずれも群を抜く歌唱力と溢れんばかりの個性の持ち主。各自の切り口から「今」を紡いでいる。そこで、お立ち会い。以下のセットリストは右側のアーティスト名と一致していない。それぞれの曲を誰が歌っているのか? 線でもって繋いでほしい。

【収録曲】
 1.  「今日までそして明日から」           ・髙橋真梨子
 2.  「結婚しようよ」                            ・THE ALFEE
 3.  「流星」                                 ・ポルノグラフィティ
 4.  「落陽」                                      ・德永英明
 5.  「夏休み」                                   ・織田哲郎
 6.  「メランコリー」                             ・奥田民生
 7.  「リンゴ」                                     ・鬼束ちひろ
 8.  「旅の宿」                           ・一青窈
 9.  「やさしい悪魔」                      ・Mrs. GREEN APPLE
10.  「おきざりにした悲しみは」             ・寺岡呼人feat.竹原ピストル
11.  「人生を語らず」                          ・chay
12.  「永遠の嘘をついてくれ」              ・井上陽水

 正解は聴いてのお楽しみ。 □


沈没船が化けた!

2018年12月01日 | エッセー

「それは絶対にやめといた方が良いですよ、何度も説明したように、オンデーズは年間の売上が、たったの20億円しかないのに、銀行からの短期借入金が14億円もあるんですよ! 借入金の回転期間はわずか8ヶ月、約定返済額は月に8千万円から1億円にものぼる。それなのに毎月、営業赤字が2千万近く出ているという、異常な資金繰りに陥ってしまっている会社ですよ。買収したとしても、これを再生するなんて、まず無理ですよ!」
 冒頭は六本木の喫茶店、経理の猛反対から始まる。沈没船をサルベージして豪華客船にまで仕立て上げる。そんな破天荒な話だ。
   「破天荒 フェニックス」  (幻冬舎、本年9月発刊)
 悴が痺れたというので読んでみた。著者は田中修治氏、当のオンデーズ社長である。
 書籍サイトではこう紹介されている。
 〈僕は、「絶対に倒産する」と言われたオンデーズの社長になった。
 企業とは、働くとは、仲間とは――。実話をもとにした、傑作エンターテイメントビジネス小説。
 08年2月。小さなデザイン会社を経営している田中修治は、ひとつの賭けに打って出る。それは、誰もが倒産すると言い切ったメガネチェーン「オンデーズ」の買収――。新社長として会社を生まれ変わらせ、世界進出を目指すという壮大な野望に燃える田中だったが、社長就任からわずか3カ月目にして「死刑宣告」を突き付けられる。しかしこれは、この先降りかかる試練の序章にすぎなかった……。
 30歳。肩まで届く茶髪のロン毛にジーパン、黒のジャケット、そんなチャラ男がレッドオーシャンに乗り出していく。これでもか、これでもかと襲いかかる資金ショートの危機。冷酷な銀行との悪戦苦闘。ライバルとの熾烈な攻防戦。裏切り、盟友との死別。地獄の淵からの幾たびもの起死回生。まさにフェニックスである。そんな波瀾万丈のドラマが、田中氏が書き綴ってきたブログを元に克明に描かれていく。ともあれ、超強気だ。草食系男子の気配なぞ微塵もない。押して押して押しまくる。他人事(ヒトゴト)ながら、ハラハラしながら読んだ。
 破天荒は大胆不敵という謂ではない。それは誤用だ。古代、荊州では永く科挙の合格者が出なかった。未開の荒れ地、天荒と人は呼んだ。後、待望の合格者が初めて出現した時、天荒を破ると称えられた。前人未到の偉業達成、それが正意である。
 わずか10年。沈没船は今や、資本金3億2千万、売上高150億、従業員数1900名、10カ国以上200店舗以上を展開という豪華客船に化けている。これを破天荒といわずしてなんという。
 この主人公は(つまり田中社長は)明らかに日本人離れ、欧米人跣である。邦人異種といえなくもない。中野信子先生が脳科学の見地から興味深い卓説を述べている。
 〈日本では、ひとつのことを長く続けられる人が評価され、米国では、ひとつのところにとどまらず、多くのことに挑戦できる人が評価されます。これは日本人と米国人の脳が違っているからとも考えられます。日本人では、ドーパミンD4受容体遺伝子のある領域の繰り返しタイプが7回の人はなかなか見当たらず、2回ないし4回の人がほとんどです。つまり、刺激を過剰に追い求めるタイプの人はあまりいない。欧米人には7回繰り返しタイプの人が少なくない数で存在します。新天地を求めて移民をする人にもこのタイプが多いという報告があり、アメリカでは、次々に刺激を求めて新しい挑戦を繰り返すことを賛美するという気風が強いのも、脳がそうさせているのかもしれません。〉(「脳はどこまでコントロールできるか?」から抄録)
 「ドーパミンD4受容体遺伝子のある領域の繰り返し」が多いとドーパミンの放出量が多くなる。新しい刺激への欲求が高まる。ドーパミンは報酬系の快楽ホルモンであり、脳内麻薬とも呼ばれる。好奇心を高め、運動や学習などの行動を促す役割がある。となると、田中社長は7回といわず10回ぐらいの「繰り返しタイプ」なのかもしれない。「繰り返しタイプ」は生来のものらしいから、ますます異種、いな貴種ともいえる。
 ただ見落としてならないのは超強気を支えた超強運である。捨てる神あれば拾う神あり、絶体絶命のエマージェンシーにどこからともなく「拾う神」が登場する。こればかりは脳科学では説明がつかない。
 OWNDAYS とは“Own Days”「それぞれの日々」と、“On Off”「切り替える」の“On”を組み合わせた造語だという。「当社の眼鏡で日々新たな気持ちで過ごせますように」との願いを込めているそうだ。読後感はまことに爽やか。「新たな気持ち」にしてくれた。 □