言われてみて、はたと気がつくことがある。「漢語」とは日本での呼び名である。中国人は「中国語」をしゃべり、書いたはずだ。使われた文字が「漢字」である。
遥か1400年前の万葉集が編まれた時代、本邦に文字はなかった。だから先人は舶来の漢字を使ってこれを成した。だから、万葉集はすべて漢字だけで書かれている。
ほぼそこを起点として、本邦の文字文化は進歩を始めた。しかし、丸ごと漢字を採用したわけではない。漢字を真名として仮名を生んで交ぜ書きにし、訓をつくってより深く取り込んできた。ここが肝心なのだが、明治維新と敗戦後に2度排斥の危機に見舞われたものの、一貫して日本人は漢字を使い続けてきている。
〓日本語の歴史とは、漢字の両側に、中国語と日本語とが、緊張関係を保ちつつ形成してきた歴史。万葉集の時代から明治期にかけて、日本語とその表現は多様化していった。しかし現代は? 漢字という乗り物に乗って、日本語の豊かさを探る旅に出かけよう。〓
コピーには、そうある。
清泉女子大学教授・今野真二著「漢字からみた日本語の歴史」 (ちくまプリマー新書 昨月刊)
著者は日本語学が専攻で、02年には『仮名表記論攷』で金田一京助博士記念賞を受賞している。現在『日本語学講座』全10巻を刊行中、著書多数だ。
同書より抄録してみる。(◇部分は同書から抄録、以下同様)
◇中国語は外国語から外来語へとかわり、借用されて次第に日本語の中に溶け込み、漢語へと移行していったと考える。その日本語として使われるようになったものを漢語と呼んで、区別したい。◇
冒頭の通りだ。生なままでは「中国語」である。古代の日本人はまちがいなく「日本語」を話していたはずだ。そのネイティヴ・ランゲージを捨てて中国語に乗り換えたわけではない。母国語を表記するために外国語である中国語を移入し、「借用」し、取り込んでいった。だから当然、生のままでは使っていない。どころか、使えない。なぜならネイティヴ・ランゲージである日本語とは氏素姓の違う言語だからだ。
もしその時英語が外来していたら、「近江(アフミ)の海夕浪千鳥」を「淡海乃海 夕浪千鳥」と漢字表記したように、「OUR NO ME YOU NOW ME TEA DOLLY」と書き表したであろう(英語力不足のため、無理矢理ではあるが)。つまりは、そういう話だ。訓読は別の話で、06年8月の拙稿「DOGは『いぬ』と読む?」で取り上げた。世界に誇る本邦の偉大な発明である。それは措く。同書は、漢字を「借用」し「日本語とその表現が多様化」した歴史を繙く。
漢字の向こうに中国語がみえる──“漢字しかなかった時代”から“中国語から漢語へ”の推移。仮名がうまれても“漢字を使い続けた”中世の文字社会。そして明治期に至り、“中国服を脱いだ漢語”。さらに現代の日本語と漢字、へと展開する。
実におもしろい。読み応え充分の好著である。別けても、興趣がわいたのは以下の条(クダリ)だ。
◇「日本語を漢字で書く」ということに関しては、日本語の歴史は一貫していて、どこにも「切れ目」がないともいえる。
「漢字だけで書いてみたかった」という気持ちはある程度の広がりをもって持続していたことが予想できる。なぜなら、江戸時代になって作られたものもあるが、漢字だけで書かれている『伊勢物語』や『方丈記』や『徒然草』なども存在するからである。これらが漢字だけで書かれている「理由」は同じではないかもしれない。しかし、「漢字だけで書いてみたかった」という気持ち、「心性」は共通しているのではないかと思う。◇
確かにワープロの簡便性が漢字の多用に拍車を掛けたことは事実だが、「日本語を漢字で書く」ことへのモチベーションは古(イニシエ)より連綿と底流していた。内田 樹氏が洞見する自前のコスモロジーを持たない「辺境国家」ゆえの、「中華」へのアプローチであろうか。筆者は述べていないが、「心性」とはそのように解するほかはあるまい。
なお、こうつづく。
◇「漢字をある程度使って日本語を書いた方がフォーマルに感じる」という場合の「フォーマル」を「公性」と呼んでみよう。言語があって、それを文字化すると考えた場合の、言語を「内容」、文字化することを「装う・服を着る」とみた場合、文字化には「よそいき=フォーマルドレス」があるとイメージしてもよい。そうした「フォーマル」が「公性」である。◇
「公性」とはオーソライズされるとの謂であろう。オーソライズする主体は外部、それも「中華」に他なるまい。
加えてもう一点。
同書では、漱石が多用した「交際」と書いて「つきあい」、「機会」を「はづみ」、「冷評し」を「ひやかし」と読ませるような漢字遣いに注目している。振仮名を媒介として和語と漢語とを自然に結びつけているという。「中国服を脱いだ漢語」の好例である。
さて、突飛な連想をする。
〽何気なく観たニュースで
お隣の人が怒ってた
今までどんなに対話(はな)しても
・・・・
希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(Blue)
・・・・
都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて
裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)
・・・・
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ
悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?
愛することを躊躇(ためら)わないで〽
先日の拙稿で紹介した桑田佳祐作詞『ピースとハイライト』のフレーズである。
“対話(はな)し”“大義名分(かいしゃく)”“地球(ふるさと)”“人間(ひと)”は、漱石流であろうか。桑田に始まったわけではないが、彼が頻用しかつ最も嵌まっているレトリックだ。時代の最先端で明治より伝来の技が生きている。なんとも嬉しいではないか。
これも桑田の十八番だが、「憂鬱」と書いて“Blue”と読む。「狂気」と記して“Insane”と歌う。これは何だろう。今野氏は古代「漢字の向こうに中国語がみえる」と語ったが、さしずめ漢字の向こうに『英語』をみているのであろうか。だとすれば、この先祖返りともいえるレトリックの背景には『中華』の変位がある。グローバリゼーションにより、『中華』は中国から欧米にシフトしたとみるべきであろう。蓋し、今に至るまで本邦は「辺境国家」といわねばなるまい。
してみれば、今ふたたび日本語が外来語と向き合い、「借用」され、漸次日本語の中に溶け込んでいく新たな過程が始まったといえなくもない。そうであるなら、先達の足跡の如く撓わな稔りがあるように努めねばなるまい。
末尾に筆者はこう綴っている。
◇言語はそれを使う人に共有されている。したがって、一人の使用者が「これはだめだ。こうするべきだ」といってもしかたがない面もある。そう述べたからといって現状を追認せよといっているわけではない。疑問をもつことは大事であるし、「危険の感覚」も大事だ。◇
「危険の感覚」とは、重い警告だ。 □