伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

漢字に乗って

2013年08月30日 | エッセー

 言われてみて、はたと気がつくことがある。「漢語」とは日本での呼び名である。中国人は「中国語」をしゃべり、書いたはずだ。使われた文字が「漢字」である。
 遥か1400年前の万葉集が編まれた時代、本邦に文字はなかった。だから先人は舶来の漢字を使ってこれを成した。だから、万葉集はすべて漢字だけで書かれている。
 ほぼそこを起点として、本邦の文字文化は進歩を始めた。しかし、丸ごと漢字を採用したわけではない。漢字を真名として仮名を生んで交ぜ書きにし、訓をつくってより深く取り込んできた。ここが肝心なのだが、明治維新と敗戦後に2度排斥の危機に見舞われたものの、一貫して日本人は漢字を使い続けてきている。
〓日本語の歴史とは、漢字の両側に、中国語と日本語とが、緊張関係を保ちつつ形成してきた歴史。万葉集の時代から明治期にかけて、日本語とその表現は多様化していった。しかし現代は? 漢字という乗り物に乗って、日本語の豊かさを探る旅に出かけよう。〓
 コピーには、そうある。

 清泉女子大学教授・今野真二著「漢字からみた日本語の歴史」 (ちくまプリマー新書 昨月刊)
 著者は日本語学が専攻で、02年には『仮名表記論攷』で金田一京助博士記念賞を受賞している。現在『日本語学講座』全10巻を刊行中、著書多数だ。
 同書より抄録してみる。(◇部分は同書から抄録、以下同様)

◇中国語は外国語から外来語へとかわり、借用されて次第に日本語の中に溶け込み、漢語へと移行していったと考える。その日本語として使われるようになったものを漢語と呼んで、区別したい。◇
 冒頭の通りだ。生なままでは「中国語」である。古代の日本人はまちがいなく「日本語」を話していたはずだ。そのネイティヴ・ランゲージを捨てて中国語に乗り換えたわけではない。母国語を表記するために外国語である中国語を移入し、「借用」し、取り込んでいった。だから当然、生のままでは使っていない。どころか、使えない。なぜならネイティヴ・ランゲージである日本語とは氏素姓の違う言語だからだ。
 もしその時英語が外来していたら、「近江(アフミ)の海夕浪千鳥」を「淡海乃海 夕浪千鳥」と漢字表記したように、「OUR NO ME YOU NOW ME TEA DOLLY」と書き表したであろう(英語力不足のため、無理矢理ではあるが)。つまりは、そういう話だ。訓読は別の話で、06年8月の拙稿「DOGは『いぬ』と読む?」で取り上げた。世界に誇る本邦の偉大な発明である。それは措く。同書は、漢字を「借用」し「日本語とその表現が多様化」した歴史を繙く。 
 漢字の向こうに中国語がみえる──“漢字しかなかった時代”から“中国語から漢語へ”の推移。仮名がうまれても“漢字を使い続けた”中世の文字社会。そして明治期に至り、“中国服を脱いだ漢語”。さらに現代の日本語と漢字、へと展開する。
 実におもしろい。読み応え充分の好著である。別けても、興趣がわいたのは以下の条(クダリ)だ。
◇「日本語を漢字で書く」ということに関しては、日本語の歴史は一貫していて、どこにも「切れ目」がないともいえる。
 「漢字だけで書いてみたかった」という気持ちはある程度の広がりをもって持続していたことが予想できる。なぜなら、江戸時代になって作られたものもあるが、漢字だけで書かれている『伊勢物語』や『方丈記』や『徒然草』なども存在するからである。これらが漢字だけで書かれている「理由」は同じではないかもしれない。しかし、「漢字だけで書いてみたかった」という気持ち、「心性」は共通しているのではないかと思う。◇
 確かにワープロの簡便性が漢字の多用に拍車を掛けたことは事実だが、「日本語を漢字で書く」ことへのモチベーションは古(イニシエ)より連綿と底流していた。内田 樹氏が洞見する自前のコスモロジーを持たない「辺境国家」ゆえの、「中華」へのアプローチであろうか。筆者は述べていないが、「心性」とはそのように解するほかはあるまい。
 なお、こうつづく。
◇「漢字をある程度使って日本語を書いた方がフォーマルに感じる」という場合の「フォーマル」を「公性」と呼んでみよう。言語があって、それを文字化すると考えた場合の、言語を「内容」、文字化することを「装う・服を着る」とみた場合、文字化には「よそいき=フォーマルドレス」があるとイメージしてもよい。そうした「フォーマル」が「公性」である。◇
 「公性」とはオーソライズされるとの謂であろう。オーソライズする主体は外部、それも「中華」に他なるまい。
 加えてもう一点。
 同書では、漱石が多用した「交際」と書いて「つきあい」、「機会」を「はづみ」、「冷評し」を「ひやかし」と読ませるような漢字遣いに注目している。振仮名を媒介として和語と漢語とを自然に結びつけているという。「中国服を脱いだ漢語」の好例である。

 さて、突飛な連想をする。

    〽何気なく観たニュースで
      お隣の人が怒ってた
      今までどんなに対話(はな)しても
     ・・・・
     希望の苗を植えていこうよ
     地上に愛を育てようよ
     未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(Blue)
        ・・・・
     都合のいい大義名分(かいしゃく)で
     争いを仕掛けて
     裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)
     ・・・・
        この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ
    悲しい過去も 愚かな行為も
    人間(ひと)は何故に忘れてしまう?
 
    愛することを躊躇(ためら)わないで〽

 先日の拙稿で紹介した桑田佳祐作詞『ピースとハイライト』のフレーズである。
 “対話(はな)し”“大義名分(かいしゃく)”“地球(ふるさと)”“人間(ひと)”は、漱石流であろうか。桑田に始まったわけではないが、彼が頻用しかつ最も嵌まっているレトリックだ。時代の最先端で明治より伝来の技が生きている。なんとも嬉しいではないか。
 これも桑田の十八番だが、「憂鬱」と書いて“Blue”と読む。「狂気」と記して“Insane”と歌う。これは何だろう。今野氏は古代「漢字の向こうに中国語がみえる」と語ったが、さしずめ漢字の向こうに『英語』をみているのであろうか。だとすれば、この先祖返りともいえるレトリックの背景には『中華』の変位がある。グローバリゼーションにより、『中華』は中国から欧米にシフトしたとみるべきであろう。蓋し、今に至るまで本邦は「辺境国家」といわねばなるまい。
 してみれば、今ふたたび日本語が外来語と向き合い、「借用」され、漸次日本語の中に溶け込んでいく新たな過程が始まったといえなくもない。そうであるなら、先達の足跡の如く撓わな稔りがあるように努めねばなるまい。
 末尾に筆者はこう綴っている。
◇言語はそれを使う人に共有されている。したがって、一人の使用者が「これはだめだ。こうするべきだ」といってもしかたがない面もある。そう述べたからといって現状を追認せよといっているわけではない。疑問をもつことは大事であるし、「危険の感覚」も大事だ。◇
 「危険の感覚」とは、重い警告だ。 □


「倍返しだ!」

2013年08月23日 | エッセー

 下巻に入ったころであろうか、これは意趣返しの物語ではないかとにわかに気がついた。もちろん『永遠の0』への、である。言い替えれば、先の敗戦に対するリベンジだ。

 『海賊とよばれた男』 の伝記である。百田尚樹著、昨年7月講談社より発刊された。2013年「本屋大賞」受賞。
 遅ればせながら、またしても“よこはま物語”さんの後塵を拝して読んだ。
 浅学無知を晒すようだが、これほどの人物とは知らなかった。むしろ、なぜ今まで取り上げられなかったのか。その方が不思議だ。やはり相手が巨人ゆえに、余程の膂力がなければ適わなかったのか。高山(コウザン)の頂が麓からは見えないように、描こうとすれば俯瞰するほどに遥かな高みが要求される。しかしこの作家は見事にその難事を成したといえるのではないか。
 ストーリーは波瀾万丈、起伏に富んでいるが、語り口は冷静だ。いな、淡々としたルポルタージュのようだ。外連味はない。小説らしからぬ小説かもしれない。

 『男』とは出光佐三、出光興産の創業者である。贅言を要すまい。セブン・シスターズと呼ばれる石油メジャーと戦った男である。さらに国内にも外資系の強敵と阿漕な官僚たちがいた。それら内外の猛者、果てはイギリス国家を向こうに回し、絶体絶命の危機を何度も越え、艱難辛苦の末、ついに勝利を掴んだ『男』の実話である。しかも単なる成功譚ではない。『男』には「人間尊重」の哲学があった。彼をパイレーツと呼ぶのなら、近海に出没するちまちまとした賊のことではない。七つの海を股に掛け、世界を覆う巨大な石油利権構造に切り込み、日本の経済的自立を奪取したとの謂にちがいあるまい。
 クライマックスは「日章丸事件」である。劇的な章はこう結ばれる。


 今や日本とイランはひとつになった。
 正式な国交さえなかった二つの国が、石油という太いパイプで結ばれようとしていた。その奇跡を起こしたのは、日章丸という一隻のタンカーだった。
 そして日章丸が果たしたもうひとつの大きな仕事は、半世紀以上にわたって世界を支配してきた国際石油カルテルの一角を見事に突き崩したことだった。


 抑えてはいるが、筆者の高まりが伝わる迫真の場面である。
 さて、この作品は4章で構成される。順に「朱夏」、「青春」、「白秋」、「玄冬」である。蛇足となるが、本ブログから拙文を引く。
〓意外にも、四季は春からではなく冬から始まる。東洋の古(イニシエ)の智慧は人生に準(ナゾラ)え、そう教える。――少年時代が冬。芽吹きの前、亀の如く地を這い力を蓄える時、玄冬だ。20歳から40歳までが春。青龍が雲を得て天翔(アマガケ)る、青春である。続く60歳までは夏。朱雀が群れ躍動する朱夏、盛りの時だ。そして、秋。一季の稔りを悠然と楽しむ白虎、白秋を迎える。〓(06年9月「秋、祭りのあと」より)
 4つの章は意外にも順番通りではない。「朱夏」は暑い敗戦の日を表徴しているのであろう。次の「青春」は逆順に、生い立ちから敗戦までを振り返る。3番目に来る「白秋」は全体のヤマだ。むしろ「青春」が相応しいのだが、主人公の年齢を慮ってのことか。いや違うだろう。「一季の稔りを悠然と楽しむ」どころか、乾坤一擲の大勝負に還暦を越えてなお挑む凄まじい生き様を託したのではないか。そう捉えたい。そして最終章。晩年を綴るに「玄冬」をもってくる。確かに一線を退いてもなお艱難は襲う。冬は際限がないようにみえる。しかし、「亀の如く地を這い力を蓄える」後継が続いている。それは次の「芽吹き」を予兆して余りある。主人公の絶筆は「はよふ おきんかあゝ」と題する年頭の辞であったと記される。「早く、生い育て!」だ。まことに重畳の意を含む「玄冬」とみたい。
 『永遠の0』には「愛」が底流した。そこに「一つの違和感」(先日の本ブログ)を抱いたのだが、それは措こう。この作品は「ロマン」を竜骨とするそうだ。それには得心がいく。
 ロマンといえば、ロマンス語(俗ラテン語)で書かれた中世の騎士物語でもある。騎士は勇敢で寛大、忠誠を貫き、一族の名誉を守る。戦いにおいては野蛮を廃し、フェアであることを第一義とする。つまりはこの『男』が体現し、物語に流れる主旋律そのものではないか。ドン・キホーテは敢えなく風車に跳ね返されたが、この『男』はなんと風車をへし折ってしまった。しかも真っ正面から、堂々と。
 再び世界を敵に回し、胸のすく勝ち戦を見せてくれた男。戦前に倍する繁栄を勝ち取った男。「敗戦に対するリベンジ」とはそのことだ。半沢直樹君が登場する遙か昔、名科白の通りを一身で演じた男がいた。今なら彼も同じ啖呵を切る。
「やられたらやり返す。倍返しだ!」 □


“一読大望”の書

2013年08月22日 | エッセー

 「ロハ」は使い慣れているのだが、“ス”が付いた「ロハス」にはまったく馴染みがない。浅知恵ゆえか、なんとなく隠者や遁世のイメージが付き纏う。
 書名に「里山」と冠されていたので、つい「ロハス」が連想された。しかしそうではなく、粗方をダジャレで無理矢理こじつけると“ロハ”の自然を活用する“ス”タイルとなろうか。LOHASに通底するが、闇雲に「マネー資本主義」に背を向けるのではなく、サブ・バックアップシステムとして提唱されているところが肝だ。

   里山資本主義』──日本経済は「安心の原理」で動く

   藻谷浩介 NHK広島取材班  角川oneテーマ21  先月刊

 聞き馴れない名前だが、その筈だ。NHK広島取材班による命名である。里山とは、集落(里)の近辺にあり古来燃料と食料の供給源となってきた人と関わりの深い森林(山)をいう。
 藻谷氏にとっては『デフレの正体』以来3年、その続編でもありアンサーとでもいうべき著作である。
 里山の荒廃については、養老孟司氏をはじめ数々の識者が指摘している。その中で中国地方にフォーカスし、里山を活かし過疎を逆手に取った実例を取材班がレポートする(オーストリアへの取材を含め)。それに、現地を踏んだ上で藻谷氏が中間・最終総括を加えるという構成である。
 ラフ・スケッチしてみよう。
 裏表紙には、<本書のテーマ>として──日本経済とコミュニティー 課題先進国を救うモデル。その最先端は“里山”にあった!!──とある。
 つづいて、イシューが列挙されている。

▼地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金
▼原価ゼロ円からの経済再生、地域復活ができる
▼知られざる超優良国家、オーストリア
▼ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築
▼真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルの確立」だ
▼「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている

 これだけでもインパクトは十分だが、目次から特に興味を引かれたタイトルを挙げてみよう。

◎世の中の先端は、もはや田舎の方が走っている
◎里山を食い物にする
◎何もないとは、何でもやれる可能性があるということ
◎過疎を逆手にとる
◎「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である
◎「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ
◎「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる
◎そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない
◎天災は「マネー資本主義」を機能停止させる
◎「日本経済ダメダメ論」の誤り(3つの視点から) 
◎インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる
◎里山資本主義は保険、安心を買う別原理である
◎里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策

 中身は本書に当たっていただくとして、肝心の「里山資本主義」とはなにか。同書にはこうある。
◇「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ。勘違いしないで欲しいのだが、江戸時代以前の農村のような自給自足の暮らしに現代人の生活を戻せ、という主義主張ではない。お金を媒介として複雑な分業を行っているこの経済社会に背を向けるという訳でもない。ただし里山資本主義は、誰でもどこででも十二分に実践できるわけではない。マネー資本主義の下では条件不利とみなされてきた過疎地域にこそ、つまり人口当たりの自然エネルギー量が大きく、前近代からの資産が不稼働のまま残されている地域にこそ、より大きな可能性がある。◇(◇部分は上掲書から引用、以下同様)
 資本はマネーだけではない。自然が資本になり得る。マネーで購えない保険と安心を手中にできる。「里山」に視点を措く時、予想もしないパースペクティブが拓ける。新しい希望が湧く──。そういう提唱である。(「里山」は自然の象徴としてネーミングされているわけで、もちろん海をも含む)
 目を引いた論及がある。以下の藻谷氏の言だ。
◇実は、国債償還のツケがすべて若い世代に回ることにはならない、と予想される。なぜなら今六五歳を越えつつある昭和二〇年代前半生まれ(一九四〇年代後半生まれ)が一〇〇〇万人を超えるのに対し、今の○~四歳は五〇〇万人しかいないからだ。数の多い高齢世代が蓄えたものが、長い時間をかけて相続などの形で数の少ない若い世代にゆきわたっていくプロセスを利用して、国債残高を目に見えて減らしていくことが可能になる。◇
 なんのことはない、団塊の世代である。いつまでも“居続ける”わではない。渡す相手は自分たちの半分しかいない。うまく渡せれば帳消しにできる(私を含め個々には渡すほどなかろうが、総体として)。国債膨張の片棒を担いできた世代だが、なんとも心強い展望ではないか。なにせ日本は世界有数の債権国である。かつ、個人金融資産は1,500兆円もある。ここでこそ、政治の出番ではないか。
 同書には、理路が粗いとの批判もある。しかし将来展望であってみれば当然だ。践行しつつ肉付けしていくほかはあるまい。ただ、痛くても腫れ上がるほど膝を打つ納得のフレームワークであることは確かだ。

 藻谷氏は自信を込めて末尾をこう締め括る。
◇五〇年後の誰かが筆者の論考を目に留めて、「五〇年前にすでにこれを論じていた人がいたのか」「今の世では当たり前になっている話も、五〇年前にはこのように熱意を込めて書かないといけないほど、受け入れられにくいものだったのか」と評価をいただくこと。僭越を極めているようだが、これが筆者の心からの目標だ。
 「里山資本主義」は、『デフレの正体』以上に、これから時間をかけて世界各地で大河になっていくべき、しかしながらまだ細々とした流れに注ぐ、ささやかな一滴であると確信している。マネー資本主義だけで世の中は回るものだという集団幻想に対し、現時点でささやかな異議を唱えること自体に、大きな意義がある。◇

 本ブログで『デフレの正体』を取り上げた時、一読三嘆ならぬ“一読三解”の書であると評した。その伝でいくと、この好著は“一読大望”の書と呼べるのではないか。 □


徒花

2013年08月19日 | エッセー

 漆黒の夜空に炸裂する花火を見上げながら、ふと原発の影が過った。
 色づけに金属を使うものの、原料は火薬だ。羅針盤、活版印刷とともに三大発明の一つであり、すべて中国で生まれた。文明と呼ばれるものの芒洋たる懐の深さに感じ入る。
 もともとは唐代以前に発明され、元が大々的に兵器に用いた。文永弘安の役で、日本はその洗礼を受けた。爾来七百年、世界中で戎具の主材でありつづける。
 片やその破裂力を使って土木工事に供され、工業用途や、照明、信号にも応用される。火薬を抜いた人類の歩みは考えられない。まさに三大発明の一翼といえる。「たーまやー」にせよ「かーぎやー」にせよ、平和利用の極致であろう。しかし同類が火器として日夜数多の人命を奪いつづける。人類史の明と暗だ。つまり宿習のように、戦争と平和の双方に関わってきた。それが、火薬だ。
 原子力も火薬同様、兵器として開発された。その後の展開は贅言を要すまい。一方、原発は平和利用として推進されてきた。だが、こちらは火薬と命運を異にする。原爆と原発。いま明暗を別つどころか、いずれも暗だったのではないかと深刻なオブジェクションを突きつけられている。スリーマイル、チェルノブイリ、そしてフクシマだ。平和利用の前提である安全利用が瓦解した。特にフクシマは原発の存在そのものに疑義がもたれるに至った。
 火薬と原子力、明と暗に対するに暗から暗。行く手はなぜ、二様(フタヨウ)に別れたか。
 つまるところ、ウラン235が作為の物質であることに行き着く。確かに天然にあるにはある。しかし0.72%に過ぎない。核分裂を起こすには100%近くまで濃縮せねばならない。プルトニウムとて同様、人為の物質である。作為と人為が重畳と絡み合ってほとんど人工といえる物質に変移した。となれば如上の暗転は、神の領域に人間が踏み込んだ報いであろうか。創造主による裁きか。そうではあるまい。それでは答えが安手に過ぎる。ただ、ガイヤにとって核物質が異物であることに疑いはない。外敵は能く見える。しかし、誤嚥した異物は難敵だ。押し潰されるほど重い荷を背負(ショ)った道行きは苦汁を極める。その覚悟はしたい。
 米国の高名な進化生物学者ジャレド・ダイアモンドは、原発事故は「リスクが過大評価されがちな事故」の典型だとし、「原子力のかかえる問題は、石油や石炭を使い続けることで起きる問題に比べれば小さい」と言う。さらに「放射性廃棄物は地下深くに封じ込められますが、放出された二酸化炭素は200年間は大気中に留まる」とも畳み掛ける。
 かつて何度も触れた学者だ。類い稀な大きな知性の人だ。しかし、これには肯んじられない。羮に懲りて膾を吹いても、小事は大事である。なにせ、“神話”は跡形もなく瓦解した。それに、ガイヤの深部は宇宙に比肩するほど未知だ。

 華火とも書く。須臾、天空を艶(アデ)やかに飾る華か。ならばもしかすると、原子力による栄華は四十数億年に及ぶ地球史に、刹那咲く徒花かもしれぬ。 □


新聞から3題

2013年08月13日 | エッセー

 8月11日付朝日新聞から3本取り上げる。
 
〓帝王切開、20年で倍増 背景に訴訟問題
 帝王切開で出産する人の割合が約19%と、この20年でほぼ倍増している。厚生労働省のデータでわかった。日本産婦人科医会の詳しい統計分析でも2011年に18・6%と、世界保健機関(WHO)が推奨する目安を超えていた。自然分娩では予期せぬ事故が起こることもあり、医療訴訟などを避けたい医療者側の思惑が背景にありそうだ。
 帝王切開が必要なのは、胎盤が子宮口にくっつく前置胎盤や、へその緒が胎児より先に出る場合などだ。帝王切開を繰り返すと、子宮摘出や大量出血による輸血などの危険も高まり、前置胎盤も起こりやすくなる。しかし、医療事故などのトラブルを避けるため、あらかじめ帝王切開を予定したり、早めに切り替えたりする医師が増えている。
 WHOの10年の報告書によると、世界137カ国のうち、約半数で、推奨の目安を超えており、米国は30%を超え、北欧諸国などは日本より低くなっている。
 産婦人科医会のデータを分析した石川さんは「帝王切開率が30%を超えた米国では、医療費増加などの問題が起きている。日本でも、安易に選択して、これ以上増えないよう対策が必要だ」と話している。 〓(〓部分は朝日新聞から抄録、以下同様)
 てっきり母体の安全を憂いての措置だと受け取っていたら、医療事故対策だという。なんともやるせない。
 そこで、『オニババ化する女たち』が話題を呼んだ疫学者の三砂ちづる氏の卓説を徴したい。講談社α文庫『「身体知」 内田 樹 + 三砂ちづる』から引く。なおいつものことではあるが、長い引用は引用者の力不足のため下手に丸めると文意を損ない著者に礼を失するが故である。
 
◇ある助産院に、臍帯が四回巻いていた赤ちゃんを出産した時のビデオがたまたま残っていました。なかなかお産が進まなかった。ただ、赤ちゃんの心音はいいし、お母さんも元気だし気分がよさそうなので見ていたというのです。すごくゆっくりなお産なのだけれども、子宮口が全開大になったところでものすごい勢いで赤ちゃんが降りてきた。頭だけ出たら四回巻いている。助産院では切りませんから、助産師さんが一回、二回、三回、四回とほどいて子どもが生まれてきた。
 その方は七〇歳を過ぎた助産師さんなんですが「赤ちゃんの顔を見てください」と言うんです。それは誇らしい、いい顔をしているの。「私はやりました」という顔をしている。つまり赤ちゃんは自分がそういう状態であることをお腹の中で察知できているわけです。ゆっくり降りてこないといけないな、と思って、おそらくゆっくりと調整して降りてきた。全開大になったら、そこは産道だからゆっくりしているときついのでしょう。そこでガッと出てきた。赤ちゃんとしては自分の力を使いきれた。
 助産師さんは「こういう経験を子どもにさせてあげないといけないですね。自分の状態がわかって、生まれてこようとしている経験があるとないとでは違うでしょう」と言われます。こういう経験がなくても、もちろんあとの人生で挽回できるのだけれども、最初からこのような経験をしてここから出発できるのと、そうでないのとでは、人生の出発としてかなりのギャップがあります。
 お産はこういう経験だということを、お母さんも赤ちゃんも男の人もみんなわかっていい。いまは医療としての出産しか見ていないから、本当の生まれる意味がわからなくなってきている。本来のお産がこんなにすばらしいと言うと、「できない人やできなかった人がかわいそうだからやめてくれ」と反応するのは、方向が逆だと思いますね。人間は経験したからといって、すべてわかるものではない。言葉から想像して他人の経験を共有するために「勉強」をしているのでしょう。自分が経験していないからわからない、ということではないと思う。経験がすべて、ではないですよ。◇

 男だから出産の体験はない、とはいえない。そうではなく、「人生の出発」に際しみな体験している(ただし、記憶はない)。特に「自分の力を使い」きって産道を経由した者は、後々の人生を変えるほどの経験になっているかもしれない。となれば帝王切開は医療事故のディメンジョンではなく、より深い問いかけが必要になってくるのではないか。

2.
〓中学生、いじめられないのは3割だけ  国立研究所調査 
 中学校でいじめられなかった子は3割だけ――。国立教育政策研究所(国研)が5日、そんな調査結果を発表した。いじめた経験のない子も3割にとどまった。国研は「大半の子が、いじめっ子にもいじめられっ子にもなり得る」として、予防の重要性を訴えている。〓                                      
 このニュースに触れたとたん、内田氏の卓見が浮かんだ。内田氏は、ほとんどの子供たちが被害者の側だけでなく加害者または傍観者の側にいる、それがいじめの制度的根因であると語っていた。なるほどとは頷きつつ浅はかにも、それほどでもあるまいと疑義を抱いていた。ところが、浅慮を恥じねばならない。残りの7割を単純に2で割れば、3.5。被害者と加害者が入れ替わらないと、この数字にはならない。つまりダブっている。大事なことゆえ、以下長い引用をする。

◇ちょっと言いにくいんですけれど、いじめられて自殺する子供って、「いじめ」に対抗できるロジックをもってないんじゃないかっていう気がするんです。
 つまり、過去に自分自身がいじめの加害者であったり、あるいはいじめを傍観していたりしたという事実があって、「いじめはよくない。そういうことをする人間を傍観する人間も、人間としてまっとうじゃない」という常識的な意見を言う権利をすでに失っている。過去に一度もいじめに加担したことも、傍観したこともないという子供がいじめの標的になったら、きっぱりと「人間として卑しいことをするな」とクラス全員を敵に回しても意地でも言い続けられると思うんです。どれほど現実的に力が弱くても、自分のほうに倫理的優位性があると思えれば、子供だってかなり突っ張れる。
 でも、いじめの加害者や傍観者に向かって、「おまえたちは人間として卑しいことをしている」と告げる権利が自分にはないと思っている子供は、突っ張れない。かつて自分も加害者であり、傍観者であったという経験をした子供はいじめに対して打つ手がないんです。
 そして、今学校で起きているいじめの最大の特徴は、できる限り多くの子供がいじめの加害者または傍観者となることで、いじめを批判できる倫理的な優位性そのものがつぶされているということだと僕は思うんです。
 標的がどんどん入れ替わる。どんなきっかけからでもいじめの標的になりうる。でも、際立った特徴があっていじめられているわけじゃないから、その理不尽な暴力にしばらく耐えさえすれば、いずれ嵐が去って、別の子供が標的になり、それまでの被害者は加害者か傍観者のポジションに移ることができる。そういうふうにして、クラス全員の「手が汚れる」ところまでいじめが進行する。極限的には全員が「いじめ容認派」になる。そうなると、仮にある子供に対するいじめが常軌を逸して執拗であったり、悪質であったりしても、それを批判するロジックを誰一人、被害者自身も立てることができなくなる。
 僕は自殺するところまで子供が追い詰められたのは、その子供自身がかつて一度「いじめを容認する立場」を取ってしまったことによって、自分に向けられたいじめを論理的にも倫理的にも押す権利を失ってしまったという仕掛けのせいじゃないかと思っているんです。自分に理があると思ったら人間は孤立無援でも、かなり長期にわたって抵抗することができます。でも、自分には正義を主張する権利がないのではないか……と思ってしまったら、もうふんばる足場がなくなくなる。今のいじめは子供たちを組織的にそう追い詰める邪悪なメカニズムの結果のように僕には見えます。
 だから、簡単に「いじめの加害者」と「いじめの被害者」を二分することに僕は反対なんです。ほとんどのケースで、加害者はかつて被害者であり、被害者はかつて加害者であった。そういう二元論的な分類を不能にする力学が働いている。
 加害者を特定して、刑事罰を加えればいじめがなくなるという発想をする人は、いじめの加害者が「本性的に邪悪な人間」であるということを無言のうちに前提にしているわけですけれど、僕はそれは事態を適切にとらえていないと思います。とりわけ邪悪でもない、ただ規範意識が弱いだけの子供がいじめの加害者になって、節度のない暴力をふるう。そうさせるメカニズムが今日本の学校では活発に機能している。そのメカニズムを解明して、そこから子供たちを解き放つ方法を考えなげればいけない。子供たちを捕まえて、刑事罰を加えても、いじめはなくならない。むしろ激化するんじゃないかと思います。
 処罰のロジックは加害者・傍観者の数を増やすことはあっても減らすことはありません。いじめの容疑で逮捕されたり、矯正施設に入れられたりする子供と、加害者であったにもかかわらず、関与が軽微であったからという理由で免罪された子供の差はいったい学校教育の中でどう補正できるのか。倫理的にはどちらも「クロ」なんです。でも、一方は刑事罰の対象になり、一方は教育的指導で終わる。処罰を逃れた子供は、その後ずっと「自分の手は汚れているが、処罰を逃れた」という疚しさを持ち続ける。自尊感情を損なわれた、倫理的に自己評価の低い子供がそうやって組織的に生み出されることになる。そういう子供は本当に弱いんです。倫理的に弱い。どんな理不尽な要求であっても、大声でどなりつけられると崩れるように屈服してしまう。プライドがないから。そういう弱さをかかえたまま大人になる。そんな子供たちが成熟した市民に育つということは絶望的に困難だと思います。
 いじめは属人的な気質の問題ではなく、制度的な問題です。いじめを生み出す制度を放置して、その制度の産物にすぎない子供を摘発しても、事態はまったく変わらないと思います。◇(宝島社「内田さんに聞いてみた『正しいオヤジ』になる方法 木村政雄vs.内田 樹」から)

 まさに如上の記事は、内田氏の「できる限り多くの子供がいじめの加害者または傍観者となることで、いじめを批判できる倫理的な優位性そのものがつぶされている」との考究にエビデンスを供するものだ。
 後半の「処罰のロジック」が「処罰を逃れた子供」を「自尊感情を損なわれた、倫理的に自己評価の低い」子供として「組織的に生み出」す結果となるとの指摘は、押し潰されるほどに深刻だ。肺腑を抉る。このような洞見は、寡聞にして他に例をみない。本来的に贈与であるべき教育に「処罰のロジック」が介在することの罪科。断じて見落としてはなるまい。
 一方、この手の問題に必ず顔を出すオネー・キャラで売るO教育評論家がいる。彼(否、ママ)の語ることがいかに浅く、かつ核心を外れているか。もっとも、内田氏の著書名でもある「下流志向」という社会的アポリアの存在などまったく視野にある気配すらない。ひたすら教育論風トリビアリズムを切り売りしているだけだ。
 比するに、元高校教師で「プロ教師の会」代表である諏訪哲二氏の論攷は大いに傾聴に値する。「いじめ論の大罪」(中公新書、本年3月発刊)から要点を抜き書きする。 

◇70年代以降、「子どもは未成熟」という観点がなくなり、教師=教える者、子ども=学ぶ者という傾斜性が消失し、子どもは学校においても市場における自由な経済(消費)主体と同じように、教師に対しても「等価交換」の関係を求めるようになった。だが、教育は「贈与」関係によって土台が築かれなければならない。
 かつて、教室の人間関係も、教師を頂点とする二等辺三角形になっていた。子ども(生徒)たちは集団内部で横にも斜めにも上下にもつながっていたが、一番上(頂点)に教師が存在していることが意識されていた。この頂点の権威が意識されなくなったことが、いじめの悪質化の主要な原因のひとつである。いじめは、教師に力があって権威性が確立しているクラスでは起こりにくいのである。
 何分の一かは「教師である私」の責任であるとは思えても、子ども(生徒)のトラブルのすべてを学校に負わせようとする考えはおかしい。家庭でどう育てたのかを問い返したい。ところが、このおかしいことがまかり通り、八〇年以降の教育不全・学校不全の責任はすべて学校にあるとされ、それ以降、「学校バッシング」「教師バッシング」がマスコミを中心に展開されることとなった。
 学校(教師)は未成年である「加害者」の人権を守らざるをえない微妙な立場にもある。仮に、少年院に送られることがあっても、また戻ってくる。「知っていること」のすべてを外部に出さないのは隠蔽体質のためだけではない。ここの機微にもメディアは無頓着である。何しろ、悪いのは学校(教師)や教委だと決まっているのだから。◇

 前半は「下流志向」と強く響き合う。後半は教師というトポスからの鋭い洞察である。安手の『いじめ論』がどれほど大罪を重ねているか。対症療法、病因を取り違えた加療がいかに病状を悪化させるか。テレビのワイドショーレベルのコメントや処方箋で方の付く問題ではない。

3.
〓(日曜に想う)拷問、あるいは忘れられる歴史 論説主幹・大野博人
 「米中央情報局がビンラディンの隠れ家を特定するためにテロリストを水責めにしたことを認めたが、これは拷問の成果では」「(爆弾をしかけた)場所を突き止められなければ10万人死ぬことが明らかな場合に(逮捕した犯人への)拷問を禁じるべきか」
 国家や国民の安全はきれいごとではすまないのではないか。それをめぐって議論は熱を帯びていった。
 どこの国でも、多くの政治家や論者は国家運営は「きれいごとではすまない」と考えるだろう。だから、おぞましい選択肢も「絶対に禁止」とは言いたくない。だが、実行したあとは、汚れ仕事に手を染めた者、犠牲になった者たちから目を背ける。
 「国民の本質とは、すべての個人が多くの事柄を共有し、また全員が多くのことを忘れていることです」。フランスの歴史家、エルネスト・ルナンは1882年、パリ・ソルボンヌ大学での講演「国民とは何か」でそう語った。ナショナリズムについての基本文献の一つとされる。
 翻訳した一橋大学大学院の鵜飼哲教授は「ふつう国民は記憶を共有していると言われる。けれど、それは膨大な忘却があって成り立つ」と話す。国内外での数々の虐殺や迫害。国家機密にしなくとも、学校で教えず、マスメディアで話題にならなければ、多くのことが人々の頭から消えていく。何を残すかは、政治勢力が作りたい国家像による。「忘却は組織的です」
 多くのことをいっしょに忘れる。それが国民の本質なら、忘れられた歴史は、記憶されている歴史よりずっと重いだろう。〓

 「国民の本質とは、すべての個人が多くの事柄を共有し、また全員が多くのことを忘れていることです」とは実に重い。「永続敗戦」が想起され、「国民の有責性」が連想される。
 7月の本ブログ「追記 2話」でも引用したが、重ねて徴したい。内田 樹氏の『期間限定の思想』から。
◇個人が集団を代表するわけではないし、集団が個人すべてを代弁するわけでもない。でもやはり絡み合っている。たとえ個人でも、集団の政治責任からは逃れられないと思います。前に、高市早苗が「私は戦後に生まれたので、戦争責任を謝罪しろと言われても、私は謝る義理はない」というような事を言いましたが、この発想というのは、共同体と個人の間が深いところでからまっているということ、個人は国家を代表できないけれども代表できる、代表すべきだが代表すべきではないという、ものすごくデリケートな関係にある、ということが分かっていないということだと思います。
 全員が共犯関係にある、というのが、国民国家における国民の有責性のあり方なわけです。だからたとえば、戦時中の共産党員が、「私はその時戦争に反対して投獄されていたから侵略戦争に対して責任はない」ということもほんとうは言えないんだと思います。国家の行動に対しては、全員が何らかの形で責任を負っている。
 国民国家の行なったことについて「手が白い」国民は一人もいないんです。国民全員の政治的な行動の、あるいは非行動の総和として、国家の行動というものがあるわけですから、全員がそこにはコミットしている。だからそのコミットメントの、自分の「持ち分」に関してはきっちり「つけ」を払っていかなくてはならない。ナショナリストは国家の犯した罪を決して認めないし、左翼の人には国家の犯した罪の自分たちもまた「従犯」であるという意識がありません。いいところも悪いところも込みで、トータルに国家についての責任のうちの「自分の割り前」を引き受けるのが国民ひとりひとりの仕事だという当たり前の「常識」だけが語られていないんです。◇

 「ナショナリストは国家の犯した罪を決して認めないし、左翼の人には国家の犯した罪の自分たちもまた『従犯』であるという意識がありません」とは、核心を突く達識だ。ドグマの怖さでもあろう。俯瞰的に自らを相対化できない。左右ともに夜郎自大となる。
 さて、明後日は68回目の「『敗戦』記念日」である。「自分の『持ち分』に関してはきっちり『つけ』を払って」いく中間決算といえようか。「多くのことをいっしょに忘れる」という「国民の本質」に抗って、この一年の収支を自らに問いかけてみたい。 □


お蔵入り

2013年08月10日 | エッセー

 ちょっと意地悪なことを考えた。
 恒例のNHKラジオ「夏休み子供科学電話相談」を、『夏休み子供なんでも電話相談』に変える。 

「なんで、勉強しなくちゃいけないんですか?」
「どうしてお金持ちと、貧乏な家があるんですか?」
「事故を起こしたのに、なぜ原発をまた動かそうとしているんですか?」
「どうして人間は戦争をするのですか?」
「いじめたい子がいます。いじめてはいけませんか?」
「尖閣列島と竹島で、なぜ争いが起こっているのですか?」
「オスプレイは何のために沖縄に来たのですか?」
「アベノミクスって何ですか?」
「憲法を変えるって、どういうことですか?」
「なぜ、人を殺してはいけないんですか?」
「離婚って、どうしてするんですか?」
「むかしは、食物アレルギーはなかったんですか?」
「iPS細胞で、もう一人のぼくを作れますか?」
「富士山はいつ爆発するんですか?」
「東京で大地震が起こるって、本当ですか?」
「ぼくたちが年とった時、年金はもらえるんでしょうか?」
「ぼくたちは、なぜ選挙ができないんですか?」
「地球温暖化って、どういうことですか?」

 とても常人には即答などできない。でもテレビでお馴染みのコメンテーター・Iさんなら、ここぞとばかり確信ある解答をするかもしれない。子供たちもきっと納得するだろう。しかし、Iさんの解答には教育的効果はまるでない。
 一つには、広範な知識は概して薄いからだ。広くかつ深くあるのは、天才を要する。だって時々筋違いの発言やまちがった知識を開陳するIさんは、疑いようもなく天才ではないからだ。ごく当たり前のことであるが、間違った知識を与えてはいけない。
 もう一つは、“全知感”は危険であること。難しいことをやさしく分かりやすく説明する、というのがIさんのスタンスであり“売り”だ。しかし、これも天才を要する。古(イニシエ)の天才はそういう場合、たいがい「神のみぞ知る」かなんか言って煙(ケム)に巻いた。それを天才にあらざる凡人が縷言しようとすると、必ず端折る。いや端折らざるをえない。では丸めるか。これも天才を要する。予備も基礎もない相手が理路を追えるわけがないからだ。凡人がもっと凡人を相手にやさしく分かりやすく説明できる道理などあるはずがない。しかもコンビニエンスでインスタントな知識は長持ちしない。テレビで頷いているお笑い芸人たちは、おそらくスタジオから出るころにはすっかり忘れている。
 至極当然なことだが、自分で苦労して学んだこと以外身につかないように知性は構造化されている。問題は苦労しても学ぼうとするモチベーションをどう附与するかだ。学びをどう起動させるか、それが教育の核心である。それを歩くウィキペディアのごとく縦横に答えが返ってきては、教育上好ましくないのは明らかである。
 第一、彼は答えに窮したことがない。答えられず、頭を抱え込んだこともない。いつも“全知感”に溢れている。「私には分かりません」とは言わない。「〇〇さんならヒントをくれるかもしれないから、聞いて来ます」などとも言わない。だから、“全知感”は「世の中、謎だらけ」「ひょっとしたら、事実は逆かもしれない」という極めて常識的知性の働きを阻害しかねない。つまり、ワイドショー・レベルの知的麻痺や思考停止を誘発する危険があるともいえる。
 思想家の内田 樹氏は無知について、次のように述べている。
◇ある哲学者によれば、無知とは知識の欠如ではない。そうではなくて、知識で頭がぎっしり目詰まりして、新しい知識を受け容れる余地がない状態のことを言うのだそうである。(知らないと)正直にカミングアウトする学者は、かなり少数派である。何を訊いても、「そんなことは自分にはわかっていた」と応じるというのが、実は無知の典型的な様態だということは、長く学者をやってきて知ったことの一つである。人はものを知らないから無知であるのではない。いくら物知りでも、今自分が用いている情報処理システムを変えたくないと思っている人間は、進んで無知になる。自分の知的枠組みの組み替えを要求するような情報の入力を拒否する我執を、無知と呼ぶのである。◇(「修業論」より )

 てな訳で、Iさんが古巣の放送局で解答者席に座るのは不適格といえる。もうお判りであろう。Iさん“でさえ”解答者になれないのだから、番組は不成立。企画はお蔵になる。 □


夜話

2013年08月09日 | エッセー

  老舗のJ社が他業種の無謀なプロジェクトに手を出し、有り金をすべてはたき大借金をした挙句に倒産した。A大銀行がJ社を吸収し大量融資をしてくれて、表向き倒産を隠せた。倒産したとも、吸収合併されたとも言わず、「新規開店」だけが強調された。
 かつて下請にしていた会社にも倒産したことなど漏らさず、大きな顔をしつづけた。実際には倒産しているのに身内にも下請にも倒産したと言わないでいられたのは、A銀が支えてくれていたからだ。なぜなら、A銀にとっての最大のライバルS大銀行がその会社を狙っていたからだ。
 たしかに乗り込んで来たA銀によって大きな機構改革はなされたようだが、首脳陣は温存され、昔の体質はそのまま残った。しかし社員の懸命な努力と、たまたまの好景気に恵まれて会社は復活した。
 やがてA銀から自立のお墨付きをもらい、倒産前を上回る規模に成長した。しかしA銀がメインバンクであり株の大半は握られて、好き勝手なことはできないままでいることに変わりはない。
 ところが、ひょんなことからライバルのS銀が潰れた。それに加え、下請が力をつけ言うことを聞かなくなってきた。中には新規事業で儲けた下請が新会社に衣替えし、J社のテリトリーを食い始めて縄張り騒動にまでなっている。しかもJ社は手掛けた大きな事業が失敗し、大変な痛手を被った。あれほど儲かっていたのは、たまたまの幸運であったことがはっきりしたのだ。この先、もう二度とあの繁盛は考えられない。調子に乗って繰り返してきた借金で首も回らなくなっている。A銀も台所が苦しく、融資も期待できない。倒産の化けの皮がはがれたに等しい。
 支えてきてくれたA銀には新たなライバルC大銀行が生まれて、戦々恐々としている。ひょっとしたら、この先テリトリーを食われるかもしれない。A銀にとってはJ社がライバルC銀とあまりフレンドリーになってもらっても、自分の役割が軽くなるので困る。かといって、やり合ってゴタゴタが大きくなるとテリトリーが混乱を来す。これは避けねばならない。だから、適当にもめてくれているのが一番都合がいい。時々仲介役に出て行って、存在をアピールできるからだ。
  そんな中でJ社の首脳陣も代替わりし、3代目がトップを占めている。首脳陣も創業以来の縁故関係者が大半だ。どうしても、父祖から聞いた倒産前の栄光の時代が忘れられないらしい。事あるごとにA銀と対等に振る舞いたいらしい。しかし今なおA銀が大株主である構図に変わりはない。ところがそれを無視して、貸していた一番客通りの多い支店社屋を返してくれと言って、哀れにも完全にネグられた臨時の社外社長がいた。
 後に御家騒動に発展し、大もめした。返り咲いた生え抜きで創業一族の社長も、大銀行の恩義を忘れて先祖返りしようとする願望が見えかくれし、A銀の覚えが芳しくない。
 なぜだろうか?
 元を糺せば、倒産処理をキチンとしていなかったからだ。主脳陣を丸ごと変え、会社の仕組みを抜本的に入れ替え、債権者や損害を与えた下請に詫び、債務を誠実に履行しなかったからだ。会社を処分せず倒産処理をしないから、首脳陣はそのまま、債務は踏み倒し(返済ではなく、寄贈ということにして少し返したが)、事業の見直しもしない。つまり、倒産した時の状態がそのまま続いている。だからある経営コンサルタントがそれを称して、『永続倒産』と呼んでいる。
 譬えていえば、傷を隠すから傷は治らないまましだいに悪化する。そういうことだ……。

 猛暑で寝つけず輾転反側するなかで、骨を取っ替え赤ん坊を奪う夜話をつくってみた。 □


南の風

2013年08月08日 | エッセー

 8月7日、サザンオールスターズの復活と新譜を報せる4面ブチ抜きの広告が朝日新聞に載った。メインの曲は「ピースとハイライト」。フォルクスワーゲンのCMソングでもある。それを含む全4曲の歌詞全文が『天声人語』風にレイアウトされている。朝日だからできる意匠か。加えて、各界の著名人10名がコメントを寄せている。これが、なかなか楽しめる。いくつか紹介しよう。(インデントはそのまま引用)

──【阿川佐和子】 作家・エッセイスト
お帰りなさい。
ビールにする? 
それともお風呂が先? ──

 いいとこのお嬢さん(今や、でもないか)はこういうことを言うんだと、妙に納得する。生来の機知と茶目っ気。なかなかよろしいのでは。

──【森永卓郎】 経済アナリスト
サザンはアートだ
 初めて「勝手にシンドバッド」を歌うサザンオールスターズをみたとき、常識を打ち破る衝撃的な歌詞とメロディに、不覚にもボクは、サザンをコミックバンドだと誤解してしまった。しかし、そのサザンの歌が気になって、気になって仕方がない。繰り返し聞くうちに、「ラーラ・ラーラララ・ラーララ」と叫んでいる自分がいた。サザンが35年も愛され続けてきた理由は、サザンの歌が「アート」だからだと思う。サザンの歌は、単に美しいだけでなく、常に人々の魂をゆさぶる驚きに溢れている。そのアートの世界にどっぷりと浸って生きていきたいので、復活が何より嬉しいし、これからもずっとボクたちを驚かせ続けて欲しいのだ。──

 はじめはコミックバンドと勘違いした? 経済エコノミストと名乗りながら、ポイントカードについて得得と能書きを垂れる。その程度の、薄さを象徴するコメントである。

──【斉藤 環】 精神科医
“サザン”は日本語を解放した。「語り」の延長線上に閉じ込められていた日本語は、意味の呪縛から解き放たれ、8ビートに躍動する「うた」となった。その挑発、その風刺、その猥雑、その皮肉、すべての背後にかいま見えるのは桑田佳祐の“シャイネス”だ。その含羞の上にこそ、彼らの「ロック」が輝いている。──

 ここで語られていることは、いわば定説である。「意味の呪縛から解き放たれ、8ビートに躍動する『うた』となった」はその通りだが、隔靴掻痒だ。問題はそのフィジカルな開放の仕方である。つまりは発声、発音の態様である。
 世にサザンの名が浸透したころであったろうか、あるラジオ番組で梓みちよが「近ごろの歌は、何を言っているのか分からない。もっとはっきりと発音しないといけない」と語ったことがある。明らかに桑田を指していた。ぶっちゃけていうと、日本語のようには聞こえないのだ。この梓の短見こそ、「意味の呪縛から解き放たれ」たことの何よりの明証である。
 その「発声、発音の態様」の淵源を辿れば吉田拓郎に行き着くのだが、それは措こう。斉藤氏が等閑にしているところこそ肝なのだが。

──【太田 光】 爆笑問題
「サザンオールスターズは、
 世界に先駆けた
 日本のエネルギーだ!」──

 なにかの発作であろうか。意味不明である。何かを感じているのは判るが、感じたものを表出する術(スベ)がないのだろう。

──【香山リカ】 精神科医
デビューのとき、私は高校生。自分や世の中の未来が明るいのか暗いのかまったくわからず、心の中はカオス状態の日々を送っていたが、サザンを聴いて何かが弾けた。まあ、なんとかなるさ!なんとかならなくたって、どうってことないさ!……その確信は結局、いまだに持続している。──

 「なにかが弾けた」とは、さすがに心理学者たるべき感性である。カオスから引き挙げてくれた歌の力。『その確信』を生んだのは、桑田にある、底の明るさではなかったか。湘南に北風は似合わない。乾いた南風こそ湘南の風だ。“サザンロック”からグループを名付けたそうだが、“サザン”とは南だ。南の風だ。まさに「凱風南よりして彼の棘心を吹く」ではないか。
 拙稿を引きたい。09年4月「午前中に・・・」から。
〓(拓郎の歌には)喜怒哀楽のうち、「哀」はない。哀音がないのである。勝手な解釈だが、吉田拓郎というミュージシャンの核心部分には乾いた南風が吹いている。けっして湿ってはいない。
 悲しい歌がないわけではない。しかし、哀しくはない。哀音に塗(マミ)れることはない。そのかわり、「喜」「怒」「楽」は溢れるほどある。それが拓郎の磁力だ、そう決め込んでいる。
 ある時、信頼する友人が「拓郎を聴くと元気が出る」と語った。わが意を得たり、である。言い古されたことだが、人は心に傷を負うと北へ向かう。演歌はほとんどが北を舞台にするように。〓
  奇しくも大病を患い、復活した二人。桑田には拓郎へのオマージュを込めた曲もある。二人に吹く風は、いや二人が送る風は南風とみたい。

 
──【俵 万智】 歌人
愛と毒のある歌詞にしびれた。
「ピースとハイライト」。ここにある言葉は
砂場で遊ぶ子どもから、一国の命運を握る政治家まで、
それぞれに向けた色彩を帯びて届く。
79年のコンサートに行ったとき、自分はまだ高校生だった。
時代を映してきた、いや時代そのものだったサザンの音楽。
今は、桑田さんにここまで歌わせる時代なのだ、と思う。
うん、20世紀で懲りたこと、いっぱいあるはず。──

 歌詞に愛ばかりではなく、毒をも見いだすのは歌人の詩魂であろうか。「ピースとハイライト」で20世紀を「狂気」とよび、「懲りたはず」と諌める。毒のある言葉だ。毒をもって毒を制する。まことに際疾い。

──【内田 樹】 思想家
 サザンオールスターズの音楽はおそらく「最後の国民歌謡」として日本音楽史に名前をとどめることになると思います。「国民歌謡」の条件はいくつかあります。第一の条件は特定の年齢や性別や階層を排他的に標的にせず、「老若男女」すべてに全方位的に歌いかけていること。第二の条件は「異文化とのハイブリッド」であること。土着的なものと舶来のものの混淆こそ日本文化の正統のかたちです。桑田佳祐の歌唱法はエリック・クラプトン的かつ前川清的ですが、これこそ国民歌謡の王道。第三の条件、これがいちばんたいせつなのですけれど、「国土を祝福する歌謡」であること。「江ノ島が見えてきた」以来サザンはさまざまな地名を歌い込み、それらの土地を豊かに祝福してきました。これは古代の「国見」儀礼や山河の美しさを言祝ぐ「賦」の系譜に連なるものだと私は思っております。国民国家が解体しつつある時代に敢えて再登場を果たした「最後の国民歌謡」バンドに連帯の拍手を送ります。──
                              
 他者とは比較を絶する論評である。その深さときたら、もうぶっ倒れそうだ。
 「ハイブリッド」の証左として、「エリック・クラプトン的かつ前川清的」歌唱法を挙げるのは驚天動地の考究ではないか。クラプトン的とは“CREAM”時代ではなく、アメリカへ渡っての“LAYLA”以降の歌唱であろうことは想像がつく。だが、実はもう一ひねりがある。『内田研究室』では、概要以下のように語っている。
◇どの国語でも、その音韻体系のうちでとりわけ「のび」のある音をきかせどころにもってくることに成功した楽曲が「国民歌謡」として長く歌い継がれる。
 英語の場合、いちばん「のび」が出るのは男性の中音の「鼻声」、カントリーの歌唱法である。
 ロックのサウンドにどうやって日本語を載せるかという歴史的課題に松本隆が試みたソリューションは、「借り物」である音楽には「借り物」をあてがうと「ぴたりと決まる」というものだった。
 桑田は黒人のブルースの歌唱法を真似たイギリス白人クラプトンの歌唱法を日本人が真似るという大技を繰り出した。◇
 よそ者は本場ものには太刀打ちできない。しくじると単なる物まねに堕してしまう。だから、よくできた真似をコピーする。ここが肝心だが、直接真似てはだめだ。美空ひばりを真似る青木某と同じである。どんなに似せてもひばりにはなれない(なってほしくもない)。それはどこまでいっても芸でしかない。(「よく似てる」「本物そっくり」という評価を超えることはない)。真似が深まるほど本物と乖離する。哀れにも当人は気づいていない。周りもあんぐりとしているだけだ。だから、“一ひねり”する。一度近似値でインカネーションされたものを真似る。これは並な実力ではできない。とんでもない「大技」となる。
 前川清は演歌という「土着的なもの」の表徴であるとともに、あのグルングルンの小節は「『のび』のある音をきかせどころにもってくる」という成功の法則そのものである。内田氏は前川節のファンらしい。「ハイブリッド」の一方に同質の歌唱を聴き取るとは、相当な目利きならぬ耳利きだ。しかしメロディーや歌詞の過激性にもかかわらず、桑田にある和みはそれとみて外れてはいないだろう。
 余談だが、09年の東京コンサートで拓郎が「ぼくはできないんだけど、あのうぅーうぅーっていう小節はあこがれなんだよねー」と語っていた。彼は「特定の年齢や性別や階層を排他的に標的に」する立ち位置で時代に登場した。「第一の条件」に適うはずはない。その「国民歌謡」たりえなかった無念と誇りが問わず語りに漏れた……などとは牽強付会、曲筆舞文の度が過ぎるか。
 閑話休題。
 内田氏は次のようにも述べている。
◇ロックで優先するのは「サウンド」だという選択は正しい。でも歌詞の「意味」もどうにかして残したい。歌詞がすべて「真名」では「国民歌謡」にはならない。漢詩が国民歌謡にならないのと同じです。漢詩は読み下し文にしないと日本人は口承できない。日本人は試行錯誤の末に、この試みに結果的には成功しました。その功労者として私は三人の名前を挙げたいと思います。それは漣健児、松本隆、そして桑田佳祐です。◇(「街場の教育論」から)
 だから漢詩のレ点のごとく、サザンの歌詞には意訳したルビがやたらに付くのか。内田氏の炯眼には度肝を抜かれる。
 締めくくりに、「最後の国民歌謡」について。
 NHK大阪放送局が戦前に全国放送した「新歌謡曲」という番組に端を発する。「家庭で歌える流行歌を独自に作ろう」という主旨であったそうだ。成功を受けて、後「国民歌謡」と番組名を変える。要は、渦を巻くような戦時歌謡の与圧に抗しての企画だった。数々の名曲を送り出したが、もっとも有名なのは「椰子の実」であろう。初の流行歌歌手として東海林太郎が起用された。つまり戦争が臭わない、肩肘張らない流行歌である。ということは、「国民歌謡」は「戦時歌謡」へのオブジェクションだったとして差し支えはなかろう。現今のテレビメディアの体たらくに比して、実に高々と屹立しているではないか。
 さて、今、「家庭で歌える流行歌」ははたしてあるだろうか。如上の三条件に適う楽曲はあるだろうか。そこでなにより見落としてならないのは、「国民国家」が解体過程にあることだ。先般、内田氏が提起したイシューである(5月、本ブログ「国民国家の解体」で紹介した)。だから、「最後の国民歌謡」である。「最後の」には、そのような含意があるにちがいない。
 ところで、内田氏が主宰する合気道道場は「凱風館」と号する。やはり、南の風がお好きとみえる。サザンの風も、聴く者の棘心を吹き抜けるにちがいなかろう。 □


舞文 三題

2013年08月06日 | エッセー

一 こないだ遺伝上乳癌が疑われるため、乳房を切除した米女優がいた。今度は卵巣癌のリスクが高いと判ったのでそれも取るらしい。
 先日は陸上スポーツ界で、米国を筆頭にドーピングの疑惑がまたも浮上した。“モスクワ世界陸上”が、その面でも注視される。
 両者はおそらく同根ではないか。内田 樹氏は「街場のアメリカ論」で、次のように述べている
「アメリカは身体加工への抵抗がきわめて希薄な国です。それは言い換えると、身体というものが一種のヴィークル(乗り物)のようなものとして観念されているということです。・・・筋肉増強剤やステロイドを打ってまで、オリンピックに出てメダルを取ろうとしたり、試合に勝とうとする。それは、彼らにとっての自分の身体が、彼らの意思や野望を実現するための『道具』として扱われているからです。」と述べている。」(・・・は中略)
 内田氏はその背景に「理念先行」というアメリカの「宿痾」があるという。意外にも聞こえるが、事はアメリカの建国そのものに関わる。そここそ上掲書が明かす肝であるが、それは措く。ともあれ、ヴィークルとドライバーである。あるいは「プロクルステスの寝台」を地で行くものともいえようか。
 アメリカ大好きの日本人でも、なかなかそこまでの下駄の雪とはいかぬだろう。日本人ならやはりドライバーを替え、寝台を加工する。アンジェリーナ・ジョリーも、タイソン・ゲイもアメリカ人『らしく』ヴィークルと旅人にフォーカスし、「『道具』として扱」ったというべきか。二件は決してミッシングリンクではない。根深いところでリンクしている。是非曲直の前に、そこは見ておくべきだろう。
 
二 売れてるらしいので、「タモリ論」(樋口毅宏著、新潮新書、先月刊)を一読した。笑いへの無原則的信頼を除けば、概ね納得のいくものだった。ついでにと言っちゃあなんだが、同書になかった点について愚慮、私見を書きなぐっておきたい。
 『坂』についてだ。
 「日本坂道学会」、おふざけの会ではない。真面目な研究会だが、自称の学会で会員は二人。タモリは副会長である。「タモリの坂道美学入門」という著書もある。NHKの『ブラタモリ』でも、坂の話題になると異様に元気だったのが記憶に新しい。なぜ『坂』にアディクトするのか。
 上掲書が指摘するタモリの「孤独」と「狂気」(中身は同書を徴していただこう。でもおおよそ察しはつくが)。そのバランサーが『坂』ではないか。
 いうまでもなく「孤独」はタモリの芸を裏打ちしている。諸説あるが、“グラサン”はお笑いの裏に隠し持った「孤独」ないしはシニシズムを気取られないためのペルソナにちがいない。「狂気」は希釈し小出しにするとタモリの持ちネタになる。イグアナだ。たけしのような出し方はしない。たけしの亜流は本人を含め、誰も望まない。
 しかし当人の中では二つのモチベーションは常に拮抗しているのではないか。有り体にいえば、股裂き状態だ。そこに登場するのがオタクだ。“地図オタク”でも有名だが、長期の旅行が叶わないという必要に迫られてのことだろう。『坂』は違う。日常にある。『お宅』ではできない。出掛けねばならぬ。そして坂である以上、上りと下りがある。どちらに立ってどちらに向かうかは別にして、上位と下位を結ぶものとして坂はある。「孤独」と「狂気」をいずれに配するかはさておき、心性における位階差を地上に(ないしは地図に)落とすと坂になるといえなくもない。そう措定すると、あのアディクションには合点がいく。幻想における血みどろの果たし合いをピットに落としてスポーツにしてみたり、ディスプレイに落としてゲームにしてみたり、そのようにして人はただならぬ心性を包(クル)んできた。それをタモリはより知的に昇華している。そう視たい。一ファンの舞文曲筆ではあるが。

三 近ごろ気になる書き分けがある。
 『ほしい』もしくは『欲しい』についてだ。
 字引によると、
①自分の手に入れたい。自分のものにしたい。(例)「果物が──い」」
②そうありたい。望ましい。(例)「彼に積極性が──い」
③(「…て──い」の形で)自分の望む気持ちを他に求める語。そうしてもらいたい。(例)「見せて──い」
 とある。① は形容詞、② ③ は補助形容詞または補助形容詞的語法である。英語にした方が解りやすい。① は“want 〇〇〇”、② ③ は“want(you)to 〇〇〇”となる。截然たる違いは“(you)to”のあるなしか。 ③ については、平仮名書きに統一を望む声が少なからずある。朝日の社内用手引きでは、どちらでもいいとしているらしい。社説で朝日は、③でも「欲しい」と書いている。しかし、① との違いを明らかにする上からも① は「欲しい」、② ③ は「ほしい」が適切ではないか。
 画数でいくと、平仮名は4画、漢字は11画。断然、平仮名が早い。ん、『早い』? ということは縦書き、手書きの時代には平仮名が優勢だったと推測してまちがいはなかろう。さらに憶測を逞しくすると、「欲しい」はワープロのせいではないか。
 ご案内のように、ワープロは慣れると手書きより格段に早い。「ほ」も「欲(=ほ)」も時間的差はない。画数はなんら問題にはならない。ワープロでは平仮名で入力して『変換』キーを叩くのが手順だ。というより、習慣化されている。かつ、先行する言葉も含めて『変換』キーを叩く(複文節変換)。そうすると、どうなるか。健気なワープロくんは、変換できるものはすべてご要望に応えようとがんばる。「……欲しい」が出てくる。そこで、一度「ほしい」のところだけを『平仮名に変換』しておけばノープロブレムなのだが(あるいは、「てほしい」で学習させるか)、そのまま通過すると次も「……欲しい」となる。ややこしい話だが、きっとそうだ。それに、ワープロではやたら漢字が増えるという悲しい性(サガ)がある。そのような事情ではないか。
 個人的趣向でいえば、① ② ③ 問わずすべて「ほしい」にして『ほしい』。「欲しい」は「欲」が、いかにも肉感的で字面が汚くはないか。単なる文字面と侮るなかれ。文章を眺める、ということに触れた小林秀雄の達識を引こう。
◇大雪の夜の椿事に、諸人惘然としてゐるなかで、義村が演じねばならなかつた芝居を描くのに吾妻鏡編者の頬被りして素知らぬ顔した文章がまことによく似合つてゐる。文章といふものは、妙な言ひ方だが、讀まうとばかりしないで眺めてゐると、いろいろな事を氣付かせるものである。書いた人の意圖なぞとは、全く關係ない意味合を澤山持つて生き死にしてゐる事がわかる。北條氏の陰謀と吾妻鏡編者等の曲筆とは、多くの史家の指摘してゐるところで、その精細な研究について知らぬ僕が、今更かれこれ言ふ事はないわけであるが、ただ、僕がここで言ひたいのは、特に實朝に關する吾妻鏡編者等の舞文潤飾は、編者等の意に反し、義時の陰謀といふ事實を自ら臭はしてゐるに止まらず、自らもつと深いものを暗示してゐるといふ點である。◇(「實朝」から)
 北条政権の意にそって書かれた歴史書であれば、暗部は隠したい。曲筆したかろう。しかし、顔の表情が内心を隠せないように文字面が舞文潤飾を露にしてしまう。「自ら臭はし」「もつと深いものを暗示」すると、小林はいう。
 蓋し、「讀まうとばかりしないで眺めてゐると・・・」とはマエストロにしてはじめて成し得る境位であろう。だが、その万分の一でも猿真似はしてみたい。すると、文字面にも美醜があると仄かに得心する期(ゴ)もあろうというものだ。
 古今の名作がどちらの「ほしい」であったか。調べようとはしたが、名前を挙げるうちにきっぱりと断念した。舞文の徒は、荷に圧殺されるに決まっている。

 暑さ厳しき折から、皆さま、ご自愛ください。欠片拝。 □


修業が足りん!

2013年08月03日 | エッセー

 内田 樹氏の新著「修業論」(光文社新書、先月刊)を貪り読んだ。おもしろい。かつ、深い。いまだに脳天の痺れがつづいている。
 冒頭に、こうある。 
◇修業は商取引とは違います。「努力」を代価として差し出すと、使用価値の明示された「商品」が手渡されるというシンプルなプロセスではありません。だから、消費者として育てられてきた子どもには意味がわからない。市場と商品しか見たことがない子どもには、どうしても修業ということの意味がわからない。◇ (◇部分は同書より抄録、以下同様)
 これは、あの「下流志向」へのアンチテーゼではないか。単に合気道の講釈ではない。時流に抗して放つ警世の書である。なにせ論点は多岐に亘る。とても浅学の手には負えない。だから、3点に絞って感想を記したい。

 唐突だが、タモリの名言について。
 かつて彼はタバコの注意書きをもじって、「健康のために、スポーツのしすぎに注意しましょう」と呼ばわったことがある。外にも「素面でテレビを見るな!」にはじまり、「家庭に仕事とセックスを持ち込まない」や「嫌いな言葉、それは努力」など、巷間の意表の突く数々の逸品がある。いずれも彼の天稟ともいうべき“直感”が捉えたものであろう。本書はその直感に十全な血肉を附与している。
◇肉食獣に追われているようなときには、「そんなに走ると健康に悪い」という判断で、走行にリミッターがかかったら、追いつかれて食われて死んでしまう。その方が健康に悪い。「より健康に悪いことを回避するという緊急避難措置としてなら、人間は一時的にはかなり健康に悪いことをすることができる」。これは生物としては合理的な機制である。そのような装置が私たちの中には組み込まれている。ある種の競技やスポーツで行われている「つよい負荷をかける練習法」は、この機制を利用したものである。青筋を立てて怒声を張り上げる監督やコーチは、象徴的には「肉食獣」である。彼に捕食されないために、選手たちは必死で「健康に悪いこと」をする。それによって、しばしば「こんなことが自分にできると思ってもいなかった爆発的な運動能力の開花」を実感する。それが子どもたちにつよい達成感と自尊感情をもたらす。だからこそ、学校教育の中で、スポーツ競技がこれだけ勧奨されているのだ。◇
 決して内田氏はスポーツ競技を否定しているのではない(同書で言明している)。そうではなく、武道修業との違いについて語っている。「緊急避難措置」ではなく、日常的に「肉食獣」に追っかけられると「健康に悪い」と警鐘を鳴らしている。修業は「長期にわたって、継続的に、自分の身体が蔵する可能性をすみずみまでじっくりと探求し、吟味し、開発する」ことだとも述べている。だから、「肉食獣」方式は全身に宿る長期的ポテンシャルを先食いすることになる。「健康に悪い」とはそのことだ。となると、タモリの言は正鵠を得た蓋し名言ではないか。
  さらに考究は深まる。
◇私たちが何かにアディクトするのは、自分が自分の身体の支配者であるという全能感をそれがもたらすからである。ダイエットでも、自傷行為でも、ギャンブル依存でもアルコール依存でもそれは変わらない。問題は「私は自分の身体を統御している」という全能感のもたらす愉悦なのである。一度全能感を経験した人間は、「もっと入力を」という要請以外のものを思いつかなくなる。これが、「強化型」の発想をするアスリートが陥りがちなピットフォールである。というのは、「努力と成果の相関を数値的に現認したい」という欲望は、身体の使い方そのものの書き換えに対するつよいブレーキとして機能するからである。◇
 「努力と成果の相関を数値的に現認」するとは、「『努力』を代価として差し出すと、使用価値の明示された『商品』が手渡されるというシンプルなプロセス」と同義であろう。修業とは全くベクトルを異にする。だから肯んじられない。「全能感」は「もっと入力を」以外、見えなくしてしまう。病み付きだ。それは視野狭窄のピットフォールである。だから「身体の使い方そのものの書き換え」をめざす武道とは超えがたい懸隔が生まれる。武道への盲目を招来する。タモリの懸念する「健康に悪い」バイアスが不可避となる。
 這い始めた赤ん坊は、やがて立ち歩きに至る。「身体の使い方そのものの書き換え」である。決して這い続けようとはしない。人間にとって二足歩行が生き延びるために最適だからだ。「肉食獣」方式では、四肢の能力を強化して依然として這い這いを繰り返す結果となる。「全能感のもたらす愉悦」に潜むピットフォールとは、つまりそういうことだ。
 論は、「競技の本質的な陥穽」に及ぶ。
◇勝負においては、「私が強い」ということと「相手が弱い」ということは実践的には同義である。そして、「私を強める」ための努力よりも、「相手を弱める」ための努力の方が効果的なのである。理屈は簡単である。「ものを創る」のはむずかしいし、手間暇がかかるが、「ものを壊す」のは容易であり、かつ一瞬の仕事だからである。◇
 競技の本質的構造が如上の陥穽を抱える以上、武道の本義とはおそらく相容れない。忖度するに、タモリの心性からも相当遠い。要は心の健康にも悪いということだ。期せずしてタモリの直感が捉えた「スポーツのしすぎ」は深層を抉っていたのだ。

 次に、天下無敵とは何か。 
 氏によれば、「敵」とは「心身のパフォーマンスを低下させる要素」であるという。
◇「天下に敵なし」とは、敵を「存在してはならないもの」ととらえないということである。そういうものは日常的風景として「あって当たり前」なので、特段気にしないという心的態度のことである。風邪を引いたら、「生まれてからずっと風邪を引いていた」かのようにふるまい、雷撃に打たれたら「生まれてからずっと雷撃に打たれ続けてきた」かのようにふるまい、子どもを亡くしたら「生まれてからずっと子どもに死なれ続けてきた人」であるかのようにふるまうことができる。そのような心身のモードの切り替えができる人にとってはじめて、天下は無敵である。因果論的な思考が「敵」を作り出すのである。自分の不調を、何らかの原因の介在によって「あるべき、標準的な、理想的な私」から逸脱した状態として理解する構えそのものが敵を作り出すのである。純粋状態の、ベスト・コンディションの「私」がもともと存在していて、それが「敵」の侵入や関与や妨害によって機能不全に陥っているから、敵を特定し、排除しさえすれば原初の清浄と健全さが回復される。そういう考え方をする人にとっては、すれ違う人も、触れるものも、すべてが潜在的には敵となる。「敵を作らない」とは、自分がどのような状態にあろうとも、それを「敵による否定的な干渉の結果」としてはとらえないということである。◇
 まさに脳天唐竹割りの一撃である。他責を排し因果をも捨てて、「敵」をアプリオリな存在と捉える。「そのような心身のモードの切り替えができる人」が「天下に敵なし」となる。めざすべき境位とは、それだ。目から鱗、どころか目から目の玉だ。
 武道の奥義、秘伝を現代に開く。門外漢にも、いな門外漢にこそ通じる話法で──。それは、内田氏の圧倒的な膂力をもってはじめて成し得る企図である。並な思想家には到底及ばない大事業だ。
 ほかにも、「瞑想」や「機」などの深遠な論題が展開される。興味は尽きない。クリフハンガーに魂を攫われてみるのも得がたい滋養となる。

 3点目は、司馬遼太郎批判である。
 これには困った。両氏とも敬愛して止まない人物だ。目次を見て、唸ってしまった。丸々1章が割かれている。これはどうしたものか。当然、恐る恐る頁をめくる。『竜馬がゆく』を軸に、難点が並ぶ。羅列してみよう。

◇どうも司馬遼太郎は「剣術遣い」というものに対して、あまり高い評価を与えていないのではないか。
 「剣技修業」というプロセスに対する過剰なまでの無関心を私は感じる。
  司馬は「修業によって人は変わる」ということを、もしかするとあまり信じていないのではないか。あるいはそのことを言いたくないのではないか。
 武道修業のかんどころは、修業のルーティンを、どうやって高いモチベーションを維持して継続するか、にある。司馬はこの「足踏み」状態についてほとんど興味を示さない。
 司馬の剣客小説には「修業論」「稽古論」というものが欠落している。
 修業を始めて、その才能が開花するまでに割かれているのは、わずか2頁である。革命家龍馬の知性的・感性的な成熟の階梯を細密に描くために3000頁を惜しまなかった司馬遼太郎が、剣術家坂本龍馬の天才の発現について、ここまで無関心であることに、私は驚く。
 司馬遼太郎の描く剣客たちは、みな少年期にして剣の天才、「異常児」であり、苦労なく斯道の大家となる。開巻早々に剣客たちは、すでに達すべきところに達しており、修業の苦労話ということについてはできるだけ省略する。これが司馬遼太郎の剣客小説の常道である。◇

 非才な読者にとっては、居合いで胴を払われたようなものだ。虚を突かれ、斬殺されたに等しい。だが、炯眼に見落としはない。それに、具眼の士は慈眼の士でもある。詳しくは本書を徴していただくほかはないが、例えば次の一節だ。
◇ことの条理を問うことがゆるされず、上官から受ける不条理な処罰を適切に回避することだけが、唯一合理的な行動準則であるような過酷な身体訓練を長期にわたって受けた陸軍兵士としての経験が、司馬の中に、非合理的な身体訓練に対する憎しみに近い反感を醸成したのではないか。そこから司馬遼太郎の「修業嫌い」という無意識的な傾向が生まれたのではないか。私はそんなふうに想像する。◇
 何より震えるほどに感銘を受けたのは、竜馬の暗殺を語る深さだ。
◇稀代の剣客が刀を抜くことなく斬られたということのうちに、司馬はアイロニーではなく、むしろ龍馬の「哲学」の完成を見たのではないかと思う。現に龍馬の死は、ある意味で、明治維新を加速することになった。そして、志なかばにして横死することで、龍馬の描いた例外的に風通しのよいあるべき国家像は、ついに歴史の風雪による検証をこうむることがなかった。維新後の西郷や木戸孝允や勝海舟は、深い屈託と不機嫌のうちに沈淪した。その中で龍馬一人が、例外的に笑顔を残したまま死んだ。そのことはむしろ、この青年が永遠の生命を得る理由になったとさえ思われるのである。武士は死ぬことによって、生き残った場合より以上に生きることができるなら、恬淡として死を受け容れる。龍馬を剣を以て殺した側の人々は、彼を殺したつもりでむしろ、彼に永遠の生命を与えたとも言えるのである。だとすれば、龍馬は、「無刀の刀」を以てテロリストを制したのである。坂本龍馬もまた、その長期にわたる集中的な剣の修業を通じて、ついに「無刀の刀」とでもいうべき境地に達したのだと私は考えている。◇
 「無刀の刀」とは、「紀昌の故事」に倣った言葉だ。天下第一の弓の名人になるという志を立てた紀昌が修業の末に、百発百中の「射の射」に達する。だが名人となった紀昌の境位はさらに深まり、弓への執着からも離れ、竟には弓そのものを忘れ去るに至る。真の名人である。これが、「不射の射」だ。
 「稀代の剣客が刀を抜くことなく斬られたということ」に「不射の射」を重ねる。肝胆相照らすとは、このような深層における共鳴をいうにちがいない。司馬遼太郎と内田 樹。まことに得がたいメンターである。

 感想はこれで切り上げる。実を言うと、この稿は3回書き直した。推敲を繰り返した結果ではない。単なるPCへの「保存」ミスだ。「名前を付けて」の名前を混同し、既存のファイルと相殺してしまった。昨日今日のビギナーのような仕儀だ(嗤っているあなた、お気をつけなさいよ)。落ち込み、悔悟の嗚咽を漏らしつつ、涙でキーボードを濡らしつつ再三再四の入力となった。まことに恥ずかしい。穴があったら入りたいが、周りに見当たらないので入りようがない。ともあれ自らに厳しく言わねばならない。
 修業が足りん! と。 □