伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

サピエンス全史

2017年01月29日 | エッセー

 農業は史上最大の詐欺だったと聞けば、農薬売買に絡む事件かGM作物に忍ばせた陰謀かと受け取ってしまう。ところが、言葉の通りなのだ。

   ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社 16年9月初版発行  
   サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

 ネットのコピーには
──農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。──
 とある。もうこれだけでじっとしていられない。昨年末からにわかに話題になった。年明けにすぐ注文したものの、あのAmazonでさえ2週間待たされた。
 著者は
 〈1976年生まれのイスラエル人歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得し、現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えている。軍事史や中世騎士文化についての3冊の著書がある。〉
 と、同書のプロフィールにある。小さく区切ってもホモ・サピエンス250万年に亘る歴史だ。実に『大きな絵』である(この言葉は本稿で幾度となく使ってきた)。干支に因むなら、これほどの“鳥”瞰ができるのは長遠なスパンで歴史を刻んできたこの民族伝来の天資なのかもしれない。
 サピエンス全史において、4度の革命があったという。最初は7万年前の『認知革命』。認知症ではなく、謂は認識に近い。その劇的変化だ。虚構を共有する能力といえる。「共同幻想」を掲げた吉本隆明なら泣いて喜ぶかもしれない。数多のホモ族の中でサピエンスのみが生き延びた秘密はそれだという。
 体躯も脳のサイズも優勢であったネアンデルタールを駆逐したのは認知革命の賜だという。「ライオンがどこそこにいる」との認知は共有できても、「ライオンは守護霊だ」との認識はネアンデルタールには共有できなかった。サバイバルのための協力を可能にしたのは認知革命によって獲得した虚構の共有であった。昨年同時期に発刊された『人類進化の謎を解き明かす』でイギリス人人類学者ロビン・ダンバーも同趣旨の見解を提示していた。高緯度に暮らすネアンデルタールが視覚を優先し前頭葉を犠牲にしたため認知能力や集団形成に後れを取った、と(昨年9月の拙稿「中高年、必読の書」で紹介した)。ハラリ氏はさらに進めて、認知革命が伝説や神話に止まらず企業、法制度、国家、国民、人権、平等、自由などの虚構を生んだと論じていく。とてもドラスティックでドラマティックな展開だ。本書の急所ともいえる。
 続く1万2千年前の農業革命。“詐欺”と“家畜化”の実態が明かされる。慣れない作業による多数の疾患、極端な偏食による栄養失調、集団的飢餓と暴力の発生など、人口の爆発的増加の代償はあまりにも大きかった、と。因みに稿者の概算によると、狩猟採集の期間は農業の206倍の長きに及ぶ。裏返せば、“新しい身体の動かし方”に身体の進化が追いつくには全然時間が足りないということになる。ともあれ、定説や常識がものの見事にひっくり返される快感はカタルシスを覚える。
 後、1万年強の間に認知革命と農業革命を基底にして貨幣、帝国、官僚制、世界宗教が生まれていく過程が克明に描かれる。別けても「貨幣は人類の寛容性の極みでもある」とする見解は出色だ。貨幣については本稿で何度かない頭を絞ってきた。08年10月「きほんの『き』」、09年2月「きほんの『ほ』」、11年8月に「きほんの『ん』1/2」と「きほんの『ん』2/2」と。振り返って、「寛容性の極み」に近似していたことに意を強くした。
 「4度の革命」の内、残る2つは500年前の科学革命と200年前の産業革命だ。全知の神の元、進歩はありえないという前提を覆し、無知を前提とする科学が進歩を登場させた。
 著者の言葉を引こう。
 〈科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩というものを信じていなかった。人々は、黄金時代は過去にあり、世界は仮に衰退していないまでも停滞していると考えていた。長年積み重ねてきた叡智を厳しく固守すれば、古き良き時代を取り戻せるかもしれず、人間の創意工夫は日常生活のあちこちの面を向上させられるかもしれない。だが、人類の実際的な知識を使って、この世の根本的な諸問題を克服するのは不可能だと思われていた。〉
 しかし、サピエンスは科学による下克上で地球史上最強の力を手に入れ始めたのだ。大航海時代が始まり、新大陸が発見され地球が単一の歴史的領域となる。そこに資本主義が生まれ、300年後の産業革命へと連動していく。
 資本主義を理解する件(クダリ)で、「富」と「資本」は違う、資本とは「生産に投資されるお金や資源だ。一方、富は地中に埋まっているか、非生産的な活動に浪費される。非生産的なピラミッドの建設に資源を注ぎ込むファラオは資本主義者ではない」とは明解この上なく、痛いほど膝を打った。難しいことを平易に語れるのは頭のいい証拠だ。本稿と真反対だ。不甲斐なさにハラリと(失礼!)涙が零れる。
 もう1つ。産業革命のキモは「熱を運動に変換するという発想」だったという。今では当たり前だが、蒸気という「熱を使ってものを動かす」ことは夢想すらしなかったことだと。踵を接して石油や電気が現れるのだが、ハラリ氏は「実は産業革命は、エネルギー変換における革命だった」と語る。本質を抉る卓見だ。貴族とコミュニティが消え、国家と市場が主役に躍り出る。裏側で動植物が大規模に絶滅していく様が克明に描かれていく。実は、「産業革命のはるか以前に、ホモ・サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っている」。その「記録」は今なお加速度的に更新されている。ハラリ氏の危惧は「人間至上主義」へ鋭い疑問を投げかける。
 巻末に至り幸福とは何かと問い、今日と将来へと視線を注いでいく。
 「人類が地球という惑星の境界を超越し、核兵器が人類の生存を脅かす。生物が自然選択ではなく知的設計によって形作られることがしだいに多くなる」現代から、未来には「知的設計が生命の基本原理となるか? ホモ・サピエンスが超人たちに取って代わられるか?」と問題を提起する。
 ハラリ氏は歴史研究についてこう語る。
 〈歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる。〉
 この言葉にはおそらくユダヤが嘗めた辛苦の歴程も裏打ちされているだろう。内田 樹氏はこう綴る。
 〈歴史にもしもはないと言う人がいますが、僕はそう思わない。「もしもあのとき、あの選択肢を採っていれば」という非現実仮定に立って「もしかすると起きたかもしれないこと」を想像するというのは、今ここにある現実の意味を理解する上で、きわめて有意義なことなんです。〉(「日本戦後史論」から)
 確か2人は同じことをいっている。「今ここにある現実の意味を理解」すれば、「世の中は違う形で構成しうる」はずだ。緊要なのは『大きな絵』だ。浩瀚ではあるが、挑戦のしがいは充分あった。 □


日頃の行い?

2017年01月24日 | エッセー

 昨年5月場所13日目、全勝同士の白鵬と稀勢の里が対戦。稀勢の里が白鵬を追い詰めたものの、あと一歩のところで下手投げを喰らい正面土俵際で甲羅返しにされた。白鵬は全勝優勝し、またも稀勢の里は優勝を逃し綱取りも潰えた。問題はその後の白鵬のコメントだ。
「勝っていいよという感じだったけど、要は(稀勢の里は)勝てない。誰かが言っていたね。『強い者が大関になる。宿命のある人が横綱になる』と。何かが足りないんでしょうね。横綱・白鵬を倒すには日頃の行いもよくなければね」
 一カ所を除けば非の打ち所がない。その一カ所とは「日頃の行い」だ。何を指していたのか。
 あるスポーツ紙の記者がこう言っていた。
「横綱審議委員会の稽古総見や巡業の稽古の前には、幕内力士たちは白鵬のもとへ水をつけに行く。これから稽古をつけてもらう下位力士の礼儀みたいなものですが、稀勢の里だけは黙々と四股を踏み、水をつけに行かない。白鵬に対する意地があるんですよ。どこか、青森出身の師匠・鳴戸親方の“じょっぱり(意地っ張り)精神”に通じるものを感じさせます」
 当て推量だが、これではないか。去年のいつだったか、テレビのあるバラエティ番組でおちゃらけを力士にねだる企画があった。白鵬が芸人を先導して横綱、大関を巡るうち、稀勢の里だけはすんなりとは応じなかった。あれもじょっぱりだったか。
 稿者の勘ぐり通りだとすると、白鵬が担う横綱の「宿命」に疑問符を付けざるを得ない。「下位力士の礼儀」を守ることが「日頃の行い」だとは、随分狭量な宿命もあるものだ。本場所を離れようとも常住坐臥、意地を張り通す方がよほど勝負師ではないか。表舞台では火花が散っても、楽屋裏では和気藹々。それは芸事か政治の世界であって、男同士のガチンコ勝負では返って気持ちが悪い。少なくとも現役の間は。
 白鵬の狭量、勘違い、もしくは浅識の根はどこにあるのか。やはり、「過剰同化」に行き着く。本稿では何度か取り上げてきた。15年2月「『燃えよ綱』」、15年10月「異風はどこから」、16年5月「かちあげ 禁止に!」、16年9月「一強はつまらない」と。別けても、「『燃えよ綱』」は一番多く紙幅を割いた。以下、抄録してみる。
 〈近藤勇も土方歳三も出自は武州の百姓であった。彼らは身を焦がさんばかりに武士を憧憬し、ついに武士以上の武士となった──。それが司馬遼太郎の見立てである。近藤たちは三百年の太平に弛緩した武士群に分け入り武術、忠義ともに武士たらんと努め、結句日本史上に屹立した武者振りを塑像するに至った。そう司馬は物語『燃えよ剣』を紡いだ。エピゴーネンが時としてプロトタイプを超える。人の世の妙であり、綾でもあろう。
 突飛なようだが、白鵬のことだ。
 初場所、大鵬の記録を塗り替えた。それはいい。だが、中身が悪い。かつ、行儀も悪い。
 昨年夏場所では、優勝の一夜明け会見をボイコット。今場所では、稀勢の里戦での物言いに疑義を呈し審判を口汚く罵った。千秋楽では入場が遅れ、先行の取組仕切り中に審判の前を横切るという前代未聞の失態を演じた。遠藤戦では、「遠藤コール」の大合唱に激情して張り手、搗ち上げの荒技を連発した。ほかにも不要なだめ押しなど、顰蹙を買う場面が続出している。
 「日本人以上の日本人」と言われてきたこの相撲取りが、あろうことか「品格問題」を起こしている。
 09年1月の拙稿「悪童が帰ってきた!」で触れたが、朝青龍は「日本人」の対極にいた。「品格」を嘲笑うように悪童に徹した。稿者はそこを評価した。比するに、白鵬は「日本人以上の日本人」たろうとした。「エピゴーネンが時としてプロトタイプを超える」やもしれぬところまで至っていたといえる。ところが、大記録を前にエピゴーネンに逆戻りし始めたのではないか。
 双葉山や大鵬のビデオを観て勉強してきたというが、おそらく区区たる技の学習に過ぎなかったのではなかろうか。大鵬の夫人納谷芳子さんは白鵬の審判批判に対し、大鵬の連勝が四十五で止まった戸田戦での誤審を振り返ってこう語った。
「テレビで見ていた私たちは悔しかったんです。宿舎で帰りを待って『お疲れさま。絶対勝ってたのに…』と言ったら『そうなんだよ』とは言いませんでした。『そういう風に見られる相撲を取ったのが悪いんだ』と言ってました。逆に私たちが励まされました」
 まことにロールモデルは超えがたく、大きい。協会のお叱りなぞ吹き飛ばすほどの大鉄槌ではないか。
 ついでにいえば、懸賞金を受け取って押しいだき拝むような仕草。あれはいけない。謝意は手刀だけで十分だ。鳥目を離れたところに勝負の真髄はある。少なくともそういう虚構で土俵は設えられている。勝者にその場で直接現金が手渡されるプロスポーツは、もちろんアマも含めて大相撲以外にはあるまい。ならば余計楚々たる振る舞いであらねばならぬ。敢えて執着を見せず、枯淡であること。これは彼がなろうとしている「日本人」の一典型である。〉
 白鵬にとっての「プロトタイプ」は、横綱を頂点とするヒエラルヒーの中で「下位力士の礼儀」に盲従するという卑小な形でしかビルトインされていなかったのかもしれない。より高次の「謙譲」や「抑制」「寡黙」「不器用」「枯淡」、ましてや「敗戦の美学」といった徳目は捨象されていたのだろう。過剰同化の対境を見誤ったというほかない。比するに、始めっからそのようなものは眼中になかった朝青龍こそ遙かに分かりやすい。
 さて、横綱だという。相撲通を任ずる2人のコメントが印象に残った。
 やくみつるは「横綱は『絶対的強者』でなく、その時代の『相対的強者』でいい」と評した。朝青龍が消え、さしたるライバルがいない中で『相対的強者』でしかなかった白鵬がその典型であろう。
 内館牧子は「私は毎回毎回うまくいかない稀勢の里を見ながら、心の中で語りかけていた。『バスがダメなら飛行機がある!』。そして2017年初場所、飛行機は稀勢の里を乗せ、『第72代横綱』という目的地に一気に着いた」と語った。臥薪嘗胆の果てに頂点を掴む。最も日本人のメンタリティに適うこのドラマツルギーは過剰同化のしようがない。白鵬には悪いが、これだけは真似できない。バスに乗り遅れず、「宿命」のままに「目的地」に着いてしまったのだから。
 どんな横綱になってほしいか。もちろん、ここ一番でコロッと負ける気弱な横綱だ。期待を持たせつつ、すぐには叶えてくれない『相対的強者』。とどのつまりで飛行機に乗ってひょいとテレポートする横綱。記録なんか残さなくていい。短くていい。しっかと記憶にさえ残れば。これもまた日本人の高々としたプロトタイプなのだから。 □


「汚れつちまつた悲しみ」

2017年01月19日 | エッセー

 まったくの偶然であった。本屋の棚で、すーっと手が伸びた先が「中原中也 全詩集」だった。断片的には読んでいたものの、一度纏めて全作品に触れておくのもいいだろう、そんな気がしたのだ。
 驚いた。二日後、NHKBSの予告番組に偶会した。『朗読屋』という中也を素材にした、吉岡秀隆主演のドラマである。今年は中也生誕百十年、没後八十年の節に当たる。それも後から知った。
 番組では、詩集『山羊の歌』から「汚れつちまつた悲しみに……」の朗読が始まった。定番中の定番だ。……と、
「ん! 何かおかしい」
 そう、独り言ちた。違う。「汚れ“つ”ちまつた悲しみに」じゃない。「汚れちまつた悲しみに」ではないのか。「ちまつた」の前に「つ」の促音便は入っていないはずだ。今風の表記だと、「汚れっちまった悲しみ」と「汚れちまった悲しみ」の違いだ。慌てて読み終えたばかりの詩集を取り出して検めてみる。
 驚いた。確かに入っている。えっ、どうして。数十年間、不朽の名作をずっと読みまちがい、記憶ちがいをしてきたことになる。脳科学の知見によれば人は見たいようにしか見ないという。そのバイアスはどうして生まれたのか。
 考え倦ねた末、ふと「全詩集」の巻末にある小林秀雄の一文が浮かんだ。はるか半世紀前から幾度か読んでいたので直前で本を閉じていた。それを読み返した。「中原中也の思ひ出」である。
 驚いた。詩の冒頭四行が引用されているのだが、なんと
「汚れちまつた悲しみに」
 と、件の促音便が入っていない。本文中の引用も同様だ。これだ。これがバイアスの正体だ。小林を読み耽るあまり、誤写まで受け継いでしまったことになる。いや、誤写ではなくて小林にとっては同じことだったのかも知れない。当時の東京の言葉遣いでは小林流だったのか、中也が忠実に音を拾ったのか。浅学にして判断はつかない。
 中也論を企てるつもりはない。そんな力も知見も毛頭ない。上記の小林の一文
「彼の詩は、彼の生活に密着してゐた、痛ましい程。笑はうとして彼の笑ひが歪んだそのままの形で、歌はうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出した調和ではない。中原は、言はば人生に衝突する様に、詩にも衝突した詩人であつた。彼は詩人といふより寧ろ告白者だ。」
 を吟味すれば足りる。ディレッタントにはそれで充分だ。ただ、番組中何度も中也の言葉が「刺さる」という発言があったことには触れたい。
 映画の根源的な力は映像にある。筋書きよりは絵だ。これは稿者の持論である。ならば、詩歌の力も言葉が根源だ。意味の前に、言葉だ。視覚、聴覚においての言葉の力だ。「刺さる」とは思考を突っ切って、意味を振り切って、いきなり琴線を掻き毟る鮮やかな事情をいうのではないか。その突破力が言葉だ。それがなんともかっこいい。「詩にも衝突した」具合が、かっこいいのだ。
 突飛だが、そのかっこよさは吉田拓郎の『祭りのあと』に通じる。岡本おさみ作詞、四十五年前の曲だ。中也をはじめて読んだころか。
  〽祭りのあとの淋しさが
   いやでもやってくるのなら
   祭りのあとの淋しさはたとえば女でまぎらわし
   もう帰ろう、もう帰ってしまおう
   寝静まった街を抜けて〽
 驚いた。「もう帰ろう、もう帰ってしまおう」でシャウトする。沈まない。これは意表を突く歌いっぷりだ。「淋しさ」を振り切ろうとして歌が「詩にも衝突した」フリクションにちがいない。しめやかに詠じたとしたら、淋しさに殺される。

   汚れつちまつた悲しみに
   今日も小雪の降りかかる
   汚れつちまつた悲しみに
   今日も風さへ吹きすぎる

 驚いた。悲しみが汚れに塗れるとは……。「歌はうとして詩は歪んだ」ゆえか。悲しみのままで詠じたとしたら、悲しみに殺される。
 今冬初の寒波に震えながら、「汚れつちまつた悲しみに……」を口遊んでみた。 □


ジャンヌ・ダルクよ

2017年01月16日 | エッセー

 彼女はいま、早瀬に立つ一本の杭のように激流に抗っている。春には隣国フランスとオランダで大統領選と総選挙がある。秋には自国の総選挙、政権4期目が懸かる。
 中間層が細り格差が露わになって反グローバリゼーションが鎌首をもたげ、反イスラムと反移民を誘い込み、三つ巴になったところにポピュリストがナショナリズムを煽りEUを目の敵にする。国民国家を超えようとする人類史の雄図は、刻下凄まじい逆風に対峙している。
 つとに知られたことだが、彼女の出自は東独だ。存の外、父はプロテスタントで福音主義教会のカリスマ的な牧師だった。福音主義は真っ直ぐに聖書を掲げ、原則を曲げない。難民受け入れを筆頭に、彼女の人道への揺るがない信念は福音主義に生きた父君(フクン)の感化にちがいない。加えて隣家に障害者施設があり、日頃の交流が弱者への眼差しを彼女に授けたのかも知れない。
 意外なことに、同教会は東独政府から「進歩的勢力」と認められ、危険視どころか西側諸国へ海外旅行できる特権まで与えられていた。そんな中、中学時代は全科目オール5、成績抜群であった彼女はエリート教育を受ける。特に数学に秀で、大学では理論物理学を専攻し博士号を取得。科学者の道を歩き始める。
 転機はベルリンの壁崩壊とともに訪れる。東独最後の政権での副報道官を皮切りに政界に進出したのだ。西独首相ヘルムート・コールとの出会いを得て、CDU(ドイツキリスト教民主同盟)に入党する。コールとの奇縁というべきか、意想外にも左派SPD(ドイツ社会民主党)ではなく右派に身を投じた。このあたり、解析と予見に突出した科学者の冷徹な眼があったのかもしれない。フクシマを受けて即座に脱原発に舵を切った英断にもそれは窺える。因みに父はCDU支持者ではなく、母はSPDの熱心な支持者だという。自立自存、まことに欧州だ。
 連邦議会議員に当選、入閣、女性・青少年問題相に抜擢。後、CDUの野党転落や党内抗争の間隙を縫って期せずしてCDU党首の座が転がり込む。当初サッチャーに準えかつコールの子飼いゆえに『鉄のお嬢さん』と揶揄され3期12年、今や『ドイツのお母さん』と呼ばれるに至る。サミット出席連続11回、最多を誇る。曲折は経つつも一貫して内外ともに現実的でリベラルな路線を走る。特に、コールのレガシーでもあるEUについては一際注力してきた。ギリシャなどの財務危機と難民への救いの手。かつて自由を冀求する東独市民はベルリンの壁を迂回しハンガリーを経由して西側に逃れた。国境を開けたハンガリーの勇断だった。「自由な移動こそが今のドイツを作り上げ、欧州の繁栄をもたらしたとの信念が根底にある」と、報道は記す。
 あと数日、アメリカでは会社の経営のごとく国政を語ることから、会社の経営のごとく国政を回す大統領が誕生する。いわば、安倍、橋下の極大化である。会社の責任は有限であるが、国政の責任は無限である。失政の罪科は彼らが死に絶えても消えることはない。今時(コンジ)、そして将来の国民が背負い込まねばならぬ。身近な例を挙げよう。豊洲の失政が何を招来したか。当の執政者は引退し知らん顔をしていても、都民はどれほどの苦渋を舐めることになるのか。いわんや国政である。いわんや国際である。EUの命運は彼女に托されている。欧州、否、世界の良心だ。蛇足ながら、彼女は安倍と同い年である。民族に優劣なぞないと固く信ずるが、あまりの落差に信念が揺すられもする。選ぶ側を含めて。
 アンゲラ・ドロテア・メルケル。激流が奔る早瀬に立つ一本の杭よ。21世紀のジャンヌ・ダルクたれ。東端の僻地より、そう熱く、願う。 □


領土の旗を降ろせ

2017年01月10日 | エッセー

 何事につけ「やってる」感を演出するのがアンバイ君の十八番(オハコ)らしい。昨年5月のソチ会談で華々しく打ち上げた「新しいアプローチ」は、結局中身が判然としないまま12月の山口会談でやらずぼったくりに終わった。なにが「新しい」のか。「福島はアンダーコントロール」と同じ手で、言葉を作為的で詐欺紛いに使い回し、かつ平然として恥じない。昨年本稿で取り上げた「新しい判断」はその典型だ。
 そこで、稿者なりの「新しいアプローチ」を愚案した。とんでもない暴論と一笑に付されるのは覚悟の前だ。
 北方四島のネイティブはアイヌである。いわゆる元島民ではない。4つの島名はすべてアイヌ語である。18世紀にはアイヌを介してロシアとの交易が行われていた。同世紀末期に起こったアイヌの反乱にロシアの影があると恐れた幕府は択捉島に標柱を立て領有宣言をする。アイヌは北方との往来を禁じられ交易という生業を奪われる。続く19世紀初頭から和人の移住が増え、アイヌは生活や文化を壊され四島から放逐されていく。以降、マイノリティの辛酸を嘗め悲運に翻弄されることになった。
 だから、山口会談を前にアンバイ君が語った「静かな雰囲気の中でじっくりと交渉したい。元島民の皆さんの切実な思いをしっかりと胸に刻んで、日本を代表して交渉したい」との言葉は片手落ちといわざるを得ない。わずか200年前の歴史すら識らず、アイヌの「皆さんの切実な思い」は捨象されている。「日本固有の領土」というなら、ネイティブである1万6千人のアイヌを忘れていい道理はない。しかし、それはもう「歴史」だ。
 大きく括れば、ネイティブのアイヌが所払いされて和人が移住し、大戦の後は和人が所を追われロシア人が入植した。なんのことはない、前轍を踏んだだけといえなくもない。USAだって同等だ。ネイティブ・アメリカンであるインディアンを駆逐して英人が入植したのも200数十年前のできごとだった。だが、今更それを持ち出しても詮ない。もう「歴史」だからだ。もう一度繰り返すわけにはいかないのだ。
 憲法前文で世界に向かい、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」と宣したのは70年前であった。ならば、もうそろそろ「崇高な理想」の下に「日本固有の領土」の旗は降ろしてはどうか。「崇高な理想」の御旗に比べれば、それは筵旗に過ぎないからだ。前文は「領土」を超えて遙か高みにある「崇高な理想」に生きようとする決意の表明だった。人間相互の友愛と信頼、協調という最高の道徳律に生きることで平和を阻害してきた領土、領有の呪縛から離れ、世界の範たろうとしたのではなかったか。
 「『人間相互の関係を支配する崇高な理想』とは、友愛、信頼、協調というような、民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を規律する最高の道徳律」をいう。これは、平成27年1月9日内閣総理大臣安倍晋三名で出された答弁書第一六号である。「民主的社会の存立」とは、敷衍すれば国際の平和的存立と同意ではないか。
 荒唐無稽の牽強付会と難ずる向きにはこう応えたい。琉球処分により沖縄は日本に吸収され、大戦後米国に領有された。今、「国際の平和的存立」のため米国との友愛、信頼、協調という「人間と人間との関係を規律する最高の道徳律」によって実質的に「日本固有の領土」では“ない”(直近の例で言えば、オスプレイの事故現場に日本の警察は一歩たりとも踏み込めなかった)。とっくに領土の旗は降ろされている。南方領土でできて、北方領土でできないわけがない。これこそ、「新しいアプローチ」ではないか。
 「日本固有の領土」の旗を降ろす2つ目の理由は、不幸中の幸いを捨ててはならないからだ。
 大戦の敗戦処理を巡って、スターリンは北海道を釧路から留萌の線で二分割する構想を練っていた。日本と直接国境を接する危険から緩衝地帯を置こうとしたのだ。実現していれば、「日本民主主義人民共和国」である。
 この件について、佐藤優氏は
 〈この釧路-留萌線での分割によって、ソ連は道義性も示せます。日本人民の意志によって共和国をつくり(引用者註・という建前で)、日本人民の要請に応えて北樺太まで渡すというわけですから、スターリンには領土的な野心はまったくないという証明にもなる。〉(文春新書「二十一世紀の戦争論」から)   
 との謀略があったという。しかしその構想はトルーマンの反対に遭い、占守島で日本軍の猛烈な反撃に足止めを喰らって頓挫する(その戦いは浅田次郎氏が『終わらざる夏』で活写した通りだ)。いわば九死に一生を得た。これぞ、不幸中の幸いではないか。
 文字学の泰斗 白川静先生によれば、「幸」とは意外にも手錠、手枷を象った文字という。古代中国で数多の刑罰がある中、命を奪われずまた身体の一部を失うことなく「手枷」で以て手の自由を奪われるだけで贖罪できるのは絶好の果報だった。だから、「しあわせ」なのだ。
 となれば、如上のいきさつはまさに不幸中の幸いと受け止めて何の不足があろう。
 アルザス・ロレーヌ地方は独仏が史上何度も争奪を繰り返した要衝である。第二次大戦後ドイツはほぼ九州に匹敵するこの地を放棄する。領土の維持から影響力の拡大へと国家目的を変えたといえる。領地を死守するという古典的あり方から決別したこの「新しいアプローチ」は見事に奏功し、再びドイツはEUの中核となった。さすれば、日本はドイツの2周も3周も遅れているともいえる。未だに近隣諸国と領土問題を抱え、信頼さえ勝ち得ていない。どちらが賢いか。
 付言するなら、北方領土の返還を最も嫌っているのは米国である。もしそれが実現すれば、南方領土の占有が申し開きできなくなるからだ。宗主国としてのプレゼンスが失われる。第一日米安保の守備範囲が北方に延伸することになる。アメリカは迷惑だし、ロシアが認めるはずがない。それどころか、ロシアは北方四島に軍事ベースを拡充しようとしている。だからこの場合、領土の旗を掲げる限り領土問題は構造的に解決しない。武力奪取するか、バーターするか。前者は物理的に不可能であり、後者は代替地がない。唯一あるとすれば沖縄米軍基地の撤退だが、安保条約によって法的に不可能だ(属国は宗主国に対しヘゲモニーを行使し得ない)。
 領有権棚上げでローカル・アグリーメント(経済関係を軸にした地域協定)を志向する方途もある。次善の策としては有効だが、弥縫策の域を出ない。ドラスティックな解決には領土の旗を降ろすに如くは無し、だろう。アメリカにとっては痛撃になる。首相の頸はまちがいなく飛ぶ。アンバイ君にそんな覚悟や剛勇はあるまい。せいぜい「やってる」感を演出して、名を取るだけだ。辻褄合わせは「新しい判断」。もうそろそろ見抜いたほうがいい。 □


奇跡の人

2017年01月04日 | エッセー

 ヘレン・ケラーではない。“奇跡のリンゴ”をつくった木村秋則氏のことである。奇跡を生んだから奇跡の人だ。いや、奇跡の人が奇跡を生んだのだ。
 昨年のPPAPから奇想が跳ねて“奇跡のリンゴ”に行ってしまった。古い本を引っ張り出して、再考してみた。以下、ノンフィクション作家・石川拓治著『奇跡のリンゴ』(08年、幻冬舎。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」制作斑監修)に拠った。(〈〉部分は同書からの引用)
 「絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録」と、サブタイトルにある。リンゴの無農薬栽培だ。
 〈農薬を使わずにリンゴを育てる。簡単に言えば、それが男の夢だった。少なくともその時代(引用者註・1980年代半ば)、実現は100%不可能と考えられていた夢である。〉
 奇跡を起こしたものはなにか。木村氏は言う。
「ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り会うことができるんだよ」(同書から、以下同様)
 つまりは、「狂」だ。文字学の巨人・白川 静先生によれば、旁「王」は大きな鉞の(マサカリ)の刃を表し豪然たる霊威が宿るとされ、玉座の前に置かれていたという。配下が王命を受け旅に出る際、その刃に足を乗せ霊力を身に帯して出行した。偏「犭」は元「彳」と同形で、烈しい人ならぬ力により獣のように「くるい」「往く」、と解(ホド)く。そこから先生は「狂」とは運動の起動力となり権威を否定する精神であるとし、その否定を通じて新しい発展が招来されると論じた。維新回転を成した長州藩を「狂」と括った司馬遼太郎の炯眼に通じる。
 この場合、否定した権威とは「100%不可能」という常識であった。奇跡は「狂」が生んだといえる。当人の片言が期せずしてそれを証している。
 「狂」は6年に及んでも、いっかな明かりは見えない。それどころかすべての辛苦は水泡に帰し、絶望の淵に立たされる。山中深く分け入り、自死のために頃合いの枝に投げたロープがあらぬ方角に飛んだ。自らのへまを自嘲しつつロープを拾いに斜面を降りようとした刹那だった。満月の光に照らされて輝く「魔法の木」が目に入った。極めてドラマティックに、豁然と迷路は開かれた。遂に起死回生の突破口に至ったのだ。やはり事実は小説よりも奇なりだ。妙な連想だが、ニュートンが万有引力を着想したのはリンゴが木から落ちたからではなく、学理に脳髄を痺れるほど使い果たした末にそれと偶会したからだ。太古よりリンゴは木から落ちている。地球が引き寄せたと観たのはニュートンの科学の目だ。後世の作り話にせよ、伝えているのはそのことだ。「魔法の木」が劇的なのは無農薬栽培の狂人の目が捉えたからだ。常人には視れども見えずだ。
 話は戻るが、挫折を繰り返している最中、彼は宇宙人に捕らえられUFOで拉致される(と、語る)。これについては、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で「奇跡のリンゴ」が取り上げられた時の番組キャスター・茂木健一郎氏が
「人間は苦労して追い詰められるとUFOに乗ります。銀色の宇宙人が飛び回ります。脳は感情がものすごくつらくなると、幻を生み出すことでバランスをとろうとすることが、科学的にわかっているのです。そういう経験がない人は、まだまだ苦労が足りないということですから、大丈夫です。」(「『ほら、あれだよ、あれ』がなくなる本」から)
 と語っている。稿者なぞUFOどころか国内線の飛行機にしか乗ったことがない。まことに苦労が足りない。
 「魔法の木」との出会いの後、無農薬栽培にとって最大の敵である害虫と向き合う姿勢がガラリと変わる。なんと虫取りではなく、日がな虫の観察を始めたのだ。
「あのさ、虫取りをしながら、ふとこいつはどんな顔をしてるんだろうと思ったの。それで家から虫眼鏡を持ってきて、手に取った虫の顔をよく見てやったんだ。そしたら、これがさ、ものすごくかわいい顔をしてるんだ。あれをつぶらな瞳って言うのかな、大きな目でじっとこっち見てるの。顔を見てしまったら、憎めないのな。私もバカだから、なんだか殺せなくなって葉っぱに戻してやりました。私にとっては憎っくき敵なのにな。だけどさ、害虫だと思っていたのに、よく見たらかわいい顔しているんだからな。自然って面白いもんだと思って、今度は益虫の顔を見てみたわけ。害虫を食べてくれるありがたい虫だよな。ところが、これが恐い顔してるの。クサカゲロウなんてさ、まるで映画に出てくる怪獣みたいな顔してるんだよ。」
 石川氏はこう受ける。
 〈ドングリの木があそこ(引用者註・自然林の中)にあったのは、自然がそれを受け入れたからだ。リンゴの木は違う。リンゴの木を植えたのは人であり、リンゴの木を必要としているのは、あくまでも人だ。自然の摂理に従うなら、おそらく枯れるしかないだろう。そのリンゴの木をなんとか生かそうとするのは、人間の都合なのだ。それが農業というものであり、農薬を使おうが使うまいがそれは同じことだった。つまり木村の抱えていた問題は、自然の摂理と人間の都合の折り合いをいかにつけるかという問題でもあった。折り合いのつかない部分が、虫や病気として現れていたわけだ。農薬はいとも簡単にその問題を解決する。極端な言い方をすれば、現代の農業は自然のバランスを破壊することで成立しているのだ。〉
 養老孟司流にいえば、意識という「人間の都合」が農薬でもって「自然の摂理」を捻伏せ、排除しようとした、となる。既存のりんご園とは自然を排斥して作られた人工物、「脳化社会」ならぬ「脳化自然」ともいえる。その点、養老氏は徹底している。
「私は実験科学を嫌って、野生動物の研究や虫採りに励んだ。実験室は人工物で、その中に自然物を閉じ込める。それが培養細胞であり、実験動物である。でもそんな細胞も動物も、自然界には存在しない。」(「骸骨考」から)
 ともあれ、「リンゴの木を必要としている」。では、どうするか。
 「折り合いのつかない部分が、虫や病気として現れていた」との達識は、木村氏に起こった奇跡のブレークスルーである。「魔法の木」から「自然の土」の発見、害虫との向き合い方、肥料と無農薬の関係、自然観の深化。後半多くの紙幅を使って述べられるこれらの事柄は、単なる成功譚を遙かに超える高みに読者を誘(イザナ)う。「奇跡のリンゴ」への疑問や農薬の必要悪を主張する向きは、これらの論述にもっと謙虚に耳を傾けるべきだ。
 無農薬への挑戦が始まったころ、枯れかけたリンゴの木に木村氏が頭を下げて回る姿を妻が目撃してていた。天性明るい彼もさすがにひとの眼を憚って日が落ちる前、夕闇を選んで一本一本に
「無理をさせてごめんなさい。花を咲かせなくても、実をならせなくてもいいから、どうか枯れないでちょうだい」
 と語りかけていたのだ。ところが、頼みも虚しくあちこちの少なからぬ木が枯れた。石川氏は同書の結びをこう締め括る。
 〈その枯れたリンゴの木を調べていて、木村は奇妙なことに気づく。どのリンゴの木が枯れるかはランダムで、場所による規則性のようなものはもちろんなかった。ところが、例外がひとつだけあった。ドミノを倒したように、その一列のリンゴの木だけは全滅していた。木村はそのことを今も深く後悔している。木村が声をかけずにすませたリンゴの木は、一本残らず枯れてしまっていたのだ。〉
 これもまた奇跡の人が生んだ奇跡だ。感動づくりの後付だと嗤う人は一生かかっても「魔法の木」との邂逅はあるまい。すでに心が枯れているからだ。
 13年には阿部サダヲの主演で映画化され、フィレンツェ映画祭で観客賞を受賞した。ピコ太郎からとんでもない飛躍だが、一見の価値ありだ。
 奇跡の人は稿者とは4日違いの同い年。団塊の世代の誇りでもある。 □


12月31日のカレンダー

2017年01月01日 | エッセー

 12月31日のカレンダーはいつもぞんざいにされる。まだ1日が終わらないうちから外され、ゴミ箱行きになる。ヒドいもんだ。11月までは、末の日が来てもカレンダーは残されていたのに……。
 入れ替わりに真新しいカレンダーがまだ始まってもいない日付を並べて、すました顔をしている。
 初、初、初が並ぶありさまを見て、きのうがきょうに代わっただけじゃないかと、言う人がいる。でも、それはおかしい。だって地球が太陽のまわりを一周して出発点に戻り、リスタートするんだよ。いってみれば宇宙を舞台にした超特大の節目といえる。だから初、初、すべてが初でいいんだ。
 だったらなおのこと変だよね。どうしてやたら12月31日のカレンダーは邪険にされるのか。よっぽど早く忘れたい嫌な一年だったんだろうか。それならそれで、しっかり反省しなくちゃいけないんじゃないかな。
 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」っていうよ。負けにはちゃんとした理由がある。負けて不思議じゃないから負けたんだって。それをきっちり振り返り、何が悪かったのか、今度負けないように、どうしたらいい? そう頭をひねるのが12月31日だよね。
 とってもハッピーな1年だったとしても、うっかりするとその時にアンハッピーの原因をつくるっていうよ。それもそれなりに引き締めなきゃーね。それだって12月31日の大事な仕事だよね。
 大掃除? そうか、忙しくてそんな暇はないか。でも、毎年そうだよね。外っかわはきれいになっても、頭の中は汚れたまんまじゃ片手落ちだよ。両方、クリーンにしなければ。
 なんにせよ撤収早過ぎ! 12月31日のカレンダー。“みなさん、そんなに急いでどこへ行く”って、ギュウギュウ詰めのゴミ袋の中で泣いてるんじゃないかな。今年こそは、紅白が終わるまで(見ないけど、雰囲気で判断)壁に掛けたままにしておこう。でもきのうのように、玉箒で心の憂さを掃いてばかりじゃ意味ないよなー。
 以上、年頭のご挨拶に代えて。今年もよろしくお願いします。 □