伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

読書の秋に、ぜひこれを

2010年09月28日 | エッセー

 今月のベストセラー10に上がっていたので、読んでみた。8月に発刊された新潮新書である。これがおもしろい。だから読むというより、今様の生活に欠かせぬリテラシーともいえる。むしろワクチン、プロテクターの類といっても言い過ぎではなかろう。小さな親切、一読をお勧めしたい。大きなお世話ではあろうが。

  テレビの大罪 

 著者については、同書の紹介をそのまま写す。
 ―― 和田秀樹 1960(昭和35)年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒、精神科医。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学大学院教授、一橋大学経済学部非常勤講師。『大人のための勉強法』『人生の軌道修正』ほか著書多数、映画監督作品に『受験のシンデレラ』 ――
 テレビを糾弾する書籍はかなりある。このブログで紹介したこともある。今度は、医者が書いているところがミソだ。以下、帯のキャッチコピー。
〓〓あなたはテレビに殺される。運よく命まで奪われなくとも、見れば見るほど心身の健康と知性が損なわれること間違いなし。「『命を大切に』報道が医療を潰す」「元ヤンキーに教育を語らせる愚」「自殺報道が自殺をつくる」。精神科医として、教育関係者として、父親としての視点から、テレビが与える甚大な損害について縦横に考察。蔓延する「テレビ的思考」を精神分析してみれば、すべての元凶が見えてきた!〓〓
 帯だから多少過激かと勘ぐってみたが、中身はその通りだった。目次は、

1  「ウェスト58㎝幻想」の大罪
2  「正義」とは被害者と一緒に騒ぐことではない
3  「命を大切に」報道が医療を潰す
4  元ヤンキーに教育を語らせる愚
5  画面の中に「地方」は存在しない
6  自殺報道が自殺をつくる
7  高齢者は日本に存在しないという姿勢
8  テレビを精神分析する

と並ぶ。当然医学的見地からの考察がつづくのだが、時には生ものがまな板に上がる。
〓〓菅直人現首相は、厚生相時代に薬害エイズの被害者にはじめて行政として謝罪したことが、その後の人気の源泉となっています。もちろん医療被害の問題を解決することは悪いことではありません。しかし、世間に対してアピールすることが優先されるあまり、地道な医療改革は進みませんでした。その年に起こったO157騒動の際も、報道陣の前でカイワレを食べて見せるよりほかにやることがあったはずです。政治家というのは(特に首相ならなおのことですが)、本来であればマクロの視点に立って全体を見わたす仕事です。水戸黄門のようにミクロの問題を解決してまわる人が政治家のマジョリティになってしまえば、本質的な問題がまったく解決しないという危険が生じます。〓〓
 と、胸のすく鉄槌を振るう。一転、はたと気づき、ニンマリさせるところもある。
〓〓最近ではさすがに少なくなったと思いますが、つい10年ほど前まで認知症の高齢者には童謡を歌わせていました。ところが実際は、いくらボケてもそうそう「子どもレベル」になるものではありません。認知症で多少、知的レベルが落ちたといっても、高齢者が童謡を歌わされて喜ぶことはないのです。彼らが喜ぶのは、やはり彼らが若い頃にはやっていた歌です。だから、いまの80代だったら軍歌でも「リンゴの唄」でもいいでしょうが、それがだんだん橋幸夫になり、美空ひばりになって、じきにデイサービスでビートルズが歌われるようになるでしょう。〓〓 デイサービスから聞こえてくる“ALL  YOU  NEED  IS  LOVE”の合唱。“今日までそして明日から”の渋い歌声。いいではないか。そんなデイサービスなら、今からでも行ってみたい。もちろん、慰問だが。

〓〓1957年に大宅壮一がテレビを評して使った「一億総白痴化」という言葉は、流行語にもなりました。テレビの黎明期には、テレビなんか見ているとバカになる、という文化人がたくさんいたものですが、ここ20年くらいで事態は一変。いまでは、テレビに出ている人を指して「文化人」と言うようにまでなっています。〓〓
 この一節は千鈞の重みをもつ。「すべての元凶」が剔抉される。

 まことに僭越ではあるが、括りに拙文を引きたい。
〓〓タモリ、時として警句を発する。20数年前、徹夜で飲んでいたといって、「笑っていいとも」に出てきた。ほとんどヘベレケ状態、呂律も回らない。案の定、抗議が殺到した。そして明くる日、開口一番、史上最高の『警句』が発せられたのだ。
  ―― 『お前ら、白面でテレビなんか見るな!!』〓〓(06年5月、本ブログ「白面はいけません!」より)
 それにしても森田一義氏、なんとも歴史的名言ではある。 □


奇想 統帥権と参謀本部

2010年09月25日 | エッセー

●最高検、主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕 郵便不正事件
 郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件で、押収品のフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんしたとして、最高検は21日夜、この事件の主任を務めた大阪地検特捜部検事の前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅の疑いで逮捕したと発表した。
 押収資料の改ざん容疑で現職検事が逮捕されるという日本の検察史上前例のない不祥事となった。捜査のあり方が根底から問われるのは必至だ。最高検が直接容疑者の逮捕に踏み切るのは初めてで、今後、上司や同僚が改ざんを把握していなかったかどうかも含めて厳しく調べる方針。捜査の問題点を洗い出す検証チームもつくり、年内に結果を公表するという。
 改ざんされた疑いがあるのは、厚生労働省元局長の村木厚子氏(54)=無罪判決が確定=の元部下の上村(かみ・むら)勉被告(41)=虚偽有印公文書作成・同行使罪で公判中=の自宅から昨年5月に押収されたFD。最高検の調べでは、前田検事は昨年7月中旬に大阪地検内のパソコンで専用のソフトを使い、FDの最終更新日時が「04年6月1日」だったのを「04年6月8日」に改ざんし、他人の刑事事件の証拠を変造した疑いがある。
 特捜部は捜査過程で、村木氏から上村被告への証明書発行の指示は「6月上旬」とみていた。だが、証明書のデータが入ったFD内の最終更新日時は6月1日未明。これでは村木氏の指示が5月31日以前にあったことになり、そうなれば捜査の見立てが崩れてしまう状況だった。(朝日 9月22日)

 過去の駄文を引きたい。
〓〓明治憲法には「統帥権」が定められていました。軍隊の最高指揮権です。国務から独立し、つまり行政府の介入を受けず天皇にのみあるとされました。「統帥権の独立」です。天皇を補弼(=補佐)する立場にあった軍部がこれを振りかざして独走しました。天皇の威を借りてすべてを黙らせてしまったのです。そしてついには国を滅ぼしました。
 参考までに、司馬遼太郎を引きます。
 ―― 陸軍参謀本部というのは、はじめはおとなしかった。明治四十年代に、統帥権を発見した。天皇は軍隊を統率するという憲法と、わが国の軍隊は云々、という勅諭とを根拠にして統帥権ができる。つまり、三権分立を四権にしてしまう。それだけではなく、他の三権を超越する。それは軍縮騒ぎの時に出てくる。参謀本部は陸軍省ではないわけです。省の軍人は行政官ですからね。参謀本部は全部天皇の幕僚なんです。少佐参謀も中佐参謀も幕僚(スタッフ)ということでは同格。宮中の女官と同じなんです。だから、言葉が女官みたいに「お上」ですね。ふつうわれわれ民草は「天皇陛下」とかいわされているのに、彼らは「お上」という。しゃれたこんな女官しか絶対使わない言葉づかいをする。そうすると天皇は無にして空だから、幕僚そのものに権力があるということになってしまって、たとえば辻政信が全部かき回すことになっていくわけでしょう。「師団長が何を言うか」と言われれば、師団長も黙ってしまう。 ―― (「日本文明のかたち」司馬遼太郎対話選集から)〓〓(09年12月、本ブログ「聞き捨てなりません!」より)  

 統帥権と刑訴法321条1項2号。参謀本部と地検特捜部。奇想は、やはり双方を行きつ戻りつする。

 以前から指摘されてきたことだが、この条項が検察に特権的権限を与えてきた。
 検事調書は被告人、弁護人の同意がない限り、証拠として採用されない。ただし特例がある。
〓〓刑事訴訟法 321条
1項 被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、次に掲げる場合に限り、これを証拠とすることができる。
2.号 検察官の面前における供述を録取した書面については、その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき、又は公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異った供述をしたとき。但し、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る。〓〓
 日本では公開の法廷では偽証が生まれやすく、検事と対面してこそ真実が語られるというのが理由らしい。なにか偏向した人間観のようで得心がいかない。「但し、 …… 信用すべき特別の状況の存するとき」の条件は、担当した検事が出廷して証言すれば事足りる。裁判所は難なく、「特別の状況」であると認める。
 ともあれ、もはや伝家の宝刀、これに優るものはない。強要、誘導に因(ヨ)るにせよひとたび検事調書が挙がってしまえば、法廷で被告人が覆そうとしてもほとんど不可能に近い。加えて、逮捕も勾留も保釈も、さらに起訴、求刑に至るまで検察の権限である。生殺与奪は検察の手にあるといえる。
 そこで想起されるのが、09年3月の本ブログ「裁かれるのはだれだ!」である。重ねて愚見を引きたい。
〓〓この憲法を基(モトイ)として、国家が発する強制的な命令が法律である。リヴァイアサンの手足に当たる。当然、手枷、足枷を嵌めねばならぬ。それが「罪刑法定主義」であり、「デュー・プロセスの原則」である。近代西洋の知恵の結晶だ。
 刑法第199条には「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」とある。被告人にはまったくのお門違い、風馬牛だ。この命令に背けるのは唯一、裁判官である。したがって、刑法の名宛人は司法の代表たる裁判官である。裁判官を縛る法律が刑法である。この場合有罪ならば、被告人に2年の懲役を科すことも、終身刑に処すこともできない。法に定めがないからだ。(日本には終身刑はない)これを「罪刑法定主義」という。裁判官の恣意は徹底して排除される。あくまでも刑法に緊縛される。
 そして、本題だ。リヴァイアサンである以上、国家は性、悪である。これが前提だ。ものごとのはじまりだ。よって、警察、検察に端(ハナ)から信を措かない。国家権力をもってすれば証拠の捏造も、ことによれば事件そのものの捏造も意のままだ。そのような権力の毒牙から被告をいかにして守るか。それが近代刑事裁判のあり方である。
 「疑わしきは罰せず」も、「千人の罪人を逃すとも、一人の無辜を刑するなかれ」も同じ文脈である。「推定無罪」もそうだ。有罪が確定するまでは犯罪者ではいない。法廷に罪人はいない。被告人がいるだけだ。となると、いったい刑事裁判において裁判官はだれを裁くのか。 ―― 検察官を裁いているのだ。有り体にいえば、検察官の主張を審理しているのである。つまりは裁判官が代表する司法権が、検察官が代表する行政権を裁く場が法廷である。裁判官が向き合う敵は検察だ。リヴァイアサンの手足に嵌められた手枷、足枷のせめぎ合いである。
 そこに登場するのが刑事訴訟法である。警察、検察という行政権力への命令である。検察への繋縛である。国の懲罰権を行使する際の定めである。検察は一点の瑕疵もなくこの法に則らねばならない。徹底した遵法が求められる。微小でも逸脱があれば、被告は無罪放免となる。これが「デュー・プロセスの原則」である。たとえ真犯人であったとしても、デュー・プロセスに瑕瑾があれば即刻無罪だ。それほど捜査、立証は厳密、厳格を要求される。なぜか、 ―― ひとりの無辜も刑さないためだ。推定無罪だからだ。さらには、「国家はリヴァイアサンである」からだ。
 と、ここまでの拙稿には形式論だとの反駁があろう。然り、形式論と原則論は見分けがたい。だが形式は取り去れても、原則はそうはいかない。迷ったら原点だ。とば口に戻るに如(シ)くはない。(抜粋)〓〓
 今回は「デュー・プロセスに瑕瑾」があり、「裁判官はだれを裁くのか。 ―― 検察官を裁いているのだ」との「近代刑事裁判」の原則が機能した教科書的好例である。
 いかに「特捜神話」が喧伝され無謬を誇ろうとも、司馬遼太郎の「権力は、ときに人間を魔性に変えてしまう」との箴言を夢寐にも忘れてはなるまい。心ある識者が警鐘を鳴らす「検察の劣化」をまざまざと見せつけられた一件である。

 さらに奇想は跳ぶ。その出自についてだ。
 日本は維新により旧制を脱したはずだが、封建の世の価値観までは容易に払拭できなかった。司法権は行政権の一部(江戸時代は警察も検察も裁判も未分化の状態であった)として捉えられていた。司法権に対する低い認知といい、司法省の生い立ちはきわめて影の薄いものであった。そこに切り込んでいったのが江藤新平である。司法卿として辣腕を振るい、山城屋事件、尾去沢銅山事件で官吏の汚職を追及。長州閥の領袖である山縣有朋、井上馨を追い込んでいった。貪官汚吏を白州に引き出せば、大向こうは沸く。一振りの鋭利な剣と化した江藤の働きは鮮やかであった。裁判所網の整備など、難航しつつも新政府の司法制度を形作っていく。しかし、この英傑はのち政争に敗れる。佐賀の乱を主導し、自らが創ったシステムによって自ら従容として刑場の露と消える。しかし、件の事件摘発は格下官庁が頭角を現す嚆矢となった。どうも、この辺りが検察のDNAになったのではないか。
 明治後期には、「日糖事件」(日清戦争後、台湾の砂糖輸入への減税特例法の延長のため議員20人を買収)と「大逆事件」(幸徳秋水らによる天皇暗殺計画事件)が惹起する。選良の暗部を暴き、玉体を危機から救う。これ以上の大見得はなかろう。検察の名を大いに高からしめた。時代が下って、極め付けがロッキード事件である。
 劣等感が功名の起爆となり、功績が暗い澱となって独善を誘(イザナ)う。ついつい奇想は、負の連鎖に及ぶ。
 特捜を解体し、そのつど警察によるPT(プロジェクトチーム)方式で取り組むのも妙案かもしれない。検察は原点に戻り、警察の監視と起訴に任務を絞るべきだとの意見もある。難渋はしてもシステムはいかようにも可変だ。アポリアは「澱」の除去にある。これはもう、優れて人間の問題ではないか。


●「ほっとした」 村木元局長、1年3カ月ぶり職場復帰
 郵便割引制度を悪用した偽の証明書発行事件で逮捕・起訴され、21日に無罪判決が確定した厚生労働省の村木厚子元局長(54)は22日、職場復帰した。同日正午前に厚労省に登庁、細川律夫厚労相から辞令交付された。
 厚労省に登庁した村木さんは22日正午前、70人以上の職員の拍手に迎えられて玄関をくぐった。久しぶりの「わが家」に、満面に笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と頭を下げた。職員からは「村木さん」という呼びかけの声が上がり、涙を浮かべる女性職員の姿もあった。
 証拠を改ざんした疑惑が朝日新聞の報道で発覚したその日のうちに、最高検が主任検事を逮捕するという展開は、予想もできなかった。
 「展開の早さに驚いているが、検察の抱える問題が修正されるきっかけになればいい。検証を厳しく、温かく見守る役割を果たしたい」と述べた。自分の体験が後に生きるよう、検察の抱える問題には何らかの形でかかわっていきたいという。(朝日 9月22日)

 久方ぶりに、痺れるほどに感動的な凱旋を見た。凱旋将軍だ。ひ弱な細腕が理不尽な猛禽を捩じ伏せた瞬間だった。見事である。さらに、「検察史上前例のない不祥事」を白日の下に晒した快挙でもある。ニュース映像は、久方ぶりに出会ったいい絵面であった。
 「厳しく」は解る。しかし、「温かく見守る」とは絶句せざるをえない。もう、検察は完敗である。格はすでに雲泥の差だ。 □


ストーリー・ゲリラ

2010年09月21日 | エッセー

  三年前「中原の虹」が完結した際、浅田氏はなにかのインタビューでそのうち続きを書きたいと応えていた。もうそろそろだな、という予感はあった。だが今年の七月に「終わらざる夏」が出たばかりで、間に髪を容れず新刊とは意表を突かれた。もっとも前者は連載の単行本化、この新刊は書き下ろしであるから時期的な不都合はないし、氏なら並行執筆など苦もないだろう。しかも講談社創業100周年事業の「書き下ろし100冊」への出品であれば、「蒼穹の昴」シリーズ最新作をもってきても不思議はなかろう。

    マンチュリアン・リポート

  惹句を引こう。
〓〓――その朝、英雄の夢が潰えた。
張作霖爆殺事件。昭和史の闇に迫る、浅田次郎14年ぶり、渾身の書き下ろし!
昭和3年6月4日未明。張作霖を乗せた列車が日本の関東軍によって爆破された。一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に昭和天皇は激怒し、誰よりも強く、「真実」を知りたいと願った――。
「事件の真相を報告せよ」昭和天皇の密使が綴る「満洲報告書」。
そこに何が書かれ、何が書かれなかったか。
混沌の中国。張り巡らされた罠。計算と誤算。伏せられた「真実」とは。〓〓
 新聞の全面広告を一瞥した時、「珍妃の井戸」を即座に連想した。どちらも大河小説の幕間劇のようでもある。
  こちらの惹句はこうだった。
〓〓『蒼穹の昴』に続く清朝宮廷ミステリー・ロマン!
誰が珍妃(チンピ)を殺したか?  愛が大地を被い、慟哭が天を揺るがす ―― 荒れ果てた東洋の都で、王権の未来を賭けた謎ときが始まる。
列強の軍隊に制圧され、荒廃した北京。ひとりの美しい妃が紫禁城内で命を落とした。4年前の戊戌(ボジュツ)の政変に破れ、幽閉された皇帝・光緒帝の愛妃、珍妃。事件の調査に乗り出した英・独・日・露の4人の貴族たちを待っていた「美しい罠」とは?  降りしきる黄砂のなかで明らかになる、強く、悲しい愛の結末。〓〓
 どこか似てなくもない。
  爆殺。昭和史の闇。謎とき。事件の真相。調査。罠。伏せられた「真実」。明らかになる、強く、悲しい愛の結末 …… 。

  06年9月、「高唱について」と題して、本ブログに感想を綴った。
〓〓浅田次郎という作家は苦労人だ。だから痒いところに手が届く。読者にも、出版社にも。ツボは十全に心得ている。 ―― 「蒼穹の昴」は未完のままで終わる。長いプレリュードは、「珍妃の井戸」へと演奏を引き渡たす。曲調はガラリと変わる。楽器まで替わる。まことに巧みなメタモルフォーゼである。なお小憎いことには、「珍妃の井戸」には前作のダイジェストがちりばめられ、単体としても読める。苦労人の面目躍如だ。

  56年前、黒澤明は「羅生門」を撮った。第12回ヴェネチア映画祭のグランプリに輝いた作品である。戦後間もなくの快挙であった。以後、「世界のクロサワ」が始まる。
  黒澤は芥川龍之介の「藪の中」を圧倒的な映像で描いた。同じ手法を使い、この作家は清朝末期のミステリーを圧倒的な筆力で描く。
  「羅生門」は東京裁判の不条理を暗喩しているのではないかと囁かれた。英国の宰相・チャーチルはそれに気づき絶句したと伝えられる。西太后がこの作品を繙いたとしたら……。

  この作品の作法は古代の鏡物を踏襲したとも言える。老人の昔語りに託した歴史物語だ。「大鏡」「増鏡」は名が高い。鏡という以上、亀鏡として尊崇されたに違いない。だが当然、支配者の恣意が働く。
  6人の証言は、それぞれの立場で齟齬を来す。鏡面が歪めば鏡像も歪む。真実は、やはり藪の中だ。〓〓
 「単体としても読める」気配りは随所にある。今回も然りだ。たとえば本書の以下の一節など、「中原の虹」の簡易な見取り図であり、西太后という壮麗なる舞扇の要下(カナメモト)に当たる。


  世論というものは、都合よく捏造されるものだ。彼女が善か悪かは、私がよく知っている。
  眠っていた間にいったい何があったのかは知らない。清王朝が滅び、新政府が樹立されたのだが、袁世凱が反動して群雄割拠の時代となってしまった。そこに東北から張作霖が入ってきて華北を統一し、南の国民党と睨み合っている、ということであるらしい。
  それでも上出来ではないか、と私は思う。もし清王朝が外国の手によって滅されていたとしたら、この中国という国は世界地図の上から消えてなくなっているはずだ。植民地にならず、数億の民が奴隷になることもなく、中国がかく存在しているというだけでも、末期の王朝を知る私にしてみれば信じ難い話だった。
  きっと西太后は、国家の未来を上手に托して死んだのだろう。この国とこの国の民は誰にも渡さぬ、中国は中国人の手で支配してみせる、という強い意志を形に遺して。
  そのためには、みずから悪女となることはうまい方法だ。破壊ののちに建設があり、過去を憎悪しなければ未来の創出はないという、革命の原理に則っているではないか。


  前掲の拙稿に記した「王朝の昴として世を統べ、そして自らの手で王朝の幕を降ろす。この天命のアンビヴァレンツ。マクベスや、リア王にも通底する悲劇の絶対者。西太后に向けられる作者の眼差しは限りなく優しい。」は、あながち外れてはいない。
 「『藪の中』 …… 同じ手法を使い、この作家は清朝末期のミステリーを圧倒的な筆力で描く」「この作品の作法は古代の鏡物を踏襲した」についてはどうだろう。
 よくいえば、度肝を抜く設定。冒険的奇想。有態にいえば、荒唐無稽と背中合わせともいえる。「稀代のストーリー・テラー」は氏の代名詞だが、今度ばかりは「稀代のストーリー・“ゲリラ”」と呼ぶほかはあるまい。当初犯人として噂された国民党の便衣隊(ゲリラ)に倣うわけではないが、常人の発想は遙かに超える。虚を突かれ、隙を狙われるどころか、奉天事件と同様にありうべからざる結構なのだ。
 「手法」は、より平明にはなっているが踏襲したといえる。特に、最終章「A Manchurian Report  No.7    満州報告書 第七信」は驚天動地だ。「珍妃の井戸」を凌ぎ、「藪の中」を超えるかもしれない。
  比較文化論の張 競氏が、講談社文庫版「珍妃の井戸」に解説を寄せている。 
〓〓反射的に思い出されるのは芥川龍之介『藪の中』。七人が七つの話を語るという、小説のスタイルもそっくりだ。
  だが、語りのスタイルが似ていても、浅田次郎の場合は芥川龍之介とまったく違ったことを狙っているであろう。歴史は曖昧さと相容れないものだ。多くの人たちは何となくそう思っているのであろう。
  ところが、『珍妃の井戸』では歴史小説の新たな可能性が示唆された。同じ歴史的な出来事でも、人によって立場によって、さまざまな受け止め方がありうる。同じ事件でも、視角が違えば、見方も変わる。それを一つの解釈に収斂させていくのではなく、開かれた想像空間として残していくこともできる。歴史の絶対性に対する懐疑を許容する領域において、小説の表現法を捉え直した試みであるが、歴史小説の作法として、画期的なものであろう。(抜粋)〓〓
  「開かれた想像空間として残していく」とは、いかにも示唆的だ。今回はその一つの具象的結実かもしれない。
  さて、「大河小説の幕間劇」はいかがか。そうだとすれば、こののち大部の物語がつづくことになる。まさかそれはあるまい。第一、役者は出尽くした。時代もすでに大清を過ぎた。しかし、油断はできぬ。なにせ、ストーリー・ゲリラだ。神出鬼没。何を仕掛けてくるか判ったものではない。おさおさ「用心」を怠ってはなるまい。寝首は掻かれないまでも、眠れない不幸な夜が続いてしまう。笑わせて、泣かせて、時として笑わせながら泣かせて、仕舞には眠らせない。まったく罪な作家だ。
               
< 跋 >
  わが家に衛星放送の受信設備がないことを哀れんで、NHK BSで放送された「蒼穹の昴」全25話を録画してくださった篤実な方がいる。御厚意に甘え、この夏、すべてを観終わった。
  脚本に不満が残る。ミセス・チャンを軸に据えたのは一工夫であろうが、あれでは「天命のアンビヴァレンツ」を表現しきれない。かつ、終わり急いだ感が強い。
  ただし、役者には唸った。
  西太后役の田中裕子。春児:余少群。梁文秀:周一囲。光緒帝:張博。ミセス・チャン役の殷桃。いずれも申し分なく嵌っている。別けても余少群はひときわ鮮やかだ。中国の俳優がこんなにも逸材揃いとは驚きであり、不明を恥じ入るばかりだ。

  9月26日からは地上波で吹き替え放送が始まる。さて、どうか。  □


司馬遼太郎の怒り

2010年09月18日 | エッセー

 司馬遼太郎が「街道をゆく」の取材で松島を訪った際、例の「名句」が書かれた看板を目にする。一枚といわず、島々を眺望する彼此(オチコチ)に設えられている。同書の第26巻<仙台・石巻>で、一節の大半を割いて取り上げている。
 雪冤とまで言い、司馬には珍しく激しい口調で糾している。以下、長い引用をする。


 塩釜から舟を漕ぎだしたときは、古人を思い、古歌を思い、心のふるえるような気分だったにちがいない。そういう芭蕉が、

  松島や ああ松島や 松島や

 などとノンキなトウサンのような句をつくるだろうか。松島の観光にたずさわるひとたちは、いますこし芭蕉に対して粛然たる気持をもってやってほしいものである。
 以下、『おくのほそ道』の松島のくだりを訳してみる。

 ―― 島々の形の妙はすべてここにある。頂きを聳かすものは天をゆびさし、伏せたる形のものは波に腹這っているようである。あるいは両島が二重にかさなり、三島が三重にかさなって、見るうちに両島が左へ別かれたり、三島が右につらなったりする。一島が他の一島を背負っているような形もあり、また大きな島が小さな島を抱いているようでもあって、小さな子供たちをいつくしんでいるようである。
 
 松の姿や、その緑の濃さにも感動する。

 ―― 松の緑が濃密で、その枝葉は潮風に吹きたわめられて、自然のままなのに人の手でわざと曲げたような姿をとっている。見とれるうちに、美女の顔さえ思ってしまう。

 やがて入江の岸にのぼり、そのあたりの宿にとまると、うまいことに二階建てだった。その二階に旅寝していると、風雲の中にいるようで「あやしきまで妙なる心地はせらるれ」と、芭蕉は心をゆさぶられつづけるのである。
 あまりの心の昂ぶりのために、句も出来ねば、眠られもしなかった、という。おそらくこの文章から、前掲の「松島やああ松島や……」の句の伝説ができたのにちがいない。 
 芭蕉は、日本文学史上第一等の詩人であることは、大多数のひとびとが認めるであろう。芭蕉に比せられる和歌の西行がしばしば伝統的な定型におちいるのに対し、芭蕉にはそういうゆるみがすこしもない。詩人の皮膚は、つねに剥かれて、吹く風にも痛みが走り、羽毛にくるまれれば歓喜を噴きあげねばならない。同時に、それらを包んで、他人に気取られぬ剛毅さが必要である。西行もそうだったが、芭蕉もそうであった。
 奥州へ旅立つべく、江戸郊外の千住まできたとき「前途三千里のおもひ胸にふさがり」、旅を無常流転の世にたとえる。江戸の旧知と別れることにさえはげしく無常を感じ、

  行く春や 鳥啼き魚の目は泪
  
 という句を詠んでいるのである。この一句には無常流転という単色の世界が、基調になっている。この世は仏教的にみればモノクロームの世界でありながら、句の中に花のあとの若葉や水の色という色彩があり、空には鳥がさえずっている。さらには動きとして水面に魚が躍っている。それらはすべて空の中の色(現象)であるだけに、この句の世界では、いっそう悲しい。
 その上、自分は物狂おしくも三千里の旅に立とうとしている。江戸の旧知がそれを見送ってくれるのだが、それすら会者定離を思わせる。魚の目にも泪があってしかるべきではないか、とこの句は言いつつも、句になってしまうと、よく出来た抽象絵画のようなかがやきがある。
 こういう詩人が、松島にきて、幇間の座敷芸のように「松島や ああ松島や」などとうたうであろうか。
 以上、芭蕉のために雪冤のつもりでのべた。

  夏草や兵どもが夢の跡

    五月雨の降のこしてや光堂
  
  閑さや岩にしみ入蝉の声

 というように、芭蕉一代の名句が、奥羽における三つの古刹でできている。くりかえし惜しまれるのは、松島においても瑞巌寺でも、芭蕉は句をつくらなかったことである。あるいは、草稿には無数に句を書きつらねたかもしれないが、みな気に入らず、破り捨てたとも考えられる。
 かれは、死後の名を惜しむ人であった。『おくのほそ道』にしても、永年推敲し、その間、ひとにはみせなかったといわれる。最晩年になってようやく推敲を了えた。かれは存生中、自分の作品が古典になることを知っていたまれな人だったのである。むろんそれは、傲りではない。
 人の運命は、はかない。そういうかれが、駄じゃれのような句をかれの作として観光客の目に曝らされつづけているのである。李白や杜甫やゲーテは、こういう目に遭っているだろうか。(以上、抜粋)


 まったく抗う余地はない。件の「名句」は贋作なのだ。希代の慧眼に曇りはない。よくいえば贔屓の引き倒し、有態には風雅を摧(クダ)いて下卑に貶めたといえる。
 「ノンキなトウサンのような句」と呆れ、「幇間の座敷芸」と斬り、「駄じゃれのような句」と一笑する。まことに烈しい。司馬のこのような舌鋒は、「土地問題」と「統帥権問題」を措いてほかにないのではないか。激昂にも近い。

 世の常識といわれるものの嘘については、かなり前に触れた。(06年5月13日付本ブログ「いぶし銀のウソ」)本稿はそれではなく、司馬遼太郎の怒りについてだ。
 観光が地域や一国にとって大きな産業であること ―― たとえば海外からの観光客七、八人分の消費は、日本人一人の年間消費に相当する ―― を前提としつつも、「粛然たる気持」で対さねばならない。商業主義に足元を掬われてはならぬ。偽作を「観光客の目に曝ら」しつづけるような無神経はすでに文化的蛮行であり、文化への冒涜ではないか。
 先年指定を受けた世界遺産を擁する町が、過日専門家を呼んで遺産を地域振興に活かすための意見を求めた。現地を踏んで調査した結果、最初に出てきたアドバイスが食事どころが少ないというものであった。唖然とせざるをえない。このような手合いは、およそ専門家の名に値しない。税金をどぶに捨てるようなものだ。テレビの観光地レポートと同じ目線で観ているのであろうか。いつから日本は、こんなにも文化から遠い国に堕してしまったのだろう。悄然と俯いてしまう。

 少し視点をずらす。
〓〓現代は「『大衆というバケモノ』が野に放たれた醜悪な時代だ」と評する【識者】がいる。ハイカルチャーを駆逐するポピュリズムの専横を嘆く【識者】がいる。
 「大衆化」とはなにか。貴顕に属していたものが一般に供されることをいう。それは決して悪ではない。人類の進化の一頂点である。しかし文化的貴顕までも消し去ってはならない。それはやがて自死に至る道だ。モノカルチャーの愚行と恐怖は「文化大革命」で証明済みだ。
 もしもピカソやゴッホという高みを捨てて、アマチュアリズムにしか価値を置かないとしたら、それは退嬰化以外のなにものでもない。〓〓(07年11月20日付本ブログ「千慮に一得」から)
 この愚見、どこかで件の「名句」と通底していないだろうか。ただし気になるのは、【識者】M氏のテレビ露出度が最近むやみに高いことだ。深い慮(オモンボカ)りがあってだろうが、紙一重の危険を感じる。

 「日本文学史上第一等の詩人」に寸土も借景を赦さなかった絶勝。寸毫の妥協にも甘んじず、遂に一字をも記さず筆を擱いた詩人。襟を正すに充分な故事ではないか。 □


少しばかりの因縁

2010年09月15日 | エッセー

 隣市に新しい高速道路ができつつある。だが、この稿は公共事業がどうのこうのという野暮な話ではない。

 どこでどうなったものか、旧街道の真上に土を盛って造る。というより、工事の取っ掛かりに遺構が出てきた。工事は止まり、入念な調査がなされた。距離にして約五百メートル。幅は二メートルあるかないか。雑木林と雑草で覆われていた古道が露になった。望見すると、弧を描いて山裾を縫っている。数え切れない先人たちの足で、しかと踏み固められいる。要所には石垣が組まれ、路体を守っている。   
 歩み込んでみると、懐かしい匂いがした。木と土。根を張った生木と、陽(ヒ)に炙られた土塀のそれだ。時折吹き上げてくる海風(ウミカゼ)が混じり、江戸の世の微風に包(クル)まれているようだ。まことに漠漠たる錯覚であるが。
 明治になって、三百メートルほど海寄りの汀線に沿うように幹線が敷かれた。国道として長く供され、今日に至る。

 道は元々、歩くためにできた。牛馬や荷車は往来したにせよ、あくまでも人が使った。時代が下ると、主座が替わる。モータリゼーションの波が全国を洗った。道の構造自体が変わり、多くの場合、旧道を擦(ナゾ)るようには造れなくなった。経路が移り、つられて街が変形し、暮らしが様変わりした。やがて旧街道は忘れられ、木に隠され草に埋もれて原野に復した。
 そして今、車のためだけの道が張り巡らされる。技術レベルは隔世の開きがある。一山(イッサン)を削り取り、一谷(コク)を埋め均すぐらい、苦もない。市街地では用地の取得に難渋する。勢い、路線は山間部に入(ハイ)り込む。と、そこが奇しくもいにしえの街道であった。
 こういう例は少なからずあろう。隣市はその好例である。街道の先祖返りともいえる。長い中断ののち工事は再開し、古道は跡形もなく踏み拉かれた。二度と姿を見せることはない。もはや完全に歴史となった。

 旧街道の復活は須臾に終わり、それを飲み込んで高速道が高々と盤踞する。得体の知れぬ寂しさが残る。遥かな時を挟んだ新旧の交替に、少しばかりの因縁を感じてもよさそうな気がする。 □


ミスド 復刻!

2010年09月11日 | エッセー

 こないだから流れているミスドのテレビCMが笑える。店長役の所ジョージに、仲 里依紗演ずる女子スタッフが噛みつく。

(仲、「復刻ドーナツ仕分け会議」と書かれたホワイト・ボードの前で、いっぱいメニューが並んだチラシを見せながら)
「復刻ドーナツは、こんなに必要なんですか? 二つじゃ、いけないんですか?」
(一瞬、間があって)
所 「はぁ~?」
仲 「本当にお客様、望んでるんでしょうか?」
(所、すかさず)
「望まれて、ドバーッと復刻!」

 「二つじゃ、いけないんですか?」は、そう、例の事業仕分けで民主党議員R女史が放った「二番じゃ、いけないんですか?」のもじりである。「2番」を「二つ」に言い換えるところなぞ、実に小憎いほどの仕掛けではないか。とすると「望まれて、ドバーッと復刻!」は、皮肉にも史上最高となった本年度予算か。それは、ちと深読みが過ぎるか。
 所ジョージは、このCMに十年ぶりの復帰らしい。配役そのものが「復刻版」ということか。
 
●ミスド40周年、歴代ドーナツ復刻 9月から順次31種
 ミスタードーナツは9月から、歴代の人気31種類を期間限定で順次、復活させる。創業40周年を記念して懐かしい商品を売り出すことで、集客につなげたい考えだ。
 創業当時にあったイースト生地の「ココナツレイズド」や、卵やミルクを使った「ケーキドーナツ」、2009年1月に発売し、半年間で販売を終えた米粉のドーナツなどが復刻する。
 同社は26~29日に、東京都千代田区の東京国際フォーラムで、体験型のイベント「大復刻祭」を開いている。店舗以外では初という製造実演があり、各日先着4千人に復刻の「ジャーマンココナツチョコレート」を無料で配っている。子ども向けにドーナツのデコレーション体験もある。入場は無料。(朝日 8月27日)

 「大復刻祭」とは大仰な。揚げ足を取る気はないが、なぜ「復刻」なのだろう。復刻とくれば、出版物ではないのか。(たしかに「再製」という意味があり、あながち誤用とはいえぬが)ドーナツに復刻はいかにもミスマッチだ。再発売、リバイバル、復元、いいとこ復活ではないのか。(ただ、「復活祭」とすると宗教的意味が生じてくるのでややこしくなる) ひょっとしたら、ドーナツは単なる菓子の類に非ず、連綿たる食文化の厳かなる一結晶であるとでもいいたいのであろうか。それとも創業40年を迎え、日本食文化史に復(マタ)、偉業を刻もうとの意気込みであろうか。なにはともあれ、解り難(ニク)い「復刻」ではある。ドーナツだけに、中空は杳として知れない。

 話を戻そう。
 「二つじゃ、いけないんですか?」 これは、いかにも惜しい。昨年末か今年はじめに出ていればタイムリーだったのに、時機を逸した感がある。ミスドの日本創業時期(70年10月)に合わせたのかもしれないが、なににしても遅かった。
 …… いや、待てよ。今の世の中、回転が速い。一昔の十倍はスピードアップしている。一年が十年。去年あたりが頃合いの昔になる。ならば、このセリフ自体が「復刻」なのではないか! きれいに消えてはいない。きっかけがあればすぐに蘇る。R議員の『迷』セリフは遅蒔きどころか、絶妙の間合いで復刻を果たしているのではないか。
 なにせ足が早い政治ネタである。かつ生臭い。半年くらいの前なら、変に政治的意図を孕みかねない。また、今のドタバタが終われば予算編成、次なる仕分けが始まるだろう。それでは、洒落にならない。R女史もその道の担当大臣におなりになったことでもあるし、今をおいて、タイミングは他にない。
 と、愚案に落ちた。それにしても、どこの誰だか知らぬが、このCMの仕掛け人はなかなかの強者(ツワモノ)ではないか。付け加えると、仲 里依紗はインカムらしきものを耳に当てマイクを手にしている。所とはテーブルを挟んだ距離でしかない。所もマイクで応える。明らかに、どこかの体育館で去年見た光景だ。あぁー、これも「復刻」だ。ならばもう、つべこべ言うことはあるまい。ミスドへ行こう。 …… でも、『二つ』しか買わない。 □


時事の欠片 2題

2010年09月09日 | エッセー

《社会の木鐸では?》  
●ノーベル賞一転、弁明の日々 IPCCのパチャウリ議長
 3年前、ゴア米元副大統領と一緒に国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長としてノーベル平和賞を受賞したエネルギー・環境問題の専門家パチャウリ氏は最近、公の場で弁解をすることが多くなった。
 理由はIPCCを巡る一連の疑惑だ。IPCCは世界から選ばれた気候変動の専門家の集まりだが、昨年11月、地球温暖化を誇張したとも受け取れる専門家間の電子メールが流出。パチャウリ氏が責任者としてまとめた2007年の評価報告書が、ヒマラヤ氷河の消失時期を早めて記述する誤りも見つかった。
 さらにパチャウリ氏が、出身国インドでエネルギー関連の国営企業の役員をしていることなどが、自分の利益のために研究内容が影響を受ける可能性がある「利益相反」に当たるとの指摘まで出た。
 利益相反の疑惑こそ否定されたが、8月30日、世界の学術団体で組織するインターアカデミー・カウンシル(IAC)が公表したIPCCの運営に関する検証結果は、利益相反についてより透明性を高めるよう求めたほか、報告書に誤りが見つかった時の対応が遅く、不適切だったと指摘。さらに「最長2期12年の議長任期は長すぎる」と、02年から議長を務めるパチャウリ氏の辞任まで暗に求めた。
 検証結果を受けた会見でパチャウリ氏は「科学的には問題がなかった」などとする他の公的機関による検証結果などに触れつつ、評価報告書の正当性を強調。当面、議長にとどまる考えも示した。
 しかし、政治家に判断材料を提供する純粋に科学的な組織のはずのIPCCが「政治的に中立でないのではないか」との疑念を完全にぬぐうには、時間がかかりそうだ。IPCCは10月に釜山で開く総会でIACの検証結果への態度を決める。IPCCとパチャウリ氏にとっては、信頼回復に向けた正念場となる。(朝日 9月6日)

 この記事には大きな問題がある。内容の当否というより、報道姿勢についてだ。
 昨年11月に惹起した「クライメート・ゲート」については、本年7月24日付本ブログ「欠片の主張 その9」で取り上げた。その中で、わが国ではほとんど報じられていないことに「日本の報道がいかに偏向しているか、悍(オゾ)ましい限りだ。」と嘆いた。
 今度は、大いに呆れた。
 「昨年11月、地球温暖化を誇張したとも受け取れる専門家間の電子メールが流出。」とさらりと触れているが、この一件に関して朝日(外の主要紙も)は何も報じてこなかった。「ウォーター・ゲート」に擬してゲートと名付けられ、世界を駆け巡ったニュースをガセネタ扱いしネグってきたのだ。事ここに至り、知らぬ顔の半兵衛を決め込む訳にはいかなくなったのか。よほどばつは悪かろうに、億面もなくこんな記事を載せるとは、社会の木鐸の名が泣こうというものだ。
 さらに、「政治家に判断材料を提供する純粋に科学的な組織のはずのIPCC」との記述は少しお粗末ではないか。「純粋に科学的」であるかどうか。政治家が絡んでいながらなお「純粋」であるとは、にわかに肯んじ難い。もう少しシビアな分析が必要ではないか。
 情報は伝えることで受け手を操作できるが、伝えないことでも操作は可能だ。封建の世では由らしむべし知らしむべからずの論語の流儀でよかったろうが、今ではとんだアナクロニズムだ。伝える、伝えないの選択自体に価値観が関わる。受け手はしかと心せねばならぬだろう。
 「木鐸」とは、大きな木製の鈴である。古(イニシエ)の中国で法令を告知する際、鳴らした。現今はネットの時代である。情報の民主化が劇的に進んだ。猫の首に鈴といえなくもない。ただ「イソップ物語」の訓(オシ)え通り、鼠にとってはこれが至難の業だ。なにせ玉石混淆。より高い選択眼が求められる。
 「クライメート・ゲート」はネット時代のくっきりとした明と暗 ―― メールの流出で事態が明るみに出たこと、およびネットの暗闇で事態がすすんだこと ―― を浮き彫りにした。その意味で、「玉」にちがいない。「鈴」が鳴って、「猫」が挙措を掴まれてしまった。

《ニッチでリッチ!》
●クーポンサイト、日本も席巻? 米「グルーポン」進出
 限られた時間内にインターネットで利用者を募り、飲食店や娯楽施設の割引券を販売する「共同購入型クーポンサイト」サービス。その先駆け的存在である米「グルーポン」が今夏、日本に進出した。29歳の創業者、アンドリュー・メイソン最高経営責任者は、「サイトは、地域の活性化に貢献できる」と、日本での事業拡大に意欲を燃やす。
 創業は2008年11月。メイソン氏はそれまで、利用者がパーティーやイベントの参加者を手軽に集められるサイト「ポイント」を運営していたところ、食事などの団体割引を得るために利用する人が多いのに気づいた。そこで割引専門サイトの発想を得た。
 社名はグループ(集団)とクーポン(割引券)を合わせた造語で、海外ではサイト名にも使っている。2年で事業は29カ国に拡大。当初は7人だった社員は2千人に増え、会員も世界で1500万人を超えた。割引券は飲食店、エステティックサロンのほか、バレエ鑑賞券などにも及ぶ。米国では大手衣料店ギャップのクーポンも手がけ人気を得た。「都市によって掲載は3~6カ月待ちというほどの人気」という。
 成功のカギは「ツイッターなど、瞬時に友人と情報を共有できるネットサービスが普及したこと」とみる。掲載料は無料で、売れたクーポン数に応じて手数料をもらう仕組みにした。このため、「資金力が弱い商店や、費用対効果が見えにくいとしてネット広告を敬遠していた企業も使うようになった」という。
 「消費者にとって、新しい体験への入り口」として、グルーポンを通じた都市の活性化にもつながると話す。隠れた地元の名店や新サービスが注目されれば、地域経済の潜在需要の掘り起こしにもつながる。「『我が町』の楽しみ方を変えること」が理想だ。(朝日 9月9日)

 たしかにニッチだ。いや、だった。しかし今や堂々たるものだ。MSといい、グーグルといい、この独創性には舌を巻く。
 先(セン)に書いた覚えがあるが、アメリカの国家的命題は「広さ」の克服であった。西部開拓、電信・電話、大陸横断鉄道、自動車、飛行機、すべてが「広さ」への挑戦であった。やがて西海岸にまで至ったフロンティアは宇宙へと向かう。スピリットに果てはない。
 そしてもう一つ。技術の商品化だ。ぶっちゃけて言えば、金儲けのタネにする。これが実に巧みで、速い。これとてフロンティア・スピリットに変わりはない。独創はすなわち創造だ。このあたり、どうしても勝てない。ニッチでリッチになり、アメリカンドリームが成る。この大国、まだまだ健在である。
 司馬遼太郎は、「異質さが一つのるつぼに煮こまれなければ文明という普遍性は起こらないものだ」と述べている。その「るつぼ」たる条件をこれほど十全に満たしている国は外にない。アメリカの創り出すものが帯びる普遍性は、そこに秘密があるのだろうか。米国発は、またたくまに国境を越える。ITとて然りだ。
 良くも悪しくも、好むと好まざるとに関わらず、「アメリカの世紀」はまだ続く。 □


奇想! 「蒼穹の昴」

2010年09月06日 | エッセー

 太監(タイチエン)――文秀の口から宦官のもうひとつの呼び名を耳にしたとき、春児(チュンル)はぞっと鳥肌立った。宦官と呼ぶよりずっと偉そうな太監という響きは、むしろ生々しく彼らのありようを想像させた。
 かつては異民族を断種するために、あるいは宮刑という刑罰の結果うみ出された彼らは、今や立身のために進んで男を捨て、後宮の奥深くに仕える太監となっていた。
 男でも女でもない、太監という異種の人間を、春児は初めて目のあたりにしたのだった。それはかつて噂に聞いていた、気味の悪い裏声を張り上げ、前のめりにちょこちょこと歩き、生臭い匂いをまき散らすという、姑息な宦官の印象とは余りにかけ離れていた。
 春児が見たものは、富と名誉とに鎧われた、威風堂々たる権威そのものであった。
「宦官にも偉い人はいるんだね」
「ああ。李蓮英様の威勢に並ぶ者はいない。なにしろあの老仏爺(ラオフォイエ)様の第一の側近だ」
「老仏爺!」と、春児は素頓狂な声を上げて立ち止まった。


 浅田次郎氏がライフワークと自称する「蒼穹の昴」第一章の、長い物語の起点となる場面である。
 中国歴代王朝で貴族以外に高位高官となる道は、科挙によって官僚となる外にはなかった。あともう一つあるとすれば、自宮によって宦官となり紫禁城の懐深くに食い込む道だ。儒教の経典は元より万般の学問に通暁せねばならぬ科挙の道。その勉学は気も狂わんばかりの命懸けとなった。片や、宦官の道。心身ともの苦痛に堪えるだけでなく、当時の施術レベルでは細菌対策が十分でなく三割が落命したらしい。こちらも命懸けだった。
 その二つの道を、清末の寒村から二人の青年がそれぞれに歩み始め、そして上り詰める。絶世の権力者・西太后を挟んでの権謀術数、末期(マツゴ)の業火に喘ぐ大清の命運。人間と歴史の、蒼穹を覆うほどの宏大なドラマである。
 かつて、このブログで読後感を綴った。
〓〓王朝の昴として世を統べ、そして自らの手で王朝の幕を降ろす。この天命のアンビヴァレンツ。マクベスや、リア王にも通底する悲劇の絶対者。西太后に向けられる作者の眼差しは限りなく優しい。
 終局にちかいころ、唐突に毛少年が登場する。「蒼穹の昴」に仕込まれた何事かの伏線であろうかと考えあぐねた。と、そのままに物語りは閉じられた。
 かつて、司馬遼太郎氏は述べた。 ―― 流民の歴史であった中国4千年の興亡。それは常に飢えていた。毛沢東の出現に至り、はじめて民草のすべてが食えるようになった。それが、それこそが有史以来の空前の業績である、と。
 むかし紫禁城であった故宮の入り口、見霽かすほどに宏大な広場を従えて天安門が建つ。正面には主席の巨大な肖像が聳える。彼もまた「蒼穹の昴」であったに違いない。〓〓(06年9月29日付「高唱について」から抄録)

 奇想、天外より来(キタ)る ―― 8月28日深夜、はるな愛が日本武道館をめざして走る姿をテレビで瞥見した時である。唐突にも、春児が蘇ったのだ。「蒼穹の昴」に登場する宦官の青年。主人公ともいえる。
 日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」のマラソンランナーであった。ニューハーフでは初めての登場だそうだ。父親が出発に立ち会い、母親がゴールで迎える。和解の抱擁(メタモルを巡って不和があったらしい)。お仕着せの感動劇場。毎度のことながら、まったく辟易する。
 そもそもこの番組は何なのだろう。世の善意を募るのに、これほどの大仕掛けが必要であろうか。お為めごかしにしか見えないのはわたしだけか。
 それはともあれ、『奇想』についてだ。

 当然のことながら、浄身は双方同じだ。はるなは95年に手術を受けた。ただ、春児は貧困ゆえ、はるなは性同一性障害という病の故だ。断っておくが、宦官は性を転ずるのではない。性を肉体的に封ずるのだ。精神に変わりはない。
 さて、何に仕えるか。春児が「自らの手で王朝の幕を降ろす悲劇の絶対者」に己を奉じたとすれば、はるなは凋落の兆しに戦く第三の権力の雄・テレビメディアに身を捧げたのか。いまやテレビメディアを席巻する芸能界という名の異界の懐深くに、究極のメタモルをもって食い込もうとしたのか。春児が「自宮によって宦官となり紫禁城の懐深くに食い込」んだように。
 
 と、奇想が巡ったのである。
 ならば、はるなは『現代の宦官』か。ならば、哀しい。春児は架空の人物だが、はるなは実在する。ならばなお、哀れだ。はるなが純で無垢で、ひたすらであればあるほど、春児が想起される。(はるなは、かつて「春菜」と綴ったこともある。一字だが、連想のよすがになったといえなくもない)春児に生きる勇気をもらったという読者が多い。はるなはどうだろう。少なくともわたしには、超え難い壁が立ちはだかる。(誤解を招かぬよう付け加えると、わたしははるなを好感しているのではない。むしろその逆だ。体質的に、それはない。ただこの稿は想が余りに奇であり不意であったために、肩入れした調子になっただけである。老婆心ながら……)

 ともあれ、視聴率至上の放送界で使い捨ての憂き目を見ぬよう祈りたい。いなむしろ春児と同じく『太監』を、いな『蒼穹の昴』をどこまでも追えばいい。牡牛座に陣取るプレアデス星団。天空に瞬くスターの群れだ。□


終わりの始まりか?

2010年09月02日 | エッセー

●民主代表選 菅首相記者会見「正々堂々と戦う」
 菅直人首相が31日、民主党代表選への立候補を表明した。「6月8日に首相を拝命して3カ月近く政権運営にあたってきた。これからが本格的な政権の稼働する時だと考え、多くの課題、政策を実現するため、同志の推薦をいただき、代表選に改めて立候補することにした」(毎日jp 9月1日)
 別のところでは、「首相となってまだ3カ月しか経っていない。途中、参院選もあり、なにもしていない。これからだ」とも言ったらしい。
 開いた口が塞がらない。こんなつまらない男を担ぐ取り巻きも、救い難いほどに陳腐で低劣な連中にちがいない。
 「なにもしていない」どころか、参院選大敗を呼び込んだではないか。野党が泣いて喜ぶ大きな禍根を残したではないか。この極めて簡明な事実が抜け落ちてはいないか。
 「これからが本格的な政権の稼働する時」とは、なんと能天気な。新任ポストは3カ月が勝負といわれる。できるか、できないか。使えるか、使えないか。見極めをつける試雇期間は3カ月だ。また、そう背水に陣を敷く覚悟で臨めということだ。「まだ3カ月しか経っていない」ではなく、すでに3カ月も過ぎたのだ。一端(イッパシ)の男なら、三月(ミツキ)で目鼻を付けそこそこの結果は出せる。こそこそはしても、どこにもそこそこは見当たらない。3カ月かけて無能を実証しただけではないか。

 一方、何を血迷ったか、鳩山前首相は「伝書鳩」よろしくフィクサーを気取った。とんだ茶番で噴飯物ではあったが、一つだけ評価できる発言があった。
●「私を首相へ導いた…小沢さんに恩返し」鳩山氏
 ロシア訪問中の民主党の鳩山前首相は27日、党代表選への対応について、記者団に「小沢さんは政権交代を導き、私を首相へと導いた。その恩に対して恩返しするべきだ」と述べ、小沢一郎前幹事長を支持する考えを改めて表明した。(読売 8月28日)
 アナリストかコメンテーターか知らぬが、テレビメディアの茶坊主が「恩義というなら、国民への恩義ではないか」などと批判していた。そんなことしか言えない低能がマスコミにのこのこ出てくるな、と言いたい。
 意図したものかどうかは定かでないが(おそらく不作為の発言だろうが)、あれは菅への痛烈な皮肉ととるべきだ。 ―― 恩義を受けたのはお前だって同じだろう。(浅田次郎風にいえば)おれは碌でなしではあるが、人でなしではない。こんなことをしていたら、お前は人だ。 ―― わたしにはそう聞こえた。帰国を前に、ジャブを見舞ったのだ。悲しいかな、掠りもしなかった。
 さらに踏み込む。
 言葉が古い。恩義ではなく、取り込む、と言い換えてはどうか。鳩山と菅の書生論では政権が取れなかった。保守政治の古層を取り込むしかなかった。このアンビヴァレンツを『鳩語』で泣訴したのではないか。

 小沢は慶応から日大大学院のころに、全共闘時代、別けても日大紛争の空気を吸っていたと、先般(8月24日付本ブログ「ヨロンとセロン」で)紹介した佐藤卓己氏はいう。                 
 ―― 自民党を離党して新生党を結成し、その後、新進党、自由党、民主党と政界再編の台風の目となってきた。全共闘の標語「連帯を求めて孤立を恐れず」は、小沢一郎にこそ相応しいスローガンかもしれない。そういえば、寄り合い所帯の民主党はなんだか「全共闘」の風情があるような気もする。 ―― (新潮選書「輿論と世論」から)
 とても穿った冗句だ。全共闘と小沢。対極にありながら、真正の継承者は小沢だった。山本義隆が聞けば腰を抜かすだろう。
 上記の引用文の前に、94年、元全共闘活動家が中年を迎えたころ実施されたアンケート調査が紹介されている。「いま最も嫌いな政治家」は、断トツで小沢一郎。「いま最も好きな政治家」では、土井たか子に続いて2位。「好き嫌いを別にして、最も注目している政治家」は、再び断トツで小沢となった。なんとも屈折している。アンビヴァレンスそのものだ。

 改めて念を押すが、筆者は小沢を善しとしない。功微少にして、罪余りに多しだ。自民党一党支配に終止符を打ったのは功としても、時代遅れの小選挙区制、二大政党制への先導は悪業に等しい。

 「清廉 VS 剛腕」などと、新聞は囃し立てる。それを言うなら、『似非市民派』対『亡霊全共闘』であろう。ともかく、終わりが始まったようだ。□