伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

私的オムライス考

2016年05月04日 | エッセー

 隣市に80年にもなろうかという老舗洋食屋がある。小学4、5年生の頃、幾度か親のお供の序でに強請ったことがあった。注文は決まってオムライス。舌鼓を高らかに連打したものだ。
 爾来、このオムライスが洋食における“お袋の味”となり、わが味覚の不動の基準となった。美味い不味いはすべてこの基準を超えるか否かによって決せられる。そのような結界として脳内に刻まれ今日に至った。
 オムライスとはフランス語の“オムレット”と英語の“ライス”を合わせた和製外来語で、日本生まれの洋食であることを知ったのはずっと後年になってからだ。しかしだからといって逆艪を立てても詮ない。私的カテゴリーにおいては依然として頑なに“洋食”の玉座に鎮座在す。
 長い長い無沙汰のあと、先日訪った。未だ客足は途絶えないとは聞いていたが、やはりそうだった。昼時だったせいもあり、仕舞た屋街には珍しく盛況だった。しかも老若男女、特に若い人が目立った。店構えも店内も昭和が居残っているせいかもしれない。年配者には懐かしく、今の世代には珍しいのか。別けても、タイル張りの腰板を久しぶりに目にした。かつては垢抜けて小綺麗さを醸す造りだったのだが、今やタイルは殊更に潔癖を押しつける病院の冷ややかな処置室のようで息苦しい。ともあれ、レトロではある。
 オーダーは勿論オムライス。久方ぶりの“お袋の味”だったといえば話は収まるのだが、そうは問屋が卸さない。“あの味”とはどうも違う。いや、たしかに違う。店主はおそらく3代目、4代目にはなっているだろうから変わって当然ともいえる。待て待て、そういう変わりようではない。そうだ、当のオムライスが移ろったというより“不動の基準”が大いに慌てているとでもいおうか。幼くして生き別れたわが子に長じて再会し、紛う方なく親子ではあるものの、幼児の記憶とも親である自らともてんでに異なる何者かに出くわしたような驚き、戸惑い、気恥ずかしさ。そんな齟齬である。しかも少しだけ落胆が混じった行き違い……。
 とこうにわけを考えるうち、フィリップ・K・ディックの『模造記憶』が浮かんだ。記憶に埋め込まれた火星での生活。憧憬はそれにそぐわない経験を記憶から切り捨て、ふさわしい経験が模造され記憶される。“あの味”とは模造記憶ではないのか。小学生が抱いた洋食への憧れ。邂逅したオムライスがその図星として模造記憶にされた。もはや戦後ではなくなって、洋風が市井に行き渡り始めたベルエポック昭和の時めきとして模造され記憶された。そういう事情ではなかったのか、個人史のなかでは。
 “Good old days”の模造記憶である件(クダン)のオムライスが『Back to the Future』したのでは洒落にならない。だから、あの店はもう止そう。洒落が通じるほど老熟はしていない。
 蛇足ながら、ケチャップを使わないデミグラスソースは邪道であり、上割りタイプは横道であると固く信ずる生粋の昭和人としては、そのような代物をオムライスと呼ぶわけにはいかない。ケチャップをスプーンの腹でまんべんなく引き延ばし、ウスターソースを滴らせる。かくして、両端の尾鰭から腹部の膨らみへ均等に攻め上っていく。そして、ゆっくりと203高地を陥落させる。至福の時はこのようにして訪れるのである。街に溢れる横文字だらけの小洒落たレストランと、横文字だらけの不可解なメニュー。いまだかつて“あの味”を超える食い物に出会えたためしがない。 □