伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「新・国富論」

2012年12月30日 | エッセー

 白状すれば実は経済音痴である。本ブログで偉そうに税制がどうの、国債がどうのと言ってきたのは酢豆腐の戯れ言であった。能がないから自家製は無理だが、買い求めようにも銘店犇(ヒシ)めいて決めかねていた。だからといって、斉東野語ばかり繰り返していても詮無い。ならば、やはりどこかの豆腐屋を贔屓にするほかはあるまい。
 そんな折、極上の豆腐に巡り合った。美味である。絶品である。無理にとはいわぬが、ぜひ御賞味あれ。
……と書いたのが、昨年11月「惚れてまうやろ!」であった。爾来1年余、ふたたび浜 矩子先生に教えを請う。
 「新・国富論」(文春新書)である。今月発刊された。
 “アベノミクス”が揚言される折も折、実にタイムリーな出版である。(◇部分は上掲書より引用、以下同様)

◇人類は、今日にいたるまでの歴史の中で、三度のグローバル化現象を体験している。第一次グローバル化の時代が、十五世紀半ばから十七世紀半ばにかけての時期だった。いわゆる「大航海時代」である。第二次グローバル化時代が、十八世紀から十九世紀に起きた「産業革命」の時代と重なる。この第二次グローバル化時代こそ、アダム・スミスが生きた時代である。そして今、我々が第三次グローバル化の時代を生きている。◇

 タイトルからも判るように第二次グローバル化時代を生きた経済学の父アダム・スミスの「国富論」に範を求めつつ、第三次グローバル化時代の新しい経済学を拓こうという気宇壮大ながらも小さな一歩である。元祖「国富論」が際立って浩瀚であったのに比して、新書とはいかにも小振りだ(原書は見たことも読んだこともないが)。それに「ユーロ長屋」だの「ユニクロ栄えて国滅ぶ」「僕富論から君富論へ」といった“浜ワード”が随所で繰り出され、新書らしい噛み砕きがある。しかし決して軽くはない。なにせ浜先生だ。そんじょそこらの学者とは訳が違う。顔は怖いが(失礼)、お説はとても優しい。
 まずは頂門の一針。

◇ヒト・モノ・カネが地球の歩き方の達人になればなるほど、国々の政策能力は低下する。財政政策は金欠で手詰まりになる。金融政策はカネの勝手な流出入に足を取られて効力を失う。この状態に業を煮やして、浅薄な政治家たちが中央銀行に国債を買わせたり、やたらに高いインフレ目標を達成させようと、気炎を上げる世の中になっている。これは怖い。追い詰められた国々のお門違いの逆襲がこのような形を取る時、民主主義は脅威にさらされる。◇

 無能な政治家たちの次が「浅薄な政治家たち」であってはなるまい。第三次グローバル化時代の深い認識については同書に当たっていただくとして、元祖「国富論」とは前提がまるっきり違っている。今、「国々の政策能力は低下」せざるを得ない時代であること。海図のない未知の海域に先駆けて乗り入れているのが日本丸であること。その自覚だけは持ち合わせていないと、「浅薄な政治家たち」と呼ばわれてもいたしかたあるまい。
 アベノミクスについて、朝日は『ザ・コラム』(12月30日付)で海外の識者二様の声を紹介していた。「いま日本が注目されている理由は、多くの先進国にとっても貴重な実験だからだという。金融危機後の経済の低迷では、日本が先輩格なのだ」と述べ、
──「我々はいまや、みなが日本人だ。違いは日本の方がより長く問題を引きずり、より多くの政府の借金があるだけ。この大胆な緩和で日本は停滞から抜け出せるのか、それとも超インフレの大惨事になるのか。私はうまくいくと思うし、そうなれば他国もコピーすればいい。だめだったら、誰もまねしない。この大実験は、非常に役に立つだろう」
「国の借金のひどさを考えると、日銀はずっと巨額の財政の穴埋めを迫られるだろう」。産業の生産性を向上させない限り、解決策はない。いずれ制御不能の円の暴落が起きる。──
との二様のコメントを引いていた。かくなる上は、ただ千慮の一得を願うばかりだ。
 “ハマノミクス”に戻ろう。浜先生は、第三次グローバル化時代のイシューを42点にわたって挙げている。以下の通りだ。

◇(1)グローバル・サプライ・チェーンと古典的分業論との関係やいかに?
(2)今も昔も、カネは隙あらば出しゃばるものらしい
(3)『国富論」の時代には、国家とその政策がヒト・モノ・カネを振り回した。我らのグローバル時代においては、逆にヒト・モノ・カネが国とその政策を振り回す
(4)見えざる手がもたらす合成の勝利
(5)国境無きグローバル時代は、合成の勝利が合成の誤謬へと転化する世界なのか?
(6)解体の誤謬(全体最適が全員最適を必ずしももたらさない)こそ、「新・国富論」のテーマ
(7)『国富論』の見えざる手は需要の漏れが無いことが前提
(8)国境を越えた需要の漏れで見えざる手が神通力を失えば、見える手に依存するほかは無し?
(9)『国富論』において、国民経済は自己完結体系。モノは国境を越えても富は必ず国に帰属する
(10)わが社のためはお国のため?
(11)我らのグローバル時代は全富論の世界にして国富論の世界にあらず(全体最適は全員最適と同値に非ず)
(12)交換動機に基づく分業=社会的分業。工程分業との違いに留意
(13)未開社会の効用
(14)分業は人間をゾンビにする
(15)究極の分業時代である我らの時代は究極の人間破壊時代か
(16)諸国民の富と諸国家の富はどう違う?
(17)市場の国際化をいくら積み重ねてもグローバル市場にはならない
(18)グローバル市場は国際市場と同じ原理では動かない
(19)国際市場は国際競争の世界
(20)グローバル市場はグローバル・サプライ・チェーンの市場。すなわち(国際)協調の市場。誰かがいるから、誰もがいられる
(21)グローバル・サプライ・チェーンは小さき者が大なる者を支える構図
(22)グローバル・サプライ・チェーンと国家の求心力との関係は?
(23)二国二財モデルと羊羹チャート
(24)立国主義の限界
(25)立企業・対・立国家
(26)カネの価値はキンにあらず。ため込むことには意味がない
(27)独り占めと出し惜しみの重商主義
(28)貯蓄と投資の関係
(29)「新・国富論」ならぬ新重商主義の時代?
(30)マジメ金融・カジノ金融・マトモ金融
(31)グローバル長屋の管理組合の在り方
(32)政策不能時代の政策の在り方
(33)我らかグローバル時代における労働価値説や、いかに?
(34)国民国家ベースの富の性格と要因を知り尽くしていればこそ、国境無き時代の真相がすぐわかる
(35)ヒトに優しい『国富論」
(36)スコットランド魂と「新・国富論」
(37)ミイラ捕りのミイラ化
(38)禁断の一線を越える中央銀行
(39)出来の悪い魔法使いの弟子たち
(40)止まらない恐慌
(41)金融から消えゆく信用
(42)重人主義◇

 この列挙を一読すれば、奈辺に問題意識があり処方箋はいかなるものか、ほぼその輪郭は掴める。憂国ではなく、『憂市民』の士には、ぜひ御一読願いたい。本年最後の稿で推奨する好著である。
 では、先生十八番の御高説を拝聴して拙文を締める。

◇心意気は何富論か。合言葉は何か。「何富論?」への答えは「君富論」である。「僕富論から君富論へ」。これはある時から繰り返し筆者が言って来たことだ。
 僕富論の世界において、諸国民は「僕の富さえ増えればいい。僕の富が減らないためなら、何をしてもいい」と考える。「見えざる手」が働かない環境において、これはまずい。君の富をどう増やすか。君の富が減らないためにはどうすればいいのか。そう考えることが出来なければいけない。
 やっぱり、どうしてもここに帰着する。この姿勢が共有されていないと、「見えざる手」が働かない時代を我々は生き抜くことが出来ない。改めてそう確信する。さてそこで、グローバル長屋の合言葉である。それは、「差し伸べる手」なのだと思う.「見えざる手」に代わるものは、決して国々の「見える手」ではない。諸国民がお互いに対して差し伸べる手、やさしさの手、勇気ある手、知恵ある手だ。
 さらにいえば、差し伸べる手を持つ人々は、実は諸国民に止まっていてもいけないのだと思う。本当に力強い差し伸べる手を持つためには、我々は諸国民から「全市民」に脱皮しなければいけないのだと思う。本当に力強い差し伸べる手を持つためには、我々は諸国民から「全市民」に脱皮しなければいけないのではないかと思う。国境をまたぐグローバル市民の視野があればこそ、お互いに慮りの手を差し伸べ合うことが出来る。そういうことだろう。そのようなグローバル市民の活動拠点はどこにあるのか。
 それは「地域」にあると思う。◇ 

 皆さま、よいお年を。 □


新内閣への祝言

2012年12月26日 | エッセー

 門出に祝言を贈りたい。来年の参院選がレギュレーションとなって、差し当たっては経済マターが先行するだろう。しかしその成否に拘わらず、いやむしろ不首尾に至りそうな時こそ隠し球として持ち出してきそうだ。だから、釘を刺しておきたい。糠に釘にならぬよう祈りつつ。
 憲法と集団的自衛権についてである。つまり憲法九条の改定と、集団的自衛権の容認である。この二つは、断じて認められない。なぜか。内田 樹氏の洞見を借りて、改めて確かめておきたい。(◇ 引用部分)

■ 憲法九条と自衛隊について
◇改憲論者が憲法九条は「空論」だから戦力の行使を認めろと主張するのは、刑法一九九条は「空論」だから、市民は銃器で武装すべきだと主張するのと同型のロジックである。
 銃器規制についての「常識」──「銃の所持によって生じる害」が、「銃の所持によって回避される害」より大きければ、それは禁止されるべきである。簡単な算術だ。それと同じ算術によって、私は「戦力の行使によって回避される害」が「戦力の行使によって生じる害」より大きければ、戦力は行使すべきであり、「戦力の行使によって生じる害」が「戦力の行使によって回避される害」より大きな場合、戦力は行使すべきではないと考えている。自衛に関する議論は、これで尽きると思う。国連の決議とか安保条約とかいうようなことは、すべてこの原則から派生するものであって、それに先立つものではない。自衛隊は「緊急避難」のための「戦力」である。この原則は現在おおかたの国民によって不文律として承認されており、それで十分であると私は考える。
 「武は不祥の器也」。これは老子の言葉である。武力は、「それは汚れたものであるから、決して使ってはいけない」という封印とともにある。それが武の本来的なあり方である。「封印されてある」ことのうちに「武」の本質は存するのである。「大義名分つきで堂々と使える武力」などというものは老子の定義に照らせば「武力」ではない。ただの「暴力」である。私は改憲論者より老子の方が知性において勝っていると考えている。それゆえ、その教えに従って、「正統性が認められていない」ことこそが自衛隊の正統性を担保するだろうと考えるのである。自衛隊は「戦争ができない軍隊」である。この「戦争をしないはずの軍隊」が莫大な国家予算を費やして近代的な軍事力を備えることに国民があまり反対しないのは、憲法九条の「重し」が利いているからである。憲法九条の「封印」が自衛隊に「武の正統性」を保証しているからである。改憲論者は憲法九条が自衛隊の正統性を傷つけていると主張している。私はこの主張を退ける。逆に憲法九条こそが自衛隊の正統性を根拠づけていると私は考えている。
 憲法の制定が一九四六年、警察予備隊の発足が一九五〇年。憲法に四年の時間的アドバンテージがあるために現在の論争の構造が定着しているが、もしこの順番が逆だったら、かえって憲法九条の意味ははっきりしたはずである。憲法九条を空洞化するために自衛隊が作られたというよりは、自衛隊を規制するために憲法九条が効果的に機能しているという構図が見えるはずである。憲法九条と自衛隊は相互に排除し合っているのではなく、いわば相補的に支え合っている。「憲法九条と自衛隊」この「双子的制度」は、アメリカのイニシアティヴのもとに戦後日本社会が狡智をこらして作り上げた「歴史上もっとも巧妙な政治的妥協」の一つである。憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており、自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている。憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられると私は信じている。おそらく、おおかたの日本国民は口には出さないけれど、私と同じように考えていると私は思う。だからこそ、これまで人々は憲法九条の改訂を拒み、自衛隊の存在を受け容れてきたのである。◇(「『おじさん』的思考」から抄録)  

──自衛隊は「緊急避難」のための「戦力」である。この原則は現在おおかたの国民によって不文律として承認されており、それで十分である──
 殺人罪の規定を空論とするほどの妄念に囚われていなければ、内田氏の理路は極めて常識的だ。
 「武は不祥の器也」の本義に照らせば、
──「正統性が認められていない」ことこそが自衛隊の正統性を担保する──
──憲法九条の「封印」が自衛隊に「武の正統性」を保証している──
 したがって、
──憲法九条こそが自衛隊の正統性を根拠づけている──
 となる。宜なる哉。まったくその通りではないか。裏返せば、九条を抜けば自衛隊の正統性は根拠を失う。
 両者の関係については、後段の論及がまことに鮮やかだ。
 「時間的アドバンテージ」を脇に措いて「順番」を入れ替えると、
──憲法九条の意味ははっきりしたはずである。憲法九条を空洞化するために自衛隊が作られたというよりは、自衛隊を規制するために憲法九条が効果的に機能しているという構図が見えるはずである──
  だから、
──この「双子的制度」は、アメリカのイニシアティヴのもとに戦後日本社会が狡智をこらして作り上げた「歴史上もっとも巧妙な政治的妥協」の一つである。──
 といえる。「狡智」とは穿った物言いだが、「巧緻」といえなくもない。先人が残してくれた掛け替えのない歴史的遺産だ。
──憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り、日本は世界でも例外的に安全な国でいられる──
 例外的安全を招来してくれた先達の知恵と労苦を無にしてはなるまい。
──私は改憲論者より老子の方が知性において勝っていると考えている。──
 まったく同感である。2400年を越えて輝く知性に学ぶべきであろう。彼の論者を見回して、老子に伍する知者はまさかいるはずはなかろう。
 
■ 集団的自衛権について
◇集団的自衛権というのは、これが制定された歴史的文脈に即して言えば、わが国のような軍事的小国には「現実的には」認められていない権利である。それが行使できるのは「超大国」だけである。集団的自衛権というのは平たく言えば「よその喧嘩を買って出る」権利ということである。
 安全保障条約の締結国や軍事同盟国同士であれば、同盟国が第三国に武力侵略されたら、助っ人する「義務」はある。でも、助っ人にかけつける「権利」などというものは、常識的に考えてありえない。
 自国が侵略された場合にこれを防衛するのは「個別的自衛権」と言って、国際法上「固有の権利」とされている。だが、集団的自衛権という概念がこの世に出たのは、20世紀になってから、米ソの東西冷戦構造の中においてである。米ソはそれぞれNATOとワルシャワ条約機構という集団的自衛のための共同防衛体制を構築した。だが、同盟国内におきた武力紛争にこれらの地域機関が介入するためには国連憲章上は「安全保障理事会による事前の許可」が必要とされる。米ソはもちろん安保理の常任理事国として、相手側の共同防衛機構の軍事介入を拒否するに決まっている。そこで、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されることになったのである。要するに、超大国が自分の支配圏内で起きた紛争について武力介入する権利のことである。だから、冷戦期には米ソ両大国はその「属邦」の内部で、少しでも「宗主国」から離反の動きが見えると、武力介入を行い、集団的自衛権をその武力行使の法的根拠とした。
 集団的自衛権の行使例は、ほとんどの場合外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われている。従属国内で「傀儡(パペット)政権」の倒壊のリスクが高まると、「パペットマスター」が登場する。その強権発動の法的根拠を「集団的自衛権」と呼ぶのである。ハンガリー動乱やプラハの春では、主権国内部で親ソ政権を民衆が倒しかけたときに、民衆を武力制圧するためにソ連軍の戦車が市民たちをひき殺すためにやってきた。集団的自衛権とは、平たく言えば、「シマうちでの反抗的な動きを潰す」権利なのである。他国の国家主権を脅かす権利を超軍事大国にだけ賦与するという、国際法上でも、倫理的にも、きわめて問題の多い法概念だと私は理解している。
 だから、どうして、日本がこのような権利を行使すべきだと橋下徹や安倍晋三が考えるに至ったのか、私にはその理由がよく理解できない。だって、日本は例外的な軍事大国なんかじゃないからである。だいたい「シマ」がない。どこか日本の「シマうち」(そんなものが存在すれば)で反日的な民衆運動があったり、反日的な勢力の侵入があったら、ただちにそれを潰さなければならないという「理屈」はわかる。
 日本がアメリカに対して集団的自衛権を発動する場合は二つしか考えられない。ひとつは、これまでの発動例と同じように、アメリカの民衆が「日本のくびきからアメリカを解放せよ」と言って、「日本の傀儡政権」であるホワイトハウスにおしかけたときに、それを潰しにかかるという場合である。でも、たぶんそういうことにはならないと思う。
 もうひとつはロシアや中国や北朝鮮やイランやキューバやニカラグアがある日アメリカに武力侵攻してきて、カリフォルニアとかテキサスが占領されてしまったという場合である。この場合、日本は「権利」ではなく、日米安保条約第五条に規定された「義務」の履行として、アメリカ出兵に法的根拠が与えられるので、集団的自衛権を権原に求める必要はない。ただ、アメリカが他国に侵略された場合に、日本政府は太平洋を越えて出兵するだろうか? 私はためらうだろうと思う。というのは第五条にはこうあるからだ。
「両国の日本における、いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。」
 となると、いったい橋下代表は「どういうケース」を想定して、集団的自衛権のことを言っているのかがわからなくなる。新聞によると「自衛隊がイラクやアフガニスタンで米国と共同行動をすることがねらい」と書いてある。なるほど。それなら、わからないでもない。先行事例でこれに類するものとしては、ベトナム戦争での米国の軍事作戦へのオーストラリア、ニュージーランド、韓国の派兵がある。この戦争も「米国の傀儡政権からの支援要請に応えて、国内の反政府=反米勢力を制圧する」ためのものであった。
 だが、ご存じのとおり、ベトナム戦争にコミットしたことでアメリカは多くのものを失った。「ベトナムの泥沼に入り込むのを自制したアメリカ」は「今のアメリカ」よりも軍事的にも経済的にも倫理的にも国際社会で「圧倒的な優位性」を保っていただろうということは想像できる。その点でいうと、アメリカのベトナムでの集団的自衛権の行使については「よしたほうがいいぜ」と言ってあげるのが友邦のなすべきことだったと私は思っている。
 アメリカと心中したいというのが「集団的自衛権の行使」を言い立てている人々の抑圧された欲望であるという可能性は決して低くない。小泉純一郎はそうだった。安倍晋三も石原慎太郎もたぶんそうだと思う。きっと橋下徹もそうなのだろう。◇(12年9月「内田 樹の研究室」から)

 こちらも優れて明晰な考究である。
 日本にとって集団的自衛権は権利ではなく、義務である。ここが画竜点睛だ。ここの理解が足りないと、理路は珍妙な袋小路に入る。それが、
──日本がアメリカに対して集団的自衛権を発動する場合は二つしか考えられない。──
 以下の展開だ。さらに、
──新聞によると「自衛隊がイラクやアフガニスタンで米国と共同行動をすることがねらい」と書いてある。なるほど。それなら、わからないでもない。──
 今、俎上に載せられているのはこの文脈での権利の謂であろう。しかし「共同」と冠しても、血を流す義務はあっても血を流す権利が存在しないように、やはりこれとて「義務」に違いはない。それにベトナム以来、唯一パナマでのごく小規模な成功例以外、アメリカは成功体験を持たない。だから終段の「心中」願望へと論が進むのだ。
 ともあれ戦後67年間、同胞他邦を問わず自らの戦火による犠牲者を1人も出さなかったことは、世界史に特筆すべき事績だ。1人も殺さなかったし、1人も殺されなかった。この簡明な事実には、もっと驚いてよい。いな、もっと誇ってよい。人口1億を越える国家が、これほどの長期に亘って1人の戦争犠牲者も出さなかった。この歴然たる事実には、もっと真摯であってよい。いな、もっと感謝してよい。
 改めて言おう。「例外的に安全な国」が『普通』に造れるわけがないではないか。『普通の国』を揚言する小沢某などの遠く及ばない深慮の結晶である。前稿で紹介した前中国大使・丹羽宇一朗氏の言が蘇る。
「先人の努力を無にする権限が誰にありますか」

 以上祝言とは言い難いが、忠言耳に逆らうは道理だ。餞(ハナムケ)は甘いばかりが能ではあるまい。 □


これぞ男気!

2012年12月22日 | エッセー

 フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」の『男気ジャンケン』が人気だ。とんねるずの二人、清原和博、小川直也、哀川翔、佐々木健介、おぎやはぎ、日村勇紀、秋山成勲、伊藤英明など、小金を持っていそうな面々が地方の道の駅などに繰り出す。売れない商品を特に選んで大量に買う。苦しい商売の応援をして、男気を見せようという算段だ。誰が買うか? それをジャンケンで決める。しかも、勝ち上がった者が全額自腹を切る。ここがミソである。勝負運に恵まれてジャンケンに勝つと、自腹を切る「栄誉」に浴せる。つまり、男気を示せるというわけだ。この勝負運と男気がシンクロする珍妙さがおもしろい。
 ジャンケンで勝って悔しい表情をすると、ケツバットの仕置きが待っている。清原といえども、これには呻く。男気なのだから喜ばねばならぬという理屈だ。だからジャンケンに勝った出場者は引きつりながら無理やり喜ぶ。これがまた、笑いを誘う。毎回、数十万円が投じられる。どれほどの助けになったかは判らぬが、よく考えたゲームだ。近ごろでは街中でもこれに興じる連中がいるそうだ。
 ジャンケンで遣り取りされるほどに「男気」が軽くなったのかと気鬱にもなるが、果たして本物に出会った。
 今月21日の朝日新聞<オピニオン欄>に掲載された前中国大使・丹羽宇一朗氏のインタビューである。
 氏は元伊藤忠会長。民間人を起用することで新鮮味を打ち出そうとする民主党政権に請われて、中国大使を受けた。(以下、紙面から抜粋)


【6月、丹羽大使が英紙の取材に対し、当時の石原慎太郎・東京都知事が打ち出していた尖閣諸島の購入計画について「仮に石原知事が言うようなことをやろうとすれば、日中関係は重大な危機に遭遇するだろう」と発言し、批判された】
 「石原さんは、地方政府のトップでした。知事が国益にかかわる発言や行動をしたとき、どうして一国の首相が『君、黙りなさい。これは中央政府の仕事だ』と言えなかったのか。そういう声をたくさん聞きました。ほかの知事たちも東京と同じような行動をとろうとしたら、日本の統治体制はどうなるのか。世界の信を失いかねない深刻な問題です」
 「尖閣諸島は日本の領土。一寸たりとも譲歩は許されない。ただ、東京都による計画には、桟橋を造るとか、あれをやって、これもやって、とあった。そうなれば、重大な危機になりますよ、と。私の発言の真意は、そこにありました」
──丹羽さんの発言が報じられたとき、北京に駐在して中国の空気に接している私(インタビュアー・引用者註)は、違和感を覚えませんでした。英紙の取材には、日本大使館の幹部も同席していました。
 「外交は現場感覚を尊重し、大事にしたほうがいいですね」
──しかし、野田政権は丹羽さんを「注意」して事態を収拾しようとした。私は他国の外交官から、政府がみずからの大使を支持も擁護もせず、公然と批判するのを見たことがないと指摘されました。
 「私が謝ることで収まるなら、結構じゃないですか」
──いや、結構ではなくて、日本政府が尖閣諸島を国有化した後、日中関係は危機に直面しました。
【野田首相が9月9日に中国の胡錦濤国家主席とウラジオストクで話をした翌日の閣僚会合で国有化に合意し、その翌日に閣議決定。柳条湖事件が起きた同18日には、約100都市で反日デモが発生した】
「いまさら、あと出しじゃんけんのように結論が出たあとで、だから言ったじゃないですか、あのときはこうすれば良かった、などと言うことは、私の美学に反します」
──12010年9月の漁船衝突事件でも、民主党政権は船長を逮捕するなど強気の姿勢をとりながら、処分保留で釈放した。深夜に中国外務省に呼び出され、応じた丹羽さんも日本で批判されました。
 「言い訳は一切しません。それに何があったのか、いまここで話すには生々しすぎます」
 「40年間の努力が水泡に帰すことがあってはいけない。どれだけの政治家が苦労して正常化を実現したか。先人の努力を無にする権限が誰にありますか。習近平さん、野田佳彦さん、そして安倍晋三さん、両国の首脳には、あなたがたの責任は国民を幸せにすることで、ときには耐え難きを耐え、冷静沈着に外交を行うことが必要ですと申し上げたい」


 いかがであろう。政治音痴・石原某の暴走に対する直言。理不尽な仕打ち。怯まぬ対応。小柄な丹羽氏がすこぶる偉丈夫に見えてくるではないか。比するに、野田某のなんと卑小なことか。「みずからの大使を支持も擁護もせず、公然と批判」した責任者は、カッコだけのチャラ男外相ではなかったか。「他国の外交官から」こんなことを言われて恥ずかしくないのであろうか。まったく情けない。
 しかし、
「私が謝ることで収まるなら、結構じゃないですか」
「言い訳は一切しません」
「だから言ったじゃないですか、あのときはこうすれば良かった、などと言うことは、私の美学に反します」
 とは、胸がすく。
「先人の努力を無にする権限が誰にありますか」
 との諌言も心腑を抉る。だてに伊藤忠を背負った男ではない。
 インタビュアーは、「離任の朝、見送った大使公邸の中国人職員が男泣きしたという話を大使館員から聞いた」と記す。男を図らずも泣かすのが男気。琴線を弾かれて泣くのも男気。どちらも正真正銘の男気ではないか。とてもジャンケンなぞでは手にできない代物だ。絶えて久しい男の美学だ。 □    


「事後評価」の時代

2012年12月21日 | エッセー

 月刊誌「世界」(岩波書店)の10年8月号に掲載された卓説に拠りつつ、今回の総選挙を振り返ってみたい。
 「『理念なき政党政治』の理念型」と題する、空井 護北海道大学教授の小論である。政権交代の1年後、深い洞察に感動すら覚える。(◇部分、抄録)

◇政党が脱イデオロギー化すればどうなるか。政党が理念や大目標から政治的決定案を演繹的に導出しなくなると、将来約束の安定性は低下し、公約の見直しも珍しい事態ではなくなる。これでは市民は、選択に際して割引率を高めに設定せざるを得ない。また、複数の政治的決定案を統一的に理解できなくなり、政権公約をパッケージとして評価できなくなるから、市民が投じる一票は往々にして分裂的性格を帯びることになる(たとえば、「子ども手当の支給には反対だが、高速道路の無料化には賛成なので、民主党に投票する」といった事態である)。こうなると、有意味な事前選択選挙は、完全に不可能とは言えないまでも、著しく困難になるであろう。
 政党の脱イデオロギー化により、選挙は将来の政治的決定者の事前選択から、現在までの政治的決定者の事後評価へと、その基本的な性格を変えることになる。◇

 脱イデオロギー化は冷戦後、急速に進んだ。それ以前は、事前選択が主流であった。明確な対立軸があり、「政党が理念や大目標から政治的決定案を演繹的に導出」していた時代だ。

◇事前選択選挙は、「保守」/「革新」、「自由」/「平等」、「資本主義」/「社会主義」といった、将来の政治的決定の大まかな方向性や路線の選択として単純化した形で行われるとき、はじめて真に実行可能となるのである。そして、かかる路線を明瞭に打ち出すことができるのが、理念を備えたイデオロギー政党にほかならない。◇

 「割引率」という言葉が巧みだ。『期待値』あるいは『投機性』と置き換えてもいい。マスで捉えれば無党派層となる。大部分は投票所に向かわず投票率を「割引」いてしまうが、逆だと大きな変化を呼ぶ。一方かつての55年体制を想起すれば解るように、社会主義を掲げる政党は保守的ではなく、平等に重きを置く。政策は財界に攻撃的であり、防衛予算には冷淡で、労働側からの発想になる。このようなイデオロギー政党であれば、「複数の政治的決定案を統一的に理解でき」「政権公約をパッケージとして評価」し得る。さまざまなイシューを同じ価値観で捉えるので、出して来る政策も一つの枠内に収まる。こういう場合は「事前選択」が賛否ともに容易い。事前に選択した有権者もイデオロギーや理念にシンパシーを抱いているので、実績が芳しくなくとも「事後評価」がブレることはない。
 ところがイデオロギーが後退し複雑化した社会では、「事前選択には、二つの疑問がつきまとう」という。

◇第一に、これから下される政治的決定を予想しながらの選択であるから.あまりアテにならない可能性がある。そこで市民は、実績などを勘案しつつ、各党の政権公約を割り引かなければならない。この割引率は、小党が分立する多党制では、のちの連合政権交渉の結果次第で多数派全体の政策が変わるから、割引率は大きくならざるを得ない。この観点から見る限り、多党制よりも、二党制や、二つの政権連合が対峙する二ブロック制の方が、市民にとって明らかにフレンドリーである。
 第二は、市民が下し得るのは将来の政治的決定「群」に対する一括評価でしかないという難問。他を圧倒するような重要性を備えた政治的決定案が見つからない市民は、投票先の選択に際し、かなり複雑な計算を求められることになる。この問題が軽減されるのは、政権公約に掲げられる複数の政治的決定案が、相互の関連が定かでないような雑多な決定案の羅列なのではなく、総体としてより高次の大目標のもとで集約的・縮減的に理解することを可能とするような、統一性と相互連関性を備えている場合であろう。◇

 「小党が分立する多党制では、のちの連合政権交渉の結果次第で多数派全体の政策が変わるから、割引率は大きくならざるを得ない」が注目だ。多党が分立すると、『投機性』が高まる。今回の結果はそれに近い。自民のひとり勝ちは有権者が大きな割引率を嫌い、『投機性』を抑えた故だ。憲政史上最低といわれる投票率は、割引率が低下した当然の帰結ともいえる。つまり『期待値』あるいは『投機性』が“高くなかった”からだ(09年はこのまったく逆であった)。各種の世論調査でも新政権への期待は圧倒的な議席獲得数に比して、意外にも低い。
 「市民が下し得るのは将来の政治的決定『群』に対する一括評価でしかないという難問」。イデオロギーが引っ込むと個別の損得が出てくる。人の世の性だ。イデオロギーで捨象され忍従を強いられていた事どもが息を吹き返す。
 一つひとつのイシューに対して個別に有権者の賛否を問うのは、代議制の根幹に関わる。一国レベルでのマクロの調整こそ政治の使命であるし、物理的にも不可能だ。だが有権者は、時として相反する選択を迫られる場合がある。前述の「子ども手当」と「高速道路の無料化」などは典型だ。社会保障と経済浮揚が政策的に競合する場合など社会と経済が構造的に変化した現在、一刀両断の完璧な整合性をもった公約はあり得ない。もっともいまだに頑ななイデオロギー政党でありつづける某党などの公約は十全な「統一性と相互連関性を備えている」。政権を担う可能性がまったくない場合、言い換えれば責任を負う必要がまったくない場合、人は何でも言えるものである。
 当然のことだが、一人一票である限り個別の政策に応じて複数の政党を選ぶ訳にはいかない。「『群』に対する一括評価」しかできない。これはたしかに「難問」である。その『群』として脚光を浴びたのがマニフェストである。脱イデオロギー化の中で、「割引率」を低めるための工夫でもある。
 余談だが、「他を圧倒するような重要性を備えた政治的決定案が見つからない市民は、投票先の選択に際し、かなり複雑な計算を求められることになる」逆を突いたのが、05年の「郵政選挙」であった。「複雑な計算」を恣意的に抜いた巧みなタクティクスだったといえる。
 
 脱イデオロギー化で「事前選択」が困難となり、「事後評価」へと向かう。

◇選挙には事前選択だけでなく、事後評価という機能もある。現職の政治的決定者に対し、これまでの政治的決定群とそれが生み出した状態を主たる判断材料に、後ろ向きに事後の評価を下す。次期の政治的決定者への権限付与は、現職者に関する判定の反射的効果として生じるに過ぎないということになる。◇

 まさに09年、そして今回は「現職者に関する判定の反射的効果」そのものであった。問題は、続く「として生じるに過ぎない」の部分だ。たしかに事後評価には独裁を防ぐという本質的機能を見出す学説もある。しかし問題もある。

◇第一に、本来は前向きであることを考えれば、これはかなり不自然な理解である。第二に、評価の材料はすでに起きたことなので、圧倒的に確実である。しかし、あとから不同意と言っても、あまり意味がないかも知れない。そして第三に、市民自らが政治的決定を事前に選択するという構図はまったく見えず、政治的決定者に広範な自由行動領域が保証されてしまうかに思われる。穿ってみれば、脱イデオロギー化は、政治エリートが市民の事前選択を不可能にし、自らの自由な行動の余地を広げるための抜け道的工夫なのかもしれない。◇

 これもまたアポリアだ。人物評価も同じで、過去ばかりに目を向けると往々にして将来の芽を摘む愚を犯す。「かなり不自然な理解」の所以だ。「あとから不同意と言っても、あまり意味がない」とは、消費税を例に取れば事足りる。後の祭りだ。
 第三は解りずらいが、逆効果、副作用のことだ。「事後評価」にだけ意を注ぐと、人気取り、点数稼ぎ、ポピュリズムへと傾斜していく。結果オーライなら、「政治的決定者に広範な自由行動領域が保証されてしまうかに思われる」のである。イデオロギーの縛りがないから、「熟議」の名の下に『なんでもアリーノ』状態になってしまう。
 しかし、低い「事後評価」が予想される政策決定には一ひねりが加わる。例えば、消費増税の「三党合意」である。『共犯』関係になれば、決定的に不利な「事後評価」を避けられる。与野党ともに公約に対するネグレクトは棚上げにされる。赤信号をみんなで渡ったことになる。野田政権が党内合意に意を注がず(離反者を出しながら)他党を引き込んで増税を決めたのは、相当に高度な「抜け道的工夫」だったといえなくもない。いや、きっとそうだろう。ただし目論みは外れた。貧困な政治的技巧ゆえの墓穴だ。

 空井教授は次のように問いかけて論を結んでいる。

◇事前選択から事後評価へと選挙の基本的な性格が変化することを、政党の脱イデオロギー化の帰結として、さしあたり不可避のものと受け止めることにしよう。そのとき市民には、いかなる政治理解と政治行動が要請されるのか。◇

 実は「事前選択」は楽な方法でもある。極論すれば、思考を停止して丸投げできる。しかし「事後評価」は、思考を停止してはできない。今や後者を「不可避のものと受け止める」以上、教授は「常に政治を注視し、問題が起きたら本気で意見を言い、行動に移す」覚悟を説く。
 総選挙を振り返ると、「『理念なき政党政治』の理念型」を本格的に模索する時代に入ったといえよう。『皆の衆(シ)』も賢くあれねばならない。 □


苦しい年賀状の楽しみ方

2012年12月17日 | エッセー

 1998年(平成10年)寅年が、干支に因んで「寅さん」であった。お馴染みのスタイルを描いたイラストに、名台詞のひとつ
「レントゲンだってね、ニッコリ笑って映したほうがいいの。だって明るく撮れるもの、そのほうが。」
 を吹き出しに入れた。記憶では(記録がないので)、この年から干支絡みの年賀状を作り始めたようだ。(余談ながら、それまでは一切干支を扱ったことはなかった)
 翌年は喪中のため欠礼。
 2000年(平成12年)辰年が、竜馬だった。台に寄りかかり懐手をした、これもお馴染みの写真を描いたイラストに、
「人生は一場の芝居やというが、芝居と違う点が、大きくあるがちゃ。芝居の役者は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で、自分がからに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居 をするぜよ。他人が舞台を作ってくれやせぬ、と自分は考えちゅう。」
 と、土佐弁で吹き出しに入れた。
 明くる21世紀初年2001年(平成13年)巳年が、斎藤道三。随分、迷った。何せ蛇に関わる人物が浮かばない。やっと辿り着いたのが「蝮の道三」であった。どこかの劇画を拝借した。
 2002年(平成14年)午年が、「うま」繋がりで司馬遼太郎。1年ずれてはいるが、「二十一世紀に生きる君たちへ」と題するエッセーのさわりを入れた。煙草を燻らせる氏のモノクロ写真を真ん中に配した。
 2003(平成15年)未年が、ポール・マッカートニーの最初のソロ・アルバム「RAM」。アルバムジャケットをスキャンして貼り付けた。あの飾りっ気がないジャケット写真と肩の力を抜いたサウンドが好きで、未年になったらこれだと前々から決めていた。
 2004年、2005年はともに喪中で欠礼。
 次の2006年(平成18)戌年は、養老孟司氏。人間との付き合いが最も長い動物である「いぬ」は、あれもこれもありすぎて面白くない。「野犬刈りが猪や猿の生活圏への闖入につながった」という自然を管理する愚かさを語った氏の言を使った。たしか当時、そんな話題で賑わったような気がする。イラストは養老氏。
 2007年(平成19年)亥年は、「猪武者」の名を取る趙雲。三国志の英雄に登場願った。イラストは勇壮で色彩豊かなもの。だから、いつもよりプリンターのインクを多く使ってしまった。
 2008年(平成20年)子年は、トムとジェリー。トムは十二支に無関係なのだがそこをちょっと逆手にとって、猫が十二支の選に漏れたいわれをコメントした。もちろん、イラストは双方を描き込んだものだ。
 2009年(平成21年)丑年は、「肥後の赤牛」がモチーフ。筆者、めでたくもない還暦であった。赤いちゃんちゃんこの代わりに、「赤肉」を喰って大いに元気を出そうとのメッセージを込めた。この年(この賀状を作ったのは前年)大病をした。それもあってか、もっこすが育てた牛に肖ってみた。
 2010年(平成22年)寅年。2巡目である。もう寅さんは使えない。とは言ったものの、やっぱり寅さん。郷土が舞台となった回のポスターをデカデカと貼り付けた。貧困といえば貧困な発想であった。
 2011年(平成23年)卯年は、ダットサン1号機の写真を大きく載せた。「脱兎」のごとくに、だ。前の巡りが喪中だったので、「うさぎ」ははじめて。首を傾げた人も多かったのではないかしらん。
 そして本年、2012年(平成24年)辰年。またしても竜馬では能がない。ところが、人物も動物も映画も自動車もなんにも取っ掛かりがない。万策尽きて行き着いたのが「時間」であった。辰の刻、午前8時である。昇りゆく太陽、これなら新年にふさわしい。イラストの太陽をあしらってなんとか間に合わせた。
 
 さて、来年だ。2013年(平成25年)巳年である。困った。筆者、なにせ風呂と蛇が大の苦手だ。この世から消え去ってほしいものベスト2だ。まさか『風呂年』はないから安心だが、もう一つが12年に一度回って来る。なんとも憂鬱である。前回は道三で凌いだものの、妙案が出て来ない。
 元々は十二支を浸透させるためにそれぞれを動物に当てはめた、その一つが蛇だ。「巳」の本来の読みは「し」で、胎児のことらしい。なぜ「巳」が蛇かは定かでないそうだが、そういえば形が似てなくもない。しかし筆者にいわせれば、先人の短慮だ。もう遅いが……。
 15年で12回、今度で13回目だ。止めるわけにはいかぬ。ない知恵を絞らねばならない。ああ、困った。こんな虚礼は止めればいいのに。苦しい。……でも、楽しい。金がないから、何百枚も自分で作る。ありきたりなレディーメイドより、ひとりよがりのオリジナルを。それがモットーだ。憂き世を凌ぐスタンスだ。
 それにしても、巳年。歴史上には見当たらない。身の回りにも蛇のような輩はいくらでもいるが、たとえばS君を取り上げても何のことか他人様には解らぬ。万人向ではない。動物はそのまんまで、とんでもない! 愛らしくデフォルメしたところで、『あれ』に変わりはない。巳年生まれの性格について。それも、ちょっと……。「時間」も使ったし……。
 ああ、苦しくも楽しい今日このごろ。皆さま、ご機嫌よろしゅう。 □


内蔵助は二度腹を切った

2012年12月15日 | エッセー

 「忠臣蔵」と題する拙稿を載せたのは昨年の今頃であった。末尾には「若き日と壮んな日に受けた二つの知的衝撃について、遅ればせながら読書ノートのつもりで記した。」と綴った。「二つ」とは、小林秀雄と丸谷才一両氏の著作である。

◇徒党を組織し、血盟し、充分な地下運動を行い、実行の方法についても、実行後の進退についても、細目に至るまで計画し規定し、見事に成功したものである。感情の爆発というようなものでは決してなく、確信された一思想の実践であった。◇(小林秀雄著「忠臣蔵」から)
と、
◇日本人は古来、死者、殊に政治的敗者の霊にどういふ態度で臨んできたかといふ知識によつて補はなければならない。浮びあがつて来るものは、呪術的=宗教的祭祀としての吉良邸討入りで、それ以外の何かではない。この御霊信仰こそは忠臣藏の本質であつた。◇(丸谷才一著「忠臣蔵とは何か」から)
の二つである。丸谷氏は本年10月に生者の列を離れた。顧みて、感慨深いものがある。

 そして今年は、話題の一書──「忠臣蔵」の決算書(新潮新書)──である。著者は東大教授・山本博文氏で、先月出版された。小林のいう「細目に至るまで計画し規定し」、「確信された一思想の実践」であることの最もプラクティカルな裏付けである。
 「彼らの思想面を述べるだけでは不十分である。彼らの行動の組織的なあり方、さらにそれを支えた資金などへの視点がどうしても必要になってくる。つまり、忠義だけでは首は取れないはずなのである」と山本氏は言う。もっともだ。「感情の爆発というようなものでは決して」ない以上、綿密な入用の差配を要する。一年九カ月に及ぶ百人規模(当初は)の敵討ちである。一体、いくら掛かったのか。
 六百九十一両──。
 現在の貨幣価値で、八千二百九十二万円が費用総額、軍資金であった。
 その受け払いを詳細に記録したものが「預置候金銀請払帳」であり、記帳者はなんとあの大石内蔵助であった。同書はこの「請払帳」を繙きながら「忠臣蔵」の実像に迫る。
 百十三件に及ぶ支払いの額面、使途の内訳が記帳され、かつ領収証(内蔵助に私的流用がなかったと証するため)が別添されている。討ち入り計画の漏洩を防ぐため、十二月十四日夜、ぎりぎり直前に亡君の正室・瑤泉院の元に届けられた。「南部坂雪の別れ」は後世のフィクションだが、未亡人が目にしたのは連判状ではなく収支決算報告書であった。まことにプラクティカルだ。さらに元手のうち三百両、四割が瑤泉院の化粧料から回っていたとなれば、「雪」もたちまち解けてしまいそうだ。
 石高五万石の赤穂藩は塩田も抱え比較的裕福で、年間の財政規模は二十数億円であったろうといわれる。取り潰しを受けて、筆頭家老の大石内蔵助が財務処理に奔走した。三百人の藩士に支給された最後の「給料」と「退職金」(実に行き届いた配慮だ)の総額が二十三億五千万円。一人平均約七百八十万円ほどになる。さらに、滞っていた藩士の買い物の附け払いまで藩で弁済した。恥を残すまいとしたのであろう。藩の借金である藩札は交渉の末、六割に減額にして換金。なにやかや一藩を清算して残ったのが、「七百両足らずだった」と山本氏は記す。確かに二十三億円の三・五パーセントに過ぎないが、現金で八千万余を手元に留めたのは見事な『バックエンド』といえる。実際の原発でもこうはいくまい。
 続けて山本氏は、「内蔵助が七百両ほどを手元に持っていたことが、いかに重要な意味を持っていたか。すべてを割賦金などとして配分していれば、この時期に赤穂浪人の多くは路頭に迷い、討ち入りどころではなかったはずである」という。宜なる哉。内蔵助は知勇兼備の大変な才人だったといえる。
 詳細は同書に当たっていただくとして、仏事やお家再興のための工作費もここから大枚が支出されている。ただし京都での「昼行灯」、豪遊は内蔵助の私費であり、「請払帳」にその記載はない。ともあれ目に見えて資金が細っていく中で、内蔵助は堀部安兵衛を筆頭とする江戸にいる急進派の暴発を防ぐため何度も人を遣わした。数十、数百万の単位で金が消えていった。八百四十万円もの大金を使った江戸での拠点購入費、家賃も払えず困窮を極める浪人生活の同志への手当、などなど。軍資金は十一月には払底し、武具も満足に揃えられない。資金の面でも、すでに決行以外にない状況に立ち至っていた。ここに来て、遂に内蔵助は「自腹」を切る。──これが『一度目』だ。
 額面は七両一分、八十七万円である。「請払帳」の末尾には同額の不足分があり、「七両内蔵助金子出し候」との記述が「江赤見聞記」という古文書にあるそうだ。意外に少ないともいえようが、額面の僅少が逆に事態の切迫を物語っている。
 冗談めかして「二度腹を切った」と言うのではない。内蔵助の才覚をもってしても資金は絶望的状況にあったと言いたいのだ。内蔵助が「腹」を切るほか、『二度目』の、そして絶対に三度目のあり得ない腹切りへと進むことはできない。そのような進退窮まった奈落にあったと言挙げしたいのだ。
 山本氏は次のように締め括る。
◇赤穂の浪人たちは、「武士の一分」を立てるためには成否を考えず闇雲に行動するという直情径行な武士ではなかった。そうした気持ちを抑え、武士としての筋を通すためには、一定の計画性とそれを実行する人数が必要で、そのためには多少の意見の違いは越えて一味し、それに参加するしかないと、理性的に考えていた。そして、その首領である内蔵助は、藩を手仕舞った資金の一部を手元に残し、討ち入りまでにこれを巧みに使った。元禄武士とは、そのような武士なのである。こうした行動の分別や計画性は、それ以前の時代の武士では考えが及ばないことであっただろう。◇
 いま日本の行く末を考える時、この結語のなんと重いことか。「行動の分別や計画性」をもった差配は、はたしてこの国にいるのかどうか。奇しくも、昨日深更から本日未明は討ち入りの日。明ければ選択の一日だ。 

< 跋 >
 本ブログはこの稿で600回を数える。持続は力というが、力が付いた実感は皆無である。ただ悪戦苦闘を600回繰り返してきただけだ。この節目に、お読みいただく多くの方々に深謝したい。毎回、誠実なコメントを寄せてくださる“cocoa”“よこはま物語”のお二方にも頓首再拝したい。
 嘘八百という。どうにかあと200回は積み重ねていきたい。倍旧の御愛顧を。   □


「死に神の名刺」再考 ②

2012年12月13日 | エッセー

 原発を代替している火力発電の主力はガスと石炭である。別けてもガスだ。石油はわずかしか使われていない。ガスは環境負荷が少ない。石炭も技術の進歩で今や石油を超えるクリーン燃料である。埋蔵量は石炭が2000年、石油1000年、そして天然ガスが500年分。産業革命以来2世紀で、エネルギー構造は劇的に変化した。ガスだけであと5世紀もある。次なるエネルギー革命には十分過ぎる時間だ。人類は捨てたもんじゃない。加えてシェールガス・オイルによる「シェール革命」が本格化した。ピンチヒッターどころか、火力発電は今後も堂々たる4番バッターでありつづける。控えにも、2軍にも原発は要らない。選手登録を抹消しても構わない。外のメンバーで優に渡り合える。そういうことだ。
 問題は燃料コストである。ここのところ、天然ガスの高騰による電気料金の値上げが喧伝されている。石油のように偏在せず安定的に確保できる資源なのに、なぜ日本で高いのか。それは電力会社が石油価格に連動する価格設定契約を結んでいるからだ。かつての石油危機がトラウマになったのか。なんとも稚拙で馬鹿げた取引である。シェールの力も借りて足元を見られぬ強気な交渉を貫くなら、改善はいくらでもできる。政府の出番だ。なんとか党のチャラ男外相では埒が明かぬが。

 「死に神の名刺」では、「原発を止めると・・・温暖化の問題もある」と記した。化石燃料を使い続けることは温暖化対策に逆行するという危惧だ。これも我が短慮に恥じ入る。
 話は逆で、研究者によると地球はむしろ寒冷化しているという。立花隆氏などは随分前から小氷河期への移行を唱えていた。筆者も、件の拙稿後は何度も温暖化に否定的な見解を紹介してきた。最近では、地球の温度上昇が17世紀から始まっていたという研究結果がある。これには目を注がざるを得ない。世界的な氷河の融解も同時期からであった。日本でいえば徳川幕府の成立前後、石油を大量に使い始めた第2次大戦後よりはるか遠い昔だ。さらに驚くことに、ヨーロッパでは中世、日本では1万年前の縄文時代の方が今よりはるかに高温であったという。それは明確な資料によって裏付けられているそうだ。そういえばNHKの番組『ブラタモリ』で東京の椿山荘(文京区)を訪ねた折、タモリが太古にはこの真下まで海だったと話していた。別の回では、浅草の伝法院で境内から発掘された4300年前の貝の化石が話題になった。つまり温暖化は化石燃料、二酸化炭素とは関係がないということだ。もっと大きな宇宙規模のリズム、主に黒点変化に現れる太陽の活動に左右されている。そして今太陽の活動が低下傾向にあり、地球は寒冷期に向かいつつある。これが冷静な学識だ。二酸化炭素と温暖化をリニアに繋いで化石燃料を諸悪の根源だと決めつける話には、どこか、どこかのプロパガンダの臭いがする。ただ同じ温度上昇でも、都市部のヒートアイランド現象は人為的原因にまちがいはない。これには対策が必要であるし、改善も可能だ。
 ともあれ温暖化の観点からも、原発は不要である。とても「死に神の名刺」は受け取れない。

 上記の温暖化に続けて、「太陽熱、風力、バイオ、燃料電池など可能性を秘めた分野はあるものの一刀両断の解決にはならない」と書いた。太陽「熱」としたところが、いかにも古い。いまどきは、太陽「光」であろう。だが家庭でのエネルギー使用は熱利用が6割で電気利用を上回る。煮炊きや風呂は熱、テレビや洗濯機は電気だ。だから太陽光発電よりも、昔ながらの屋根に乗せる太陽熱温水器の方がよほど理に適っている。だから、「太陽熱」はあながち外れてはいなかった。燃料電池も技術的な壁は高いが外れではない。風力、バイオ、それに太陽光は大外れである。どれぐらい外れているかは、これまで折々に語ってきたので繰り返したくないが、一例を挙げよう。800億円を投じるというソフトバンクのメガソーラー計画の発電量は全国で20万キロワットである。最新鋭のガス・コンバインドサイクルは、一機でその5倍の発電能力がある。もちろん度外れた巨大な敷地は不要だ。
 だから、『近いうちに』自然・循環型エネルギーにシフトすれば原発に取って替われるというような話は夢幻(ユメマボロシ)、絵空事にすぎない。こんなうまい物言いはどこか、どこかのプロパガンダの臭い芬々だ。原発に取って替われる、というよりもとっくにそうしているのは火電である。気をつけよう! 暗い夜道と自然エネ、だ。

 もう一点。                                                   
「死に至る毒であると知っているだけで十分だ。核は一方に戦争へと向かう原爆となり、他方、平和にバイアスをかけると原発となる。戦争と平和、両極のようでともに放射能という毒を孕んだ双生児なのだ」との愚案について。
 大枠は真っ当であるが、「平和にバイアスをかけると原発となる」はいかにも楽観的だ。いや、『フクシマ』を目の当たりにすれば能天気でもある。前言に身が縮む。こうなれば、識者の言に耳を傾けるに如くはあるまい。昨年5月の本ブログ「とんでもニュースを見て」で引用した内容とほとんど同じではあるが、内田 樹&中沢新一「日本の文脈」(角川書店)から抄録してみる。  


【中沢】原子力はそれまでのエネルギーとまったく違います。石油も石炭も、太陽エネルギーを受けて植物や動物がエネルギーを蓄え、それが地下で化石になったものを掘り出してエネルギーとして使うわけですが、原子力は「生態圏」で何ものにも媒介されていないエネルギーです。原子炉というのは、生態圏の内部に本来はそこにあるはずのない外部が持ち込まれた状態です。その発想は、一神教の最初の発想とそっくりだと思いました。
 一神教の神様は、その超越性ゆえにたいへん危険なものであるけれども、それをどうやって日常生活に取り込むか、そのインターフェイスをつくる努力を、ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教もしている。アニミズムだって神様とのあいだにインターフェイスをつくりますが、一神教と比べたら、神様との距離は近くて、もっと親しい、穏やかな関係ですね。
 一神教の伝統があるヨーロッパやアメリカでは、原発が危険なものだとわかった上で受け入れているんですよ。そういう危険なものを受け入れるときにはどうしたらいいのかについて三千年以上考えてきて、そのノウハウの上にやっている。ところが日本はそれをしてこなかった。
【内田】アニミズムの国だから、原発のような一神教的な「恐るべきもの」をどう遇したらよいのかわからなかったということだと思う。
【中沢】もう原発はいらない。だけど、ただ原発は不要って言うだけじゃなくて、その背後にある思考の問題、宗教の問題、そして日本人が、一神教とどうつき合っていくのかということを、これを機会に真剣に考えないといけないですね。


 さすがに哲学者の考察は深く、かつ重い。事故直後の映像で福島第1原発2号機の青地に白い模様が描かれた建屋を見た時、目眩がするほどの強い違和感を覚えた。「一神教の神様」を「どうやって日常生活に取り込むか、そのインターフェイス」がいかに陳腐で貧困か、それを象徴する壁画に見えたのだ。実に安っぽい、貧相な絵だ。「安全」を象るどころか、「安直」をペンキで垂れ流したとしか見えない。「安全神話」の化けの皮だ。興ざめどころか、発想の鈍ましさに身の毛がよだった。「原発のような一神教的な『恐るべきもの』をどう遇したらよいのかわからなかった」成れの果てが、ただ一つ残った建屋のあの壁面ではなかったのか。あれこそが爆風に引き裂かれ放射能に塗れた「死に神の名刺」、それも刷り損ないの1枚だったのではないか。
 件の社会的リゾームは不抜のごとく堅固でも、思想のそれはあまりにも浅い。根茎を成すどころか、デラシネに近い。古くて、いまだに新しい日本の宿痾だ。(この稿、おわり) □


「死に神の名刺」再考 ①

2012年12月11日 | エッセー

 このブログを始めてすぐの06年4月に、「死に神の名刺」と題する拙稿を載せた。抄録してみる。
〓〓黒澤明監督「夢」の一場面 ―― 原子力発電所が爆発し、逃げまどう人々。種別に着色された放射能の霧が迫る中、原発技師が叫ぶ。「人間はアホだ。放射能の着色技術を開発したって、知らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺をもらったってしょうがない!」
 原発は是か非か ―― 脱原発路線できたドイツやイタリア。ひたすら原発に活路を求めるフランス。日本では電力の3割はすでに原発から供給されている。稼働を止めると、日本列島はたちどころに渇する。温暖化の問題もある。巨人・中国がすべてを化石燃料にシフトしたら、温暖化は一気に進む。太陽熱、風力、バイオ、燃料電池など可能性を秘めた分野はあるものの、一刀両断の解決にはならない。人類は「凡夫の後知恵」を限りなく繰り返しているかに見える。
  監督は何を言おうとしたのだろう。いかなるメタファーを忍ばせたのであろうか。現実を糊塗する悪足掻きが放射能に色を着けさせたのか。放射能汚染の只中で、その種類や半減期が解ったところで何の解決になるというのか。それが人間の寿命を幾何級数的に上回ることを知っているだけで事は足りるだろう。いや、死に至る毒であると知っているだけで十分だ。核は一方に戦争へと向かう原爆となり、他方、平和にバイアスをかけると原発となる。戦争と平和、両極のようでともに放射能という毒を孕んだ双生児なのだ。このアポリアを前にわれわれは立ちつくすしかないのか。死に神と名刺交換するしかないのか。〓〓
 もちろん『フクシマ』のはるか以前である。チェルノブイリの『石棺』が老朽化してその上にまた『石棺』を被せるという報道に触発されての愚考であった。そして『3.11』。「名刺」も出さずに「死に神」は突然現れた。どう向き合うべきか。未聞の騒擾の中で甲論乙駁が続く。果ては、「脱」「卒」「続」などを冠したあざとい政争の具に塗れた感もある。そこで筆者はかつての管見に戻り、再考を試みることにした。

 「稼働を止めると、日本列島はたちどころに渇する」とした予見は、今も政府と産業界のパブリシティである。原発論議のキモでもある。日本の発電量はざっと、火力発電(天然ガス、石炭、石油)が6割、原子力発電が3割、水力発電が1割という比率である。問題は原発の3割だ。これが代替できるかどうか。火力の6割をも含めて自然エネルギーへのシフトを模索する向きもあるが、当面はこの「3割」だ。「3割」を原発以外で代替できるか。「原発ゼロ」のカギはここにある。大勢は否定的だが、実は実証済みであることが等閑に付されている。
 本年5月5日、北海道電力泊原発3号機が定期検査のため運転を停止した。この時点で国内54基がすべて止まった。つまり「原発ゼロ」である。その後関西電力大飯原発3号機が7月1日に再稼働するまでの56日間、約2ヶ月のあわいは「原発ゼロ」で国は回っていたことになる。期せずして「原発ゼロ」が実証されていたのだ。70年に当時2基あった原発が検査のため停止して以来、42年ぶりの原子力発電ゼロである。66年の東海発電所での原発始動からは46年ぶりである。経済規模も発電量も当時とは雲泥の差がある。その原発が止まった。
 「たちどころに渇する」は、いかに短慮であったことか。筆者もプロパガンダにまんまと乗せられていたことになる。汗顔の至りだ。「渇する」どころか、停電の「て」の字もなかった。その後、盛夏に移っても大飯の再稼働なしで十分クリアーしたことが客観的に証明されている。繰り返そう。

 原発ゼロは実証済みである! 世界第3位の経済規模を誇るこの国が、原発を1基も動かさずに6分の1年間立ち行けたのだ。

 この事実は重い。ところが、マスコミも各政党も大きく取り上げない。大飯再稼働の是非にイシューが絞られて、現に今「原発ゼロ」にある希有な状況に目が向かなかったのではないか。とてつもない思考停止といえる。できる、できないではなく、できている千載一遇の好機にあった。どうしてできているのか、巨細に検討すべきではなかったか。「脱原発」に向かうにせよ、「実証済み」から理路を穿てば追風に帆を上げられる。さらに『3.11』以来順次に原発が停止していく中で、漸次「3割」を代替してきた歴然たる事実がある。これを加味するなら、「渇する」は戯言であったと断じ得る。真に受けた筆者は赤面の至りだ。
 では「3割」はどこが担ったか。蓄えがあったのか。金なら蓄えも効くが、電気はそうはいかない。カネでなく、マシンとテクノロジーの蓄えがあった。
 まず消防法、建築基準法によって、一定以上のビルや病院、学校には非常用電源の設置が義務づけられている。非常を超えて日常的にすべての電源を自前で賄う「森ビル」スタイルも増えつつある。さらに『3.11』から1年半の間に大量の自家用発電機が生産され、その総発電量は優に原発10基分を越えるという。
 また技術力を駆使した最新鋭のガスタービン発電機、ガス・エアコン、バッテリーなどの開発、普及。技術立国の面目躍如たる新技術の投入が大きな力となった。そのように民間企業が最高のパフォーマンスを発揮した。というよりも、すでに民間企業による自前の発電量は国全体の2割近くに達していた。政府や電力会社が発表する数字にはこれが含まれていない。ということは「3割」でなく、「1割」が有意な数字となる。そしてなにより各電力会社の火力・水力発電である。とりわけ火力は義務づけられている日頃のメンテナンスを怠って各所で不具合があったとはいえ、原発を代替した主力であった。
 乾いた雑巾を絞るような中小企業による節電、倹しい庶民の涙ぐましい節電もあった。しかし効果は限定的で、電力会社の火力発電と民間企業による創意の発電が原発ゼロを実現したと見てまちがいはあるまい。
 石原某は反原発をセンチメントだというが、原発ゼロはセンチメントではなく紛れもないテクノロジーで実現されたのだ。しかも原発を遥かに超えるスタビリティーをもったシステムによって。だから脱原発への阻害要因は別のところにある。ひとつは原子力への古典的で無批判な「センチメント」であり(石原某は原爆へも強いセンチメントを抱いている)、もうひとつは40有余年にわたって深層にまで食い込んだ社会的リゾームである。利害、雇用関係、つまりはマネーだ。
 廃炉にした場合、電力会社の資産は6割が確実に消える。使用済み核燃料の措置をはじめとして廃炉そのものにも莫大な資金を要する。経営破綻は必至となる。立地自治体も補助金が切れる。雇用への影響も小さくない。まさにリゾームだ。原発だけをごぼう抜きにすると、土砂崩れが起こる。脱原発のボトルネックはここにある。技術的な要因でも、電力供給体制の不備でもない。これが、如上の『実証された原発ゼロ』が導出した帰結である。
 リゾームをほどくにはカネと時間が掛かる。拙速は避けねばならない。しかし迂回はできない。このアポリアにどう挑むか。原爆の惨禍を人類で最初に体験した日本が、人類史に先駆けて原発の軛から抜け出せるか。『実証された原発ゼロ』を無駄にはできない。「死に神に名刺をもらったってしょうがない」のだから。 □


ワイルドだろぉ? 

2012年12月06日 | エッセー

 
 今年の「新語・流行語大賞」10作について寸評したい。
①ワイルドだろぉ──お笑い芸人 スギちゃん
 「絆」の反動のような気がしてならない(先月の本ブログ「絆と絆し」で取り上げた)。コスチュームこそ少しワイルドではあるが、小太りで人の良さそうなスギちゃんはどう見てもワイルドではない(腋毛もちゃんと処理している)。
 「絆」に倦んじ果てて「粗野」にいきたいのだが、いきなりはマズい。だから「粗野」をマイルドにして、「ワイルド」と置き換えた。そんなところか。時代の空気を代弁している。加えて、スギちゃんのキャラがほどよいオブラートになった。マイルドな「ワイルド」だ。だから、「ひとっつもワイルドじゃないだろぉ!」である。

②iPS細胞──京都大学iPS細胞研究所長 山中伸弥氏
 人工多能性幹細胞=“Induced pluripotent stem cell” “iPS”は“iPhone”からのネーミングだそうだ(アタマを小文字にする小技も)。巧いといえる。正真正銘、「新語大賞」。ノーベル賞と併せて鷲掴み。「ワイルドだろぉ」な快挙である。

③維新──日本維新の会代表代行 橋下徹氏
 先月の本ブログ「男国会どこへ行く」で触れた。まったく逆の内容であるにもかかわらず、言葉のインパクトやイメージだけを借用する。誤用、盗用である。もっとも「五・一五」「二・二六」へと連なる「昭和維新」なら、前都知事の妄念に似つかわしいともいえるが。
 ともあれ似非「ワイルドだろぉ」は、必ず化けの皮が剥がれる。

④LCC──ピーチアビエーション株式会社/エアアジア・ジャパン株式会社/ジェットスター・ジャパン株式会社
 『吉牛』の飛行機版だ。価格破壊の波が航空業界にまで及んだといえよう。ただし、安全破壊は絶対にノーだ。「ワイルドだろぉ」は御免蒙る。

⑤終活──週間朝日編集部/故・金子哲雄氏
 「ほんまでっか?!」で馴染みの顔だった。肺の病に冒され死期を悟った後、仕出しや司会役を含め葬儀の段取り一切、墓の設置まですべてを差配していた。まさに『終末活動』である。鬼神をも拉ぐ活躍とはこのことであろう。まことに「ワイルドだろぉ」な死に際であった。

⑥第3極──第3極を構成する諸氏
 第3『曲』ではないか。音程バラバラ、リズム目茶苦茶、楽器ボロボロ。イカれた交響楽団の狂詩曲である。日本列島に鳴り響く不協和音だ。「ワイルドだろぉ」といったところで、雑音でしかない。

⑦近いうちに──野田佳彦 内閣総理大臣
 これほど日本語の信頼を貶めた輩はいないのではないか。もう二度とあの品性劣悪なダミ声を聞きたくはない。他人には背水の陣を迫っておいて、自らは比例区と重複立候補するそうだ。なんとセコい! なんと器の小さいことか。ひとっつもワイルドじゃないだろぉ!

⑧手ぶらで帰すわけにはいかない──ロンドン五輪代表 松田丈志選手
 古典的な物言いがおもしろい。ところで、東京・西日暮里にある「北島精肉点」のメンチカツは絶品である。もちろん、「康介さん」の実家だ。一度食べたら病み付きになる。上京した折には手ぶらで帰らず、ぜひ『北島のメンチカツ』を「手」に「ぶら」下げてみてはいかが? 「東京バナナ」よりも「ワイルドだろぉ」なお土産だ。

⑨東京ソラマチ──東武タウンソラマチ株式会社
 カタカナ表記は変だろう。かといって、ひらがなでもおかしい。やはり『空街』ではないか。「スカイツリー」の捻りなら、『空街』と書いて『スカイタウン』でもいい。新語ではあるが、なんともあか抜けしない。もっと「ワイルドだろぉ」な名前はなかったのか。

⑩爆弾低気圧──株式会社ウェザーニュース
 シソーラスとして、『暴走老人』『暴走大臣』が浮かぶ。またしても爆弾低気圧を地球温暖化と結び付ける風潮があるが、これはさしずめ『暴走議論』だろう。それにしても、世界各地で荒っぽい天候が続出する。こちらは紛れもない「ワイルドだろぉ」である。 □


プラットホームにて

2012年12月05日 | エッセー

 黒煙を引きながら走る蒸気機関車が消えて、どれほどになるだろう。
 片田舎の寂れたプラットホームに立つたびに、大地を震わした汽笛の雄叫びを懐かしむ。
 怒りとも喘ぎともつかぬ蒸気の噴射。深く、長く吐いて、ゆっくりと巨体が軋む。スチームの拍動は小刻みに高鳴り、やがて一連なりの音となって機関車の轟音に絡め取られていく。
 風の咆哮、カーブを切る悲鳴、ひっきりなしに揺すられるがたいのざわめき、車中にさんざめく人の声、時折の案内放送、ドアが閉まる鈍い響き、あらゆる雑多な音がレールが刻むリズムに乗せられてひとつのカプリチオへと糾われていく。
 車窓を流れる家並み、遠い山裾、田圃、畑、そして海岸、川面。どれもがゆったりと揺蕩う回転舞台だ。トンネルでは、慌てて窓を閉める。それでも煤の匂いが鼻を刺した。長旅ではいがらっぽくもなった。硬い座席、真っすぐな背もたれ。冷房なぞはなく、冬のスチームは余計に乗り物酔いを誘った。
 今の猛速も快適もなかったけれど、あれはたしかに豊かな時間だった。疾うに日常から退いて、痕跡も探し難い。だから人気の絶えたプラットホームに佇んで、記憶を弄り、レールの彼方を見遣って、あのころの幾分かを呼び戻してみる。

 鉄路は彼方へと繋がっているのだが、どうにかするとあのころとも繋がっていそうな気がする。時間が、銀色をした鉄の棒に化身したようだ。海や空を擦過した航跡はすぐに消える。しかし鉄路は消えない。大地を這いつつ、時間までもガイアに刻み込んでいるのかもしれない。 

 ブルートレーンで帰る旧友を送ったある日の夕間暮れ、ホームの端にふと足が向いた。鉄路が落陽を爆ぜて黄金色に輝いていた。
 先妣の仕入れにくっついて通った隣市までの汽車の往復。遠足、修学旅行。上京の長い夜汽車。帰省のため、乗り継ぎを嫌というほど繰り返した鈍行列車。
 あのころの時間がどっと押し寄せ、息苦しくなった。ここはあまり来るところではないな、と呟いて出口に向かった。 □