伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

断簡 【でたらめデータ】

2018年02月28日 | エッセー

 裁量労働制のデータがあまりに杜撰だと揉めている。そんなものを答弁に使ったアンバイ君の勇み足も軽率の謗りを免れないが、前のめりの焦りはどこから来ているのか? そこにもっとフォーカスしないと事の真相を見逃してしまう▼早い話が、3%の賃上げとバーターしようとしているからだ。また、教育無償化などの財源2兆円の内3千億の拠出をせびっている手前もある。昨年9月成立の目論見は大幅にずれ込んでいるし、春闘は酣を迎える。慌てるわけだ▼さらに踏み込むなら、ファシズムの影がちらつく。なんと大袈裟なという向きもあろう。しかしファシズムとは、佐藤優氏によれば「一言でいえば、失業・貧困・格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを目指すもの」(「ファシズムの正体」インターナショナル新書、今月刊)である。となれば、決して大仰とはいえまい▼同書はこう結ばれる。「弱肉強食の新自由主義的資本主義を国家の介入によって是正しようという動きが強まっている。この発想が、ファシズムにわれわれを導いていく可能性を過小評価してはならない」。アンバイ君は的外れ、濡れ衣というかもしれない。だが、自らをメタ認知できない反知性にはファシズムへのバイアス自体が見えないであろう。ともあれ、一強には碌なことがない。□


断簡 【『影武者』評】

2018年02月26日 | エッセー

 『影武者』での勝の降板について、黒澤は勝の顔がほしかったのに勝はキャラクターを買われたと勘違いした。「自分ひとりでは創れない自分を創ってもらう、つまり名を捨てて実を穫る度胸に欠けていた」と、塩野七生氏は『黒澤監督へのファンレター』で評した。「度胸」とは、なんとも手厳しい▼「『お蘭、床几を持て』と言われない前に蘭丸は走り出ていて、『持て』と言った時は、もう床几は、信長のすぐ背後に置かれいる」このワンカットだけで「蘭丸の信長にいだいていた敬愛の気持を、見事に表現したことになる」。さらに「命ぜられて持ってくるようでは、召使か奴隷と同じである。蘭丸が主人にいだいていた感情は召使や奴隷のそれとはちがうということを、この場面を見ただけで西洋人さえ理解できるように、しかも品を落とさずに示している」と、凡眼では見落としてしまう鮮やかな視点を示す。もう脱帽だ。こちらは『信長の悪魔的魅力』と題する随筆である▼続いて、出陣の場面。宣教師たちが十字を切って祝福し、それを南蛮渡来のビロードのマントを着、羽根つきの赤い帽子を従者に持たせた信長が大きく手を上げ「アメン!」と応じる。この挙手は古代ローマの武将の敬礼と同じだと塩野氏はいう。キリスト教からは異教の敬礼である。どういうことか。「欧米人にはわかってしまう。信長が、マントや帽子ぐらいで宣教師にたぶらかされるような器ではなかったということを」なのだそうだ。監督に古代ローマについての知見はなかったかもしれないが、「あの手のあげ方だけで、そして『アメン!』という言い方だけで、信長が描かれていると私などは思うのだ」と感服する▼名前は失念したが、ある作品の長いシーンに付ける曲が決まらず苦慮していた。と、監督にある曲がふと浮かぶ。試してみると、寸分違わぬ尺であった。後、監督は自らの仕事に業を感じたと語った。信長の敬礼も、同じく監督の業が生んだものであろうか。天職の極みに業は生まれ、業は天啓を招来する。凡庸には業は遂に無縁だ▼旧い話のようだが、名作は常に新しい。伯楽もまたいつになっても刺激的だ。□


断簡 【強制不妊】

2018年02月24日 | エッセー

 毎日新聞は〈記録が残る1949年以降の全国の強制不妊手術1万6475件のうち北海道では15%強が行われ、全国件数の4分の1を占めた年もあった〉と報じている。北海道は際立って多い。なぜか。寡聞にしてこれに切り込んだ報道を知らない▼揣摩するに、北海道のみ遵法意識が抜きん出て高かった訳ではあるまい(旧優生保護法の施行に対して)。道民気質に因るのであろうか。あるとすれば、すべて移住者によって造られてきた北海道の特異な成り立ちが考えられはする。命懸けで切り開いたフロンティアをなんとしても次世代へ継承したい。その熱願が歪な行政をためらいなく受け入れた、と。あるいは、時の道政の要路にあった者の偏向した信条が推力となったか。ともあれ、憶測の域を出ない▼まさか如上の一件を誠実で純朴なコンプライアンスの好例として嘉する愚か者はいないだろう。だが、なぜそうだったのかを詳らかにすることは、ひとり北海道のみならず一国の向後に大いに資するマターではないだろうか。□


断簡 【パシュート】

2018年02月23日 | エッセー

 女子パシュートの金銀両チームを並べて見れば一目瞭然だ。オランダチームは揃って立派な体躯で、さらにみんなメダル級の実力者。片や、日本チームは体格でこぼこ実力もまちまち。それで結果はこうなった。これはもうダイバーシティの勝ちだろう▼乾坤一擲の集団戦では強兵を揃えただけではダメなのだ。人材の多様性こそが勝利を掴む骨法といえる。巷間チームワークが勝敗のポイントと評されるが、「でこぼこ」なればこそチームワークが生まれ知恵を絞るのではないか▼「ダイバーシティの勝ち」、これこそがこの金メダルのメタファーであり、貴重な教訓であろう。極小ではあるが組織論の奥義を彼女たちは見せてくれた。そう観取せねば何も観ていないことになりそうだ▼教育改革と称して、グローバルな均質でコマーシャリズムに特化した企業戦士を育てることに血道を上げるどこかの政権は彼女たちの爪の垢でも煎じて飲めばいい。□


断簡 【憲法】

2018年02月21日 | エッセー

 「ポツダム宣言は詳らかに読んでいない」と、かつて国会で恥ずかしげもなくのたもうた某首相。この程度の人物が世を改憲に向けミスリードしようとしている。こちらとしては、まずは憲法を「詳らかに」知るところから守りを固めねばならない。とはいっても馴染みがない。何がどこに書いてあるか。そこから始めてはいかがであろう。それだけでもグンと引き寄せられる。そこで、稿者が日ごろ使っている自作のあんちょこをお示ししたい。主要条文を独断でチョイスした。お気に召すなら、独自に加工、追加、修正していただければよろしいのでは。

条………項目………語呂合わせ

  1 象徴天皇・国民主権──テッペン(1)はだれだ?

  9-1 戦争放棄──戦争はしナイン(9)です

  9-2 戦力不保持・交戦権否認──2(2項)つの約束

  7 国事行為としての解散──ナ(7)にも言わせないでやる専権事項だそうだ

11 基本的人権──人権、これこそイのイチ(11)番

13 生命・自由を国政は最大尊重──国民を守れなきゃ国の意味(13)ない

14 法の下の平等──イヨ(14)っ! 待ってました、やっとつかんだ平等

15 公務員は全体の奉仕者・投票の秘密──イゴ(15)慎め・投票先を言うと飛語(15)を生む

18 拘束・苦役の禁止──イヤ(18)だよそれは

19 思想・良心の自由──思想はいく(19)らでも自由

20 信教の自由──フレ(20)回れ回はっていいよ

21 言論・結社──ツイート(21)だって自由

24  婚姻は両性の合意のみ──(2)人でよ(4)ろしく

25 最低限の生活──ふつー(2) にすゴ(5)す権利です

26 義務教育──フム(26)ふむ分かったお勉強

33 逮捕の原則──逮捕状ミミ(33)揃えなきゃダメ

41 国会は唯一の立法機関──ヨイ(41)法律をつくってね

47 選挙は法律で定めよ──一票の格差が出はシナ(47)いか?

69 不信任・解散──ロク(69)でなし内閣は辞めさせろ

96 改憲──変えるのはクロー(96)するようにしてあるのだ

98 憲法は最高法規──これは譲れナインヤ(98)

99 遵守義務──お上をギューギュー(99)に縛る □

 


断簡 【マスク】

2018年02月20日 | エッセー

 猖獗を極めるインフルエンザのため、病院ではドクターやナースがみんなマスクをしている。ふと小林秀雄の箴言が浮かぶ▼〈仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかもしらず、近代文明といふものは駆け出したらしい。〉(「当麻(たえま)」から)
▼小林は個性偏重の風潮に異を唱え、つまらない素面なぞ隠していっそ能面のように仮面をつけよと諭した▼しかし、である。如上のマスクはどうもいけない。なんだか表情のないマスクマンやマスクウーマンに囲まれているようで、目だけを凝視するわけにもいかず、なんだか要領を得ない。キュア上は必須でも、ケアには問題ありではないか。なんせ、天使のようなナースのお顔を拝せないのだから。あるいは、ひょっとして「つまらない素面なぞ隠していっそ能面のように仮面をつけ」ようとした工夫なのかもしれない▼〈駆け出した〉〈近代文明〉への健気な抵抗か。それともコンビニの接客マニュアルよろしく、レベルダウンを承知でケアのクオリティを一律に保持するためか(天使の笑顔で癒やすなどという職人芸は今や絶滅危惧種だ)。インフルの間だけならまだしも、マスクが常態にならぬよう切に願う。□
*『断簡』は“出先”からスマホ発信しています。


断簡 【羽生・藤井】

2018年02月18日 | エッセー

◇「はにゅう」も「はぶ」も漢字では同じ「羽生」だ。結弦クンの切り札は4回転ジャンプ。羽が生えた如くに宙を舞う。善治氏の得意技は居飛車で、こちらも盤上を翔ぶが如くに切り込む。なんとも名は体を表すではないか。きのう(2/17)はその2人が明暗を分けた。
◇暫定トップ3の控えで宇野君の得点が出た後、結弦クンはそれまで3位だった中国選手をハグしなにやらしきりに言葉をかけていた。想像を逞しくすると「ボクがいたからメダルが取れなくてごめんね」とでも言ったのかしらん。勝者の振る舞い。一番印象に残ったシーンだった。それと、もうひとつ。インタビューで「今回は(金メダルを)取らなきゃいけない使命感もあった」と語った。起死回生のドラマは闘争心やプレッシャーではなく、より高次のマインドセットがなさしめたということか。蓋し、示唆的だ。
◇若干ビッグニュースに隠れた感があるが、藤井聡太クンも快挙をなしとげた。史上最年少で公式戦初制覇・六段昇格。結弦クンに勝るとも劣らない。こちらは「羽生」が敗れた結果だ。明暗の暗である。遂にひふみんの記録が書き換えられた。コマーシャルに準えるなら、ひふみん会長は「この展開は分かってましたよ」とおっしゃるに違いない。すました顔して……。 □ 


断簡 【アルマーニ・ヘリ事故】

2018年02月17日 | エッセー

◇塩野七生大先生によれば、アルマーニは英国のジェントルマン風への叛逆だそうだ(『想いの軌跡』)。泰明の校長は、維新後寂れていた銀座の街をデザインしたのがイギリス人であったと知っての上での選択であろうか。銀座にふさわしいからという理由とはチグハグだ。むしろそのアンチテーゼを選んでいる。まず校長先生は歴史のお勉強からなさった方がよろしいのでは。
◇冬季五輪での南北対話について、「対話のための対話は意味がない」と首相は評した。本当にそうか? 少なくとも対話中は武力は使わないのではないか。オリンピックの発祥からしてそうだ。凄んでみせても全土がすでにNKミサイルの射程内にあることを忘れない方がいい。
◇先日、自衛隊のヘリが事故った。実はこのヘリ、攻撃型だ。元々余計な買い物だ。そいつが事故った。整備云々の前に専守防衛の国是がなし崩しにされていることこそ問われねばならない。国の骨格が整備不良ではないのか?

*しばらくの休載を告げましが、“出先”でもこの形式なら書けそうなので続けてみます。どうぞよろしくお願します。□


されど缶詰

2018年02月13日 | エッセー

 缶詰の創始者はナポレオン・ボナパルトであるというと正確ではないかもしれない。悩みの種だった遠征軍への食料補給について、妙案を懸賞付きで募集した。1804年、フランス人が応えた。長期保存ができる瓶詰めである。しかし重く壊れやすい。6年後、イギリス人のピーター・デュランドが金属製容器の缶詰を発明。後、改良を重ね今日に至っている。してみるとナポレオンなくしては缶詰は生まれていないのだから、やっぱり缶詰生みの親はナポレオンでいいのではないか。偉大なり、ナポレオンだ。
 軍用から日常用へ。最近では非常食、あるいはアレンジ・レシピの素材になるなど活用の幅がグンと広がっている。
 インスタント食品やレトルト、フリーズドライ、もちろん冷凍食品とはちがう。“復元”の要がない。そのまま食せる。そう、『食のタイムカプセル』である。「時間よ、止まれ!」だ。調理のある過程をカットオフして、そのまま閉じ込める。これは缶詰のみがなし得る芸当ではないか。単なる保存を超えた缶詰の魅力はどうもそこら辺にあるような気がしてならない。フタを明ける刹那の蠱惑に似たときめき。パック食材ではあまりに明け透けすぎる。
 話は跳ぶが、イスラム教は元よりキリスト教でも長らく利子が禁じられていた。時間が生み出すものが利子であるが、その時間は神のものである。神の所有に属する時間を人間が利子でもって勝手に値を付けるのは神への冒瀆であるとした。お堅いお説教のようだが、万物創造の唯一神であれば宜なる哉である。
 禁忌には破戒の蠱惑が伴う。時間をポーズすることで神の手から時間を詐取する。極小で一時的ではあれ、神の支配から離れた時間を手にする。それが『食のタイムカプセル』たる缶詰の禁秘ではないか。なにを大袈裟な、という向きはあろう。がしかし文化に裏打ちされない人為はない以上、あながち金棒引きとはいえまい。エデンの園でアダムとイブが禁断の果実を口にしたところから“物語”は始まった。食い物の恨みは怖い。禁断の果実、つまりは人知が食い物による破戒を企てたとすれば、一興ではある。キリスト者にとっては不信心にも程があろうが。
 大きな漁港を抱える隣市で、一旦消えた缶詰作りを復活しようという町おこしが始まったそうだ。『缶詰バー』が人気だという。 酒の当てにタイムカプセルとは乙なものだ。魚だけではなく、何が閉じ込められているのだろう。いつかの今が凝っているにちがいない。 □


アベノミクスによろしく

2018年02月11日 | エッセー

 前稿でアンバイ君の珍答弁をこう述べた。
 〈不都合な追及を受けると、データを恣意的に援用しつつ決まって「御党の時はこうだったが、今はこう改善した」という話形を露骨に繰り出してくる。アベノミクスの正否については特にそうだ。国政の場でこんな子どもの手柄話を聞こうとは情けない。データを多面的に分析し、エビデンスを探る論議は微塵もなく、これでは一方的な街頭演説レベルである。〉
 「子どもの手柄話」がいかに子ども騙しであったか。それを公的資料に基づいて克明に白日の下に晒した好著があった。
   集英社インターナショナル新書 『アベノミクスによろしく』 (昨年10月刊)
 である。著者は明石順平氏。主に労働事件、消費者被害事件を扱ってきた弁護士である。「よろしく」は『ブラックジャックによろしく』のもじり。同書冒頭でアベノミクスは「現代日本の最大のリスク」と言い切る以上、好意の挨拶などでは毛頭なく決別の辞である。浜 矩子流にいうなら「アホノミクスよ、さようなら」であろうか。藻谷浩介氏は「客観的事実のみを書いた、文句のつけようのない内容」と推薦の言葉を寄せている。なにより非常にわかりやすい。アベノミクス本は多々あれど「本書ほど『わかりやすさ』に重点を置いた本はない」と、明石氏自身が胸を張るほどだ。それは危機意識を共有したいという氏の熱望ゆえである。
 氏はアベノミクスをこう譬える。
第1の矢  金融緩和 → 食べ物の量を増やすこと。
第2の矢  財政政策 → 食欲を増やして食べさせること。
第3の矢  規制緩和 → 体質改善して消化・吸収を良くすること。
 三本の矢はことごとく的を大きく外れた。その外れようを剔抉したのが本書だ。帯にはエッセンスが6点列挙されている。
◆異次元の金融緩和でもマネーストックの増加ベースは変わらず。
◆実質賃金の大幅下落で、国内消費が「リーマンショック時を超える下落率」を記録。
◆3年間で比較すると実質GDP成長率は民主党時代の約3分の1。
◆新しいGDP算出基準への対応を隠れ蓑にし、GDPを異常にかさ上げ。
◆雇用改善はアベノミクスと無関係。株価も日銀と年金でつり上げているだけ。
◆金融緩和の副作用は、それをやめた時の国債、円、株価の暴落。
 これ以外にも、第3の矢の目玉である「働き方改革」に潜む欺瞞にも斬り込んでいる。「民主党時代の約3分の1」とは、「御党の時はこうだった」が聞いて呆れる。「GDPを異常にかさ上げ」に至っては詐欺師の手口だ。なんとかのひとつ覚えである「雇用改善」は、データを見ればアベノミクスとは関係ないことが一目瞭然だ。十八番の「株価好調」も作為的なフレーム・アップ。何から何まで「珍答弁」どころか、子ども騙しの空音答弁であったことが歴然とする。別けても「金融緩和の副作用」は絶望的だ。止(ヤ)めるに止められなくなっている。おクスリなら止める手立てもあろうが、体自体がおクスリでできあがってしまっている。金融緩和の「出口」どころの話ではないのだ。
 そこで、起死回生の逆転劇はあるか。『オペレーションZ』がその答えではないか、というのが先月8日の拙稿「初春2冊」で取り上げたイシューである。だから、『アベノミクスによろしく』は『オペレーションZ』と兄弟篇、セットともいえる。
 目眩ましの経済成果で支持の安定を図り憲法改悪への突破口を開く。これがアンバイ君の本音だ。国民が身ぐるみ剥がされる前に、彼の悪巧みを曝く。蓋し、必読の一書だ。 □


シャーデンフロイデ

2018年02月08日 | エッセー

 16年が『サイコパス』(文春新書)、昨17年が『いじめ』(小学館新書)で、今年が『シャーデンフロイデ』(幻冬舎新書)である。中野信子女史は3年連続で、現代社会が抱える問題に脳科学から斬り込んできた。
 齋藤孝氏は新書とは知性と現代が交錯するライブ空間だという。まさにそれを地で行く3連作である。前作は帯の写真に魅入られた。やはりとても美形である。日本人女性初のMENSA会員(今はお辞めになっているが)という飛切りの知性と美形をなぜことさら繋ぐのか。「人は見た目が9割」だからではないか。おまけに声がいい(声音が低い女性には生来的に惹かれる)。謦咳に接する機会がない以上、耳目に頼るほかはあるまい。
 さて『シャーデンフロイデ』、副題に「他人を引きずり下ろす快感」とある。今風なら“メシウマ”(他人の不幸で今日もメシがウマい)、古典的には“他人の不幸は蜜の味”となる。先月の拙稿「スポーツおバカ その3」で触れたエンビー型嫉妬とジェラシー型嫉妬のうち、前者に当たろうか。
 その忌むべき悪感情の正体は何か。驚くべきことに、“愛と絆のホルモン”であるオキシトシンこそがその実体だと曝いてみせる。
 〈「愛」や「正義」が、麻薬のように働いて、人々の心を蕩かし、人々の理性を適度に麻痺させ、幸せな気持ちのまま誰かを攻撃できるようにしてしまう、ということです。〉(上掲書より、以下同様)
 この倒錯はなぜ起こるか。
 〈元来、人は争うことが好きで、争うことによって生き延びてきたからです。いま、この世にいる私たちはみな、生き残ってきた人間の子孫です。生き残るために戦って勝ち抜いてきた祖先のDNAを持っているわけで、基本的に争いを好むのは当然のことです。とくに、仲間がいて、「その集団を守らねば」という大義名分があれば、戦うことに対する抵抗感はひどく薄れます。〉
 抵抗感どころか、それを快感にまで引き揚げる媚薬がオキシトシンだ。愛と憎しみ、正義とサンクション。まるでコインの裏表のように、ヒトが「生き残るために」DNAに刻み込んだ戦略である。
 そう女史は脳科学の知見を駆使して縦横に解明していく。日常にはびこる同調圧や排除の論理。行き着く先はテロリズムの狂気。それら現代が抱えるアポリアの深層に迫る好著である。
 別けても興味深いのは、政治的信条も遺伝的な脳のタイプに因るとの論究である。リベラルもコンサバもDRP-2なるドーパミン受容体の型によって決まるという。鰾膠も無い話ではあるが、合点が行かなくはない。環境や教育に帰せ切れない政治的信条のコアがこれだとすれば、腑に落ちるからだ。今後の研究が待ち遠しい。
 同書から連想すると、教育現場の実態がネガのように浮かんでくる。シャーデンフロイデの蠢動だ。内田 樹氏は「できるだけ校則に従わない、できるだけ教師に無礼に接する、できるだけ時間割り通りに動かない、教室ではできるだけうるさくして、他の子どもたちの学習を妨害する」のは、市場原理が学校に入り込んだ結果、「『最少の学習努力』をさらに最少化する手立て」であるという(「内田 樹による内田 樹」から)。続けて、
「子どもたちは、全員で全員の学習努力を引き下げ合うことによって、『ウィン=ウィン』関係が成立することに気づきます。自分の学習努力を最少化するためには周囲の子どもたちにも勉強しないでもらわないと困る」
 と語る。絵に描いたようなエンビー型嫉妬であり、シャーデンフロイデの忠実な表出ではないか。となると、もう一つ想を跳ばさねばならない。アンバイ君の珍答弁である。
 不都合な追及を受けると、データを恣意的に援用しつつ決まって「御党の時はこうだったが、今はこう改善した」という話形を露骨に繰り出してくる。アベノミクスの正否については特にそうだ。国政の場でこんな子どもの手柄話を聞こうとは情けない。データを多面的に分析し、エビデンスを探る論議は微塵もなく、これでは一方的な街頭演説レベルである。どうもアンバイ君自身がメシウマ状態にあるというより大向うのシャーデンフロイデをくすぐっている、もしくは誘っているのではなかろうか。ならば、かなり性悪といわねばならない。彼のDRP-2に俄然興味が湧く。
 愛と正義が麻薬となって快感の内に理性を押し込めてしまう。なんとも荷厄介な生き物だ。 □
 


仮想通貨 愚考<承前>

2018年02月03日 | エッセー

 前稿では認知革命による「『人類以外には断じて成し得ない』幻想の共有」があったこと、それに「『信用の環(ワ)』があったこと」に通貨の成り立ちを求め、仮想通貨とてそれは同じであると愚考した。
「してみると、『仮想通貨』が掴めないのはどうも『仮想』なる2文字で煙に巻かれたのではないか。通貨の正体は同じなのだ」。
 と括った。その「仮想」をさらに探ってみたい。おそらくより正確には「仮想」といわず、「電脳空間」「サイバースペース」、手っ取り早く「インターネット」の方が通りがいいかもしれない。つまりは、「ネット通貨」である。
 インターネットにできなかったこと。それは、経済的価値の送受と信頼の確立の2つであったと、大御所・野口悠紀雄氏はいう。これを可能にしたシステムが仮想通貨を裏打ちする「ブロックチェーン」である。これは金融に限らず、社会をドラスティックに変える革命的技術でもある。
 インターネットは情報を地球規模で、かつほとんどコストゼロで送受できる。しかし、カネは送れない。ネットバンキングは銀行取引を遠隔操作しているだけだ。カード決済はIDとパスワードを教えて取引先に引き出してもらうだけである。送っているのはIDとPWという情報だ。カネを送っているわけではない。それさえ、よっぽど信頼できるところでなければできない。
 各種情報にしたところで玉石混交、全幅の信頼はおけない。どこかでオーソライズしてくれる権威的存在があるわけではない。がせネタはあるし、なりすましもある。信頼の確立は至難である。
 この2つの壁を突破したのがブロックチェーンである。「従来のインターネットが情報のインターネットであるのに対して、ブロックチェーンは価値のインターネット」といわれる地平が開けたのだ。
 さてそのブロックチェーンとは何か。仮想通貨の取引記録を記した台帳のことである。世界中の仮想通貨による取引すべてを10分毎に1ブロックとして数珠つなぎにしていく(チェーンだからトレースできる)。しかも公開にし、自主的に仲間のコンピュータが集まって取引に不正がないか寄ってたかってチェックする。だから記録の書き換え、二重取引は不可能だ。これが仮想通貨の信頼を担保し、確立する。そこで初めてインターネットでカネが送れるようになったのである。情報だけではなく、カネも送れる。これは奇跡に近い。しかも特定の管理者もいなければ、中央集権的な統制、管理もない。オーソライズし、担保する上位者は一人もいない。いわば、金融の民主化である。これは市民革命に近い。
 荒っぽく括ると『ネットによる現金書留』、それが仮想通貨とブロックチェーンである。もちろんお札やコインはそのままでは送りようがない。ネット用の現金に換える。1500種あるとされるが、例えばビットコインがそうだ。色も形もない電子情報である。しかし「幻想の共有」により仲間内では通貨として使える(仲間は世界的規模に拡大しつつある)。中央集権的な管理がなかった太古の貝殻と同じだ。兌換もできるが、兌換せずとも相手方がビットコインでOKならそのまま使えばいい。だから現金と同等だ。電子マネーは現金の代替物でしかない。
 日本郵便のHPによれば、書留とは「引き受けから配達までの郵便物等の送達過程を記録する」ことだという。信頼の担保、ブロックチェーンではないか。と、なんだか先祖返りの様相を帯びてきた。なおかつ国境を越えてもコストは限りなくゼロに近い。経済活動に限らず社会を大きく変えていく可能性を孕む所以である。世界経済フォーラムは、ブロックチェーンを「今後数年間に世界に大きな影響を与える10大技術の一つ」とレポートしている。
 信頼の確立により「金融の民主化」が進むと、中央銀行とまではいかなくとも市中銀行や証券会社は有名無実化する。事によっては消滅しかねない。仮想通貨の発行による資金調達も可能だ。「金融の市民革命」である。現にビットコインには経営者も管理者もいない。事業は自動的に遂行されている。「経営者も労働者もいない会社」の出現である。これからますます普及するであろうシェアエコノミーについても仲介業者ではなく、ブロックチェーンを介して提供者と需要者が直接やり取りできるようになる。さらにAIとブロックチェーンが組み合わされると、組織の大小はフラット化し中央集権的な社会のありようさえ変容するかもしれない。野口悠紀雄氏は「IT革命は、ブロックチェーンによって完成されることになります」という。
 ただ仮想通貨が投機の対象になって乱高下するのは、為替投機と同様「金で金を買う」邪道である。こんな悪弊まで似ずともいいものを……。
 ともあれ、曲折はするものの革命の足音は近づいている。 □