伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

紙の丈

2012年01月31日 | エッセー

 90年代からの政府の旗振りで、公文書をはじめAサイズが主流になった。まったく腹立たしい。「日本語はBサイズに限る」が、わたしの持論だ。
 Bサイズとは、日本の美濃紙を元に面積1.5平方メートルのルート長方形をB0とする。「ルート長方形」とは白銀比といい、古来美しい形とされてきた。美濃紙は薄くて丈夫、文書の写しや障子紙に使われてきた。つまり純日本産の規格である。
 片や、Aサイズとは、ドイツの物理学者が提案したドイツの規格。面積1平方メートルのルート長方形をA0とする。1メートルが1秒の2億9979万2458分の1の時間に光が真空中を進む行程の長さであるから、極め付きの自然現象から導出された規格といえる。
 どちらもルート長方形で切り出すのだが、元の大きさが違う。双方、後に付く数字は折り畳む回数だ。だから、0が原寸である。国際規格はAサイズだ。だからそれに合わせようと、行政が主導したのであろう。しかし、身の丈に合わぬ。いや日本語を載せるには、紙の丈が合わないのだ。
 今や、ワープロ打ちがほとんどだ。かつ横書きでもある。フォントサイズにもよろうが、同じ大きさの文字が横に長く並ぶと読みにくい。ベタ打ちの文書で大雑把な計算をしてみよう。
 1回の視点でカバーできる文字数を8文字とすると、1行50字で6.3回の視点移動が必要になる。1行40字では5.0回。1.3回分の差がある。行が長いと、次行への視線の移行もしづらくなる。読み易い1行40字をA4で設定し、字間を頃合いに保とうとすれば(余り開かないようにすれば)、左右のマージンがどうしても大きくなる。
 論より証拠、ご覧あれ。A4文書は上下も含め四方のマージンがやたら広く取られている。紙に合わせれば読みづらくなり、読みやすくすれば紙が余る。つまりは間尺に合わないのだ。だからA4は不経済であり、資源保護にも悖る。日本語には純国産の紙幅が一番。グローバリズムだからといって、母語まで変えるおバカはいない。
 以上、身の丈に合った生活には、まず紙の丈を見直そうという苦言のお粗末。お後がよろしいようで……。 □


やっぱり、映画館!

2012年01月30日 | エッセー

 
 この片田舎から映画館が消えて10年は優に経つ。先日、文化庁の事業で名画鑑賞会があった。会場は市民ホール、映画館と変わりはない。スタンダードもシネマスコープも昔ながらの大型スクリーンに映し出される。開演のベルが鳴り、ゆっくりと暗転。ノイズを微かに含んだ懐かしい大音響。久方ぶりに映画館の迫力を堪能した。
 DVDではこうはいかない。いかに大型画面のホームシアターでも映画館には適わない。なぜだろう。ふと、考えた。
 解は、異空間にあるのではないか。生活の場を離れて足を運び、別種の空間に歩み込む。しかも時間の流れを遮るように、そこは暗闇だ。時空ともに、日常を離れる。ホームシアターの技術的意匠を凌駕する秘密はそこにあるにちがいない。上映が跳ねて映画館を出る。外界(ゲカイ)に戻った時に感ずるあの落差には体感が濃密に混じる。陽光の眩しさ、外気の冷たさ、街の匂い、雑踏の音。日常のそれらが五感に否応なく押し寄せる。時差が強制的に修正される。体感による以外にはない落差だ。異空間ゆえではないか。

 掛かったのは、黒澤映画だった。1本目は「酔いどれ天使」。名作だから中身の紹介は無用だ。プログラムには、「闇市のヤクザと飲んだくれの貧乏医者との、不思議な友情と葛藤を描いた」とある。2人の確執を通じて描かれたヒューマニズム溢れる力作、とも語られてきた。確かにそうだが5回目くらいにして、はたと気づいたことがある。まことに後知恵この上もないが、別の観方ができるのではないかと。
 昭和23年の作品である。新憲法施行の明くる年だ。真新しい価値観が耀うた時代だ。主人公の医者が、匿っているヤクザの情婦を諭す場面で「男女同権なんだから」と言う。また肺病患者との遣り取りで、「病気を治すのは理性だ」とも語る。再三出てくる。「理性」とは、戦後の闇市というシチュエーションでは異彩を放つ台詞だ。ある意味、ミスマッチでもある。ラストシーンでは、女学生が医者の言い付け通り「理性」で肺病が寛解したと告げる。医者は彼女の躊躇に構わず、腕を組んで闇市を闊歩する。これらは戦後の「真新しい価値観」の象徴ではないか。別けても「理性」はその筆頭である。とすれば他方、ヤクザとは旧い社会と時代の究極的存在である。縄張りや殴り込みは旧い価値観の表徴ともいえる。つまりは新旧の価値観の鬩ぎ合いである。そう観れば、名画に別の顔が披見できなくもない。
 唸るのは、今のこの時期にこの作品が選択されたことだ。「真新しい価値観」がすっかり色褪せ、皆が頭を抱え込んいるこの時期に。なんとなく選んだのかも知れぬが、それにしても時に嵌まったいい選択だ。時代の深い闇に、「真新しい価値観」はふたたび耀うのか。
 医者はヤクザ者の頑迷に憤り落胆する。だが女学生には笑みをこぼす。「理性」が病を超えたからだ。未来の世代に希望を託したエンディング、とこじつけられなくもない。

 2本目は「天国と地獄」だった。今更ながらと嗤われそうだが、新たな発見があった。こちらも後知恵だ。なにせ10回ちかく観ているのだから。
 先ずはカメラワークだ。特に事件発生後の豪邸の室内。シネマスコープを活かしきった構図。しかもカメラは動かず、登場人物が右に左に動く。まるで舞台演劇のようだ。かつ微妙に画面が揺らぐ。臨場感と不安を煽る効果を狙ったのだろうか。ならば、心憎い。
 もう1つ。記者会見の場面で、「せろん」という発言が何度か出てくる。「よろん」は1度もない。これは注目すべき点ではないか。輿論(よろん)と世論(せろん)については、10年8月の本ブログ「ヨロンとセロン」で取り上げた。
 繰り返しになるが、「世論(せろん)」は明治に登場した新語である。明治・大正期に活躍した政治家たちは、輿論と世論の使い分けを意識的に行っていた。「世論」は世間の雰囲気(popular sentiments)であり、輿論は議論を経た公的な意見(public opinion)をいう。ところが、戦後の漢字制限で「輿論」が使えなくなり「世論」に統一されてしまった。漢字は使わないものの読みは残った。それも「世論」を「よろん」と読む歪な形で。それが輿論と世論の混同を生む主因となった。しかし、記者たちと刑事は「せろん」と言っている。「せろんが味方する」という風に。となれば、明らかに“popular sentiments”の謂だ。漢字は「世論」ひとつになったものの、読みは区別していたのではないか。輿論との差別化をしていたと推量される。この映画は昭和38年の公開だ。戦後18年、まだ常識、良識が生きていた歴史の証左ではないか。
 下手な鉄砲を撃つとすれば、「世論」が「よろん」になったのは東京オリンピック以降ではないか。この作品の翌年に開催された国家的イベントがテレビを一挙に押し拡げた。具体的な論証は手に余るが、テレビの普及が主役を担った気がしてならない。

 両作品に共通、どころか全作品にいえるのは群衆の見事さだ。変な言い方だが、1人としてエキストラがいない。スクリーンの片隅にいる人物まで、すべてに存在感がある。巨匠で片付けては身も蓋も無いが、天才的な演出である。「酔いどれ天使」での闇市、「天国と地獄」での阿片窟は胸苦しいほどに圧倒的だ。ほかに、「まあだだよ」の宴会シーン。これは絶品だ。
 ともあれ持論だが、映画は映像こそが命だ。ストーリーならテレビでも代替できる。映像の巧みさ、迫力。それが映画の真骨頂だ。加うるに、異空間の妙。それらに改めて感じ入った映画会であった。故水野晴郎氏に倣えば、「いやー、映画『館』って本当にいいもんですね」となろうか。 □


やったねー!

2012年01月23日 | エッセー

 孔子(クジ)の倒れか、看板女子アナがビルの5階から墜落したり酒の不祥事を起こす。はたまた、天才少女と騒がれたわりには日本一にもなれず、いつも期待倒れ。世の中そんなものだといってしまえば身も蓋もないが、どっこい、臥薪嘗胆の暁に汚名返上、名誉挽回した“女子”もいる。最近の話題から、2人をピックアップした。

〓〓元フジテレビ・アナウンサーの菊間千乃(ユキノ)さん(39)が、今年1月から都内の法律事務所で、弁護士としての第一歩を踏み出している。
 菊間さんはアナウンサー時代から弁護士を目指していたが、07年に退社して本格的に受験勉強を開始。10年に、2度目の挑戦で合格を果たした。在職中は、スポーツ中継や「めざましテレビ」などに出演していた。
 10年の司法試験の合格率は前年より2.2ポイントさがって25.4%、4年連続で下がっている中、見事最難関を突破した。退職からおよそ4年、夢を実現した菊間さんはフジテレビの社外法律顧問をしている会社に就職が決まっている。
 13日には、司法試験挑戦の日々を記した『私が弁護士になるまで』も文藝春秋から刊行された。〓〓(ネット・ニュースから)
 魚の木に登る如しとはいわぬまでも、三十路を遥か過ぎての司法試験への挑戦、合格は星を数うる如しとはいえる。大変でした、がんばりましたの成功譚は山ほどあるが、まさに奈落からの起死回生はそうそうあるものではない。おまけに古巣への恩返しもとなれば感は極まる、極まる。さらに自伝の出版に至っては、商魂も逞しい。見事である。あっぱれである。まことに会に逢わぬ花はない。

〓〓「天才少女」が悲願の頂点に立った。卓球の全日本選手権女子シングルスで21日、福原愛(23)=ANA=が初優勝。11歳から出場し続け、13回目の挑戦で、ついに栄冠を手にした。
 「夢なんじゃないか」。福原は泣いた。3歳9カ月で卓球を始め、試合で負けて母親の前で泣きじゃくる姿が放映されて「泣き虫、愛ちゃん」と人気者になった。14歳で世界選手権8強、15歳でアテネ五輪、19歳で北京五輪に出場。王国・中国で最高峰の「超級リーグ」にも挑んで力をつけ、世界の舞台で結果を残すのに、このタイトルには縁がなかった。「全日本では違う自分みたいになってしまう」とこぼしたこともあった。
 今夏のロンドン五輪代表に内定している。「一回りも二回りも大きくなった自分を見てもらいたい」。次は日本卓球界初の五輪でのメダルを目指す。〓〓(1月22日付朝日新聞)
 若くして卓球の顔とはなったものの、主座を襲うことはなかった。塁を摩するばかりだったともいえる。昔「あいちゃん」、今「まなちゃん」である。「まおちゃん」の輝きにいつも霞みつづけてきた。それがついに面目躍如である。なんとも清々しい。「大きくなった自分を見てもらいたい」とのコメントには泣ける、泣ける。こちらも会に逢わぬ花はない、である。それも五輪の花だ。

 あしたから永田町のお化け屋敷で、魑魅魍魎が立ち回るドタバタ三文興行が始まる。起死回生も面目躍如も、到底期待はできぬ。鬱陶しい茶番劇の幕開けを前に、この話題、一服ならず二服の清涼剤である。2人の“女子”に、掛け値なしの快哉を叫びたい。やったねー! □


薬の出自

2012年01月20日 | エッセー

 定期検診のあと、薬を処方される。薬局で山のような薬を受け取る。何が何の薬なのか、まるで頓着しない。ただ、その中に一つだけ気になる包みがある。白い粉末だ。かといって、まさか“オクスリ”ではない。何かの“薬”にはちがいない。
 いつも薬剤師の説明は上の空どころか、途中で割り込んで勘定を急がせる。刹那、冷ややかな風が流れる。ところが、昨日ばかりはちがった。こちらからその薬の説明を求めたのだ。彼は俄然ノってきた。はじめて歯車が噛み合った。
 強心剤の一種で、ジゴキシンという名だそうだ。分子式はと訊ねると、ネットから引っ張ってプリントアウトしてくれた。“C41H64014”……化学オンチに解るわけがない。聞いたのは、「ニトロ」との類似を探ってみたかったからだ(別に意地悪ではない、多分)。ニトロとはまったくの別物。ニトロの分子式は“C3N3H509”、構造式もまるでちがう(例の亀の甲風図式、ご丁寧にこれもプリントしてくれた)。ジゴキシンの構造式はニトロとは比較にならないほど複雑だ。ニトロが血管を拡張させるのに対し、ジゴキシンは心筋に刺激を与える。働きも異なる。
 ジゴキシンは毒草であるジキタリスの葉っぱから抽出された(今は化学的に合成して作る)。ジキタリスはヨーロッパ南西部が原産で、江戸時代に日本へ渡来し各地に分布している。梅雨から初夏にかけて、暗いうら寂れたところに咲く。いかにも不吉な花だ。和名を「狐の手袋」という。あちらでは「魔女の指抜き」とも、「血の付いた男の指」とも呼ぶそうだ。禍々しい名であるが、写真を見ると巧いネーミングに合点が行く。美しいバラには刺どころか、こちらは猛毒である。その毒が薬に変わった。これは、おもしろい! 
 薬はたいがいそうだといってしまえば、身も蓋もない。しかしわが心の臓に渇を入れつづける薬の出自が毒草であったと知れば、身につまされて感慨深いものがある。まさに毒をもって毒を制す、ではないか。にわかに可笑し味が沸く。ニトロも、なにを隠そう爆薬である。それはそれでおもしろい。だが毒がまったくひっくり返って薬にメタモルするとは逆説的で、すげぇーおもしい。
 毒を薬に変える。人生万般に通ずるアフォリズムではないか。と、教科書風に締め括っては“おもしろく”ないか。
 水を得た魚のような彼のご高説に「勉強になったよ、ありがとう」とほほ笑んだら、帰りしなに「どうぞ、お大事になさってください」と、ついぞ耳にしない丁寧なあいさつを背中に受けた。 □


「ま~た、やっちまったな!」

2012年01月19日 | エッセー

 賞味期限の切れたギャグだが、「やっちまったな!」である。それも『ま~た』が付く。「ま~た、やっちまったな!」だ。 
 つい先日のこと。同じ本を二度買ってしまった。「原発社会からの離脱」(宮台真司×飯田哲也 講談社現代新書)である。まったく同じ本だ。昨年7月に読んでいた。前回の二度買いは09年8月、塩野七生著「ローマ学」。こちらは装丁がちがっていたから、今度の方が事態は深刻だともいえる。しかし、序文3行で判った。前回は5分の1まで読んでの発覚だったから、より軽微だともいえる。本屋で友達にせかされて、慌てて手にしたのがいけなかった。内容を確かめる時間がなかった。だからだ。これが最大の原因だ。そうにちがいない。第一、書名を一々覚えてはいない。昨年、原発関連はかなり読んだ。だから、紛らわしいのだ。本屋も同じだし、文句は言っても相当貢いでいるクライアントのはずだ。二度買いをチェックするぐらいのシステムは整えてほしいものだ。あ~~、腹も減っていた。思考力が落ちていた。それに……。ん~~、寒かった。寒い時は買い間違えると昔から言うではないか……、言わないか!? 
 言い訳も過ぎると泥沼に嵌まる。嵌まりついでに、理屈の通らないことに小理屈を嵌め込んでみたい(八つ当たりではない)。
 「社会保障と税の一体改革」である。そもそも、これはおかしい。社会保障とは年金、医療、介護である。三つとも「保険」の二文字が付く。つまり公営であろうが民間保険であろうが、本質は保険である。「保障」の語句と語感に惑わされてはいけない。「保障」には保護を権利として当然視する意味合いがこもる。憲法25条を根拠とするゆえか。受動的だ。しかし積み立てて備えるのが保険である。賦課方式であろうとも、保険に変わりはない。強制加入でも、自己負担が保険の核心にある。意志的で能動的だ。保険は掛けるが、保障は掛けるとは言わない。保障はする、受けるだ。つまり憲法が掲げる社会保障の理念を達成するために、保険方式が採られている。社会保障とは保険である。これが大前提だ。ここを押さえないで枝葉の議論をしてもはじまらない。どころか、木を見て森を見ざるハメになる。目眩ましにかかって、大きな落とし穴に嵌まってしまう。
 本来保険料で賄われるべき保険と、税とをなぜリンクさせるのか。これが大穴だ。保険料を財源とする社会保障と一般会計の財源である税収とを、なぜ同列に論じるのか。もちろん、これはそもそも論である。迷ったら原点。こんがらがったら、そもそもに戻るに如くはない。
 100数兆に上る社会保障財源の約3割はすでに公費負担となっている。だから一体だ、との声もある。これが曲者だ。公費の投入は補填であって、別の財布だからこそ補いうめるのではないか。別々のものを「一体」に見せようとするトリックに翻弄されてはならない。親が成人している子に金を融通する。これではいけないと、財布を一緒にする親バカがいるだろうか。両方がそれぞれに自立できる方策を考えるのが真っ当ではないか。『社会保障と税の個別改革』である。
 本来取り組むべきは税構造自体の改革だ。所得や資産の捕捉、再分配の適正化、徴税の向上などのはずだ。だから、「財政と税の一体改革」という問題の立て方なら解る。その文脈から消費増税が出てくるなら料簡しよう。ところが件の「一体改革」は違う。本筋の困難を避けて、手っ取り早く税収を上げたい財務官僚に洗脳され籠絡された首相(ちなみに、前・現首相ともに前職は財務大臣であった)が打ち上げた愚策ではないか。いや奇策、詭計ではないか。社会保障を錦の御旗に増税を狙う悪巧みではないか。ましてや消費税を社会保障目的税にするなどとは、空いた口が塞がらない。そんな国はどこにもない。消費税は税収の安定性ゆえに、特定財源ではなく一般財源にこそすべきではないか。子供だましにもほどがある。
 といえば荒っぽい理屈に聞こえようが、彫刻だっていきなり小刀はなかろう。まずは大鉈からだ。細々(コマゴマ)とした論議は、その後だ。それが順序というものだろう。
 ちなみに、前首相はTPPは「第三の開国」だと宣うた。今まで何度か取り上げたように、実は「第二の鎖国」である。家光以来、再び国を閉ざす蛮行である。元首相の「最低でも県外」もそうだが、尻軽のお調子者がM党の悲しいDNAか。今やすっかり、現首相は『増税ファンダメンタリズム』の信奉者である。「ネバー、ネバー、ギブアップ」だそうだが、向かう相手をまちがえてはいないか。
 政府が打ち上げ、マスコミが囃す。皆の衆(シ)もなんとなくそんな気になり、終(ツイ)にはすっかりその気になる。裏でほくそ笑んでいるのは霞ヶ関の連中だ。桑原、桑原。「ま~た、やっちまったな!」はごめんだ。
 もう一つある。年末のどさくさに紛れて、政府は武器輸出三原則の緩和を決定した。これは聞き捨ても、見過ごしもできない。こんな姑息な火事場泥棒は、断じて捨て置けない。国是ともいうべき原則の卑劣ななし崩しを見逃していい道理はない。さすれば、『本の二度買い』は貴重な教訓である。原則は何度でも確かめねばならぬ。健忘は世の常だ。あったことさえ忘れてしまえば、「ま~た、やっちまったな!」では済まなくなる。 □


500回記念 我田引『稿』

2012年01月14日 | エッセー

 本稿で500回を数える。笹の葉に鈴と嗤われるかもしれない。嗤われついでに、我田引水ならぬ我田引『稿』を赦されたい。自信作を選んでみた。それも10本。億面もない手前味噌、能天気な自画自賛である。再読してみようなどという慈悲深い方はまずいないであろうが、投稿の日付を記すのは死ぬほど暇な時の便宜のためである。(投稿順に並べた)

【野球 大発見】 06年3月28日
 「野球は将棋である!」という持論を開陳した。腰だめの計算だが、正味のプレー時間は3割に満たない。競技時間のほとんどが「読み」に費やされるという極めて特異なスポーツである。だから野球はスポーツにおける将棋であると、随分捻った野球文化論であった。


【キケンな本】 06年8月24日
 知己に紹介された浅田次郎作品「勇気凛凛ルリの色」。七転八倒の『笑苦』に苛まれた。以後、囚われの身となる。希代のストーリー・テラー。群を抜く卓越した『言葉使い』(猛獣使いの「使い」と同義)。物書きの大志を抱いて後、苦節、屈折30年。遅咲きの大輪の華。昨年、ついに日本ペンクラブ会長にまで昇り詰めた。『ノベリスト・ドリーム』の体現者ではないか。
 爾来万度(バンタビ)、本ブログで作品を使わせていただいている。まことに得難き作家である。
 

【秋、祭りのあと】 06年9月30日
 ブログ・タイトルに借用しているように、吉田拓郎は本ブログの主旋律だ。別けても“つま恋2006”は闘病後のクライマックスであった。いま読み返して、無い力を必死に振り絞って書き記そうとした健気さだけは感じ取れる。
 あんな『祭り』は、そこいらのアーティストが逆立ちしたってできやしない。一度の大花火ではない。31星霜を経て、再び夜空を百花繚乱で焦がしてみせる。その歴史に遭遇しただけでも幸せだ。


【「おかずを思う」か?】 06年11月30日  
 現代の「ことば」事情についてはずっと考え、幾度となく書いてきた。特に「思う」の多用。この言葉を筆頭に、多義性の高い言葉の乱用が日本語を細らせるのではないか。犬の遠吠えではあるが、時代の流れに抗っている。このブログでも、引用文以外では一度も使ったことがない。もう、意地だ。


【奇想、天外へ!】 07年2月28日
 原発はトイレなきマンションだ。核廃棄物をロケットに載せて宇宙の果てへ──まさに奇想天外である。ところが実際にアメリカで検討されたものの、技術的問題で立ち消えになっていた。そのことは昨年の本ブログで紹介した。しかし、この奇想を提起した狙いはそこではない。実現性を問うよりも、発想を阻害しているものに迫りたいのだ。宇宙的倫理観とでもいうべきものがあるのかどうか。
 かつてすべてを最終処分した大海のように、核廃棄物を宇宙の藻屑にはできないか。そう命題を措定した場合、どう答えるのか。そこを探ろうとしたのだ。
 核廃棄物の処理は“3.11”以来、いよいよ切迫しつつある。


【囚人の記 1~3】 08年1月29日~3月13日    
 生まれてはじめての入院、手術。三途の川を渡り損ねた顛末である。再読するに、なんとも身につまされる。当たり前か。


【一億総バカ化?!】 09年1月19日
 お笑い芸人の跳梁跋扈については何度も触れてきた。辟易を通り越し、義憤をも過ぎて、もはや諦念を抱くまでに至った。
 お笑いで名を売ることが、歌手、コメンテーター、司会、俳優や映画監督、さらには政治家の登竜門になっている。その現況を憂えた。もちろん、職業に貴賎はない。しかし、立ち位置はあろう。節操のない自由は社会の限りない退嬰を映している、といえなくもない。少なくとも、本物が消えつつあるのは事実だ。


【まぼろしか。】 09年5月17日   
 三木露風の「赤蜻蛉」。この童謡の定番に、分不相応な解析を試みた。2番の歌詞「まぼろしか」に拘ったのだ。1、3、4番の明晰な終わり方に比して、なぜ「幻影」なのか。そこに疑問を抱いたのだ。
 大根を政宗で切るようとはいうが、大樹を竹光で切ろうとするようなものだ。擦り傷ぐらいはついたかもしれない。


【私的演歌考】 10年8月31日 
 歌を演ずるのが演歌。女王・美空ひばりが呼ぶ感動は、巫女の憑依に応ずる群衆の共振ではなかったか……。
 加えて、昨年5月23日日付「ラジオじゃダメだよ」ではものまね芸に言及した。コロッケは芸だが、青木某は特技でしかない、と。これに類する稿は結構多い。いずれにせよ、「私的」芸能論である。
 

【町の衆(シ)も悪い】 11年3月10日 
 “3.11”の前日であった。偶然の一致だが、後の展開はタイトル通りだった。鶴亀鶴亀だ。
 選ぶ、つまりは選挙制度については、政治のあり方の主要テーマとして長く考えてきた。本ブログでも、幾度となく愚考を綴った。なんと、朝日が昨年12月から「カオスの淵源──壊れる民主主義」と題する特集を掲載し始めた。斬新な切り口で興味深い内容だ。期せずして問題意識が一致した。先見の明と自惚れるつもりはないが、議員定数の削減などという目眩ましよりは喫緊で重い課題だ。


 石の上にも3年という。その伝なら、倍の間座りつづけている。虚仮も一心ともいう。いかな駄文でも500回も続ければ、少しは様になるだろう。お付き合いいただいている皆さまに深謝したい。大きな節の記念に、今稿は干上がりそうな我が田に水を引いてみた。他愛のない戯れ事とお見逃し願いたい。
 死して後已むなどと高言はできないが、団塊の世代の、その欠片の与太話を引き続きお聞きいただければ、幸甚、幸甚。 □


AKIRA

2012年01月12日 | エッセー

AKIRA(作詞・作曲 吉田拓郎)
  〽夕焼けに向かって走って行く あいつの姿が忘られぬ
   カッコ悪い事が大嫌いで 自分に信念をもっていた
   えらい大人になんかなりたくない 強い男をめざすと言い切った
   その時AKIRAの頼りがいのある 背中でいなずまが光った
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下で かげろうが ゆれている

   どこへ行くのもあいつが守ってくれる ひっこみ思案の僕が変わる
   時々サイフからくすねられても 友情のあかしと言う事になる
   AKIRAはYOKOが好きらしい YOKOは頭の悪いやつがキライ
   しょせん女は愚かだと呟いて トイレで悩んでいる姿を見た
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下を 風が吹いている

   AKIRAは男の中の男 だからオチンチンも大きくてかっこいい
   でもある日皆で見せっこをしたら JOEの方が大きくなってしまった
   JOEはYOKOのヒモだとの噂 どうやら二人は出来てるみたいで
   AKIRAはふてくされて百日咳になる オチンチンもますますしぼんでいく
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下で かげろうがゆれている

   お父さんは何をスル人なんだろう 陽にやけた広いおでこがこわい
   謎にみちたAKIRAんちの家族 大きなオッパイの姉さんも気にかかる
   あいつは姉さんともお風呂に入るらしい 僕が「変だよ」と言うと
   「オヤジと入るお前が変なんだ」と 言われて何となく納得できた
      いつまでも 友達でいよう
      大きくなっても 親友でいよう
       シュロの木の下を 風が吹いている

   弱虫な僕をかばって 
    AKIRAがいつも身がわりになる
   倒されて にらみつけると 
    YUJIROの映画のようだった
   来年は僕等も小学生になる 
     でも 同じ学校へは行かないだろう
   「俺はもっと男をみがくから 
     お前は勉強にはげめ」と言われた

   尊敬するAKIRAとも お別れだ 
    自信は無いけど 一人でやってみよう
   夕陽に向かって走って行く 
    あいつの姿を忘れない

   生きて行く事に とまどう時 
    夢に破れ さすらう時
   明日を照らす 灯りが欲しい時 
    信じる事を また始める時
   
       AKIRAがついているさ AKIRAはそこにいるさ
          シュロの木は今も 風にゆれている
          シュロの木は今も 風にゆれている〽

 この曲は無性に泣ける。ノスタルジーで胸がいっぱいになる。昭和の原風景で満たされる。映画「三丁目の夕日」の世界だ。いや、もっと強く琴線を掻き毟る。音楽の力にちがいない。
 93年の作品である。昭和が終わって5年、今から19年も前になる。7分もの大曲だ。数多の高名な曲の群れに埋もれてはいるが、隠れた名曲である。NHKでのスタジオ・ライブを収録したアルバム“TRAVELLIN’MAN”の一曲である。作詞は拓郎。自身の手になる歌詞で、最高峰といって過言ではなかろう。
 それにしても、不思議な曲だ。
 就学を前にした子どもが「えらい大人になんかなりたくない」と言って、「男をみがく」だろうか。「頭の悪いやつがキライ」と振られて、「しょせん女は愚かだと呟いて」悩むだろうか。
  ここには巧みなテンスのトリックがある。長じた「僕」が幼き日々に還っている。今、いや今だからこそ、かつての事どもに輪郭と意味を与えようとしているのだ。なぜか? 
  夢破れ、流離い、そしてまた明日へ向かうために
  記憶の齣の連なりに、今の「僕」が息を吹き込みもう一度辿ってみる
  ──あのころと同じように
    AKIRAはついていてくれるだろうか
    YUJIROの映画のように
    身がわりになってくれるだろうか──
  現身(ウツシミ)があの日に還る術はない
    でもAKIRAは「僕」の中に、確かにいる
  シュロの木に時間が凝(コゴ)っているように
   
 これは典型的な「男唄」だ。かつて少年の世界には、それぞれにAKIRAが必ずいた。戦後が終わり昭和が熟すころ、彼らは人知れず姿を消した。だから追憶の詩(ウタ)だ。しかし湿っぽくはない。棕櫚の木(コ)の下を吹き抜けるのは、陽炎を揺する南の、乾いた風だ。だから有り余るほどの郷愁を運んできても、哀しくはない。無性に泣いたあと、「また始め」られる。
 「僕」が担うテンスの仕掛け、最終段での微かなそれの傾ぎ、そしてシュロの木が象る時の不変。今様をスライドさせたローマ字表記の妙。旭、錠、裕二郎を連想させるそれら。夕陽に向かうお定まりの情景。その通俗性は『原風景』の象徴か。……巧まざる意匠が、『不思議な曲』を創った。 □


「名もなき毒」

2012年01月10日 | エッセー

〓〓世界は毒に満ちている。かくも無力で、守るべき者を持った私たちの中にさえ。
 今多コンツェルンの広報室では、ひとりのアルバイトを雇った。編集経験があると自称して採用された原田いずみは、しかし、質の悪いトラブルメーカーだった。
 解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、極端なまでの経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。
 折しも、街では連続して起こった、無差別と思しき毒殺事件が多くの注目を集めていた……。
 人間の心の陥穽を、圧倒的な筆致で描ききった、現代ミステリーの最高峰!〓〓
 というキャッチ・コピーと、第41回吉川英治文学賞受賞の折り紙につられて読んでみた。

  宮部みゆき著「名もなき毒」 06年 幻冬舎

 昨年12月に文庫化(文春文庫)された。(もちろん)読んだのはこちらの方だ。早速、朝日の本年最初のベスト10にランクインしている。
 3部作の2作目だが、初めの「誰か」は読んでいない。第3部は現在進行中らしい。おそらく単体としても充分な作品であろう。
 買ったのは昨年の大晦日。オウムの平田 信容疑者の出頭、逮捕がその日に報じられ、書名とのメタファーじみた偶会に驚いた。
 杉村三郎が原田(ゲンダ)いずみに振り回されたように、読者もいずみに振り回される。少なくとも私の場合はそうだった。「無差別連続毒殺事件」の謎解きは、いずみという変化球に翻弄される。それは作者の狙った物語の膨らみでもあったのだろうが。
 「圧倒的な筆致」はともあれ、軽快で闊達な筆致ではある。読者をして一気に読ませてしまう吸引力は見事というほかない。間断なくヤマがつづき、展開は意表を突く。
 「名もなき」とは何だろう。「毒」の正体は青酸カリだとすぐに知れるのだから、毒の謂ではない。きっと犯意と犯状を表徴する言葉ではないか。コピーが詠う「無力で、守るべき者を持った私たちの中にさえ」が、その真意にちがいなかろう。「名もなき」とは決してマイノリティーではなく、マジョリティーが原義だ。ならば犯意から視れば無差別つまりは未必の故意であろうし、犯状でいうなら「世界は毒に満ちている」ことになる。
 私立探偵が、いずみについて杉山に語る。

「たいていの人間は、自分の素性を偽ったりはしない」
 わたしの名刺に目を落として、彼は言った。
「我々はみんなそう思い込んでいます。そんなことをするのは詐欺師とその同類のみだ。普通の人間ならけっしてしない。でも現実には、普通の人間が普通の顔でそういうことをする場合があるんです」
「原田さんの場合は──少々きつい言い方になりますが、普通とは言えません」
「いいえ、普通です。もっとも普通の、正直な若い女性ですよ。正直すぎると言ってもいいくらいです」

 ここがこの作品の核心部分にちがいなかろう。誰もがもつ毒と、誰もが侵される毒。その両義を託したのが「名もなき」ではないか。では「毒」とは何か。宮部ワールドに歩み込むに如くはない。
 さて、『メタファーじみた偶会』についてだ。「松本サリン」が94年、「地下鉄サリン」が95年。この小説が世に出る11年、12年も前だ。しかし、本著では一言も語られてはいない(時代設定はまさに06年当時である)。法的にも渦中であるし、さまざまな視点からの分析もいまだ只中にあったはずだ。なのに、「サ」の字もないのはどうしたことか。もちろん「現代ミステリーの最高峰」でないとはいわない。だが『偶会』がすれ違いに終わってしまったような、ごく軽い虚脱感が残った。
 事実は小説よりも奇なりである。「サリン事件」こそ『名もなき毒』のシンボルである。ドキュメンタリーならまだしも、同類の小説を書いたところで事実の圧倒的膂力に適いはしない。踏み拉かれるに決まっている。
 「普通の人間が普通の顔でそういうことをする場合」がオウムであったのだから、先述の『両義』は十全に満たしている。ただ違いがあるとすれば、目的の有無ではないか。教団の掲げる世紀末思想の自演か、捜査への目眩まし、陽動作戦か。いずれにせよ、テロだ。明らかな犯意があり、確たる狙いがあった。しかし、この小説の犯人たち(2件を除き)にはそれがない。それさえもない。恐怖はオウムを超えたといえなくもない。『偶会』は早とちりで、『虚脱』はこちらの新旧の「毒」への理解不足が呼んだのではなかったか。
 「名もなき」ほどのマジョリティーへと拡散した「毒」。ミステリーが色褪せるほどに毒の回った現代。作者はその黒々とした病理の闇に分け入ろうとしたのではないか。
 大団円は見事である。歌が流れ、晴れやかに終わる。「丘を越えて」歩き続ける。──暗闇に一点の灯りをともすことを、決して忘れない。これがこの作家の真骨頂ではないか。 □


“断捨離” と “ときめき”

2012年01月07日 | エッセー

 『ダンシャリ』というから、新手の占いだろう。『“ときめく”片づけ』だから、恋愛相談か。はじめのうちはそんな風に聞いていた。ところが、大まちがい。整理術、片づけ術であった。術どころか、人生論にまで行き着くらしい。むっくりと好奇のムシが疼いて、昨年末から2、3読んでみた。
 実をいうと、私は整理マニアだ。数十年前から「葉隠」を気取って、「片づけとは捨てることと見つけたり」などと揚言してきた。モノではなく知的な片づけでは、「『超』整理法」の第一期生ともいうべき忠実な実践者である。モノでも同じで、散らかっていると落ち着かないどころか、怒りを覚える。とにかく、やたら捨てる。捨てては、後で捜し回る。時には常識、良識も捨てる。ために、顰蹙を買う。
 ところが荊妻は逆だ。根が吝嗇なのであろうか。散らかそうという悪意はないものの(たぶん)、片づけようという善意もない(きっと)。よって、「捨てろ! 捨てろ!」の連呼となる。ついに強制執行に及ぶ寸前で、やっと重い腰が上がる。ずいぶん昔だが、一度にまとめて大量に捨てさせたことがあった。100円ショップの荒物、バザーで買ってきた什器、食器の類い。それに明らかに引き出物とおぼしき掃除機、死蔵されていたにちがいない土鍋などなど。要るからではなく、安いから買ったそうだ。わがセオリーに楯突く背信的行為である。ともあれ、そのようなジャンクをごっそりお捨て願った。ところがどっこい。数日後、隣接する物置に行って腰を抜かした。捨てたはずのモノがすべてそこにあったのだ! もう、宣戦布告である。戦闘は数日に及び、わが方が辛勝を得たものの、戦後処理は長きにわたった。まことに平和は得難いものである。
 
 まずは『ダンシャリ』だ。やました ひでこ女史のベストセラー「新・片づけ術 断捨離」でフィーバーした。ヨガの行法である「断行・捨行・離行」を日常生活に適用し、片づけ術へと仕上げた。
〓〓断とは、入り込んで来るモノを絞り込むこと。
   捨とは、不要なモノを手放すこと。
  離とは、モノへの執着から離れて自由になること。〓〓
 と説く。自分とモノとの関係を問い直し、人生を発見しようと訴える。それが身体の調和をもたらし、人間関係をも変えていくと。
 やました女史は01年よりクラター・コンサルタントとして全国各地を行脚し、「断捨離セミナー」を展開してきた。各界、各年代層から熱烈な支持を受けている。 標語風には、「きっぱり『断』つ! さっぱり『捨』てる! すっきり『離』れる!」となる。もちろん卓抜した技術的なノウハウもあるが、『ダンシャリ』という語感のよさが呼び水となったにちがいない。
 一方、「“ときめく”片づけ法」は「片づけオタク、片づけのプロ」を自任する近藤 麻理恵女史が創始者だ。15歳から本格的に片づけを研究してきたという女傑である(見かけはまったくちがう)。「一度片づけたら、絶対に元に戻らない方法」と豪語する。
 大枠は「断捨離」に似ているが、なんといっても『ときめき』がキーワードである。家庭科教育での「片づけ」の軽視を糾弾し、「片づけはマインドが9割」と説く。触った瞬間に「ときめき」を感じるかどうかが、捨てるか否かの見極めどこだと力説する。さらに「場所別」ではなく「モノ別」、毎日ではなく「片づけはお祭り」などなど、意表を突く「魔法」を連発する。たんびに目から鱗だ。そして、完璧な片づけで人生がときめくと誘(イザナ)う。
 「断捨離」よりも後発ではあるが、今や双璧をなす。「ときめかなくなったモノを捨てる。それはそのモノにとっての新しい門出。だから祝福してあげてください」などと諭されると、フェティシズムの臭気を感じなくもない。だが個人的な嗜好でいえば、こちらの方に引かれる。なにせ斬り口が鮮烈だ。『好奇のムシ』が喜ぶ、喜ぶ。

 喜んでばかりはいられない。そもそも捨てざるを得ないほどに、なぜモノが溢れるのか。「断捨離」の背後にあるモノ余り社会はこのままでいいのか。本当に「断捨離」すべきは、この社会のあり様(ヨウ)そのものではないのか。
 かつても引いたが、養老孟司氏の忘れられない言葉がある。
「部屋の掃除をしてキレイになっても、掃除機の中はゴミだらけ」
 なにも件の双璧に冷や水をぶっかけるつもりはない。「掃除機」をわれらが住まう地球に置き換えれば、塵ひとつここから掃き出せはしない。そのような現実に、想が跳んだまでだ。 □


大きな知性

2012年01月06日 | エッセー

 ほぼ1年前だ。本ブログで、生物地理学者ジャレド・ダイアモンド博士の著作「銃・病原菌・鉄」を取り上げた(昨年1月15日「頭の中は灰神楽」)。大きな知性の人だ。歴史を鷲掴みにしてみせる、とてつもない大きさに私は圧倒された。
 その博士が朝日新聞の年頭インタビュー(3日付)に登場した。タイトルは【文明崩壊への警告】だが、【社会と結婚生活 存続の秘訣は同じ「現実的である」】というサブタイトルがなんとも意表を突いて興味を引いた。抜き書きしてみる。

 博士は、地球は孤立した島だという。

「イースター島は太平洋のなかで完全に孤立し、ほかからの助けを求められなかった。人間がイースター島に住み始めた9世紀ごろ、島は亜熱帯性雨林におおわれていました。その後、18世紀にヨーロッパ人が訪れた時、高さ3メートルを超える木は残っていませんでした。燃料や巨石像を運ぶ資材にするため、すべて切り倒されたのです。海鳥以外の鳥類もとりすぎて絶滅しました。農地も失われ、人々は飢えました。木がないため島から逃げ出すカヌーをつくることもできず、争いあい自滅した。崩壊の末期には人肉食が横行していた証拠もあります。現代の私たちも、地球という孤立した島に住んでいる。地球環境を台無しにしてしまっても、別の星に移り住むことはできないのです」

 地球の有限性が突き付けられたのが20世紀後半から今世紀にかけてだ。「孤島」とはその謂である。モアイ像は櫛比する摩天楼が象徴する現代文明であるといえるし、カニバリズムの猖獗は差別問題の究極的メタファーともいえる。「別の星に移り住むこと」の不可能はイースター島からの脱出よりも確固としたものだ。
 博士は、地球という孤島はいま12の問題を抱えると指摘する。

「いまの文明の環境・人口問題は12に分類できます。自然破壊、漁業資源の枯渇、種の多様性喪失、土壌浸食、化石燃料の枯渇、水不足、光合成で得られるエネルギーの限界、化学物質汚染、外来種の被害、地球温暖化、人口増、1人あたり消費エネルギーの増加です。そのひとつでも対策に失敗すれば、50年以内に現代の文明全体が崩壊の危機に陥るでしょう。火のついた導火線つき爆弾を12個抱えているようなものです」

 すでに「火のついた導火線つき爆弾」とは絶妙で、深刻な表現だ。はたして爆弾から導火線は切り離せるか。

「多くの人は科学技術のよい面ばかり見て、それが予期せぬ悪い影響をもたらすことを考えません。私の大学時代の先生は20世紀はじめ、米国に自動車が登場した頃のことを覚えていました。路上の馬ふんや蹄鉄の騒音から解放された人々は『自動車のおかげで町はきれいで静かになった』と喜んだそうです。大気汚染や二酸化炭素の問題は想像もできなかった。今後開発される技術も、予期せぬ問題を引き起こすでしょう」

 前世紀初頭、自動車登場を歓迎した米国人を能天気とは笑えまい。原発は見事に踵を接している。人為である以上、「予期せぬ問題」は必ず起こる。完璧なクリーン技術なぞないと腹を括るべきだ。太陽光発電も一国でスケールメリットが効くほどになれば、「予期せぬ問題」が鎌首をもたげるにちがいない。地球規模のいたちごっこだ。ならば、どうする? そこで、前記のサブタイトルとなる。

「社会を存続させる秘訣は、結婚生活を続ける秘訣と同じ。『現実的であれ』ということです。結婚生活を続けるには、夫婦の間のあらゆる問題で合意や妥協が必要です」

 「現実的であれ」とはつまり、養老孟司氏の言う「折り合いをつける」と同義ではないか。このあたりが『大きな知性』たる所以だ。さらに大鉈はうなりを上げる。

「私たちは、いま、直面している問題が最悪の問題と思いがちです。一度にたくさんの人が死亡する可能性のある事故、人間の力ではコントロールできないと感じる事故について、人々はリスクを過大評価しがちです。日本をおそった地震と津波は確かに大惨事でしたが、長期的にはずっと多くの人々が、交通事故、たばこ、お酒、塩分の取りすぎが原因で死亡しています」

 したがって、

「けっして福島の悲劇を軽んじるつもりはありませんが、原発事故もまた『リスクが過大評価されがちな事故』の典型例です。原子力のかかえる問題は、石油や石炭を使い続けることで起きる問題に比べれば小さい、と考えるからです」

 と原発の継続的使用も支持しつつ、タイトルにある「警告」の核心へと繋がる。

「放射性廃棄物は地下深くに封じこめられますが、放出された二酸化炭素は200年間は大気中にとどまるのです。いま一度、『現実的になろう』と言わせてください。原発事故や地震で、文明が続く可能性がそこなわれることはありませんが、二酸化炭素は現代文明の行く末を左右しかねない問題なのです」

 「二酸化炭素」にはにわかに同意しかねるが、『大きな知性』の快刀が乱麻のごとき問題群を捌くさまはまことに爽快だ。

 締めくくりに博士は「最善のシナリオ」を提唱する。

「最善のシナリオは持続可能な道です。先進国の人々が資源やエネルギーの消費を落とす一方で、途上国の人々は消費水準を上げ、両方をバランスさせることです。そうすれば、テロや難民の問題もおさまっていくでしょう。『それは果たして現実的か』と問う人もいるでしょう。それへの私の答えは、ほかの選択肢はないということです」

 「ほかの選択肢はない」からこそ「現実的」だという。決してこれはトートロジーでも、レトリックでもなかろう。現実性への懐疑は、『大きな知性』が捉える危機感に平凡な知性が追いつけないだけだ。とかくに安っぽい楽観と俗っぽい絶望を売り物にするのは偏狭な知性だ。歴史の混沌は『大きな知性』が剔抉するほかはあるまい。 □