伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

オバマ来日 2つのイシュー

2016年05月27日 | エッセー

 1つ目のイシューは、沖縄で起こった米軍関係者による死体遺棄事件だ。25日深更には異例の首脳会談まで行って即応の体(テイ)は取ったものの、とどのつまりは「断固抗議」と「深い遺憾の意」に終始した。核心の地位協定にはついに踏み込まず仕舞だった。穿てば、サンクチュアリゆえにこそ打った猿芝居だったといえなくもない。なぜか、わけは以下の通りだ。
▽憲法・条約・国内法の関係は、上位法から下位法へ<憲法 → 条約 → 国内法>と並ぶ。これは憲法98条「1.この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」に基づく。だが<条約 → 国内法>については意外ではあるが、同条「2.日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」に照らして法的に是とされる。ところが、アメリカとの関係になると、<安保を中心としたアメリカとの条約群(上位法) → 憲法を含む国内法(下位法)>と逆転する。▽(今月1日の拙稿「2つのムラ」で、矢部宏治氏の論攷をまとめた部分を引用)
 日米地位協定は当然、「アメリカとの条約群」に含まれる。つまりは白井 聡氏のいう「永続敗戦レジーム」、もっとぶっちゃければ対米従属構造が白日の下に晒され露わになる前に煙幕を張ったといえる。さらに遠慮会釈なくいうとすれば、憲法さえ捻伏せる“最強”の安倍首相といえどもアメリカには頭が上がらない実態が見えてしまうからだ。イコールパートナーなぞとは大嘘で、主従関係でしかない正体がバレてしまう。条件闘争はできても対等にはなれず、下克上以外逆転もできないのが主従の関係だ。国内でありながら自国の法令が適用されず治外法権や特権が保証される協定の、どこがイコールといえるのか。そのような戦後の支配構造は牢固として揺るがない。実に驚くべきことに、日米地位協定はこの56年間運用の改善はあっても一言一句条文に変更は加えられていない。本土復帰からの約40年間だけでも米軍関係の刑法犯罪は6千件にも及ぶというのに。
 正確に捉えれば、今回の事件は地位協定の対象外であった(もし米軍基地内に逃げ込んでいれば事態はまるっきり違っていた)。しかし単なる旅行者の犯罪ではない。沖縄の特殊性に起因することは明らかであり、その典型として地位協定はある。だから怒りがそこへ向くのは道理だ。
 ちなみに同じ敗戦国でもドイツ、イタリアでは冷戦後、大使館敷地外の管轄権については取り戻している。独伊に米軍の特権はない。しかるに本邦は依然として敗戦当時のままだ。そういう哀れな臣従の実相には蓋をしておきたい。だから案の定、「断固抗議」と「深い遺憾の意」というお決まりのスクリプトで幕は下ろされた。

 2つ目のイシューは、広島訪問についてだ。注目したのは2つのニュースだった。
<日本軍捕虜の元米兵、広島へ オバマ氏の訪問に同行
 第2次世界大戦で旧日本軍の捕虜となった元米兵が、オバマ米大統領の広島訪問に同行することになった。元捕虜らは、「日本軍からひどい仕打ちを受けた生存者として、太平洋での戦争を始めた責任が誰にあり、なぜ戦われたのか、触れてほしい」とオバマ氏に求める手紙に署名した。「大統領としての職務は分かるが、謝罪すべきではない」 「原爆の使用は、戦争を終わらせるための行動だった」と語っていた。「指導者たちは時に、将来に向きすぎてしまう。悲惨な戦争の双方に被害者がいたことを記憶する必要がある」と話す。>(5月23日付朝日新聞から要約)
 ところが直前になって中止された。大統領の訪問にさほどの批判がないと読んだNSC(米国家安全保障会議)がドタキャンした。ひょっとしたら日米合作かもしれない。
 問題は中止ではない。彼らの主張だ。おそらくこれが米国の最大公約数ではないか。原爆投下は必要悪であった。これはアメリカの国是ともいえる。
 片や、もう1つのニュース。
<被爆者に会い、核廃絶の努力見て オリバー・ストーン監督ら、オバマ氏宛て公開書簡送る
 米国のリベラル派の有識者ら74人が23日、オバマ氏に被爆者との面会を求める公開書簡を送った。マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー名誉教授やアメリカン大学のピーター・カズニック教授らが名を連ねている。書簡では、被爆者との面会を切望。「体験談を聞くことは私たちの世界的平和、軍縮活動に比類ない影響をもたらした」とした。また原爆投下の謝罪に加えて、その判断の是非にも言及するよう促した。「アイゼンハワー大統領やマッカーサー元帥らさえ『戦争を終わらせるために必要ではなかった』と言っている」と主張している。>(5月25日付朝日新聞から要約)

 アメリカの知性は、必要悪ではなかったという。国是を超えている。ここだ。核廃絶の論議は詰まるところ「核兵器の非人道性」に収斂する。その先には「核兵器は絶対悪」があるが、まずは非人道性だ。兵器一般が人道に「反」するともいえるが、警察的使用もある。だが、同じ次元で核兵器を捉えてはならないから「非」である。実に驚くべきことに、核兵器を巨大なる爆弾程度にしか認識していない人びとが世界の大半である。放射能について無知なのだ。国連を中心にした啓蒙が俟たれるところだが、元捕虜と有識者の主張には核兵器に対する認識に決定的な乖離がある。元捕虜は戦争の非条理をいうあまり原爆の非条理に蓋をしてしまっている。真っ当な知性はそうではない。自らを相対化すること、時空の軸に己を正確にマッピングすることという知性の矩を外しはしない。やはり知性は時代に先行する。
 オバマの後を追う者、先を行く者。奇しくも2つのニュースが浮き彫りにした。 □