記者 「この場合はセクハラと名乗り出にくい事情があるわけですが」
アッソー君 「こちら側も言われている人の立場も考えないと。福田の人権はなしってわけですか」
ぶら下がりでの遣り取りである。「福田の人権」を分けよう。まず、「人権」から。
2月の拙稿『断簡 憲法』で、【基本的人権──人権、これこそイのイチ(11)番】としたところだ。
〈日本国憲法 第十一条
国民は、公共のすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉
とした上で、
〈日本国憲法 第十二条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。〉
と、「濫用」を禁じている。順序が逆になるが、次に「福田の」はどうか?
彼は紛れもない国家公務員である(当時)。前記の拙稿で【遵守義務──お上をギューギュー(99)に縛る】とした条文を挙げねばなるまい。
〈日本国憲法 第九十九条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。〉
言うまでもないことではあるが、余りにも忘れられがちなので再度確かめたい。
──憲法の名宛人は国家である!
国家というリヴァイアサンを縛る縄であり、封じ込める檻である。だから念押しするように九十九条がある。公務員は「義務を負ふ」ゆえに、職務遂行のため人権が制限されることが予定されているといえる。選挙活動の禁止はその一例だ。
念押しをしよう。「福田の」は「国家公務員の」と同義である。東大出の白髪で中年太りのエロいあの「福田の」おっさんではない。財務トップ官僚である以上、公務員の職務を全うするために人権が制限されるのは自明である。「福田の人権」にはレギュレーションが掛かる。アッソー君には申し訳ないが、この場合「福田の人権はなしってわけ」なのだ。
言い方を変えよう。「福田の」は行政権という権力を行使する側にいる(いた)。これは明々白々だ。権力を行使する側と、その対蹠的立場にある女性記者を同じ「国民」で括るわけにはいかない。反転不能な位階差がある。行使する側にハンデをつけるは当然だ。「基本的人権の享有を妨げられない」ために位階差を埋める必要がある。だから、「福田の人権はなしってわけ」だ。
もう一つ。
記者 「野党から福田氏を官房付に戻して処分してから辞任を認めるべきと」
麻生 「野党は税金で払うべきと言ってんの? 聞いてんだよ。そん時の給料は誰が払うのか。野党が払うの? 税金で払うの? どうして? 常識的なこと聞くようにしたら」
すげぇードジを踏んで、「この情況では職務が全うできない」と言って辞めようとする者に逃げ得をさせていいのかが問われている。もちろん事務次官での辞任なら退職金は莫大な金額になる。後で減額があるかもしれぬが、それでは国民感情にそぐわないでしょ、ということだ。逃げ得を問題にしているのに、金の出所にすり替える。こういうのをチンピラのツッコミという。
レジに長蛇の列。気を利かした人が通路用に少し間隔を開けた。そこに若けーあんちゃんがすっと入る。注意すると「空いていたから入ったんだ。なにが悪い!」とくる。列ができていれば最後尾にという「常識的なこと」を度外視して、隙間があるかどうかの局所的な問題にすり替える。アッソー君と同レベルだ。ボルサリーノかなにかの帽子を目深に被り政界のボスを気取ってはみても、中身は薄っぺらなそこいらのチンピラと変わりはない。事の真偽はいざ知らず、いや、ならばこそ逃げ得は汚ったねぇーなという庶民目線を「常識的なこと」という。常識は世の圧倒的多数にある。霞ヶ関の「常識的なこと」なぞ誰も訊いてはいない。繰り返しになるが、「アッソー君、それはちがう」と申し上げたい。 □
「自分のペッチャン(度胸)とこんなに合う人間は初めてだ」と大いに持ち上げ歓待し、会談は3、4回に及んだという。金正恩の「度胸とこんなに合う」が直訳的にはよく判らないまでも、相性がよかったことは察しがつく。
マイク・ポンペオ。第24代CIA長官である。55歳。先月トランプから国務長官に指名され、近々どうにか議会の承認が得られる模様だ。名うてのコンサバティブである。水責めの拷問を認め、すべての中絶に反対、オバマ・ケアにも銃規制にも反対だ。北朝鮮やイランには政権の交代を訴え強硬路線を採ってきた。その彼が北朝鮮を極秘訪問し、米朝会談の段取りをつけてきたのだ。今もCIAメンバーが彼の地に入り調整を続けているという。
国務省ではなく、諜報機関が矢面に立つ。忍者が表舞台で立ち回りを演ずるようなものだ。奇妙な違和感が拭えない。
CIA(米中央情報局)は1947年、大統領直属の機関として第33代大統領ハリー・トルーマンにより組織された。前身である1942年に設立されたOSS(戦略事務局)を改組してつくった世界に名立たるインテリジェンスビューローである。親米政権樹立の援助、反米政権打倒の援助、アメリカに敵対する指導者の暗殺、外国軍隊への拷問指導、外国のジャーナリストのスパイ・協力者獲得 、外国の保守政党に選挙資金提供、外国の左派政党の弱体化、外国の与野党に親米政治家を育成、国内外でのスパイ養成などを任務とする。古くは1955年、保守合同を支援し自由民主党の結成に関与。今世紀では03年に大量破壊兵器の存在を過大に主張してイラク戦争開戦へと誘導。10年にはウサーマ・ビン・ラーディンの殺害に係る事前調査。麻薬を使った工作資金の捻出などなど、限りなくダーティーである。
まさか「度胸」はそのダーティーではあるまい。NKにとっては一国の存亡、つまりは“金王朝”という名の『国体』に関わる攻防である。実はこれにはデジャ・ヴュがある。
太平洋戦争終結前の1942年、OSSが動いていた。諜報によるタクティクスばかりではなく、“Office of Strategic Services”の名にふさわしく戦後のストラテジーを練り上げていった。それは天皇制を存続させ円滑な対日政策に役立てようとする戦略であった。ルース・ベネディクトの『菊と刀』はOSSへのレポートを底本にしたそうだ。時間をかけ、それほど深く研究し議論を繰り返していった。結果、天皇の戦争責任は不問とし象徴天皇制として国体を存続させるとの大枠がつくられたのだ。インテリジェンスビューローでなければなし得ないミッションである。デジャ・ヴュとはそのことだ。
もう一点。内田 樹氏の『街場のアメリカ論』の中に極めて示唆的な論攷がある。以下、抄録。
〈スーパーヒーロー物語は、ある設定を共有しています。それは「理解されない」ということです。クラーク・ケント(スーパーマン)もブルース・ウェイン(バットマン)もピーター・パーカー(スパイダーマン)も、そのスーパーな本性を見せることを禁じられ、市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされています。また、スーパーヒーローとして活躍するのだけれど、必ず誤解されてメディアからバッシングを受ける。
これは国際社会の中でのアメリカ人のセルフ・イメージなんじゃないかなと私は思っています。「ならずもの」がいます。「市民」たちは合法的になんとか平和的に「ならずもの」をおとなしくさせようとしますが、もちろん「ならずもの」は全然歯牙にもかけません。「ならずもの」の暴虐が忍耐の限界を超えたところで、やむなく「ヒーロー」が実力行使に出ます。でも、命懸けの闘争で「ならずもの」を倒しても、「市民」たちは感謝のことばを口にするならまだしも、しばしば「ヒーロー」を冷たく追い払います。悪と戦って、傷つきながら勝利を得るのだけれど、彼がそのために命をかけて戦った肝心の「市民」たちは彼に少しも感謝しようとしない。おい、ふざけるなよ。それはオレが血を流して、おまえたちに「与えた」平和じゃないか……。というのがアメリカが国際社会に対して抱いている、本音の不満だと思います。〉
汚れ仕事を引き受けるのに、ひとっつもありがとうとは言ってくれない。“Shit!” アメリカの舌打ちが聞こえてきそうだ。NKはイランとともにトランプから「ならずもの国家」の指定を受けている。そのならずものの懐に飛び込んで汚れ仕事を切り盛りしているのがCIAだ。稿者が抱いた「奇妙な違和感」はその事情への理解の薄さにも起因するのではないか。
「本性」を隠し「市民的な偽装生活を送」りつつ、「暴虐が忍耐の限界を超えたところで」「実力行使に出」る。この場合の実力行使は実地投入の謂であるが、スーパーヒーローを地で行くようなものだ。
NK問題の核心はただひとつ。“金王朝”という名の『国体』の護持だ。NKのすべてのリソースはこの一点に集約されている。裏返すと、国体さえ護持できればあとは末梢的事柄に属す。果たしてポンペオはスーパーヒーローの仲間入りができるか。空飛ぶ怪力か、鉄の鎧か、それとも蜘蛛の糸か。みっつとも外れていそうで、みっつながら当たってなくもない。答えはこれからだ。 □
干支つながりにちがいない。年の3分の1を過ぎて、第5代将軍・徳川綱吉の再評価をあちこちで聞くようになった。本稿では元旦に綱吉をフィーチャーした。
──意外にも「犬公方」の代(ヨ)、
日本の人口シェアは世界一(五%)でした!
人類の二十人に一人が日本人。
マンパワーに溢れていました。
また「生類憐れみの令」と
武器の厳格な管理は
命を慈しみ暴力を防ぎ
徳川三百年の太平を堅固にしました。
綱吉は名君だったと近年再評価されています。
今を生きる私達も後世にしかと遺る
歩みを刻んでいきたいものです。──(『謹賀新年』から)
「生類憐れみの令」は1685年江戸前期・元禄年間、徳川の治世となって80年余から発布が始まった一連のお触れをいう。1本の成文法ではない。その数、16年間で135回に及ぶお触れの総称である。
鉄砲管理による『武器の厳格な管理』を筆頭に、鷹狩禁止・犬愛護令・捨牛馬禁止・鳥獣類保護などの『命を慈し』む動物愛護。対象は猫、魚類、貝類、虫類に広がり、果ては江戸の味、鰻・泥鰌の売買禁止にまで広がった。もちろん、いの一番は人間。当時何のお咎めもなしに平気で行われていた捨て子の禁止・捨て老人の禁止は元より、酒類の製造も禁止された。
「天下の悪法」と呼ばれる。触らぬ神に祟りなし、庶民は犬を遠ざける。自儘になった犬は数を増やし野犬化した。中野には16万坪もの宏大な「御犬囲」と称される犬小屋が造られた。ただ喧伝されるほど処罰は多くはなく、施行24年間で72件に過ぎない。また、番度(バンタビ)のお触れは番度守られなかった裏返しでもある。しかしなぜ、歴代将軍中随一の頭脳と教養の持ち主とされる綱吉が「生類憐れみの令」に拘り続けたのか。そこに歴史のアイロニーがある。
狙いを一括りにいえば、世人のマインドセットを替えパラダイムシフトすることだった。そしてその狙いは的を射、見事成就された。『徳川三百年の太平』、つまり「パクス・トクガワーナ」が何よりの証左である。
綱吉登場から約40年前、夥しい犠牲者を生んだ島原の乱が起こった。人口は激減し、農村は荒廃した。年貢を取ろうにも領民がいない。となると、領する武士が喰えない。復興には膨大なコストを要する。負のスパイラルだ。武家が独占する圧倒的で剥き出しの暴力に疑問符が投げかけられ、民は天からの預かりものとする愛民思想が芽生えた。そのような間合いに綱吉は登場した。徳川の太平のためにはなんとしても戦国の遺風を取り除かねばならない。武家の勃興から約500年間、習い性となった武力第一の蛮風を収めねばならない。
まずは基本法である「武家諸法度」に手を着けた。第一条「文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事」を「文武忠孝を励し、礼儀を正すべき事」と改めた。武威から儀礼、秩序維持へとマインドセットの転換を図った。さらに庶民を巻き込んで仕掛けたのが「生類憐れみの令」であった。歴史家・磯田道史氏は『徳川がつくった先進国日本』(文春文庫)で、こう語る。
〈政治・統治の面でみれば、「殺す支配」から「生かす支配」への転換だったといえるでしょう。生命重視への大転換がまさに綱吉によって図られ、徳川の平和が完成したのです。〉
続けて、
〈島原の乱から綱吉にかけての時代こそ、日本史の中の大きな転換点でした。それはまさに「未開から文明への転換」と言えるかもしれません。日本の国柄や価値観のもっとも大きな変革は、明治維新であったとよく言われますが、ある意味、江戸時代初期に実現したこの変化は、明治維新よりも大きかったと私は考えています。〉(上掲書より)
とオマージュを贈る。『名君だった』所以である。元禄文化も綱吉時代に開花した。絢爛たる町人文化は「生命重視への大転換」を土台としてパラダイムシフトが招来された一象徴であろう。
付記すると、「松の廊下」流血事件で裁きが偏向したのは「礼儀を正すべき事」を喧嘩両成敗原則よりも優先させた結果である。刻下囂しい大相撲の女人禁制も淵源は「生類憐れみの令」に前後して発布された「服忌令(ブッキリョウ)」だとする識者もいる。近親者の死に際して服喪すべき期間を定めたこの法は、死や血を忌避する公家や神道の価値観をその対極で生きてきた武士社会に強制移入したものだ。『命を慈しみ暴力を防』ぐ時代的要請に応えようとした一手だったに相違ない。それが今になって時代とフリクションを起こしている。皮肉なものだ。
さてそれにしても、悪法、暗君の汚名はなぜ生まれたのか。「135回」にカギがありそうだ。
「歴代将軍中随一の頭脳と教養」は江戸城中での頭上指揮を旨とした。上意下達を当為として陣中指揮は思慮の外にあった。現地を見ずに203高地に突撃を繰り返し、累々たる屍の山を積み上げた乃木将軍麾下の参謀に似てなくもない。秀才の視野狭窄とでもいおうか、自分目線でしか他人(ヒト)を見られない。それがパラノイアの如く繰り返された「135回」ではなかったか。挙句、「暗君」のレッテルで溜飲を下げる奇態となったのではあるまいか。加えるに、側近政治。信頼していた大老が刺殺されると、老中を遠ざけ側用人を重用し始める。幕府の意志決定が正規のルートを外れ、忖度を旨とする側近に牛耳られることに。とどのつまりは「裸の王様」に祭り上げられ、痴態を晒すことになった。そんな事情ではなかっただろうか。だにしても、300年余を経て名誉は挽回され汚名は返上されるとは実に幸運なことだ。
老婆心ながら断っておかねばならない。如上の愚考は決して現下における本邦国政のメタファーではない。断じて、ない。すでに人口は不可逆的な減少局面に入っている。『日本の人口シェアは世界一(五%)でした!』なぞ絵空事である。自衛隊に対するシビリアンコントロールの弛みは『武器の厳格な管理』とは逆のベクトルであるし、海外展開などは綱吉にはまったくの無縁であった。『命を慈しみ暴力を防』ごうにも手も足も出ない原発稼働は、性懲りもなくなし崩しに旧に復そうとしている。だから、宰相の唱える「戦後レジームからの脱却」は綱吉が狙ったパラダイムシフトとは似ても似つかない物の怪でしかない。ただ側用人と忖度、裸の王様だけは微かに似ているといえなくもないが。
あくまでも今稿は干支に因んだ人物評である。『今を生きる私達も後世にしかと遺る歩みを刻んでいきたい』との願いから歴史に範を求めたまでだ。 □
コツンと机を叩かれた気がして、教科書を持ってスックと立ち上がった。開いていたページの「天網恢々疎にして漏らさず」が目に飛び込んできた。成句と解説を大きな声で読み、腰を下ろす。一瞬の間があって、教室に哄笑が満ちた。漢文の新米教師はキョトンとしている。指名は勘違いだった。“コツン”はたぶん白河夜船の櫂となった自らの肘がつつっと滑ったのだろう。高校1年、心地よいうたた寝が引き起こした珍事であった。
爾来、「天網は目が粗いようだが、悪人を漏らさず捕らえる。天道は厳正で悪事を働いた者には必ずその報いがある」と訓えるこの老子の箴言は脳裏にこびり付いて離れることはない。
唐突だが、刻下のイシューに移ろう。
「55年体制」下では改憲は封印、もしくはタブーとされていた。80年代には自民党の綱領から削除を求める意見さえあった。
1993年に「55年体制」が崩壊し自民党は単独過半数すら失い政党の合従連衡が続き、改憲はさらに遠のいた。
05年、立党50年を機に自民党が改憲素案を発表。後、政党間で改憲・護憲が鮮明に。
06年9月、小泉内閣を襲って安倍内閣が成立。
07年2月、「年金記録問題」が発覚。
同年5月、「日本国憲法の改正手続に関する法律」(=国民投票法)が成立。
同年7月、「年金記録問題」が禍して自民が参院選で大敗。与野党逆転。「ねじれ国会」に。
同年9月、参院選の敗北、閣僚不祥事、外交の行き詰まり、健康問題で安倍退陣。
09年8月、消費税増税に反対した民主党が衆院選で勝利。自民党は初めて野党転落。
12年9月、安倍が自民党総裁に返り咲き。
同年12月、衆院選で自民党が過半数を大きく超え圧勝、与党復帰。2度目の安倍内閣。
13年7月、参院選で与党が過半数を大きく上回る。改憲論議が具体化へ。
16年7月、参院選で改憲勢力が初めて衆参両院で3分の2に達する。
上記は改憲の動きを軸にした大括りの流れである。そして、
本年9月、総裁3選。年末までに発議、来年国民投票。
を目論んでいる。
戦後政治史の中で改憲を揚言し、駒を動かしたのは安倍政権のみである。それも2度。1度目は改正手続きを決めたところで、「年金記録問題」に足を掬われた。そして2度目は今、森友・加計・自衛隊の「文書問題」が立ちはだかっている。このまま泥沼化すれば今後の目論見はご破算の憂き目に会う。「年金記録問題」は前稿の「書記」に大いに悖る明白な「文書問題」である。1件残らず解決すると大見得は切ったものの、4割に当たる2200万件は今以て未解決のままだ。今度もまた「文書問題」。安倍政権はつくづく「文書」に深い因縁があるらしい。すんでのところで事が潰える。2度目は未だ決したわけではないが、そんな雲行きだ。
悪事は成らず。だから、「天網恢々疎にして漏らさず」である。かの珍事がしきりに甦る。
戦後の歩みを逆転させる改憲が悪事でないはずはなかろう。天網または天道とは何か。310万に及ぶ戦死者の声なき声以外のなにがあろうか。いや、もうひとつある。今を生きる私たちの声だ。敬愛する橋本 治氏が新作『草薙の剣』に関するインタビューでこう語っていた。
〈──執筆して見えてきた日本人像は?
「終戦の場面を書いて思った。当事者意識がなく、食糧難などの被害者になってやっと怒り出す。でも、戦後の苦労は忘れる。忘れっぽい。大震災など、繰り返し起こるすごいことも、なんでそんなにさっさと忘れるんだよと言いたい」
──そんな普通の日本人に何とかしてもらわないと、と思う。特に政治。
「誰が選んだんだ、ってことです」
──モラルの欠如は日本人全体の問題でもあるが、特に政治家の「恥」の感覚を疑う。
「昔は、官僚に忖度されたら、政治家は『私の不徳のいたすところ』といって、責任を感じてやめるという論理があった。でも、今は『犯罪じゃないし』となる。弁明がしらじらしいですね」〉(4月15付朝日新聞)
“普通の人”が日本をつくると、氏は言う。恢々とはしていても悪事は漏らしてならぬ。 □
イスラエル人歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリはこう述べる。
〈農業革命の後、著しく複雑な社会が出現し始めると、従来とはまったく異なる種類の情報が不可欠になった。狩猟採集民は、大量の数理的データを扱う必要に迫られることはついぞなかった。ところが、特定の社会の人口と資産の量がある決定的な限界を超えると、徴税をはじめ大量の数理的データを保存し処理することが必要となった。この問題を最初に克服したのは、古代シュメール人だった。紀元前3500~3000年の間に、名も知れぬシュメール人の天才が、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。これによってシュメール人は社会秩序を人間の脳の制約から解き放ち、都市や王国や帝国の出現への道を開いた。シュメール人が発明したこのデータ処理システムは、「書記」と呼ばれる。書記とは、記号を使って情報を保存する方法だ。一方の記号は数、もう一方の記号は人や動物、品物、領土、日付などを表していた。シュメール人はこれら二種類の記号を組み合わせて、どんな人間の脳が記憶できるよりも、はるかに多くのデータを保存することができた。〉(サピエンス全史」から要約)
「書記」は人類初の情報革命といえる。粘土板に刻まれた「二種類の記号」によりそれは始まった。小規模な集団から「都市や王国や帝国の出現への道」は「書記」によって開かれた──。奮えるような洞見である。「書記」が官僚機構の原初的形態であり、核心である。記号が記された粘土板こそ、その具象的コアである。今日「文書主義」と呼称されるものの祖型であり、官僚機構の属性でもある。
事情は洋の東西を問わない。古代中国の律令制では「二種類の記号」は漢字と漢数字に、粘土板は木簡や竹簡に形を替え「都市や王国や帝国の出現への道」を開いた。アジア東端の国・日本が「都市や王国や帝国の出現への道」、つまりは天皇を軸とした中央集権国家をめざした時、当然の如く中国に倣った。701年の大宝律令である。
律令制も上述のように文書主義を属性とする。律令官人同士の連携もすべて文書によってなされた。必要なスキルは漢字・漢文の読み書き能力、それに儒教の教養。膨大な数の地方の下級官人に至るまで同等の素養が要求された。中央から地方への下命も、地方から中央への報告もすべて文書によってなされた。郡という地方行政単位の役所である郡家(グウケ)跡からは木簡・漆紙文書・墨書土器などの文字資料が数多く出土している。郡内の末端である郷への命令にも公式文書としての郡符木簡が使われていた。「符」とは命令を記す律令公文書の書式である。逆に、郡司以下からの郡司への提出文書には封緘木簡が使われた。これは紙の文書を二枚の木簡ではさんで封ずるもので、紐で木簡を綴じた上に墨書で封緘し宛名を表書きした。文書主義の拡大と浸透を裏付けるものだ。「具象的コア」は4000年を越えアジア大陸を跨いで、本邦にもしかと継受されたわけだ。
さて刻下、現政権下で「文書問題」が惹起している。中央省庁にはないと言ってみたり、捨てたと言ってみたり。いや、やっぱりあったと言ったり。余所から出てきたり。愛媛ではキチンと残していたり。果ては改竄まで。本邦の文書主義は1300年を過ぎて中央から経年劣化を始めたのであろうか。「具象的コア」を失えば官僚機構の属性は断たれる。早晩、官僚システムは自死を迎える。ボールカウントを採らない野球なぞ成立しないのと同じだ。「都市や王国や帝国の出現への道」を開くために「書記」は誕生した。「書記」が消えれば元の小集団に戻らざるを得ないのは道理ではないか。「都市や王国や帝国」が存立の危機を迎える。だから時代を問わず、洋の東西を問わず、体制の如何に関わらず、文書は最重要のイシューであり続けた。それほどに根は深い。
「しっかりと真実を究明し、うみを出し切り、態勢を立て直して、皆さまのご期待に応えていきたい」
首相の言である。この他人事(ヒトゴト)のような物言いに当事者意識はない。究明しようとする「真実」とは何か。単なる不祥事や個人的不始末に矮小化してはならない。「書記」が揺るぎ「文書主義」が蔑ろにされるのは国家システムが構造的危機を迎えている先兆でもあり、また「文書問題」は「文書主義」からの逆襲といえなくもない。対立概念とはいわないまでも、「忖度」と「文書主義」には遙かな逕庭がある。さらに、「うみ」を生じた傷は当の首相自身かもしれない。それほどに根は深い。
古(イニシエ)の律令官人がこのありさまを見たらなんというだろう。まだヤマト政権は続いているのかと鼻で嗤うにちがいない。さらに太古のシュメール人なら、せっかく遺した「発明」が投げ棄てられたことに悲憤するだろう。なんにせよ、悠長に憲法なぞいじってる暇はない。 □
最近触れたことばの中から特に印象に残った幾つかを書き留めたい。
💐ソフトによる、既存の常識にとらわれない将棋に触れたことは、自分にとって有益だったと確信しているが、一方でソフトを使うことはリスクをはらんでもいる。一つ間違えれば、思考そのものをソフトに委ねて、自ら考えるのを放棄することになりかねないからだ。これからもソフトの価値観を取り入れつつ、自分の読みも大事にしていきたいと思う。
将棋において、強くなるための方法論はまだ確立されていない部分が多い。しかし、今後さらなる高みを目指していくためには、改善すべき点をしっかり見据えて、自覚的に取り組んでいくことが必要だろう。将棋の可能性は尽きない。自分の可能性を信じて、試行錯誤しながら強くなっていきたい。💐
これは高校に入ったばかりの、ということは中学を出たばかりの藤井聡太君の“寄稿”である(4月6日付朝日新聞)。「思考そのものをソフトに委ねて、自ら考えるのを放棄することになりかねない」なんて、団塊の世代がその頃、こんな高邁なことを口にできただろうか。なんだか、恥ずかしくなる。「後生畏るべし」というが、「今すでに畏るべし」である。関連して、
💐藤井の存在こそが、板谷師匠への、私の最大の恩返しです。💐
藤井君の師匠・杉本昌隆七段が師弟対決の後でインタビューにこう応えた。氏の師匠は故・板谷進九段。東海地区の棋士がタイトルを取ることが悲願だった。その坂谷氏が揮毫した扇子を手に師弟対決に臨んだ。
思想家・内田 樹氏はこういう。
〈「師であることの条件」は「師を持っている」ことです。人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあるということです。それだけで十分なんです。弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その鎖はとぎれてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件です。弟子が師の技量を超えることなんかいくらでもあり得るわけです。そんなことはあっても全然問題ではない。長い鎖の中には大きな環もあるし、小さな環もある。二つ並んでいる環の後の方の環が大きいからといって、鎖そのものの連続性には少しも支障がない。でも、弟子が「私は師匠を超えた」と言って、この鎖から脱落して、一つの環であることを止めたら、そこで何かが終わってしまう。〉(『下流志向』から)
杉本七段の言を裏書きする、これもまた至高の“ことばの花束”だ。
💐物語や文学作品は、アルファー読みからベーター読みへ移る橋がかりのような役を果たして便利なのである。しかし、小説ばかり読んでいては乱読できない。ベーター読みもうまくいかない。文学読書をありがたがりすぎるのは、いくらかおくれた読者である。ノンフィクションがおもしろくなるには、ベーター読みの知能が必要である。哲学的な本がおもしろくなるには、かなり進んだベーター読みの力が求められる。💐
知の泰斗・外山滋比古氏は『乱読のセレンディピティ』でこう語る。「あらかじめ知識をもっているときの読み方をアルファー読み」とし、「内容、意味がわからない文章の読み方をベーター読み」とする。氏は「知識と思考が相反する関係にある」として、徹して乱読を勧める。セレンディピティに最も有効だからだ。
字引によれば、イギリスの作家ウールホールの造語で、思いがけないことを発見する能力をいう。特に科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときに使われる。ペニシリンはブドウ球菌を培養中の失敗から偶然発見された。これなど、セレンディピティの好例である。
再度、内田 樹氏の卓見を引く。
〈ほんとうに良質の知性は「『これ』って『あれ』じゃん」というパターンの発見を基本文型にするものだと思うんです。「これ」と「あれ」はまったく無関係に存在するように仮象しているけれど、ある見方をすると「同一系の二項」として見えてくる。無関係に見えるものを関係づける能力、それが人間知性の本質的な部分だと僕は思っているんです。〉(『変調“日本の古典”講義』から)
「セレンディピティ」を「『これ』って『あれ』じゃん」とパラフレーズすれば、「乱読」と「良質の知性」は「同一系の二項」といえよう。
💐現時点では、正確な予測も予知もできないのが現実なのだ。北海道も南海トラフも首都圏も、他地域に比べて地震のリスクが高いとは言えない。政府は科学的根拠のない確率発表をやめ、不意打ちの地震に備えた防災や都市計画など現実的な政策を実行すべきだ。メディアも無批判に政府予測を垂れ流し、人々を惑わせることをやめよ。国民は地震は不意打ちだと理解し、命を守る準備をしよう。💐
東京大学名誉教授〈地震学〉ロバート・ゲラー氏は朝日新聞にこう寄せた(3月2日)。東北大震災の震源は深さ24㎞。人類が掘り進んだ最深度は12㎞。上空へは100㎞を超えて宇宙空間まで飛び出せるのに足下(ソッカ)はまるで見えていない。マントルどころか、地殻さえも越えてはいない。鶏卵なら殻が割れずに目玉焼きもできない段階だ。見えない、判らないから「不意打ち」だ。さて、どうするか。三度(ミタビ)、内田 樹氏の洞見を徴しよう。
〈驚かされると人間の心身の能力は著しく低下する。だから、武道家にとって、「驚かされること」は最大の禁忌のひとつである。それに処するための方法も経験的に知られている。逆説的なことだが、「驚かされない」ための最も有効な方法は「こまめに驚く」ことなのである。「驚かされる」のは受動的なふるまいだが、「驚く」は能動的な振る舞いだからである。〉(『街場の憂国会議』から)
「こまめに驚く」。それは武道に限らず、「不意打ち」から身を護る骨法ではなかろうか。さらに、精神の若さとこころの鮮度をも測る丈尺でもあろうか。 □
以下、3月27日付毎日新聞から抜粋。
〈衆参両院の予算委員会で佐川宣寿前国税庁長官は、大阪地検特捜部の捜査を理由におよそ55回にわたって証言を拒んだ。
改ざんの経緯や自身の関与などをただす質問には「私自身、刑事訴追を受ける恐れがある」「捜査対象となっている身」と述べ、「答弁は控えたい」「ご容赦ください」を連発した。〉
アンバイ君は「ほら、でしょ! ボクもアッキーも関係ないとはっきり言ったでしょ」と胸をなで下ろし、内閣はこれで幕引きにしたいらしい。野党はお決まりの台詞「疑惑は深まった」と連呼する。なんだか、下手な田舎芝居を見せられているようだ。
野党の諸君! ここは「疑惑は深まった」ではなく、「疑惑は浮き彫りになった」と言うべきではないか。「深まる」と「浮き彫り」ではまるで違う。ここが疑惑だと、アタマを出したのだ。別に譬えるると、「炙り出し」である。「紙に酒・ミカンの絞り汁などで絵や文字をかいたもの。そのままでは見えないが、火に炙ると紙のセルロースの水分が奪われ、炭化して、焦茶色に絵や文字が現れる。江戸時代に酒席の遊びとして行われたとの記録がある」と、字引にはある。
次に、「議院証言法」から。
〈第四条
1 証人は、自己又は次に掲げる者が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受けるおそれのあるときは、宣誓、証言又は書類の提出を拒むことができる。
一 自己の配偶者、三親等内の血族若しくは二親等内の姻族又は自己とこれらの親族関係があつた者
二 自己の後見人、後見監督人又は保佐人
三 自己を後見人、後見監督人又は保佐人とする者
2 (略)
3 証人は、宣誓、証言又は書類の提出を拒むときは、その事由を示さなければならない。〉
先ず1点目。アンバイ君とアッキー夫人は一~三に該当しない。だから、証言拒否はできない。ただし、偽証は“できる”。ここを野党の諸君は見落としていないか。人身御供をもって任じる者にとって三月以上十年以下の懲役は覚悟の前だ。そんなバカな理屈も義理もないという向きもあろう。だがしかし、「忖度」というなら究極の忖度を想定しても可笑しくはなかろう。自民党議員の中には、野田元首相の秘書官だった太田充理財局長に対し「安倍政権をおとしめるため意図的な答弁をしているのか」とすげぇー想像力逞しい質問をした人物もいる。返す刀だ。身代わりのおツトメの方がもっと現実的だ。さらに、値引き当時の当事者ではなかった前長官を果たして偽証罪に問えるか否かは、実は疑問だ。不可罰かもしれぬし、勘違いでしたで言い抜けできないわけでもない。改竄疑惑とは違い、なにせ元々手を染めてはいないのだから。で、もって、アンバイ君も軽はずみに浮かれない方がよろしいのでは。
2点目は炙り出し。証言拒否をした部分こそ彼にとってはヤバいのだ。55回は並大抵の数ではない。55回、ヤバかった。それぞれがどのような刑事訴追を受ける可能性があるのかじっくり「炙って」いけば、言わなかった中身が浮かび上がってくる。あるいは、証言拒否そのものが成り立たないことが露わになる。「刑事訴追」の盾に穴を穿てる。ニーチェを借りれば、「足下を掘れ、そこに泉あり」だ。55回の証言拒否は55個のネガフィルムだ。捨てておくのは勿体ない。うまく現像すれば被写体が浮かんでくる。「疑惑は深まった」と喧伝するばかりでは、自らの無能を公言しているに等しい。今度は追求する側の力量が問われている。2度騙されるのは本当のバカだ。
以下、余談ながら頭の体操。
Q.学芸会の主役にタケシ君が選ばれた。お母さんは、息子の晴れ舞台を見ようと駆けつけたのだが、いつまでたってもタケシ君は舞台に姿を現わさない。しかし、終わったあと先生は「タケシ君は立派に主役をつとめましたね!」といっているのだ。だれもウソをついていないとすると、いったいどういうことだろう?
A.主役は透明人間。タケシ君は声だけ。アンバイ君のようでもあり、アッキー夫人のようでもありだ。
この稿はすぐにでも書きたかったのだが、刑事訴追を受ける恐れがないため延び延びになった。“投稿”拒否をしていたわけではない。 □
「おとうは、おめえが死んだときも、ホームの雪はねてたぞ。この机で、日報書いてたぞ。本日、異状なしって」
「そりゃおとうさん、ポッポヤだもん。仕方ないしょ。そったらこと、あたしなあんとも思ってないよ」
乙松は椅子を回して振り向いた。ユッコは赤い綿入れの肩をすぼめて、悲しい笑い方をした。
その日の旅客日報に、乙松は、「異状なし」と書いた。
・ ・ ・ ・
「しかしまあ乙松さん、じゃなかった幌舞の駅長、いい顔してたなあ。俺もあやかりてえなあ。ほれ、そこのホームの端の雪だまりにね、しっかり手旗にぎって倒れてたですよ。口にゃ警笛くわえて」
「もうその話はすんな」
仙次は運転台に乗り込む前に、ホームの先端に立って雪を踏んだ。乙松がここに倒れていたのは、淋しい正月をともに過ごして帰った、その翌朝のことだった。始発のラッセルが、前のめりに俯した遺体を見つけたのだった。
(浅田次郎著『鉄道員』から)
ポッポヤ一筋に生きたローカル線の駅長は勤続四十五年の最後の日、ホームの雪だまりに倒れていた。踵を接して、幌舞線も姿を消す。
北海道が舞台であったことを差し引いても、吹雪以外の書割はあり得ない。夏の日盛りでは絵にならないし、艶やかな錦秋は不釣り合いで、春の桜も興は醒める。ホワイトアウトが猛る只中でこそ劇は成る。ポッポヤは期せずして雪の下を死地とした。
さて、西行はどうか。
〈夜来の風にいたぶられても必死に堪えたのに、昼下がりからの日和には他愛なく枝を去った幾百千のさくらばな。
ほんの数日の爛漫のために、昨夏より永い支度をしてきた彼女たち。木々が燃え盛り、山並が紅の錦を纏う時は目立たぬようにそそと佇んでいた。木枯らしに煽られ、吹雪に撃たれてもじっとがまんをつづけた。
長遠な隠忍は須臾の佳局のためだった。公園で、アベニューで、川辺で、湖岸で、さらには埒外の雑木のただ中で、誇りかに、そして艶やかに一指舞うがためだった。
これほど散るを惜しまれる華が、他にあろうか。いな、これほど散るを愛でられる華が、他にあろうか。咲いて散るのではなく、散るために咲く。花吹雪こそが、彼女たちのみがなしうる至極の舞だ。寂寥を鮮麗が包み、死を美が乗っ取る。これほどのパラドックスが、これほどの背理が、他にあろうか。
願わくは 花の下にて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
なんとも即物的に過ぎる西行の企みは、背理を一身に担おうとしたのかもしれない。だとすれば、悍しい成功を見たといえなくもない。〉(14年4月拙稿『散るぞめでたき』から)
花吹雪の至極の舞。背理を一身に担い、幾百千の死装束を身に纏って西行は逝こうとしたのであろうか。
ポッポヤは吹雪の中で、西行は花吹雪の下で。ポッポヤはたったひとりで、同じポッポの「彼」は大勢の見送りの中で。それも惜別の声を受け、桜吹雪を満身に浴びながら駆け去った。西行の企みを準るように。
してみれば、彼は幸せな旅立ちだったといえなくもない。廃線の夜、重畳の山々と滔々たる大河に染み込ませるように彼は幾度も汽笛を放った。それは時代の晩鐘のように残響を引き、やがて闇に溶けた。
(この稿はあるローカル線が廃止された先日着想した) □