<逮捕>
ICUに1週間いて、考えた。これは逮捕以外のなにものでもない、と。
法の定義によると、逮捕とは人の身体を直接に束縛して自由を拘束することとある。三種類あって、逮捕令状をもって検察官・検察事務官・司法警察職員のみがなし得る通常逮捕。また、犯罪を犯したと疑うに足りる十分な理由のある者を、逮捕後に令状を請求することを条件に、検察官・検察事務官・司法警察職員のみがなし得る緊急逮捕。そして、現行犯逮捕である。問題はこれだ。
刑事訴訟法第213条の定めによれば、「何人でも逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」と一般私人にも認められる権限である。条文の「これ」とは現行犯人のことだ。現行犯人とはなにか。現に犯罪を行っている者をいう。現に犯罪を行っているところを発見された場合には犯行事実がはっきりとしているので、そのまま逮捕しても人権の侵害はないとの解釈である。ただし、未遂の段階では単なる不審者であり現行犯人とはいえないので、この権限は発生しない。
わたしの知見によれば、医師及び看護師、薬剤師、レントゲン技師、栄養士、その他掃除のおばちゃんにいたるまで、病院関係者はすべて一般私人である。もし彼らが「人の身体を直接に束縛して自由を拘束すること」に及んでいるとすれば、それは「現行犯逮捕」以外のなにものでもない。他にこのような「特権」の定めを知らない。もちろん、医師法には医師の義務として「療養指導義務」が規定されている。これはドクターに課される義務であって、クランケを縛るものではない。まさか患者はかくあらねばならないという規矩準縄などあろうはずはない。あるいは、蒙昧のゆえにわたしが知らないだけか。しかし、まさかそんな……。
内実は現行犯逮捕と変わらない。いや、それ以上の拘束力を持つ。極悪人にしたところが、死刑までには気の遠くなるようなプロセスを経ねばならぬ。ところが、こちらは指呼の間だ。医療事故は日常茶飯であるし、点滴ひとつに命がかかる場合だってある。かつ格子はないものの状況を括れば、格子なき牢獄だ。だから現行犯逮捕と違わない。だとすれば、いかなる罪科を現になしていたのかである。
改めていうまでもなく、病気は犯罪ではない。万人が確実に患う。知能、学識、地位、名誉、財産に関係なくだ。さらに、健康にも関わりなくだ。「元気に死にました」は冗談にもならない。いかな健康体であろうとも、死に際しては必ず病む。病まずに死ぬはずがない。死と同様に、病もまた人みなすべてに不可避だ。ならば、実態的に限りなく現行犯逮捕に近い行為がなぜ易易となされるのか。なにゆえこのような「不法」が罷り通るのか。
囚人(メシュウド)に身を窶(ヤツ)しつつ郢書燕説を試みた。
第一に、症状の先には死が待ち構えていること。誰人もわが命は惜しい。
第二に、「不法」を咎め立てる捻(ヒネ)くれ者がいなかったこと。
第三に、医者の言を信じ身を委ねたこと。
第四に、苦痛に耐えきれず「正常」な判断力を失っていたこと。
第五に、運を天に任せたこと。医者にではなく、天にだ。
第六に、したたかなMであること。
第七に、なにも考えなかったこと。性格が素直であったこと。
…… そんなところか。
第一は自明。第二、第六は奇人変人に属し、第四は悲しい現実だ。第七は常識の範疇か。そして第三と第五、有り体は同じことだ。肝心なのはここだ。つまりは、クランケの「善意」による委託。肝心要、画竜点睛はここだ。
「不法」を不問に付しているのはクランケの善意だ。最近はセカンド・オピニオンが行われるようになったが、それとてあくまでオピニオンでしかない。クランケにとってドクターはオンリー・ワンだ。たとえドクターにとってクランケはワン・オブ・ゼムであろうとも。極めて偶然に属すとはいえ、キュア(治療)を委ねられる医師はこの厳粛な事実に襟を正すべきであろう。クランケの善意の海に浮かぶ船がドクターなのだ。ドクターを中心とする医療機関である。早い話が、患者がなくては医師は成り立たぬ。医師なき患者はいても、決してその逆ではない。どこの物好きが医者のために病気になるか。
医師は患者の「善意の海」に溺れてはならない。実情にそぐわない部分があるとはいえ、「ヒポクラテスの誓い」は万古不易である。だから今でも、医療関係者はこの誓いをなぞる。「西洋医学の父」と謳われる古代ギリシャの医学者ヒポクラテスが残したこの誓文は、医師のモラルを定めた最高の指針であり根本の倫理である。「善意の海」を航海する「船」の羅針盤でもある。
米軍の兵士がたまの外出許可を「シンデレラ・リバティー」と呼ぶ。帰隊時間が厳格に定められているところをシンデレラに準(ナゾラ)えてだ。あすは、そのシンデレラ・リバティーになりそうだ。時間は2時間。手首には名前とバーコードが印刷されたリストバンドがしっかと嵌められたまま。なにせ、いまだに囚人なのだ。□
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ICUに1週間いて、考えた。これは逮捕以外のなにものでもない、と。
法の定義によると、逮捕とは人の身体を直接に束縛して自由を拘束することとある。三種類あって、逮捕令状をもって検察官・検察事務官・司法警察職員のみがなし得る通常逮捕。また、犯罪を犯したと疑うに足りる十分な理由のある者を、逮捕後に令状を請求することを条件に、検察官・検察事務官・司法警察職員のみがなし得る緊急逮捕。そして、現行犯逮捕である。問題はこれだ。
刑事訴訟法第213条の定めによれば、「何人でも逮捕状なくしてこれを逮捕することができる」と一般私人にも認められる権限である。条文の「これ」とは現行犯人のことだ。現行犯人とはなにか。現に犯罪を行っている者をいう。現に犯罪を行っているところを発見された場合には犯行事実がはっきりとしているので、そのまま逮捕しても人権の侵害はないとの解釈である。ただし、未遂の段階では単なる不審者であり現行犯人とはいえないので、この権限は発生しない。
わたしの知見によれば、医師及び看護師、薬剤師、レントゲン技師、栄養士、その他掃除のおばちゃんにいたるまで、病院関係者はすべて一般私人である。もし彼らが「人の身体を直接に束縛して自由を拘束すること」に及んでいるとすれば、それは「現行犯逮捕」以外のなにものでもない。他にこのような「特権」の定めを知らない。もちろん、医師法には医師の義務として「療養指導義務」が規定されている。これはドクターに課される義務であって、クランケを縛るものではない。まさか患者はかくあらねばならないという規矩準縄などあろうはずはない。あるいは、蒙昧のゆえにわたしが知らないだけか。しかし、まさかそんな……。
内実は現行犯逮捕と変わらない。いや、それ以上の拘束力を持つ。極悪人にしたところが、死刑までには気の遠くなるようなプロセスを経ねばならぬ。ところが、こちらは指呼の間だ。医療事故は日常茶飯であるし、点滴ひとつに命がかかる場合だってある。かつ格子はないものの状況を括れば、格子なき牢獄だ。だから現行犯逮捕と違わない。だとすれば、いかなる罪科を現になしていたのかである。
改めていうまでもなく、病気は犯罪ではない。万人が確実に患う。知能、学識、地位、名誉、財産に関係なくだ。さらに、健康にも関わりなくだ。「元気に死にました」は冗談にもならない。いかな健康体であろうとも、死に際しては必ず病む。病まずに死ぬはずがない。死と同様に、病もまた人みなすべてに不可避だ。ならば、実態的に限りなく現行犯逮捕に近い行為がなぜ易易となされるのか。なにゆえこのような「不法」が罷り通るのか。
囚人(メシュウド)に身を窶(ヤツ)しつつ郢書燕説を試みた。
第一に、症状の先には死が待ち構えていること。誰人もわが命は惜しい。
第二に、「不法」を咎め立てる捻(ヒネ)くれ者がいなかったこと。
第三に、医者の言を信じ身を委ねたこと。
第四に、苦痛に耐えきれず「正常」な判断力を失っていたこと。
第五に、運を天に任せたこと。医者にではなく、天にだ。
第六に、したたかなMであること。
第七に、なにも考えなかったこと。性格が素直であったこと。
…… そんなところか。
第一は自明。第二、第六は奇人変人に属し、第四は悲しい現実だ。第七は常識の範疇か。そして第三と第五、有り体は同じことだ。肝心なのはここだ。つまりは、クランケの「善意」による委託。肝心要、画竜点睛はここだ。
「不法」を不問に付しているのはクランケの善意だ。最近はセカンド・オピニオンが行われるようになったが、それとてあくまでオピニオンでしかない。クランケにとってドクターはオンリー・ワンだ。たとえドクターにとってクランケはワン・オブ・ゼムであろうとも。極めて偶然に属すとはいえ、キュア(治療)を委ねられる医師はこの厳粛な事実に襟を正すべきであろう。クランケの善意の海に浮かぶ船がドクターなのだ。ドクターを中心とする医療機関である。早い話が、患者がなくては医師は成り立たぬ。医師なき患者はいても、決してその逆ではない。どこの物好きが医者のために病気になるか。
医師は患者の「善意の海」に溺れてはならない。実情にそぐわない部分があるとはいえ、「ヒポクラテスの誓い」は万古不易である。だから今でも、医療関係者はこの誓いをなぞる。「西洋医学の父」と謳われる古代ギリシャの医学者ヒポクラテスが残したこの誓文は、医師のモラルを定めた最高の指針であり根本の倫理である。「善意の海」を航海する「船」の羅針盤でもある。
米軍の兵士がたまの外出許可を「シンデレラ・リバティー」と呼ぶ。帰隊時間が厳格に定められているところをシンデレラに準(ナゾラ)えてだ。あすは、そのシンデレラ・リバティーになりそうだ。時間は2時間。手首には名前とバーコードが印刷されたリストバンドがしっかと嵌められたまま。なにせ、いまだに囚人なのだ。□
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