伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

囚人の記 1

2008年01月29日 | エッセー

< 藪 >
 竹藪に風が吹く。ざわざわと音を立てる。風邪ごときで騒ぎ立てる医者を「藪医者」と呼んだ。
 見分け方は簡単。患者を見ない。「診ない」のではない。「見ない」のである。検査データの数値やレントゲンばかりを見ている。聴診器を当てるにしても、目は合わさない。この手合いは、間違いなく藪だ。大藪だ。断言できる。
 11日、その藪に迷い込んだ。さんざ検査したあげく、「3年前ほどではないですね。クスリを出しましょう」ときた。待ちが2時間、検査1時間、診察3分。絵に描いたような現代医療風景である。
 12日深更、同じ症状が襲ってきた。仰臥すると呼吸ができないくらい息苦しい。横臥しても同じ。かろうじて座ると息が続く。時々、目の前が暗くなる。13日1時半、観念して、救急外来へ。駐車場から外来の窓口まで、わずか30メートル。これが遠い。肩で息をしながら、果てのない道をやっとたどり着く。
 顔を見るなり、ベッドに寝るように指示される。すぐに酸素吸入。採尿管の挿入、レントゲン、CTなど……。
 「なぜ、11日は帰したんでしょうねー。肺炎を併発しています。入院してください」最も怖れていた言葉だった。
 「通院ではいけませんか?」苦しい息の下での哀願である。
 「なにを馬鹿なことを言ってるんですか。お宅には酸素ボンベがありますか。その他必要な施設がありますか。このままお帰りになったのでは、命の保証はできません」獄卒の声だ。
 「おめぇの保証なんぞ、頼まねぇよ!」と、啖呵を切る勇気も元気もさすがに失せていた。黙するほかはない。

 横付けされたベッドに移り変わり、階上のICUへ。点滴が2本、心電図の端子が4本、1時間ごとに締め付ける血圧計、指先に酸素濃度計、酸素マスク、採尿管……。寝返りもままならない。ついに囚人(メシュウド)となりはててしまった。生まれてこの方、一度も経験したことのない「入院」の二文字が重くのしかかる。見えざる格子だ。格子なき牢獄だ。
 仕事はどうする。3日後には大事な会議がある。欠席するとなると、どう手を打つか。代役はどうするか。書きかけのブログがあった。続きはどうしよう。あしたは同窓会の打ち合わせもある。あいつと、あそこに電話して、資料をどこに届けようか。……意識がはっきりしているだけ、わが身の突然の不遇にディレンマが募る。
 一通りのことを、未だ自由の残っているわが手でメモに取り、荊妻に託す。そういえばさっき座れば呼吸が楽になると病状を説明したとき、ドクターは「だから、『キザ』呼吸でなければならないくらい大変なんですよ」と言った。キザとはどう書くのか。まさか「気障」ではあるまい。察するに、跪いて座る「跪座」ではないか。看護師に確かめて、それもメモに書き込む。
 てんやわんやで朝4時を過ぎる。小康を得て、ベッドをかなり起こして「起座」睡眠に。うつらうつらしては目が覚めるの繰り返し。ともかくも朝を迎える。
 やがて朝の巡回。同科の医師が三、四人連れだって回る。担当が同僚に病状と処置を説明する。
 いた! 例の藪が。当然、肺炎のことも担当医は言った。帰り際、彼は小声で「気がつきませんでした。済みませんでした」と軽く頭を下げた。飛びかかって首を絞めようにも、自由の利かぬ身体。いえ、いえと声なき呻きを発しつつ頭(コウベ)を振る。人格と身体との自由度とはあきらかに相反するものか。喪家の狗を託つ日々は続く。

 ただ、ひとつの発見があった。風が吹いても騒がない「藪」があることだ。□


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親の因果が子に報い

2008年01月26日 | エッセー
 鮮やかな一本勝ちであった。ところが、世間の評価が存外に低い。低すぎる。前任者はこれがために自滅したほどの難関であったというのに。解説を生業とする者、また各紙誌とも冷淡すぎる。この辺り、わが国ジャーナリズムの貧困と懐の狭隘を言わず語るものであろうか。
 今月11日、補給支援特別措置法案(給油法案)が衆議院で3分の2の再議決で成立した。憲法59条の発動はじつに57年ぶりのことであった。この問題については昨秋以来、本ブログやコメントでなんどか触れてきた。しかしここでは事の賛否には言及しない。元来生臭いものを好まない。司馬遼太郎いうところの「政治という理外の理のような機微」(「街道をゆく」から)について語ってみたい。
 この問題の処方は3分の2の再可決しかない。肝心なのは、いかにそこにソフト・ランディングするか。それに尽きる、といってきた。フグタ操縦士の腕前は見事というほかない。視界は悪かった。まさに五里霧中であった。就任直後こそ御祝儀相場で支持率は高かったものの、年末にかけて年金解明の公約違反の逆風が吹いて低迷が続いている。参院での問責決議案への対処もなかなかスタンスが定まらなかった。
 なんといっても決定打は『大連立』騒動であった。仕掛け人はナベ爺さんとも喧伝された。「たかが選手ごとき」のあの爺さんだ。「たかが文屋ごとき」爺さんがなにを血迷ったか、国家の大計にしゃしゃり出て仕掛け人を気取るとは、「余計な親切、大きなお世話」である。ただこの爺さん、並のジジイではない。「党内が追従するだろうと踏んだのがオオサワ代表の誤算だった」との後日談はそれなりに鋭い。オオサワくんには自民党のDNAが濃厚に流れている。それもかなり古い自民党のDNA、親分・子分のそれだ。カネも票も丸抱え、親分が右を向いているのに左を向く不届き者などいる筈はない。いや、いなかった、あのノスタルジックなよき時代のことだ。
 さらに、辞めます、辞めませんのドタバタ劇はいかにもオオサワくんのイメージを損じてしまった。この騒動、約2ヶ月、ボディーブローのように効いた。結局はフグタくんの一人勝ち。敵失を丸々頂戴したかたちだ。案の定、年明けは野党の求心力が弱まり、問責決議案も雲散してしまった。再議決では、直前にオオサワくんが退場するというオマケまでついた。あれはきっと、同じように右を向かなかった同党の無礼者に対する面当てだったにちがいない。
 ともあれ、この絶妙な事の運び。運に恵まれることも含めて生半ではない。繰り返すが、マスコミはあまりにも冷評に過ぎる。「理外の理のような機微」が政治を動かす。論理を超えるなにがしかが蠢く。それが見えぬ者に政治家は勤まらぬ。経済学者が財をなした例(タメシ)はない。経済を動かすのは別種の人間だ。役割の違いである。同じく、政治アナリストなるもの、政治学者、政治屋、政治家、みな役どころが異なる。別けても、政治家には天稟の才が要る。
 
 さて因果の話だ。以下、余話、徒話のたぐいである。
 57年前の昭和26年、「モーターボート競走法案」が衆議院の3分の2で再可決され成立した。ということは、参議院で否決されたのだ。
 かの笹川良一を世に生んだこの法律。参院での反対理由がふるっている。
1. 戦後で余裕がない ―― 今は国民こぞって経済復興に一意専心すべき時だ。ギャンブルなどしている余裕はない。      
2. 国民消費を圧迫する ―― 国民生活に不健全な影響を与える。真の地方税制への寄与とは言い難い。
3. 不正の温床となる ―― 都道府県で一つしか公益法人の設立が認められておらず、政治的利権や許認可が不純な結果を招来する危険性がある。
4. 射幸心を無駄に煽る ―― すでに競馬、競輪がある。それに競艇が続くとなると、さらには牛・鶏・豚・猫など畜犬競技法が登場することは火を見るよりも明らかである。

 1. 2. 3. はいかにも良識の府たるを髣髴させる。おそらく新憲法1期生か、2期生。真新しいランドセルを背負(ショ)って弾みながら登校する小学1年生か。実に初々しい。清々しい。4. は勢いというもの、御愛嬌だ。
 その後の競艇の隆盛はつとに御案内の通りだ。だが、かつては2兆円を稼ぎ出したこの業界も昨今は低迷気味。9千億円台に甘んじ、赤字の施行者が続出している。60年、時代は変わる。人心も変わる。
 さて、お立ち会い。この再議決に持ち込んで成立させた立役者。時の衆議院議院運営委員長こそ、誰あろう。オオサワくんの父君、小沢 佐重喜(サエキ)氏その人であった。
 もうひとつ。57年後の本日ただ今、衆議院議院運営委員長の大任にあるのは、誰あろう。笹川良一氏の子息・笹川 堯(タカシ)氏その人である。
 親の因果が子に報い……。報いたか報いはせぬか、それは判らない。ただ、十分に因縁めく話ではある。加えて、57年の時を跨いで発動された憲法59条。どちらも船がらみ。おまけに双方とも臨時法としての扱いであった。この際だ、『報い』たと考えた方が話がおもしろい。ただこの因縁話、「理外の理」ではない。そのような機微はない。単なる与太の咄である。□

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銀河の向こう

2008年01月21日 | エッセー
 タイトルは「年賀の向こう」を親父流に洒落てみた。お笑い召さるな。この齢になると、物事が素直に表現できないのである。 
 さて今年はどうしたものか、恐竜のロングテールよろしく三が日以降日に二、三枚、ずるずると2週間を過ぎても届いた。その中に、名宛人不明で返送されたものが混じっていた。今年は特にこれが多かった。宛先を訂正し切手を貼って再度差し出したものまで4、5枚舞い戻ってきた。ひょっとしたらわが家だけか。もしかしたら、POSTMANの復讐か。(07年3月4日付本ブログ『PLEASE MISTER POSTMAN』で悶着の顛末は書いた)いやいや、それは邪推というものだろう。人を疑ってはいけない。誤配なきを期したのだ。それが少々いき過ぎてしまった。そういうことにしておこう。お互いの幸せのために。
 今回が約29億枚。前年より4%減ったものの、一人が30枚、世界に冠たる国民的大イベントである。明治中期から郵便制度に組み込まれて以来100年を優に超える。虚礼との批判はかねてよりあるが、廃らせてはならぬ良俗である。とはいうものの、わたしなぞは毎年11月になると悩みが始まる。来年の賀状をどうするか。通り一遍のものでは気がすまぬ。オリジナリティーがほしい。持ち合わせぬ者に限ってあるように見せたがるのがそれで、無から有を生む呻吟がはじまる。こじつけていえば、知的鍛錬としてもこの慣習は貴重である。
 さらに生存の確認と家族構成のチェック。近頃はPCの普及で写真の貼り付けも自在だ。子どもの成長を知らせる格好の手段でもある。もっとも過剰な情報の押しつけで辟易する時もあるが。付き合いの間合いははなはだ遠いものの、それでいて存命もしくは延命だけは知っておきたい人物については賀状がうってつけだ。

 ともかくもその数、29億である。小振りの銀河といったところか。さらに29億枚が織りなす壮大な相関図を虚空に拡げてみれば、これはもう立派な銀河だ。
 不即不離で運行する星々。絶妙な間合いを取りながら宇宙のある一角を目指す星の群れ。踵を返して離間していく星々。古来先人たちがさまざまな物語を紡いできた多彩で豊潤な星辰の群れ、それが天涯なる河、銀河だ。
 さて、その向こうである。天文学上の知見に沿えばその向こうには、また別の銀河がある。さらに、その向こうにも……。となれば、話は世界に広がる。わが国の賀状は糾える相関を一息に顕在化させるもので、まことに重宝である。ただこのような慣行をもたぬ諸外国にあっても、人はひとりでは生きてはいない。200を超える国々に住まう65億の民がそれぞれに相関の図を織り成している。とすれば、それらは「向こう」に展開する銀河の群れではないか。銀河の向こうには、また銀河。そして、さらに銀河……。天空の銀河に伍して、地上なる銀河もまた豊饒の河だ。

 郢書燕説を続けたい。ベクトルを逆転させる話だ。「スモールワールド」、世間は狭いということである。そのテーゼを学問的に立証しようとする分野があって、数学の世界で「六次の隔たり」と呼ばれる学説がある。自分の人間関係を6人だけ辿っていくと地球上のだれとでも繋がるという。実験がある。 ―― 無作為に選んだ60人に手紙を出す。各自、世界中の特定の人物に届くよう人脈を辿って手紙を手渡していく。ウソのような話だが、これがうまくいくのだ。介在する人数が平均して6人。もちろん豊富な人脈をもっている人が仲介すると、より早く届く。袖振り合うも多生の縁、先達の慧眼に脱帽だ。
 古いコピーだが、「友だちの友だちは、また友だちだ!」である。タモリ、畢生の至言である。当意即妙、言い得て妙、一句万了ではないか。

 展(ヒラ)けば銀河へ、統べれば6人に。地上なる銀河も隔たりは六次でしかない。銀河の向こうは至近にある。□


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大人の味、極上の時間

2008年01月08日 | エッセー
<その1>
 歩道橋の人波に歩み込んだ時、携帯が鳴った。旅先の彼女からだ。都会の騒音が彼女の声を引き離す。遠ざかるその声を引き戻そうと、耳朶にマシンを押しつける。

 声が跳ねる。蛍が群がり、光の筋が舞う。指先にまで纏わる蛍に、彼女がはしゃぐ。
 奥入瀬を巡り、蔦沼へ。ブナの森に囲まれた沼は零(コボ)れるような星々を写す。人工の街で、彼女の声を頼りに自然を素描する。いかにも不似合いで、なんと贅沢な。
 「旅の宿」は木造(キヅクリ)だ。湯煙の中、浴衣掛けの彼女がすすきを簪(カンザシ)にして乙に澄ます。ついでに熱燗も。 …… 錦秋の山里を風雅が浸す。でも彼女は俳句を捻(ヒネ)らない。そんなの淋しがり屋さんのすることよと、軽く往(イ)なす。 …… いつもの彼女だ。

  ―― 携帯電話を介して、都会と鄙が歩道橋の上で出会う。実に巧みな舞台構成ではないか。この詩人は並ではない。ただ脱帽するばかりだ。

    『歩道橋の上で』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:石川鷹彦
    車の音があふれる街に
    きみのはずんだ声が届く
    「蛍がきれいよ、見せてあげたい
    指の先にも、とまってるの」

    ぼくは携帯、耳に押しあて
    きみの笑顔を思い浮かべてる
    ヘッドライトが流れる街の
    人が行き交う、歩道橋の上で
    ………………
    ぼくは目を閉じ、耳をすまして   
    星降る空を思い浮かべてる
    水面に写り、きらめく星を
    人が行き交う、歩道橋の上で
    ………………


<その2>
 旧友、悪友たちとのつかの間の旅か。
 ころは秋。空に満月。友達への悪態を肴に月見酒だ。そのうち、話は蘊蓄の数々に。玉石混淆、行きつ戻りつ、とりとめもない。

 それとも、初老の夫婦が連れ立っての旅か。
 近ごろ、連れ合いとの間合どりが上手になった。年の功か。皺の分だけ、坂も越えた。ハネムーン以来の旅の空で、ふと苦笑い。

    『空に満月、旅心』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎
    ………………
    友をけなして、世を嘆き
    愚論、正論、押し問答
    悪いやつほどいい肴
    ほめることばは、ちょい照れる

    空に満月、笑い酒
    ………………
    惚れた女がそばにいて
    食って喋って、たまに寝る
    愛しい思いはうすれてゆくが
    寄り添うばかりが恋じゃない

    空に満月、愁い酒
    ………………


<その3>
 匂いはプリミティヴな感性だ。沈丁花は室町のころから芳香に供された。花言葉には、「不滅」「歓楽」とある。
 その花の咲く小路を通ると、あのころが鮮やかによみがえる。あれは初恋だったのか。遠景に退いた青春を、原初の感覚が呼び覚ます。 …… やはり「不滅」
 その花は春に咲く。一年に一度。それを一生に一度、と置き換えてみた。早春の宵に、落ちた恋。 …… 淡い「歓楽」

    『沈丁花の香る道』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎
    世界中であなたしか
    いないと思ってた
    あの頃が、あの頃がいとしい
    ………………
    街明かりさけた道の
    かすかな風が肌寒い夜に

    恋に落ちて、恋に落ちて
    その肩を抱いていた

    沈丁花の香る道で


<その4>
 街角にはタンゴが似合う。それも古い石畳の街並。白堊(ハクア)のパレスで舞うワルツは、街角には不釣り合いだ。

 あの日の残映をなぞりたくなったら、華麗なワルツより情熱のタンゴだ。
 そぼ降る雨で涙を隠したいなら、街角で濡れながらタンゴを踊ろう。 
 甘いワルツはロストラヴには、よけい辛い。振り切りたいなら、タンゴだ。

    『街角のタンゴ』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎
    思い出をたどるなら
    ワルツよりもタンゴ
    …… …… ……
    雨に濡れ踊るなら
    ワルツよりもタンゴ
    …… …… ……
    思い出を捨てるなら
    ワルツよりもタンゴ
    …… …… ……
    おお、タンゴ
    ふたりは別れた
    面影と踊る
    情熱も踊る


<その5>
 珈琲はこの詩人の決め技だろうか。
 二杯目の珈琲に角砂糖をひとつ入れ、かき回す。疎ましかった事どもも一緒に溶けた。あれは「襟裳岬」での、友との邂逅。

 こうしてきみと珈琲を啜るのは何年、いや何十年ぶりだろう。彼女もまた、長い旅路を辿り、いま、人生の黄昏にいる。
 蕾のままで終わったけれど、情熱はまだ甘い。だけど、今は黄昏。珈琲に溶かして、ビターで喫(ノ)もう。でも、冷めないうちに。 …… 宵が満ちたら、もうきっと会うこともないだろう。

    『黄昏に乾杯』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎/編曲:石川鷹彦
    甘い情熱、溶かしたコーヒー
    冷めないうちに飲もうじゃないか
    触れることない、あなたの唇
    話すことばは途切れてしまう
    …… …… ……
    少し黄昏、でも会えてよかった
    今は黄昏、また、会えてよかった
    …… …… ……
    懐かしさは青春の影か
    愚かだった、あの頃はまだ

    少し黄昏、でも会えてよかった
    今は黄昏、また、会えてよかった
    …… …… ……
    

<その6>
 晩秋の通り雨に出会(デクワ)すと、きみの顔が浮かぶ。きみの言の葉がよみがえる。忘れたつもりだったのに、……忌々しい雨だ。
 秋時雨は秋を冬に渡す雨。だからなのか、こころがきみに渡ってしまう。この言葉をきみが教えてくれてから、魔法の雨になってしまった。忘れたつもりなのに……。きみがぼくに残していった呪文のことば。

    『秋時雨』 作詞:岡本おさみ/作曲:吉田拓郎
    嫌な雨だというぼくに
    秋の終わりに降る雨は
    秋時雨っていうのよと
    きみはつぶやいてたね

    秋が冬に呼びかけて    
    あの日のきみを連れてくる    
    忘れたつもりの秋時雨
    …… …… ……


 昨年末、28日にリリースされた新譜である。アルバムタイトルは「歩道橋の上で」 昨年8月の予定が延び延びになり、曲数も6曲に絞っての発表となった。事情は御案内の通りだ。
 わたしは譜面が読めない。同じく書けない。サビだけでも楽譜を載せたいが、叶わぬ。だから、歌詞のサビを載せた。さらに、手前勝手なイントロも付け加えた。画蛇添足の謗りは覚悟の前だ。
 それにしても、この人たち(作詞と作曲の二氏)は涸れない。三年ぶりの共作。展開されるのは『熟成のフォーク』である。じっくりと手間暇をかけて醸される『大人の味』だ。メロディーはCDでご堪能いただきたい。極上の時間が流れることは請け合いだ。□


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2007年12月の出来事から

2008年01月06日 | エッセー
■ スポーツクラブで男が散弾銃乱射2人死亡6人負傷
 長崎県佐世保市の「ルネサンス佐世保」で男が銃を乱射。アルバイト女性と友人男性が死亡、利用客ら6人もけがをした(14日)。男は翌朝、自殺した姿で発見された。
  ―― 俗に言う「凶悪事件」が起きた時、犯人一人に極小化することも社会全体に極大化することも、ともに危険だ。さらにメディアの作り出す「危機神話」はもっと危険だ。
 定義は詳らかではないが、凶悪犯罪は決して増えてはいない。むしろ微減している。だが、世論調査などでは「治安の悪化」にバイアスがかかる。明らかにメディアの影響だ。その先には、政治のポピュリズムが待ち構えている。少年法の改正、然りだ。更生のための少年法が処罰のための法に焼き直されていく。適用年齢の値切り競争に化けてしまう。  
 国民性の然らしめるところか。イシューを外さない論議が大事だ。

■ 福田首相、年金公約巡り陳謝 
 「党のビラで誤解を招くような表現があった。おわびを申し上げなければいけない」と陳謝(17日)
  ―― 街頭インタビューで一つ二つ、冷めた反応があった。初めから話半分で聞いていたから取り立てて落胆も怒りもありません、と。実はわたしも同じで、いいのか悪いのか。シニシズムは決して政治をよくはしない。冷静と冷笑はちがう。人生幸朗ではないが、「責任者、出てこい!」の熱まで『宙に浮いて』はなるまい。

■ 教科書の検定意見を事実上修正
 沖縄戦の「集団自決」をめぐる検定問題で、文部科学省は教科書会社6社から出ていた訂正申請を承認。いったん消えた「軍の関与」が復活した(26日)
  ―― 評論家の加藤周一氏は「軍の命令があったかなかったかという細かい点に解消されてしまっている気がする。肝心なのは軍の責任であり、どういう状況が人びとを追い込んでいったかだ」と述べる。集団自決などという日常性から最もかけ離れた行為が、一片の軍令などで唐突に起こるはずがない。問題は、沖縄を『捨て石』にした「状況」である。そこだけは絶対に外してはならない。画竜点睛である。
 それにしても、官僚はずるい。教科書会社からの申請を認めるという体裁をとった。検定システムを逆手にとる姑息なやりかただ。霞ヶ関の官僚群が優秀であることは認めるが、こんなところに秀でてほしくはないものだ。
 これで、アンバイ君の影がまた一つ消えた。

■ パキスタンのブット元首相暗殺
 ラワルピンディで銃撃と自爆テロに巻き込まれて(27日)
  ―― 安政7(1860)年3月3日、桜田門外の変が起こる。大老・井伊直弼が暗殺される。歴史の歯車が音を立てて回り始める。司馬遼太郎は、史上ただひとつ歴史を進展させた暗殺であったと述べた。つまりは、これ以外の全ての暗殺は無意味であったということだ。
 世界に規模を拡げても同じだ。人の死をもって前進する社会などありえない。年の暮れに世界を巡った暗い出来事であった。今年こそ同類の報道なきことをと、祈りたい。

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)□


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にくいタイトル

2008年01月04日 | エッセー
 年明け事始の「天声人語」は東京タワーを取り上げた。
  ~~元日、記念の年を迎えた東京タワーにのぼった。エレベーターが1時間待ちと聞いて、外階段で大展望台を目指す。何度か休みながらも、進む方向は上しかない。この塔が背負った時代が、まさにそうだった▼1958(昭和33)年の開業は、戦後復興から高度成長へと、日本全体の上げ潮を告げた。タワーには総合電波塔の役割とは別に、国産の資材と技術で世界一を建ててみせる意味があった▼東京タワーの半世紀は、ざっくりと昭和が30年、平成が20年。両方にまたがるバブル期から、日本は下り階段に迷い込んだ。だから、建設中のタワーをとらえた白黒写真はまぶしい。50年前の正月、4本の塔脚が姿を現した。国中が「伸びゆく姿」であふれた昭和30年代は甘い香りを放つ▼昔話を、それも「良き時代」を語り出せば成長は止まるという。だが、語りたい、語るべき過去があるのはいい。敗戦13年でこれができたのだからと、気合を入れ直す道もある。階段を下りながら、そう思った。~~(1月3日、抜粋)
 まさにコラムのお手本。巧い。「進む方向は上しかない」時代の象徴が東京タワーだった。懐古は停滞に繋がるかもしれぬが、「語りたい、語るべき過去」は背中を押す力にもなる。

 はじめこの映画の話題を耳にした時、胡乱な印象を受けた。いかにも大向こうを唸らす意図が露わなように感じた。公開2ヶ月で200万人以上を動員、30数億円の興行収入を上げた。日本アカデミー賞全部門の受賞。快挙である。だから余計、腰が引けた。
 熱(ホトボリ)が冷めた2年後の昨冬、続編の話題に気圧されて、ついに観た。
 自らの臍と旋毛が大いに曲がっていることに改めて気づかされた。なんと、これが滅法おもしろい。かつ、否も応もなく懐かしい。為て遣られ、打ちのめされる快感だ。

  「ALWAYS 三丁目の夕日」

 原作は西岸良平 作の、漫画「三丁目の夕日」メガホンは山崎貴。四十代半ばの新進の監督だ。舞台は東京、下町。昭和33年、日本が高度経済成長の階段を駆け上がり始めたころだ。三丁目は街ごとそっくりセットで再現され、小道具はすべて本物が全国から掻き集められた。ダイハツ・ミゼット、白黒テレビ、氷冷蔵庫、少年マンガ、駄菓子屋の品々、レア物どころか民芸博物館に展示されていてもおかしくないものばかりだ。
 さらに上野駅、SL、都電、東京の街並みにはCGが駆使された。東京工大のサポートもあったらしい。もちろん、東京タワーもだ。要所、見せ場で、だんだんと伸びる東京タワーが背景に映し出される。
 キャスティングも豪華で嵌っている。吉岡秀隆、三浦友和、堤真一、薬師丸ひろ子、小雪、堀北真希など。小説家・茶川竜之介(芥川ではない)と少年・古行淳之介(吉行ではない)の絡み。集団就職。町工場。テレビの来た日。戦災の影。初雪とともに町を去る恋人……。筋立は奇を衒う大仰なものではない。まさに昭和30年代の趣向だ。現代では陳腐に過ぎるだろう。この舞台に載せるからこそ光る。書割に似合った芝居だ。
 ロカビリーブームやフラフープ、ノスタルジックな風物が登場する。欲を言えば、皇太子の婚約、一万円札発行、長嶋の巨人入団、アジア大会開催、関門トンネル開通など時事ネタも織り込んでほしかった。だが切りはないし、第一これは記録映画ではない。それらすべてを括って東京タワーが聳えるのだ。

 不可解だったのはタイトルだ。「三丁目の夕日」これはいい。問題は「ALWAYS」である。むしろ、「FOREVER」の方が相応しいと考えたのだ。しかし、それは浅慮であった。「永遠なれ!」ではノスタルジアのスパイラルを超えられない。時は絶え間なく変化を強いる。「三丁目」があの時のままであるはずはない。
 バブル崩壊の暗闇に曙光が差し始めたころ、この映画は世に出た。タイミングは絶妙であった。繰り返そう ―― 「語りたい、語るべき過去」は背中を押す力にもなる。「いつも」押してくれるからこそ、あしたも歩める。よろめきながらも……。忘れてはいけない。「常に」あるのだ。「語りたい、語るべき過去」は。懐古ではない「過去」が。だから、「ALWAYS」だ。
 それで謎が解けた。にくいタイトルである。□


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New Year's card from Ratkid

2008年01月01日 | エッセー

 

 なにを隠そう。あちらの呼び名で「RATKID JIROKITICHI」、こちらでは人呼んで鼠小僧次郎吉たぁ、あっしのことだ。鼠とはいうものの、ケチな盗みはしねえ。狙うは大店、でーみょー(大名)屋敷よ。 
 ここんとこの大店ときたら、偽饅頭を売っさばいて知らん顔を決め込んでるふてぇー野郎もいやがる。それから、出入りの商人(アキンド)から大枚の袖の下をせしめて飲めや歌えのごうつく役人。まったくあいた口が塞がらねぇーよ。 
 そこへいくと、この鼠小僧さんは、真っ当な暮らしの町の衆(シ)には指一本触れやしねぇー。それどころか、頂戴した金子はそっくりそのまんま、きょうのおまんまにも困るほど貧乏なすってる堅気の衆(シ)にお届けするのさ。びた一文、あっしの懐には入れやしねえ。だから、人はあっしを義賊と言って、大層持ち上げておくんなさる。ありがてぇーことよ。 
 だが、考えてもおくんなせい。身上(シンショウ)持ちの商人だって、民百姓が身を粉にして働いて、世の中、下んところで支えるからこそ成り立ってんじゃーありませんか。そこんとこ忘れてもらっちゃー、困りやすねー。阿漕(アコギ)なしょうべぇー(商売)をする奴に限って、それがまるで解っちゃーいねぇー。でーみょー(大名)なんざ、もっと質(タチ)がわれ(悪)ぇー。お百姓さんの上前をはねて、ふん反りけ(返)ぇーってやがる。だからほんとのところは、あっしのは盗むんじゃーねぇー、取り返すだけのことさね。 
 はえ(早)ー話が、国を盗めばでーみょー(大名)で、天下(テンガ)を盗めば将軍様てーことだ。そいで、このあっしのように、大名、大店で盗っ人を働けば義賊ってーことになる。だがね、でーみょー(大名)、将軍様にはお縄は掛からねぇー。そこが大違いさ。でぇーいち(第一)、捕り方はでーみょー(大名)の下っ端で、でーみょー(大名)は将軍様の手下。まるで話にも何にもなりゃーしねぇー。割りを食うのはいつもあっしら、下々の者さね。もぉー、どこにも言ってくところはありゃーしない。浮世のどん詰まりが、つまり、あっしたちってーことだ。そのどん詰まりが、挙げ句、跳ねけ(返)ーって猫に噛みつくっーてーのが、つまり窮鼠猫を噛むてーことでござんしょうか。それで世の中、いくらも変わるものじゃーござんせんが、犬の遠吠えよか少しはましでございましょう。そんな心持ちで、あっしは稼業に精を出しておりやす。そのうち、時の潮目ってーやつが巡ってきて、世の中ひっくりけ(返)ーることだってあるかも知れねー。そうなりゃー、あっしたちの天下だ。尤も夢のまた夢、戯れ言、世迷い言でござんしょうがねー。

 まあー、年明け早々、愚痴ってもしょうがねぇー。義賊ってー、ありがてーなめー(名前)を汚さねぇーよーに、今年も、せいぜい気張ってめー(参)りやしょう。 
 おーっと、言い忘れてやした。どちら様も、新年あけましておめでとうさんにござんす。今年もこのブログ、大いにかわいがってやっておくんなさいまし。鼠からのお願いにござんす。へい。



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