伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

寸言 20230122

2023年01月22日 | エッセー

 舞の海が、この頃の大相撲は最後の仕切りが長過ぎる、特に蹲踞からが、と言っていた。愚考するに  、これはタイバか?ーー体重を重くして、軽自動車並みの大パワーで激突し、一気に決着をつける。引き技も多様される。だからケガが多い。技のある力士は上位が望めず変に体重をつけて自爆。宇良が典型。
 要するに、時間がもったいない。世界一競技時間の短いこの大相撲の最短化を図る。さらに加えてここ数場所の目まぐるしい混戦だ。大チャンスに体力を温存しておきたい。費用対効果からいかに時間を節約するかというタイパという時代のトレンドはついに大相撲にまで及んだか!? □


異次元の少子化対策」に喝!!

2023年01月17日 | エッセー

 岸田首相は少子化問題は「静かなる有事」だとし、年頭の記者会見で「異次元の少子化対策」を掲げた。2021年の合計特殊出生率は1.30にまで低下。2022年1~10月の出生数も66.9万人に留まっており、1年間の出生者数は過去最少だった2021年の81.1万人を大きく下回る可能性が高い。
 少子化は、経済成長力の低下をもたらすとともに、年金・医療など社会保障制度の安定性を揺るがすという。
 しかし、本当か? 
 少子高齢化は世界的、歴史的趨勢である。いまだに経済成長を志向すること自体が無理なのだ。それでなくとも、野放図に積み重ねた国債の重圧に日本経済が押し潰される確率の方が格段に高い。「成熟経済」こそ目指すべきで、そのためにパラダイム・シフトを図らねばならない。
 社会保障もベイシックインカムなど、衆知を結集すれば活路は開く。人類は今日までいくつもの危機を超えてきたではないか。少子高齢化が最速で進む日本こそ、そのロールモデルとなるべきだ。
 そこで頂門の一針。養老孟司氏が山極壽一氏との対談でこう語った。
〈子どもの数が減ったら一人ひとり、丁寧に見ることができるようになるねっていう話を、ひとことも聞いたことがない。子どもが減ったから、小学校が統廃合する。「必ず」統廃合するんですよ。つまり、今までの教育で「十分だ」って言ってるんです。そうでしょう? 子どもが減ったら、コストを減らすために学校を減らす。ずっとこれをやっているんです。何、それ(笑)。〉(「虫とゴリラ」から)
 なんと子どもへの愛情溢れる言葉であろうか。統廃合は市場原理に毒された成長経済の発想だ。子どもの成長は一顧だにされていない。
 最後の「何、それ(笑)」に高邁な学識と遠い視線が感じられてならない。養老さんにとってのコストは子どもたち(保護者も)にとっての教育コスト。今までの費用で2倍の教育リソースを受けられる。行政は予算の効率的運用しか頭にないから、てめーらの銭勘定ばかりしている。
やたら「異次元」の与太を飛ばす御仁には痛い一喝だが、馬耳東風だろう。 □


タモリ名言 その2

2023年01月16日 | エッセー

 昨年暮れの『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演したタモリの発言が秀逸だった。
 黒柳徹子から「来年(2023年)はどんな年になるでしょう」と訊かれ、少し間をおいて「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えた。
 単に回帰といわず「新しい戦前」という。この『新しい』と「戦前」の『前』は時間軸が前後する。その矛盾した時間帯に、あってはならない危機を挟み込んだ。群を抜く言語感覚である。脱帽だ。ウクライナを踏まえ、日本の右傾化、戦前志向、否応なしに進む軍事シフトの既成事実化を指しているに違いない。よほど警戒しないと世の流れに押し流される。芽のうちに見抜け! そんなメッセージではないか?
 「全国坂ラー協会会長」を名乗る人物だけあって一国の傾斜についても敏感なのであろう。
 「その1」は、「お前ら、素面でテレビなんか見るな!」である。今までなんども取り上げた。 □


寸言 20230115

2023年01月15日 | エッセー

〈岸田文雄首相は米ワシントンでバイデン大統領と会談した。首相は敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費の大幅増を決めたことを説明。バイデン氏は全面的な支持を表明した。共同声明では日本の取り組みについて「インド太平洋及び国際社会全体の安全保障を強化し、21世紀に向けて日米関係を現代化する」と評価した。〉朝日新聞20230115 から

 誰も【指揮権】に言及しない。米韓同盟ではそれぞれが保持しているのだが、指揮権を持たない軍事組織なんてなんの役にも立たない。アメリカの属国そのもの。単なるバイデンのリップサービスに愚かにも大喜びとはまるでおやつを貰った子どもの振る舞いではないか! □

※先日より病状悪化で入院、暫時寸言形式にします。

 


拝啓 吉田拓郎様

2023年01月05日 | エッセー

 拝啓 吉田拓郎様

 「返れ!」
 聴衆から一斉に野次を浴びた。
 ビール瓶が飛んだステージもあった。
 罵声の中で歌う。そんな季節だった。
 それでもあなたは、やめなかった。変えなかった。
 当時主流の「権威への批判」や「反抗」ではなく、
 徹底的に「みんなにわかる」歌で。
 時代に抗わず、時代を歌う。
 そんな正直なあなたの歌が、私のー、
 J─ポップの礎になりました。
 今はこのジャンルで、多くの人が歌っています。
 当時とはまた違った混沌とした時代でも、歌は、人々の救いとなっています。
 きっとあたなたは「俺には関係無い」と言うと思います。
 それでも言わせてください。
 私を生み出し育んでいただき、ありがとうございました。
 これからも私はあなたを、あなたの歌を愛し続けます。

 敬具
    J─ポップからの感謝状

 朝日新聞2023年元旦号 新年別刷り第2部 12・13頁 avexによる2面ぶち抜き広告である(全文、そのまま)。
 驚いた。調べたところでは朝日だけだった。
 さすがによく練れたメッセージである。「『みんなにわかる』歌」がキーセンテンスであろう。これが「罵声」を呼んだのだが、見事に「時代」を描写していた事実が隠されてしまった。「町の教会で 結婚しようよ」に東京かぶれの田舎青年だと酷評もされた。しかし、元気な日本を生んだのは紛れもなく彼らだった。東京への「反抗」と「憧れ」が正にその東京で筋肉剥離を起こした。今になって飽和に至り、田舎への逆転が始まっている。時代の皮肉か。
 「私を生み出しの」の対句は「俺には関係無い」だ。牽強付会をすれば、「関係無い」のは「勝手にやってくれ」ではなく、自らとは「関係無い」『次代』へのバトンリレーと捉えたい。これは反対給付義務の履行そのものではないか。
 思想家 内田 樹氏はいう。
〈何かを贈与されたときに「返礼せねば」という「反対給付義務」を感じるもののことを「人間」と呼ぶわけですから。贈与されても反対給付義務を感じない人は、人類学的な定義に従えば、「人間ではない」。
 贈与の連鎖は何があっても断ち切ってはならない。これは贈与のいちばん大切なルールです。パスを受け取ったら、次のプレイヤーにパスを回す。自分のところにとどめてもいけないし、パスを送ってくれたプレイヤーにそのまま戻してもいけない。次のプレイヤーヘパスしなければならない。クリスマスプレゼントも同じです。親から受け取った贈り物を返す相手は自分の子どもです。〉(「困難な成熟」から)
 突飛だが、箱根路を駈けた青年たちの必死の襷リレーが心をいっぱいに満たした。 □


1600回

2022年12月29日 | エッセー

 今年の初投稿は「危機回避」と題して、
〈「昨年の凶悪事件を振り返って、唯一の回避方法はその場に行かないことだ。デジタル社会の果てに、太古人類が生き延びてきた危機察知能力というアナログへ先祖返りするとは難儀な時代だ。〉
 と、愚案を綴った。これが本ブログ1511回目。2006年3月の開始以来16年目であった。それから今稿で1600回目に達した。まあ、勝手次第の与太話を書きも書いたりである。どんな岩を通したものか、虚仮の一念ではある。
 さて件(クダン)の「危機回避」であるが、遂にその規模が想定外に達した。パンデミックとウクライナ戦争である。
 コロナには9月不様に襲われ持病を併発して死線を彷徨った。赤っ恥もいいところ。みっともない限り。穴があったら隠れたいが、ないからぶっちゃける他はない。でも隔離病棟の暗闇に紛れ、肩で息つきながらブログだけは発信し続けた。まさに虚仮の一念。
 賢愚ともに想定を超えたのがウクライナ。犬の遠吠えであろうがなんでろうが、子どもを泣かす戦争を大の大人がしてはならないと、呼ばわり続けた。
 ともあれ「危機回避」は成らず、人類は一敗地に塗れる結果となった。
 さてそこで、突飛なようだがマイケル・サンデル教授の「トロッコ問題」だ。
── ブレーキの効かなくなった路面電車が工事をしている5人の所へ突進しようとしている。知らせる方法はまったくない。だが、手前に別の引き込み線がある。そこに入ることはできる。しかし、そこでも1人が工事をしている。君が運転手だとしたら、どちらにハンドルを切る? ──
 甲論乙駁に内田 樹氏はどう快刀乱麻を断ったか。
〈そんな問いをしている時点でもう手遅れなんです。「究極の選択」状況に立ち至った人は、そこにたどり着く前にさまざまな分岐点でことごとく間違った選択をし続けてきた人なんだから。それまで無数のシグナルが「こっちに行かないほうがいいよ」というメッセージを送っていたのに、それを全部読み落とした人だけが究極の選択にたどり着く。正しい決断を下さないとおしまい、というような状況に追い込まれた人間はすでにたっぷり負けが込んでいる。それは「問題」じゃなくて、「答え」。「いざ有事のときにあなたはどう適切にふるまいますか?」という問題と、「有事が起こらないようにするためにはどうしますか?」という問題は、次元の違う話なんです。〉(「評価と贈与の経済学」から) 
 「究極の選択」に至った人とは、「一敗地に塗れ」た人たちだ。その前に「さまざまな分岐点でことごとく間違った選択」をし続けてきた人たちである。しかし、諦めるわけにはいかない。僅かでも残されたレジリエンスの機会はあると見たい。要(カナメ)は敢えて複数形で記した「人たち」がどう集合知を結集できるか、に掛かっている。内田氏の洞見を徴しつつ複数形に展開したのは、そんな願いからだ。
 14世紀死者1億人を超え、世界人口19億人の3割の命を奪ったペストを人類は乗り越えてきた。それも何度も、だ。「想定外」とはいえ、天為であるパンデミックを超えた。ましてや戦争は紛れもない人為である。人間が始めたものを人間が熄(ヤ)められぬ訳がない。
 といって、国際賢人会議を指向してはいない。粗製濫造されるし、ポピュリズムの罠が待っているからだ。
──市井の民草こそ賢であり、その連帯こそ「要(カナメ) 」であると信じたい。──
 これが1600回目の括りである。
 皆さま、よいお年を。 □


宇国?

2022年12月26日 | エッセー

 国名を漢字表記する場合、現在の外務省ではカタカナ表記を原則としている。一方新聞・報道では、文字数を減らし複合語を作りやすいので漢字表記が主流だ。「日本アメリカ」貿易」より、「日米貿易」がよりコンパクトだ。それも運用の経緯や社会背景で定着には濃淡がある。ブラジルは「巴」「武」「伯」などがあったが、今は「伯」が一般的だ。シンガポールは「星」使われたときもあったが認知度は低い。
 イギリスは、「イングランド」のポルトガル語読み「イングレス」の日本語なまり。フランスは「仏蘭西」の「仏」、イタリアは「伊太利」の「伊」。「独」はドイツ語読みの「ドイチュ」が訛って「独逸」と当てられ「独」に。カナダは「加奈陀」の「加」。以上がG7で、面白いのがロシア。幕末には「魯西亜」と記していたのだが、後、“魯”には『愚か者』の意味がある(「魯鈍」など)とロシア政府から強い抗議を受け、「露」に替えたたという経緯がある。
 他では、インドが「印」は多用されるが、イラン・ペルシャを「斯」、インドネシアを「稲」はほとんど目にしない。
 さて、ウクライナはどうか? 「宇(う)」である。「宇国(うこく)」。なんとも素っ気ない。今年の2月までは疎遠であった事情もある。宇宙の「宇」では壮大ゆえに、存亡の危機的現状とあまりにかけ離れてしまう。ここはやはり“憂(うれ)う”の「憂」を使いたい。「憂国(うこく)」だ。
 驚天動地! 21世紀の地球で今なお戦争が起こされるなんて。──その憂いだ。人類は今もなお戦争という宿痾を引き摺っているという、その憂いだ。核が現実化する人類史的クライシスへの憂いだ。
 世阿弥が「花鏡」で説く「初心忘るべからず」について、能楽師 安田 登氏は次のように繙く。
〈初心の「初」という漢字は、「衣」偏と「刀」からできており、もとの意味は「衣(布地)を刀(鋏)で裁つ」。すなわち「初」とは、まっさらな生地に、はじめて刀(鋏)を入れることを示し、「初心忘るべからず」とは「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな」という意味なのです。
 意思をもったイノベーション、それこそが「初心」の特徴です。〉(新潮新書「能」から)
 胸を張ってウクライナを宇宙の「宇」と呼べる日がくるのか。地球に住まう者たちに「意思をもったイノベーション」が課されている。 □


討ち入り、その後

2022年12月24日 | エッセー

 先日の稿「酢豆腐の討ち入り」で「時は元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓……」と三波春夫の『俵星玄蕃』を冒頭に引いた。三波の曲は「いざ、討ち入り」で終わるのだが、大団円はどうなったか。遂に本懐を遂げた四十七士は浅野家の菩提寺である泉岳寺の主君の墓前に吉良の首を供え焼香したことになっている。『東京とりっぷ』には「その後、吉良上野介の首は泉岳寺の僧が吉良家に届けています」とある。
 そのようにして「確信された一思想の実践」(小林秀雄)は完結し、「宗教的祭祀としての討入り」(丸谷才一)は成就した。
 本質的にはそうなのだが、史実はちがう。
 今週の朝日新聞「新書ベストテン」3位に入った歴史学者 磯田道史著「日本史を暴く」で、氏は討ち入り後の謎を見事に暴いて見せた。古文書発見への抑え難い興奮の裡にそれは語られる。以下、抄録。
〈浪士達は、まず名乗ってから焼香。小脇差を取り、上野介の首に三度当て、脇差を元の所へ置いて退」く儀式を一人ひとりがはじめた。
 浪士達は、墓石を生きている主君に見立て、吉良の首を取らせる介助のしぐさを繰り返した。その時、内蔵助が放った言葉をここで初めて完全解読しよう。「上野介殿宅へ推参。上野介殿のお供をしてここまできた。この合口は尊君の過日の御秘蔵で我らに下さったもの。只今、進上します。墓下に尊霊があれば、御手を下され欝慢を遂げてください」。つまり吉良邸討ち入りはまだ手段の段階で、大石達の最終目的は墓石を主君に見立て吉良の首に手を下させる「首切り切断」の挙行にあった。今後書かれる忠臣蔵はラストシーンが変わってくるに違いない。〉
 件(クダン)の「儀式」は一見残酷ではあるが、ギリギリ様式化されたものであったろう。儀式化は激情を整序する。しかし、今は絶えて無い。令和4年を振り返って、そう痛感する。 □


メッシとメッシュ

2022年12月20日 | エッセー

 時として「メッシュ」と聞き違い、言い違いをしてしまう。加齢のせいには違いなが、なんとも紛らわしい。もちろん、メッシは固有名詞で、メッシュは一般名詞である。
 広辞苑には「mesh 英語で網目の意味。網目状に織られた透かしのある織物。」とあり、単なるダジャレを超えて無関係ではなさそうだ。以下、十八番の牽強付会。
 メッシを点、メッシュを網に準えると、メッシという点が敵陣の網を突破する閃光のような動きが浮かぶ。あるいはメッシという点の動きに連動し敵陣の網が変化する。そこに生まれた一瞬の空隙に自陣の点が傾(ナダ)れ込む。アルゼンチンはフォーメイションではなく、メッシを起点としたメッシュと捉えた方が解りやすい。メッシによって動き、メッシを動かすための網目だ。自国が生んだ英雄の最後の大一番に同輩がピタリと呼吸を合わせた。その金字塔である。試合後メッシは次回も狙うと語ったそうだが、それは措こう。
 メッシュを連想したのには訳がある。俯瞰だ。
 思想家 内田 樹氏はこう語る。
〈これは脳科学者の池谷裕二さんの受け売りなんですが、同じ動作をたくさんの人間で反復していると、ミラーニューロンが活性化してきます。そうすると、どういうわけか意識が幽体離脱して、視点が上に上がってゆくんですね。集団で同じ動作をする目的の一つはもちろん身体の共感力を上げてゆくことですが、もう一つの自分が集団の中のどこにいるのか、どんな「文脈」の中に置かれているのか、それを鳥瞰的に見下ろす力をつけることなんです。自分の足がどちらから出て、どう体重が乗っているか、体軸はどの角度で傾斜しているか……そういう自分自身の空間的な位置取りを上方から俯瞰する。〈(「日本の身体」から抄録)
 メッシの天稟はそこにあるのではないか。
 スポーツ界には時として現れるジーニアスだが、地球と歴史の網目を俯瞰できる天才は政治の世界には現れ難い。擬い物は数多いるが(つい最近も日米同時に出現した)、その評価が定まるまでには数百年規模の時間を要するからだ。ただし、人類史は一人のそれを望んではいない。数々の辛酸を嘗めて、プラトンの「哲人政治」は万人に開かれている。今や、民衆こそ賢なりというレベルにまで達している。そんな夢が湧いた。
 いや、違う。夢ではない。夢こそ希望の力だ。
  ジョンレノンは歌う。
  Imagine all the people  
  Living life in peace
  You may say I'm a dreamer  
  But I'm not the only one
  I hope someday you'll join us  
  And the world will live as one  □


酢豆腐の討ち入り

2022年12月16日 | エッセー

「時は元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓……」
 ここから三波春夫の名曲『俵星玄蕃』は聞かせどころに入る。西暦では一月三十日に当たるが、今年の同日も全国的に初雪や真冬の寒さに見舞われた。
 小林秀雄は「感情の爆発というようなものでは決してなく、確信された一思想の実践であった」といい(「考えるヒント」)、丸谷才一は「呪術的=宗教的祭祀としての吉良邸討入り以外の何かではない。この御霊信仰こそは忠臣藏の本質であつた」(「忠臣蔵とは何か」)と語った。いずれにせよ、師走の定番である。それにあやかって、稿者が酢豆腐の討ち入りといってみたい。
 半導体のことである。高度経済成長時代には鉄鋼を産業の米と呼んだが、冷戦以降は半導体がそう呼ばれる。産業の生殺与奪の権を握る品物なのに、これが今一よく解らない(稿者だけかもしれぬが)。そこでいろいろ聞きかじってみた。
 ウィキペディアにはこうある。
〈半導体とは、金属などの導体と、ゴムなどの絶縁体の中間の抵抗率を持つ物質である。半導体は、不純物の導入や熱や光・磁場・電圧・電流・放射線などの影響で、その導電性が顕著に変わる性質を持つ。この性質を利用して、トランジスタなどの半導体素子に利用されている。〉 
 化学音痴には解ったような解らぬような。悔しいから十把一絡げに大括りすると、つまりは『スイッチャー』ということか。交差点のお巡りさんである。種々雑多な車や通行人を要領よく捌き、交通網の流れを確保し社会を快適に回す。そんな役目ではないか。しかし話は続いて、交差点は一つや二つではないのだ。あの小さな基盤の上に膨大な交差点とお巡りさんを縮めに縮め詰め込んでいる。まあ、そんな具合ではなかろうか。
 だから、「半導体」と呼ぶより、むしろ「半導体“回路”」と呼ぶ方が相応しい。
 「縮める」とくれば、日本人のお家芸だ。「団扇を扇子にする、傘を折りたたむ、ステレオをウォークマンにする、自然を箱庭に詰め込む。縮めることが好きなのは日本人だけだ」と、かつて韓国人学者 李卸寧氏が指摘した。それを受け、養老孟司氏はこう述べた。
〈縮み志向の理由についてふと閃いたことがあります。日本人は歩いていたからではないか。日本人は何千年もの間、馬車に乗らないで歩きまわっていました。大名行列だって足軽は歩いています。あの人たちは、ひたすら荷物をどうやって小さくするか、どうやって軽くするかと考えていたのではないか。日本人はものを何かに乗せて運ぼうと考えずに、軽くすることだけを考えて小さくし、つめ込んだのではないか。つまり、馬車を自由に使えない日本の地形が、日本人をつめ込んだり細工して縮める方向に向かわせた。これがものづくりの原点の一つなのではないかと思うのです。李御寧さんによると、日本人は縮んでいるときが一番成功していて、外へ広がろうとすると失敗します。秀吉の朝鮮出兵がそうでしたし、この間の大戦がそうだった。〉(「本質を見抜く力」から抄録)
 日本の「ものづくりの原点」に馬車があった、いや馬車が“なかった”事情が働いた。いや、面白い。コインの裏表である。かつて隆盛を誇った日本の半導体産業は、アジア勢の台頭を見くびったため今や韓国の後塵を拝している。ここに来てやっと巻き返しを図る羽目に陥っている。果たして四十七士の覚悟はあるか。はなはだ心許ない。 □


この国のカタチ

2022年12月12日 | エッセー

 もうすぐ年明け。今年のイシューも交え、老ディレッタントの基本的スタンスを大掴みに整理しておきたい。(タイトルは臆面も無く司馬遼太郎を真似た)

■ 9条改正
 憲法は目指すべき理念を謳っている。現実と符合しないから理念を変えるのか、それとも現実を変えるのか? 当然後者である。前者は子どもの理屈、後者は大人の振る舞い。

■ 9条に自衛隊の存在を明記すべき
 武の究極は不行使にある。矛盾するあり方そのものが武の本質に適う。

■ 大統領を置かず、なぜ議院内閣制にしたのか? 
 天皇がいるから。アメリカの深謀によりこの制度が採択された。

■ 属国
 右派政治家の眼には「日本がアメリカの属国である」という現実が見ていない。見ようとしない。沖縄に米軍基地があるのも、首都上空に米軍主権の空域があるのも「日本の安全保障のために必要と政府が判断して、こちらからアメリカに要望してそうしてもらっているのだ」と糊塗している。 

■ 靖国参拝
 本来ならアメリカがクレームをつけるべきだが、属国の我が儘を今は大目に見ているだけ。殉死の再生産という本質に変わりはない。

■ ウクライナ戦争
 真因はプーチンの皇帝への野望だ。現に自らをピョートル大帝に擬える発言もあった。かといって、ゼレンスキーに十全な正義があるわけではない。国際的合意を等閑視した稚拙な外交的落ち度があった。だからといって流血と破壊の惨事は認められない。人類は今、核を含む戦争という宿痾に対峙している。英知と対話で超えるしか未来はない。

■ 中国の大国化
 俄に大国化したのではなく、元々の大国に復し覇権化している。毛沢東主義の本質はマルクスレーニン主義というより民族主義である。それを踏まえた外交交渉が望まれる。

■ 日韓問題
 侵略国家として謝罪が必須。いつまで謝るのか──赦すと言ってくれるまでである。それをカネで解決しようとしたから自尊心を傷つけた。

■ 地球環境
 IPCCには賛否両論がある。地球はそれほど柔ではないというのが稿者の意見だが、世界が平和裡に絆を結ぶ意味で奇貨居くべし、である。

■ SDGs
 人類の知恵とはいえるが、実効性には疑問符が付く。その意味で斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』は示唆に富む。
■ 少子高齢化
 人口減社会は抗い難い自然の趨勢、世界の成り行きである。当然、経済もシュリンクしていく。もはや経済発展は望めない。『成熟経済』をめざすべき。日本はそのパイオニアに!

■ 安倍暗殺
 私が国家だとの憍慢とネポティズムで民主主義を破壊し、『アホノミクス』(浜 矩子)で経済を奈落に突き落とした。国家を私物化した張本人。それも超悪運に縛された「あんな男」(内田 樹)であり、『日本史上の汚物』。ただ、侮ってはいけない。ゾンビの復活に要注意! 

■ 右派の戦前志向
 戦前というなら維新以降の150年に倍する江戸時代300年、日本社会のDNAが形成されたところまで遡らねばならない。.

■ 旧統一教会問題
 「政治と宗教」に短絡してはならない。岸・安倍以来の政治との癒着・政治倫理の問題であり、国家の切り売り・売国行為である。

■ 白鵬
 たまたまライバル不在のため記録を残しただけで、横砂の名に値しないダーティー相撲取り。

■ 連続する閣僚議員の失言・妄言・不祥事・辞任・更迭
 赤絨毯の妖怪どもは挙げて政治不信に邁進している。なんのためか? 投票率を下げ、右派のコアな部分で国政選挙を制するためだ。だから、杉田水脈のごときトリックスターは貴重な人材である。

■ コロナ
 「親から子への遺伝情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスは情報を水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達しうる。ゆえにウイルスが進化のプロセスを支えてきた」との生物学者 福岡伸一氏の洞見に大いに賛同。それにしても、今夏コロナを患い死線をさまよった者としてはキツい病だ。

■ 卯年
 アポロ以来の月面探査「アルテミス計画」──続いてNASAは月面基地から火星をめざす。うさぎさん達の嘆きが聞こえる。「あたいらの居場所がなくなる!?」。

 爺の与太はこんな所。お後がよろしいようで。 □


<承前>杉田水脈の意味

2022年12月08日 | エッセー

 余りにも度外れしているため前稿で例示しなかった妄言を挙げておきたい。トリックスターにも程があるからだ。
「男女平等は絶対に実現し得ない反道徳の妄想です」(14年10月)
 悪平等だと言っているわけではない。端から男女平等を全否定している。まず、杉田は生物学的に男の出自は女であることを知っているのだろうか? 
 何度目かになるが、養老孟司氏の言説を徴したい。
〈男性は女性をわざわざホルモンの作用でいじって作り上げたものです。元になっているのは女性型なのです。これが非常に重要な点です。ということは実は人は放っておけば女になるという表現もできます。Y染色体が余計なことをしなければ女になると言っていい。本来は女のままで十分やっていけるところにY染色体を投じて邪魔をしている。だから、男のほうが「出来損ない」が多いのです。それは統計的にはっきりしています。〉(「超バカの壁」から抄録)
 「放っておけば女になる」ものを、種の存続のため「わざわざ」「いじって作り上げた」のが男だ。だから、杉田の与太は生物学的に誤っている。
 社会論としてはどうか? 
 杉田の戦前志向は明らかだが、問題はどこまで遡るかだ。維新まででは不十分だ。その約4倍に当たる江戸時代まで戻らないと、日本社会の深層、真相は掴めない。コラムニスト 荒川和久氏の著作から引用したい。
〈意外に誤解している人が多いが、この「三行半」は、夫が妻に対して勝手に突き付けるものではない。離縁というものは、双方の承諾がなければできなかった。夫だけにその権利があったわけでは決してない。調停に至ることもあったようである。江戸時代の女性人口は男性に比べ圧倒的に少なく、一番の問題は、結納金や嫁入り道具など持参金の返却問題。原則として、それらは離縁の際には全額全品返却しなければいけなかった。妻がそれら持参金を活用して、旦那を脅し、コントロールしていたという節もある。江戸時代は、男女ともに結婚も離婚も再婚も自由だった。女性はたとえ専業主婦であろうとも、家事や育児の労働は価値あるものとして社会が認めていたし、農家や商家の場合は、夫婦に「共働き」という概念が染みついていた。女が強かったというより、それぞれが自立していて、きわめて男女平等だったと言える。〉(PHP新書「超ソロ社会 独身大国・日本の衝撃」から抄録)
 三行半は妻の武器、江戸時代は男女が「それぞれが自立していて、きわめて男女平等だった」のだ。「絶対に実現し得ない反道徳の妄想」どころか、300年間この国に「実現し得」ていたのである。
 反知性主義は自縄自縛のピットホールに陥る。これが杉田水脈が身をもって示す意味だ。 □


杉田水脈の意味

2022年12月04日 | エッセー

 暴言を例示するためウィキペディアから引用しようとしたが、その数の多さと醜悪さに途中で嘔吐を催した。ゆえに、極めつき3件に限ることにした。
〈保育所増設の要望の広がりと共に、LGBT支援の広がりについても「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本」であり「夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援などの考えを広め、日本の一番コアな部分である『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました」と主張。「保育所や学童保育はコミンテルンや共産党などの日本を貶めようとする勢力が日本を弱体化させるために仕組んだ施設。保育所は子供を家庭から引き離し、洗脳教育を施す施設である」とし、学童保育についても「共産党の陰謀である」とし、保育所と学童保育について普及に反対である。〉
 明らかな事実誤認がある。コミンテルンは、1919年から1943年まで存在した国際共産主義運動の指導組織である。復活したという話は聞いたことがない。また、日本での保育所の創始は1890年新潟市で教育者 赤沢鐘美(アカザワアツトミ)・仲子夫妻が創設した「静修学校付設託児所」とされる。コミンテルンも日本共産党も存在してはいなかった。陰謀など企てようもなかった。
〈16年に行われた国連女性差別撤廃委員会では参加していたアイヌ民族衣装、チマチョゴリ、及び糸数慶子参議院議員を無許可で撮影し、「コスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」「目の前に敵がいる! 大量の左翼軍団」、参加者の記者会見では大勢に囲まれたとし「同じ空気を吸っているだけでも気分が悪くなる」とブログで紹介、恥さらしと糾弾した。今年12月の参院予算委員会で、松本剛明総務相から指示されたこともあり、「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」とブログに書いたことに対して、撤回と当事者らに謝罪することを表明した。〉
 歴然たるヘイトスピーチである。純然たるクライムスピーチである。付言は不要であろう。ただ、撤回・謝罪は上司の指示。筋を通して辞めていれば見上げたものだが、所詮は権力亡者か。
〈15年7月、ネット番組・チャンネル桜において「同性愛の子どもは、普通に、正常に恋愛できる子どもに比べて自殺率が6倍高い」と笑いながら発言、更に「生産性がない同性愛の人たちに、皆さんの税金を扱って支援をする、どこにそういう大義名分があるんですか」とも発言。ツイッター上などで拡散、海外から批判コメントが殺到した。〉
 荒唐無稽な与太がどれほど日本の面汚しとなるか、考えたこともないのだろう。
〈「新潮45」18年8月号に「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」などと寄稿し、国内外の人々、LGBT当事者団体、難病患者支援団体、障害者支援団体、自民党内外の複数の国会議員、大臣、弁護士、大学教授、芸能人など著名人からも批判が殺到した。国内外の複数のマスメディアからも批判的に報道された。〉
 反知性主義ここに極まれり、である
 杉田 水脈(すぎた みお)──渡り歩いた政党は、「みんなの党」→「日本維新の会」→「次世代の党」→「日本のこころを大切にする党」→自由民主党(安倍派)
 比例近畿ブロック(兵庫6区)選出の自民党所属の衆議院議員(3期目)、現在 総務大臣政務官である。朝日新聞は今月3日の社説で、
〈杉田氏を自民党に引き入れたのは安倍元首相やその周辺だ。過去2度の衆院選では、政党名で投票する比例中国ブロックの名簿で優遇され、当選を重ねた。岸田首相には杉田氏の処遇で、党内外の保守層にアピールする狙いがあったのかもしれない。しかし、このままでは、「多様性のある包摂社会」という主張も看板倒れになるだろう。〉
 と批判した。
 「保守層にアピールする狙い」もあったろうが、これは紛いもないゾンビの跳梁だ。7月の拙稿『国葬 いいかも』で危惧したアベ・ゾンビの純化されたトリックスターだ。それが杉田水脈の意味だ。侮ってはいけない。 
「トリックスターおばさんのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼女は政策を作らない、つまり生産性がないのです」
 因みに国会議員には一人につき年間2億円の税金が投じられている。 □


天気予報 なぜズレる? 

2022年11月30日 | エッセー

 中学生のころか、天気予報の主役がラジオからテレビに移った。聴覚に視覚が加わり天気予報は画期的な変化を遂げた。大袈裟かもしれないが、モビリティが動物から機械化された進歩に匹敵するかも知れない。
 大半の日本人が日本列島を見、都道府県を俯瞰しつつ,そこに落とし込まれた高低気圧や時には台風の進路を目の当たりにする。しかも毎日だ。繰り返すが、この認知の変容は只事ではない。
 言うまでもなく、地図は太古よりあった。しかし印刷革命のお陰で下々にまで普及したのが17世紀。ここで劇変が起こった。自領と隣国を引き比べて俄に自信を失ったのだ。豊かな豊作物に恵まれ「ここが一番」の自慢が吹っ飛んだ。隣国の方がもっとデカい。現地を視察したわけでもないのに、現代のVRよろしく地図だけでムラムラと領土欲が湧いた。攻撃性が無尽に刺激され、挙句、国同士の大戦争が起こり大量殺戮が始まった。これが17世紀に重なるのだ。地図が大戦争を呼んだなどと大袈裟なと嗤う向きあろうが、事実は小説よりも奇なりだ。小事が大事へと連鎖する「バタフライ効果」は現実にある。まことに歴史は複雑系だ。
 地図の流布で世界を的確に把握することが、怪異なエゴイズムを引き摺り出してしまう。コインの裏表、御しがたきアンビバレンツである。
 閑話休題。
 しばらくしてTVの天気予報にある疑問が湧いた。隣接する都道府県ごとになぜ予報がちがうのか? 雨予報の隣県が曇り、極端な場合は晴れ。これは一体なんだ? 一県跨ぐとなぜちがう? 
 長じて古代史を振り返り、一つの発想を得た。五畿七道である。律令制における広域地方行政区画である。「畿」とは天皇直轄地。「道」は地理的要件によって区画された地方行政区画を指す。のち北海道が加わり八道となるが、東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道をいう。いずれにせよ、「地理的要件によって区画」されていた。その下に律令国がある。律令国は初発の平安時代から江戸末年まで続き、68ヵ国がそのまま維持された。これはおもしろい。大岡越前守忠相(おおおかただすけ)は越前の領主ではない。いわば「越前」というヴァーチャルな国名を冠する町奉行であった。
 話が逸れた。地理的要件から七道が生まれ、68ヵ国に細分化され、さらに47にまで刻まれた。稜線や川、湖、つまり端っから地理的要因で線引きが行われていたのである。人為的な線引きではないのだ。截然とまではいかずとも、都道府県ごとに天気予報がズレるナゾはそこにあった。と、暗愚の発想はとてもシンプルでプアである。
 現在、天気予報は長足の進化を遂げた。ハイテクを駆使してピンポイント予想までできる。凄いと言いたいが、なんか身も蓋もないような。孫の運動会以外無益か、交通弱者のジジババには無縁か。ここはひとつ、老いは天気予報を蹴返す、とでも嘯くか。 □


珍説「国引き・国譲り神話」

2022年11月22日 | エッセー

 国と名乗るなら、それぞれに肇国の物語を持つ。「古事記」はその最古であり(七一二年)、八年遅れて「日本書紀」がつづいた(七二〇年)。いずれも御代の正統を謳う歴史書である。記紀に遅れること十余年(七三三年)、「出雲国風土記」が成る。勅命による編纂で聖武天皇に奏上された。記紀神話とは異なる伝承である。これは重要だ。肇国の物語が二つ生まれた。ヤマトがイズモに史的正当性を与えたことにならないか。ただし、八百万の神を統べる宗教的権威として。ヤマトが政治的支配権を執り、それと引き換えにイズモは宗教的支配権を執った。それが国譲りだ。古事記には、
〈大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか・出雲大社)」を造った。〉
 とある。「国引き神話」は「出雲国風土記」に登場する。
 出雲国は形は東西に細長い布のようであったという。そこで、八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと・須佐之男命の子孫、大国主命の祖父)は、遠く「志羅紀(新羅)「北門佐岐(きたどのさき=隠岐)」「北門農波(きたどのぬなみ=中国東北部」「高志(こし=越)」の余った土地を裂き、「国」を引き寄せて「狭布の稚国(さののわかくに・出雲)」に縫い合わせ、できた土地が今の島根半島であるとされる。国譲りに先立つ肇国の物語である。
 一方、ロシアの肇国は一千年以上前のキエフ大公国に遡る。版図は仏独二ヵ国分ぐらいあったが、ユーラシア大陸の巨大に比すれば小国に過ぎない。その小国がタタールのくびきを解き放ち一六世紀、イヴァン雷帝によって独立。恐怖政治を敷き、東方の国々を切り取って版図を拡大し東ローマ帝国の後継と称した。さらにポーランドの侵攻を経てロマノフ朝が跡を襲う。
 さて、ここからが超無理矢理な牽強付会、珍説「国引き神話」である。
 八束水臣津野命をプーチンに擬すると、狭布の稚国はキエフ大公国に当たるのではないか。東方諸国の併合はまさに「国引き神話」さながらだ。特にウクライナが欲しくて堪らない。太古、宝石(勾玉)の産地であった高志はその技術大国ウクライナに該当する。カタールのくびきはヤマトとの冷戦であろうし、結句ヤマトの後塵を拝した終末は冷戦終結に準えられる。
 では、中国は筑紫か? 勢力は大きいもののヤマトとは強かに不即不離。じっと漁夫の利を狙っている、といったところか。
 はたして、ロシアの八束水臣津野命は宗教的権威と引き換えにヤマトに支配権を譲った大国主神のような離れ業ができるだろうか。おそらくそれほどの器量はあるまい。
 掌中にした非常大権が仇となり、精神を病み容貌も老残のそれに一変し、失意の内についに生涯を閉じたイヴァン雷帝。どうもこちらに転ぶようでならない。 □