伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「ラッスンゴレライ」を流行語大賞に

2015年04月29日 | エッセー

 以下が基本形である。 

A:ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ 
  ラッスンゴレライ 説明してね
B:ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん ラッスンゴレライってなんですの? 
  説明しろと言われましても 意味わからんからできまっせーん
A:ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ
  昨日の晩飯 ラッスンゴレライ
B:ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん ラッスンゴレライって食べ物なん? 
  晩飯ゆうてもジャンルはひろい 肉 魚 野菜 どれですの? 
A:ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ 
  買ってる犬がラッスンゴレライ
B:ちょっと待てちょっと待ってお兄さん 嘘はついたらいけませーん
  買ってる犬がとか言うてたけど お兄さん犬こうてへんや~ん
A:ラッスンゴレライ ラッスンゴレライ 
  キャビア フォアグラ トリュフ スパイダーフレッシュローリングサンダー
B:ちょちょちょっと待ってお兄さん ちょっとー! お兄さん! 
  そこラッスンゴレライちゃいますのん? 
  意味わからんからやめてゆうたけど もうラッスンをまってマッスン
A:スパイダーフレッシュローリングサンダー スパイダーフレッシュローリングサンダー
  電車の中でスパイダーフレッシュローリングサンダー
B:ちょちょちょちょっと待ってお兄さん! だからラッスンゴレライゆうてーなぁ。
  スパイダーフレッシュローリングサンダーってプロレス技かなんかですの?
A:スパイダーフレッシュローリングサンダー
  サウジアラビアの父さんとインドからきた母さんの間に生まれたお前の名はラッスンゴレライ
B:ちょちょちょっと待ってお兄さん おれサウジとインドのハーフちゃう
 日本の父 日本の母 その間に生まれたオレはジャパニーズピーポー
A:飽きたからもうおしまい!
B:ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん……

 年明けから一気にブレークした“8.6秒バズーカー”のネタである。ラップとダンスと漫才のハイブリッドとでもいおうか、耳について離れない。近頃手拍子を打ちながら「ラッスンゴレライ」と連呼しては、家人に白い目で見られている。クマムシの「あったかいんだからぁ」もあるが、深さがまるで違う。「あったかい」といってみても、温かいか暖かいかのどちらかでしかない。それがどうしたというのか。一昨年の「今でしょ!」などという、エコノミックアニマルが突如息を吹き返したかような身も蓋もない下世話な言葉より「ラッスンゴレライ」がどれだけ美しく深遠であることか。ロハでアメリカの傭兵を引き受けたご褒美にあめ玉をしゃぶらせてもらう(両院合同議会で演説をコくそうな)どこかの首相の英語スピーチ(母国語で語らないところがいかにも隷属的だ)などとは比較にならない高尚ささえ漂う。だから、早いがもうすでに今年の流行語大賞はこれに決まりだ。
 さて、その意味だ。
 “8.6”がヒロシマで、Lusting God laid light が「ラッスンゴレライ」だという超無理筋もある。出自は反日だとの都市伝説風のあらぬ誤解も乱れ飛んで、遂に封印するらしい。まことに惜しい限りだ。実は、意味はない。ネタに呻吟する中で、たまたま浮かんだフレーズらしい。オノマトペか合いの手の類いといえる。参考までに、以下の頭の体操をお願いしたい。
◇ある晴れた日に、ある船が飲料水に困って小さな島に接岸した。この島には、正直族と嘘つき族とがいて、正直族はかならず正直に話し、嘘つき族はかならず嘘をつく。が、見かけ上はどちらとも区別がつかない。また、日本語はわかるが、この島の言葉しかしゃべれない。そこへ上陸した船員が一つの泉を見つけた。しかし、この水、はたして飲めるかどうかわからない。ちょうど一人の土人がいたので尋ねてみた。
「きょうはいい天気だね」─「メラターデ」
「この水は飲めるかい」─「メラターデ」
 この「メラターデ」という言葉は、島の言葉の「はい」か「いいえ」のどちらかというだけはわかっているのだが、はたして、この水は飲めるだろうか。<制限時間・1時間>◇(光文社、多湖 輝「頭の体操」2より)
 「メラターデ」の意味は詮索不要だ(きっとデタラメの逆)。「ラッスンゴレライ」と同類である。「雨降りの日」でも、否定の問いかけでも構図は同じだ。カギは正直族にせよ嘘つき族にせよ、2つの問に同じ言葉を返していることだ。言葉の両義性を逆手に取った“体操”である。この伝でいくと、如上の揣摩憶測はこの「頭の体操」にまんまと嵌められた好個の例といえる。
 拙稿から内田 樹氏の卓見を孫引きする。
〓内田 樹氏が『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)で、氏が名付けた「あべこべことば」を語っている。
◇例えば、「いい加減」。「湯加減どう?」「お、いい加減だよ」というときは「程度が適当である」ということですね。「いい加減な野郎だな、お前は」というときは「程度が不適当である」ということですね。挙げればきりがありません。でも、これは日本語だけじゃないんです。古今東西世界中のどんな言語にも、まったく正反対の意味をもつ語というのがあります。◇
 では、なぜか。
 氏は「コミュニケーションにおいて意思の疎通が簡単に成就しないように、いろいろ仕掛けがしてある」という。その典型が「あべこべことば」だ、と。これは意外な展開だ。
◇コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから、「理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。コミュニケーションの目的は、メッセージの正確な授受ではなくて、メッセージをやりとりすることそれ自体ではないのでしょうか? おそらく、コミュニケーションはつねに誤解の余地があるように構造化されているのです。うっかり聞き間違えると、けっこう深刻な影響が出るように、ことばはわざとわかりにくく出来上がっているのです。私たちがコミュニケーションを先へ進めることができるのは、そこに「誤解の幅」と「訂正への道」が残されているからです。◇(昨年10月「『陰性』!?」から抄録)〓
 なにより証拠に、
A:飽きたからもうおしまい!
B:ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん……
 と捌け際、Aは「絶対教えん」と言う。「『理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい』という矛盾した欲望」を極めて端的に表している発言といえよう。
 もう一つ。言葉の空洞化。情報量とは裏腹に言葉が痩せ衰えていく刻下の事況。“スタンプ”はその好例だ。「ラッスンゴレライ」は言語がスタンプ化する病徴であり、同時に病識でもあるのか。後者だとしたら、シニカルな警鐘といえなくもない。だから、なおのこと流行語大賞にふさわしい。 □


迷惑ドローン

2015年04月26日 | エッセー

 頭隠して尻隠さずどころか、頭さえも隠せなかったと嗤われそうだ。住人がお粗末だと、警備も同様に間が抜けるらしい。原発反対だそうだが、前稿でいったように固い頭には頂門の一針でも刺さらない。ドロンしたものの、早々と自らお縄になったのではまことにお粗末この上ない。どころかこれで規制が掛けられるようになったのでは、こちらはとんだとばっちりを食うことになる。実に迷惑千万だ
 50数年前になろうか、タイトルはとっくに失念したがラジコン飛行機にカメラを付けて犯人を追っかけるというTV番組があった。毎回、目を皿にして見入ったものだ。当時はワイヤー式のUコン全盛の時代でラジコン自体がかなり先を行ったものであったし、何よりカメラをくっつけて地上を見下ろしながら自在に飛び回るという発想は斬新で少年の好奇心を大いに掻き立てた。それ以来ずっと夢であり続けた。去年あたりからドローンの出現を知り、いよいよ少年の夢実現に向け本腰を入れようとしていた矢先である。これですっかり腰を折られてしまった。またもやお蔵入り。こちらの夢もドロンと消えた。
 カムアウトすると、実は高いところはあまり得意ではない。むしろ、一生地べたに足を付けていたい。しかし鳥瞰はヒトの類としての深い願望に発するらしい。07年10月の拙稿を引きたい。
〓人はなぜ、山に登るのか? 
 人間の身体能力は一つを除いて、あらゆることを為し得る。二足歩行はもちろんだ。走ることも、泳ぐことも、潜水も可能だ。跳ねるのも、木に登るのも道具を使わずして為し得る。ひとつひとつに長じた動物はいるが、あれもこれもとはいかぬ。人類ほどオールマイティーではない。万物の霊長たる所以は知的能力だけではない。身体的能力の汎用性においてもそれはいえる。だが、ただひとつ。「飛ぶ」ことは叶わない。こればかりは道具を使っても為し得ない。ハングライダーは風に乗るだけで、鳥のように飛ぶわけではない。飛ぶことばかりは機械に委ねるしかない。
  山に登るとは、これではないか。飛べはせぬとも、上空の気を吸い風を受け、鳥の目を獲得することはできる。鳥瞰である。宙を舞い、空を飛ぶ。人が類(ルイ)として永久に奪われた能力だ。その絶対の不可能への憧憬(ショウケイ)と焦燥が、人をして大地の高みへと誘(イザナ)うのではないか。飛ぶことの代替行為としての登山。つまりはこれが「山に登る」理由ではないか。〓(山頂にて」から)
 ちょうど3年後、再び鳥瞰について愚考した。
〓山城の場合、いつも不思議なのは、なぜあそこなんだろう、ということだ。
 山城は、防御の拠点であった。武器、弾薬、糧秣、資金を集積しておき、非常の時に備えた。普段、領主は麓で起居する。屋形、館と呼ばれた。戦況を見て、籠城する。ために難攻不落、峻険な山頂や山腹が選ばれた。しかしそれとて地理的な孤立が過ぎると単なる疎開や不戦でしかなく、戦略的意味をなさない。籠城も戦略のひとつである。それを大筋にして勘案し、居が定められた。これが戦国初期までの築城である。
 専門家はいにしえの選択眼に驚嘆する。
 一族郎党の命運が懸かった見立てである。武将の眼力には、現今の人間には見えないものが見えていたのだろう。正確な地図などない時代である。連なる山々を望み、野を見晴るかし、川の流れを織り込んで、俯瞰図が描(エガ)けたのではあるまいか。自在な鳥の目をもっていたのでなければ、合点がいかぬし辻褄が合わぬ。
 山野の景観を戦略的に視る能力――戦国の武士たちのそれは、機械の助力を介さない本能に近いものであったろう。当今では不思議としか言いようのない才だ。〓(10年10月「山城の不思議」から)
 昨年のワールドカップでは研究され尽くして惜しくも敗退したが、スペインの“司令塔”シャビはピッチが俯瞰できるという。だから自身「僕にはピッチのすべてが見えている。特に味方の位置、どこが攻撃の起点か、スペースはあるか。ベストな形で攻撃できるように、常に考えてプレーしているんだ」と語っていた。極めて稀な能力を有するとてつもなくレアなケースであろう。戦国の武将に通ずる鳥の目だといえる。
 イチローも同類かもしれない。あの背面キャッチだ。内田 樹氏がラガーマン平尾 剛氏との対談で、ミラーニューロンに触れている。脳内の共感機能である。相手の動作に関連して、こちらの脳内でも同じ動作に関わるミラーニューロンが活性化する。つまり、相手と同期する。面白いのはミラーニューロンを刺激する薬剤を投与すると、空中から自分を見下ろす幽体離脱の幻覚が起こるという。そこで内田氏は、
「もしかすると、イチローはこの(観客)5万人が発している脳内情報をキャッチできているんじゃないかと僕は思うんです。背走しながら、幽体離脱して、自分が見ていなくても自分以外の全員が見ているものを見る。他者の身体情報がもし取り込めるなら、何でもできる。イチローは、それができるひとじゃないかと僕は思うんですよ。」(朝日文庫「ぼくらの身体修行論」から)
 と語っている。ぞくぞくする洞察だ。シャビといい、飛ばない“鳥人間”がいる。人類の見果てぬ夢を叶えた超人といえなくもない。
 雄のミツバチをドローンという。アピールなのか何なのか、福井のミツバチ男はやはり甘かったというべきか。鳥瞰どころか、籠の鳥の憂き目に会う顚末となった。世を鳥瞰すべきかの住人は依然として視野狭窄だというのに。 □


ディフェンスライン

2015年04月21日 | エッセー

 ペリリュー島で海に向かい深々と辞儀をする天皇、皇后の姿が印象的だった。戦後70年のパラオ慰霊である。同50年には長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂。同60年にはサイパンを訪れた。
 サイパンについては、
「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」
 と語り、今回は出発に先立ち
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」
 と吐露した。
 片や、わが宰相はどうか。
〓安倍晋三首相は20日夜のBSフジの報道番組で、戦後70年の節目に出す「安倍談話」をめぐり、戦後50年の「村山談話」などにある「植民地支配と侵略」「心からのおわび」などの文言を使うかどうかについて、「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と述べた。〓(4月21日付朝日新聞)
 この落差はなんだろう。比較するのも汚らわしいが、人品骨柄があまりにも違いすぎる。かつて司馬遼太郎が、本邦においては天皇家以外はみんな馬の骨、これほど平等な国はないと語ったことがある。所詮は山口の馬の骨。謦咳に接しても、何の感化も受けぬらしい。
 少し古いが、碩学内田 樹氏の言説に学びたい。
◇個人が集団を代表するわけではないし、集団が個人すべてを代弁するわけでもない。でもやはり絡み合っている。たとえ個人でも、集団の政治責任からは逃れられないと思います。前に、高市早苗が「私は戦後に生まれたので、戦争責任を謝罪しろと言われても、私は謝る義理はない」というような事を言いましたが、この発想というのは、共同体と個人の間が深いところでからまっているということが分かっていないということだと思います。
 全員が共犯関係にある、というのが、国民国家における国民の有責性のあり方なわけです。国家の行動に対しては、全員が何らかの形で責任を負っている。
 国民国家の行なったことについて「手が白い」国民は一人もいないんです。国民全員の政治的な行動の、あるいは非行動の総和として、国家の行動というものがあるわけですから、全員がそこにはコミットしている。だからそのコミットメントの、自分の「持ち分」に関してはきっちり「つけ」を払っていかなくてはならない。ナショナリストは国家の犯した罪を決して認めないし、左翼の人には国家の犯した罪の自分たちもまた「従犯」であるという意識がありません。いいところも悪いところも込みで、トータルに国家についての責任のうちの「自分の割り前」を引き受けるのが国民ひとりひとりの仕事だという当たり前の「常識」だけが語られていないんです。◇(晶文社、02年「期間限定の思想」から抄録)
 こちらは本年の新刊から。
◇呼ばれたわけでもないのにこちらから軍隊が出張っていった。それについては「植民地主義からの解放」とか理屈をつけてすむ話じゃない。じゃあ、あなた方はよそのアジアの国の軍隊が「植民地主義からアジアを解放するために日本を占領する」と言って侵攻してきたら、万歳と言って迎えるんですか。国境を越えて他国に入ったという事実については、これを否定することはだれにもできません。その事実を認めた上で、どういうふうに謝罪すれば先方の気がすむのかということについては、両国で膝詰めでじっくり話すしかない。「これだけ謝ると、侵略された怨みを忘れる」というような客観的な基準なんかこの世には存在しないんですから。
 ことは国民国家間の話ですから、原理的には無限責任です。被害者が被害事実に対して謝罪を受け入れ、謝罪を受けたという実感を持つまでは、加害者としては謝罪し続けるしかない。謝罪を続けることによって、初めて終わるわけであって、謝罪しなかったらこの問題は永遠に続く。「もう十分謝ったから、いいだろう」というのを聞いて、「じゃあ、許します」という話になるはずがないでしょう。日本人が戦争責任の問題を解決しようとしたら、「もう許す」という言葉を韓国人から受け取るしかない。それをいやがる人が多いけれど、簡単なことなんです。「すみませんでした」ってまっすぐ謝ればいい。謝っている人間に向かって、「この野郎!」とか「誠意を見せろ」とか「土下座しろ」とか言う人間はふつういませんよ。さくっと謝れば、さくっと水に流せる。それをああだこうだと言う人は、たぶんこの問題が解決しないことを望んでいるのだと思う。いつまでももめていたいのでしょう。◇(鹿砦社、3月「慨世の遠吠え」から抄録)
 戦争責任についてこれほど明瞭に語った卓識を知らない。
 「全員が共犯関係にある、というのが、国民国家における国民の有責性のあり方」
 「謝罪を受けたという実感を持つまでは、加害者としては謝罪し続けるしかない」
 「ああだこうだと言う人は、たぶんこの問題が解決しないことを望んでいる」
 この3点、特に3つ目はヤンキー首相には頂門の一針である。ただ頭が固いので(つまり、悪いので)、刺さりはしないだろうが。
 歴史的、政治的見解は甲論乙駁だが、刻下日本で「有責性」を最も深刻に感受しているのはたぶん天皇であろう。開戦の年、今上天皇はわずか11歳であった。不覚にも高市早苗はこの史実を学び損なったのであろうか。年端も行かぬ少年が長じて、今何を担っているか。その粛然たる事実を、まさか見落としているのではあるまいか。
 “ディフェンスライン”とはゴールに一番近いDFの位置に引かれた仮想の線をいう。齢80を超え自衛艦に寝泊まりしての刻苦の慰霊は、一身を挺したディフェンスラインではないか。慰霊とは「象徴」ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気な平和活動の謂ではないか。ならば天皇に最後のディフェンスラインを託さねばならぬほど、此国(シコク)の民草は不甲斐ないのか。しかも、殺到する攻撃にディフェンスラインを上げてオフサイド・トラップを誘う機も失いつつあるようだ。仮想の線は見えない。破られた時、はじめて見える。それでは余りに愚かだ。 □


ウロボロス撃退法

2015年04月19日 | エッセー

 だから身に纏う脂肪を増殖しつつそれでなくても渺渺たる陋屋の空間をさらに狭隘にして、まったく省みることがないのだ。9時過ぎになると決まってテレビの前に横たわって片肘を突き、押しても引いても動かぬ一抱えに余る倒木の体勢でドラマに見入るもう一人の住人による傍若無人の結末である。
 TBSの金曜ドラマ『ウロボロス~この愛こそ、正義。』も、もちろん見逃すはずはない。「ウロボロス」の意味も知らずに。
 2人だけとはいえ共同体の一員として教化の要を感じ、ウロボロスの謂を説いて聞かせるうちふと閃いた。これはひょっとしたら、ヘビの撃退法ではないのか。ギリシャだけでなく、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンにも同様のものがあるという。ヘビは太古の昔から地球全域に生息してきたのだから、案外正解かもしれない。つまり、ヘビにテメーの尾っぽを噛ませることで自死に至らしめるという奇策である。最低限、周りに危害は加えなくなる。ワナも毒も要らない。刃物もハジキも使わない。極めて人道的、というか“蛇道的撃退法ではないか。
 そこからさらに弾かれて、想念は集団的自衛権に跳んだ。与党が合意した「集団的自衛権の行使の新3要件」である。曰く──
日本と密接な関係にある他国が攻撃を受けた際、
(1)我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
(2)武力行使以外に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる──というものだ。
 法案に落とす際、(1)は「存立危機事態」という呼称になるそうだ。で、再度「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利【=存立】が根底から覆される明白な危険【=危機】がある」場合【=事態】を翫味すると、これは限りなく「個別的自衛権」に近似してないか。いや、個別的自衛権そのものである。だって「明白な危険」は、「我が国の」といっている。属格は日本という“個別の”国である。つまり「集団的自衛権」という毒ヘビに「存立危機事態」というテメーの尾っぽを噛ませることだ。ぐるぐる回っているうちに力尽き、やがてヘビは自死に至る。自縄自縛の高等戦術といえなくもない。手段を問うな、ほしいのは正義だ──そのまんまお借りするなら、「ウロボロス~この愛こそ、正義。」ではないか。史記の「商君列伝」に、こういう話がある。
 秦の富国を図るため、宰相の商鞅は厳格な法治を行う。ために反感を買い、身に危険が迫る。ついに国外逃亡を試みるが、身元不明者の宿泊を禁ずる新法によって捕らえられてしまう。その新法は自国民を国内に縛り付け流出させないため、なんと自らが制定したものだった。苛政への恨みか、商鞅は四肢を馬に引かせて八つ裂きにする極刑に処せられた。自縄自縛の故事である。
 なんだか、同じような図に見える。随分昔に書いたが、この世から消えてほしいもの、ヘビと風呂。一つは撃退法がありそうだ。それにしても、拙宅の座敷に転がる巨木はいっかな動こうとしない。尾っぽを噛ませようにも、すでに腹部が邪魔をして頭部はそこに届かない。嗚呼。 □


スパーク

2015年04月16日 | エッセー

「花火はある?」
「えっ、花火ですか?」
「えーと、ほら、漫才の又吉なんとかが書いた」
「はい、火花ですね。ございます」
 本屋での遣り取りである。立ち読みをしていた荊妻が冷ややかに笑いを投げた。
「花火も火花も同じようなもんだ。ひっくり返しただけじゃないか」
 と、辛辣にカマしてやった。(ただし、無痛の御様子)
   『火花』(又吉直樹、文藝春秋社、先月刊)
 莫迦に売れているそうだ。35万部突破と聞く。ついぞ最新受賞作やベストセラーは読まないのだが、冷やかし半分で買ってみた。
 なんと、最初と最後の場面が花火なのだ。だから、わたしの問いかけは強ちまちがいではなかったといえる。作中の漫才コンビ名がスパークス、だから火花としたのだろうか。
 楽屋落ちでも、業界の裏話でも、成功譚でもない。かといって自伝でもない。それは最終盤ではっきりする。自叙伝と見せかけた漫才談義、と見せかけた師弟談義、と見せかけた畸人談義、と見せかけた人生談義といったところか。
 “火花”とは何なのか。帯に載せられた作中の一文が、一閃の火花のように暗示を送る。
「漫才は……本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によって実現できるもんやねん」
 芸に負荷する常軌を逸した高電圧が師弟の間(アワイ)でスパークした。──とだけ、ぶっきらぼうな自前のキャッチコピーを記しておきたい。後は読んでのお愉しみである。
 稚拙な措辞や言葉足らずは散見できるが、文章はよく練られている。処女作としては上出来ではないか。少なくともゴーストライターものとは隔絶したクオリティーだ。
 以下、余話として。
 師匠が失恋した折のこと。

 ¶この時期の僕達はどうかしていた。真樹さんを喪失した傷を僕も深く負っていた。二人で卓球のユニホームを買い揃え、渋谷の卓球場で夜通し打ち合った。呑み屋に行き、会話もしていない男性の会計を勝手に済ませ、微妙な表情で出て行く人を観察したりした。カラオケに行き、長渕剛と吉田拓郎を交互で熱唱したりもした。弁当を作って立川の昭和記念公園にピクニックにも行った。¶(上掲書より)

 「長渕剛と吉田拓郎を交互で熱唱」──ここだ。師匠が30代半ば、弟子が20代後半である。長渕剛は分かるとして、なぜ拓郎なのか。世代としては渋い選択である。ひょっとして長渕の拓郎への深いリスペクトを知っていて、自分たちの師弟関係と重ね合わせたのか。唐突に出てきた2人の名前に、この小説は捨て置けないと確信した(欲目ではない)。
 閑話休題。
 書評代わりに、作中の師弟が織りなす劇を吉本隆明の以下の洞見からみてみよう。
◇芸能者の発生した基盤は、わが国では、支配王権に征服され、妥協し、契約した異族の悲哀と、不安定な土着の遊行芸人のなかにあった。また、帰化人種の的な<芸>の奉仕者の悲哀に発していることもあった。しかし、いま、この連中には、自分が遊治郎にすぎぬという自覚も、あぶくのような河原乞食にすぎぬという自覚も、いつ主人から捨てられるかもしれぬという的な不安もみうけられないようにおもわれる。あるのは大衆に支持されている自己が、じつはテレビの<映像>や、舞台のうえの<虚像>の自己であるのに、<現実>の社会のなかで生活している実像の自己であると錯覚している姿だけである。◇(「情況」より) 
 師弟は今を生きる「遊行芸人」そのものであるし、「的な<芸>の奉仕者の悲哀」も描かれている(特に導入部が象徴的だ)。だが、核心である「遊治郎にすぎぬという自覚」も「河原乞食にすぎぬという自覚」も物語の迫真性に比してほとんど無自覚だ。実は、ここがどう紡がれるのか。それがこの小説に掛けた一つだけの期待だった。よくて隔靴掻痒。問題意識の希薄は史的知見の多寡によるのであろう。今後に託したい。これは随所で語られる“談義”にもいえる。傍証する見識に乏しいのだ。だから面白くはあるが遼東の豕とも評されかねない。
 しかし「的な不安」は通奏低音のように物語に伏流しているし、加えて「<虚像>の自己」を「実像の自己であると錯覚」する倒錯には意識的に向き合っている。してみれば、吉本の洞見と大枠外れてはいないといえなくもない。
 例えば次のような芸人の生きざまがある。
◇元フライ級の日本チャンピオンとして敵を叩きのめし、引退してこんどはお笑いタレントとして叩かれ役になり、飲みつぶれたすえに暁の海に消えたあの、たこ八郎。その墓には「めいわくかけてありがとう」と刻まれている。酔いつぶれ、くだを巻き、悪態をつくばかりだったのに、あきれながらも最後までつきあってくれた、つまり「時間をくれた」、そのことにたこは心底「ありがとう」と言いたかったのだろう。◇( 鷲田清一「おとなの背中」、角川学芸出版)
 「迷惑掛けてすみません」ではない。こんな遊治郎に寄り添ってくれた喜びは、「すみません」という世間の常識をすっ飛ばすほどに大きかったのだ。「河原乞食にすぎぬという自覚」を持たずして感謝など湧くはずはない。天真の直情径行は原因と結果を有無を言わさず直結する。過程や緩衝は眼中にない。だから、いきなり「ありがとう」だ。「的な<芸>の奉仕者の悲哀」を生き、「<虚像>の自己」を「実像の自己であると錯覚」できる才覚などまるでなく、「的な<芸>の奉仕者の悲哀」の中で海の藻屑と消えた芸人。この凄味に対するに、この物語は淡泊過ぎる。事実は小説よりも奇なり、であろうか。
 ともあれ先入主とスパークする、一読に値する作品には仕上がっている。やはり花火ではなく、火花だ。 □


『葡萄』

2015年04月14日 | エッセー

 葡萄から妖艶な連想を得て、そのままタイトルにしたそうだ。サザンの数年ぶりのアルバム『葡萄』である。
 驚いた。こんなにいい音を出すグループだったんだ、と改めて感じ入った。実に丁寧に作り込まれている。創り出す世界もうんと次元を上げている。聴き応え充分だ。
 4曲目の『Missing Persons』に、まず奮えた。拉致問題を歌っている。だからエンディングは、
   〽I call your name
    Megumi, Come back home to me.
        She's coming back
 である。『ピースとハイライト』と同様、政治的なテーマだ。新境地なのだろうか。どこかの政権の空約束より余程説得力がある。
 それはともかく、サウンドだ。40数年前のあの懐かしのハードロックが戻ってきた。BEATLESでいえば、『Get Back』である。彼らが巧緻に登り詰めた極みにシンプルなロックに回帰したように、サザンの原点へのプルバックなのかもしれない。 
 余談ながら、稿者が敬愛してやまない脳科学者・中野信子先生はヘビメタの熱狂的なファンだと聞く。幾世代も違うから原体験はないはずだが、嗜好を同じゅうすることに大いに力づけられる今日この頃である(何のことやら)。
 随分昔あるラジオ番組で、梓みちよが「最近の歌手は歌詞をキチンと歌わない。何を歌っているのか判らない。あれはいけない」と、明らかに桑田を指して苦言を呈するのを聞いたことがある。ああ、梓みちよもベルエポックの人になったのか。日本語をはじめてロックに載せたのは桑田の功績だということがあんたこそ判ってないんだよと、宙を睨んだものだ。それだ。日本人が最初に日本語でロックを歌い得たJポップスの歴史的快挙。それをまざまざと聴かせてくれる。アルバム中の出色だ。
 メインはTBSの日曜劇場「流星ワゴン」の主題歌に使われた『イヤな事だらけの世の中で』であろう。
   〽春は霞か桜は紅枝垂……
    砥園難子に浮かれて蝉時雨……
    黄金に揺れる稲穂に秋あかね……
    凍てつく胸に小雪が舞っている……
 京都の四季である。かつ「嘘ばかりつく女」、つまりは京女との出会いと別れ。錦絵のような書割に、好いても惚れない京女との悍しい愛憎劇が紡がれる。
 古都の地名が織り込まれ、四季を情景に男女の息詰まる浪漫。これだけでヒットしないはずはないのだが、かてて加えて桑田の歌唱力だ。これが琴線を掻き毟る。なぜか。13年の復活の際、新聞広告に登場した識者の言を引こう。
◇【内田 樹】 思想家
 サザンオールスターズの音楽はおそらく「最後の国民歌謡」として日本音楽史に名前をとどめることになると思います。「国民歌謡」の条件はいくつかあります。第一の条件は特定の年齢や性別や階層を排他的に標的にせず、「老若男女」すべてに全方位的に歌いかけていること。第二の条件は「異文化とのハイブリッド」であること。土着的なものと舶来のものの混淆こそ日本文化の正統のかたちです。桑田佳祐の歌唱法はエリック・クラプトン的かつ前川清的ですが、これこそ国民歌謡の王道。第三の条件、これがいちばんたいせつなのですけれど、「国土を祝福する歌謡」であること。「江ノ島が見えてきた」以来サザンはさまざまな地名を歌い込み、それらの土地を豊かに祝福してきました。これは古代の「国見」儀礼や山河の美しさを言祝ぐ「賦」の系譜に連なるものだと私は思っております。国民国家が解体しつつある時代に敢えて再登場を果たした「最後の国民歌謡」バンドに連帯の拍手を送ります。◇
 してみれば、この曲は三条件に寸毫も違(タガ)わぬ名曲ではないか。別けても第二の条件「エリック・クラプトン的かつ前川清的」和洋のハイブリッド歌唱法こそ、琴の緒を弾(ハジ)く爪だ。魂を震わせる秘技とはそれだ。蛇足ながら、合いの手に「ええオンナ」と2度入る。これが泣かせる。小憎い演出だ。
 愚考を重ねるなら、“ロック、演歌を歌う”もしくは“叙情派ロック”と呼び得る曲の誕生と捉えたい。桑田はロックに日本的メンタリティを歌い込んだ。ロックに日本語を載せる次元から、ロックに日本人を乗せる位相を獲得した。大仰な言いざまに聞こえるかもしれぬが、それほど異彩を放つ作品である。
 ならばと、頻りに脳裏を過ぎるのが『旅の宿』である。かつて叙情派フォークといわれた一群の先駆けだ。もっとも『イヤな事だらけの世の中で』ほどには粘着性はない。むしろ、温泉宿を訪った若い二人連れの小景を湯煙に霞むようなタッチで描(エガ)いている。双方に濃淡はあれど、それまで異界であったものが見事なフュージョンを成しているのは文化史を画す快事といえよう。惜しむらくは『イヤな事だらけの世の中で』とは、いかにもタイトルが悪い。散文的過ぎる。いっそ『葡萄』にすればよかった(アルバム作成時に変えることはできる)。
 画期という点では、『襟裳岬』を忘れてはならぬ。アンダーグラウンドにいたフォークがなんと演歌を喰ったのだ。レコード大賞は有無を言わさぬ痛快事であった。授賞式に登場したジーンズに下駄履きの、授章を喰った拓郎の姿に快哉を叫んだものだ。あのシーンこそ団塊の世代のベルエポックではないか。
 ともあれ、この新譜はサザン・ワールドが格段に高次に至った記念碑的作品である。恐れ多いが、小林秀雄に倣おう。
 桑田のよろこびは疾走する。拍手は追いつけない。 □


媼と翁

2015年04月11日 | エッセー

 彼女は天空に向かって羽撃くように、いやたった今天宮から舞い降りたかのように四囲を掩う万朶を薄紅(ウスクレナイ)に染めていた。
 陋屋から車を駆って二時間。名にし負う齢六百六十余年を刻むおうなである。一歳(トセ)のうち束の間身繕い、仮粧(ケソウ)する。長遠を遡り、天がけ天くだった天女に戻るのは、その刹那だ。春の光と風に使嗾された化身だ。と、瞬く間に吹き返した風が衣裳を攫い、移り気な光が翳って紅白粉を台無しにする。
 僅かなメタモルの間(アワイ)を縫って、人びとが群れる。場違いな音曲、所縁もない屋台が建ち並び謂れのない品々を商う。無粋なものだ。立ち籠める醤油のにおい。なぜここで、肉魚を焼く。飯の種にされる老媼が可哀相ではないか。六百と六十何回目かの艶姿を、静かに見守ってやればいい。見紛うばかりのおめかしにただ歓呼すればいい。
 しげしげと見とれていると、桜守が声を掛けてきた。一生に一度、またとない見頃の桜があるという。実は隣町だ、大きな声では言えない。ならば、行かないわけにはいくまい。書いてくれた地図を頼りに小一時間、なおも山道に分け入る。

 着いてはみたが、姿がない。なんと山城址にあるという。もう引き返せはしない。喘ぎつつ急峻な山道を這うように登る。何度目かの角を曲がった時、彼は忽然と威容を現した。こちらは六百年、大差はない。ところが、まるでちがう。
 戦国の走りか、今となっては名も消えた豪族が盤踞した山頂の城であったろう。石垣すら定かではない。歴史に埋もれた武士(モノノフ)が唯一遺した形見ではないか。
 彼は山を鷲掴みにしていた。太く逞しい幾本もの腕(カイナ)を荒々しく大地にめり込ませ、あらん限りの力を振り絞っていた。下枝(シズエ)ばかりを紅に充血させながら。
 彼女より少し年若だが魁偉であるためか、むしろ年嵩に見える。グロテスクでさえある。剥き出しの太古ともいえる。来る年も来る年も一度だけ、春に目覚めた彼はガイアの豊満な肉体を力任せに弄るにちがいない。血が充ちて鎧袖を染めるのはそのせいだ。だが春は移り気、快楽は須臾にして過ぎる。老翁はふたたび眠りに戻る。

 それにしても不思議だ。桜守はなぜ一度きりと言ったのか。
 手弱女のさくらと、益荒男の桜。花のさくらと、根方の桜。その両極の妙を供そうとしたのではないか。粋な計らいだ。
 明くる日に残った下肢の痛みに顰みつつ、考えは廻った。 □


「インかアウトか」その二

2015年04月08日 | エッセー

 枕草子第二段に、こうある。

¶ 三月。三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、いま咲きはじむる。柳など、をかしきこそさらなれ。それも、まだ繭にこもりたるはをかし。ひろごりたるは、うたてぞ見ゆる。おもしろく咲きたる桜を、長く折りて、大きなる瓶に挿したるこそをかしけれ。桜の直衣に出だし袿して、客人にもあれ、御兄の君達にても、そこ近くゐて、ものなどうちいひたる、いとをかし。 ¶

 先日のこと、この段に偶会した時、立ち上がらんばかりに驚いた。なんと、平安貴族はシャツを“アウト”にしていたのだ。淡いピンクのジャケット『桜の直衣<ノウシ>』の裾から下のシャツを出して着た『出だし袿<イダシウチギ>して』殿御が談笑している『客人にもあれ、御兄の君達・・・ものなどうちいひたる』。それが『いとをかし』と、清少納言は言っている。千年を隔てる古都、のどやかな桃の節句に見つけたファッションシーンである。
 12年6月、“アウト”はおかしいと拙稿を綴った。一部を引いてみる。
〓筆者はかたくなにインである。アウトはだらしなくていけない。
 ところが、である。いつも見慣れているのだが、先日ふと拓郎のレコード・ジャケットに目が止まった。73年リリースの「伽草子」である(奇しくも)。チェックのシャツを着て、野に立つロングヘアーの拓郎が映っている。な、なんと、シャツがアウトなのだ! 当時の写真をチェックしてみると、あるわあるわ、アウト、アウトのオンパレードである。これはアウトだ(分かりにくい)。人後に落ちないファンとして、この動かぬ『史実』はどうしたものか。その前に、なぜ気づかなかったのか。ファンの名に値しない大失態ではないか。ああ、恥ずかしい。穴があったら入りたい。ないから、入らない。
 ネットを漁ってみると、次のような『証言』に出くわした。
──シャツの裾出しの問題ですが、少なくとも70年代半ばには若いもんの間ではお洒落の一環として行われていたと思います。ジャケット感覚でシャツをはおる、とかなんとか言って。当時、高校生だったのですがつきあっている女の子にそのようにしろと指導を受けました──
 「70年代半ば」の「若いもん」のロールモデルは、断然フォークシンガーだった。別けても「フォークのプリンス」拓郎は最右翼であったろう。ならば、拓郎は時代を先駆けていたことになる。なんとプログレッシヴ! スタイリストめいた者はいたかもしれぬが、ロングヘアーと同じくプロテスト・スピリットが裾出しに繋がったに違いなかろう。
 まことに悩ましい。拓郎に倣うには遅きに失する。40年も前だ。かといって最近、インの孤立感、浮遊感もかなりストレスフルになってきた。
 えぇーい。この際だ。半分アウトで、半分インではどうだ。前後半分にするか、左右半分にするか問題は残るが(しかも相当面倒臭い)、見事な棚上げだ。どっちつかずと嗤ってはいけない。どっち入れず、だ。〓(「インかアウトか」より)
 3年前は、いまだシャツのアウトであった。近頃テレビなどでは、ジャケットを着て下のシャツをアウトにした「若いもん」を散見する。正銘の先祖返り、千年返りだ。
 加えて見落としてならぬのは、カッコいい『いとをかし』と見る清少納言のセンスだ。「当時、つきあっている女の子」とに見事なシンクロニシティがある。いつの世も、着崩すことで『いとをかし』を誘う。こういう文化的バイアスの系譜を継ぐアウトであれば、やたらめったら「おかしい」とはいえまい。なにせ、大御所が「をかし」と仰せになっているのだから。 □


東の治と西のらも

2015年04月05日 | エッセー

 つい最近、気づいた。この二人は似ているのではないか。いな、酷似している。いやいや、やっぱり似てないか。似て非なる、か。とこう考え倦ねている。
 橋本 治氏と中島らも氏についてだ。
 「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」は、今やコピーの金字塔である。稿者なぞ、しばし脳髄が痺れた。作家・橋本 治はここからスタートした。らも氏もコピーライター、イラストレイターが作家への端緒となっている。治氏もイラストレーターの才は今もって秀逸だ。似てなくもないが、ありがちともいえる。
 らも氏の博識はよく知られていたし、特にアンダーグラウンドについては該博な知見を有していた。治氏の一頭地を抜く博覧強記もつとに高名である。でも物書き一般がそうなのだから、あながち類似しているともいえない。
 治氏はニットの名手である。編み物の本(「男の編み物、橋本治の手トリ足トリ」山口百恵、糸井重里、野坂昭如らをグラビアに配した数万円する高価な本)まで出している。もはやプロフェッショナルといえる。そういう作家としての意外性では、らも氏も引けを取らない。詳述は略すが、意外どころか衝撃的でもあった。ここは相当似ている。
 らも氏の「明るい悩み相談室」、治氏の「青空人生相談所」。どちらも好評を博した。作家がしていそうで、存外手付かずのエリアだ。これはアナロジカルといえそうだ。
 人品骨柄はどうか。その破天荒については、らも氏は空前絶後といえる。これも詳述は略すが、ベルエポックの芸人を髣髴させた。らも氏のアングラ性に比すれば、治氏は極めてノーマルだ。と、捉えていた。ところが氏の『恋愛論』に触手を伸ばすに及び、仰天した。こちらも徒者ではない。“別の意味”で、いい勝負だ。“生さぬ仲”といえなくもない。
 作風はどうか。両者とも途轍もなく面倒なことを考える割に、文章は平明である。とはいえ件の『恋愛論』は講演録(それも一字一句忠実な)であるため、平明すぎて読破は難渋を極める。だが治氏の古典ものは他の追随を許さない平明さに貫かれ、かつ深甚の妙義を余さず贈ってくれる。三島論、小林論も同じ系譜だ。らも作品の広範なテーマや意表を突くプロットも平明な文章が下支えしている。内実の高みを届けるに佶屈聱牙を離れているところに両者の真骨頂があるのではないか。難しいことをむつかしく言うのは並の知恵者だ。易しく言えてこそ賢者である。本ブログのようにやさしいことをむつかしく捏ねるのは凡下でしかない。両者とも、開かれてあることに風儀がある。これは大きなアナロジーだ。
 似ているようで似ていない、似ていないようで似ている。しかも同時代に東西に屹立した。東西は、いずこであれ鞏固な対立軸だ。しかし時間軸という補助線を引くと、アナロジカルな共振を起こす場合がある。いや、それは違うかもしれない。時間が主軸ではないか。時代が共振を呼ぶのだ。方位こそ補助線だ。両項、似ているようで似ていない。似ていないようで似ている。凡愚にはなんとも量りがたい。
 ともあれ、東の治と西のらも。異能、異才の二人。異人か、偉人か、はたまた異星人か。春眠不覚暁の余録につい、痴人夢を説いてしまった。 □