伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

長生きは『事故』か?

2007年07月30日 | エッセー
 まずは以下のコラムをご一読願いたい。

【年金 ―― 保険は支えあい、長生きほど得】  
◆老後の年金は原則65歳から(生年月日によっては60代前半)。遺族や障害の年金も条件を満たさないともらえない。「父が払い続けた保険料は何だったのか」。横浜市の女性(39)は訴える。父は96年、56歳10カ月で亡くなった。厚生年金は当時60歳から。母は亡く、女性ら子どもは成人しており、遺族年金も出なかった。「貯金していればかなりの額になったはず。国に寄付しただけなんて」「妻が受給直前に死に、保険料がムダに。ぼったくりだ」「夫が50代で亡くなり遺族年金も出なかった。保険料を返して」。同様の投書が多く寄せられた。
◆自動車保険が事故をカバーするように、収入が減りがちな老後という「事故」に備えて現役時に保険料を納め、当事者になった人だけが現金をもらえる。その点が貯金とは全く違う。制度上「老後は65歳から」と決まっている。死ぬまで受け取れるから長生きするほど得だ。一方、65歳を前に亡くなると「事故」に当たらないので、もらえない。保険料は「掛け捨て」になる。しかし、年金は老後だけでなく、遺族になったり、障害を負ったりした人に現金を給付する「遺族・障害保険」でもある。保険料を納めることで、万が一の備えという安心感も得られ、「払い損」ではない。 ―― これが政府の理屈だ。ただ、国民には伝わっているのだろうか。遺族や障害の条件も、当事者になる前から知っている人は少ない。この仕組みでいいのか考えるためにも、制度を伝える努力は欠かせない。(07年7月25日付朝日新聞から)

 自動車保険の譬えは非常に分かりやすいが、反面辛辣だ。『まかり間違って』長生きした場合に備えるのが年金である。つまりは、65歳以上の長生きは『事故』になるのだ。制度上、そうなる。最新の調査によると、男性の平均寿命が79歳、女性が86歳。『事故』は確実に起こる。そこいら中で頻発する。
 さらに、「支えあい」の仕組みについて。年金制度には、積立と賦課の二つの方式がある。日本は賦課方式を基本とする。積立方式は、自分が積み立てて自分が受け取る。賦課方式とは、現役世代から保険料を徴収して、高齢者に年金を支払うという仕組みである。世代間の仕送りともいえる。支払う者と受け取る者がちがう。問題は、人口の構成だ。当初は人口が三角形のピラミッド型であった。これならうまくいく。ところが、見込み違いがおこった。少子化と高齢化が同時に進んだのだ。このままいけば、逆三角形になる。マッチョ・マンならお似合いだが、お国の場合はそうはいかない。現役世代が押し潰されてしまう。
 さて、どうするか。議論は囂(カマビス)しい。政府は今のシステムのままで、保険料と年金をギリギリまで絞った。100年安心だという。さて、どうか。生臭い話はしない。ただ確実にいえることは、永久に高齢化が進むわけではないということだ。あと30年もすれば天井を打つ。青天井ではない。『事故』は確実に減っていく。そこまでの辛抱だ。
                                      前述のコラムに戻ろう。
 老後という「事故」 ―― 長生きが『事故』になる「転倒」はなぜ起こるのか。「制度上、そうなる」と前述した。「制度」とはなにか。すなわち、人為である。人為の対極には「自然」がある。この制度は相手が悪い。寿命は人間にとって究極の自然である。どんな名医だって、自分の命日は判らない。寿命はいかんともしがたい。余談だが、わざわざ自然に抗(アラガ)って自分で勝手に命日を決める手合いがいる。日本では9年連続、年間3万人以上の自殺者が出た。しかし組み敷いたつもりでも、自然には太刀打ちできない。勝利宣言ができない以上、彼らは『討ち死に』である。なんのことはない。自然に絡め取られただけだ。
 ともあれ、養老孟司氏の受け売りをすると、「こうすれば、こうなる。ああすれば、ああなる」が脳化社会である。当然、社会のシステムも脳化社会の申し子である。そのシステムが自然を対象とする時、往々にして齟齬が生じる。なぜなら自然とは、脳のコントロールが効かない世界である。脳化不能の領域だ。「こうしても、こうならない。ああしても、ああならない」。予測も、制御も儘ならない領分なのだ。
 養老氏の紹介するエピソードにこういうのがある。ある時、医学部の解剖実習で学生がこう言った。「先生、このライヘ、間違ってます! 教科書とちがいます」と。「ライヘ」とはその道の隠語で、解剖の献体のことをいう。教科書は脳化の産物。ライヘは自然そのもの。しかもそれぞれに個性をもつ。同じ顔が二つとこの世にないように、違っていて当たり前なのだ。この倒立も例の『事故』に似ている。脳化社会と自然とのズレだ。大地に刻まれた活断層のように、時として地震を生ずる。その一現象ではないか。
 年金のシステムは自然に対する人為である。脳化社会と自然とのせめぎ合いだ。御し難い暴れ馬が相手なのだ。この前提を忘れると、ものごとが逆さまになる。□


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「ここ掘れ、ワンワン」 欠片の主張 その7

2007年07月26日 | エッセー
 報道によると、7月末から日本各地で親善試合を予定していたイタリアのサッカーチームが来日を中止した。イタリア1部リーグ(セリエA)に属するチームだ。新潟県中越沖地震による原発のトラブルが同国で繰り返し報道され、「地震で原発の放射能が漏れ、1万人が非難している」との風評が広がった。主催者は説得したが特に選手の親が反発し、やむなく中止となった。なお、新潟でも長野でも試合の予定はなかった。
 風評もいまや地球規模だ、と言うべきか。G8の参加国にして不甲斐ない、と言うべきか。答えに窮する。
 さて、災害のたびに考えることがある。「欠片の主張」としてまとめてみた。

 ファースト・プライオリティーは被災者の救助だが、次はライフラインの確保だ。ひとつには、通信。これは携帯電話の普及や災害時の通信制限、各種の伝言サービスの充実で相当改善が進んだ。
 問題は、電気・ガス・水道である。このうち、電気は復旧が早い。電線の地中化が進んでいないことが幸いしているのか、地上の断線や電柱の倒壊は目視が可能だ。発電機の使用もできる。ガスは、当座はプロパンで代用できる。ポータブル式のコンロもある。いざとなれば、木でも集めて火を焚くことだってできる。しかし、一番の難題は水である。
 最初に目にするのが自衛隊の給水車だ。阪神・淡路大震災の教訓をもとに災害対策基本法が改正され、市町村長に、知事を通じて自衛隊に出動要請する権限が与えられた。これで自衛隊の出動が迅速、簡素化された。それは喜ばしいことだが、もう一工夫ほしい。そこで、

  【 災害時、水の確保のため、自衛隊は井戸を掘れ 】

 と主張したい。
 自衛隊には工兵部隊がいる。1個師団に400から1000人の工兵隊員。陸上自衛隊は9個師団が全国に展開している。十分だ。井戸を掘るなど、造作もない。避難所などの要所に同時に何本も掘るのだ。古井戸の付近でもいい。土地の人に聞けばおおよその水脈は分かる。地震の場合は水脈が変わることも予想される。水脈に当たらないこともあるだろう。しかし油脈ではないのだから、ものの二三十メートルも掘ればいい。かつ、手彫りではない。ボーリングだ。イラク、カンボジア、ゴラン高原などのPKO活動で井戸掘りは実証済みだ。勝負は早い。一日もかからないのではないか。自衛隊の衛生部門でも保健所でもいい、その場ですぐに水質検査をして飲めるかどうか判断する。飲用に適さなければ、少なくともトイレか、洗濯、風呂には使える。水質によって使い分けができるのも井戸の利点だ。水道の復旧後はそのまま使ってもよし、あるいは閉鎖するのも手間はかからない。ポンプアップが必要なら、超低騒音の発電機がある。さらに事と場合によっては、イラクで使った浄水装置を考えてもいいのではないか。泥水でも海水でも飲めるほどにきれいにしてしてしまう優れ物だ。
 被災直後は給水車が必要だ。しかし、いつまでもという訳にはいかない。それに、飲用が主だ。1週間を超えてもまだ、新潟の避難所では簡易トイレを使っている。だからみな、水分の摂取を控えているそうだ。水分不足による病気が心配される。水道の復旧は容易ではない。地震で寸断された水道配管の破損箇所を見つけるだけで時間がかかる。ペットボトルでは間尺に合わない。人間の身体の7割は水分だ。まさに生命線である。
 養老 孟司氏はこう言う。「もともと日本人は世界でもっとも災害に対して強い人たちだったはずです。なぜならば、歴史上記録にあるマグニチュード6以上の地震の1割が日本で起こっていて、噴火の2割が日本で起こっているのです。その日本の陸地面積は世界の400分の1にすぎません。0.25パーセントしかない陸地の上で世界的な大災害の1割、2割が起こっているということは、かなりひどい災害国家なのです。そこでずっと生きてきたわけですから、本来災害に対する耐性は世界一だった。」ならば今こそ、経験を生かす時だ。ころばぬ先の「知恵」を絞りたい。

 以前取り上げた渋谷の温泉爆発。地球の薄皮を一枚めくれば、もう生の自然だ。この危うさは万代に変わりはない。□


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いまどき「ことば」考 <続編>

2007年07月21日 | エッセー
 「問題な日本語」を当てた大修館書店が、昨年暮れ今度は「みんなで国語辞典!――これも、日本語」を出した。半年にして8万部を突破。売れ筋だ。どうやら二匹目のどじょうを掴んだ模様だ。軽佻浮薄、付和雷同、寄らば大樹を身上とするわたくし、さっそく読んでみた。
 「辞書る」とは自ら辞書をつくること、と同書にある。いまどきの言葉を辞書ってみませんかと同書店が呼びかけたところ、11万1472件の応募があった。そのうち約1300語を厳選した。仕掛けがうまい。「明鏡」シリーズの辞引きで有名な同書店。販売戦略も明鏡止水、曇りなく揺るぎない。
 さて、「ことば」考である。同書の中からわたしが『自己中』(この言葉、少し古くなったが、「いまどき『ことば』」ではある)で選んだいくつかを紹介し、かつ寸評を加えたい。ほとんどが若者の間に生まれた言葉だ。「いまどき」が透けて見えれば、お慰みである。
(注)『……』 に続く語釈、例文は同書に依拠した。『→』 以降は寸評。 

◆いえでん【家電】・りくでん【陸電】……家庭に設置してある固定電話。
 → 「家電」はうまい。「陸電」の「陸」はさらにうまい。対するケータイは、人間の海を行く潜水艦の潜望鏡か。イメージの膨らみが豊かだ。
◆いれパン【入れパン】……シャツなど上着をズボンの中に入れること。アキバ系オタクの典型的ファッション。
 → 団塊のおじさんとして、これには物申したい。なぜ、いったい何時から、どうして、だれが、なんのために、そのような無体なことを決めたのか! おじさんたちは御幼少の砌より、シャツはズボンの中に『入れて』いたのです。外に出すのははしたない、無作法な、そして非文化的で無教養で、かつ不良っぽい、野蛮な体たらくとして忌み嫌われていたのです。第一、シャツの構造を見れば判ります。たいがいのシャツには両側にスリットが入っています。ズボンの中に収納しやすくするためです。それをファッションだかなんだか知りませんが、外に出すなどということは、あー、長生きはしたくないものです。それに、「入れパン」がオタクの典型だとか。いまやマイナーどころか、マニアックな存在に貶められています。なんとも、世も末です。最近は若者でもないのに世に阿(オモネ)るおじさんたちを見受けますが、いかがなものでしょうか。長く人間を営んできた矜持を是非お忘れなく、と申し上げたいのです。わたくしは勿論、中に入れます。Tシャツだって入れます。時々、背中の方が外にはみ出すことはありますが、これは別の理由です。なんかよく腕が後ろに回らなくて……。
◆けいりょうか【軽量化】……遊び好きで、ふらふらしている近ごろの軽い若者たちのさま。
 → 重厚長大から軽薄短小へ。産業構造の変化とともに人の世もうつろう。
◆じかじょう【自過剰】……自意識過剰。
◆じかじょう【自過嬢】……自意識過剰な女の子。
 → 「自己中」の発展型か。
◆じべたリアン……地べたに座り込んで雑談をする迷惑な行為。
 → ベジタリアンのもじりであろう。「ベジ」と「じべ」。実にうまい。若者はエラい!
◆しょうわ【昭和】……言動が少し古い人。「あの人、昭和っぽくない?」
 → 昨年から運転免許証に「平成」が加わった。いっそのこと、「江戸っぽく」いきますか? なんせ「江戸しぐさ」ですから。
◆たくのみ【宅飲み】……自宅で飲むこと。
 → 反対は、「外飲み」であろうか。「宅配」はいまやメジャーになった。たしかその昔、「宅浪」というのがあった。予備校に行かず自宅で受験勉強に励む浪人生のことだ。今でも使うのか。
◆とべっ【飛べっ】……会話をしている途中に、相手にいなくなってほしい時に使う言葉。
 → 映画界のタームに「笑う」がある。カメラのサイトから外れることだ。同じような用途に「飛べっ」をもってくる。この感覚が、いかにも若い。
◆にくにくしい【肉々しい】……ふくよか、太い、顔が丸い様子。「あの子の顔って肉々しいね」
 → こう言われて、「憎々しい」という文字が浮かぶようでは「昭和」ですな。
◆ぱ【パ】……中途半端の略。「おまえパだよ!」
◆び【微】……微妙の略。
 → 簡略化は言語の属性である。しかしここまで縮められると、付いていくのがしんどい。微にパになりそう。
◆ママとも【ママ友】……小さな子供を持つ母親同士の友達。
 → これは『使える』のでは。
◆もる【盛る】……濃い化粧をすること。
 → この言語感覚がすばらしい。「厚化粧」と言わず「盛る」。化粧というあえかなる人為をきわめて即物的に言い放つ。あれは「加工」でしかない、と見切っている。脱帽ですな。それにしても、『大盛り』があちこちに……。
◆よさのる【与謝野る】……髪が乱れていること。与謝野晶子の「みだれ髪」から。
 → この企画で審査員特別賞を受賞した作品である。……ああ、懐かしい。
◆いいいみで【いい意味で】……非難の直後に付加することで、非難を賞讃に変える慣用句。「君って馬鹿だね。言い意味で」
 → これはけっこう以前から使って来たような気がする。ひょっとしたら、団塊の落とし子かもしれない。
◆ゆめおち【夢オチ】……小説やマンガで、今までの話がすべて夢だったという結末になること。
 → 浅田次郎 御大のことではない。誤解のないように。これは連載などの途中打ち切りの際に使う常套手段。
◆あひるごはん……朝飯と昼飯をまとめて一食で済ませること。
 → 作り方は普通だが、かなり使えそう。
◆もうそうぞく【妄想族】……すぐに妄想してしまう人。
 → 加齢とともに増える。要注意だ。
◆リバース……飲み過ぎで嘔吐すること。
 → カタカナで言っても、汚いものは汚い。
◆なまあたたかくみまもる【生温かく見守る】……温かく見守るわけでもなく、冷たく突き放すわけでもない。ちょうどいい温度で見守ること。
 → 適温を「生温かく」と表現する感覚。おじさんたちの感覚では、「生」はビール以外決して語感はよくない。「生臭い」「生煮え」「生半可」「生兵法」などなど。この辺り、世代ギャップか。
◆みぎからくち【右から口】……①右耳から入ってすぐに口から出る。相手の言ったことを瞬時に理解し、答える人。②言われたことをすぐに言い返す人。関西人に多い。
 → ムーディ勝山は関西芸人だが、この系譜ではないらしい。ただ『左から』の場合どうか。熟考を要する。

 初夏が間近な今日この頃。寝苦しい夜にお困りの方、または死ぬほど暇な方は、どうかご一読ください。□


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いまどき「ことば」考

2007年07月19日 | エッセー
 変な言葉や言葉遣いについては、再三再四取り上げてきた。このブログで吼えたところでどうにかなるものではない。しかし義憤という大仰なものではないが、吐き出さなければストレスが溜まる。身体に悪い。今回はオカシいのが一つ、オモシロいのが一つである。

 その一 『うなずき』。
 相手の話にうなずくのではない。自分の話にうなずく。話の途中や切れ目に、首を縦に振る。つまり、うなずきながら話す。この現象、最近顕著ではないか。わたしの見まちがいであろうか。
 さらに、話の区切りに「ハイ」または「うん」がやたらに入る。決してYESの「ハイ」や「うん」ではない。相手の話に相槌を打つのではない。自分の話に相槌を入れるのである。このオカシな現象、蔓延してないか。
 『うなずき』は「ショップことば」や「中高生ことば」に頻発する。微細な表現は柳原可奈子に譲る。おじさんにはとても無理だ。それにしても、今やさまざまな年齢層で見受けられる。
 自信のなさの裏返しか。アップトークの変形なのか。あるいは、退嬰化の末の自問自答か。とこうに考えあぐねていた時、ふと脳裏を過(ヨギ)ったのが「ファティック」である。
 ファティックとは「交話」と訳す。言語学者の金田一秀穂氏によると、なにがしかの情報をやり取りするのではなく、話をすること自体が大事な会話になること。挨拶はこれに当たる。「おはようございます」に由来はあるにしても、さしたる意味はない。文字通り「交わす」ことに意味と目的がある。氏は恋人同士の会話を例に引く。満天の星のもと ――
「星がきれいだね」
「そうね」
「あの星がきれいだね」
「あれもきれいね」
  ―― ふたりで見上げる星空。この会話には情報らしきものはひとつもない。氏はこう言う。
 ~~原理的な翻訳をすれば
「あなたが好きだ」
「あなたが好きよ」
「あなたが好きだ」
「あなたが好きよ」
ということになってしまう。他愛がない。ことばの起源の現場を見た人はどこにもいないのだから、あくまで仮説にすぎないけれど、ことばがお互いが仲良くするという目的のために生まれたのだという考えは、ちょっと魅力的だと思う。~~
 情報伝達に先だって、親和の手段が言語だったとは実におもしろい。それはともかく、以下をご一読願いたい。
 ~~心のおもいを紡ぎ出したものが言葉である以上、言葉やその使われ方のなかに、時代の心が響いている。言葉は社会の「写し絵」でもある。
 前述の例(『的語(テキゴ)』『みたい語』『とか弁』『って話法』『の方言』アップトーク症候群』)に通底していることは、「ぼかし」である。物事をはっきりと語らない。断定を避け、主張を飲み込んで、すべてをオブラートに包む。言葉はキャッチボールされるのではなく、風船のように空(クウ)にただ放たれる。相手の内面には容易に踏み込まない。心の距離間を微妙に保つ。お互いが傷つかない工夫と知恵。心を傷つけまいとするやさしさが、さまざまな言葉を生み、新手の話法を編み出したのだろう。
 だが、待てよ。なにかが足りない。心中に血を流してでも「正義」や「決意」を打ち合う道具としての言葉はどこへいったのか。言葉が、たがいにぶつかり合わないための緩衝材としてしか機能しない現実。トーク番組が隆盛で、言葉はさかんに行き交ってはいるものの、心中に何も痕跡をとどめない言葉の群。~~(本ブログ第2回、06年3月23日付「ヘンなことば」より抜粋)
 この文脈で考えると、会話がおしなべてファティックになりつつあると言い換えることもできよう。会話の「交話」化である。とすると、『うなずき』はファティックへの抗(アラガ)いではないか。「風船のように空(クウ)にただ放たれる」言葉の群をなんとか繋ぎ止めようとする抗いではないのか。交話から先に進まない言葉を巡る状況へのもどかしさが、奇しくも表出しているのではないか。言葉の「キャッチボール」をはじめようとする前兆か。
 これは好意的に過ぎる見方かもしれない。あるいは全くの的外れか。ともかくも現代日本のエニグマではある。

 その二 『組合』。
 オカマちゃんのことである。最初耳にした時、命名のセンスのよさに唸った。実にオモシロい。てっきりおすぎとピーコだろうと踏んだのだが、どうも島田紳助らしい。なにかの番組で、紳助がおすピーを「組合長」と呼んだのがきっかけらしい。
 かつては日陰者であった彼らが、最近ではすっかりメジャーになった。某国営放送にも平気で出演するようになった。一時代前には、考えられないことである。先駆者・おすピーの功績大であろうが、それぞれに一芸に秀でている。決して変異な際物振りや、外連(ケレン)だけで売っているわけではない。元祖・美輪明宏は言うまでもない。おすぎは映画評論家、ピーコはファッション評論家であるし、山咲トオルは漫画家、KABAちゃんは振り付け師、假屋崎省吾は華道家、イッコーはメイクアーティスト、とそれぞれに当代一級の才能の持ち主だ。
 そこで、『組合』だ。まさか信用組合でも生活協同組合でもなかろう。やはりこの場合、労働組合であろう。終戦直後、労組の組織率は60%以上を誇った。全労働者の6割以上が組合員だった。だが次第に組織率は低下し、2005年末には18.7%にまで下落。特に従業員100人未満の小企業では3%にも満たない。日教組ですら50年前の9割からいまや3割を切っている。組合にかつての威光はない。
 なぜか ―― 。社会保障制度が組合の代替をするようになったこと。バブル後のリストラによる組合の解散などが挙げられる。しかし、最大の要因は日本が豊かになったことだ。当然、意識も変わる。「全国の労働者よ、団結せよ!」など、今やカリカチュアでしかない。組合主催の行事など、組合費から日当をもらって参加するイベントとなった。組合でしか充足できないニーズなど、もはやありはしない。政治的意志でさえもが多様化した。一二の政党で掬えるものではない。社会構造も変化し、階級論で括れるほどに単純ではなくなった。なにせ「労働者」という言葉の、なんと陳腐なことか。その辺の事情は政党も最近は心得ていて、「働く人たち」などと言い換えている。でも、頭の中までは容易(タヤ)く変わらないらしいが……。
 そこに突如飛び出してきたのが『組合』である。「社会の底辺で喘ぐ恵まれない労働者諸君。この旗のもとに集い来れ。団結しようではないか。団結は力なり」 ―― かくなる組合の精神をダブらせたとしたなら、紳助のネーミングは抜群である。もう、脱帽である。
 ところで『組合員』の明るさに引き換え、逆パターンの暗さ。といっても、こちらはいっかな表舞台に現れない。現れない以上明るいも暗いもないのだが、存在自体が淫靡なままである。『組合』の結成が待たれるところか。
 なにはともあれ、死語の復活は感動的でさえある。□


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祭だ、祭だー!

2007年07月14日 | エッセー
 選挙に関して、三十年来の疑問が二つある。
 一つは、泡沫候補について。
 いわゆる「にぎやかし」である。とはいっても、まったくの泡沫候補ではなく、泡沫に終わるセレブリティーのことだ。国政選挙では、都市部に必ず一人か二人、お出ましになる。当代随一の、それぞれの分野でのオーソリティー、大御所である。かつ、既成政党に拠らず単騎である。だから、泡沫に終わるのだが……。
 この珍奇な現象、永年のナゾだ。日本を代表するような知性に結果が見通せないはずはなかろう。こと選挙にだけは、突如理性が麻痺するのであろうか。だから、選挙は「祭」であるともいえるのだが、そればかりではないだろう。
 件(クダン)のセレブリティーにしても、一日(イチジツ)にして今日の地位と名声を勝ち得たわけではあるまい。地道で辛酸を極める道程(ミチノリ)があったはずだ。それを忘れたわけではあるまい。あるいは、功成り名を遂げた末の過信か慢心か。選挙をなめたか。一時の気まぐれか。宮崎に倣って、二匹目の泥鰌を狙ったか。単なる世間知らずの専門馬鹿か。
 それぞれの世界には、それぞれの道がある。政治の世界でも同じだ。近ごろ流行(ハヤリ)のロス・ジェネ候補にしても既成政党を選ぶなり、地盤作りに励むなり、それなりの道を踏む。なのに、かのセレブたちの取り組みは幼児のそれに等しい。義憤に駆られやむを得ずの格好はつけるものの、なにがしかのストラテジーもなければ気の利いたタクティクスもない。ある種の退嬰化現象ではないか。またはセレブが金に飽かしての鬱憤晴らしか。
 あるいは、マゾヒズムの一種か。ナルシズムとマゾヒズムは、背中合わせだ。さらには、「祭」に潜むなにかが誘(イザナ)うのか。ミステリーではある。これこそ本当の「都市伝説」ではないか。

 二つ目に、「街頭」の出現である。
 「七つ道具を受け取った候補者は、早速、街頭に飛び出しました」選挙報道の定番である。なぜ、街頭なのか。声を嗄らし、日焼けし、雨に濡れ、風に晒され、手を振り、腫れ上がるほどに握手し、走り回り、歩き回り、お辞儀し、跪き、土下座し、のたうちまわる。よくあれで死人が出ない。選挙カーが徘徊し大音量のスピーカーが咆哮する。演説会を除き、ほとんどが街頭である。この期間、日本中に「街頭」が忽然(コツネン)と出現する。
 公選法は歪(イビツ)な法律である。さらにアナクロニズムでさえある。選挙運動は街頭で行うもの、これが公選法の前提である。揺るがぬ大前提である。施行以来57年間、この前提は微動だにせず保たれてきた。
 昭和25年、テレビも電話も、ましてやインターネットなど影も形もない時代である。一般家庭にエアコンなどあろうはずはない。夏は近所の連中が頃合いのところに集まって、涼を取る。冬は焚き火を囲む。雪かきも雪下ろしも総出であった。内風呂も稀。みな銭湯に通った。かつてはやたら外に出たものだ。当今とくらべ、格段に多くの用が外でなされた。いまは逆だ。ほとんどの用向きは家の内で足りてしまう。マンションなどという結構な住まいも現れた。高齢化、治安、セキュリティーなどの要因により、家屋も町並も随分変わった。家の造りにしても、外界を取り込むのではなく、遮断をコンセプトとする。そのうち、アメリカのようにゲート・シティーが生まれるかもしれない。産業構造も大きく変化した。第三次産業が主力だ。そのほとんどは屋内での生業だ。SOHOだって増えている。括っていえば、『1億総オタク化』しているのが現状だ。つまり、圧倒的マジョリティーは屋内にいるのだ。
 そう考えてくると、この法律がいかに時代、社会とミスマッチか。3000年も前の古代ギリシャを彷彿させる図ではないか。アゴラに集う市民に向かい、口角沫を飛ばして語りかける候補者。口コミ以外にメディアとてないポリスの時代、屋外でこそ事は進んだ。悲しいかな、日本にはアゴラに類する場所とてない。平成の御代(ミヨ)に、日本人は一国挙げてとんでもない先祖返りをしていることになる。選挙のたびに、伝来の鎧兜に身を包み馬に乗って、いまや誰もいない野山を駆け巡る。これは壮大なる戯画だ。だから「祭」だともいえるが、事は実生活に関わる。政(マツリゴト)が祭事(マツリゴト)であった時代は疾(ト)うに過ぎたはずだ。それとも、「祭」は抜きがたいDNAなのか。
 いま絶対的多数になったオタクに、どう主張を届けるか。その視点は、この法には致命的に欠落している。阻害要因は二つ。戸別訪問とネットの禁止だ。
 戸別訪問については買収を封ずることに主眼がある。牛を殺してまでも角を矯めるのか。諸外国では一、二の例外を除き、これを禁じている国はない。特に先進国では、ない。3周も4周も遅れている。すでに半世紀を超えて「隔靴掻痒」を続けてきている。この先、まだいくのか。戦後レジームというなら、『入り口』から変えてはいかがか。細川政権の時に解禁の動きがあったが、政変のどさくさで立ち消えになった。なんとも口惜しい。
 「聴衆の手応えは十分にあった」とはお定まりの口上だが、動員した支持者を相手にレスポンスがないのがおかしい。そのあたりの虚構性を逆手にとって「勝利」した人物が、かつていた。「青島だー!」昨年12月、鬼籍に入った。
 本年5月22日付本ブログ「奇譚! ビヒーモスVS.リヴァイアサン(上)」でネット選挙に触れた。無条件でネットを礼賛するつもりはないが、インタラクティヴという特性は捨てがたい。「隔靴掻痒」を解消する手立てはここにある。しかし公選法の、保守性を通り越した頑迷固陋がネットに軛を嵌めている。「街頭」というこの法の前提が治しがたい宿痾となっている。アジアで最初に民主主義を啓(ヒラ)いた国が立ち枯れようとしている。そのうち、国際社会から「選良」の正当性を問われかねない。本年2月1日付本ブログ「誰だ、それは?」で取り上げた「選び方」と通底するが、公選法は一考も二考も要する喫緊の課題だ。諸悪の根源ともなりかねない。

 公選法が造り出す「街頭」という虚構性。虚構であるがゆえに実態は限りなく乖離している。実戦は街頭なぞで行われてはいない。街頭では戦国武者よろしくパフォーマンスを打っているだけだ。
 投票意志を街頭で決めるほど国民は柔(ヤワ)ではない。形式的なポスターや広宣物でもない。概括すると、決めかねているのだ。だから、「無党派層」という最大の『政党』が生まれ、投票率はいっかな上がらない。当たり前だ。ルールの前提が大時代(オオジダイ)なのだ。圧倒的なマジョリティーを蚊帳の外に置いているからだ。だからへたをすると、マスコミに根こそぎ誘導されてしまう。繰り返そう。今の日本、「街頭」はどこにもない。

♪♪
男は 祭りを
そうさ かついで生きてきた
山の神 海の神
今年も 本当にありがとう
白い褌 ひきしめた
裸若衆に雪が舞う
祭りだ 祭りだ 祭りだ 豊年祭り
土の匂いのしみこんだ
伜 その手が宝物 男は 祭りで
そうさ 男をみがくんだ
燃えろよ 涙と汗こそ男のロマン
俺もどんとまた 生きてやる
これが日本の祭りだよ  
♪♪(北島三郎「まつり」から抜粋)

 時代との懸隔は、こちらの方がまだ少ない。□


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『らも教』について

2007年07月11日 | エッセー
 一作も読んでいない作家を語ることはできない。ただ、事の弾みということがある。友達の友達はまた友達だ、という『定理』もある。少なくとも、纏わる因縁や周辺事情については語れぬわけでもあるまい。
 fulltime氏の前稿へのコメントで、久しぶりにこの作家の名前を目にした。ブロクを始めて1年と3カ月、105回の投稿に対するコメントにも、記憶する限り一度もなかった。いや、懐かしい。これが、事の弾みである。

 中島らも ―― 1952年生まれ。小説家、戯曲家、随筆家、俳優、コピーライター、広告プランナー、脚本家、ミュージシャンなどさまざまな顔を持つ異色の芸術家であった。直木賞にノミネートされたこともある。
 異彩の例を一つ。亡くなる前年、おクスリの誤嚥で鉄格子の向こう側にお入りになった。猶予付きの判決後、獄中体験記を出版。なんとタイトルが『牢屋でやせるダイエット』。サイン会には手錠姿で臨む。なかなか常人のできることではない。
 余談だが、ものの本に確実なダイエットは……刑務所に入ること、という問題と解答があった。まさか、教祖はこれを下敷きになさったのではあるまい。

 かつてfulltime氏から薦められた作家が二人あった。一人は昨年、この容量の極めて小さい頭蓋に、無理矢理注入された。ために爾来、脳細胞の隅々に至るまで蚕食され続けている。浅田組長。一旦染まると、なかなか足抜けが叶わぬ。(この因縁については、昨年8月24日付けの本ブログに書いた。)
 さて残る一人がこちらの教祖さまである。氏から『改宗』を勧められたのは5、6年をゆうにさかのぼる。生来の食わず嫌いゆえに、言を左右に拒み続けた。生きていらっしゃれば、口から出まかせの「そのうち」がそのうちにやって来て、遂に見(マミ)えたことであろう。しかし故人とおなりになった今では、触手が動かない。教祖のいない伽藍に詣でても意味はなかろう。きっとがらんどうに違いない。 ―― 意味は、シンクロニシティーの問題だ。「今の時代」をどう捌くか。どのような御託宣を給わるか。これが興味の第一である。異教徒として邪推するに、『らも教』とは極めて今日的ではないのか。
 書籍の上で触れ合うことはなくても、外のメディアでは何度も拝見、拝聴することはあった。関西弁のまったりとした語り口、少し鼻に詰まった声がいまだに耳朶から離れない。 
 3年前の7月15日深夜、飲食店からの帰り際、階段で転倒、頭部を強打。10日余り死線を彷徨い、ついに26日朝事切れた。享年53歳。
 死に様が生き様のすべてを象徴することがある。来し方が凝縮する。畳の上で大往生など、この作家には最も遠い。痛飲し自らの歩調に戻った時、世人の歩幅に設えられた階段が足を掬った。非は、明らかに階段にある。
 なお夫人の話では、生前から「俺は階段から落ちて死ぬ」と予言していたらしい。両の手に余る才能のほかに、霊感まで具えていたのか。空中浮遊するどこぞの教祖より、余程にそれらしい。
 まことに彗星のように現れ、流星のごとく走り去った人生である。あと2週間で祥月命日を迎える。

 この稿を完結させるためには、いまだにというか、いやまして篤信の『らも教』徒であり続けるfulltime氏の協力を得ねばなるまい。作品を語らねば、作者を語ったことにはならないからだ。氏よ。迷える子羊どもに、願わくば教えを垂れ給わんことを。△

 以下、fulltime氏の筆による。
   ◇   ◇   ◇   ◇
 次郎組長と、らも兄貴、そして小生は同学年である。
 これがまずひとつ。普段の小生なら、同い年の相手には警戒感やコンプレックスが表にでる。比較されやすいからだ。何一つ業績もなく、エピソードにもロクなものはなく、経済的資質も成果もぱっとしない。結婚して女子を三人こさえたくらいのものだ。「ダイ・ハード」が進む頭髪のありさまや、突き出た下腹など、どこをとっても人様に優に伍するものとてない。だがだが、組長や、らもさんは生活エリアも、実績もかけ離れているせいか、そういう気遣いは無縁につきあえるのだった。況んや、ご両人との共通項のほうが多いとなると尚更に親和感のほうがまさるのである。
 曰く、鬱に悩み、有名校からの挫折やインフェリアなコンプレックスに世を拗ねながら倦むほどの本を読み、「ワルイ事」をしながら、転んでもタダでは起きない執念を抱き、そこから新たな地平を見出すという、小生にとっては「歩くバイブル」なお二人であったのだ。 
 長い前置きなのでスピードをあげる。

 らも兄貴を知るにはいろいろあろうけれども、小生は「今夜すべてのバーで」を読むことから始まった。確か「吉川英治文学賞」をとった。
 のんだくれた挙げ句の入院という己の体験をもとに書かれた小説だった。したたかさやたくましさを学んで安堵した本だった。「がんばれ!」などというセリフなど一言も書かれてはいない。なのに私を下支えして押し上げてくれた。「共感」はあらゆる理解の前提だ。
 「たまらん人々」「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」「変!」「ガダラの豚」「アンナパンセリナ」「頭の中がかゆいんだ」「愛をひっかける釘」などなど著作は思い出深いが、今にして思えば、まず「明るい悩みの相談室」全6巻?から入るべきであった。ちょうど、次郎組長のそれが「勇気凛凛」であるべきなのと同様に。
 リアルタイムでは読んでいなかったが、朝日新聞でのこの連載は実に無責任でおちゃらけで、言いたい放題な勝手な話の収録だった。思えば彼は大阪の偉人だった。投稿者は全国区に及んだであろうが、極めて多かったであろう大阪の読者との「かけあい漫才」の様相を呈すものであった。晩年の「固いおとうふ」などは確かに二番煎じが多かったし明らかに「衰微していく彼」が滲みでていたが。
 結論を急ぐ。
 彼らは「マジメ人間」の範疇外の人だ。
 彼らは挫折や世の辛酸をなめてきた。
 彼らは褒められるべきではないが、その信念(軸)がぶれなかった。
 彼らは「したたか」だった。
 彼らは類まれなユーモアセンスを持つ。
 彼らは「時代」を生きた。
 彼らは経験をただの「出来事」にして終わらずに「人生の華」に変えた。
 時折、私の世代に多い、「針小棒大さ」を面白がって書く、という面も見られる。評価は様々だろう。そしてなにより「人」を愛する「情」の人だった

 勿論、私見であるので異論はあろうが、これらが私の「見方」である。
 今年もその「らも忌」が近づいている。欠かせぬ祈りの日だ。□
   ◇   ◇   ◇   ◇


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2007年6月の出来事から

2007年07月08日 | エッセー
■ 2、3日 内閣支持率が30%(朝日新聞調査)、政権発足以来最低に
 1ヶ月後の今はもっと落ちているだろう。まことにアンバイくんのアンバイがわるい。ただ気をつけねばならぬのは、世論調査自体の信憑性。このことについては、2月12日付け本ブログ「うへぇー! 世の中、ゴミだらけ!!」で取り上げた。さらに、アナウンス効果の問題だ。
 90年代初めに投票前の予測報道を公選法で規制しようとの動きがあった。鍔迫り合いの末、マスコミ側が自粛することで落ち着いた。今はたしか1週間前からこの種の報道を控えている。しかし期限ギリギリまで報道は続くし、残像は消えない。かてて加えて、日本人の国民性。勝ち馬に乗るか、判官贔屓か。こと選挙に関しては「勝ち馬」組が圧倒的だ。発足以来、不運続きのアンバイくん。同情を禁じ得ないが、九郎判官ともいかず弁慶よろしく仁王立ちするしかないか。まことに「男はつらいよ」である。

■ 4日 政府が年金記録問題の対策を発表 ―― 記録の照合、第三者委員会の設置など
 問題は三つある。
① 「問題の構図」の問題 ―― 社保庁解体を阻止するために、自治労がM党に情報をリークした。身内の腐敗を曝(サラ)けることと引き換えに、捨て身の戦法に出た。差し違えである。……との見方がある。宜なるかな。状況を勘案すると、当たらずといえども遠からず、である。だが、この意図はアンバイくんの『頑張り』のまえに潰えた。30日、徹夜国会の末に社保庁改革関連法が成立。
② 「問題のすり替え」の問題 ―― 記録の問題と年金制度自体の問題とは違う。これを意図的にすり替えたり、ない交ぜにする向きがある。政府の肩を持つわけではないが、記録に不備があり受給に問題が生じても、年金制度自体が崩壊したわけではない。制度の設計論議は別にして、本体に揺らぎはないのだ。「記録」の問題と「制度」のそれとを混同してはならない。ここのところを冷静に考えたい。
③ 「こちらにも問題」の問題 ―― 『あちら』は口が裂けても言えぬだろうが、加入者側にも落ち度はあった。97年の名寄せ紹介に対してキチンと対応していれば5000万件も宙に浮きはしなかった。年金といわず一般に行政サービスは申請主義を旨とする。言ってもやらない連中が言わずにやるわけがない。油断はおさおさ禁物である。

■ 19日 東京渋谷区の温泉施設が爆発、6人死傷
 風呂嫌いのわたしなら、「だから、言わないこっちゃない。あんなアブねー所に行くからだ」と、一発吠えてみたいところだ。しかし通行人まで大ケガをしたとあってはそうはいかない。
 事故のあった渋谷区松濤といえば、「超」の付く一等地だ。しかも温泉だ。つまり、水を沸かした銭湯ではない。千から2千メートル、地球に針を刺して中身を吸い取っているのだ。大都市・東京といえども、地球の上に浮いているわけではない。幾重もの地層に乗っかっている。
 南関東ガス田 ―― 250~40万年前に堆積した地層に天然ガスがある。埋蔵量は国内の9割。千葉県で生産される天然ガスは国内生産量の十数%を占める。東京の江東・江戸川区でも採っていたが、地盤沈下のため昭和40年代末に採取を止めた。
 つまり大東京のど真ん中で、温泉も出ればメタンガスも出るのだ。地表から、地球の半径の僅か6万3千分の1で「生身」の地球にぶつかる。たとえていえば、薄氷の上に御殿があるようなものだ。この危うさに気づかされる事件であった。

■ 20日 「牛肉」の偽装でコロッケなどを回収
 最初の一報に接した時、「カニカマ」を連想した。カニ風味のかまぼこ、いわゆるモドキ食品である。ミートホープ社の『牛肉ミンチ』を使ったコロッケは本物と見分けがつかないらしい。牛肉を入れない牛肉ミンチを造る、なんと奇想天外な。間違いなく、「カニカマ」を超える『逸品』にちがいない。是非とも、食してみたかった。
 わたしは小さいころから、生ものよりも加工品を好んで食べる。刺身、焼き魚、煮魚よりも蒲鉾、天ぷらなどの練り製品。ステーキよりもハンバーグ、メンチカツ。つまり素材の原形を留めない食い物が嗜好だ。大トロのにぎりよりもシーチキンの罐詰がいいのだ。お笑いめさるな、幼少期よりの家計の都合とそこから帰結される食環境の、ひとつの結実である。偏向した食育が偏屈なる人格と味覚を生み出した一典型である。
 さて、この問題。はなっからモドキで売り出せばよかったのだ。牛肉『モドキ』ミンチであればなんらのお咎めもない。なにせ、ミートホープ社のコロッケで死んだ人はいないし、詳しくは分からぬが栄養価にさしたる違いはなかろう。豚肉が主体であれば、牛肉よりむしろ身体にはいいかもしれない。学校給食に使うもよし。刑務所など、もってこいではないか。モドキを噛みしめながら来し方のモドキ人生を反省し、出所後のモドキからの決別を誓う。なかなかの食育ではないか。
 学歴、職歴を詐称して憚らない議員がいる。こんな手合いはクズだ。こういうモドキ人間は何の役にも立ちはしない。しかし、件のコロッケは捨てがたい。使い道は十分にある。だから、なんとも残念だ。田中社長もモドキに徹していれば、ミート界の『ホープ』になれたものを ―― 。

■ 23日 「憑神」全国公開
 詳細は前稿で述べた。
―― 時代・社会は黄昏れても、己の人生は決して黄昏はしない。そんな作者のエールが聞こえる。□


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トワイライトはお好きですか?

2007年07月04日 | エッセー
 渉猟し尽くしたわけではないので断言はできないが、ほぼ間違いない。 ―― 浅田次郎という作家はトワイライトがお好みだ。天空の黄昏ではなく、時代のそれだ。
 「壬生義士伝」。「五郎治殿御始末」(短編集)。「お腹召しませ」(短編集)。そして、「蒼穹の昴」にはじまり「中原の虹」に至る大河小説。時代物は、すべて消えていく側に軸足がある。アンシャンレジームに視座をおく。つまりは黄昏である。
 さらに、「憑神(ツキガミ)」だ。ずばり幕末の、かつ幕臣の物語である。東映で映画化され先月23日、全国で封切られた。監督に「鉄道員」を撮った降旗 康男、主演は妻夫木 聡。その他、豪華キャスト。前日に、新聞広告が大々的に出た。監督、主演、原作者の対談である。以下、新聞広告からストーリーを紹介する。
  ―― 幕末の江戸を舞台に自身の誇りと武士の本分を取り戻そうと、もがく若き侍の生き様を描いた『憑神』の映画化だ。舞台は「尊皇攘夷」「公武合体」と、新しい時代を唱える声が高まる幕末の江戸の町。文武両道に優れ将来を嘱望されていた下級武士・別所彦四郎(妻夫木聡)だったが、ある事件をきっかけに婿養子に入った家から離縁され愛する妻や子と引き離されるというツキのない日々を送っていた。兄の家に居候しながら肩身の狭い日々を過ごしていた彦四郎はある日、酔って転げ落ちた川岸で見つけた「三巡(ミメグリ)稲荷」に手を合わせ出世を願う。ところが目の前に現れたのは、貧乏神・疫病神・死神という三人の災いの神たち。しつこくつきまとう神様たちからなんとか逃れようと奮闘する中、彦四郎は次第に自分の人生の意義、武士としての本分について目覚めていく……。 ――
 なお補足すると、貧乏神・疫病神・死神は順を追って現れる。ここがミソだ。もちろん軽きから重きへ、「三巡」とはそういう意味だ。予定調和ならぬ『予定破滅』が物語の牽引力となる。この作者の小憎いところだ。なにせ読み終えぬうちは死に切れなくさせてしまう。
 映画のキャッチコピーは、「今を生きるすべての人にツキを呼ぶ、大型時代活劇」。大時代なコピーではあるが、よくできている。特に「ツキを呼ぶ」。これがいい。物の怪の話がなぜ、との疑念にはお答えできぬ。お読みいただくしかない。言い遅れたが、わたしはまだ映画を観ていない。なにせこんなドサに廻ってくるのはいつのことやら。とても待てない。だから、原作を読んだ。

 さて話頭を巡らして冒頭に帰る。この名うてのストーリーテラー、なぜかトワイライトを好む。
 件の広告で、次のようなやり取りが交わされていた。

妻夫木:浅田さんの時代物は幕末を舞台にした作品が多いんですね。
浅田:時代物は幕末しか書いていないですね。その理由は簡単で、今の自分たちの時代から考えて手に届く範囲の時代劇だから。幕末からまだ130年しかたっていないんですよ。人間、そんなに変わっていないと思うんですよね。

 これはなんらの回答になっていない。「小説家は天下御免のライアー」と嘯く作者にとって、「手に届く範囲」か否かは問題の外だ。また、作者が幕臣の末裔であることも、動機とはなっても主因ではない。単なるデカダンでもない。この作家、そんな柔(ヤワ)ではない。ましてや、同情などであろうはずがない。
 邪推するに、やはり「黄昏」に秘密があるのでは ―― 。主人公・彦四郎は語る。

     ◇     ◇     ◇
 榎本釜次郎の胸のうちも、小文吾の言うことも理解できぬ彦四郎ではなかった。ただ、新しき世を造るのも義の道ならば、古き世にこだわる義の道もなければおかしいと思った。すなわち、古き世の義が輝かしければ輝かしいほど、それに代わる新しき義は強くたくましいものとなるはずであった。腐り切った旗本御家人の中にあって、たとえ身は貧しくとも賎しくとも、古く輝かしい武士道を頑なに掲げる者こそが関東武者であり、三河武士であると彦四郎は信じた。
     ◇     ◇     ◇

 「黄昏」とは、深まる宵の闇間に「誰そ、彼は」と誰何したことから生まれた。「古き世」が夕間暮れの中に後退する時、人ははじめて彼を、そして吾を問うのではないか。問わずして、漆黒の闇では身動きがならぬ。囁くように声をかける。「誰そ、彼は」。さらにおのれに向かい、「誰そ、吾は」と。闇は人をして赤裸にしてしまう。
 鋭敏なこの作家が好機を逃すはずはない。だからこそ黄昏に物見台を設(シツラ)え、輝ける払暁を待つのだ。
 大団円、主人公は神に言い放つ。

     ◇     ◇     ◇
 雨にしおれた二柱の憑神は気の毒だが、ひとこと言うておかねばなるまいと彦四郎は思った。
「わかっていただけたか。人間は虫けらではないのだ」
 緋色の手綱を返すと、別所彦四郎は馬の尻に鞭を当てた。
     ◇     ◇     ◇

 これには唸る。亡霊はこの作家の十八番(オハコ)だが、神霊というこの世ならぬものに勝利を宣して、この作品は終わる。人間は神の掌(タナゴコロ)に弄ばれる虫けらではない。神霊は自らの死を知らぬが、人間は死するを辨(ワキマ)える。この分別こそが神霊をも超えるのだ。□


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51番目の!?

2007年07月01日 | エッセー
 大掴みの話をしたい。ディテールも大事だが、木を見て森を見ない愚に陥ってはなるまい。小数点以下は丸め、かつ四捨五入して括ると、存外に物事があきらかになろうというものだ。

 アメリカは「権力政治」の権化である。権力政治とは、すなわち御身大事ということだ。自国の利害がファースト・プライオリティーである。アメリカに限ったことではない。国際社会の常態である。覇権は断じて放さない。そのため、敵味方を峻別する。敵の敵は、すなわち味方となる。だからスタンダードは臆面もなくダブルとなる。イランとインドでは核開発に対するスタンスがまるで違う。出る杭は打つ。御為ごかしも衒いなく為す。しかし行動を貫くものはユニラテラリズムである。
 ところがである。血は水よりも濃い、であろうか。時として肇国伝来の血が滾ることがある。メイ・フラワー号に乗ったピルグリム・ファーザーズのロマンチシズムに先祖返りすることがある。「日本国憲法」はその一典型だ。
 焦土と化したアジアの一角に、アメリカは自らの理想を託した。白眉は、言わずと知れた第9条である。 ―― 戦争の放棄、軍備・交戦権の否認。優に数世紀を先取りした歴史の華であった。「あった」と過去形で語るには理由(ワケ)がある。

 敗戦5年にして、朝鮮戦争が起こる(50年6月)。不幸にして、アメリカのロマンは微塵に砕ける。日本再軍備に舵を切る。同年8月、「警察予備隊」が発足する。治安維持の「警察」権であれば、9条に抵触しない。表向き、ここまでは問題ない。
 52年10月、警察予備隊は「保安隊」へと発展する。そろそろ怪しい。当初、政府には国家としての自衛権を認める異見と、自衛権自体を認めない意見の両論があった。しかし、自衛権の「行使」は戦争に変わりはなく違憲としていた。それを変える。一変させる。 ―― 自衛のための武力行使は憲法上禁止されていない。また、戦力については、「戦力に至らない程度の実力」は違憲ではないとし、警察予備隊および保安隊は、警察力であって戦力ではないから合憲とした。このあたりから迷走が始まる。「戦力に至らない程度の実力」とは狐につままれたような話だ。
 51年9月、日本は独立を回復する。対日講和条約(サンフランシスコ条約)を48カ国と結ぶ。同時に、アメリカとは日米安全保障条約を締結。アメリカの軍門に委ねることを代償に手にした独立であった。
 米軍の駐留は、戦力不保持の9条に反するのではないか、との疑念がある。これに対し、安保条約は ―― 日本が独自に自衛権を行使する手段をもっていない間の措置として、アメリカ軍は日本の自衛権行使の手段だ、という。これが、米軍駐留の根拠であった。稀代の詭弁である。ならば、今や日本は一国に二つもの自衛権行使の手段をもつことになる。贅沢を通り越して戯画に等しい。
 さらに安保条約前文には、対日講和条約および国連憲章にもとづき日本が個別的および集団的自衛権をもつことが記されている。56年も前、アメリカは覇権国家としての「布石」をキチンと打っている。総毛立つ手際のよさだ。
 
 さて、話頭を冷戦後に転じよう。
 国際政治に対するアメリカのスタンスは「バランス・オブ・パワー」である。ここが急所だ。バランス・オブ・パワー(勢力均衡)は欧州で生まれた。権力政治に特有な思考である。「出る杭は打つ」である。勢力に不均衡が生ずることを徹底して嫌う。一国の突出を許さない。杭が出そうになると、寄って集(タカ)って叩く。ナポレオン戦争はその典型である。
 冷戦後のアメリカにとって、脅威は中国である。ソ連はもはやない。後身のロシアは戦略的パートナーといってよい。EUは価値観を共有する。ライバルとはなっても脅威ではない。「ならず者国家」もいて、手は焼くが覇権を争う脅威ではない。やはり、中国だ。
 200年10月、「アメリカと日本 ―― 成熟したパートナーシップにむけて」と題する報告書が発表された。アメリカ国務省副長官アーミテージの作になる。ブッシュ政権が執る対日政策の基本だ。「アーミテージ報告」の要点は以下の通りだ。
① アジアは米国の繁栄にとって死活的に重要である。
② そのアジアは紛争の可能性が高い。
③ 経済大国であり有力な軍事力を持つ日本はアメリカのアジアにおける要である。
④ しかし、冷戦後アメリカの日本への関心が薄れていた。 
⑤ 安全保障の分野で、今また新しい日米関係を築かねばならない。
⑥ 日本が集団的自衛権の行使に踏み込むことが日米軍事同盟強化のカギである。
 さらに、2001年5・6月、「アメリカとアジア」、「日本とBMD(弾道ミサイル防衛)」と題する二つの報告書が発表された。アメリカのシンクタンク、ランド研究所(RAND)が発表したものだ。RANDは国防関連のシンクタンクで米政府に大きな影響力をもつ。というより、一体とみていい。
 要約すると以下のようになる。
① 中国脅威論 ―― アジアの不安定要素は朝鮮半島ではなく、地域覇権国家となった中国こそ脅威である。
② 対中国軍事包囲網の形成 ―― 周辺国家との軍事同盟を強化し、中国を封じ込める。
③ 対中戦争の原因は台湾 ―― 台湾独立への動きが米中軍事対決のトリガーとなる。
 アメリカのアジア軍事戦略はこの二つの報告書に尽きる。 ―― 日本を軍事的パートナーとして中国と対峙する。自衛隊と呼ぼうが、自衛軍と名乗ろうが、一朝事あらばともに戦う。ストラテジーは明白である。特に、「アーミテージ報告」の⑥に注目していただきたい。56年前の「布石」をいま活かせ、といっているのだ。

 ここで3点、明確にしておきたい。1点目は、「自衛権」について。20世紀初頭、第一次世界大戦の総括がハーグで行われた。はじめて世界は「難敵」と向き合う。つまり戦争だ。武器の発達により戦争が一変する。総力戦であり、大量破壊、大量殺人の悲劇に直面した世界は戦争回避へ第一歩を印す。その合意は ―― 侵略・攻撃の戦争は許せない。しかし自衛のための戦争は致し方ない。すなわち国家は自衛権をもつ。ここに初めて公式に自衛権が登場した。
 自衛権とは、他国から不法な武力攻撃を受けた時、それを排除するために反撃する権利である。しかし条件がある。①侵害が急迫不正である場合 ②侵害を排除する外の手段がない場合 ③実力の行使は必要最小限度であること、である。国家の自衛権行使の三要件といわれる。
 さらに後の国際連合は「難敵」に対し厳しく臨む。憲章で、あらゆる武力行使を違法とする。違法行為があった場合には安保理が集団的措置を執る。国際社会の警察権たらんとした。集団安全保障体制である。ただ、速やかに安保理が有効な集団的措置を執れないこともある。その場合に限り、自衛権を認めた。固有の自然権としてではない。一定の条件下でのみ認められた権利なのだ。ここが重要だ。自衛権とはすなわち歴史の産物なのだ。ハーグでは固有の権利としたものが、憲章では条件付きの権利となった。人類史の格段の進歩である。
 よく自衛権を個人の正当防衛・緊急避難と同列に論じる向きがある。この論議には落とし穴がある。つまり国内では警察権・司法権が確立されていて、犯罪者は罰せられる。公的な暴力装置がある。したがって個人の実力行使、暴力の行使が認められるのは極めて限定された状況でのみだ。あくまでも例外である。国際社会では、国連憲章で集団安全保障体制が謳われるまで、国家の上に立つ警察権はなかった。だから自衛権は国家にとって唯一の手段とされたのだ。もっとも集団安全保障体制はいまだ機能してはいないが、憲章の理念が実現すると国家の自衛権も例外でしかなくなる。
 2点目は、「集団的自衛権」について。国家固有の権利として国連憲章に書き込まれたこの権利はアメリカの無理強いであったこと。アメリカが憲章違反を問われることなく軍事行動をとるための抜け道であった。「力による平和」はアメリカの国是である。自らの手足に枷を嵌める愚は避ける。
 集団的自衛権そのものの説明は不要であろう。問題はこの言葉が形容矛盾であることだ。「自衛」とはいうものの、本質は「他衛」であることだ。『集団的他衛権』を『自衛権』と言い換えたところに狡智がある。この権利は決して固有の自然権などではない。アメリカの専横による国連の鬼子である。鬼子に振り回されるのは、いかにも美しくない。
 3点目に、国連への協力について。憲章第2条には、国連がとる集団的措置には積極的に協力することが謳われている。これを金科玉条とする手合いがいる。しかしである。
 憲章は、安保理は軍事行動をとる事態に備えるため、あらかじめ加盟国と協定を結ぶこと。その協定では加盟国が安保理に提供する兵力などに関して定めること。安保理の軍事行動に助言と援助を与えるために、安保理常任理事国の参謀長などで構成する軍事参謀委員会を設置すること。兵力の使用計画については、軍事参謀委員会の援助を得て安保理が作成することなどを定めている。
 だが同時に憲章は、この協定は署名国によって各国の憲法上の手続に従って批准されなければならないと定めている。憲章は加盟国の憲法を尊重する立場を鮮明にしている。つまり、加盟国は憲法に反する協定を安保理と結ぶことは義務づけられていないということだ。非軍事での協力は明確に謳われているものの、軍事での協力は各国の憲法の定める範囲内であることが明記されている。国連を錦の御旗にするには無理があるのだ。ここをしっかりと押さえておかねば、大事を誤る。

 冗長になった。「大掴み」するには力量が不足しているようだ。枝葉は刈ったつもりだが、相手は巨木に過ぎる。少し見えてきた幹を括って稿を終える。

 憲法9条は、アジアの片隅に投影されたアメリカのロマンであった。しかしすぐに潰える。「自衛権」の名のもとに9条は浸食される。冷戦後、中国がアメリカの世界戦略に立ち塞がる。脅威の出現にアメリカは「集団的自衛権」の布石を甦らせようと躍起になる。しかして、現政権による「集団的自衛権」の『研究』に至る。
 北朝鮮の核開発問題は一時のモラトリアムでしかない。アメリカの対中軍事戦略はなにも変わりはしない。60年間、4万もの外国軍が駐留し続ける日本は、はたして独立した主権国家といえるのか。それとも、51番目のステイトなのか。□


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