司馬遼太郎著「覇王の家」から引く。(◇部分、以下同様)
◇家康は功労のある譜代の者にもわずかしか領地をやらず、無類の吝嗇家といわれた。(中略)
家康は関ヶ原の一勝で天下をとったあと、これに協力した豊臣系諸候には気前よく大領をわけあたえた。この家康の勘定の矛盾は、譜代のひとりである大久保彦左衛門が、終生口ぎたなくののしっていたことだが、しかし彦左衛門程度の頭では家康の吝嗇な性格はわかっても、家康の政治的算数はわからなかったのであろう。(中略)
「わしが三河、遠州、駿河といった譜代の侍どもに薄く報いたのは、ゆえのあることだ。かれらを大大名にしてしまえば、みずからその富力を恃んで、江戸の将軍を軽んずるようになる。かれらを薄禄にとどめておけば、貧なるがためにたがいに気心をあわせて江戸を仰ぎみるようになるからである。徳川の世がつづくもつづかぬも、譜代の臣の結束いかんにあり、すべてそのためである」
譜代の臣は薄禄だが、外様大名よりは格は上であるとし、さらに幕閣の政務はすべて譜代の臣にとらせるという名誉をあたえ、外様大名は大封をもつとはいえ天下の政治に対する参政権をあたえないということで差別をした。譜代大名は薄禄とはいえ、この差別つくることによって大きな優越感をもつのである。◇
これはつとに知られた話だ。親藩、譜代、外様の配置といえ、270年の長遠な天下は家康の深謀遠慮に源を発する。「譜代の臣の結束」を画竜点睛とし、布石の限りを尽くす。
さらに死の十数日前諸候が集められ、最後の別れが伝えられる。
◇家康は大内記にいう。(引用者註:榊原 照久)
大内記は、それを本多正純と土井利勝にいうのである。この両人が、(引用者註:隣室に控える)諸大名に御言葉として伝えるのだが、家康はこの二人のうち伝令の役については、
──大炊頭(土井利勝)がやれ。
という細部まで命じた。(引用者註:家康は元来指図は大きく細部はいわなかった)しかしながらこのときは家康は伝達役まで指名したのである。このことは家康に近侍してその謀略の相談相手になった本多正純の政治生命の消滅を暗示し、一方、徳川家きっての俊才官僚として秀忠の政務役をつとめている土井利勝の将来のかがやきを意味した。秀忠をあくまで立てようとする家康は、死にあたって秀忠の官僚を優位に置いたのである。◇
死に臨んで、なおこれほどに周到であった。徳川の永世のため、「秀忠をあくまで立てようとする」細心の配慮である。つまりは命を削って後継の道を拓き、固めていったのである。天下人として万能であったがために、徳川の永世を勝ち得たのではない。勝ち得べく、命の限り万の能を使い、使い尽くしたのだ。歴史的な業績や個人的な嗜好はあるが、同じく覇王である信長も秀吉も家康に遠く及ばないのは後継という一点である。その秘密を、司馬遼太郎は次のように抉る。
◇臨終までの十数日間、医師がいかにすすめても、
「それはむだだろう」
と言い、その後はいっさい薬を用いようとはしなかった。家康が一種の悟りに達していたというよりも、元来がそういう男であった。かれは自分という存在を若いころから抽象化し、自然人というよりも法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで外界を見、判断し、動いてきたし、自分の健康についてもまるでそれが客観物であるかのように管理し、あたえるべき指示をかれ自身がかれの体に冷静にあたえてきた。家康の深奥に秘密があるとすればこのことであり、かれの一代はこのことから成立しているといってよく、さらにはどうみても英傑の風姿をもたず、外貌も日常もそして才能もごく尋常な人物でしかないこの男が、その深部においてきわだって尋常人と異なっているところの一点であり、この一点しかなかった。その一点がその生命まで作動していて、このあたりで薬はもう無用だろうと思うと、二度と服用しなかったのである。◇
自己肥大から最も遠かったといえば木で鼻を括るようだが、家康の天才はそこにこそあった。夜郎自大でおかしくない環境にいながら、なお自己を客観視する。それだけで桁外れに非凡ではないか。象徴的な一文がある。
◇家康は口数のすくない男だったが、ひとの話は全身を耳にするような態度できくところがあった。どんな愚論でも辛抱づよく聴いた。家康はよく言う、愚かなことをいう者があってもしまいまで聴いてやらねばならない、でなければ聴くに値することを言う者が遠慮をするからだ。◇
事の真偽はともあれ、裁判沙汰にまで及ぶ球団会長と代表との擦った揉んだ。会長の老いの一徹とはいえようが、とても老驥伏櫪ではなかろう。老いの繰り言、老いの木登りがいいところか。老馬の智ならば、まわりが唸るはずだ。それどころかお白州にまで出張(デバ)ろうというのだから、八十の三つ児などでは更々ない。この会長に悲しいほど決定的に欠落しているのは、「後継という一点」である。
比較の対象になぞならぬのは端から百も承知だが、いつもの癖であらぬところへ想が跳ねてしまった。この会長、名前に「恒」の字がある。次世代への「つね」ではなく、自世代のそれにちがいない。□