オーソドックスを『オールドソックス』と言う先輩がいた。古くなっても靴下を洗っては履き続けることならば、何となく意味が通じなくもない。気弱な性格ゆえ、微笑みながらそのまま聞き流したものだ。
『一把一絡げ』を連発する先輩もいた。十把一絡げの言い違いだ。一把ならどうしたって一絡げしかあるまいと心中で突っ込みを入れながらも、やさしい性格のためか、いつもじっと項垂(ウナダ)れていた。
偉そうなことはいえない。筆者だってそうだ。雰囲気を、『ふいんき』とかなり長じるまで取り違えていた。ある時「ふいんき」と発言して、雰囲気の淀みに気がついた。もしやと字引を繰ってみても、その語句がない。漢和辞典からやっとたどり着いた。いまのワープロなら入力したとたんに、間違いを指摘してくれる。便利なものだ。だが近ごろでは、『ふいんき』はまちがいのまま定着しつつあるそうだ。
最近はアナウンサーだって、平気で「耳ざわりのいい音ですねー」などと言う。「とんでもありません」は明らかに誤用なのだが、これも市民権を得つつある。
例を挙げれば切りがない。世の中、言い違い、読み違い、聞き違い、勘違いはつきものだ。アラビアの格言に「人間は間違いの息子だ」とある通りである。さすればわが宰相の「未曾有」違いなど、目くじら立てるほどのことではない。
ただ同じ間違いでも、時として歴史を動かすことがある。
89年の11月、東ドイツ政府が突如、旅行の全面自由化を発表した。この報に歓喜した東西ベルリン市民が検問所に殺到し、壁によじ登りハンマーで壁そのものを壊し始めた。あの映像は記憶に鮮明だ。 ―― ベルリンの壁崩壊である。28年に亙りベルリンを分断し、多くの悲劇を生んできた東西冷戦の牢乎たる砦は潰えた。
実はこれも、事の起こりは言い違いだった。
東独共産党書記長から記者会見用に渡されたペーパーを、報道官が読みちがえたのだ。明くる日からを本日只今からと誤読し、さらに出国手続きが依然必要であるという部分を読み飛ばしたのだ。
もっとも85年のゴルバチョフ書記長登場以来の東欧自由化のうねりは底流していた。引火性が上がっていたところに、マッチを投げ込む結果となった。また東ベルリンの市民は自国のテレビ報道では動かず、西独のそれで行動を開始したというおまけまで付いた。東独はすでに自国民から信を失っていたといえる。
イデオロギーが人間を呪縛する時代は終焉した。壁の崩壊はその象徴だった。あれから、20年である。実にさまざまな出来事が、世界に重なり起こった。イデオロギーの後には、箍(タガ)を外された民族の血が噴き上がり、軛(クビキ)を離れたファンダメンタリズムが暴走し、野に放たれた欲望がマネーゲームに狂奔した。壁が除かれて開いた視界は、またも陰った。
人の世は、なかなかオーソドックスにはいかない。『古い靴下』であろうと、洗っては履き続けるしかないということか。 □
☆☆ 投票は<BOOK MARK>からお入りください ☆☆
『一把一絡げ』を連発する先輩もいた。十把一絡げの言い違いだ。一把ならどうしたって一絡げしかあるまいと心中で突っ込みを入れながらも、やさしい性格のためか、いつもじっと項垂(ウナダ)れていた。
偉そうなことはいえない。筆者だってそうだ。雰囲気を、『ふいんき』とかなり長じるまで取り違えていた。ある時「ふいんき」と発言して、雰囲気の淀みに気がついた。もしやと字引を繰ってみても、その語句がない。漢和辞典からやっとたどり着いた。いまのワープロなら入力したとたんに、間違いを指摘してくれる。便利なものだ。だが近ごろでは、『ふいんき』はまちがいのまま定着しつつあるそうだ。
最近はアナウンサーだって、平気で「耳ざわりのいい音ですねー」などと言う。「とんでもありません」は明らかに誤用なのだが、これも市民権を得つつある。
例を挙げれば切りがない。世の中、言い違い、読み違い、聞き違い、勘違いはつきものだ。アラビアの格言に「人間は間違いの息子だ」とある通りである。さすればわが宰相の「未曾有」違いなど、目くじら立てるほどのことではない。
ただ同じ間違いでも、時として歴史を動かすことがある。
89年の11月、東ドイツ政府が突如、旅行の全面自由化を発表した。この報に歓喜した東西ベルリン市民が検問所に殺到し、壁によじ登りハンマーで壁そのものを壊し始めた。あの映像は記憶に鮮明だ。 ―― ベルリンの壁崩壊である。28年に亙りベルリンを分断し、多くの悲劇を生んできた東西冷戦の牢乎たる砦は潰えた。
実はこれも、事の起こりは言い違いだった。
東独共産党書記長から記者会見用に渡されたペーパーを、報道官が読みちがえたのだ。明くる日からを本日只今からと誤読し、さらに出国手続きが依然必要であるという部分を読み飛ばしたのだ。
もっとも85年のゴルバチョフ書記長登場以来の東欧自由化のうねりは底流していた。引火性が上がっていたところに、マッチを投げ込む結果となった。また東ベルリンの市民は自国のテレビ報道では動かず、西独のそれで行動を開始したというおまけまで付いた。東独はすでに自国民から信を失っていたといえる。
イデオロギーが人間を呪縛する時代は終焉した。壁の崩壊はその象徴だった。あれから、20年である。実にさまざまな出来事が、世界に重なり起こった。イデオロギーの後には、箍(タガ)を外された民族の血が噴き上がり、軛(クビキ)を離れたファンダメンタリズムが暴走し、野に放たれた欲望がマネーゲームに狂奔した。壁が除かれて開いた視界は、またも陰った。
人の世は、なかなかオーソドックスにはいかない。『古い靴下』であろうと、洗っては履き続けるしかないということか。 □
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