伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

山田く~ん、座布団10枚!

2014年07月31日 | エッセー

 ちょっと古い話だが、たしか今年2月に島根県でスタバ2号店がオープンした折のことだ。お隣の鳥取県平井伸治知事が「鳥取にはスタバはないが、日本一のスナバ(砂場)はある」と高々と言い放った。なんとも痛快ではないか。発言が奏功したか、「鳥取砂丘」の知名度が上がり、「すなば珈琲」という名の喫茶店までできたそうだ。瓢箪から駒だ。
 ならば、桂 歌丸師匠風に「山田く~ん、平井知事に座布団10枚!」ではないか。52歳だから立派なオヤジギャグといえるが、これは珠玉の逸品である。なかなかこうはいかない。番度オヤジギャグを連発し顰蹙を売り捌けないほど買い続けている稿者としては、いや、参った。参りました。
 “都会度”なるお馬鹿な物差しがあるそうで、スタバの店舗数=『スタバ数』で計るらしい。当然、『スタバ数』=0の鳥取は都会度最下位となる。それが、どうした! 裏返せば、田舎度最高位ではないか。金さえあればスタバは作れるが、いくら金を積んでも日本一のスナバは断じて作れない。平井知事に拍手だ。
 内田 樹氏は移住を応援する雑誌『TURNS』のインタビューに応え、日本は自給できる国だと意表を突く知見を披露している。7割が森林で水がきれい、温帯モンスーンで過ごしやすく、豊かな自然環境がある。こんな国は先進諸国にはどこにもない。江戸時代270年間の鎖国が可能であったのは、何より自給できたからだ。
「ほとんどの人が日本は自給できないと思っている。そう思い込まされているんです。自給できるとわかると、人は馬車馬のように働かなくなるから経済成長が止まる。だから経済成長を願う人たちは、日本には豊かな自然があって自給できるなんて、絶対に言わないんです」
 と、矛先をグローバリゼーションへ向けいく。
 今最先端のトレンドであるI・Uターンの第2・第3波が近いうちに必ず起こる。恵まれた自然環境という最大のアドバンテージを活かして、日本は100、200年先の長いスパンで国家システムを構想すべきだ。だからI・Uターンが先導するグローバリゼーションからローカリズムへの回帰は健全な傾向だと、オマージュを寄せている。
 平井知事は東京神田の生まれ。東大を出て自治官僚、そして鳥取に来た。知事自身がIターンだ。ローカリズム回帰の騎手だ。だからグローバリゼーションの権化ともいうべきスタバなぞ、向後鳥取県には一店舗も入れるべきではない。“都会度”最下位などと“砂”を噛むような悪口(アッコウ)を浴びようとも、これぞ時代の最先端との気概で“砂”塵を巻き上げての堂々たる前進を、“砂”被りからではあるが希うものである。
 “スターバックス”はハーマン・メルビルの『白鯨』に登場する「スターバック」に来由するそうだ。片足を食い千切られた復讐に燃えるエイハブ船長を諭しつつ、最後は運命を共にする一等航海士である。仇敵は「モビィ・ディック」、白い抹香鯨だ。
 片や、鳥取の「鳥」とは大白鳥であるそうだ。死者の魂を運ぶ神聖な鳥とされ、大和朝廷に大白鳥捕獲を専業とする部民がいたらしい。「鳥取部」と呼ばれ、住まいしたところが「鳥取郷」の地名となった。
 前者はなんとも凄惨だ。比するに、後者はミステリアスとでもいおうか。大きく印象がちがう。尚々「砂場」から想を飛ばして『月の沙漠』などを唄おうものなら、大いにロマンティックではないか。そうだ、10枚重ねの座布団に乗っかって月光に照らされる砂漠の風紋を愛でながらエスプレッソを一杯。これは、いい。もちろん、コーヒーは、「すなば珈琲」からのデリバリーだ。 □


コロッケは巧い!

2014年07月26日 | エッセー

 先日先輩に写メを頼んだら、「ぼくは写真映りが悪いので」と断りのメールが来た。被写体自体の不出来を棚に上げている間違いとともに、もう一つ間違いがある。写真“映り”である。写真“写り”でなければならぬ。
 「移る」を同源とするこの二つの言葉はまことにややこしい。熟語から考えれば、判りやすいかもしれない。「写生」は対象をそのまま(生のまま)移す。「複写」も同じだ。「移る」ベクトルは『こちら』向きといえる。「反映」は対象をそのままではなく、何かを介在させて移す。「映画」はスクリーンを介在させる。なんらかの意図が介在する場合もある。ベクトルは『むこう』向きといえる。
 だから、「写真に写す・写る」、「ビデオに写す・写る」である。「鏡に映す・映る」であり、「テレビに映る」である。当然、ものまねは「模写」である。「対象をそのまま(生のまま)移す」芸をいう。
 そこで、コロッケだ。食い物ではない、芸人の『コロッケ』である。
◇私は、「あの人のものまねをしてみたい」と思ったことがありません。いつだって、「あの人になってみたい」という気持ちなんです。「あの人いいな」「あの仕草、感じがいいな」と思える相手がいることは、とても幸せなことではないかと思います。あるタレントさんを見て、「いいなあ」と思う。純粋に憧れの気持ちで見ているうちに、気がつけば、声色をまねてみたり、仕草をまねたり、台詞をまねたりしている。まさに、「あの人になってみたい」を実践してしまっています。その延長線上に、私のものまねがあります。◇(コロッケ著 『マネる技術』 講談社+α新書、先月刊。抄録。以下同様)
 不意にこう出られると、とたんに腑に落ちてしまう。コロッケのものまねは真似ではなく、複写なのだ。さらにいえば変身願望、憑依への欲望といえなくもない。
 ところが、どっこい。ただの模写ではない。実は、それでは芸がないのだ。臆面もなく、拙稿を引きたい。
〓ラジオじゃダメだよ (11年5月)
「きょうは美空ひばりの特集かい?」
 遠くにテレビの音を聞きながら、家人に訊いた。実はものまねの特集で、青木隆治という最近売り出し中のそっくりさんの歌声だと言う。
 は、は、だまされたか。これは、「オレオレ詐欺」の亜種ではないか。騙されついでに、そう考えた。
 「真っ赤なウソ」を愉しむのが「ものまね」であろう。知りつつ騙されるのだ。だから、テレビだ。これがラジオでは洒落にならない。音だけでは「オレオレ詐欺」になってしまう。いかな年寄りでもテレビ電話では騙せまい。視ることは「百聞」を凌ぐからだ。ラジオがそっくりさんであることを隠して歌番組を流したら、冗談にもならない。立派な詐欺だ。だから、ものまね番組は、テレビもしくは舞台に限る芸である。テレビこそ、「『真っ赤なウソ』というラベル」そのものではないか。そうなると、ものまねは聞かせるのではなく、見せる芸であることがその属性であろう。
 だからコロッケは最初、口パクの顔まね、形態まねで売ったのだ。声音を真似しはじめたのは「深化」をめざしてであろうし、その精進は充分報いられている。だが、コロッケの『旨み』は形態にこそある。歌い手の個性を抽出し、これでもかとデフォルメする。デフォルメは芸の伝統的本質のひとつだ。すでにしてホンモノを喰っている、いや、超えている。これぞ芸だ。立ち枯れ寸前だった歌手M川なぞは、コロッケの後光で季節外れに花を咲かしているにすぎない。足を向けて寝ては人の道を外れる。
 比するに、青木くんは見世物の域を出ていないのではないか(修錬によって身につけたものが芸、珍奇で人を呼ぶのが見世物とすれば)。本物そっくり、「それがどうした?」でしかない。どこまでいっても、「真っ赤なウソ」だ。「真っ赤」ではあっても「ウソ」に替わりはない。ものまね「芸」としてはコロッケこそ正統である。なぜなら、コロッケはラジオでは通じないからだ。逆に、青木くんは危ない。ラジオではなんとか詐欺になりかねない。〓(抄録)
 さらに、もう一つ。
〓鳥の囀り (12年10月)
<気持ちが悪い芸人>
 青木隆治。似せれば似せるほど、自らのプレゼンスはより希薄になっていく。本物が存在価値を高めるのに比して、偽物は似るほどに不要の度を高める(本物がなければ、そもそもものまねは成立しない)。それは偽札と事情を同じくする。そっくりなほど人を誑かし、ついには排斥される。当人はこのパラドックスに気づいていないのではないか。おまけに、CDとの“聞き比べものまね”なる演目まで繰り出しているそうだ。救い難いし、この手の芸が跋扈する風潮こそ気持ちが悪い。〓(抄録)
 別に青木くんに個人的怨念があるわけではない。コロッケへのオマージュに、踏み台にしたまでだ。
 『マネる技術』──出版界にもいるらしいN垣くん役の筆になるタレント本と侮ってはいけない。コロッケ・ワールドの深淵を率直に語る好著といってよい。
 カバーのコピーにはこうある。
── 「まねる」ことは「観る」こと
   「第一印象」で決めない
   「あの人になってみたい」が重要
   「シャッター式」観察法
   70パーセントを空っぽにする
   「通りすがり」の感覚がいい
   「聞かれ上手」を目指す
   「恥ずかしさ」を消去する方法
   不細工を表現の武器にする
   まねのまねもまた、まねなり ──
 技術というより、ものまね芸を通じた人生訓といった趣さえある。ただ「ロボットものまね」について語る行(クダリ)では、CG技術の専門家が舌を巻くほどの直感の冴えを見せる。
 以下は、肚の据わった痛快な吐露である。
◇ものまね芸人を天職だと思っている私は、今後もずっとものまねを続けていきます。なかには、ものまね芸人をひとつのステップと考えている人もいます。それを知ると、私はとても悲しくなってしまいます。◇
 これには膝を打ち、拍手を送りたい。何度か触れてきた稿者の芸人観に、符節を合わするが如しである。
 以下は終わり近くに出てくる述懐である。
◇いろいろな人のものまねをしていたら、どうやら人格まで鍛えられてしまったようにも思います。私がものまねしている人は、みなさん一流の方ばかり。その雰囲気や芸をまねているのだから、そのエッセンスが私のなかに入り込んでくるのは必然なのかもしれません。◇
 「映す」ではなく、「写す」へのはっきりとしたブレイクスルーを看取していいのではないか。 □


夏の滾り

2014年07月23日 | エッセー

 気象庁は「梅雨明けしたとみられる」と腰の引けた物言いだが、苛烈な夏が容赦なく梅雨を踏み拉いて列島を駆け上り始めた。数日にして、夏の滾りが日本を覆い尽くす。
 まことに激しい季節だ。打ち続く炎天が大地を焦がし、闖入する颱風が疾風(ハヤテ)と甚雨を見舞う。熱に焼かれる者、風に巻かれる者、水に呑まれる者。ガイアが猛り、天が咆え、一天が狂乱する。なんとも凄まじい。太古の荒ぶる地球を僅かに臆度させる刹那かもしれない。温暖に包(クル)まれて住まう者達が天地の滾りに立ち竦み、なにごとかに覚醒する時宜でもあろうか。

 時代にも、夏のような滾りがある。
 則(ノリ)を定めて巡り来るわけではない。忽然として滾る。乱世とも呼ばれる。戦国期がそうであるし、幕末もそうであった。世が挙(コゾ)って滾る。決まって若者たちが主役に躍り出る。雲のごとく人物が湧く。終生、その時代の滾りを書き綴った作家が司馬遼太郎だ。百年、否、二百年にひとりの歴史の語り部といって過言ではなかろう。肯うにせよ、否むにせよだ。
 歴史学者の磯田道史氏はこう語る。
◇いわゆる歴史文学には時代小説、歴史小説、史伝文学の三つがある。
 史伝文学は、歴史小説よりもさらに史実に即した歴史文学で、時代小説のような荒唐無稽な創作を排し、古文書などの史料に基づいて、実在の人物を登場させ、歴史小説よりも精密に実際の歴史場面を復元してみせる。まさに「事実は小説よりも奇なり」の文学であり、創作による架空を楽しむというよりも、歴史のなかの事実発見や分析の妙を味わうことに、その主眼をおいています。これが史伝、あるいは史伝文学というものであろうと私は考えます。
 我々にとって、自らのたどってきた運命の経路をさぐろうとするときには、歴史というものがどうしても必要となるのであり、なかでも、歴史場面をよみがえらせる良質の史伝文学がしっかり存在することは、いまを生きる人々が確たる自己認識を持つために、たとえ天地がひっくり返っても必要なのです。国民の自己認識ということでいえば、現在、司馬遼太郎さんの歴史文学が、この役割を果たしているように思われます。司馬文学は、全くの創作ではなくて、ある程度、史料に基づいて、ほんとうにあった史実を語ることで成り立っています。
 司馬さんの力量の発揮とは、要するに無味乾燥な史料から、一瞬にして、三次元の画像空間へと飛び越えられるそれです。史料から歴史場面を立ち上げるその能力においては、司馬さんはかなり優れているといっていいと思います。史料から歴史絵巻の想像へ、空想で飛び越えていくわけですが、その飛び越え方がまことに面白い。◇(朝日新書「歴史の読み解き方」から抄録)
 別けても、『竜馬がゆく』だ。歴史文学の金字塔である。“司馬麻疹”の病因でもある。この作品を貫くキーワードが「滾る」だ。竜馬に言わしめれば、「まっこと時代が滾っちゅう」とでもなろうか。まさに激烈に世が滾った。甲論乙駁し、多くの若者が奔り、斃れた。その維新回天の青年群像の中で、ひときわ高々と聳えるのが竜馬だ。
 徳富蘇峰の分類を基にして、司馬が革命家を三種類に別けている。革命を「予言する」者、革命を「実行」する者、そして革命の「後始末をする」者である。代表を挙げれば、松陰は第一類、西郷、竜馬、晋作は第二類、そして大久保は第三類となろう。さらに驚くべきことに、一類は二類の時代には消え、二類は三類以前に去っている。竜馬暗殺が王政復古の僅か半月前であった史実は象徴的だ。かつ、三類は不思議にも二類の時代を生き延びている。井上馨は刺客が止(トド)めは不要とするまでの深手を負いながらもなお甦生している。ただし、例外が一人いた。西郷である。二類存命は、やがて西南戦争の悲劇へと至る。
 ともあれ、晋作だけでは革命は成らなかった。西郷だけでは形を変えていたであろう。雲集する英傑たちに代わりうる俊英も数多いたはずだ。しかし、竜馬あらずして維新は叶わなかったにちがいない。日本がもち得た歴史の僥倖というべきであろう。その稀代の若者が日本史の極北の切所を『ゆく』。これを国民的歴史文学といわずして、なんとしよう。二十年間、毎年『竜馬がゆく』を全巻通読している読者がいるそうだ。作家冥利、あるいは読者冥利に尽きるというべきか。
 
 これからしばらく、夏の滾りが襲う。こんな時は、「一瞬にして、三次元の画像空間へと飛び越えられる」不刊の書に限る。もっと大きな滾りで押し込めるに若くはない。 □


東京土産話

2014年07月18日 | エッセー

 俺も、『俺』に行ってみた。折角の御上りだから、土産話のひとつは持ち帰ろうと考えた。
 『イタリアン』も『フレンチ』も打(ブ)っ付けでは閾も跨げない。開店前に滑り込んで、どうにか『割烹』への入店が叶った。
 ほかにも『焼き肉』、『焼き鳥』、『蕎麦』、それに『おでん』までラインアップが進んでいるそうだ。「三ツ星シェフの料理を、立ち飲み屋価格で提供する店」をコンセプトに、食のイノヴェーションに挑んでいるのだそうだ。
 店の正面には、写真入りで板前さんたちのプロフィールが紹介されている。「三ツ星シェフ」の証であろう。スタッフはよく教育されている。客扱いは微に入り細を穿ち、如才なく注文も取る。立食が基本で廉価の肝であるため、カウンターはあるが座敷はない。インテリアは黒を基調にしたシックな味わいだ。
 満席の中であちこちから歓談のさざめきが立ち上がり、スタッフの声が飛び交い、料理を載せた皿が慌ただしく行き交う。どうにも落ち着いた雰囲気ではないが、「立ち飲み屋」感覚であるから致し方ない。問題は料理、味だ。
 メニューは二十ぐらい並んでいる。一番高いのが『アワビの奉書焼き』、1400円(端数は除く)とある。まさに「立ち飲み屋価格」、激安だ。ただ値段の脇に「5000」(“円”は付いてない)と書いて、その上から斜めに線が引かれている。「今どき、余所では5000円はするんですよ」と言いたげだ。これはあざとい。創業者が“BOOK OFF”の元社長だけに、“OFF”の部分を明示せずにはいられないのか。すべてではないが売り筋、売れ筋にはこれがある。
 全部で10品は食した(片田舎に凱旋して自慢するにはこれくらいの飽食は不可欠である)。どれも旨い。しかし、跳び上がるほど旨くはない。期せずして笑みが零れるほどでも、ましてや泪を流すほど美味でもない。むしろ巧い、ではないか。
 高級と激安をシンクロさせようというイノヴェーションを達成するには、これがギリギリの妥協点ではないか。その謂での「巧い」だ。だから、旨いは少し譲らざるを得まい。だが『鯛刺』の包丁遣いはさすがの業だった。……などといかにも食通ぶっていうが、隣に座った味音痴では決して人後に落ちないわが荊妻も同じ感想であった。繰り返すが、誓って不味いのではない。
 ほどよい頃に、ジャズの生演奏があった。小振りのグランドピアノと若手女性シンガー。お世辞にもうまいとはいえない。でもこれが有無を言わさず、料金に300円カウントされている。聴きたくない人のために、耳栓の貸与はなかった。これもあざとい。という以前に、大いなるミスマッチではないか。琴か、三味線に唄なら分かる。割烹にジャズは、八百屋で牛肉だろう。『俺』の各店舗はドミナント出店しているので(行列ができると、巧みに他店へ誘導する)、ジャズを使い回ししているのかもしれない。だとしても阿漕とはいわぬが、あざとい。なんだかすげぇー勘違いがありはしないか。
 一つは、件(クダン)のシンクロは本当に食のイノベーションといえるのだろうか。高級食材をふんだんに使い、超一流シェフが存分に腕を振るう。当然お代は高い。客もそれなりの正装で臨席する。会話も楚々と……。そんな高級指向を安手に引き下ろして何になるのであろうか。第一、今や日本には『高級』なぞは消えて久しい。内田 樹氏は明解に語る。
◇わが国では、ロレックスをはめていても、エルメスのバッグをもっていても、アルマーニのスーッを着ていても、それは「一時的に可処分所得が潤沢なので、『おしゃれ』に気を使う程度の余裕がある」という以上の社会的記号としての意味を持たない。ブランド品の所有が出身階層や芸術的感性や文学的素養などの文化資本の多寡を示すことはない。ぜんぜん、ない。むしろ、上記三ブランドを揃えてにぎにぎしく着用している人間などは「お育ちの悪い」集団にカウントされるリスクを負っている。◇(「知に働けば蔵が建つ」から)
 すでにブランド志向は、「『お育ちの悪い』集団にカウントされるリスクを負っている」ほどに高みにはない。なのに、なおシンクロを図る。先月の拙稿「地上のスターダスト」で愚考した同じ構図が、そこにないか。
 それに、如上のミスマッチだ。まったく唐突だが、先日読み終えたばかりの小説がふと過ぎった。

    利休は、首をふった。
    侘び、寂びの趣をたのしむ草庵をつくってきたが、ただただ鄙びて枯れた風情
   を愛したのではなかった。
    鄙びた草庵のなかにある艶やかさ。
    冷ややかな雪のなかの春の芽吹き。
   ──命だ。侘びた枯(カラビ)のなかにある燃え立つ命の美しさを愛してきたのだ。
    燃え立つ命の力を、うちに秘めていなければ、侘び、寂びの道具も茶の席も、
   ただ野暮ったくうらぶれただけの下賎な道具に過ぎない。

 山本兼一著『利休にたずねよ』である。この引用自体ミスマッチともいえる。だが店を出て5メートルほどの真向かいを見ると、『銀座久兵衛』の慎ましやかでそれでいて瀟洒な佇まいが目に入った。超の付く高級店だ。そこで供される寿司は「艶やか」で、「春の芽吹き」に満ちていることだろう。こっちは「地上の星」にちがいない。いつ叶うか分からぬが、今度はまっつぐ『久兵衛』だい! □


男の純情

2014年07月14日 | エッセー

   〽男いのちの 純情は
    燃えてかがやく 金の星
    夜の都の 大空に
    曇る涙を 誰が知ろ

    影はやくざに やつれても
    訊いてくれるな この胸を
    所詮 男のゆく道は
    なんで女が 知るものか

    暗い夜空が 明けたなら
    若いみどりの 朝風に
    金もいらなきゃ 名もいらぬ
    愛の古巣へ 帰ろうよ〽

 昭和11年、佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲で藤山一郎が歌い、昭和歌謡史に隠れない名を残す『男の純情』である。
 曲名による連想といってしまえば身も蓋もないのだが、拓郎の『純情』がついついこの名曲に連なってしまう。名曲が名曲を呼ぶのかもしれない。間(アワイ)は57年である。
 郢書燕説をするならば、どちらも男の純情を詠っている。言わずもがなだ。別けてもこちらはやくざな唄だ。
 「燃えてかがやく 金の星」
 「なんで女が 知るものか」
 「金もいらなきゃ 名もいらぬ」
 当時だって恐らく吐かなかったであろうこの大時代なフレーズに、もう泣くほど痺れる。翻って、頃来稀代の作詞家阿久 悠は例えばこんな風にパラフレーズしたのかもしれない。
 「金の星」は、一途が男の勲章ならば「永遠のたずねびと それは きみだろ」に。
 「女が知るものか」は、すなわち男の背中が語る「不器用だね 不細工だね」に。そう、健さんだ。
 「金もいらなきゃ 名もいらぬ」とくれば、どじを覚悟の一筋の道。「おれたちの とんだ失敗は 純情だけ」に嵌まるのではないか。となれば、「Only you さらに Only you…」でこちらも滂沱の涙だ。
 これは稿者の愚案。もちろん百人に百様の訓詁ありだ。さらに稿者の好みをいえば、藤山一郎では清潔すぎてこの歌は似合わない。むしろ意外にも、ちあきなおみバージョンに、えも言えぬ凄味がある。
 さて異論もあろうが、「純情な乙女」とはいっても「乙女の純情」とはいわない(たぶん)。なんとなく据わりが悪い。態(ワザ)とらしい。「純情な少年」は問題ないし、「少年の純情」はよく聞く。その伝でいくと、どうも「女の純情」はなさそうだ。調べると、確かに『おんなの純情』という唄があるにはある。だがそれは向こうを張ったのか、ちゃっかり軒を借りたのか、どちらにせよ収まりの悪い唄だ。
 はて、如何したものか。そこで、大碩学の教えを徴したい。今度で二度目。一度目は、本ブログを始めてすぐの頃(06年7月)に「ぞろ目にはかなわない!」と題した稿で引いた。養老孟司氏の大言論である。長い援用となる。
◇なぜ男は概念的世間に振り回されるのか。生物学的に見た場合、女性のほうが安定していることと関係があります。男女の違いは性染色体によります。女性がX染色体二つ(XX)で構成されているのに対して、男性はX染色体とY染色体を一つずつ持っています(XY)。Y染色体が働くことによって性腺というところに精巣が出来る。これは女性の場合は卵巣になるところです。この性腺のもとを性腺原基といいます。これが精巣になるか卵巣になるかは胎生期の7週目に決まってくる。それ以前の段階では、解剖学的に見たときに男と女の区別はありません。
 7週目にY染色体が働くことによって、原基が精巣になる。一般に睾丸と呼ばれるところが出来るわけです。出来上がった精巣は抗ミュラー管ホルモンを分泌します。このホルモンによってミュラー管という器官が萎縮します、ミュラー管は子宮と卵管のもとになるものです。これが萎縮するために男には子宮と卵管が出来なくなります。それまではミュラー管が男の体内にもきちんとあるのですが、わざわざホルモンで殺すのです。つまり男性は女性をわざわざホルモンの作用でいじって作り上げたものです。元になっているのは女性型なのです。これが非常に重要な点です。
 ということは実は人は放っておけば女になるという表現もできます。Y染色体が余計なことをしなければ女になると言っていい。本来は女のままで十分やっていけるところにY染色体を投じて邪魔をしている。だから、男のほうが「出来損ない」が多いのです。それは統計的にはっきりしています。「出来損ない」というのは偏った人、極端な人が出来ると言ってもいいでしょう。いろいろなデータをとると、両極端の数字のところには常に男が位置しています。身長、体重、病気のかかりやすさ、何でもそうです。良く言えば男性の方が幅広いとも言えます。しかし、たとえば畸形児のような形で出産直後に死んでしまう子も男の方が多い。一方で女性のほうがまとまる性質にある。まとまるというのは、安定した形になる、バランスがいいということです。
 身体の特徴に限らず、さまざまな極端な社会的行動も男が多い。異常犯罪の類の犯人は男のほうが多いし、暴力犯罪にしても男が女の十倍です。運動のほうでいえば、女性よりも男性の記録が勝る。これも極端だからです。
 生物学的にいうと女のほうが強い。強いということは、より現実に適応しているということです。それが一番歴然とあらわれるのは平均寿命です。身体が屈強なはずの男よりも女の方が長持ちします。現実に適応しているからです。 
 現実に適応しているということは、無駄なことを好まないということです。女性で虫を集めている人はほとんどいません。虫好きの世界は男専科です。虫に限らず、コレクターというのはそもそも基本的に男の世界です。マッチの箱とか、ラベルとか、切手とか、余計なものを集めるのは男が圧倒的に多い。女性は集めるにしても実用品中心です。女性の頑固さというのは生物学的なこの安定性に基づいているのではないでしょうか。システム的な安定性を持っていると言ってもいい。◇(「超バカの壁」から抄録)
 実に示唆に富む。
 男の特性である「概念的世間に振り回される」、「両極端の数字のところには常に男が位置」、「幅広い」が「偏った」「極端な人」、「無駄なことを」好み、「余計なものを集める」、つまりは「出来損ない」の因って来(キタ)る淵源が剔抉されている。まことに痛快であり、痛打でもある。
 だから「純情」などという荷厄介なものも、男という生物的属性から派生するにちがいない。「女の純情」が論理矛盾であり、形容矛盾である訳だ。いい悪いの問題ではない。そういうものなのだ。きっとヒトとしての生き残りが掛かっているに相違なかろう。
 蛇足ながら、「純情」の向く先は女性(ニョショウ)ばかりとは限らぬ。「概念的世間」、「虫好きの世界」、さらに「マッチの箱とか、ラベルとか、切手」に至る男の夢、男のロマンといえなくもない。
 『男の純情』が生まれた年には、二・二六事件が惹起している。7月開催予定の東京オリンピックが幻に終わった年でもある。大正ロマンが終焉し、昭和に入って上海事変、五・一五事件、国際連盟脱退、日独防共協定と、いよいよきな臭く暗雲が垂れ込める世相であった。「源氏物語」が上演禁止となり、「忘れちゃいやよ」という歌謡曲が発売禁止になった。華美遊興が白眼視され、息苦しい時代が始まろうとしていた。そんな中で『男の純情』は、ぎりぎりの純情を硬派で包(クル)んで韜晦したといえば穿ち過ぎか。
 拓郎の『純情』は93年にリリースされた。前々年にバブルが弾け、長い低迷にのめり込む走りとなった時期である。いじめがクローズアップされ、細川内閣が誕生し自民党がはじめて下野した年だった。以後、永田町では長い混迷が続く。年末には、それを象徴するように田中角栄が生者の列を離れた。振り返れば、どちらの『純情』も歴史の結節点に誕生している。
 因縁めくが、“AGAIN”の『純情』は戦後本邦が抱いた初々しい「少年の純情」(この場合は少女も含む)、平和への純情でありたい。 □


肩に泣いた

2014年07月09日 | エッセー

 その肩には、なにが乗っかってきたんだろう。
 姑との確執。解り合えない狭間に足が竦み、なんど折り合いの徒労に泪しただろう。
 婚家への気遣い。なんのための気鬱なのか。こんな筈じゃなかったと、幾度地団駄を踏んだだろう。
 子育ての苦闘。深夜に駆け込んだ小児科の病室。反抗期に踏んだ薄氷の覚束なさ。やがて受験、一喜一憂の日々が容赦なくつづく。迎えた巣立ち。結婚。かつてのトポスに迎え入れる新たな“恋敵”。自分は違うと意気込んではみたものの、同じ轍を踏みそうな緊張が走る。
 夫とのすれ違い。覚悟はあったが、やはりだ。でも、鎹となった子供たち。今は、その子供たちが強固な羽交いになっている。そのうち皮肉にも、体躯の衰えが新たな共存関係をもたらすかもしれない。
 ……と、想念を廻らした。
 あきらかに同年配だ。ご主人(たぶん)と並び、細身の身体で小振りにリズムを取っている。手拍子は脇に臂を付けて、扇状に小手だけを動かしている。だからお嬢さんのような仕草でもある。なんとも愛おしい。
 七夕の川口リリアは、仰けから総立ちとなった。つられて立ち上がった前席のその肩に勝手な仮想を託し、妙に込み上げるものがあった。つまりは、不覚にも泣いた。6年ぶりに参じたコンサート。短くて永いその年月の隔たりが、あらぬ感慨を呼んだのかもしれない。
 そのようにして“吉田拓郎 LIVE2014”は幕を開けた。

 先月拙稿で述べたように諦めていたADVチケットが、数日前突如手に入った(不正はしていない。念のため。もちろんDOORもない)。まさかの展開に、取るものも取りあえず押っ取り刀で駆けつけた。
 セットリストやMCは、ファンサイトに山積みだ。本稿ではそれ以外のレポートに絞る。

 酸素ボンベをキャリーで引きながら参加していた高齢の女性。吸引を切れない病状なのであろう。鬼気迫る姿に頭が下がった。
 もし流行り歌がクラシックに隔絶した特性をもつとしたら、それは個人史を縁取る際の並外れた鮮やかさであろう。彼女は縁取りの幾つかを確かめに来たのか。それとも、真新しい縁取りを造りに来たのか。改めてこのミュージシャンの膂力に感じ入るとともに、彼女の長寿を祈らずにはいられなかった。

 改札口から会場へ向かう途次、3、4人の男女が自作の伝言カードを掲げて立っていた。「入場券を譲ってください」と書かれいる。「観る気で来てるのに、売ってくれるはずないよね」と荊妻。「あれはダフ屋を呼んでいるんだ。ダフ屋が自らは名乗れないだろ」と、脳天気なおばさんに稿者が教えを垂れる。もっともダフ屋から買うことも都道府県条例で一応御法度ではあるが。

 アンコールで「アゲイン」が熱唱された。6月27日の本稿で(未完)を作品の未完成ではなく、内容の謂だと語った。ところが、ライブで『完成版』が披露されたのだ。稿者の勘違いであった。だが負け惜しみではなく、中身は違わぬ。
「リフレインではなく、アゲインストへの踏み込みである。“once again”と行く手を見つめる目ではないか。それは老境という(未完)へのアゲインストにちがいない」
 歌詞を書き留めておかなかったのが悔やまれるが、この感懐にまちがいはなかった。
 
 十指に余るライブ臨場のうち、今回が間違いなく最高で最上で、かつ極上だった。これは愚妻も同意見であった。まんざら捨てたものではない。だが生来臍が曲がっている稿者は、「黒澤がかつて言ったように、最高作は次回作なんだ」と冷や水を少々浴びせておいた(おだてりゃ豚も木に登るゆえ)。
 剛胆なキャラクターに似ぬ、いつものエンディングでの90度の深々とした、そして1分にもなろうかという長時間のお辞儀。それも左右、中央と3回も。会場いっぱいに大きな拍手の渦が三度湧き起こった。見事な大団円であった。
 「北は埼玉県から南は神奈川県までのツアー」と、爆笑のMCで沸いた今回のライブ。次回は北は北海道から南は沖縄までと願いたいが、無理は言うまい。どこでもいい。北は足立区から南は大田区まででもいい。いつでもいい。気の向いた時で結構。“see again ”さえ叶えば。 □


「夏の思い出」

2014年07月03日 | エッセー

   〽夏がくれば 思い出す
    はるかな尾瀬 遠い空
    霧のなかに うかびくる
    やさしい影 野の小径
    水芭蕉の花が 咲いている
    夢見て咲いている水のほとり
    石楠花色に たそがれる
    はるかな尾瀬 遠い空〽

 この曲は昭和二十四年に生まれた。戦後まもなくの生まれ、稿者と同い年である。六十五星霜を歩んできた。
 尾瀬の広がりと空の澄明がパースペクティブをなし、霧に溶け入るように木道が延びる。揺蕩う水芭蕉は夢見の心地。やがて黄昏れ、空は石楠花色に染まる。
 詞が絵をくっきりと描いてみせる。
 だがこの絵は生年を考慮に入れねば、出来過ぎている。未曾有の混乱がなお続く中で、届けられた歌の絵葉書。脇目も振らず市井を直走るひとびとに、差出人は残された日本の原風景を切り取って贈ったにちがいない。一国上げての郷愁を尾瀬に約(ツヅ)めたのか。この唄が出来過ぎたくらいにノスタルジアを誘起するのはそのためだ。
 尾瀬、定番の絵面。それは上下を二分する構図。地上の簇生と遠い碧天。真中(マナカ)を縦貫する小径。
 そこで、突飛な連想が浮かんだ。
 フィンセント・ファン・ゴッホが描いた『カラスのいる麦畑』だ。かつて小林秀雄はこう書き殴った。
 
     熟れ切つた麥は、金か硫黄の線條の様に地面いつぱいに突き刺
    さり、それが傷口の様に稻妻形に裂けて、青磁色の草の緑に縁ど
    られた小道の泥が、イングリッシュ・レッドといふのか知らん、
    牛肉色に剥き出てゐる。空は紺青だが、嵐を孕んで、落ちたら最
    後助からぬ強風に高鳴る海原の様だ。全管絃樂が鳴るかと思へば、
    突然、休止符が來て、烏の群が音もなく舞つてをり、旧約聖書の
    登揚人物めいた影が、今、麥の穗の向うに消えた──僕が一枚の
    繪を鑑賞してゐたといふ事は、餘り確かではない。寧ろ、僕は、
      或る一つの巨きな眼に見据ゑられ、動けずにゐた様に思はれる。
                                ──「ゴッホの手紙」

 小林をして「一つの巨きな眼に見据ゑられ、動けずにゐた」と言わしめた衝撃。自死の直前に描いた圧倒的な鬼気が迫る。ノスタルジアとはまったく対極にある絵だ。
 連想は突飛すぎる。それにしてもこの奇想はどこから来たものであろうか。雑駁に辿れば、生年を同じくする曲が描くランドスケープが今もそのままであるのに比して、当処のそれがあまりにも移ろいでしまったからかもしれない。その落差が似てなくもない構図のまったく別の作品、それも意匠がまるで反転した作品に跳んだものか。
 あるいは、日本の夏は重くあらねばならないという自制がノスタルジアだけに肩入れすることを拒んだのか。「戦後」が書き換えられようとする刻下の陰鬱がゴッホの狂気に重なったのであろうか。「イングリッシュ・レッドといふのか知らん、牛肉色」とは、雄牛の血の色だ。戦後一滴も流さなかった同胞(ハラカラ)が、いま禁忌の一線を越えようとしている。その鬱屈だ。
 『カラスのいる麦畑』は124年前の夏、7月に描かれた。夏の絵はノスタルジアがいいに決まっている。 

   〽夏がくれば 思い出す
    はるかな尾瀬 野の旅よ
    花のなかに そよそよと
    ゆれゆれる 浮き島よ
    水芭蕉の花が 匂っている
    夢みて匂っている水のほとり
    まなこつぶれば なつかしい
    はるかな尾瀬 遠い空〽

──「夏の思い出」 作詞:江間章子/作曲:中田喜直 

 鬱屈の一端を記しておこう。
◇「基本的諸法律は、国家指導の他の諸法律と別に区別はない」(オットー・ケルロイター)
 憲法改正手続きが面倒ならば、現行法体系と矛盾しても政治的に都合がいい法律をいくつも通していけば、実質的な改憲が可能になる。
 ワイマール憲法のような、模範的な人権が規定された憲法を、ナチスの暴力だけで無効にすることはできない。暴力的な政治には、それを正当化する有識者が必ず存在する。いつの時代もケルロイターのような知恵者が現れて、法解釈の名の下で民主主義を内側から破壊していく危険性があることを、常に忘れてはならない。◇(佐藤 優著「修羅場の極意」<中公新書ラクレ>から) □