伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

愚策は芽をきる

2010年03月28日 | エッセー

 鳩山首相はよく「国民の『みなぁん』」と言う。どこの訛りだかしらないが、『さ』が『ぁ』になる。はっきり発音できないのは国民に後ろめたいことがあるのではと、つい勘ぐりたくなる。
 新政権が旧政権(党)との違いを際立たせようとするのは、やむを得ないであろう。それを割り引いても、新年度予算は愚策のオンパレードだ。しかも、国民の『みなぁん』をバカにし、足元を見透かしたポピュリズムの最たるものだ。かつて、これほど露骨に選挙対策のために組まれた予算があっただろうか。『みなぁん』の一人として断固、オブジェクションを呈したい。
 挙げれば切りがない。天下の二大愚策に約(ツヅ)めてみる。

■ 「子ども手当」 ⇒ 子どもをダシに使った見せ金、やがてツケは子どもたちへ回る。
 理念の問題 ―― 児童手当ではなぜいけないのか。社会での子育て、が理念だそうだ。だから所得制限を設けないという。しかし、その理念とやらがじっくりと論議された形跡はない。言い換えれば、「子育ての社会化」である。「見守り隊」とはわけが違う。同じ「手当」でも、「手助け」と「丸抱え」ではまるでちがう。今はさしたる開きはなくとも、ベクトルの違いは延伸すれば大きく隔たる。かつて本ブログで取り上げた「外注化」現象とも関わる。(09年11月16日付「外注社会」)社会の成り立ちさえも規定していく理念だ。どさくさ紛れの美名に足を掬われてはなるまい。
 まず入り口に当たる理念の詮議がなかったこと。禍根を残すかも知れない大きなミスだ。やっと通ったアメリカの医療保険制度。是非はともかく、「社会主義化」が反対の大きな根拠であった。そのような骨太な議論がほしかった。
 財源の問題 ―― 半額の今年が総額2.3兆円。結局、財源の確保ができず国債の増発に頼らざるを得なかった。満額を約束した来年度からは5兆円近くになる。起死回生の奇跡的な景気回復でもない限り、国債は将来世代の負担となる。子ども名義の借金と同じだ。そのカラクリに気づかず、見せ金に釣られてありがたがっていては余りに愚かだ。
 支給の問題 ―― たとえ外国人でも親が日本在住であれば、子どもは外国にいても出る。ところが日本人の親が外国在住であれば、子どもが国内にいても出ない。
 そんなバカな! でも、そうなのだ。自民党の丸川珠代議員は、「中国農村部の年収は約7万円。子どもを残し親が在日すれば、何もしないで年15万を超える」と指摘した。首相お得意のガンジーの遺訓にいう「労働なき富」そのものではないか。何人も養子縁組をして子どもの数を偽装する悪人も出かねない。さらに、親がいない児童養護施設の子どもには出ない。(今年度は都道府県の「安心こども基金」から同額を支給すること
になったが)前述のような支給に係わる制度上の不備、欠陥について、長妻厚労大臣はことごとく是正を拒否、先送りし、遮二無二6月支給に拘った。参院選に間に合わせるためだ。だから「見せ金」という。
 ヘビの目をしたこの大臣、子ども手当は少子化対策にも有効だと発言した。少子化はなぜ起こっているのか。少子化は本当に問題なのか。彼は分かっているのだろうか。月2万6千円で、少子化に歯止めが掛かるのか。大臣なら、もっとましな物言いがあるだろう。第一、この金額そのものが当てずっぽうだ。数字的根拠なぞ、端からない。(児童手当の倍額、が唯一の算出理由といえなくもないが)腰だめの数字が、永田町はお化け屋敷の赤絨毯を一人闊歩しているのが実情だ。
 ばらまき批判を受けて、寄付制度を導入するそうだ。高額所得者にとっての端金(ちなみに鳩山首相の場合、2.6万円は例の1500万円の0.17%に過ぎない)を、一々面倒な手続きまでして寄付するだろうか。大いに疑問だ。
 ともかく、頼みもしない借金を背負(ショ)わされる子どもの『みなぁん』には気の毒な話だ。与作は木をきるが、愚策は将来の芽をきり取る。

■ 農業者戸別所得補償制度 ⇒ 票田を取るために水田へ現金ばらまき、損すれば儲かる仕組み。
 昨年10月14日、朝日新聞の「声」欄に次のような投稿が載った。
〓〓戸別補償は農家の努力そぐ  農業 吉田正孝(岡山市東区、57)
 民主党政権のもと、農家への戸別所得補償制度が検討されています。私たち農家にとって収入が安定するのはありがたいのですが、実施後を考えると不安も募ります。
 この制度では、販売価格と生産費の差額を基本に補償するとされています。しかし、農家はたとえ結果的に損になっても、できるだけその損を減らそうと努力してきました。いくら損を出してもその分を補償してもらえるなら、生産意欲はうせるでしょう。まじめに農業をしようという人は減り、高齢化もあいまって、農業自体が地盤沈下してしまうのではないでしょうか。
 私たちの不安はむしろ、不作で思うような収入が上がらない時への備えなのです。それには共済制度として別の解決策が望まれます。努力するだけ補助金が減る制度よりも、1反耕作すれば1万円など、努力に応じて支払われる補助金の制度を充実させて頂きたいと願っています。〓〓
 実施を1年前倒しして、コメ農家を対象にモデル事業として5618億円の予算を付けた。参院選目当てである。
 専門家の卓見を借りよう。浅川芳裕氏、新進気鋭の農業アナリストである。近著「日本は世界5位の農業大国」(講談社+α新書)で以下のように述べている。
〓〓民主党が推進する農業衰退化計画
 民主党、鳩山由紀夫政権が推し進める自給率向上政策は、「自給率を10年後に50パーセント、20年後に60パーセントにし、最終的には完全自給を目指す」と威勢がいい。その目標達成のための目玉政策が、2011年から年間1兆4000億円の税金を投入するという「戸別所得補償制度」である。結論からいうと、この政策は経済政策でも社会政策でもなく、税金のバラマキですらない。国民の税金1兆円超をドブに捨てる「農業の衰退化計画」だ。
 戸別所得補償制度の目的は、その名の通り農家世帯の所得について国が面倒をみることにある。中身を要約すると、「コメや麦、大豆など自給率向上に寄与し、販売価格が生産費を下回る農作物を作っている農家に、その差額を補填する」ということだ。販売価格と生産費の差額とは、赤字額のことである。
 この民主党の政策は、農家の無能さ、生産性の低さを前提としている。黒字を目指す当たり前の事業の努力のあり方を否定し、むしろ赤字を奨励しているのだ。いまだかつて、これほど人間の努力とリターンに逆進性のある制度は存在しなかったのではないか。
 戸別所得補償、モデル対策の対象農家数は、コメを例に挙げると180万戸ほど。そのうちの半数以上に当たる100万戸が1ヘクタール未満の農家で、農業所得は数万円からマイナス10万円程度である。これでは食べていけるはずがない。だからといって、「赤字農家が100万戸もある! 急いで補償しなければ!」という論は通じない。なぜなら、彼らの総所得は.平均で500万円前後あるからだ.彼らの多くは役所や農協、一般企業で働いている地方の農地持ちサラリーマンであり、総所得に占める農業所得の割合は1パーセント未満かマイナス、赤字農家というよりも、週末を利用してもっとも生産コストの高いコメや野菜を、自家用やおすそ分け用に耕作するのが趣味の擬似農家だ。
 民主党は、「自民党は大規模農家を優遇して農業をダメにした。民主党の所得補償は自給率を高め、零細農家を救うための農家限定『定額給付金』だ」と主張する。民主党の試算例によれば、1ヘクタールで最大95万円が補償される。しかし、1ヘクタールで生産できるコメは、わずか20世帯分の消費量。1ヘクタールにかかる農作業時間も、サラリーマンの労働時間に換算すれば、年のうちの1、2週間にすぎない。
 これらの疑似農家は、農業だけでは食えないから兼業しているのではなく、そもそも農業で食おうとしていない。ある特定の職業、おまけにその職業で食っているとはいえない人々に所得補償することは、たとえ合法だとしても、その効果ははなはだ疑わしい。
 疑似農家に税金を配っても、農業で食べているわけではないのでポケットに入れて終わり。消費者のために美味しいものを作る、または安く作るために生産性を高めようという前向きな投資には回らない。せいぜい小規模の趣味用田植え機やコンバインなどの農業機械、肥料、農薬が売れるだけである。〓〓(抄録)
 「これほど人間の努力とリターンに逆進性のある制度は存在しなかったのではないか。」とは、前記の「声」と通底する。
 何よりも「自給率」が曲者である。元凶といってよい。この八百長の数字が国民に刷り込まれてきたところに問題の根がある。同書はイカサマの自給率を中心に農業問題を論じている。実に蒙を啓いて余りある一書だ。ちなみに主な論点を挙げると ――
◆農業大国日本の真実
「世界最大の食糧輸入国」の嘘/農業GDPが示す実力/食糧自給率に潜むカラクリ/現実に即した自給率は高水準/自給率栄えて国民滅びる/もう一つの食糧自給率計算法/自給率の歴史に隠された闇/自給率の発表は日本だけ/食糧自給率は新たな自虐史観 
◆国民を不幸にする自給率向上政策
◆すべては農水省の利益のために
◆こんなに強い日本農業
◆本当の食料安全保障とは ―― などだ。 
 日本の農業生産額は8兆円、世界5位。これには驚いた。農業衰退・農家弱者論がいかに抜きがたく植え込まれているか。政治主導を掲げる新政権は、官による世論操作こそ真っ先に「仕分け」るべきではないか。
 浅川氏は戸別所得補償制度を、「民主党の票田確保のための独善的政策、支持基盤の農水省職員の生き残り政策」と断ずる。胸のすく論旨である。
 まことに『農なし』の制度だ。「将来の芽」をきり取った愚策が、返す刀で農業の芽をきり取ろうとしている。国民の『みなぁん』も甘く見られたものだ。 □


ためさずガッテン

2010年03月24日 | エッセー

 なんだか気恥ずかしくて使ってはいないが、メールをはじめケータイ、ネットで、絵文字・顔文字を目にしない日はない。さらに近年頓(トミ)に増えたのが、“(笑)(涙)”の類いだ。なかには、ほとんど絵文字・顔文字・括弧付き文字だけのメールもある。これはもはやジェスチャーの世界ではないか。あるいは新手のエスペラントか。
 かねてよりこの絵文字・顔文字・括弧付き文字が不思議でならなかった。意味はなんとか読み取れるとして、来由がとんと掴めない。入力の簡素化ばかりではあるまい。流行と呼べる域は越えて、いまや日常化している。はて、なにゆえに。……と先日、目から鱗どころか、目そのものが落ちてしまいそうな蒙を啓く一文に接した。
 野口恵子氏の新著「バカ丁寧化する日本語」(光文社新書)に、それはあった。著者は日本語・フランス語教師、つまり日本語とフランス語を外国人と日本人に教えている。単なるバイリンガルではない。教える側のそれだ。その特異な観点も織り込みつつ、現代の日本語を優しく、時に鋭く分析し警鐘を発している。しかし御託ではない。啓発の一書だ。

〓〓Eメールでメッセージのやりとりをする人々の多く、とりわけ若者たちは、顔文字や記号をふんだんに挿入して、画面上のデジタルな文字情報を必死にアナログ化しようとする。
 大学生が授業中に提出する感想や質問の文にも、同様の意図が見られる。実際に顔文字やイラストがかいてあることも珍しくないが、しばしば文末に、(笑)(涙)(汗)などと書いてある。「来週は部活の大会のため欠席します(土下座)」というのもあった。所属する運動部の公式行事だから堂々と授業を休めるはずなのだが、「欠席します」だけではあまりにデジタル的で、心苦しく思っている自分の気持らが表せないということで、カッコつきの土下座を添えたのだろう。こうなると(土下座)も一種の敬意表現だ。〓〓

 膝を打って、大いにガッテンした。「デジタル情報のアナログ化」なのだ。
 90年代以降、めっきり文字を「書か」なくなった。せいぜい署名かメモ書きぐらいと言えば大袈裟か。いかな金釘流でもサインは個性的といえるし、メモは殴り書き、往々にして本人も読めない。双方、アナログの最たるものだ。文字は「打つ」もの、没個性な活字で現れるもの、が当たり前になってきて、隔靴掻痒の感を抱きはじめたのかもしれない。かつては筆先に託した情感の遣り場を、絵文字や顔文字、括弧付き文字に預けようとしているのだろうか。
 そう考え巡らせば、『試さず』とも『合点』が行く。だから、決して稚拙な表現形態ではない。文字表現から絵文字や顔文字に退嬰しているのでもない。むしろ、時代の先端の乾きを鋭敏に感じ取っている、そう見たい。

 たしかにデジタルは人類の文明に未曾有の地平を拓いた。その恩恵は計り知れない。しかしそれだけですべてが言い尽くされるわけではない。
 早い話、いまどきの医者は顔も見ずモニターの数値を見て診察する。そんなことなら、いっそ診断、処方もデジタル化すればいい。名医の処方をデータ化して、この場合にはこうとリファレンスしながら答えを出すプログラムだ。医療レベルの平準化も図れる。だが、そうは問屋が卸すまい。この場合、問屋とはもちろん生身の身体(カラダ)だ。親子でさえ移植は至難だ。68億の人間はすべてちがう。自分以外にひとりとして同じ人間はいない。DNAは4兆7千億に一つは同じものがあるらしいが、たとえ同じDNAであったとしても個体としては必ずちがう。だからアナロジーを追うほかに手はない。アナロジーとは類似性、相似性、つまりアナログだ。養老孟司氏の受け売りをすれば、「どんな名医でもテメーの命日は分からない」のである。
 アナログの進化形がデジタルではない。世界は深く宏大なアナログの深淵だ。その上澄みを僅かに掬い取っているのがデジタルだ。

 いつもの癖で話が桁を外れてしまった。絵文字についてだった。
 さて、番度の意を尽くせない佶屈な拙稿、駄文の数々。かくなれば、万感を約(ツヅ)めて絵文字でも使ってみるか。 …… それとも、ためさずガッテンのままにして措くか。 □


11回裏は抑えたが ……

2010年03月21日 | エッセー

 両チーム、無得点のまま迎えた延長11回裏。相手チームの攻撃。ツーアウト2塁で、4番打者を迎える。カウントはスリーボール、ノーストライク。ピッチャー、サインを交わして4球目に。おーっと2塁へ速い牽制球。大きくリードを取っていた2塁ランナー、スキを突かれた。戻れない、アウト! ピンチを救った見事な牽制球でした。残るはあと1イニング。次の裏攻めは不調の5番から。これでなんとか、引き分けに持ち込めるでしょう。
 …… そんなところか。
〓〓クロマグロ禁輸案、委員会で否決 ワシントン条約会議 
 ドーハで開かれている野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約の締約国会議は18日夕、第1委員会で大西洋・地中海クロマグロの国際取引を禁止する提案を反対多数で否決した。欧州連合(EU)や米国が禁輸支持を表明し、クロマグロの最大輸入国である日本は危機感を強めていたが、規制強化に反発した国々が票を固めた。
 この議決は、24日から始まる全体会合に報告される。ここで投票国の3分の1以上が求めれば再採決が行われ、禁輸支持派が投票国の3分の2以上の票を獲得すれば委員会議決は覆る。ただ、18日の採決結果は予想以上の大差で、逆転の可能性はほぼなくなった。禁輸提案国のモナコ代表は、全体会合で再採決を求めない考えを明らかにした。〓〓
 と、新聞(朝日)は伝えた。
 民主党政権、初のファインプレーであるかもしれない。日本は、さんざ輸出で稼いでおきながら掌を返したEUの手前勝手を突いた。さらに漁業国が抱く他種への規制拡大の危機感に乗って(あるいは、煽って)票を固めた。かつはしたたかにも、旗幟不鮮明の国を集めて極上のマグロを振る舞い舌鼓を打たせた。さらに鐺(コジリ)咎めになる作業部会での協議に移る前に、機先を制して委員会採決に持ち込んだ。兵は拙速を尊ぶだ。
 サッカーに続いてまたも「ドーハの悲劇」かと心配されたが、これで一息も二息もつける。縄文の頃からの長い縁がまた繋がった。もっともマグロにとっては迷惑千万であろうが。
 
 苔むすほどの昔、築地の魚河岸でアルバイトをしていたことがある。朝4時から昼前まで。意表を突く時間帯だが、これが結構使い勝手がよかった。カネも悪くない。数ある店舗の中で、雇われたのはマグロの卸屋だった。競り落とされたマグロを大八車に載せて運ぶ。当時は電動の荷台車は数えるほどだった。行き交う人と大八とでごった返す市場の通路をかき分けて進む。朝の冷気の中で、吐息があちこちに白い花を咲かせては消える。時にはけんか腰になる威勢のいい掛け声が、居並ぶ店々で飛び交う。微かに腥い空気と雑踏、喧噪、張りつめた商いの緊張感。時間は駆け足で過ぎ、昼が近づく。潮が引くように人が去り、片付けが進み、静けさが戻る。忘じ難き想い出である。
 せり場に並ぶ数十に及ぶマグロの列は壮観だった。それぞれの問屋で切り分けられた後の粗(アラ)は集められ、ショベルカーが一気に掬い取ってトラックに積み込む。ツナになる。豪快な一齣であった。かくて筆者とマグロは、築地を介して浅からぬ縁を結んだことになる。ただ、そのわりには好物といえるほどではないが。

 日本が槍玉に挙げられる食材がもう一つある。クジラだ。こちらは筆者、まったくダメである。だが、捕鯨に目くじら(失礼!)立てる謂れはない。ましてや反捕鯨に名を借りたシーシェパードなどという環境ごろなど許せるはずもない。しかしこちらは相手方リードのまま9回表が終わり、いよいよ追い詰められてきた。剣が峰だ。鮮やかな逆転劇は至難であろう。
 外交マターとなったマグロもクジラも肝心なことは、食文化をあげつらわないことだ。資源保護という論点を外さないことだ。むしろその一点に絞るべきだ。日本の食文化だと、ナショナリスティックに言挙げする向きもある。文化に事寄せると、袋小路に迷い込んでしまう。食べるのも食べないのも、ともに文化だ。文化の衝突は不毛で、何も生まない。多様性こそ、その属性だからだ。ならばカニバリズムも文化かという極論もなきにしもあらずだが、なにより地球上にそのような文化をもつ民族は存在しない。文化ではなく、人道の問題であり本能が峻拒する。
 
 クジラの骨も縄文遺跡から出土している。マグロと同様、1万数千年を跨ぐ太古からの食材である。魚の骨は約50種類が見つかっているが、おもしろいのはブリや鯖の量に比してクジラやマグロは少ないことだ。今も変わらぬ事情に妙に納得してしまう。ところが今や、喰うなと、海の向こうから待ったが掛かる。これはまったくの様変わりだ。地球が狭くなり、人類がエポックを刻みつつある証といえなくもない。 □


時ならぬ雪

2010年03月15日 | エッセー

 時ならぬ雪が降った。
 春の雪というには少し早いが、梅が盛りで桜の一番咲きが報じられていたのだから強引にでもそう呼びたい。

 「豊饒の海」の高名ゆえか、春の雪とはつややかな呼び名だ。清顕と聡子の逢瀬に舞った春の雪 ――


 聡子が俥へ上つてきたとき、それはたしかに蓼科や車夫に扶けられて、半ば身を浮かすやうにして乗つてきたのにはちがひないが、幌を掲げて彼女を迎え入れた清顕は、雪の幾片を衿元や髪にも留め、吹き込む雪と共に、白くつややかな顔の微笑を寄せてくる聡子を、平板な夢のなかから何かが身を起こして、急に自分へ襲ひかかつてきたやうに感じた。聡子の重みを不安定に受けとめた車の動揺が、さういふ咄嗟の感じを強めたのかもしれない。(三島由紀夫著「春の雪」十二)


 ―― 春の雪がこれほど嫋(タオ)やかに、煌びやかに描き込まれた作品がかつてあっただろうか。錦絵のように絢爛たる筆遣い、石垣のように緻密で堅牢な筋立て。天才にしか成し得ない文学の極みだ。同時代を生き、作品に触れることができた千載一遇に今更ながら感謝する。
 時ならぬものがそうであるように、春の雪は劇的だ。須臾に来たり、瞬く間に立ち去る。季節の気まぐれのようであり、移ろいへの戸惑いのようでもある。名残の雪は「忘れ雪」ともいう。いいことばだ。忘じ難き別れを雪に留める。それでも止んで照れば、跡形も残さない。俄な除雪の繁忙は忘れ雪とともに記憶から退く。やがて踵を接して、くっきりと春が訪(オトナ)う。
 
 枕草子は「春は、あけぼの。」で始まる。「春曙抄」の別名をもつ由縁だ。「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」が「をかし」だと、清少納言はいう。
 「をかし」とは、間合いを取りつつ知性的な高みから風情を愛でる謂だ。「あはれ」に相対(ソウタイ)する。体言止めのテンポといい、流麗で、かつ洞察に富むこの草子は作者の人物像を彷彿させる。面貌は想像に属するものの、とびきりの知的美人であったことは疑いない。
 つづけて、
        夏は、夜。
        秋は、夕暮。
        冬は、つとめて。
 と、をかしが並ぶ。なんとも軽やかに筆が走る。
 春のあさぼらけ、白んでいくスカイラインや刷毛書の紫雲はミレニアムを越えて、今もあるはずだ。ことしは見逃すまいと、密かに決める。
 
 「をかし」は「可笑し」と当てられた。人は極上の美味を口にすれば、言葉を失う。きっと笑うはずだ。うまい、と言えるうちは高が知れている。醍醐味は言葉を奪い、ひたすら笑いを強いる。まったくの愚見だが、感興の究まりにある笑い、それが「をかし」ではないか。言葉という知を放擲して、笑いという原初の表現に戻る。敢えて退嬰せざるをえない対象の圧倒を、「をかし」と客観視したのではあるまいか。     

 春は、あけぼの。「山ぎは」が明るみ、「紫だちたる雲」が筋を描く。をかし、だ。人世の万般もあけぼのを迎える。さて、ことしのそれに、どんなをかしを見つけるか。 □


元気です。

2010年03月09日 | エッセー

 文芸誌も最近はウイングを広げてきた。

    ロングインタビュー
    吉田拓郎
    家族・時代・仕事を巡る対話
    聞き手 重松清

 「すばる」3月号の企画である。直木賞作家・重松清氏は47歳、岡山県出身。現代社会の断層、別けてもいじめ、不登校、家庭崩壊に切り込んてきた。矢沢永吉の熱烈なファンとしても知られる。
 紙幅24ページに及ぶロングインタビューである。作家が聞き手とは異色だ。いつもとは違う視点が随所に光り、時間は濃密に流れる。一部始終は文字となって誌面に刻された。あり余るほどの読み応えだ。


〓〓やっぱり「僕が時代を作ったんじゃなく、時代のほうが僕をそこに嵌め込んだ」というのが当たっているし、それを僕は認めますね。〓〓
 昨年12月、本ブログで次のように記した。
 ―― 漢は「時代」になりつつある。マッカーサーが戦後収拾を、池田勇人が高度成長を担い、表徴するように、「吉田拓郎」は日本史上に突如現れた「団塊の世代」という「時代」を率い、体現する。それは贔屓筋であると否とに関わらない。なぜなら、人は時代の外では生きられないからだ。美空ひばりが歌謡の牆(カキ)を跨いで社会の歩みと重なり、昭和という「時代」であったように。 ―― (12月5日付「疾風が如く」から)
 時代を表徴できる人物は稀だ。「そこに嵌め込」まれる実感は、時代と直に触れ合う立ち位置にいた人間でなくては得られない。
 先日、スナックでのこと。少し年嵩と覚しき隣の群れが長々と演歌をうなっていた。辟易した友人が拓郎をリクエストした。イントロが流れた時だった。「おっ、吉田拓郎だ!」と、喧噪が止んだ。友人の音程ははなはだ頼りなかったのだが、「人は時代の外では生きられない」ことだけはしかと証された一齣だった。

〓〓『月刊明星』なんていう芸能アイドル誌が「表紙になりませんか」と言いに来たときには「あ、やっちゃったぜ」と思いましたね。こういうところまでが頼みに来るのは、「オレ、勝ったな」ですよ。あのころ、いわゆるフォーク界では「あっち側」「こっち側」という言い方をよくしていました.つまり、「新しい我々がこっち側で、旧い芸能界があっち側」という意味です。その旧い芸能界が頭を下げて来た。テレビからも出演依頼が相次いだ。〓〓
 いまどきのミュージックシーンが食い足りないのは、この勝負感がないことだ。これに尽きる。時代が違うといってしまえば腰折れだが、常に競争が付き纏ってきた団塊の世代にはどうにも得心がいかぬ。
 重松氏の直木賞受賞作品「ビタミンF」に、「はずれくじ」という短編がある。主人公と部下とのやり取りが、このように綴られる。


「もっとエゴを出してもかまわないんだぞ。積極的なミスならいくらでもフォローしてやるし、たまには一人で突っ走ってもいいんだ。なんか、阿部を見てると、ちょっと冒険心や自己主張が弱いんじゃないかって思うんだけど」
 だが、阿部はあっさりと言った。
「そんなことしたら嫌われちゃうじゃないですか」 
 返す言葉に詰まった。少し考えて、「敵のいない奴には味方もいないっていうぞ」と言ってみたが、阿部はこれにも乗ってこなかった。
「敵とか味方とかって、あんまり考えたことないんですけどね。戦争してるわけじゃないんだし。ぼくらとかの世代って、係長とかの世代とは感覚が違うんだと思いますよ。勝ち負けってべつにどうでもいいっていうか、負けるのは嫌だけど、勝ってもたかが知れてるじゃんっていうか。いま、全体的にだらーっと負けてるじゃないですか、ニッポン。みんな負けてるんだから、一人でセコく勝ちを狙ってもしょうがないんじゃないですかね」
「……若い奴らは、みんなそうなのかな」
「だと思いますよ。勝った負けたが通用したのって、バブルの頃までじゃないんですか?」


 10年前の作品である。巧みに世代と時代を写し取っている。今や「草食系男子」という言葉すら生まれた。しかし時は移っても、世に棲む日日が移ろうてはならぬ。それぞれの「オレ、勝ったな」を狙う生きざまを揺るがせにしてはなるまい。

〓〓今朝なんか「オレ今日、重松清さんと対談するからさ」と奥さんに言ったら、「すごいな、そんな人と会えるなんて」と言うから「いいじゃないか、オレは吉田拓郎だよ」(笑)、「そうよね、吉田拓郎よね」というところに、ピンポーンって宅配便。そしたら奥さん「ちょっと出て」「お前、吉田拓郎にちょっと出て、はないだろう」(笑)。そういう生活がいまあるんだな、これが等身大か、とも。〓〓
 「等身大」がこの対話の主要なテーマのひとつだ。鎧を脱いだ自然体ともいえる。軽妙で洒脱で、少し捻りの効いたやりとり。微苦笑ではなく、呵々大笑した。

〓〓『結婚しようよ』を歌っておいて、旅でサイコロ振るおじいさんに出会って、挙げ句にハワイのカハラ・ヒルトン・ホテルがいいよ、その上、『ローリング30』で三〇歳過ぎて転がる石になれって……。どれなんだよ、お前は(笑)。
<重松:そして最近では、『ガンバラナイけどいいでしょう』と歌ってみたり。そうなるとまた聴く側が、四〇年間の中で勝手にピックアップして、許せる拓郎と許せない拓郎を分けていく。>
 それについて、いま言えることは「ごめんなさい、すみませんね」しかなくて。僕がもし聴く側にいたら、確かに混乱はすごいでしょうね。そんなヤツを好きにならない(笑)。〓〓
 世に棲む日日は、「どれなんだよ、お前は」の連なりともいえよう。わたしは、「許せる拓郎と許せない拓郎を分け」たことなど一度もない。まるごと、拓郎だ。わが身を振り返っても、そうだ。
 だから、
〓〓生まれ変わるなら、吉田拓郎に生まれ変わりたい。同じがいいです。〓〓
との述懐に触れた時、歓びが込み上げた。

〓〓ライブは絶対に必要だと思いますね。アルバムだけだと、自分がさっぱり分からなくなってしまうような気がする。もうツアーじゃなくてもいい、という僕なりの考えがあって、来年はここで歌うぞという場所は、具体的に頭の中にあります。〓〓
 重松氏は、「うわっ、ファンはその言葉をとにかく聞きたかったんです。」と受けた。インタビューは昨年11月に行われた。だから、文中の「来年」とは今年だ。咄嗟に、最高のセールスを記録したかの名高きアルバムタイトルが鮮やかに甦った。もちろん、「元気です。」だ。

〓〓僕には意地というか、音楽をやっていく上でのある種のプライドがあるんですよ。これだけは絶対守り続けるというのは一点だけで、それは新作を作り続けること、旧い曲だけで生きていくことだけは絶対にしない。必ず新しい言葉、曲を作る。新しいメロディと新しい詩を書き続けるということだけはさぼりたくないし、それをやめちゃうと、生意気かもしれないけど、自分の青春を傷つけちゃうような気がします。〓〓
 「自分の青春を傷つけちゃう」とは、実に重い言葉だ。晩節に至るまで青臭い「一点」に頑なであること。それは、世に棲む日日に打つ画竜点睛だ。 □


2010年2月の出来事から

2010年03月04日 | エッセー

<政 治>
●長崎県知事選、東京町田市長選で民主系敗れる
 ともに自公系が大差で勝利(21日)
⇒ 昨年8月28日付本ブログ「胡蝶之夢」の結びに、政権交代について次のように述べた。
〓〓国の「かたち」をデザインしたとはついぞ聞かない。そのドラフトさえも描(カ)いてはいない。旗幟を鮮明にした対立軸があるわけではない。政策の選択ではなく、レジームの選択でももちろんなく、事はレジームの司宰だけを差し替えるという一点に矮小化されてきた。つまりは擬態としての革命である。革命といっても、これは限りなく易姓革命に近い。バーチャルで、劇場型ともいえる。洒落ていえば、胡蝶之夢か。現代版幻想の易姓革命と括って、それほど外れてはいまい。

 霞み目に、最近やっと見えてきた構図を粗々(アラアラ)記した。幻想が幻滅にすり替わらぬよう、ひたすら希う。〓〓
 どうやら、「幻滅にすり替わ」りつつあるようだ。次に来るのは、黒々とした巨大なアパシーか。そうであれば、万死に値する罪作りな政権だ。

<経 済>
●トヨタ社長、米公聴会に出席
 リコール対応の遅れを陳謝、経営改革の意志を強調(24日)
⇒ 豊田社長は最初の記者会見で、「全社に調査を指示しました」と述べた。「将器に非ず」と、わたしは直感した。それでは他人事だ。言葉尻をとるようだが、本質はとっさの言辞に顕れる。あれは断じて、「全社を挙げて調査いたします」と応えるべきだった。
 米議会公聴会への参加もそうだ。はじめは米国トヨタの社長を出そうとした。社の存亡が掛かる時だ。トップが先陣を駆けるべきではないか。こちらから出席を表明するのは内政干渉と受け取られる、社長で埒が明かない場合二の矢はない、などの思惑があったらしい。だが、そんな腰の引けたことでは難局は越えられまい。「クラウン」の車名が泣く。「王冠」に相応しい帝王学を学んでいなかったのではないか。

<国 際>
●ウクライナ大統領選
 野党のヤヌコビッチ前首相がチモシェンコ首相を破り当選(8日)
⇒ 親欧と親ロで国を二分する状況だ。舵取りはさぞ困難であろう。実はこの国、極東ロシアと繋がりが深い。沿海三州に住む人びとの半分はウクライナがルーツだ。かつて一国規模のシベリア流刑に二度処せられた。ロシア革命に抗った時と、ヒトラーと組んで独立を謀った際である。もともと独立心の旺盛な国民らしい。極東ロシア人には、シオニズムに似た心情があるそうだ。
 ロシア極東が遥かヨーロッパ南東部と浅からぬ因縁をもつ。事実は奇なりだ。さらに極東と北海道は一衣帯水である。初の300勝を記録した名投手・スタルヒン、前稿で触れた「柏鵬時代」の大鵬、ともにウクライナ系である。遠くて、意外にも近い国だ。
 近年ではまたしてもロシアとの間にガス紛争が起こった。ヨーロッパとロシアに跨がる地政学上の困難はこの国の宿命であろう。順風満帆とはいくまいが、過去の数多い国家的辛酸が波浪を越える底力となってほしいものだ。

<社 会>
●元横綱・貴乃花親方(37)が新理事に
 日本相撲協会理事選で5番目の年少理事(1日)
⇒ 事の真相は判らぬが、どうしても兄弟仲の問題が引っ掛かる。修身斉家治国平天下である。「治国」の大望を抱くのなら、まずは「斉家」ではないか。「兄弟は他人の始まり」では淋しい限りだ。「兄弟は左右の手」であってほしい。

●朝青龍引退
 史上3位の25度の優勝を誇った横綱が不祥事から11年の土俵人生に別れ(4日)
⇒ 歴史に残る人物は、とかくに功罪半ばするものだ。本ブログでも何度も取り上げた。平成の「柏鵬時代」が熟す前に腰折になったのはなんとも無念だ。
 発表の翌日、インタビューに応じた白鵬が泣いた。憧れがやがて目標となり、遂にライバルとなった。二人は『ジャパニーズドリーム』を体現した。そして一人は突然、不如意を抱えて去る。好敵手の退場に涙した力士をはじめて見た。白鵬はいいヤツだな、と唸った。

●民主、小林千代美衆院議員側へ違法資金か
 札幌地検が捜査中であることが判明(15日)
⇒ 詳しいデータは持ち合わせないが、発足以来この政党には犯罪が多発している。議員と秘書を含め、痴漢、ストーカーなどの下衆なものから交通違反のもみ消し、利権、カネ絡みまで実に多種多様である。かつ、「上」から下までだ。何か党自体に潜む因子があるのではないか。興味ある研究テーマである。

<哀 悼>
●玉置宏さん(歌番組の軽妙な語りで知られた司会者)76歳。(11日)
⇒  落語にも造詣が深く、長くNHKの「ラジオ名人寄席」を担当していた。名が売れると直ぐさま脇道に逸れる ―― つまりは司会から主役、自らがスポットライトを浴びる立場を狙う ―― いまどきの無節操な司会屋(例えば、みの某など)には見られぬ一途さを感じる。司会に徹した見事な生きざまであった。「たまおき」と聞けば、「ロッテ」が浮かぶ。そんな司会者は今、いない。哀惜の情、一入である。

※朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事から」のうち、いくつかを取り上げた。すでに触れたもの、興味のないものは除いた。見出しとまとめはそのまま引用。 ⇒ 以下は、愚見を記した。 □


氷上の佳人たち

2010年03月02日 | エッセー

 無理やりというか、見当外れ、勘違いには相違ない。バンクーバーを熱狂させた浅田真央とキム・ヨナの対決を観て、とりとめもない妄念が半世紀を遡った。奇想、天外より来るである。
 大鵬、柏戸のふたりが揃って横綱に昇進したのは、昭和36年秋だった。電車道で一直線の寄りを身上とする柏戸。土俵を割る時も、砂被りに跳び込んでいくような豪快さであった。一方、しなやかに受け、差し身を活かして掬って寄る大鵬。有利な態勢まで辛抱し、負けない相撲を真骨頂とした。闘志を剥き出す柏戸、内に秘める大鵬。「剛」と「柔」の対照的なライバル。「柏鵬時代」が人びとを魅了した。
 トリプル・アクセルに執念を燃やす真央。超難度の荒技に一途に挑んだ。なんとも剛気である。曲も軽くはない。むしろ重く、厳かだ。「神様からの贈り物」と彼女を絶賛して止まないタラソワコーチが、大舞台で打った賭でもあった。技と舞、敢えて二兎を追った。
 キム・ヨナは勝ちを選んだ。しなやかに勝負した。大技を封印し、舞を未到の高みにまで仕上げた。SPの曲には心憎いまでの仕掛けが込められていた。至妙の手弱女振りであった。
 柔よく剛を制した。定石通りか。しかし、真央は「悔しい」と泣きながら応じた。それは勝負師の素顔を覗かせた刹那だった。次は定石を破るにちがいない。頑張ったのだから銀でもおめでとうなどとは、彼女に対し甚だ礼を欠く言辞だ。
                    
 氷上の佳人たち。特筆すべきはシングル4位の長洲未来。そしてペアで4位に入った川口悠子の二人だ。
 米国代表、長洲未来。両親はどちらも日本出身で、ロスで寿司屋を営む。未来は日米双方の国籍を持ち、日本語が「ぺらぺらの」バイリンガルだ。16歳。一昨年には全米チャンピオンに輝いた。可憐な尻餅で沸かせた「札幌の恋人」ジャネット・リンは前世紀の米国代表。今、日本「人」がアメリカを背負(ショ)って銀盤を舞う。隔世の感だ。
 20年くらい前のことであろうか、たしか堺屋太一氏が「国際化とは隣人が外国人になることではなく、親戚が外国人になることだ」と言った。邦人が外国人になる長洲の例は、国が後景に退いていくその「未来」像になるか。大戦中の邦人米兵の悲劇的奮戦とはまったくちがう時代相が開かれている。なにせ、ソチでは真央の抜き差しならぬライバルになるのは疑いない。
 ロシア代表、川口悠子はペア出場のために、ロシアの国籍を取った。競技のために国の壁を易々と越えた。マスコミはその快挙に賞讃を送っていい。いたって冷淡なのは残念だ。平和の祭典に、古代ギリシャ人は武器を捨てて馳せ参じた。いま、アスリートたちは国の鎧を脱ぎ捨てて個人の栄冠を祭典に供する。何の変わりがあるものか。

 余談になるが、夏冬ともにオリンピックでエキジビションがあるのは、フィギュアスケートだけではなかろうか。本番以外に選曲、振り付け、練習、衣装の準備が加わる。御苦労なことだ。開催の経緯は知らぬが、余談では済まぬほどに難儀なはずだ。

 忘れてはいけない。カーリングがあった。メダルには届かなかったが、十分に魅せてくれた。筆者にはあれがスポーツであると未だに合点がいかぬが、「氷上の佳人たち」であることに異論はない。別けても、眦(マナジリ)を決してストーンを放つ際(キワ)がいい。獲物を狙うハンターの目だ。あれが男であれば怖気を震うが、愛くるしい乙女の「意外な」表情であるところが胸をしめつける。

 次はソチだ。4年に及ぶ試練の叢雲を突き抜けて、また佳人たちが氷上に舞い降りる。 □