伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「おかずを思う」か?

2006年11月30日 | エッセー
 欠片の主張 その2 を打ち上げてみたい。途中で失速しておのれの脳天に突き刺さるか、はたまた何ものにも擦りもせず、雨樋かなんぞにひっかかって果てるか。心もとない限りだが、『矢』も楯もたまらぬ真情だけはおくみおき願いたい。
  ―― 「思う」という言葉についてである。
 私の長年月にわたる密かなこだわりである。
 きっかけははるか昔、井上陽水の『夢の中へ』を聴いた時。「行ってみたいと思いませんか」のフレーズだった。妙に耳障りだった。以来、この言葉が気になり始めた。その当時からかどうかは定かでないが、ラジオのDJも「では、次の曲にいってみたいと思います」などと言い始めていた。
 これは『馬から落ちて、落馬して』の類いではないか、と思案を始めた。「みたい」はすでに願望を含んでいる。それに「思います」と付けたのでは丁寧すぎないか。私はこれを『落落馬』と読んでいる。二重敬語は同類かもしれない。「お読みになられる」など、一つの動詞を二重に尊敬語化する語法だ。もちろん、避けるのが常道だ。

 「広辞苑」を引くと、「思う」には次のような意味がある。
① 物事の条理・内容を分別するために心を働かす。判断する。思慮する。心に感ずる。「思っていることを口に出す」
② もくろむ。ねがう。期待する。「世の中すべて思うようにはいかぬ」
③ おしはかる。予想する。想像する。予期する。「思ったほどおもしろくなかった」
④ 心に定める。決心する。「思うことありげに席を立った」
⑤ 心にかける。憂える。心配する。「我が子の上を思う」
⑥ 愛する。慕う。いつくしむ。大切にする。「子を思う親の心」
⑦ 過去の事を思いおこす。思い出す。回想する。「亡き母を思う」

 まとめると、①思慮 ②期待 ③予想 ④決心 ⑤心配 ⑥慈愛 ⑦回想 の七つになる。実に多義にわたる。心の動きほとんどをカバーすると言っていいくらいだ。多義であることは、すなわち曖昧に通じる。箸はフォークにもなればナイフにもなる。ただ、洋食も箸ではどうにも風情が飛ぶ。便利であることは、すなわち無粋に通じる。
 先の『落落馬』については、自体に丁寧語の働きはもたない。②か、もしくは④の意味をもたせて付け加えるのであろう。二重敬語同様、避けるべきだ。
 さらに大事な問題は「考える」との違いだ。小中学校では意見発表の際、「……と思います」と言うよう、指導していると聞く。これは由々しき事態だ。①からの派生であろうが、この二つには基本的な相違がある。以下、碩学の識見を引く。
  ―― 大野 晋著「日本語練習帳」(岩波新書)から
≪「思う」と「考える」の違い≫
 「思う」とは、一つのイメージが心の中にできあがっていて、それ一つが変わらずにあること。胸の中の二つあるいは三つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成するのが「考える」。この違いは昔からあったのです。
 「考える」という言葉を古くさかのぼると、罪人を刑罰に処するときに、「……に勘ふ」と言いました。「事柄を突き合わせてしらべる」のが「考える」の最古の使い方です。現在も、「企画を考える」とか「献立を考える」とか、あれこれ組み合わせるときに「考える」という。そこには「思う」は使いません。
 古い文学の中に出てくる「思ふ」は、「胸の中に思っている」と置き換えるといい例が多い。言葉には出せずに、好きな人を恋する。それを「思ふ」という。胸の中には一人の人の姿しか見えない。それをじっと抱いている。「思う」は胸の中の一つのイメージをじっと大事にしていることですから、「試験を受けようと思う」というときには、そのこと一つを心の中で決めていることです。
 それに対して、「考える」にはあれかこれかという比較の観念、あるいは組み立て、構成の気持が含まれている。 ――
 とすれば、意見発表は当然、「……と考えます」であろう。つまり、対象が一つの場合は「思う」、複数の場合は「考える」となる。だから、「今晩のおかずを思う」とは言わない。「今晩のおかずを考える」である。ところが、近年、この使い分けが曖昧になってはいないか。「いろいろ思うところありまして、退職いたします」などと使う。明らかな誤用である。「いろいろ」は「考える」だ。
 推測するに、これは多義である特性を使った曖昧表現ではないか。①では間違いだが、② ③ ⑤ なら使える、といった具合だ。
 曖昧、必ずしも悪いとは言わない。機械だってアソビは要る。人間はアンドロイドではない。曖昧でない心など、ついぞ出くわしたことがない。情緒は同族、同根であろう。だが、度が過ぎると言語本来の機能を逸失する。言えども、伝わらず。書けども、分からず。だけならまだしも、あらぬ誤解をうんでは元も子もない。
 私には20年来心掛けてきたことがある。話し言葉、書き言葉ともに「思う」を取り除くこと、意味を絞って外の言葉に置き換えること、である。ボキャブラリーの中から特定の言葉を排斥するのは骨が折れる。しかも長年慣れ親しんだものであればなおさらだ。難儀な作業であった。失語症のように口ごもること、再々であった。しかし、慣性(ナライセイ)と成る、である。かつ、幾分かは歯切れがよくなった。ひそかな心掛けもムダではなかったような気がする。本ブログでも、引用文以外、「思う」は一カ所もない。

 そこで、欠片の主張 その2 ―― 「思う」を丁寧表現で使うのは止めよう!
 「御挨拶させていただきたいと思います」は、「御挨拶させていただきます」。「行ってみたいと思います」は「行ってみましょう」。どれだけスッキリすることか。『落落馬』使用をさけることで日本語の言語空間は相当晴れる。まずはここから出発したい。
 ポーカーではジョーカーはワイルドカードだ。変幻自在、重宝この上もない。だが、ばば抜きのばばでもある。□

干支、えーと??

2006年11月25日 | エッセー
 年賀状の時期である。わたしは十年前から干支にちなんだ賀状を作っている。干支に関係する人物に語らせるか、干支について語った人物を登場させるか。毎年、愉しみながらも呻吟する。
 寅年はもちろん「寅さん」。寅さんに名台詞を語らせた。巳年は悩んだ末に、「美濃の毒蝮」こと斎藤道三。未年はポール・マッカートニーの「RAM」。ソロでの最初のアルバム。ジャッケトを失敬して貼り付けた。戌年は養老孟司氏の著作から野犬についての話を抄出した。
 さて来年である。亥年。これがなかなか、ない。「『猪突猛進』どい!」とおやじギャグもひねってみたが、嘲笑を買いそうなので止めた。とこうした挙げ句、浮かんできたのが「猪武者」だ。と、次に「三国志」に連想がとび、ついに「趙雲」に行き着いた。「三国志」に登場する代表的な猪武者である。
 数十年ぶりに吉川英治の「三国志」に当たってみた。「長坂橋(チョウハンキョウ)」の章に、単騎敵陣に突入し劉備の子供を救い出した趙雲 子龍と劉備 玄徳の劇的なやりとりが描かれている。次のように ―― 。


 玄徳は思わず頬ずりした。あわれよくもこの珠の如きものに矢瘡(ヤキズ)ひとつ受けずにと……われを忘れて見入りかけたが、何思ったか、
「ええ、誰なと拾え」
 と云いながら、
阿斗の体を、毬のように草むらへほうり投げた。
 「あっ、何故に?」
 と、趙雲も諸大将も、玄徳のこころをはかりかねて、泣きさけぶ公子を、大地からあわてて抱き取った。
「うるさい、」あっちへ連れて行け」
 玄徳は云った。
 さらにまた云った。
「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい。……それにここは戦場である。凡子の泣き声はなおさら凡父の気を弱めていかん。故にほうり投げたまでのことだ。諸将よ。わしの心を怪しんでくれるな」
「…………」
 趙雲は、地に額をすりつけた。越えてきた百戦の苦も忘れて、この君のためには死んでもいいと胸に誓い直した。原書三国志の字句を借りれば、この勇将が涙をながして、(肝脳地にまみるとも、このご恩は報じ難し)
 と、再拝して諸人の中へ退がったと記している。


 なんとも古格然とした筆致で、ついつい読み耽ってしまった。さらに、曹操軍の追撃にたった一騎で対峙し撤退させた武勲に、劉備は「子龍は満身これ胆である」と讃えてもいる。つまりは趙雲、猪武者にあらず、ということだ。猪突はしても、勇が無鉄砲を凌駕したのだ。加えて、忠。まことに好漢の一語に尽きる。干支には似つかわしくない。が、似て非なる事情を略記することで賀状は切り抜けた。要領のいい便法である。
 さらに想念は転じ、日本の猪武者に及んだ。 ―― 打って付けの人物がいた。
 長州藩、来島(キジマ)又兵衛。と言うよりも、幕末の長州そのものが一藩あげての猪武者であった。その格好の一典型こそ、来島である。文字通り無鉄砲、無思慮、猪突の荒武者であった。
 文久・元治・慶応。維新に至る四、五年間、時代は熱湯のごとく滾(タギ)る。文久3年、「八月十八日の政変」で京都を追われた長州。明くる元治元年、「池田屋事件」を機に長州軍は入京。免罪の直訴に及ぶ。聞き入れられる筈もなく、薩摩・会津を中軸とする幕府軍と干戈を交えることに。その渦中のことである。
 来島 又兵衛 ―― 江戸遊学の後、藩の要職を歴任。激烈な尊攘の志士であった。高杉が奇兵隊を創設すると、彼は自ら遊撃隊を組織して互いに連携する。「八月十八日の政変」を受けて、京への出兵を頑強に主張。奸計を察知した高杉の制止を振り切って、諸隊を率いて上洛。蛤御門の変の導火線となる。
  ―― と、話がここまでくると、当然、司馬遼太郎であろう。
 「世に棲む日日」は活写する。


  ―― 御亭(ゴテイ)は、いくさ狂いのお人にて。
 と、この時期こぼしていたのは、来島の妻のおたけであった。来島は養子でこのおたけにだけは頭があがらず、こんどの一挙についても、「もうこんどだけで思い切る。この一挙がおわればあとは家でおとなしく暮らす」と、女房にいっていた。又兵衛は幕末よりも元亀天正の世にうまれてきたほうがずっと似つかわしい男であった。女房には「もうこれっきり」とおがむようにいっていたが、じつはかれはこの一挙で死ぬつもりだったらしく、出発命令を待ちつつ元治元(一八六四)年の元旦が明けたとき、
「この首をとるかとらるか今朝の春」
 と、ぶきみな俳句をつくっている。来島はこのとき四十八歳で、いわゆる幕末の志士のなかではとびぬけて年嵩であった。(「暴発」から)


 1600にすぎない長州軍が、十倍を超える鉄壁の幕府軍に突入する。凄まじい突撃だった。しかし優勢は一時(イットキ)、ついに敗走。洛中は3万戸を焼いて火の海となる。無謀というより、実態は自爆行為にすぎない。


 薩軍の将は、西郷吉之助であった。西郷は、馬上の来島又兵衛さえ射ちおとせば長州兵は潰乱すると見、配下の川路利良(のちの初代警視総監)をよび、狙撃を命じた。
 結局、又兵衛は胸を射ぬかれて落馬し、しばらく地を這っていたが、やがて槍の穂先を逆手にもってみずからののどを突いて死んだ。西郷のみたとおり、長州の潰走はこれからはじまった。(「灰燼」から)


 幕末の長州は暴走に暴走を重ねる。なにがそうさせるのか。司馬遼太郎は語る。


「狂」
 というものであろう。狂とは、イデオロギーへの殉教性というべきものであった。思想集団でなければこの大軍のなかに突入できるものではなく、突入すればむろん死が待っていた。淵源を松陰に発した思想の戦慄性が、長州人集団をここまで熱狂させるにいたった。人間はときに集団としての発狂を欲する動物なのかもしれないが、それにしてもその発狂のための昂奮剤は思想でなければならない。思想というものにこれほどまでの大昂奮を示したのは、日本史上こんにちにいたるまで幕末の長州人集団しか存在しない。(「灰燼」から)


 「思想というものにこれほどまでの大昂奮を示し」、集団ヒステリーと化して暴発を繰り返した長州。猪突し、壮絶に果てた来島又兵衛。はたして、犬死にであったろうか。
 「猪武者」集団は潰走するが、やがて維新回天の主軸へと転じていく。その後の展開を俯瞰したとき、又兵衛は確実に歴史の中のなにものかと刺し違えている。□

キムタクと哲也

2006年11月19日 | エッセー
 なぜかバスに同乗する木村拓哉と渡哲也。おまけに二人は缶コーヒーを飲んでいる。まわりの子どもたちがじっと見つめる。とまどう渡。「なに見てんだよ~」と木村。幼児虐待が指弾される御時世に、このぞんざいな言葉遣い……。
 雷雨の中をビルから出掛けようとする木村拓哉と渡哲也。「お客様が待っている!」と大見得を切る割りには、雷に足が止まる渡。木村はビビる渡に、「さっさと行きません?」と背中を押す。「押すなよ」と渡。タフガイの渡が意外にも気弱……。
 このCM、大笑いはしないが、ニヤッとした後、妙に印象に残る。CMとしては成功であろう。それにしても、この妙味は何方(イズカタ)より来(キタ)るのか。
 天野祐吉御大の向うを張ろうなどと大それた考えはない。いつもの愚考だ。(天野氏は朝日新聞の名物コラム「CM天気図」のオーサー)
 どう考えても、ミスマッチである。キムタクと哲也。日本人の男、という以外アナロジーがない。たしかに双方芸能人ではあるが、月とスッポンほどの違いがあろう。たまたま職種を問われたとして、カテゴリーが同じだったに過ぎない。新幹線と渡し舟が両方乗り物と言うに事情は同じだ。このCMの仕掛け人は大層な凄腕に相違ない。出会うはずがない人間同士をバスに乗せ、上司と部下にしてしまったのだから。
 ミスマッチが不幸ばかりを招くとは限らない。成功と幸福を呼び寄せることもある。離婚は2分に1組。原因の最多は性格の不一致だ。なんとかならぬものか。これを読んでなにかの足しになれば幸甚。

 唐突だが、城の石垣を想起願いたい。 ―― 石の群れは、どれ一つとして同じものはない。形も大きさも、すべて違う。天守閣は消えても石垣は残る。幾百年の風雪と戦乱を超えて、いまもある。規格品のブロックではこうはいかない。ミスマッチの妙である。
 唐突ついでに、9月30日付の拙稿を引かせていただこう。
 
   「永遠の嘘をついてくれ」 リフレインされる『出会わなければよかった人などないと笑ってくれ』 ―― この一節に収斂し結晶した人生の高み。(「秋、祭りのあと」から)
 
 出会いたくはなかったのに、出会ってしまう苦悩。人である以上、等し並に抱える宿痾である。しかし登り究めた人生の高みから振り返れば、すべては意味ある出会いとなる。人生の味となる。ドラマの起伏となる。まことに、「出会わなければよかった人などない」である。けだし、そうありたいものだ。これもまた、ミスマッチの妙か。
 缶コーヒーを飲むとなぜか突然いいアイデアが浮かぶ「会議編」から、「雷編」で4作目。キムタクと哲也、さて次なるバージョンは? GEOGIAでも飲みながら待ちますか。□

捕手は投手に従え??

2006年11月16日 | エッセー
 さすがはNHKだ。いい番組を作る。そうとなれば、受信料もとっとと持ってけ、だ。
 11月12日、夜9時からのNHKスペシャル。「『大リーグ・城島が闘ったアメリカ』 ―― 否定されたサイン・捕手は投手に従え」 これはおもしろかった。捕手として日本人初の大リーガーとなった城島健司。日米の野球文化の廻間(ハザマ)で苦悶しつつ進む彼を追う。
 この一球、という切所。一番自信のある球を投げる。打たれても、仕様がない。責任を取るのは任されてマウンドに立つ投手だ。捕手ではない。だから、「捕手は投手に従え」となる。捕手の送るサインはオプションでしかない。決めるのは投手だ。 ―― これがアメリカの野球である。個人技の集積としてチームプレーがある。
 片や、日本 ―― 試合の流れを踏まえ、打者の意図を読み、投手の調子を計りながら切所をいかに越えるか。駆け引きを謀り、思案の末に配球を差配するのは捕手だ。チーム・プレーが優先される。「投手は捕手に従え」が大勢である。
 城島は次の打者が入る前に、バッターボックスの土を足で均す。打者のスタンスを捉えるためだ。このあたり、職人芸。打撃を併せ、野村克也や古田敦也を超える評価も宜(ムベ)なるかなだ。
 その城島が呻吟し、「アメリカ」と格闘する。特に中南米出身の投手は、まさに腕一本に人生を託してアメリカに乗り込んでいる。自信と自負の塊だ。一筋縄にはいかない。難所、切所で城島の出すサインに頑としてうなずかない。「変化球であれば空振りを取れる」との城島の読みに逆らう。直球勝負で、あわれホームラン。それでも、投手はよしとする。まわりも、自信の決め球での勝負に納得する。「それ見たことか」とは城島は言わない。そぶりにも見せない。これが城島の凄味。もちろん、見事に抑えることもある。とにかくに試行錯誤を繰り返しつつ、自らのペースに引き込もうと努力を重ねる。その一年をドキュメントした番組であった。
 
 20世紀はアメリカの時代であった。電信・電話にはじまってコンピューター・インターネット、車、飛行機、映画、テレビ、コーラ、コンビニ、数え切れないほどの『アメリカ』が世界を席巻した。アメリカの国土は広大だ。だから広さの克服が国家的インセンティブとなった。通信と運輸はアメリカ文明の属性である。さらにネーションではなく、ステートだ。かつ、ユナイテッド・ステーツである。自(オノ)ずから成った国ではない。人為の国だ。民族の相克があり、宥和への苦闘があった。スポーツもそうだ。6月22日付の拙稿を引かせていただく。
  ―― アメリカ発祥のスポーツといえば、野球、バスケット。多民族国家ゆえに生まれたらしい。さまざまなコミュニティーから学校に集まってくる。それぞれのコミュニティーには伝統の得意スポーツがある。学校という教育現場で得手、不得手がぶつかってはまずい。無用の反目を生むことになる。そこで、だれもが未経験の新しいスポーツを発明することになった。新大陸にふさわしい、いかにもアメリカらしい話だ。 ―― (「ガンバレ! ニッポン!!」より)
 だから、野球は民族宥和の結晶でもある。この結晶が135年前、日本に上陸した。異説もあるが、「野球」の名付け親は正岡子規である。子規もさかんに興じた。やはり偉人は、事々然様(サヨウ)に好奇の心が旺盛らしい。「恋知らぬ 猫のふり也 玉あそび」子規の句だ。恋も忘れるほどに、玉と戯れる猫。我を忘れて野球に熱中する自分。そっくりではないか、と。なんと4年前には、俳人としてはただひとり野球殿堂入りしている。
 余談だが、なぜ「ホームベース」と呼ぶか。男が狩りに出て諸難を超え家に戻ってくる、そのストーリーを具象化しているのだそうだ。かてて加えて、ホームランという「例外規定」。例外は射倖心をくすぐる。おもしろさは倍加する。
 司馬遼太郎の慧眼を請おう。
  ―― 文明と文化は違いますね。室町文化や、紫式部を生んだ平安の王朝文化などは、けっしてよそへは輸出できないものなのです。しかし文明には普遍性があります。文明は輸出に堪えます。文明とは輸出することのできる「飼い馴らしのための原理体制」だと考えてみましょう。 ―― (朝日文庫「司馬遼太郎全講演」から)
 文化は個性化し、個別化する。普遍化とは逆のベクトルをもつ。野球も1世紀の間で日本流に個性化した。つまりは日本の野球文化として個別化した。勿論、ルールが変わったわけではない。四捨五入して言うと、オペラの受容のごときものだ。やがて言葉が替わり、演出が変わる。筋立ては同じだが、見せ方、勘所は違ってくる。ベースボールも日本人好みの野球になった。
 この一年、日本の野球文化を引っ提げて城島は戦った。アメリカ文明に「飼い馴ら」された国から単身海を渡り、その心臓部にアンチ・テーゼを突き付けた。年間打率2割9分1厘、日本人ルーキーとしては松井秀樹を抜く18本塁打を記録。9割近い144試合でマスクを被り、サインを送りつづけた。若鷹の挑戦は見事に稔ったと言える。
 かつてソニーのトランジスタが世界を覆ったことがあった。日本文化の一結晶ではあったものの、日本文明と呼ばれるものが四海を越えたことはない。「輸出」に堪える「原理体制」を生み出し得なかったゆえか。国の『大きさ』の違いに立ちすくむばかりだ。小国は大国に従え、か? □

犬の遠吠え

2006年11月11日 | エッセー
 「青年の主張」はとっくに過ぎた。「国民の主張」では恐れ多い。やはり、「団塊の主張」か。それも大仰だ。ひとまず、「欠片の主張」としておこう。何度か、切り分けて小出しにしていく。 ※「NHK青年の主張」は、1990年から「NHK青春メッセージ」とタイトルが変わっている。

<欠片の主張 その1> ―― 『とか』弁・『方』言は日本人をダメにする
 ことばは生き物である。つねに変化している。学者の研究によれば、日本語の伝播速度は年速1キロだそうだ。(井上史雄著 講談社現代新書「日本語は年速1キロで動く」に詳しい)ことしは「坊ちゃん」初出から100年になる。当時はハイカラ(この言葉だって死語に近い)だった文章も、今では相当に古めかしい。中高生は読むに難儀をするだろう。そのように、ことばは時空両軸にわたって変わりつづけている。変わることが常態なのだ。
 今どき髷を結って街中(マチナカ)を歩けば、石を投げられないまでも誰も寄りつかないことは必定だ。同じ伝で、まさか「拙者は」、「何々で候」などとは言えまい。ことばの移ろいの河に身を任せて泳ぐしかない。しかないが、丸ごと認めるわけにもいかない。かといって、すべてに背を向けたのでは定心を失う。いまのところ、どこか無人島に疎開する余裕はない。ならば、折り合いをつけて生きていくしかない。
 太古の昔から、青年は大人の批判を受けてきた。人の世の変わらぬ定めだ。エジプトの遺跡には「今時の若い者は……」というフレーズがあちこちに刻印されている。だから、変化が最初に起こる青年層に目くじら立てるつもりはない。わたしひとりが吠えたところで犬の遠吠えにもならぬ。「ラ・マンチャの男」を襲う外連(ケレン)などない。ただの『犬の近吠え』と心得おき願いたい。

 3月27日付の拙稿「ヘンなことば」で以下のごとく、わたしは嘆いた。 
―― 『とか弁』…「手紙とか書きます」「コーヒーとか飲もうよ」、とやたら「とか」を連発する。あれこれの選択肢を並べる分けでもないのに、他にも選択の余地を残すような言葉遣いで、言い切ることを迂回する。
 『方』言…「方言」ではなく、「○○の方(ホウ)」を多用する語法。これはおそらくファーストフード店の接客用語から始まったのだろう。「ご注文の方は何になさいますか」とくる。「ご会計の方は千円となります」などと使う。丁寧に接しているつもりなのだろう。しかし、余分な言葉をつけ加えることで、丁寧に「バカ」がついてしまう。あげくは、心のこもらない耳障りな決まり文句でしかなくなる。 ――
 曖昧語法の典型だ。いくつか挙げたうちの二つだ。まずはここから直したい。直してほしい。お願いだから、直してほしい。

 慣性(ナライセイ)と成る。「とか」を付けなければまともに会話ができないのではと、疑いたくなる。それに、耳障りこの上もない。おそらくは、若者同士の距離感覚から生まれたのだろう。お互いのテリトリーを侵さない『やさしさ』といえば言えなくもない。不即不離といえば格好いいが、終(シマ)いにはなにも語っていないことになる。
 「オレとか、メールとかする時とか、……」とくれば、お前ええかげんにせい、ではないか。書いてみると珍奇はすぐに知れるが、会話だとスルリと通ってしまう。ともかく許せないのは、年端も『十分行った』大人がこれを使うことだ。おもねっているのか、若もの振(ブ)っているのか。わたしなど時として殺意を催すことさえある。まあ、このような「大人」は脳足りんに決まっている。まったく年甲斐もなく、だ。このような手合いは『言語自殺者』に違いない。自分で自分の言語環境を貧弱にし、衰退させ、ついには破壊してしまう。なにかを語っているつもりがなにごとも伝えられず、呟きにもならず、唖法同然に堕してしまう。大人の自覚のある諸氏はすぐさま止めるべきだ。
 少なくとも、一・二人称に「とか」を付けることだけは止めよう。そうすれば、どれほど日本語がスッキリすることか。『わたし』は一人きりしかいない。対する『きみ』も君一人だ。これだけで世界は相当に澄明になる。千里の道も一歩から、だ。

 「消防署の方から来ました」と言って高額の消火器を売りつける手合いがいたそうな。被害者は消防署の関係者と勘違いしたらしい。冗談のような本当の話だ。『方』言はいまや、ほとんどの世代で使われる。このマニュアル言語、一体どこのどいつが作ったものか。三度の飯より好きな『ケンタ』であったとしても、赦すわけにはいかない。「方」を付ければ、なぜ暈(ボ)かしになるのか。考究に値するが、意欲がない。おそらくは、「えー」「えーと」「さて」などの感動詞、間投詞の類が起源であろう。これを多用されるのを避ける工夫だったのかも知れない。あるいは、若者に特有のアップトークを封じるためか。定かではないが、接客に未熟な若者に与えたマニュアルがことの起こりであろう。
 皆さん! これも止めましょう。特に、消火器の訪問販売を生業(ナリワイ)とされる方(=力夕と読む、意味が違います)は厳禁です。『方』言が抜けると、日本はどれほど見晴らしがよくなることか。大気汚染も深刻だが、ことばのスモッグも劣らず深刻だ。放っておくと視界は閉ざされてしまう。

 養老孟司氏は次のように言う。
  ―― 個性とは、じつは身体そのものなんです。でもふつうは、個性とは心だと思ってるでしょう。心に個性があったらどうなるか、まじめに考えてみたことがありますか。心とはなにかといえば、共通性そのものです。なぜなら私とあなたで、日本語が共通しています。共通しているから、こうやって話して、あなたがそれを理解します。同じ日本語で話しても、それが理解できなかったら、どうなりますか。つまり通じないわけです。通じなかったら、話す意味がありません。 (「逆さメガネ」PHP新書) ――

 なぜ日本人がダメになるか? ―― 素っ頓狂な杞憂ともつかぬ愚案を巡らすのは、心を通じ合う便(ヨスガ)が危ういからだ。共通するはずの日本語が与太っているからだ。
 この期に及んで、お上は「英語教育」などと能天気なことを言い始めている。順序がアベコベだろう。英語なんぞ、アメリカにでも行ってみりゃあ三つのガキでも立派に喋る。ところが日本では、三十路のおとなが使う天下の日本語が与太っているのだ。
 もちろん、心根の具現がことばだ。正すべきは心根でもある。しかし、両両相俟ってことは成る。先ずは一歩を。一言を。と、切に願うものである。 
 以上、欠片の主張でありました。□

一瞬の笑顔

2006年11月06日 | エッセー
 「排球の佳人たち」が戻ってきた。2006バレーボール世界選手権。4年に一度、出場24チーム、オリンピックと並ぶ大勝負である。緒戦は落としたものの、日本の快進撃が続く。8日からは名古屋に場所を移して、2次リーグだ。
 この世界、浮沈が激しい。栗原は2年近く顔を見ない。引退まで囁かれている。昨年のエースアタッカー・大友は消えた。荒木が後を襲い、レギュラーの座を確保した。新星・小山は戦力の一角を占めるまでになった。大山は故障。巨砲の姿はない。ベテランも安泰ではない。宝来、杉山は控えに回ることが増えた。
 その杉山 祥子。1・2戦はとうとう出番がなかった。迎えた第3戦。対ケニア。第3セットから、ついに宝来に替わって杉山が登場する。
 
 第3セット  日本:2―ケニア:0 
 ケニアがレフトからスパイク
 竹下が受ける
 高橋(み)が短いトス
 杉山が速攻
 見事に決まって1点

 杉山、今大会初の得点であった。この時だ。数年に一度のいい笑顔に出会ったのは ―― 。杉山ではない。トスを挙げた高橋みゆきだ。画面の端に一瞬、高橋の笑顔がはじけた。えもいわれぬ会心の笑みだ。それは、得点が成った喜びではない。友の復帰への喜びだ。刹那の場面ではあったが、しかとわが目に焼き付いた。
 こんな笑顔は人を幸せにする。値千金の笑顔だ。自分のことではない。他人の勝利に送る笑顔は美しく、すばらしい。昨今、忘れかけていたものがそこにあった。いま、お笑いはあっても笑顔は少ない。極端に少ない。こころが涸れているのか。
 スポーツには人生が凝縮される。観戦の楽しみは、それを味わうことでもある。挑戦、栄光、歓喜、挫折、精進、そして復活 ―― 。アスリートたちが見せる一顰一笑はそれらの写し絵だ。
 現役で、シドニーの苦杯をなめたのは竹下、高橋(み)、杉山の三人だけになった。すでにベテランである。10年近く苦楽を共にしてきた輩(トモガラ)である。バレー王国復活の夢を、彼女たちは青春を丸ごと投じて紡いできた。かつ、高橋(み)と杉山は同じNECだ。そのような背景を下敷きに、わたしはあの一瞬の笑顔を堪能した。
 勢いに乗った杉山は、1セットだけで7得点を上げる活躍を印す。監督の采配もまた称賛に値する。

 以下、余談ながら。
    美人進みて以て宴を受け
    調べ歓欣にして以て客(カンバセ)を解(ホコロ)ばす
    廻顧すれば百万
    一笑すれば千金
    飛穀(ヒコク)を振って以て舞袖(ブシュウ)を長くし
    細腰をしなやかにして以て抑揚を努む
 酒宴たけなわの時、美人がすぅーと進み出て、ひとさしの舞を。調べも心地よく、彼女の顔はほころぶ。ちらりと振り返るその眼差しは値百万。ほほ笑みは値千金。軽やかに絹の袖は長く泳ぎ、その細い腰は妖艶にたゆとう。

 後漢の世に創られた漢詩の一節。「一笑千金」はここに来由する。太古の昔より、やはり一瞬の笑顔は千金に値するのだ。

 秋の夜長。「排球の佳人たち」がまた魅せてくれる。□

第50回記念 「おまえの話はつまらん!」

2006年11月02日 | エッセー
【腹芸の部】
 日本の核保有論議が物議を醸した。「核保有論議」は「核保有」と「論議」に分けて考える必要がある。
 「核保有」については、拙稿「もう一人のグル」で述べた。愚考、駄文であることを承知で引用する。
  ―― 1945年8月6日、人類は核を兵器とする時代に入った。史上、空前絶後のエポックであった。信じがたいことだが、核を「大いなる爆弾」としか認識し得ない人びとが世界の大半だ。61年を経てもなお、サタンであることを叫び続けねばならない。わが国の責務として。
 兵器に非ざる兵器が核である。その使用はガイアをたちまちにして『猿の惑星』に化す。抑止論なる巧妙な言い逃れも生んだが、核は他の兵器とは次元を異にする。核は拳銃ではない。「ダモクレスの剣」だ。
 今や主権国家はあっても、一国のみで自立自存する国などとうにない。二度の大戦を経るなか、20世紀初頭からの世界の歩みは、各国固有の権利に縛りをかけるものであった。軍事権までも供しようとするEUは、国家の時代を超える壮大なる挑戦である。
 いまだ、3万発の核弾頭が地球を覆う。オーバー・キルの白刃(ハクジン)の上に身を乗せ続けている。廃絶を夢物語だと打棄(ウッチャ)る前に、人間が生んだ問題ならば人間の手で解決できない筈はないと、なぜ考えない。 ――
 アメリカは小型化した『使える』核兵器を開発しているらしい。猿知恵以外の何ものでもない。限りなく通常爆弾に近い核兵器とは、一体何であろうか。悪魔の自己撞着だ。『円い四角』でも作ろうというのか。中性子爆弾、劣化ウラン弾もある。郢書燕説(エイショエンセツ)、ここに極まれりだ。
 ※中性子爆弾:大量に放出される中性子により兵士を被爆させて殺傷することを目的とし、破壊力を抑えている。構造物ではなく人間だけを標的にする。「きれいな核爆弾」と言われるのは、死の灰が少なく放射能汚染が比較的小さいため。/劣化ウラン弾:核廃棄物を再利用。硬度が高く大質量であるため破砕力、焼夷効果が格段に優れる。対戦車砲の外あらゆる火器に使用可能。しかし放射能汚染の懸念がある。
 アメリカの戦略は、これ以上保有国を増やさないことで一貫してきた。ところが、例のカーボーイがホワイトハウスに乗り込んできて以来、雲行きが怪しい。イランはダメだがインドはいいと言い出し、核分野での協力協定まで調印した。どうもダブル・スタンダードが十八番(オハコ)らしい。今度は、日本の保有を容認する意見が一部に出ていると聞いた。その中にキッシンジャーの名前もあった。真意を計りかねる。パワー・オブ・バランスの徹底したシミュレーションの上であろうか。『保有のドミノ』は思慮の外なのか。
 ダモクレスの頭上にある剣を繋いでいるのは馬の尾の、しかも一本の毛だ。何度でも言おう ―― 核兵器は、絶対の悪だ。

 片や与党の政策責任者、片や現職の外務大臣。批判に対して、さすがに憲法21条を掲げることはなかった。そんなことでもしようものなら、いいとこ取りのご都合主義者として世の糾弾を浴びたことだろう。両人とも名うての改憲論者だ。それは免れたものの、いかにも政治的センスがない。
 国としての論議には至らずとも、論議が大勢にでもなれば、グルの術中にはまるのは目に見えている。ブラフと見透かしてもなお自己正当化の餌食にする。手練手管は群を抜く。今までの経緯(イキサツ)を見れば明らかだ。
 九思一言。前後左右を見渡して、棋士の如き深慮遠謀の末に言動に出(イズ)る。それが政治家の資質であろう。自らを座標の中に置いて見定める料簡がない、とでも言おうか。綸言汗のごとし、とまでは望まずともなんとも口も尻も軽い。
 むかしは『敢えて語らない発信力』を知り尽くした政治家がいた。腹芸という。語らない凄味だ。いまは、かまびすしく飛び跳ねる雀ばかり。そのくせ腹だけは一人前に黒い。
 外務大臣は洒落っ気だけは祖父から隔世遺伝されているようだが、政治的センスもスタンスも伝わってはいない。政調会長は政治信条だけは父親からしかと受け継いでいるようだが、センスはいただけない。アンバイ政権の塩梅やいかに、だ。
 
【偽装の部】
 ベンツとBMWを1台ずつ持っていたわりには500万円の保釈金が用意できず、いまだ拘留中の男がいる。姉歯秀次元1級建築士である。
 9月6日、東京地裁で初公判があった。以下、朝日新聞から。
 《 姉歯被告、起訴事実をほぼ認める 偽証の犯意は否認
 耐震強度偽装事件で、議院証言法違反(偽証)と建築基準法違反などの罪に問われた元1級建築士、姉歯秀次被告(49)の初公判が6日午後、東京地裁(川口政明裁判長)で始まった。姉歯被告は起訴事実をほぼ認め、偽証については犯意を否認した。公判は早期に結審する見通しだ。
 姉歯被告は昨年12月に衆院国土交通委員会で、マンションなどを施工した木村建設(熊本県八代市)の元東京支店長・篠塚明被告(45)=建設業法違反(粉飾決算)の罪で公判中=からコスト削減の圧力を受けて偽装したと説明した。しかし、捜査が進むにつれてうそが明らかになり、木村建設側に責任を転嫁しようとしたことを認めた。 》
 「コスト削減の圧力を受けて偽装」 ―― 構図としては分かりやすい。さもありなん、である。国会もマスコミも一斉に元支店長のバッシングを始めた。マスコミは執拗に追跡し、カメラを向けた。40を少し過ぎたにしては貫禄のあった彼の容貌は、この一年で見る影もなく老い込んでしまった。
 つまり、マスコミは姉歯の口車に乗せられてしまったのだ。「建築会社の圧力による偽装」という先入主に囚われてしまった。というよりもその先入観がまずあり、姉歯がそれに乗じたのかもしれない。作られた事件の構図であった。まだ一審の段階、確言はできないがマスコミにミス・リードがあったことは紛れもない事実だ。
 念のため付言する。元支店長は粉飾決算では東京地裁で有罪判決を受けている。これは別件だ。上記は耐震偽装の裁判である。
 警察の見込み捜査、マスコミによるミス・リード ―― 松本サリン事件の河野義行さんの例は陰惨を極めた。マスコミには学習機能がないのだろうか。ワープロ並の学習機能でもあれば、冤罪は防げる。特にテレビメディアの責任は重い。「人を殺して血も見せない武器がある。それはデマを製造することだ」とは、魯迅の至言だ。カメラアングル一つで見せないことも、見せることもできる。『テレビ丸受け』は百害あって一利なしだ。
 仄聞するところ、姉歯は頭髪も偽装していたらしい。これは罪にならないのか。偽証罪はあっても、『偽装罪』はないのか。ええい、ヅラからせてなるものか!

【挨拶の部】
 今回の投稿で、本ブログは50回となりました。約10万語、400字詰め原稿用紙で250枚の駄文を書き連ねて参りました。駄稿も重ねて節に至ると、一つの感慨です。呆れながら、辟易しながらお付き合いくださった方々に衷心より御礼申し上げます。
 大滝秀次じいさんなら、きっと「お前の話はつまらん!」と一喝するでしょう。でも、めげずに100回を目指してリスタートします。皆さま、旧倍のご鞭撻を。
 さて、今年の流行語大賞は何になるでしょう。わたしの一押しは秀じいさんのこの一喝です。「ポスト・バブルの特徴は実践重視。評論家のように理屈を並べるより実践だ」と分析していた識者がおります。そのような背景があってこのフレーズは受けたのかも知れません。私のような口舌の徒にとっては頂門の一針です。
 わたしの場合、バブルとは無縁でした。ですから、ポスト・バブルはありません。ずーとプレ・バブルです。お陰で、石鹸もいっかな減りません。きょうは記念日。ひとつ一念発起して、風呂にでも入りましょうか。□