伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ついこないだの話

2017年09月28日 | エッセー

 決して古い話ではない。彗星のごとく現れ流星のごとく消えた一国の宰相がいる。それもG7の一角、わずか3年前に登場し昨年12月に退陣した。イタリア前首相マッテオ・レンツィである。
 2010年代に入り、長く低成長と低インフレが続くイタリアは第2のギリシャになると危惧されていた。学者首相マリオ・モンティを据えてはみたものの、緊縮財政で不況はより深刻に。安全パイで打った次のエンリコ・レッタはなにもできないまま短命で終わり、経済はどん底に。そこに彗星のごとく現れたのが国政は未経験、39歳のマッテオ・レンツィであった。
 04年29歳でフィレンツェ県知事に当選。07年の政界再編で民主党結成に参画し、09年フィレンツェ市長に転身。次々に市政改革を実行した。満を持して13年には再度の挑戦で党書記長選に圧勝。明けて14年2月ついに大統領から指名を受け、イタリア史上最年少の首相となった。
 イケメンでバリバリ。側近は彼を3分以上座らせておくのに苦労したと言われた。日曜も返上、早朝から仕事にかかり寝るのは明くる日の午前2時。既得権にしがみつく連中はみんな「廃車処分」にすると呼ばわった。閣僚を大幅減員、半数は女性。平均年齢は47歳だが財務には重鎮を配し、本邦流「仕事人内閣」であった。
 手始めに、閣僚が乗るマセラティ・ジャガー ・BMW・アルファロメオなどの高級車をごっそり競売に掛けた。単なる観光地からの脱却を訴え、経済の抜本的改革を掲げた。月に一つの改革を約束し、労働市場改革にも手を打っていった。甲斐あってか、翌15年には経済の好転が報じられた。
 イタリア民主党は中道左派である。だが彼は改革には左派も右派もないとし、政敵ベルルスコーニ元首相とも政策協定を結んだ。これには民主党左派が強く反発した。いわば守旧派の壁である。改革のため彼が打った手は自らが握る書記長の地位を活用することだった。先ず改革案を党議にかける。党議のメンバーは党員であり、大半は議席はないが彼の支持者。党議決定で党内を自案に統一できる。守旧派の議員も議会では賛成せざるを得なくなるという仕掛けだ。この強行突破を繰り返し既得権を却け改革案を通していった。しかし際立った結果はなかなか出ない。
 急いては事を仕損ずる。性急で強権的な手法に不満が高まった。というより、独裁制志向に転じたというべきか。前稿でも述べたが、行政府と立法府の一体化、行政府による立法府の取り込みを狙ったと見て取れる。改革の金看板を掲げ、立法府の権限削減に打って出たのだ。
 比例代表制に再選挙や総取りに近い細工を加え、多数派の形成を図る選挙法の改正。地方議会や上院の権限を大幅に縮減し、法案の成立を加速させる実質的な一院制への移行。そのための憲法改正を問うて、国民投票に踏み切った。否決されれば辞任と公言。事実上の信任投票となった。俄然反撃の烽火を上げたのが「廃車処分」と槍玉に挙げられた既得権益層、中高年層。事前調査で反対が圧倒的となり大差での否決が明らかになったため、昨年12月7日、投票を待たずに辞任を表明した。
 と、以上が概略の流れだ。なぜかアンバイ君にもK池女史にも二重写しになるからフシギだ。約(ツヅ)めれば独裁志向が潰えたともいえるし、共和制の逆襲といえなくもない。前稿を引こう。
 〈立法と行政が一体化した独裁制の対立概念は何か。内田 樹氏は、独裁制の対立項は共和制だという。共和制では立法権と行政権が分離され、統治機構の内部で権限が複数のセクションに分割されている。具体的には両院制、三権分立、弾劾裁判、憲法裁判制度などの様々な形を取るとする。しかし本質は制度ではなく「統治のマナー」にあるという。「重大な決定については、それぞれ立場や基準が異なる複数の審級を経由させて、最終的な結論が出るまでに長い時間をかける。一時的な熱狂や、カリスマ的政治家の巧みなアジテーションには重要な決定を委ねてはならない。まずは頭を冷やす。共和制は、人間がことを急いで、熱狂的な状態で下した決断は多くの場合間違ったものだったという歴史的教訓から人間が汲み出した知恵です」と。さらに「共和制とは意図的に作り込まれた『決められない政治』システムのことです」と言い切っている。〉(抄録)
 失念するところだったが、彼の国の正称は「イタリア共和国」である。『共和』の2文字が象嵌されている。レンツィの失脚は国の立ち位置に揺り戻されたというべきかもしれない。アンバイ君は対岸の火事にしないでほしい。ついこないだの話だ。反面教師とせねばなるまい。
 同時にK池女史にも同じ轍を踏まぬよう切に願いたい。「廃車処分」の逆襲もなかなか侮れないものである。タクティクスには長けていてもストラテジーには熟議が必要だ。イタリア民主党は前記の07年政界再編で旧共産党系と旧キリスト教民主主義勢力左派などが合流した「寄り合い所帯」である。政争の産物だ。それもありではあるが、政論の産物ではない。レンツィは早くも返り咲きを画しているし、今民主党は分裂含みで揺れ動いている。本邦ではかつて日本新党・細川政権の無様な顚末があった。忘れるほど昔ではない。ついこないだの話だ。 □


統帥権独立と7条解散

2017年09月26日 | エッセー

 百万陀羅というべきか、馬鹿の一つ覚えというべきか、二言目には「解散は総理の専権事項」が政府・与党で繰り返された。本当にそうかという疑義は学者の間にもある。玄人でもない一民草ではあるが、稿者には極めて耳障りなフレーズだ。突飛かも知れぬが、「統帥権干犯問題」が想起されてならない。
 昭和5年、ロンドン海軍軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣を軍部と時の野党が激しく攻撃した騒動である。慣例通りの交渉であり天皇の裁可も得ていたものを、政府が独断で兵力削減に応じたのは天皇大権である統帥権を犯すものだと、突如異を唱え大混乱となった。野党の急先鋒が鳩山一郎だったというから、宇宙人・鳩山由紀夫との隔世の感にたじろいでしまう。
 この「統帥権干犯!」が、妙に「専権事項!」に重なる。
 明治憲法は明治22年に公布された。その11条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とある。このたった10文字が後々の元凶となった。実際には、陸軍参謀本部と海軍軍令部が陸軍省、海軍省にも優越し天皇に直属する幕僚となって軍隊の運用権限を独占する形となった。司馬遼太郎はこれを「超憲法的な思想」と指弾し、戦前日本を「鬼胎」に落とした正体と問詰し、ガン細胞と断じた。
 〈陸軍参謀本部というのは、はじめはおとなしかった。明治四十年代に、統帥権を発見した。憲法と勅諭とを根拠にして統帥権ができる。つまり、三権分立を四権にしてしまう。それだけではなく、他の三権を超越する。参謀本部は陸軍省ではないわけです。省の軍人は行政官ですからね。参謀本部は全部天皇の幕僚なんです。幕僚そのものに権力があるということになってしまって、たとえば辻政信が全部かき回すことになっていくわけでしょう。「師団長が何を言うか」と言われれば、師団長も黙ってしまう。〉(「司馬遼太郎対話選集」から抄録)
 司馬が「明治40年代に・・発見」というのは、日露戦後、明治41年に軍関係条例が大改訂され陸軍大臣からも独立する機関になり独走していった経緯を指すのであろう。
 内田 樹氏も同趣旨の見解を述べている。
 〈大日本帝国の最大の失敗は、天皇に属し、世俗政治とは隔離されているはずの「統帥権」という力を帷幄奏上権を持つ一握りの軍人が占有したことにあります。「統帥権干犯」というトリッキーなロジックを軍部が「発見」したせいで、いかなる国内的な力にも制約を受けない巨大な権力機構が出来てしまった。〉(「月刊日本」5月号から抄録)
 統帥権はプロイセン憲法を参考にして明治憲法に組み込まれた。君主制国家で君主が軍隊の最高指揮権をもつことはごく常識的だった。ただ日本では、君主がすべてに大権を振るうというより名目的な裁可が実態であった。その間隙に「統帥権を発見」されたり、「トリッキーなロジック」を差し込まれたのだ。しかし事はより複雑で、統帥権は憲法以前にすでに確立されていたのだ。明治11年、明治憲法の10余年前に「参謀本部条例」が勅令として発布されていた。
「帷幕ノ機務ニ参画スルヲ司トル」
 がそれで、参謀本部本部長は陸軍省から離れ天皇に直結する旨定められた。実はこの明治11年が肝だ。前年に起こった西南戦争での悪戦の原因が不鮮明な指揮系統にあるとみたようだ。急拵えの国軍は官位の横滑りや編成の不整合により齟齬をきたした。その反省に立って、まずは「帷幕ノ機務」を独立させようと図ったのであろう。加えて、陸軍を握る山形有朋の軍事的優位を離すまいとする思惑があったともいわれる。つまり憲法という一国の基本法に先手を打って既得権を確保していたことになる。なんとも巧妙というべきか。
 四捨五入して日本の歴史を振り返ると、過去3度大国の制度を取り入れ自国のシステムチェンジを図ったことがある。
 初回は律令制。701年の「大宝律令」がそれである。いわば法治国家へのグレードアップだ。ところが、唯一科挙だけは除いた。なぜか。100年前の603年に「冠位十二階」が制定され貴族制が布かれていたからだ。中国は貴族を排するため科挙という1代限りの厳格な壁を作った。だが本邦には貴族がすでにいた。だから既得権を手放すはずはなく、貴族制と官僚制が重畳する“変則”が連綿と維新まで続くことになる。武士は貴族制の先住者を追い出し入れ替わったに過ぎない。高位の武士が官位に拘り続けたのはその一象徴だ。
 2度目は明治維新。欧州の大国に倣いフルモデルチェンジを狙ったが、天皇の絶対化に伴い長州閥による既得権益が紛れ込んだ。それが如上の統帥権である。
 3度目は敗戦によるアメリカナイズ。ここでも換骨奪胎が行われた。その極めつきが「7条解散」ではないか。先月29日の拙稿『片翼飛行(承前)』で「民主制と独裁制は対立概念ではない」という内田 樹氏の洞見を引いた。では、立法と行政が一体化した独裁制の対立概念は何か。氏は、独裁制の対立項は共和制だという。共和制では立法権と行政権が分離され、統治機構の内部で権限が複数のセクションに分割されている。具体的には両院制、三権分立、弾劾裁判、憲法裁判制度などの様々な形を取るとする。しかし本質は制度ではなく「統治のマナー」にあるという。
 〈共和制であるために必要な条件は、ひとつだけです。それは、国政の根幹に関わること、国のありように関わるような重大な決定については、それぞれ立場が違い、ことの正否を判定する基準が異なる、複数の審級を経由させて、最終的な結論が出るまでに長い時間をかけるということです。国民の一時的な熱狂や、カリスマ的政治家の巧みなアジテーションには重要な決定を委ねてはならないということです。複数の視座から眺める。複数の度量衡を当てはめる。とにかくまずは頭を冷やす。共和制は、人間がことを急いで、熱狂的な状態で下した決断は多くの場合間違ったものだったという歴史的教訓から人間が汲み出した知恵です。〉(「アジア辺境論」から抄録)
 そしてさらに「共和制とは意図的に作り込まれた『決められない政治』システムのことです」と言い切っている。“民主政治”の画竜点睛はこれなのだ。これ以外にはない。実に溜飲が下がり、腑に落ちる。独裁への歯止めはここにある。しかし氏は続けて、
 〈日本人はどんな制度についても「アメリカでは……」と言って、それを模倣しようとするくせに、アメリカの統治システムの制度設計の基本原理であるところの「共和制的な制度によるリスクヘッジ」だけはまったく模倣する気がありません。〉(同上)
 と糾弾する。だから「7条解散」は共和制の対極に位置する、換骨奪胎の極めつきだというのだ。
 辺境国家の習い性か、悪知恵か。中心国家に学びはするがいつもバイパスを潜ませて換骨奪胎して、終にはエピゴーネンに堕してしまう。大括りにすれば、そうなる。
 付言しておきたい。
 少子高齢化とNKの脅威という2つの国難への「国難突破解散」だと、アンバイ君は宣うた。大層な言葉遣いは戦前志向の地金が出たといえるが、本当にそうか。少子高齢化は17年9・10月に突然降って湧いた災厄なのか。問題の立て方は別にして、長い長い国家的課題でありつづけてきたはずだ。それがなぜ刻下に抜き差しならぬ事態に立ち至ったのか、まったく料簡できない。「それぞれ立場が違い、ことの正否を判定する基準が異なる、複数の審級を経由させて、最終的な結論が出るまでに長い時間をかける」マターではないのか。それがなぜ今なのか。
 NKについては長年月にわたる数々の判断ミスと失策の累積として惹起したことだ。それを懺悔するならともかく、戸締まりを抜かっておきながら今さら縄を縫うのでは泥縄ではないか。まるで理屈があべこべだ。まさしく「国民の一時的な熱狂や、カリスマ的政治家の巧みなアジテーションには重要な決定を委ねてはならない」マターである。術中に嵌まってはなるまい。
 ともあれ、こんなのは『独裁突破解散』と呼ぶにふさわしい。「専権事項!」の連呼が軍部独裁を招いた「統帥権干犯!」に吹き替えられたようで堪らなく不快だ。是が非でも独裁『阻止』総選挙にせねばなるまい。 □


駄目コメンテーター

2017年09月22日 | エッセー

 先日の“ひるおび”でのこと。「この解散は党利党略そのもの」との声に、「党利党略が政治です」と時事通信社の田﨑某が応えた。こういう徒輩が政治をダメにする。どうダメにするか──。
 政界通と称する人物が知れ切った本音を準ってみせて、果たして視聴者の政治的関心は高まるだろうか。無関心層の漸増に与するだけではないのか。この人物、元々政権与党のパラサイトに違いなく、聞きかじった永田町ネタで世を渡るのが家業だ。芸能人風情がしでかす社会的正義となんの関係もないゴシップで食いつなぐ芸能レポーターと異なるところはない。下衆の勘ぐりはできても、上衆(ジョウス)の高見はない。田﨑某なぞ政局は得意然と語れても、政策の適否や政治理念の深浅について自ら披陳したことなどついぞない。もっともそのような識見や能力がないからこそ永田町レポーターに終始しているのであろうが。
 「党利党略が政治です」といって憚らない政治三流国のままでいることに、彼は何の危機感も持っていない(多分、いやきっと)。嘆きもしない。憤りもしない。その真因を探ろうともしない。政権にバイアスのかかった政界の動静だけを垂れ流す。あるいは永田町の手練手管にフォーカスする。木を見て森を見ることはない。政治を政局に矮小して恥ずるところがない。だから冒頭の発言が生まれるのではあるが、それで果たして視聴者の政治的視野は広がるだろうか。井戸端会議はできても、問題提起はできるのか。夢や理念を語る青臭い論議を貶め、政治的レベルの漸減に与するだけではないのか。
 一方的断定や過言と難ずる向きがあろう。しかし田﨑某の発言を聞いてほしい。いかなるマターについても、常に「政権にバイアス」がかかっている。つまり政権への批判がない。これは際立った特徴だ。世に公平無私な報道があるであろうか。それは絵空事だ。ならばジャーナリズムは常に弱者の側に立たねばならない。権力に対峙するのがジャーナリズムの普遍の立ち位置だ。なぜなら、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」からだ。この英国の歴史家ジョン・アクトンの箴言は時代と国を超えて普遍だ。時の政権に正対しないジャーナリストはおよそ権力のプロパガンダでしかない。
 ともあれ官邸目線で政治ではなく政局しか発信しないにもかかわらず、政治評論家を名乗る手合いがTVメディアに出現したことに一驚を喫する。先月の拙稿『片翼飛行(承前)』で述べた行政府による立法府の劣化策のメディア版であろうか。内田 樹氏の「独裁制をめざす行政府は、何よりもまず『国権の最高機関』である立法府の威信の低下と空洞化をめざします」との洞見が呼び起こされてならぬ。
 さて、「7条解散」である。民主主義の老舗イギリスでは下院の3分の2に解散権の壁を高くした。フランスでは総選挙後1年間は再度の解散ができない。ドイツでは下院の解散は首相選挙が3回までに決着しない場合に限られる。トップの一存で解散できない方向が世界の流れだ。恣意的な権力の濫用を防ぐためである。この点に関してなら憲法改正に同意したい。なによりこれは憲法の抱える大いなる瑕瑾である。立法・行政のバランサーとしては遍頗に過ぎる。実態的には「立法府の威信の低下と空洞化」どころか、息の根を止める独裁制ではないか。シングルイシューに限った国民投票の代替として使われたことはあったが、それとて決して誉めたものではない。悪知恵に長けたホラ吹きに悪用されかねないし、現にそうなった。「党利党略が政治です」などと澄まし顔で済む話ではない。 □


大相撲 クライシス

2017年09月16日 | エッセー

 100年に1度の危機だという。横綱、大関7人中5人休場。実に7割。幕内力士では42人中7人が欠場。2割弱に当たる。ほとんどが怪我による。かつてサポーターをしている力士は稀だったが、今はしていないのが珍しい。安全管理からいうと、負傷者だらけで現場を切り盛りしているに等しく落第だ。報道によると定価1万6千円のマス席が8千円の半値で売り捌かれているという。経営においてもピンチだ。
 舞の海氏は重量化が原因とし、一方シコ不足を指摘する見方もある。雑把に掴めば、重量化は飽食の時代を表徴し、スポーツ界でのウエイトトレーニングの隆盛はシコ不足を誘発したといえる。前者がフィジカル、後者がソフト面の起因ともいえよう。さらに過密な巡業で疲れが溜まっているとする意見もある。こちらはエンタテインメントとしての宿命か。だが同時に交流稽古の場でもあり、捨て難いチャンスでもある。按配の問題だ。やはり、主因は前2者であろう。
 重量化の弊害は照ノ富士や逸ノ城に典型的だが、押し並べて膝にウィークポイントを抱える力士は数多い。重量化に骨格がすぐさま対応できるわけではない。事がフィジカルだけに、特に体重と膝の拮抗関係は科学的分析を重ねる必要がある。でき得れば指数化して危険ラインを明示できるよう、協会を挙げて取り組むべきではないか。
 シコは四股と書き、豊作を願い地を踏み固めて地力を高める呪術であった。後みにくいではなく強いの謂で「醜(しこ)」を使い、強者を踏み破る示威行為を「シコを踏む」と呼んだ。醜名はそこから来た。ともあれ、土だ。ところが事情は絡み合い、巡業先は土俵以外土がない。膝への負担が心配で、シコが減る。醜が敵手から足許に変わってしまった。これは為せぬ改善ではなかろう。
 初の国立大学出身力士で、現在相撲研究家として知られる松田哲博氏はシコについてこう語る。
 〈今は高々と足を上げる力士がもてはやされますが、明治大正の頃は膝を曲げて足先の力を抜いていましたから、だらんと膝から下がるような形になります。昔の土俵入りでは、絶対足裏を見せるなといわれたものですが、現在では足裏を見せ、いかに足を高く上げるかを競うようなところがある。しこの踏み方もだいぶ変わってきていると思います。〉
 内田 樹氏との対談『日本の身体』(新潮社)での見解だ。意外だが、さすがに深い。「もてはやされ」始めたのは貴乃花あたりからか。宇良が刻下最右翼だ。「足裏を見せないというのは、他の武道の型でもよくあります」と内田氏は受け、
 〈狭いスペースでもできますし、自分がどこの筋肉を使っているかよく感じながら踏むと、本当に面白い。残念ながら若い人にはその面白さがなかなか伝わらないのですが……。〉(同上)
 と、松田氏は続ける。同著の別の対談で、内田氏はより踏み込んでいる。
 〈温帯モンスーン地域において、しばしば地面は深い泥濘となって脚部に絡みついた。その上を進むためには、足裏をぴたりと地面につけて、すり出すように足を前に進め、荷重をできるだけ足裏全体に「散らす」という歩行法が要求される。列島の自然環境は住民たちに泥濘を歩む「すり足」を要求した。そこから腰をやや低めに据え、軽く前傾して胸を落とし、股関節の可動域を広めに確保できる姿勢が導き出された。すり足はこう言ってよければ、「足裏の感度を最大化して、地面とのゆるやかな、親しみ深い交流を享受する」歩行法である。〉(抄録、以下同様)
 してみれば、シコのありようは太古に起源をもつ本邦独自の身体運用といえる。松田氏がシコによる健康法を唱えているのも深遠な洞察に依るのだ。
 ウエイトトレーニングはどうか。松田氏は
 〈私が入門した昭和五〇年代後半頃は、ウェイトトレーニングは非常に嫌われていましたが、今では特に取り沙汰されることはありません。若い頃はかなり必死にやりましたが、今は完全に否定派です。ある段階から先へ進むためには、かえって邪魔になることが多いように思います。しことてっぽうの稽古の質、量の低下が、怪我を増やす原因の一つになっているのではないかと考えています。〉
 と、反対を宣する。「かえって邪魔になる」とは興味深い。それは、続く内田氏の
 〈働くときは人間とにかく楽をしようと思いますから、さまざまな筋肉に均等に負荷をかけるように身体を動かします。だから労働でついた筋肉は変にもりもりにはならない。ウェイトトレーニングはちょうどその真逆ですからね。 〉
 に呼応し、分解、分析、細分化を旨とする近現代の指向性へのアンチテーゼにも聞こえる。耳を欹てる触りだ。
 少しずれるが、松田氏が双葉山の肩胛骨に触れている。この遣り取りがおもしろい。
 〈松田:現代では引きつけが利くからというので「上手は浅く」が相撲の鉄則ですが、双葉山さんは割と深いんです。がばっとまわしを取って、引きつけずに、肩胛骨で相手の身体を押さえてしまう。そうするともう相手は動けませんから、ころん、と。
内田:やっぱり肩胛骨の使い方が違うんでしょうね。みんな「腕」は肩の付け根から始まると思っているけど、双葉山関などは肩胛骨から先を腕として使っている。肩胛骨には体幹部の筋肉がつながっていますから、柔らかく見えても、肩から先の腕の力だけとは比べものにならない大きな力が伝えられると思います。
松田:一世を風靡した双葉山さんも、脇は結構甘いんです。でも相手を肩胛骨で押さえているから、まったく動けなくなる。腕の筋肉で引きつけるのとは違います。〉
 さらに、
 〈双葉山さんの動きはまさに甘みがあって柔らかいので、素人目にはあっけなさすぎて面白くない。〉
 とも述べ、大相撲の深奥を覗かせる。
 伝統の国技といえども、大相撲も時代の子だ。フィジカル、ソフト、エンタテインメントの3面から変化の風を受ける。そのような淘汰圧の先鋭的帰結として今回の危機が惹起しているとしたら、ここはしばし踏み留まらねばならぬ。洒落ではなく原点の大地にしっかとシコを踏み、「足裏の感度を最大化して」すり足のごとく歩みを運ばねばならぬ。一過性のアクシデントとして去なしたなら、禍根は肥大し逆襲する。 □


“おや??”な2人

2017年09月12日 | エッセー

 「震災に続く様々な事情で亡くなった」とは、関東大震災の混乱時に虐殺された朝鮮人への認識を問われての応えだ。小池都知事が言う「様々な事情」の中には、もちろん人為的ではない災害死、災害関連死もあったろう。しかし圧倒的多数は「虐殺」であった。それは知れきった事実だ。人数のカウントが千人単位で変動するほど大規模であった。1人ですら紛れもない殺人である。たったひとつの紡がれつつあった人生が風評の嵐に突然消し去られた。それだけで充分罪だ。弔われるに十全な根拠がある。だが知事は「特別な形を控える」として、虐殺された朝鮮人などを追悼する式典への追悼文送付を取り止めた。去年は送付し、あの石原元知事でさえ寄せていた追悼文の慣行を突如破ったのだ。
 「歴史家がひもとくものだ」とも知事は述べた。どこかの虚言宰相と同じ言いぶりなのが気に掛かるが、94年もの間にとっくにひもとかれている。別けても、吉村 昭の「関東大震災」は出色だ。拙稿では11年11月『二つの大震災』と題し、同書を底本に同年の東北大震災といくつかの視点から比較衡量した。以下、抜粋。
 〈【朝鮮人来襲説】に類する事例は、今回皆無に近い。ラジオ放送の開始は2年後の1925年だった。当時は新聞しかなく、マスコミの普及は今日とまったく様相を異にする。なにせ、津波が襲う様子を全国がテレビでリアルタイムで観ていたのだ。ネット、ケータイなど情報事情もまるっきり違う。隔世そのものだ。さらに、韓流ブームである。ブームどころか、文化として根づきつつある。朝鮮人に関する限り、流言の生まれる土壌はすでにないとみたい。こちらも隔世した。〉
 「隔世」とはいったものの、「隔世の感」ではく「隔世遺伝」の隔世に横滑りしたようだ。なんとも、“おや??”である。どう考えても中止にベネフィットは見つからない。自民党都議からの中止要請に応じたとの報道もあるが、代議士時代に副幹事長であった日本会議議員懇の価値観がいまだに伏流しているのかも知れない。あるいは働きかけがあったか。議員懇の名誉顧問である某首相に戦略的配慮をしたのか。ともあれ、異常事態での風評事件は汚点であると同時に将来への教訓でもある。蓋をしたのではなにも生まれない。都知事自身の汚点にならぬよう願いたい。
 「偽情報がテロリストを助けている」と、あたかもフェイクニュースといわんばかりの言いぶりなのがアウンサンスーチー国家顧問兼外相である。これでは某国大統領と同等ではないか。ミャンマー西部で少数派イスラム教徒ロヒンギャが治安部隊の掃討を受けて虐殺、暴行が行われ10数万人の難民が発生している。明日には国連が緊急会合を開くなど国際社会に深い憂慮を生んでいる。同じノーベル平和賞受賞者であるマララ・ユスフザイ女史もミャンマー政府を「悲劇的で恥ずべき扱い」だと非難する声明を出し、スーチー氏に「同じように」非難するよう求めた。
 非暴力民主化運動の指導者と謳われたスーチー氏だが、意外な対応に戸惑う。長い軍部との抗争、角逐からやっと手中にした民主化のとば口を護ろうとする戦略的配慮なのかも知れない。隠然たる軍部勢力への深謀遠慮であることを願うばかりだが、人権の金看板に傷が付きかねない。やはり“おや??”だ。
 木で鼻を括ったような対応は2人に共通するのだが、“おや??”の核心にあるのは民族である。国内における少数民族への差別だ。奥にあるレイシズムの黒い影だ。怖気立つ人類の宿痾だ。
 イラン革命やベルリンの壁崩壊を予言したことでも高名な未来学者であるローレンス・トーブ氏は人類の進歩について肯定的である。人類の長遠な歴史の中で人種差別、性差別、宗教的差別、植民地主義的収奪や奴隷制度は罪とはされて来なかったが、19世紀以降に至って罪悪視が定着したと、氏はいう。曲折はあったものの、当該行為がなされる当事国には少なくとも国際に向けて正当性や根拠についての説明責任が生まれてきた。だから、人類は内面的に成熟し人間性に対する配慮を深めつつあるというのだ。だとすれば、2人にはこの大きな俯瞰図を決して手放してほしくはない。政争のレベルで近視眼になってはなるまい。民族が絡む事柄は今や決してドメスティックではない。国際の目が、歴史の目が光っていることを忘れないでほしい。なぜなら、それはほかならぬ人間そのものへの深刻な裏切りに直結するからだ。 □


監督の死闘

2017年09月07日 | エッセー

「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」 
 本番直前に監督が差し替えた台詞だ。79歳、末期ガンと闘いつつ新作に挑む。「意図的にノンポリで来た」と語る監督が極めてメッセージ性の高い映画と取り組んだ。自らの死魔と差し替えた作品なのかもしれない。
 大林宣彦。軍国少年だったかつての自分と、「青春を戦争に消耗された」父とがモチーフとなった。『花筐 HANAGATAMI』は戦争を弾劾する映画だ。原作は檀一雄、キャストに窪塚俊介、満島真之介、矢作穂香、池畑慎之介らを配し、今夏クランクアップした。
 昨夜偶然Eテレで、その監督を1年間追ったドキュメンタリーを観た。試写会で、
「黒澤監督が言った『俺の続きをやってよね』という言葉を、若い人たち皆さんに贈ります」
 と絞り出すように語りかけた。
「山田さん、ありがとう」
 と声をかけると、最後列にいた山田洋次監督が片手を少し挙げて応え、さっと会場を後にした。爽やかな画(エ)であった。映画評には、
 〈大林監督ならではの演出によって生まれた異様な雰囲気が終始漂っている。“不良”なる青春を謳歌していた青年らの友情や恋、憧れや嫉妬、平和な日常を侵食していく戦争の気配を赤裸々に描き出し、彩色豊かなルックからは、美しさのみならず、狂喜や儚ささえ伝わってくる。〉
 とある。「筐(カタミ)」とは目を細かく編んだ竹籠をいう。花かごが「花筐」である。籠の編み目から水がすり抜け、青春の花を枯らしていく。そういう寓意かもしれぬ。
 監督には身悶えするほどの危機感がある。戦前を志向する気運の高まりを座視できないにちがいない。「再び青春を戦争の消耗品にさせるなんてまっぴらだ」との熱願がこの一作に凝(コゴ)ったにちがいない。
 刻下、NKの核とミサイルが焦眉の急となっている。忌憚なくいえば、もはや手遅れだ。どんなに強がっても、本邦は人質に取られているも同然である。喉元にピストルが突き付けられている。軟弱、弱腰といわれようと敗北主義と罵られようと、人質が警官隊に向かってもっと圧力を掛けてくれというはずはない。突入でもされた日にはとんでもないことになる。自滅に等しい。
 勘違いしてならないのはただの拳銃ではなく、相手は核だ。核とは、爆弾の大なるものでは断じてない。破壊どころか、破滅の兵器だ。最優先すべきは暴走させないことではないか。
 先日は自民党の竹下某が、広島に比べ島根は人が少ないからミサイルを落としても意味がないと暴言を吐いた。自分の選挙区を話のツカミにするとは不届き千万だが、それ以上に無知に呆れる。広島にはなくて島根にはあるもの、それは原発である。巻き添えを食ったら、フクシマの二の舞どころではなくなる。そんなクリアカットな想像すらできないアタマの悪さに反吐が出る。先日、本稿で触れた立法府の権威低下を自演しているのであろう。さすがは前国対委員長だ。立場は変わっても、国会の無力化にひたすら献身なさる。
 閑話休題。
 手遅れとなって、NKはすでに核ミサイルを手中にしてしまった。首相は「異次元の圧力」などと能天気なことを宣っている。そんなことをして窮鼠猫を噛む事態にでもなったらどうするのか。石油を止められて暴走したのはどこの国であったか、まさか忘れはしまい。暴走、暴発の結果がなぜ予測できないのだろうか。異次元の兵器を突き付けられて、まだ目が覚めぬらしい。それこそ平和ボケではないか。
「昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ」
 まず自軍の守りをしっかり固めよ。その上で敵が弱点をあらわして勝てる態勢になるのを待て。そう孫子の兵法は訓える。悔しいが、アメリカはNKを核保有国として認めるほかない。大人の対応だ。ならば、「以て敵の勝つべき」は到来する。
 〈「あなたの言うことは理解できないが、私に危害を加えない限り、共存するに吝かではないよ」という態度こそ、紛争や戦争を起こさない最も効果的な方法だと思う。〉
 とは「ホンマでっか!?TV」でお馴染みの生物学者池田清彦氏の言である(角川新書先月刊「正直者ばかりバカを見る」)。孫子の兵法に通底する。さらに氏は、
 〈権力者の誇大妄想は、時に一部の国民の熱狂的な支持を受けるが、第二次世界大戦の際の、日本の軍部やヒトラーがそうであったように、あるいは金正恩がそうなりつつあるように、これは亡びへの道である。日本も滅亡への道を歩き始めたのかもしれない。安倍自民党が亡びるのは勝手だが、巻き添えを食らうのは御免被りたいね。〉
 と辛辣に断ずる。日頃の柔和な物言いからは意外なほど手厳しい。ともあれ、戦争という選択肢はあり得ない。ならば、それを誘発する「圧力」という選択肢もあり得ない。戦争によって消耗されるのは青春であり、青年たちの未来だ。
「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」
 この一言は重い。
 『花筐』は12月に公開される。洒落めくが、監督の「形見」にならぬよう願う。 □


見たくない番組

2017年09月03日 | エッセー

 狷介、因業な与太を飛ばすようだが、どうにも見ていられない番組がある。「愛は地球を救う」と高言する日テレの『24時間テレビ』だ。チャリティー番組だという。「視聴者から寄せられた寄付を、国内外の福祉・環境保護・災害復興の支援に役立てる事を目的」とし、社会福祉法に基づいて厚労大臣の許可を得て募金活動・慈善活動・資金配分などを行っているそうだ。
 引っ掛かるのは「視聴者から寄せられた寄付」である。なぜ、視聴者なのか。TV局ならスポンサーではないのか。それに、チャリティーの美名の元に普段と変わらずCMが流れるのもおかしくはないか。それではスポンサーがチャリティーの場を提供し、視聴者はせっせと小銭を持ち寄るという図になる。一時(イットキ)の慈心は得られようが、本気で集めるなら“大銭”(オオゼニ)を狙うのが常道ではないか。大銭はもちろんスポンサーだ。日々汲々としている庶民の懐に手を突っ込むより、400兆もの大銭を内部留保している大企業にトリクルダウンの太っ腹を見せてもらうてーのも乙ではないか。
 アンバイ政権になって資産を2倍にも3倍にも増やしたのは柳井、孫の2氏だが、彼ら儲け頭にフォーカスしてもいいのではなかろうか。因みに昨年の資産総額、柳井氏は1兆8000億。奉加帳の筆頭に来ておかしくはない。孫氏も推して知るべし。
 寄付ならば赤い羽根をはじめ既存のものはいくらでもある。災害時にもそれなりに用意される。敢えてテレビ番組として企図する必要があるのか。なんだか胡乱だ。作られた感動。涙。チャリティー・マラソンの空々しさ。完走にベットするなら解るが、芸人が100㎞走ればなぜ「地球を救う」ことになるのか。とんと思案が及ばぬ。まあどう考えても、チャリティーの大看板を担いで芸能人や歌手が視聴者を巻き込み「一時の慈心」にグルーヴしているとしか見えない。
 寄付すべき対象があるのはなぜか、正面から問いかける企画は皆無だ。ましてや政治や社会の怠慢や欺瞞を突くコンテンツなどありはしない。なんのことはない、24時間昼夜兼行のお祭り騒ぎでしかない。慈心の狂騒がまやかしのデドックスを生んでいるだけとは過言であろうか。これで一番にほくそ笑んでいるのは政治ではないか。この手のお祭りが盛り上がるほど、「寄付すべき対象」に最も責任があるところに矢が飛んでこないからだ。永田町や霞ヶ関にとっては絶好の目眩ましであろう。
 昨夜のこと、TBSが「炎の体育会TV」を放送していた。スポーツに異才をもつタレントたちが現・元プロアスリートにハンディをもらって挑戦するという番組だ。芸人なら芸を磨けといいたいところだが、余芸だか本芸だか見境のない手合いが増えたためか、最近はこの種の企画が多い。
 それはともかく、昨日は「松岡修造プレゼンツ小学生大縄跳び選手権」なるものが行われていた。小学校のクラス単位12名で参加し、2人が縄を回し10人が跳ぶ。勝敗は跳んだ回数で決める。
 同じ学校の隣組同士が対戦し、勝敗の明暗に歓喜と涙のドラマ。キャプテンが負傷してメンバー交代。それでも勝ちを掴んだチーム。惜敗し、「勝たせてやれなかった」と泣き崩れる担任。巧まざる勝負の劇。歓声と嗚咽。敗れたチームには松岡修造が、人生の苦難に直面した時この敗れた経験が活きるんだと熱く語る。まことにその通りなのだが、なんだか違和感が残る。
 小学生の時から敗戦の経験が必要なのか。野球やサッカーをはじめリトルリーグが盛んだが、1点に喜び1点に泣く勝負の体験が不可欠なのであろうか。それでなくても子どもたちは学校の勉強で悲鳴を上げている。塾通いをしている子がほとんどだ。もう充分に淘汰圧に晒されている。その上まだなにをさせるのか。そんなことより好きにさせればいいのではないか。仕掛けられた感動よりも、田舎にでも行って巧まざる自然の中に浸ったほうが数倍ためになる。英語教育の義務化を筆頭に、グローバルな時代を勝ち抜ける企業戦士をつくるのが政権の教育方針だ。だが、そんなものは鼻で笑ってしまえばいい。なにより教育は子どもたち自身のためにある。国のためでも企業のためでもない。松岡クンには悪いが、たかが遊びに人生訓とは大袈裟すぎる。もっというなら、たかが遊びをなぜわざわざ1点勝負の競技になぞ変形してしまうのか。大人の勝手、テレビの都合ではないか。視聴率のために子どもを使うなといいたい。メタボ芸人にでも跳ばせればよっぽどためになる。
 もとよりTVは玉石混交だが、近ごろでは石が多すぎる。それもスカスカの軽石だ。4Kなり8Kになったところで、コンテンツが進化しないのではタレントの皺だけが目立って終わりだ。 □