伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

レジ袋有料化の愚策

2020年06月29日 | エッセー

  以下、経産省のHPから。
 〈プラスチックは、非常に便利な素材です。成形しやすく、軽くて丈夫で密閉性も高いため、製品の軽量化や食品ロスの削減など、あらゆる分野で私たちの生活に貢献しています。一方で、廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化などの課題もあります。私たちは、プラスチックの過剰な使用を抑制し、賢く利用していく必要があります。
このような状況を踏まえ、令和2年7月1日より、全国でプラスチック製買物袋の有料化を行うこととなりました。これは、普段何気なくもらっているレジ袋を有料化することで、それが本当に必要かを考えていただき、私たちのライフスタイルを見直すきっかけとすることを目的としています。〉
 「本当に必要かを考えていただき」たいのは経産省の方である。
 海洋プラスチックごみは既に1億5000万トン、毎年800万トンのペースだ。今世紀中葉には海洋プラゴミが世界中の魚の総重量を超えるのではないかと危惧されている。蓄積したプラゴミが生態系を壊し生物多様性を毀損する。植物連鎖の果てに人体に悪影響を与える怖れもある。
 しかし、レジ袋はプラゴミの2%でしかない。環境省の調べでは、レジ袋を含むポリ袋は容積比で0.3%、ストロー、フォークなどの食器類も0.5%でしかない。レジ袋を規制するのは本丸を攻めずして、外堀に注ぐ小川の遥か上流の溝攫い(ドブサライ)をしているようなものだ。
 本丸はどこか。プラゴミとは次の品物をいう。
──ポリ袋、洗剤・シャンプー・食品などの容器、バケツ浴槽、洗面器、容器、水筒、給食器、ロープ、食品ラップ、卵パック、バッグ、農業用フィルム、水道管、電化製品キャビネット、発泡スチロール、食品トレイ、ボールペン、おもちゃ、電化製品キャビネット、自動車部品、ペットボトル、フィルム、ビデオテープ、カセットテープなど──
 別けても、食品ラップと各種パック。これが難攻不落の本丸最上階だ。考えればすぐ解ることだが、レジ袋はほどんどゴミとしてゴミ焼却場へ送られる。海へは行かないのだ。「海洋プラスチックごみ問題」の犯人にされるのは冤罪でしかない。
 紹介したい論攷がある。中央大学が行った論文コンクールで優秀賞を受賞した達見である。一部を引く。
 〈「レジ袋削減は本当に必要か」 貝掛 柚香子
 燃やしたときに有害ガスが出ると言われているが、基本的にレジ袋は高密度ポリエチレン製であり、二酸化炭素と水が発生するだけで、有害な気体は発生することはまれである。色つきのものは、顔料に金属元素が使われているものもあるが、銅が含まれる濃い緑色のものや、鉛の含まれる濃い黄色のものは、スーパーでは利用されていない。ポリエチレンでも不完全燃焼すれば、発がん性物質であるベンゼンなどが発生する危惧があるが、高温で燃焼焼却すればその可能性は小さい。レジ袋は本来プラスチックであり、不燃物なのだが、フィルム系プラスチックとして、焼却炉の助燃剤として焼却していることもある。プラスチック製の袋は、薄くて発熱量が高く、エネルギー回収も効率的に行うことができる。実はプラスチックは焼却炉の餌になるのである。生ゴミだけ燃やすには、余計に原油が必要となり、逆に資源のムダ使いになるのである。〉
 「実はプラスチックは焼却炉の餌になる」! これだ。海とは無縁のたった2%が貴重な餌になっている。知ってか知らずか、小泉環境大臣が旗を振り、西川きよしとさかなクンがレジ袋有料化広報大使を務めるそうだ。西川きよしは措くとして、さかなクンは東京海洋大学名誉博士であり東京海洋大学客員准教授の肩書きを持つ専門家である。溝攫いをしている場合ではあるまい。大手からまっすぐ本丸を責めるべきではないか。食品ラップと各種パックこそ有料化すべきだ。小売業は値上げ、販売減の大打撃を蒙るだろうが、そこからが知恵と工夫だ。政府は業界を向くのではなく、コンシューマーを第一義に考えるべきだ。アショアで気骨を示したタロウ君に比べ、経産省のお先棒を担ぐシンジロウ君は実に不甲斐ない。そういえば、家族がコロナに感染したため2週間在宅勤務だった伊藤明子消費者庁長官からクレームがついたという話は寡聞にして知らない。
 なんだか一国挙げてコロナによって思考停止しているらしい。愚策の「愚」とはこのことだ。先日の拙稿でも述べたとおり幸いにもロジスティクスは持ち堪えたが、ロジックは破綻を来(キタ)しているようだ(下手な駄じゃれで、失礼)。
 「とかく人の世は住みにくい」。だが、世に「棹させば流される」。ここは一番、「角が立つ」とも、大いに「知に働けば」でいきたいものだ。 □


名を撫でる

2020年06月26日 | エッセー

 毎年見ているシーンなのだが、ずっと不思議なままにしていた。当年も6月23日、同じシーンが報じられた。「平和の礎」を訪れる遺族が刻された遺族の名前をそっと指で撫でて手を合わせる。あの場面だ。盆には各地の墓参りの様子が報じられるが、墓石の名を撫でたりはしない。
 「平和の礎」は沖縄戦最後の激戦地糸満市摩文仁ある「平和祈念公園」内に建立された記念碑である。納骨施設ではない。すべての戦争犠牲者241,593人(20年6月現在)の名前が彫られた刻銘碑である。その数、118基。軍人、住民、国籍など一切関係なく、沖縄戦で命を落とした個別の名が刻まれた碑が放射線状に並ぶ。
 同じ平和祈念公園内には「国立沖縄戦没者墓苑」がある。18万余柱の遺骨が埋葬されている。もちろん納骨堂にもたくさんの人が弔いに訪れるが、合葬のため名前を撫でるあの場面はない。
 〈那覇市の赤嶺和雄さん(76)は75年前の地上戦で父正昭さんと姉2人を失った。農家だった父は防衛隊として動員され、姉2人も旧日本軍の部隊の手伝いで家を離れた。赤嶺さんは当時1歳。「赤ちゃんを大事にしてな」。それが、父が母に贈った最後の言葉だったという。母は戦後、女手一つで残った5人きょうだいを育てた。生活は苦しく、赤嶺さんは「父がいないことを悲しむより、生きることに精いっぱいだった」と振り返る。毎年、慰霊の日には妻と「平和の礎」を訪れ、遺骨も見つからなかった父と姉の名前の前で手を合わせる。「父と姉の記憶がないことが今になって悲しい」と声を詰まらせた。〉
 本年の追悼式の日、毎日新聞に掲載された記事だ。「父と姉の名前」は「国立沖縄戦没者墓苑」にはない。欲しいのは、長短を問わずこの世に遺した人生を背負った姓と名である。市井の民であろうと、刹那に幕を閉じた現世(ウツシヨ)であろうと、だ。「父と姉の記憶がないことが今になって悲しい」が、間違いなく一度は享(ウ)けた生である。「命どぅ宝」でないはずはない。愛おしくないわけがない。だからその名を指でそっと撫でる。その一瞬に生者と死者の結節点が起ち上がり、両者の交感は成る。それは「国立墓苑」の納骨堂では叶わぬ試みだ。最も命が軽んじられたうちなーんちゅならばこそ湧き上がる原初的生命感覚。今や、やまとぅんちゅには失われた感性だ。
 と、前稿の「平和の詩」に触発されて探ってみた。

 当初、玉城デニー知事はコロナ対策のため慰霊祭の会場を「国立沖縄戦没者墓苑」に変更すると発表した。しかし開催約1ヶ月前知事は「勉強不足だった」と釈明し、元通り「平和の礎」そばにある広場に式場を戻した。沖縄タイムスの報道によると、「県主催の追悼式を国家施設で開くことによって、沖縄戦における住民被害の実相がフタをされ、住民の犠牲が国難に殉じた崇高な死として一元的に意味づけられるおそれがある」との声が上がったそうだ。率直で律儀な知事の判断を嘉したい。「国立」への違和感。刻銘を撫でるプリミティブな情念、それはコロナを超える。
 今年の梅雨は記録的な速さで沖縄を抜けた。平年より13日も早いという。これから「礎」はさらにむせ返る炎暑に包(クル)まれる。まるで死者を鎮める火祭りのように。 □


コロナの大功績

2020年06月23日 | エッセー

 6月22日(火)午後11時24分から午後11時31分にかけて、日テレのnews zeroで次のような報道があった。
 〈「慰霊の日」に 沖縄戦…初の「リモート語り部」
 沖縄県立小禄高等学校で、上原美智子さんがリモートで戦争体験を語った。櫻井翔も東京からオンライン参加。上原さんは9歳で沖縄戦を経験し、語り部として活動している。今年は新型コロナウイルスの影響で相次いでキャンセルになる中、高校からリモート語り部の依頼があった。上原さんは、戦中の体験が現在のコロナの状況と似通っていると話した。若い世代に戦争を身近に思ってもらうため、コロナの話をしたという。〉
 床につく寸前だった。時間を確かめようとTVのスイッチを入れた時、これが流れた。途端に眠気が吹っ飛んでしまった。
 「戦中の体験が現在のコロナの状況と似通っている」。ここに生徒たちはいたく共感したという。新型コロナウィルス感染対策のため沖縄でも長く休校が続いた。今までとは一変した日常のあれこれ。自粛という名の同調圧力。お上の差配で直接的に個人の生活が制約される。その実覚の延長にガマ(避難用の自然洞窟)の悲劇を追体験したにちがいない。語り部・上原さんの情熱が生んだ機智であったろう。
 さらに、「オンラインだからいつもより以上に集中して聴けた」との高校生の声も紹介していた。瓢箪から駒、いやコロナがもたらした『大功績』といって過言ではない。
 沖縄戦の犠牲者は20万人余。うち一般住民は9万4千人。これが大きな特徴だ。実に県民の4人に1人が犠牲となった。ガマでは日本軍が住民を爆撃の只中に追い出したり、自決を強制した。断末魔の惨劇がそこで集約的に繰り返された。
 年々話題になるのは記憶の風化である。戦争体験が後景化していく。これは深刻だ。今日の社説で朝日はこう述べている。
 〈朝日新聞と沖縄タイムスが実施した沖縄戦体験者の聞き取り調査では、体験が次世代に「伝わっていない」と答えた人が6割を超えた。戦争を知る人の多くは鬼籍に入り、話を聞ける機会は年々減っている。きょうの追悼式には、沖縄と同じように民間人の犠牲者が多かった広島と長崎の市長がメッセージを寄せる。ともに75年前の悲劇に思いを致し、この国の今を見つめ直す機会にしたい。〉(抜粋)
  「リモート語り部」には「櫻井翔も東京からオンライン参加」した。これは心強い。オンラインによる承継は風化を防ぐ好手になるかも知れない。コロナによる戦争体験への共鳴。この芽を大きく育てたい。
 今年の沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を詠み上げたのは沖縄の女子高校生。県立首里高校に通う高良朱香音さん3年生だ。一度も原稿に目を落とさず、しっかりと、一語一語を噛みしめながら語りかけた。

   「懐中電灯を消してください」 
   一つ、また一つ光が消えていく 
   真っ暗になったその場所は 
   まだ昼間だというのに 
   あまりにも暗い 
   少し湿った空気を感じながら 
   私はあの時を想像する 
       ・ ・ ・ ・
   あなたが声を上げて泣かなかったあの時 
   あなたの母はあなたを殺さずに済んだ 
   あなたは生き延びた 
       ・ ・ ・ ・
   あなたが少女に白旗を持たせたあの時
   彼女は真っ直ぐに旗を掲げた
   少女は助かった

   ありがとう
   
   あなたがあの時
   あの人を助けてくれたおかげで
   私は今 ここにいる

   あなたがあの時
   前を見続けてくれたおかげで
   この島は今 ここにある

 「真っ暗になったその場所」とはガマだ。日常と非常の、生と死の、平和と戦争の間(アワイ)に引かれた境界線であった。肺腑を抉る朗読であった。「あの時を想像する」力に感銘を受けた。やはり想像力をどう喚起するか。後継世代には十分な感受性がある。如上のニュースはコロナが風化防止への先鞭をつけた好個の例といえる。語り得ない不幸を受けた地こそ語らずにはいられない幸福に包まれるべきだ。しかし戦争はいまだその沖縄で続いている。やまとぅんちゅの1人として「あの時を想像する」責務を忘れてはなるまい。
 比べるだに愚かなことだが、コロナのためにビデオメッセージに替えた首相。沖縄振興とは言うが、いつものようにカネ、カネ、カネの話だ。なんと愚かで薄っぺらな人物か。高良さんの爪の垢でも煎じて飲んだらいかがか。彼女はキモいと言って飛んで逃げるだろうが。
 4月25日の拙稿「コロナの大功名」では、改憲シナリオに大番狂わせを起こした大功名を挙げた。これは国家権力の暴走を阻止する「天変地異」ではないか、と。スピリチャルな与太ではない。国家権力の暴走を停めるのは他のより強大な国家権力か、天変地異しかないからだ。
 続いて5月12日には「コロナの大手柄」と題して、『キョンキョン・ショック』を挙げた。検察庁法改正案に抗議の投稿680万件超。司法をも牛耳ようとする独裁に大ブーイング。政治に無関心だった層が俄に政治意識を持ち始めた。コロナが政治を身近にさせた大手柄である、と。
 そして、3弾目が「リモート語り部」である。コロナが期せずして反戦へのとば口となる。蓋し、大功績ではあるまいか。4弾目は果たして? □


弔辞

2020年06月21日 | エッセー

 今まで十指に余る弔辞を捧げてきた。そろそろ今度は自分がいただく廻りになってきた。当方は一介の市井の民ではあるが、著名人はどんな弔辞で送られたのか興味はある。そこで、文春新書「弔辞──劇的な人生を送る言葉」(本年4月刊)を読んでみた。同著は月刊「文藝春秋」が2000年から翌年に掛けて連載した『弔辞』から50人分を収録したものだ。00年は連載の開始で、収録されているのは1948年(昭和23年)の太宰治へ送った井伏鱒二の弔辞から始まる。
 石原裕次郎へ勝新太郎。小津安二郎へ里見弴。市川房枝へ藤田たき.植村直己へ将暉徹。近藤紘一へ司馬遼太郎。寺山修司へ山田太一。手塚治虫へ加藤芳郎。美空ひばりへ中村メイコ。中上健次柄谷行人。司馬遼太郎へ田辺聖子。渥美清へ倍賞千恵子。三船敏郎へ黒澤明。今井澄へ山本義隆(東大全共闘の同志)。橋本龍太郎へ小泉純一郎。白川静へ長田富臣.安藤百福へ丹羽宇一郎。米原真理へ佐藤 優。植木等へ小松政夫。市川崑へ岸恵子。オグリキャップへ小栗孝一。赤塚不二夫へタモリ。など、送る側、送られる側ともに錚々たる顔ぶれである。
 目を引いたのが、
「よごれた服にボロカバン」浅沼次郎へ 池田勇人
「多情仏心は政治家の常」佐々木良作へ 中曽根康弘
「牛は随分強情だ」小渕恵三へ 村山富市
 である。タイトルは編集部が付けたのであろうが、与野党を超えた重厚な絆、ある種の連帯感、懐の深さ、人間的滋味が窺える。
 凶刃に斃れた最大のライバルに池田勇人はこう語りかけた。
「来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手であります。かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。」
 しゃがれた声に熱い心情が滲む。これは涙なくしては読めない。
 最大の政敵ではあってもともに句会を催し、弔辞は中曽根が詠むと約束までした佐々木良作元民社党委員長。元首相は率直に捧げた。
「私は政治の場において、野党首領として君の攻撃の矢玉を浴び、また自民党の総裁選挙では、君らの内政干渉を受けた被害者であります。その私が、弔辞を申し上げる由縁は、与野党と別れていても、祖国を思い、政治に生きる人間同士の心の通い路があり、また、君の思想政策と、人間的雅量に対する尊敬と哀惜が致せるものなのであります。」
 志半ば病に倒れた自民党小渕恵三元首相へ社会党村山元首相は劇的な葬送の場面を重ね哀悼の辞を述べた。
「君の御遺体が御自宅に向かう途中、国会や自民党本部、首相官邸前を通り抜けたとき、永田町はにわかに激しい雷雨に襲われました。道半ばにして倒れた君を思うとき、雷鳴は君の悲痛の叫びであり、驟雨は君の無念の涙であったと思えてなりません。君の不運への天の深い慟哭でもあったのでありましょう。」
 この3例に接し、痛感するのは刻下の宰相の狭量である。将来、彼の弔辞を買って出る野党議員がいるだろうか。一人もいないと断ずるほかない。棺を蓋いて事定まる。ひょっとしたら、かつて一強を取り巻いたポチどもも寄って来ないかも知れない。可哀相だけど。
 歴史に残る珠玉の送ることばが上掲書の掉尾を飾っている。赤塚不二夫へのタモリの弔辞だ。
 〈あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私も、あなたの数多くの作品の一つです。合掌。
平成二〇年八月七日   森田一義〉
 周知の事実ではあるが、手に持った原稿は白紙であった。すべてアドリブ。約1400文字を7分58秒かけて詠み上げた。タイトルは「私もあなたの作品の一つです」と付けられている。否むしろ、「あなたに披露した最後のパフォーマンスです」ではないか。
 さて、わが身のことだ。まことに残念ではあるが、おのれへの弔辞は当の本人は聴けない。聴けるかもしれないが、その実例を知らない。そのまえに引き受ける人がいるかどうか。ことごと悩ましい。 □


これで納得、新型ウイルス

2020年06月19日 | エッセー

 新型ウイルスの正体はメディアに取り憑いている『メディア・ウイルス』(特にTV)であるという武田邦彦氏の主張が最近頓に納得がいくようになった。
 本稿で最初に新型ウイルスを取り上げたのは2月2日。以降5ヶ月の間に今稿も入れ17回も書き連ねてきた。振り返ってみる。
2月 2日 「新型コロナの突然変異 in 永田町」
      ──新型コロナに便乗した憲法「緊急事態条項」提案を許すなと主張。 
2月18日  「一寸の虫 4」
          ──中国で新型コロナ発生。天安門事件で鄧小平は百万でも小数と豪語したが、中国も変わった。大国への復帰か。
3月 3日 「一寸の虫 8」 
           ──新型コロナ対策で学校ロックアウトは安倍と補佐官の今井尚哉との二人で決め た。今井を糾弾。
3月 4日  「一寸の虫 9」
           ──国家権力を超えるもの2つ。他のより強い国家と自然。新型コロナは天変地異。
3月16日 「息子」もすごい」
           ──新型コロナウイルスで欧州に黄禍論。ブレイディみかこの「息子」のエピソード。自らも差別していたと反省。
3月25日 「ジャメヴュ」
           ──コロナショックは人口減社会のジャメヴュ。すでに「静かなる有事」の渦中。恐るべきは便乗独裁。
3月27日 「夫唱婦随極まれり」
           ──安倍昭恵がコロナ渦に花見。安倍が下手な言い訳。「ロックダウン」は都民を囚人扱いするもの。
4月 7日 「だいじょうぶだぁ」
           ──福岡伸一「ウイルスは遺伝情報を水平移動する。利他的、共存」。武田邦彦氏による孤軍奮闘の情報発信。政権の的外れな対策と無知。
4月 9日 「コロナの空騒ぎ」
           ──佐藤優「自粛要請は同調圧力による翼賛」。戦争への流れも同じでは? 武田邦彦氏の異論を排斥するのは危険。首相や都知事の大言壮語と無知。
4月25日 「コロナの大功名」
          ──コロナショックで安倍改憲へのシナリオは潰えた。国家権力の暴走を阻止する「天変地異」こそコロナ。大きな悪を阻止したのだから大功名!
5月 5日 「『新しい生活様式』??」
          ──専門家会議提示「新しい生活様式」は専門家会議を使って同調圧力を掛けようと「国家総動員運動」と類似。それを考えない専門バカ。
5月11日 「病気は実在しない!」
          ──岩田健太郎を紹介。医のちゃぶ台返しを整理。病気は「こと」ではなく「もの」。謹聴、刮目すべき論攷、人物。
5月12日 「コロナの大手柄」
      ──検察庁法改正案に抗議の投稿680万件超。政治に無関心だった層にまで。コロナが政治を身近にさせた大手柄。 
5月22日 「解はスウェーデンにありか + 追記」
          ──コロナ対策に「集団感染戦略」=スウェーデン方式。国民の信頼のもとに推進。武田邦彦氏が「感染者数」の欺瞞と「原因はメディアウイルス」と指摘。
6月 2日 「岩手ゼロのふしぎ」
          ──愚直で質朴の風(フウ)。純化された一徹。さらには「維新のルサンチマンを下敷きにしたアンチテーゼ」ではないか。
6月12日 「ハートフルディスタンス」
          ──「ソーシャルディスタンス」を止め「ハートフルディスタンス」。最も恐れていたのは流通、特に宅配。ハートフルワーカーたちによって支えられている。感謝を。
 別けても推したいのは未来予測としての「ジャメヴュ」、病理上で「だいじょうぶだぁ」、政治的意味合いの「コロナの大功名」と「コロナの大手柄」、ほとんど報じられない「解はスウェーデンにありか + 追記」の5作である。
 内、「だいじょうぶだぁ」に登場した福岡伸一氏は「動的平衡」でつとに名高い。生命は流れであり、絶え間なく入れ替わりつつ平衡がとれているとする生命観である。東洋的発想が滲む秀抜な学説である。その氏が4日3日付朝日新聞に寄せた論攷を「だいじょうぶだぁ」で徴した。そして今月17日再び、 「(福岡伸一の動的平衡)コロナ禍で見えた本質──人もウイルスも、制御できぬ自然」と題する寄稿が載った。以下、その要録である。

▼“自然”とは私たちのもっとも近くにある自分の身体のことである。 
▼本来の自然と、脳が作り出した自然の本質的な対立──前者をギリシャ語でいうピュシス、後者をロゴスと呼ぼう。ロゴスとは言葉や論理のこと。
▼生命としての身体は自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない。生命はピュシスの中にある。ピュシスとしての生命をロゴスで決定することはできない。
▼では、ホモ・サピエンスの脳はどう対処したか? 計画や規則によって、つまりアルゴリズム的なロゴスによって制御できないものを恐れた。制御できないものとは、ピュシスの本体、つまり、生と死、性、生殖、病、老い、狂気……。これらを見て見ぬふりをした。あるいは隠蔽し、タブーに押し込めた。
▼だが、本来の自然は必ずその網目を通り抜けて漏れ出してくる。溢れ出した自然は視界の向こうから襲ってくるのではない。私たちの内部にその姿を現す。
▼そんな制御不能の自然の顕れを、不意打ちに近いかたちで、我々の目前に見せてくれたのが、今回のウイルス禍ではなかったか。
▼ウイルスは無から生じたものではなく、もとからずっとあったものだ。絶えず変化しつつ生命体と生命体のあいだをあまねく行き来してきた。
▼新型コロナウイルスの方も、やがて新型ではなくなり、常在的な風邪ウイルスと化してしまうだろう。宿主の側が免疫を獲得するにつれ、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが選択されて残るからだ。
▼明日にでも、ワクチンや特効薬が開発され、ウイルスに打ち克ち、祝祭的な解放感に包まれるような未来がこないことは明らかである。長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウイルスとの動的平衡をめざすしかない。
▼私は、ウイルスをデータサイエンスなど端的なロゴスによってアンダー・コントロールに置こうとするすべての試みに反対する。
▼レジスタンス・イズ・フュータル(無駄な抵抗はやめよ)といおう。私たちはつねに自然に完全包囲されている。

 誰が言いだしたかは知らぬが、最近「with コロナ」というフレーズをよく耳にする。『新しい生活様式』を包括するコピーなのだろうが、「レジスタンス・イズ・フュータル」に裏打ちされた共生というには軽すぎる。ロゴスによるアンダー・コントロールへのすべての試みに反対する覚悟は掬し難い。どこかに「祝祭的な解放感」への期待が滲んでいるようでもある。ここで、深呼吸。ひょっとして私たちは真っ当な疑問符を『メディア・ウイルス』によって大きな感嘆符に書き換えられてはいないだろうか。当初語られていた「正しく恐れよう」はどこへ行ったのか。例年のインフルエンザが約1000万の罹患者。死者3.300人。新型コロナは厚労省のHPによると、入院治療等を要する者800人(内、重症者62人)、死者935人(今月17日現在)である。信憑性皆無の『感染者数』にしても累計17.821人(現時点で1.738人)。約1千万分の1だ。繰り返すが、厚労省の発表である。「入院治療等を要する」とは罹患者、発病者である。死者にしても超過死亡かどうか、医師の判断に拠る面が強い。それにしても騒ぎの大きさに比してこの数字の圧倒的な少なさに、むしろ疑問符を付けたいところだ。確か『8代目』のコロナウイルスの所業にこれほどドデカい感嘆符は付けようがなかろう。それが「真っ当な疑問符」であろう。やはり過剰反応した『メディア・ウイルス』に踊らされ、便乗した行政の無能に振り回されただけのような気がしてならない。
 まずは碩学の洞見に謙虚に耳を傾けるべきだ。なにより納得が第一歩である。 □


るんちゃんもすごい!

2020年06月16日 | エッセー

 大時代で失礼ながら、子母沢寛は「実は親も」であったがこの場合「実は子も」である。平成の『親子鷹』である。
  内田るん。1982年東京生まれ。7歳から芦屋で育つ。県立芦屋高校を卒業後、東京へ。高円寺のネットラジオ&カフェ「素人の乱」などに2年ほど勤務。詩人。フェミニスト。イベントオーガナイザー。若手ミュージシャンの発掘・プロデュースもしている。
 そして、父は思想家の内田樹氏。氏の一人娘である。だから、『父娘(オヤコ)鷹』である。
 今月20日発刊の中公新書ラクレ「街場の親子論」これが滅法面白い。
 以下、書籍紹介サイトから。
──父と娘の困難なものがたり
  内田樹/内田るん 著
 わが子への怯え、親への嫌悪。誰もが感じたことがある「親子の困難」に対し、名文家・内田樹さんが原因を解きほぐし、解決のヒントを提示します。それにしても、親子はむずかしい。その謎に答えるため、1年かけて内田親子は往復書簡を交わします。「お父さん自身の“家族”への愛憎や思い出を文字に残したい」「るんちゃんに、心の奥に秘めていたことを語ります」。微妙に噛み合っていないが、ところどころで弾ける父娘が往復書簡をとおして、見つけた「もの」とは? 笑みがこぼれ、胸にしみるファミリーヒストリー。──
 娘が7歳の時、離婚。以後10年間男手一つで愛嬢を育てあげた。割と珍しい父子家庭である。「るん」とは本名らしいが、それにしてもこれもまた珍しい名だ。快活で奔放な風(フウ)が漂う。
 5・6ページ読んですぐ気がついた。なんだこれはラヴレターではないか、と。なんだかんだいっても、内田 樹氏がメロメロなのだ。娘だってまんざらでもない。往復書簡というより、父娘(オヤコ)が交わす恋文だ。といって、べたついてはいない。高いクオリティーのコンテンツが遣り取りされるゆえだ。家族論、若者論、記憶の正体、経済、政治などなど、内田思想のエッセンスが至極簡明に言表されている。なにより父の学生時代の回想がわれわれ団塊の世代には70年代にタイムスリップするようで、なんとも懐かしい。
 〈親子って、そんなにぴたぴたと話が合わなくてもいい。「まだら模様」で話が通じるくらいでちょうどいいんじゃないか。〉(上掲書より)
 これが親子論の核心だ。家族間に秘密があるのは当たり前。子どもの成熟と家族の絆はトレードオフなのだから、親子の間は端から緩めにしておいた方がいい、という。さらに社会論とも絡めながら子どもの成長とは複雑化することだと論じている。
  本年1月に発刊された「しょぼい生活革命」(晶文社)ではこう述べている。 
 〈いまのこの社会の犯している最大の誤謬は「単純であるのはいいことだ」という信憑です。どんな場合でも、同じように考え、同じようなことを言い、同じようにふるまう首尾一貫したアイデンティティーを持った人間でなければならないという強い自己同一化圧がかけられている。就活では「自己アピール」しろというようなことを言われるらしいけれど、僕はそういうことを聞くと寒気がしてくるんです。どうして「自分はこれこれこういう人間です」なんてことを言わせるんです。そんな自己規定は、口に出した瞬間に「呪い」として機能して、自己を呪縛することにしかならないんですから。若い人にそんなことを言わせちゃいけない。〉
 「強い自己同一化圧」をかけられ、「自己を呪縛する」アイデンティティーの虜になる。それは断じて避けたい。「若い人にそんなことを言わせちゃいけない」との氏の願いは「成長とは複雑化すること」だからだ。「街場の親子論」は自己同一化圧を周到に斥けて子育てに挑戦し、見事に成し遂げた一つの典型である。希有な成功譚といえよう。それがるんちゃん『も』すごいという由縁であり、綺羅星の如く同著を照らしている。
 締め括りの書簡で氏はこう語る。
〈どうしてもそれを言っておかないと「先へ進めない」という場合には、仕方がありません。でも、それを言わずおいても、別に「迂回路」があって、最終的な目的地にたどりつけそうなら(「幸せになる」とか「人間的に成熟する」とか、そういう最終目的が達成されそうなら)、「ほんとうのこと」は暫定的に「かっこに入れて」おいて、「棚上げしておく」ということもあっていいんじゃないでしょうか。〉 
 蓋し、これぞ子育ての骨法にちがいない。 □


ハートフルディスタンス

2020年06月12日 | エッセー

 「ソーシャルディスタンス」はどうもいけない。言葉がはなはだ雑だ。自他の感染防止のため「社会的」あるいは「人的接触」の距離を確保しようというものである。飛沫の到達距離2~3メートルは間を空けようという。「ソーシャル」では社会的分断がイメージされるから「フィジカルディスタンス」に替えようとの声もある。どちらにしても木で鼻を括った物言いだ。どうしてもカタカナが使いたいのなら、いっそ「ハートフルディスタンス」はどうだろう。「ハートフル」は和製英語でスペルを間違えると(heartをhurtに)意味が逆転するが、カタカナ書きなら問題はない。問題は「ディスタンス」、それも「ロング・ディスタンス」である。早い話が、ロジステックスだ。兵站を語源とし今ではサプライチェーンをいうが、宅配を含めた物流と括れるだろう。実はコロナ騒動で稿者が一番恐れていたのは宅配であった。
 平成30年で43億701万個の荷物が日本列島を往き交った(国交省発表)。列島をくまなく走る血管である。血栓でもできた日には命に係わる。ステイホームとやらで今年は通販、デリバリーが急増したにちがいない。命綱どころか命そのものである。通販会社や宅配業者が賢く先手を打って、置き配、非対面などを推進したため感染拡大の槍玉に挙げられることなく今日に至っている(ごく一部でアホなユーザーによるクレームはあったらしいが)。
 43億個のうち、98・9%がトラック便。多い時は1人が200個を超える荷を配る、したがって最前線は想像を絶する奈落にある。<3K-1K+3K>で“5K”である。<3K-1K>はキツい・汚い・危険から汚いを除く(上記の通り)。<+3K>は「帰れない」「厳しい」「給料が安い」だ。建設、清掃、農林水産、看護師などが該当する。最近は従来の3Kに加えて6Kともいう。昇ったり降ったり、エンドユーザーまでの荷物を抱えてのラストワンマイルは「キツい」に相違ない。「危険」は主に交通事故。「厳しい」は道交法による規制の強化と遅配・早配への不寛容。給料はほぼサラリーマン並みといえるが他のKを勘案するとやはり「安い」、釣り合わない。「帰れない」は再配達率15%が主因だ(昨年10月、国交省調査)。
 「ソーシャル・ロングディスタンス」は“5K”を堪えて奮闘する「ハートフル」ワーカーたちによって越えられている。それを徒や疎かにしてはなるまい。コンシューマー気取りで高飛車に接することなどあってはならない。せめて再配達させないよう工夫をしたい。
  だから、「送料無料」には強い嫌悪感をもつという。元トラックドライバーでフリーライターの橋本愛喜女史だ。近著「トラックドライバーにも言わせて」(新潮新書)でこう語る。
 〈少ないながらも実際発生している輸送料・送料に対して、「送料弊社負担」や「送料込み」など、他にいくらでも言い方がある中、わざわざこの「無料」という言葉が使われることに、「存在を消されたような感覚になる」と漏らすドライバーもいる。〉
 女史は労働問題、災害対策、文化差異など社会問題を中心に活発に執筆、講演活動をしている。「存在を消された」とは頂門の一針だ。能天気に「送料無料」に吊られていた己が恥ずかしい。その他、「トラックドライバー『だからこそ』言わせて」あげなくてはいけないコンテンツが山盛りだ。社会の黒衣に光を当てる好著といえる。
 「ソーシャルディスタンス」については先月の拙稿「実学は平時、乱世は人文学」で徹底的に批判を加えた。
 〈(新しい生活様式の)「会話をする際は可能な限り真正面を避ける」・「対面ではなく横並びで座ろう」とは何事か。「『共鳴集団』は『顔を見つめ合い、しぐさや表情で互いに感情の動きや意図を的確に読む』ことで作られる」という20万年に及ぶサピエンスのコミュニケーション原理を否定する気か。無理に属性をいじると必ずどこかに歪みが出てくる。〉
 だからこそ、「ハートフル」に替えようと遠吠えをしている。「ハートフルディスタンス」には心を配ってディスタンスを措く場合と、心溢れてディスタンスをかなぐり捨てる場合とがある。『共鳴集団』ゆえの妙といえる。親子を筆頭に後者の場面はそこら中にある。なければ生き延びられはしない。共鳴と懸隔を架橋するものが「ハートフルディスタンス」だ。「ソーシャルディスタンス」への皮肉でもあり、アンチテーゼでもある。すくなくとも何が何だかわけの分からない「東京アラート」よりはシャレてる自信はある。
 ともあれロジスティクスへの危惧は回避されそうだ。
 〈日本で生活していると気付きにくいかもしれないが、日本の物流の質やサービスは、世界でもズバ抜けて高い。指定した時間帯に、8つ角がしっかり残った荷物が、車体に傷・へこみひとつない「ドライバーのネームプレート」付きのトラックで届けられるのは、世界広しといえども日本ぐらいなものだ。日本のトラックドライバーの本業は「運転」でなく、荷物を安全・無傷・定時に届けることだ。〉(上掲書より)
 余人をもって代えがたい世界一の人材集団「ハートフル」ワーカーたちに最敬礼しつつ、8つ角がボロボロになりそうな愚案を閉じたい。 □


横田滋さんの訃報に接して

2020年06月07日 | エッセー

  拉致被害者家族会の代表 飯塚繁雄さんは訃報に接しこう語った。
「こういう状態になるのは当たり前で、何もしないでほったらかしにしたら、日にちがどんどんたっていく。家族も被害者も年をとって病気になるのはわかっている。事前に感知してこうならないようにどうするか考えていかなければ今後とも同じ状況が繰り返される。私個人も体調が弱っていてほうっておけばこうなる。残念だが政府なり、担当者が実態を踏まえてこうなる前にどうしたらいいのか考えて対応してもらいたい」
「活動した仲間がどんどん減って少なくなってきた。私たちの活動が、北朝鮮にちゃんと届いているのか、どうやったら取り返せるのか。はっきりと打ちだしていかないと、なにもしないで時間だけがたつという状態が続くと、なんのために努力をしてきて、北朝鮮にいる家族のために早く助けたいために頑張ってきたのか。これが消えてしまう。ほっとけばこうなるということを各担当は認識していただいて早急に手を打っていただきたい」(NHKニュースサイトから)
 政権への苛立ちと批判が滲み出た言葉だ。
 「痛恨の極み」「断腸の思い」と首相は応じたが、なんとも虚しい。白々しい。8年9年の間、最重要課題と公言してきたにも拘わらず手も足も出せず、歯牙にもかけられなかった自らの無能と無為無策をまず詫びるべきではないか。
 元を正せば、小泉首相の側近として拉致被害者の帰国に尽力したことが宰相の地位を掴む絶好機となった。でなければ、この程度の男がトップリーダーになぞなれるわけがない。足を向けては眠れないはずだ。最大の恩人を見殺しにして「痛恨の極み」とは片腹痛い。「断腸の思い」はこっちの台詞だ。
 開けば拉致・核・ミサイルとなる北朝鮮問題をギリギリ絞ると、金王朝はなぜ滅びないのかという1つのイシューに辿り着く。
 横田さんが亡くなった奇しくも同じ5日、稿者は姜尚中著「朝鮮半島と日本の未来」(集英社新書、今月刊)を読み終えたところだった。
 同書に興味深い洞察がある。古来、幼少年期のイエスと聖母マリア、父ヨゼフの3人を「聖家族」と呼び、キリスト教美術のモチーフとなってきた。その「聖家族」が金日成の血統を特化する用語として転用されているという。
 〈(彼の生地である)当時の平壌はアジアにおけるキリスト教の一大中心地で、金日成の母、康盤石は熱心なクリスチャンであり、外祖父はキリスト教長老会の牧師だったと言われている。金日成の父、金亨穫はクリスチャンを中心に組織された民族主義団体、朝鮮国民会の結成にも参加していたが、当局に逮捕され、出獄した後、満州に向かった。金日成も家族とともに満州に移り住んだ後、父の命により、一〇代前半の二年を祖父の教会学校で学んでいる。キリスト教文化の中で子供時代を過ごした金日成は幼少期に洗礼を受けていた可能性があり、いずれにしても、金日成がキリスト教に深く馴染んでいたことは間違いなさそうだ。ただし、北朝鮮を「聖家族」が君臨する硬直した、いささかも変化しない独裁国家と見なすのは、一面的だ。なぜなら、北朝鮮は外部の印象と違い、これまで自らを取り巻く状況に応じて柔軟に、そして実にしたたかに、幾度も変化を遂げてきたからだ。この北朝鮮の動態的な面を見なければ、北朝鮮が崩壊しなかった背景は見えてこない。〉
 恐怖政治と軍事独裁としか見ないのは片手落ちだ。それは「聖家族」によって裏打ちされている。換言すると、宗教的独裁である。だから、「21世紀の輝かしい太陽」や「革命的同志愛の最高化身」などの大時代で大袈裟な呼称も頷ける。「聖」たらんとするためには「俗」でしかない粛正も違約も厭わない。「動態的な面」はそこから興起される。ブレるように見えてアメリカによる体制保証というストラテジーは些かもブレてはいない。ブレているのはむしろ米韓日だ。別けても安部政権のブレ方は尋常ではない。トランプのポチさながらの右顧左眄だ。圧力と高言し、トランプ=金会談の後には突如前提条件なしと変更。こんなことで解決するほど拉致は柔な問題ではない。
 したがって姜氏は、冷戦終結による北の崩壊を期待した米韓の読みに欠陥があったという。加えて、東西で干戈を交え血で勝ち得た独立とソ連の衛星国として成立した東ドイツには決定的な違いがあるとも語る。東西ドイツの統一と同様にはいかないのだ。
 それほどに統一の壁は厚い。しかし望みはある。「太陽政策」だ。この金大中のレガシーに期待を寄せて同書は閉じられている。
 強く印象に残った言表があった。
 〈明治以来、国民国家のシステムが東アジアを席巻し、新興の帝国として勃興しつつあった日本にとって、朝鮮半島は地政学的に日本列島という弓なりの国土の柔らかい部分に突き刺さりかねない「匕首」と見なされてきた。戦後も、そうした発想のバリエーションが維持され続けてきたと言える。しかし、古代史にまで遡れば、日本海に張り出した半島は、大陸の最先端文化の恵みを列島に滴らせる「乳房」のような存在であった。〉
 「匕首」としての拉致は本邦に戦後唯一の被害者の立場を与えた。だから戦前志向の勢力にとって、そのトポスを保つため解決されては困る。「匕首」のままでいてほしい。論理的にはそうなる。とすると、右派勢力にとって「21世紀の輝かしい太陽」である某首相が支持勢力の望みを“忖度”するのは話としては筋が通る。今もって解決の糸口さえ掴めないのは望み通りといえなくもない。
 反知性主義の彼らに言っても無駄ではあるが、彼らが知ろうとしないのは「乳房」としての朝鮮半島である。恩を知らずしては国家の品格などありえない。品格から最も遠い宰相に国家の難問に立ち向かえるはずはない。
 以上、横田さんへの弔意として綴った。 □


昭和の竜馬 風の男

2020年06月06日 | エッセー

 「思い出話を聞くと、皆下を向き『本当に優しい方だった』と言葉を洩らし、全員が涙をこらえるばかりで話は聞けなかった。」
 取材は失敗したかみえる。けれども、「聞けなかった」という一事が風の男が遺した薫風そのものであった。裏返せば、巻き起こした鮮やかな烈風の正体でもあった。この見事なインタビューの成功に涙がこみ上げた。伝記の著者が「軽井沢ゴルフ倶楽部」を訪れ、生前の男を知るキャディさん達に取材した折の逸話である。青柳恵介著『風の男 白洲次郎』(平成9年、新潮社) 古い本だが、ひょんなきっかけで読んでみた。
 下流から這い上がり、刻苦勉励の極みに成功を手にする。その成功譚は恰好のドラマツルギーとなる。しかし上流を与件とする場合、ドラマツルギーとなるのは斜陽だ。太宰は好例である。だからノブレス・オブリージュは富者や強者の義務ではなく、対する弱者とは自分自身だと思想家 内田 樹氏はいう。
 〈当代の「格差社会論」の基調は「努力に見合う成果」を要求するものである。一見すると合理的な主張である。けれども、同時に「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している。集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。〉(「邪悪なものの鎮め方」から抄録)
 どう「複雑」なのか。氏は「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という聖句を引き、
 〈慈善が強者・富者の義務だからではない。弱者とは「自分自身」だからである。それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。〉(同上)
 と述べる。別の著書では「変容態」という言葉を使うが、「義務」を裏打ちするのが「あなた自身のように」という変容態である。白洲はどうしたか。「『ノブレス・オブリージュ』などと言ってしまうと話が簡単になってしまう」、つまり単純化されてしまうから彼は「粋」とパラフレーズして貫いた。反対は「野暮」だ。実に通りがいい。
 吉田茂のブレーンで影武者。一仕事終えると風のように去り、お百姓に戻る。こんな粋な男は今やいない。刻下の官邸側近なぞ汚らわしくて比する気もしない。自ら差し出した維新政府の名簿に竜馬の名がない。問われると、「世界の海援隊でもやりますかいのう」と応じた。竜馬にとって維新は片手間に過ぎない。粋な男は野暮な政争の愚を躱す。「風」とはそのような生き様のことではないか。通り過ぎたあとに爽快な一陣の薫風が起ち昇る。常人にはなし得ない振る舞いだ。だからキャディは泣いた。稿者が白洲を昭和の竜馬に擬するのはこの点だ。加うるに、押し出しのよさ、群を抜く行動力、細やかな配慮、広い人脈。英雄願望と直結されては困るが、存亡がかかった切所に「風の男」をもち得た日本史の僥倖に感謝したい。
 憲法草案は「天皇神権論」を前提としていた。アメリカが受け容れるはずはない。
 「『そんなのだめです』とはっきり進言した日本人が当時他にいたであろうか」と青柳氏は語る。それどころか、白洲は天皇退位を構想していた。竜馬は天皇制ではなく大統領制を描いていたという。世を鳥瞰する視野に驚嘆するばかりだ。「従順ならざる唯一の日本人」とGHQが舌を巻いたのはもっともだ。また、視野狭窄の守旧派が竜馬を襲ったのも必然だった。
 外車のスポーツカーを乗り回す芦屋のいいとこのお坊ちゃん。身長180センチでイケメン。頭脳明晰スポーツ万能でありながら暴れん坊。ケンブリッジ留学で目を開く。片や、郷士とはいえとびきり裕福な家に生まれた竜馬。身長五尺八寸、ほぼ同じ。苦み走ったいい男だ。愚童説もあるが、定かではない。江戸へ留学し剣の腕を磨き、勝との偶会を得て目を開く。
 数多の実績や豊富な名言は措く。長く人口に膾炙されてきたところだ。そうではなく、小林秀雄との交誼が興味深い。GHQの検閲下で戦時文学の出版に力を貸してほしいと白洲家を訪った。それが出会いだった。やがて肝胆相照らす仲となり、子ども同士が縁を結ぶ親戚関係に至る。青柳氏は夫人で「韋駄天お正」と評された正子夫人の言葉を紹介している。
 〈次郎は文学には興味がなく、小林さんの著作なんか殆んど読んだことはない。まして、小林さんが文壇で、どのような位置を占めていたか、そんなことには無関心であった。そういうものを一切ヌキにした付合いであったのが、小林さんにとっては気楽だったのであろう。〉
 青柳氏が夫人から取材した次のエピソードがおもしろい。
 〈トヨタ自動車が大きな会社に成長する以前に、小林秀雄が招かれ講演に出かけたときの話である。小林は帰って来るなり、「トヨタは日本一、そのうち世界一の自動車会社になるね」と告げたことがあるそうである。白洲は日本の自動車などまったく認めていなかったから、「そんなことはあり得ないよ」と答え、「小林なんかに車がわかるはずがない」と言うと、小林は自分が見て来たトヨタの鉄の研究の話をし、猛烈に反駁したという。やがてトヨタはみるみる成長し、世界有数の自動車会社となった。白洲は小林に兜を脱いだ。「ああいうことが小林にはわかるんだ、天才的なひらめきがあったよ」と語るのだった。〉
 肝胆相照らすとはこのことか。
 白洲次郎はこう遺言した。
「葬式無用 戒名不用」
 いかにも風の男だ。一方竜馬は遺言する暇もなく立ち去った。ここだけは違う。 □


岩手ゼロのふしぎ

2020年06月02日 | エッセー

 4月11日から始まり昨日(6月1日)まで、岩手県は唯一新型コロナの感染者・患者ゼロを更新中である(今まで本稿で述べてきた通り感染者数については括弧に括っても)。北海道に次ぐ全国第2位でほぼ四国に匹敵する面積、人口は約122万人。それでも“ゼロ”だ。実にふしぎではないか。
 報道では以下の諸点が挙げられている。──
▼本州で最も面積が広い一方、人口密度が全国2番目に低い。
▼早くから首都圏からの来県者、首都圏に1泊した県民に2週間の外出自粛を要請してきた。
▼PCR検査数が全国で最少(知事は必要あれば無症状でも検査していると強調)。
 休業要請と補償についてはどうか。
▼休業要請はキャバレー・ナイトクラブなど接待を伴う遊興施設、パチンコ・ゲームセンターなどの遊技施設、スポーツクラブといった運動施設。一方、居酒屋やバーは対象外。
▼休業への協力金は売り上げ半分以下10万、家賃補助が月10万。
▼県の補正予算案は、協力金1億、家賃補助6.5億を計上。──
 人口密度は最下位の北海道に次ぐが、岩手より20%も密度が低い北海道では依然猛威を振るっている。確かに札幌は県庁所在地の全国13位、盛岡は45位で密集に遍頗はある。しかしそれだけで“ゼロ”とはいくまい。ほかの点も決定打とは言い難い。因みに5年前のデータではがん死亡率は全国平均の106%、際立った数字ではない。
 5月15日の朝日。
 〈新型コロナウイルスの感染者が全国で唯一、確認されていない岩手県の達増(たっそ)拓也知事は15日、「第1号になっても県はその人を責めません」「感染者は出ていいので、コロナかもと思ったら相談してほしい。陽性は悪ではない」と呼びかけた。県民が「陽性第1号」になることを恐れて、相談や検査をためらうことを懸念しての発言だ。
 「感染未確認でいつづけることは目標でない。陽性者には、お見舞いの言葉を贈ったり、優しく接してあげてほしい。誰しも第1号の可能性がある」と訴えた。
 また、感染者が「ゼロ」である背景には、人口密度の低さや「まじめな県民性」などをあげ、「全国的にもリスクを低く保てている」と指摘。「いざというときに一人ひとりが考え行動することが、東日本大震災の津波の経験からできるようになっていると感じている」と話した。〉(抄録)
 岩手といえば小沢一郎。達増知事もかつては「小沢学校の優等生」と呼ばれた。東大法学部卒、外務官僚を経て衆議院議員。07年から本職に転じた。
 宮沢賢治、石川啄木とくれば、物欲からは遙かに遠い愚直で質朴の風(フウ)が漂う。東京出身の高村光太郎は「岩手の人 牛のごとし」と評している。同じ風(カゼ)は政治家にも吹き抜いている。この場合、愚直と質朴は一徹に純化される。総理大臣では藩閥を向こうに回した平民宰相・原敬(第19代)、二・二六の凶弾に斃れた斎藤実(第30代)、反戦の志に生きた米内光政(第37代)。他県に比して遜色ない顔ぶれだ。だが東京出身ではあるものの、江戸時代から父の代まで盛岡藩に仕えた家系を出自とする東條英機。父は終生長州へのルサンチマンを捨てなかったという。司馬遼太郎がいう戦前日本という「鬼胎の時代」、その『鬼胎』の一典型こそ東條であった。愚直で質朴な風(フウ)も時としてあらぬ狂風と化すのであろうか。
 上記の政治家たちに通底していたものは倒幕藩閥勢力へのルサンチマンを下敷きにしたアンチテーゼであった。奥羽越列藩同盟の潰滅と引き換えに成ったこの国はまるで擬い物だ。われわれの犠牲とは釣り合わない。もう一度つくり替えねばならない。東條はそのために最も先鋭的に動いたといえる。つまり、再建の前に破壊し尽くし更地に戻したのだ。そう意図したものかはともかく、歴史的トポスはそこにあった。
 さて、“ゼロ”についてである。どう考えても作為はない。偶然でもない。4月11日に鳥取が抜けた時、岩手は“ゼロ”をデフォルトにしたのではないか。そこからやおら蠢き出たのが愚直で質朴の風(フウ)。純化された一徹。さらには「ルサンチマンを下敷きにしたアンチテーゼ」だ。そう、アンチテーゼとしての“ゼロ”である。
 けれども、それで辻褄が合うわけではない。腑に落ちたともいえない。逃げを打つ気はないが、この杳として知れない漠然に岩手の深い奥行きが、ふしぎがある。そう括りたい。
 第2・3波に処するに抗体が作れなかったことは不安材料だが、さらなる“ゼロ”更新を切に祈りたい。「陽性は悪ではない」と信じて。 □