伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

“熱い言葉”にオブジェクション

2014年12月30日 | エッセー

  『(日めくり)まいにち、修造!』がバカ売れだそうで、カレンダー部門でトップセールスを記録している。松岡ワールドの“熱い言葉”が31回、日毎に飛び込んでくる趣向だ(月毎に繰り返し)。
「わがままでなく、あるがままに」
 ふむ、パクリのようでもあるが、単に韻を踏んだだけでもあるような……。
「崖っぷち、だーい好き」
 自著に「崖っぷちありがとう! 最高だ!」というのもある。ポジティブシンキングの典型か。
「後ろを見るな!前も見るな!今を見ろ!」
 なんとなく解るが、前も見ちゃいけないとなるとなんだか舌が滑ったようで……。
「自分を持ちたいなら、サバになれ!」
 修造ワーディングの極致であろうが、ほとんど理解を超えている。
 このカレンダー以外でいくつか“熱い言葉”を拾ってみると、
「よーし、絶対に勝つ。勝ったらケーキだ!」
 これ以上ないほどシンプルで、景気(失礼)づけにはもってこいかも。
「今日からおまえは富士山だ!」
「上海見てみろ。上海になってみろ!」
 凡愚には外国語に等しい。禅問答の沙門でも面壁8年ぐらいでは答えが出まい。と、こんな具合で、すげぇー格言王の登場である。たいがいあとさきのコンテクストがなくても成立するのが格言・箴言であろうが、御金言の来由を仔細に訊かねば“サバ”や“上海”が何のメトニミーなのかとんと困じ果ててしまう。あるいは、ひょっとしてそのものなのか。だとすれば、新しい宗教でもお始めになったのかもしれない。
 ともあれ、自らをインスパイアーするために発してきた言葉を集めたのだそうだ。一括りにすれば、ポジティブシンキングであろう。なぜ受けるのか。洒落っ気であろうか。いや、ニーズがなければヒットはしない。3.11以降際立った世相を蔽う暗雲、ついついマイナス思考へ誘(イザナ)う世情が超ポジティブな“熱い言葉”に快哉を送っているのではないか。とてもその逆は考えられない。近年隆盛の癒やし系とポジティブシンキング。両極のようでいて、同根のような気がしてならない。
 精神科医の香山リカ氏は近著「堕ちられない『私』」(文春新書)で、「成長幻想を刷り込まれた頭は、伸びるものや大きくなるものに対して思考停止の反応をしてしまうのかもしれない」と指摘する。「成長幻想」が招く「思考停止の反応」──実に鋭い。背景には、「もっと自分を磨こう」、「もっとお金を儲けて成功しよう」という「アメリカ流ポジティブシンキング」があるという。「アメリカ型新自由主義経済」の影響で経済合理主義のみが貫徹する「成長幻想」社会。「やみくもにがんばるいまの風潮は心身を疲弊させ、やがて社会全体の活力を失わせることになるだろう」と警告する。「危険ドラッグ、ギャンブル、暴力、いかがわしい金儲け」に嵌まっていくのは、その先鋭的な徴候であるという。だから、「成長幻想から解放されるには、『減る』とか『縮む』ということがマイナスでもなんでもないのだということをまず受け入れていかないといけないだろう」と語る。
「人間の自然な感情として、嘆いたり悲しむということはとても大事なことだと思うが、ポジティブシンキングが極端に強いと、嘆いたり悲しむ時間は人生を停滞させる無意味な時間ということになるのだろう」
「現代人は前に進むことを足し算の発想でとらえる習慣が沁みついている。いろいろなものを足して、増えていくことはいいことだという感覚だ。反対に『ダラダラゆっくりする』とか『何もしない』という行為は、マイナスの方向に人生を向かわせる引き算の行為として低い評価の対象となってしまう。だが、『がんばる』とか『努力する』といったベクトルが強すぎるために現代人の心は多くの問題を抱えているのだから、生活にもっと引き算という発想を取り入れていくべきだと思う」
 とも呼びかけている。「堕ちられない『私』」という書名はそのあたりの事情を指している。豊富な臨床例を基に世に警鐘を鳴らす好著である。
 修造くんには悪いが、ひとつのアンチテーゼを供してみた。ぼくはとてもじゃないが「サバ」にも「上海」にもなれそうもない。 □
※今稿で本年締め括りといたします。皆さま、よいお年を! 


総選挙に異議あり

2014年12月23日 | エッセー

 異議とは突然の解散でも、争点なき選挙でも、あるいは1票の格差でも、戦後最低の投票率でも、はたまた団扇議員や観劇会議員の楽々再選でも、重複の比例で最後に滑り込んだカンちがい元最悪首相でもない。テレビメディアの腰抜けに対してだ。
 まずは先月28日の報道を引こう。
〓選挙報道「公正に」 自民、テレビ各社に要望文書
 自民党が在京のテレビキー局各社に対し、衆院選の報道にあたって、「公平中立、公正の確保」を求める文書を送っていたことがわかった。
 文書は萩生田光一・筆頭副幹事長と、福井照・報道局長の連名で20日付。過去の例として、「あるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、それを事実として認めて誇り、大きな社会問題となった事例も現実にあった」と指摘。そのうえで、▽出演者の発言回数や時間などは公平を期す▽ゲスト出演者などの選定についても公平中立、公正を期す▽テーマについて特定政党出演者への意見の集中などがないようにする▽街頭インタビュー、資料映像などでも一方的な意見に偏らない――などを「お願い」する内容だ。
 在京民放5局は27日、朝日新聞の取材に対し、自民党からこの文書を受け取ったことを明らかにした。そのうえで、これまでも選挙の際には自民党だけでなく複数の党から公正中立を求める文書が来たこともあるなどとして、「これまで同様、公正中立な報道に努める」(TBS)などとコメントした。NHKは「文書が来ているかどうかを含めてお答えしない」とした。
 安倍晋三首相は18日、TBSの「ニュース23」に出演した際、景気回復の実感がないという趣旨の街頭インタビューを見て、番組の編成について「おかしいじゃないですか。皆さん(街の声を)選んでおられると思いますよ」などと発言している。
 放送法では「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」などと定めている。放送免許を総務相から与えられている放送局は、公正中立な報道が義務づけられている。〓(朝日新聞より抜粋)
 正確には、「ニュース23」の街頭インタビューを聞き終えないうちに首相は苦々しくイヤホンを抜き取って、憤懣を顕わにして上記の発言に及んだ。まるで幼児のような対応だった。そして2日後の要望文書である。直接指示をしたのか、腰巾着が意を忖度したものか。いずれにせよ見え見えの意趣返しだ。
 而して、テレビから「選挙」がぴたりときれいに消えた。ニュースは選挙の経過を準るだけ。いつもはしゃぎまくるワイドショーも選挙絡みの話題は皆無。NHKが型通りの討論会を開いただけ。これでも選挙の渦中にあるのかと疑うほどの静けさだ。政界通のコメンテーター諸氏も雲隠れ。お笑い出身の司会者やひょっとこ顔のアンカーマン、庶民派を気取るMC、くだけた実直さが売りの局アナなどなど、みんな選挙なぞ素知らぬ顔だ。辛口の批評で鳴らす先生方も選挙には口を噤んだまま。さらに事後になって指摘した声も聞かない。こんなことは尋常ではない。前代未聞といって過言ではない。もう言論統制そのものではないか。
 要望文書は一見、もっともにも採れる。しかし政権党の『要望』が実態的にどのような意味を持つのか、「公平中立、公正の確保」を言挙げするくせにまったく斟酌されていない。この強権的手法に対する悲しむべき無自覚。権力の執行者としての恐るべき慎みのなさ。無思慮。この重大事にオブジェクションを提起したメディアは朝日と毎日以外、寡聞にして知らない。
 かてて加えて事大主義か、総務省怖さのゆえか、『要望』を唯々諾々と受け入れたテレビメディア。こんな腰抜けにマスメディアを牛耳られていることに、国民はもっと自覚的でなければならない。憲法21条を進んで空文化しているのはいったい誰なのか。本邦のテレビメディアは危うい。「いつか来た道」への危惧に過敏過ぎて道を過つことは断じてない。災害への備えに備え過ぎがないように。
 とりあえずは、こんな為体(テイタラク)のテレビメディアが垂れ流す情報には眉に唾着けるに及くはないと心得よう。
 本年9月の拙稿「朝日、謝罪不用」で引いた碩学の警句を再び引きたい。
◇僕と朴先生(「反共罪の冤罪で13年獄に繋がれた韓国の知識人・引用者註)の違いは、その自負のたしかさの違いなんだと思います。矜持がある。自分を信じられる。自分を頼れる。経験の中でそれを学んだという人というのは、今の日本社会にはもう存在しないんです。だって、秘密警察も予防拘禁も拷問もないわけですから。だから、「仮にそうなったら」という話しかできない。だから、日本のメディアでも、政治的に過激なことを揚言する人がいくらもいますが、この中に獄中に十三年投じられても、その政治的意見を揺るがせないでいられる人間が何人いるだろうかと思ってしまうんです。何人かはいるでしょうけれど、九五パーセントくらいは警察に一喝されたら、あっというまに腰砕けになってしまうでしょう。彼ら自身もそのことは何となくわかっているはずです。でも、「警察の拷問に耐えられる人間なんかいるはずがない。暴力で脅かされたら、誰もがあっというまに自分の意見なんかひっこめる」と思っている人間たちばかりで日本の論壇は形成されている。その中で暮らしてきたせいで、僕はほんとうにそういう人がいるという事実を忘れていたんです。それを朴先生に会ったときに思い知らされました。鶴見俊輔とか大岡昇平とか吉本隆明とかは会えばこんな感じかなと、僕は何となく思ったのです。でも、そういう世代の人たちがわれわれの前からどんどん消えていっている。自分の語る言葉の重みを担保できるだけの生き方をしてきた人のたたずまいがどんなものか、僕たちはもう知らない。「身体を張ってものを言う」ということについて歴史的な検証に耐えた人というのを、僕らはもう見てないんです。◇(NHK出版新書、内田樹著「日本霊性論」から)
 メディアの本来的立ち位置は反権力である。権力の宣伝媒体となったメディアはすでにその名に値しない。なにかを語ることだけがプロパガンダではない。なにかを語らないことでもプロパガンディストたりうる。もし後者に手を染めたとしたら、それはメディアの自死に等しい。 □


ライスカレーはいかが?

2014年12月20日 | エッセー

 それでどうしたと言われれば応えに窮してしまうが、積年の謎に腰だめの当て推量でけりをつけておきたい。
 “ライスカレー”か“カレーライス”か。
 元々別物である、あるいは盛りつけの違いだというトリビアルな説は打棄っておいて、両者は同じものという前提で愚案を廻らす。
 団塊の世代は学齢期に前者から後者への移行期に偶会している。高度成長期に全国を席巻したこの食べ物は後者を名乗った。だから、長じてはほとんど後者である。前者はなんとなく野暮ったく古色蒼然たるものがある、と捉えるのがこの世代以降ではあるまいか。ひょっとしたら、今の若者たちは前者は聞いたこともないかもしれない。
 “curry and rice”と称されるものは、18世紀後半インド料理をベースにイギリスで産された。海軍のメニューに採用された時、揺れても食せるようにとろみが加えられた。それが明治期、“Curried rice”として本邦に舶来した。大括りにすれば、そういうことだ。
 だから初出の呼称に基づけば、“カレーライス”が正解だ。と、ここまではいい。
 “丼”とは器のことだが広く米飯と捉えれば、牛丼とは言っても丼牛とは言わない。上に乗っかるものが先に来る。天丼、親子丼、玉子丼、海鮮丼、いくら丼、すべてそうだ。丼天では天気が悪そうだし(曇天)、丼親子では言いにくくて不味くなる。だから、“カレーライス”は本邦の慣習にも適う。となれば、なぜ“ライスカレー”と呼んだのか。ここだ。
 “丼天”の伝でいけば、本邦では米飯を主食とするから“ライス”を先にしたとの見方は短見といえよう。そこで想像を逞しくすれば、“カレーライス”で入ってきたものが“ライスカレー”に変わったのではないか。そしてまた“カレーライス”に戻った、そう当て推量をしてみたい。
 おもしろいのは帝国海軍では“カレーライス”であり、帝国陸軍では“ライスカレー”であったことだ。前項はよく解る。イギリス海軍を範として創出された歴程を考えれば、海軍が本家に忠実であったのは納得がいく。ところが後項はどうしたことか。実はこれはズージャ語ではなかったのか。海軍への対抗意識から陸軍がズージャにした、そう当て推量をしている。もちろん腰だめ、エビデンスなぞない奇想である。
 ズージャ語、つまり倒語は隠語というほど重くはない。タームほどお高くはない。軽妙なスラングといったところか。江戸時代に流行した。「だらしない」は「しだらない」のズージャであり、「どさくさ」の「どさ」は佐渡をひっくり返した。挙げれば切りがない。その江戸伝来の語法が引き継がれ、戦後はジャズマンによって大流行りし芸能界では今も盛んに使われる。少しばかりの洒落っ気に少なからぬ占有意識が混じっているといえまいか。
 陸軍の賄い方が洋風に靡きがちな海軍の向こうを張って、この舶来の食い物を倒語で呼んだ。ならば、こっちの方が“カレーライス”よりもよほど小洒落た物言いだったといえなくもない。数は圧倒的に陸軍が多い。当然、市井への伝播は陸軍式になった。だから、明治後期から戦前にかけては“ライスカレー”が大勢を占めた。
 敗戦後、それが逆転する。戦前的なものは古いとする価値観が隆盛となる。加えて高度成長による量産化や品質の向上、食事情の洋風化が急伸した。簡便なルウが普及し、メーカーは“今風”に“カレーライス”と銘打った。ほぼ東京オリンピックを挟んで、“カレーライス”が首座を占めた。そういうことではないか。
 それでどうしたと問われれば、なんとも応えかねる。ただ、語感の新旧に世の移ろいのなにがしかが瞥見できそうだとはいえよう。
 括りに、故井上ひさし氏の実に軽妙なエッセイを引いておきたい。
◇「カレーライス」または「ライスカレー」。
 つまり、どっちでもいいのだ。が、そこがわたしの如き凡人のつまらぬところで、どっちかに決めないとどうも不安なのである。そこでこう考える。
(自分としてはライスカレーという呼称の方に愛着がある。なぜならちいさいときからそう言ってきたからだ。しかし、じつはやはりカレーライスが正しいのではないか。その証拠に、ハヤシライスとはいうがライスハヤシとはいわない。オムライスとはいうがライスオムとはいわない。またソースライスとはいうがライスソースとはいわない……)
 ソースライスとはわれわれが学生時代に好んで食した代物で、白い御飯の上にソースをぶっかけただけのやつであるが、それはとにかく、これで一応自分なりの結論は出たわけである。
 ところが、このあいださる立派なホテルの食堂で、給仕長に、
「カレーライスをください」
 と申し上げたところ、
「ライスカレーでございますね」
 と、念を押されてしまった。
 立派なホテルの食堂の給仕長がまさか出鱈目を言うわけがない。するとやはりライスカレーという呼称がより正しいのであろうか。◇(河出文庫「巷談辞典」から)
 大家に倣って「どっちでもいいのだ」としたら、稿者はこれから“ライスカレー”でいってみようかしらん。浮き世の流れはズージャできないにせよ、せめて食い物の名前ぐらいズージャにして抗ってみるのも一興だ。存外、こちらが新鮮で今風かもしれない。 □


嘘八百(ようやっと800回)

2014年12月16日 | エッセー

 本ブログは今稿で800回となる。06年3月に始めてより、8年と9ヶ月。遂に“大台”に乗った。とはいってもほとんどのブロガーにとってはさしたる数字ではなかろうが、稿者にとっては遙かなる稜線であった。喘ぎ喘ぎつつ、なんとか辿り着いた。
 なによりも先ず、決してリーダブルとはいえない、どころか佶屈聱牙この上ない駄文にお付き合いくださった方々に満腔の謝意を表したい。お一人ずつにせめてご祝儀の1万円なりともお配りしたいところだが、預金はすべて他人名義のため手元には糊口を凌ぐだけの金子しかない。したがって、やがて1万回に達した暁にはきっと約束を果たすことをここに固くお誓いして、今回は謝辞のみに止めたい。
 一句、湧いた。

    八年で嘘八百の八百回

 お粗末。そこで、解読。
 “八”には「多くの」という字義がある。末広がりの字形だからであろう。欧風の“8”も横にすれば「∞」となる。不思議にも類義といえる。「八百八町」は江戸の町、「八百八橋」は大阪の河、「八百八寺」は京都のお寺。すべて、やたら多い様をいう。さらに、「八百屋」とは“八百万”の商いから来たともいう。青物屋だけではなく、多趣味でかつ雑駁な御仁をも指す。してみると、当ブログなぞはその典型であろう。
 さて「嘘」はどうか。字義は説明を要すまい。だれしも胸に手を当てれば骨身に沁みるあれだ。「嘘字」「嘘吐き」「嘘っ八」。「嘘泣き」「嘘寝」に「嘘の皮」。「嘘も方便」は定番で、「嘘も重宝」「嘘も誠も話の手管」。まだまだ。「嘘は世の宝」てのもあれば、「嘘つき世渡り上手」に「嘘も追従も世渡り」ときて、「嘘をつかねば仏になれぬ」は極め付けか。
 英語は“lie”“fib”と“false”“untrue”では軽重がよほど違う。だが、本邦ではすべて“嘘”で済ます。彼の国は厳格といえるし、当国では柔軟ともいえる。本ブログもぜひその伝来の融通の衣に包んで、「嘘も重宝」とまではいかずとも「浮き世の暇つぶし」ぐらいにはお目こぼしをいただきたい。
 ところで、「嘘は世の宝」とは紛れもない金言だ。訳は浅田次郎御大の以下の言葉に瞭らかである。
◇良い小説は読者に思惟をもたらし、勇気や希望を与え、生きる糧となる。神はそのために、物語という嘘をつく特権を、小説家にのみ与えたのではあるまいか。
 学者は真実を追究しなければならない。しかし小説家は嘘をつくことが仕事である。つまりあらぬ推理をこうして文字にするのは小説家の特権で、しみじみまじめに勉強してこなくてよかった、と思う。◇(前段:「勇気凛凛ルリの色」、後段:「つばさよ つばさ」から)
 「生きる糧」を供すればこその「嘘をつく特権」。吐(ツ)いても吐いても、舌を抜かれる心配のないとびきりの冥加。なんとも羨ましい。
 氏は同窓会で小学校の担任先生から
「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」
 と、すげぇー進路指導を戴いたという。これもとびきりの果報というべきであろう。しかし「小説家にでもなれ」なければ、ただの「嘘つき」ではないか。わが身に引き当てて、悔し涙に暮れざるをえない。
 ああ、やっぱり次は“嘘八百一”。増えるは下(シモ)の数字のみ。末広がりの「八」もやがては苦しみの「九」となる、などと狼オジさんの悲哀に咽びつつ歩みを繰り出すしかなさそうである。皆さま、向後も変わらぬ御愛顧を。 欠片拝 □


(未完)

2014年12月14日 | エッセー

 痘痕も靨である。身内の欲目ともいう。稿者の場合アンマッチだが、面面の楊貴妃でもある。
 6月に「AGAIN」と題した拙稿で、同月リリースされた『アゲイン(未完)』の(未完)を字句通りの「未完成」と取らずに副題と捉えて愚案を捏ねくり回してしまった。不明を恥じ入るばかりだ。冒頭はその言い訳である。
 あらためて完成版を紹介する。

アゲイン
作詞・作曲 吉田拓郎

 〽若かった頃の 事をきかせて
  どんな事でも 覚えてるなら
  思い出たちは すげなく消える

  その時君は 何を思って
  どこへ行こうと してたのだろう
  何かを信じて 歩いてたのか

  心は安らいで いたのでしょうか
  希望の光を 浴びていたでしょうか

  街を流れる 人にまぎれて
  たった1人で 空を見上げる
  あなたの事を 考えている

  僕等の夢は 思いのままに
  歩き続けて 行っただろうか
  あしたの事を 恐れないまま

  欲しかったもの達に 届いたでしょうか
  走り抜ける風を つかめたでしょうか

  時がやさしく せつなく流れ
  そっとこのまま 振り返るなら
  僕等は今も 自由のままだ〽

 “LIVE 2014”のステージでは完成版だったが、書き取れなかった。今月初旬にライブDVD(+CD)がリリースされ、後半(〽僕等の夢は……以降)が明らかになった。
 臆面もなく前記の拙稿を引いてみる。
〓彼は老境に至ろうとしている。素気(スゲ)なく消えた遠い思い出たちをまさぐるのはアゲインのためだ。
 「アゲイン」は回顧ではない。さらに一歩を踏み出すことだ。なぜなら、「アゲインスト」と同源であるから……。だから彼は副題を(未完)と名付けた。

     ちょっと話を聞かせてください
     若かった頃の
     走っていた時代の
     何を見ていたのでしょう
     どこへ向かっていたのでしょう
     やさしい風は吹いていたでしょうか
     希望に満ちた心であふれていたでしょうか
     それは遠い時の話です
     覚えていない事もあります
     ちょっと話してみましょうか
  
 歌詞カードに付記された、自身による『アゲイン』へのコメントである。ここに重い追憶があるだろうか。澱のような悔悟が潜むだろうか。窺えるのは、このミュージシャンの心象にいつも吹いている「乾いた南風」に煽られて、“once again”と行く手を見つめる目ではないか。それは老境という(未完)へのアゲインストにちがいない。〓(抄録)
 ふむ、おかしくはない。幾十星霜を経て偶会したかつての思い人が「君」であろう。「走っていた時代」の「遠い時の話」。「希望の光」や「僕等の夢」が溢れていた。でも、それからは行方知らず。「すげなく消え」た「思い出たち」が連れて行ってしまった。今“老境という(未完)”のとば口で、時に塗れた事どもを「そっとこのまま振リ返る」。抗わず、悔いず、すべてを抱きしめれば「若かった頃」のように再びこころは「自由のままだ」。
 揺蕩うようにシンプルでパワフルなメロディーが流れ、情感を避けつつも緊張を孕んだ拓郎の声が乗る。蓋し、逸作である。だから牽強付会とは承知の上、(未完)は副題とすべきではないか。現世(ウツシヨ)の未完を謳った曲として。 □


毒舌俳人

2014年12月11日 | エッセー

 夏井いつき。なんとも言い辛い俳号である。TBS系『プレバト!!』にいつも和服姿で登場し、歯に衣着せぬ辛口批評でいま注目されている。
 AKB48の元・現メンバーの作品に、直しようもないので
「さっさと帰って寝なさい」
 と突き放し、使い古された表現には
「あたかも自分の脳から生まれたような錯覚をしている俳句。自分の脳みそで考えていない」
 と扱き下ろす。「比喩」と「揶揄」を平気でまちがえると
「日本の学校は何を教えているんだろう」
 と呆れる。メンバーを替えても連続で最下位に泣くAKBを
「恐ろしい組織」
 と断ずる。まことに痛快この上ない。
 先生は当年57歳、現代俳句の生地ともいうべき伊予の出身である。中学の国語教師を経て、昭和末年に俳人として自立する。俳句集団「いつき組」をつくり、自ら「組長」に納まる。小中高校生への俳句教室をはじめ、多彩な活動を展開中。別けても、子規没後100年を期して、向こう「100年俳句計画」を提唱している。松山を活動拠点としつつ東京へは番度飛行機で往き来するアクティブでアグレッシブな俳人である。
 『プレバト!!』は、『使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル!!』の略称である。盛りつけ、生け花、リズム感テスト、粘土造形そして俳句など、芸能人の本当の実力をそれぞれの専門家が評価し、「才能アリ」「凡人」「才能ナシ」にランク付けする。芸能人にとってはかなりのプレッシャーにちがいない。名の知れた歌手がリズム感「才能ナシ」であったり、料理の腕前が自慢の芸人が盛りつけ「ど凡人」と評される。天然で売ってるバラタレや、元プロアスリートが意外な才能を見せたり、結構愉しめる。
 何度か視聴して気付いたことがある。宝塚出身の女優たちについてだ。盛りつけ、生け花、リズム感は「才能アリ」トップなのに、なぜか俳句は滅多切りにされる。感覚系は優れているのに、文系はからきしなのだ。もちろんリテラシーに問題があるわけではない。そこはAKBとは異なる。ただ作品が面白くもなんともない。まったく冴えない。俗にいう「右脳=感覚、左脳=理論」を地で行くようだ。ただし、これは巷説に過ぎないという学者もいる。しかし、信頼する碩学・養老孟司氏はこう語る。
◇視聴覚を共通に処理しようとするのが左脳で、右脳は別々に処理しようとする脳なんです。言い換えると、言葉脳が左で、音楽脳とか絵画脳は右ということですね。右脳は言語を使わないで、音は音、視覚は視覚で処理している。非常に高度な処理をするわけです。左脳は両者を共通に処理するんですが、共通にするためには、目でしかわからない作業とか、耳しかわからない作業を、その中から落としていくんですよ。ですから、右脳を活用する人は芸術に関係が深いというのはそういうことです。それは右脳だから言語に関係がないっていうことでもある。僕は芸大で美術を教えていたんですが、面白いんですよ、学生はだいたい外国語が下手なんです。芸術の能力を高めようとしたら、言葉の能力が低くなるんです。目と耳の共通処理部分が小さくなってくるわけです。だから芸大は入試で外国語を課しちゃいけないところですよ。逆に、言語能力が高いということは、極端にいえば右脳の側の能力が低いということになるんです。◇(扶桑社「記憶がウソをつく!」から)
 稿者はあの現代版女歌舞伎というか、チープなフェミニンミュージカルというべきか、すべてが嘘っぽいヅカが体質的に適(ア)わない(そういえば、タモリは名うてのヅカ嫌いだ)。だからバイアスの掛かった受け取り方をするのかもしれぬが、今のところ『プレバト!!』は如上の言説をきっちり裏書きしている。書いているのは夏井先生だ。
 当然の話、評者は誰の作品かは知らずに判断を下す。前回などは、「才能アリ」1位にイケメン俳優が来た。先生、画面越しに満面の笑みで手を振ってエールを送っていた。なにが毒舌なものか。衣の下のミーハーをちらっと見せる。これも、また憎い。 □


年末のお片付け 2/2

2014年12月09日 | エッセー

 <承前> 

 ⑨ 8月 「下流」から「劣化」へ ── 笠井 潔&白井 聡『日本劣化論』/香山リカ『劣化する日本』
 顕著に劣化が進んでいるのは永田町だ。かといって、越す先はない。みんなで変える? いや、みんなが変わるほかあるまい。

⑩ 8月 「利休にたずね」てみた ── 山本兼一「利休にたずねよ」
 今や名著となった内田 樹氏の『日本辺境論』を徴したい。
◇今、ここがあなたの霊的成熟の現場である。導き手はどこからも来ない。誰もあなたに進むべき道を指示しない。あなたの霊的成熟は誰の手も借りずあなた自身がななし遂げなければならない。「ここがロドスだ。ここで跳べ」。そういう切迫が辺境人には乏しい。日本人はどんな技術でも「道」にしてしまうと言われます。柔道、剣道、華道、茶道、香道……なんにでも「道」が付きます。このような社会は日本の他にはあまり存在しません。この「道」の繁昌は実は「切迫していない」という日本人の辺境的宗教性と深いつながりがあると私は思っています。「日暮れて道遠し」「少年老い易く学成り難し」というようなことがのんびり言えるということは、「日が没する前に道を踏破できなくても、別に構わない」、「学成らぬままに死んでも、特段悔いはない」という諦念と裏表です。「道」という概念は実は「成就」という概念とうまく整合しないのです。私たちはパフォーマンスを上げようとするとき、遠い彼方にわれわれの度量衡では推し量ることのできない卓絶した境位がある、それをめざすという構えをとります。自分の「遅れ」を痛感するときに、私たちはすぐれた仕事をなし、自分が何かを達成したと思い上がるとたちまち不調になる。この特性を勘定に入れて、さまざまな人間的資質の開発プログラムを本邦では「道」として体系化している。「道」はまことにすぐれたプログラミングではあるのです。けれども、それは(誰も見たことのない)「目的地」を絶対化するあまり、「日暮れて道遠し」という述懐に託されるようなおのれの未熟・未完成を正当化している。これはいくつかの「道」を試みてきた私自身の反省を踏まえた実感でもあります。なるほど、「道」は教育プログラムとしてはまことにすぐれたものですけれど、「私自身が今ここで」というきびしい条件は巧妙に回避されている。◇
 これは通念への洪大なオブジェクションである。「『道』は教育プログラムとしてはまことにすぐれたもの」である反面、常に「『私自身が今ここで』というきびしい条件は巧妙に回避され」るモラトリアムにある。辺境ゆえの宿痾か。司馬遼太郎が確か、日本では文化は創れても文明は興せないと何かに書いていた。その背景的事情はたぶんここにある。

⑪ 8月 今これを読まないで、どうする ── 内田 樹「憲法の『空語』を充たすために」
 特定秘密保護法が施行されるのは明日(12月10日)からだ。空腹を充たすためなら、人は万策を講じる。問題の根は空腹感がないことだ。空きっ腹に慣れてしまったのか、病ゆえの不感か。後者だとしたら、危機的状況ではないか。

⑫ 11月 源の在処 ── 浅田次郎「神坐す山の物語」
 『げんのざいしょ』ではない。『みなもとのありか』と力んでみた。“水源の場所”である。浅田文学の因って来る淵源が垣間見られる作品である。

⑬ 11月 腑に落ちない話 ── 富岡幸雄『税金を払わない巨大企業』
 これ以外に財源はどこにもない、というプロパガンダがどれほど刷り込まれていることか。消費増税を呼ばわる前に、その前提に鋭い斬り込みを掛けねばならない。一刀は何か、大きなサジェッションに満ちた一書だ。
 増税延期に内田 樹氏は「国民は猿か?!」と噛み付いた。それでは朝三暮四の逆パターンで、“朝四暮三”ではないかと。流石、論客の快刀は鮮やかに乱麻を絶つ。

 以上13冊、性格は素直なのに、本のチョイスは偏る。支離滅裂でもある。だから、区切りにお片付けをしてみた。 □


年末のお片付け 1/2

2014年12月08日 | エッセー

 師走とはいえまだ終わったわけではないが、この1年に拙稿で紹介した書籍を改めて振り返る。大仰だと嗤われそうだが、年の納めのお片付けである。全部で13冊。一二の旧刊はあるが、ほとんどが新刊であった。(月、拙稿のタイトル──紹介した書籍)
① 1月 “永遠の”アンパンマン ── やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい』
 昨年亡くなった氏の体験記である。年を経るたびにそう感じ入るのかもしれぬが、昨年も、特に今年は『昭和の人』たちが生者の列から離れた。

② 1月 ぼくは右翼だ! ── 速水健朗「フード左翼とフード右翼」
 政治では、欧米の趨勢は中道左派にシフトしつつある。本邦では右振れが顕著だ。1周も2周も遅れているといえよう。

③ 1月 村田松蔵 箴言録 ── 浅田次郎「天切り松 闇がたり」第五巻
 この巻のタイトルにもなった最終話「ライムライト」の舞台は帝国ホテルである。11月所用で上阪した折、娘のプレゼントで大阪の支店に一泊した。本店ほど厳かではないものの豪壮な建物にハイエンドな応対であった。朝のレストランでは臨席に初老の、夫婦と覚しき二人がスウェーデンの土産話に興じていた。海外へは旅慣れている様子が言葉の端々に窺える。
「火星から戻ったんならそりゃー土産話も珍しかろうが、今どきヨーロッパの端っこじゃあ珍しくもなんともないよな!」
 と、聞こえよがしに捨て台詞を吐いて席を立つ……のつもりが、ついコーヒーと一緒に嚥み込んでしまった。雑魚の魚交じりは性格を歪めるから用心、用心。

④ 3月 なぜ、青か ── 福岡伸一「動的平衡」
 それから約半年を過ぎて、青色LEDが一躍脚光を浴びた。今はまた、授賞式の話題で持ちきりだ。なんとも、「青」とは不思議な色だ。

⑤ 団塊世代必読の書 ── 橋本 治『リア家の人々』
 内田 樹氏の「模造記憶」論を、一再ならず引用する。
◇大瀧詠一さんが前に言ったことですけれど、一九六〇年代のはじめにリアルタイムでビートルズを聴いていた中学生なんかほとんどいなかった。にもかかわらず、ぼくたちの世代は「世代的記憶」として「ラジオから流れるビートルズのヒット曲に心ときめかせた日々」を共有しています。これはある種の「模造記憶」ですね。でも、ぼくはそういう「模造記憶」を懐かしむ同世代の人たちに向かって「嘘つけ、お前が聴いてたのは橋幸夫や三田明じゃないか」なんて、言うつもりはないんです。記憶というのは事後的に選択されるものであり、そこで選択される記憶の中には「私自身は実際には経験していないけれど、同時代の一部の人々が経験していたこと」も含まれると思うのです。含まれていいと思うのです。「潮来笠」と「抱きしめたい」では、後者の与えた世代的感動の総量が大であったために、結果的にぼくたちの世代全体の「感動」はそこに固着した、ということで「いい」のではないかと思うのです。自分が身を以て経験していないことであっても、同世代に強い感動を残した経験であれば、それをあたかも自分の記憶のように回想することができる。その「共同記憶」の能力が人間の「共同主観的存立構造」を支えているのではないかと思うのです。◇(文春文庫「東京ファイティングキッズ・リターン」から)
 だから、例えばこんな言い方もできる。「猫も杓子もビートルズに現を抜かしていたけど、ぼくは『潮来笠』に痺れていたね」。これも立派に「共同主観的存立構造」を裏書きしているのだから。
 時としてまったくかつてのトレンドに疎い(というか、記憶自体がない)同級生がいる。「いたく国民的常識に欠けるヤツだ」とよく詰るのだが、「世代的記憶」や「模造記憶」からオフセットされた“希少種”として保護の対象にするのも一計かもしれない。

⑥ 5月 我が解を得たり! ── 水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」
 実は、本書こそ今年の一推しである。浜 矩子先生は「成熟社会」といい、藻谷浩介氏は「里山資本主義」を唱え、内田 樹氏は未来の社会像に江戸の知恵を活かせと訴える。心ある識者の炯眼は本書に焦点が収斂されるといっておかしくはない。

⑦ 6月 なぜか、『ガダラの豚』 ── 中島らも『ガダラの豚』
 本年7月26日は、らも氏の十周忌であった。早いものである。一説によると、「オレは酔っ払って階段から落ちて死ぬ」とかねてから予告していたそうだ。“見事”というべきか、寸分違わぬその通りの死に様であった。

⑧ 7月 コロッケは巧い! ── コロッケ著『マネる技術』
 荊妻の自慢料理は蟹コロッケである。子供たちにとって唯一のお袋の味でもある。蟹をふんだんに使っている。ただし、カニ擬きだ。砕いたゆで卵にそいつを混ぜ、衣を付けて揚げる。これがなかなかいける。実は発想豊かな家庭料理で売った料理家・平野寿将のレシピである。擬きが本物に化ける。まるで“ものまね家”コロッケくんのようだ。

 以下、次稿。 □


「郵便」を考える

2014年12月05日 | エッセー

 先日のこと、荊妻が「ケンベンをトーカンしに、ちょっと出てくる」と言い残して出掛けた。聞き流して数秒後、「えぇー、なんだそれは!」と椅子からずり落ちそうになった。
 仕事の関係で月に一度は検便をしている。それは知っている。だが、それと郵便ポストはどうにも結びつかない。聞き違えか、でなければ世には奇妙な組み合わせがあるものだと思案するうち帰ってきた。訊けば、本当に検査機関に郵送するようにシステムが変わったという。郵便事業の低迷に追い詰められて、日本郵便はついにヤケクソ(失礼)になったのか。勿論極々小さい専用容器に“厳重に梱包”されてのことだが、手間とコストを省いていけばこうなるのかもしれない。「それじゃあ、本当の郵“便”だな」と駄洒落を飛ばしておいて、おもしろそうなので調べてみた。
 「郵」の字源は、旁が村や集落を意味する「阝」、偏の「垂」が辺境を意味する会意文字である。だから「郵」とは国境に置いた伝令の中継所のことであり、そこから伝令や文書を逓伝していく仕組みをそう呼んだ。
 「便」の字源は、「人」と「更」の会意。旁の「更」はぴんと伸ばすという意味の「丙」と動詞の記号である「攴」に分解される。つまり、人および人々がフラットで障害のない様(サマ)を「便」と解してよかろう。だから人びとの場合は「便り」となり、個人においては「便通」となる。
 してみると便りと便通は同類、同根ではないか。さらに逓伝の謂である「郵」が加われば、「ケンベンをトーカン」するになんら不都合はないといえる。むしろ常態かもしれない(それは言い過ぎか)。ともあれ尾籠な話でも、ルーツを辿ればいろいろ判る。
 そこで、もう一っ飛びしてみる。
 養老孟司御大が今年6月刊の『「自分」の壁』(新潮新書)でこう語っている。
◇子どもがよく発する、こんな素朴な疑問について考えてみてください。「口の中にあるツバは汚くないのに、どうして外に出すと汚いの?」なかなか鋭い疑問です。たしかに、口の中にツバがあることは気になりません。でも、ツバをコップに溜めていって、一杯分飲めと言われたら、いかに自分のものでもふつうの人は嫌がります。私も嫌です。どうしてさっきまで平気だったものが嫌になるのか。これにどう答えればいいのでしょう。なかなか、うまい答えが思いつかないのではないでしょうか。
 この答えは、人間は自分を「えこひいき」しているのだ、と考えればわかってきます。人間の脳、つまり意識は、「ここからここまでが自分だ」という自己の範囲を決めています。その範囲内のものは「えこひいき」する。ところが、それがいったん外に出ると、それまでの「えこひいき」分はなくなり、マイナスに転じてしまう。だから「ツバは汚い」と感じるようになるのです。もうお前は「自分」ではない、だから「えこひいき」はできない、ということです。大便や小便についても同じことがいえます。いかに自分の体から出たものとはいえ、便を汚いと思うのがふつうです。しかし、体内にあるうちはその汚さを気にしないのもまた事実です。「あんな汚いものが体内にいつもあるなんて耐えられない」という人は、ちょっと問題があります。水洗トイレが普及したことも、この「えこひいき」とかかわっていると私は考えています。くみ取り式はなぜ消えたのか。経済の成長も要因の一つでしょう。でも、私は、多くの人が「自分」「個性」と言い出したのと、水洗トイレの増加は並行していると思っています。
 「えこひいき」すればするほど、出て行ったものは強いマイナスの価値を持つようになるのです。さっきまで便はお腹の中にあった「自分」の一部だった。その時には別に汚いなんて思いません。でも、出て行った途端に、とんでもなく汚いものに感じられる。早く目の届かないところにやってしまいたい。だからサーッと流してしまえる水洗トイレがいいのです。◇(抄録)
 もう、養老節の大グルーヴである。「意識」偏重の世のありように警鐘を鳴らした件(クダリ)である。「『自分』というものを確固としたもの、世界と切り離されたものとして、立てれば立てるほど、そこから出て行ったものに対しては、マイナスの感情を抱くようになる」とは重く、深い。大きく括れば、西洋流二元論の隘路、ピットホールか。それにしても、「多くの人が『自分』『個性』と言い出したのと、水洗トイレの増加は並行している」とはすげぇー展開、荒技ブレーンバスターの爆裂だ。
 これで話は通っただろうか。例の郵送は、いま一般の健康診断でも使われるそうだ。“便”利といえば、そうかもしれない。しかしどこまでいっても人間の体は不“便”なままの、時として制御不能の自然であることに変わりはあるまい。 □


2014流行語大賞を評す

2014年12月04日 | エッセー

 大賞以外のトップ10から。
【ありのままで】
 なにやらアニメ映画の歌らしい。そちらもとんと不案内なもので、歌を聞いた時「蟻のままで」と解していた。キリギリスにはならずとも蟻には蟻の生き方がある、なんていうことかと。どうもそうではなかったらしい。
 精神科医の片田珠美氏が、近著でこう語っている。
◇最近は、大ヒットした映画『アナと雪の女王.』の劇中歌の影響で、「ありのまま」の自分を前面に押し出しても許されるとか、認めてもらって当然と思い込んでいる方がいらっしゃるようだが、とんでもない勘違いである。「ありのまま」の自分を受け入れてもらえないと愚痴をこぼしたり、他人を恨んだりするのは、傲慢な思い上がりにしか私には見えない。あの歌詞は、自分は何者なのかと葛藤している人に向けたメッセージであり、幼稚な大人のわがままを肯定するものではないはずだ。職場、学校、家庭などで、多かれ少なかれ他人と関わりながら生きてゆかなければならない以上、あなたが自分自身について抱いているイメージと、他人からの客観的な評価とのズレはできるだけ小さいほうがいい。このズレが大きければ大きいほど勘違いしやすいからである。それを防ぐためにこそ、他人の目にあなたがどんなふうに映っているのかをある程度知っておくことが必要なのである。◇( PHP新書「プライドが高くて迷惑な人」から)
 「幼稚な大人のわがままを肯定するものではない」とは、厳しい一撃だ。蜂の一刺し、いや蟻の一穴に要注意ということか。
【カープ女子】
 「○○女子」は最近の流行りだ。新球場オープンに併せて球団が仕掛けたらしい。めっぽう鯉濃がお好きな女子の謂ではない。けれども、シーズンが終わってみればやっぱり薄かった球団の存在。ここのとこ、それの繰り返しだ。鯉濃のように濃密なシーズンは来るのか。サポート運動に、ぜひ鯉濃を取り入れてはいかがか。
【壁ドン】
 プロレスラーの頭突き技ではない。かといって、隣室がうるさいと壁をドンとやる威嚇でもない。少女マンガのプロポーズシーンから流行ったそうだ。その後向き合った女性の顎をクイッと持ち上げる「顎クイ」が派生し、壁を背にした女性の股に脚を入れて壁を蹴る「股ドン」なるものも生まれたらしい。草食系男子の“壁”を破るトライアルだとの分析もある。なんだか、建築屋さんが儲かりそうな話だ。
【危険ドラッグ】
 特定秘密保護法、武器輸出三原則の廃止、日本版NSC、ODAの見直し、そして集団的自衛権。永田町にも同類が蔓延しているのではないか。第一、「ドラッグ」に「危険」を冠するのは形容矛盾ではないか。傍目には危険極まりないのに、当人は薬だという。どこかの政権に構図が似てないか。
【ごきげんよう】
 NHK朝ドラでエンディングに流れるナレーションだそうだ。生まれてこの方朝ドラなぞというものを見たことがないので、伝聞である。ひょっとすると、声の主はあの妖怪(失礼)さんでは。だとすると、朝っぱらからあの声音では眠気もすっ飛ぶというものだ。
【マタハラ】
 又、股の裏側への“カンチョー!”ではないかと早とちりしそうになった。なんでも言葉を縮めるのは日本人のお得意だが(米国人もそう)、用心して約めてもらわないととんだ誤解を生む。で、その誤解を又してもハラスメントだと叱られる。
【妖怪ウォッチ】
 ゲームソフト、およびそのグッズだそうである。『ごきげんよう』の妖怪さんではない。あのお方をウォッチしたら、「なんか用かい?」っていわれそう。
【レジェンド】
 先日もW杯で優勝した葛西紀明を筆頭に、青木功や山本昌広をそう呼ぶそうだ。しかし生きている者がレジェンドとは、なんかおかしくはないか。棺を蓋いて事定まるのはずだがから、もっと外の言い方が望ましい。といって、妙案はありませんが。
 さて、大賞は【ダメよ~ダメダメ】と【集団的自衛権】のダブル受賞であった。前者は一発芸人(たぶん)の一発ギャグ(たぶん)であり、後者は政治用語である。片っぽはすぐ消えるし、もう一方は尾を引きそうだ。だが、この異質の組み合わせがいい。実に、いい。久しぶりに流行語大賞に唸った。
 両方併せると、巧みな政治的メッセージとなる。字数(ジカズ)は違うが、絶妙な狂歌ともいえる。
   泰平の眠りをさます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず
 黒船来航に動顛する世相、別けても幕府を揶揄し洒落のめした狂歌の名作である。高価なお茶である上喜撰を蒸気船に、四杯を軍艦四艘に掛けている。吉田松陰も「アメリカガのませにきたる上喜撰 たった四杯で夜も寝ラレズ」と、直筆で記録していたそうだ。
 これほど高級ではないが、「ダメよ~ダメダメ集団的自衛権」と詠めばなかなかいける。政治用語をドンと引きずり下ろし、一発ギャグと同列にしてしまう。しっかりツイストしておちょくっている。これぞ狂歌の精神である。
「泰平の眠りをさます集団的 たつた三文字(ミモジ)でいつか来た道」
 お粗末。 □


町“残し”

2014年12月01日 | エッセー

 藻谷浩介氏が対談集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社、本年3月刊)で、町の再生に情熱的に取り組む若者たちに触れている。(以下、抄録)
◇「この町をなんとかしたい」と動きだすのは、大抵若い男女です。町が栄えていた頃を知らず、ノスタルジーも抱かない世代なのに、一体何をもって、そう思うのか。
 深い動機として、自分が後世に残すべきものがこのままでは何もない、せめて町を残すことに参加したい、という思いもあるんじゃないか。残すだけの価値のある町を作りたい。
 ただ困ったことに、地方政治のイニシアチブを取っている六〇代以上の男性の多くには、驚くほどそういう感覚が欠けているんです。「自分」の「今」が大事で、未来や子孫に向けた思いなんてない。
 イケイケの兄ちゃんたちの、妙に熱い地元愛。資産保有層の保守ではなく、カネもないけと地域を受け継いで残していこうという保守的なマインドを持っている。近代家族が崩壊しても人間にはやはり何か拠って立つものが必要で、だけど今時、多くの人は、家族や会社か続いていくことを期待できない。国では余りに大きすぎて実感が乏しい。そこで、地域だと思うんです。 自分か死んだ後にも残る、自分の町の歴史の一ページに少しでも手を貸したという実感は、他では得がたいものだと思うんです。だって、身近にありながら自分を超えていく存在って、企業も家族も先行き怪しい今、他にないんですよ。◇
 過疎化が進むわが片田舎にも、「妙に熱い地元愛」をもった「イケイケの兄ちゃんたち」がいる。近年とみに増えた。
 確かにモチベーションに郷愁はない。やはり、町“残し”なのであろうか。「六〇代以上の男性の多くには、驚くほどそういう感覚が欠けている」との指摘は身につまされ、忸怩たらざるを得ない。戦後復興の歩みが挙げて「そういう感覚」とはまったく逆のベクトルの元に駆動されてきた(都鄙を格付けし、鄙から都へあらゆるリソースを収斂して成長がなされた)ことを以て敢えないエクスキューズとしたい。悲しいことに、刷り込まれた価値観は容易に拭えない。
 対談相手の社会学者である新 雅史氏が、「今、徐々に増えている地域にかかわろうとしている若い人たちに対して、一緒に地域の中でアントレプレナーシップをつくっていこうよというふうに提示することは可能だろうし、それを生かせる空間を保持していくのが、上の世代の責任のような気がしています」と締め括っている。これもまた頂門の一針。恐懼するばかりだ。
 同書で、藻谷氏はこうも述べている。
◇日本人は、一神教を生み育てた砂漠の民に比べて、場所というものに対する感度が高い。だから、自分の住んでいる町、地域というものこそ、自分の生を超えて続いていくものだという考え方を、共有しやすいと思うんです。◇
 町“残し”の奥に土着への指向性があるというわけだ。農耕民族のゆえであろうか。このままの出生率で推移すれば3000年代初頭には日本人は消える、つまりゼロ人なるという試算がある。そのような民族的クライシスを予兆して父祖伝来の祖型に範を求め始めたのだろうか。だとすればリニアに農業へいくはずなのだが、「イケイケの兄ちゃんたち」の動きは実に多彩だ。飲食、リフォーム、造園、観光、地誌、芸術、芸能、小規模エンターテイメント、SOHO、村おこしプランナー、行政とのタイアップなど多岐にわたる。それらが「妙に熱い地元愛」から導出されている。小なりといえども、大きな変化を孕んだ動きではないか。
 実は農本的なものに回帰せず、多面、重層的な町“残し”アクションに及んでいるところに「上の世代」の冷淡は起因しているように見える。浅慮に恥じ入るばかりだが、稿者なども当初は彼らの動きを“超ミニ・トーキョー”作りだと等閑視していた。実はそうではない。
 かつて教科書は狩猟採集から農耕へ移行し、定住が始まったと教えた。狩猟採集民は移動、農耕民は定住という図式である。しかし、最新の知見は違う。その逆だ。定住の必要に迫られて農耕が始まったという。また、狩猟採集をしつつ定住していた史実も明らかになっている。
 では、定住の必要とは何だったのか。一つは、間氷期を抜けて極めて住みやすく稔りに恵まれた自然環境になったことだ。人類は初めて生き残りを賭けた移動、移住から解放された。二つ目には、交易の利便のために定住が適していたこと。三つ目には、コミュニティが拡大したことだ。大きな社会を統べ維持するために宗教が生まれ、宗教を維持し祭儀のために農耕が始まったとの有力な仮説もある。供物の食材こそが小麦であり米であったという。ここが面白い(同時に、勘違いしている)ところだが、原初において農耕は決して安定した食料供給源ではなかった。むしろ狩猟や採集がよほど安定していたはずだ。農耕は植物の突然変異という天恵に偶会しなければ実現しなかった食料獲得の術であり、文字通りの自然栽培に等しかった始原において明示的なメリットがあったはずはない。種から収穫までのタイムラグを考えれば、賭けにも等しかったのではないか。試行錯誤の末に定着するまで数千年を要した。いずれにせよ、農耕よりも定住が先だ。土着するために耕作を始めた。しかも農耕に必然性は薄く、偶然に近い選択だった。してみると「イケイケの兄ちゃんたち」が農耕に直帰せず、それも含めて多面で重層的な起動を見せていることは合点が行く。“超ミニ・トーキョー”は管見に過ぎる。
 移動から定住、土着へ。翻って刻下はどうか。如上の要件を満たしているであろうか。大括りすると、世はノマド化している。大はグローバル企業の跋扈(国家に定住せず地球規模で移動)から小はノマドワーカーの誕生まで、モビリティーを格段に増している。特に若者のライフスタイルは定住性を逸して著しくノマド化した。太古の人類が生き残るために、つまりは狩猟し採集するために移動を繰り返した歴程に大きく先祖返りしているといえなくもない。
 だが今、地球規模で自然環境は悪化している。コミュニティは分断され極小化しつつある。ロジスティックの長足の進歩は交易の利便を思慮の外に措いている。一見、振古の定住の三要件から外れる。しかし本当にそうだろうか、愚慮を廻らしてみる。
 日本の都鄙を比すると、鄙には圧倒的に自然があふれている。内田 樹氏は「日本が誇れる国民資源は何よりも豊かなこの『山河』です」と語る。山河は鄙にある。都でのノマドが行き詰まり、急迫する定住の要を受け入れる鄙が相対的にプレゼンスを大きく増したのではないか。都市化の裏をかいて鄙の自然が復権したともいえる。
 コミュニティについては、今「顔の見える共同体」が模索されている。喫緊でかつ持続的な課題である医療、介護、教育(換言すれば、少子高齢化)はコミュニティの規模に関わるアポリアだ。成長を終えた日本が曙光を見出せるとすれば、貨幣経済とは次元を異にする「顔の見える共同体」をいかに構築するかだ。コミュニティ規模の適正化が定住を緊要としているともいえる。
 現今目覚ましく向上した交易の利便性は都鄙の別を無化した。ネット社会の到来と驚異的に進んだロジスティックは全国どこにでも土着できる時代を招来した。
 要するに、ヒトは移動から定住へ、さらにノマドへと向かい再び土着へ。その壮大なうねりの中で、「イケイケの兄ちゃんたち」が奮闘している。人類史といえば大袈裟だろうか、少なくとも本邦史上においては類稀なトライアルではないか。
 振り返ると、07年8月「しもた屋の風景」と題してわが町の衰退を取り上げた。あれから7年、何軒かのしもた屋でシャッターが開き、明かりが点り、店構えが変わり、人が出入りを始めた。「上の世代」がギャラリーであっていい風景ではない。 □